ハマヤ式

Dope journal from Tokyo

2年ぶり

気が付いたら2年ぶりでした破魔矢です!
見てる人いますか?

この2年の間に色々なことがありました。

前の会社の上司と会社を立ち上げてちょうど2年。
去年は知り合って8年以上になる人と結婚してすぐ離婚をしました。
離婚の理由は黒人のハーフに寝取られたからです。
名前はケニーでした。
黒人をリスペクトしてたのですが、さらにリスペクトするようになりました。

大きなイベントで言えばそんなもんです。

今は御徒町の近くにある職場でパタパタやってます。

それではまた!(見てる人いますか?)

帰ってきたハマヤ式

帰って参りました!

かれこれ1年半ぶりくらいでしょうか。

更新をさぼり、皆に見放されたハマヤ式。

自分自身に向けて書いてます。

って書くとやばい人みたいですね。

今、職場で書いているので本当にやばい人かもしれません。




ニート時代で終わっているハマヤ式ですが、あれから先輩のところで防水屋や塗装屋でバイトをさせてもらいながら、念願の小説を書き上げ、無謀にも群像新人賞に応募して、予想通り全く引っかからず、すっきりしたところで、本格的に就職活動を始め、意外とあっさり仕事が見つかり、というのが2014年の2月。

その会社に1年ちょい在籍中の破魔矢です。

不動産の営業だが、雰囲気のいい会社で、入社前は手と受話器をガムテープでぐるぐる巻きにされたり、灰皿が飛んで来たり、成績の悪い奴は人間じゃない!ぐらいの扱いを覚悟していたが、杞憂に終わった。

実際、営業職ではそういう会社もある。噂はよく聞く。

そんなこんなで今は課長代理である。

わりとトントン拍子に出世できた。

それもこれも、成績次第で全てが決まる営業職だからできたことだ。

自慢したくてこれを書いたわけではない。

意外とチャンスはそこらに転がっているということを伝えたかったのだ。




だが、その会社も今月で退職する。

理由はまた今度♪

それではまた!

自立したニート

完全自立型のニート、破魔矢です!
夏ぶりの更新です。

旅を終え、約半年間続く無職の状況で、飲み会以外外から出ずにひたすら徹底して引きこもりを敢行していた。
先月末やっと念願の個人的な作業を完成させ、来年の就職に向けた活動を少しずつ始めている。
今までやったことのない業種にしようと思っていて、楽しみと同時に不安がいつも頭のどこかに巣食っている。
自分のスタイルとは何かを考えた時、優先順位を決めることが重要だと思い、というのも今年で30歳になったわけだから残りの人生を逆算して考えなければならないからだ。
10代から続けてきた飲食業をきっぱりオールリセットすることには後悔はない。
それよりも今までの職業歴に捕われて、未来にある可能性を潰す方が自身のスキルを妨げるリスクが高い。
優先順位の上から順にあるのは、海外も含め各地転々と引っ越す、インセンティブ収入、やりがい、副業の時間の確保だ。
どれを捨て、どれを特化するのか。
自分の優先事項と就職する会社がどこまで寄り添い、想いを共有できるか。
今後どうなっていくのか先が全く見えない状況に高揚している。
変化以外必要ない。
それが今の自分のスタイルだ。
自分のスタイルを求め、実行し続けてさえいれば日々の生活につまずくことがあっても、立ち上がることができるだろう。
とにかく、我武者らにやってみます。

それではまた。

ARGO

argo-still

やっとARGOを見れた。
ベンアフレック監督主演の実話を元にする映画だ。
アカデミー賞作品賞を始めとして3部門に輝いた。
当時アメリカは諜報活動の暗躍と失敗に嫌気が指し、カーターが大統領に就任するとCIAなどの諜報部門の予算を大幅に削減させ、その結果イランの政局が読めず70人以上のアメリカ大使館における人質を生んだ。
1981年に起きたこの映画における人質奪還作戦はカナダによる手柄とされたが(実際カナダも大いに貢献した)1997年にクリントン元大統領によって明るみに出されるまで極秘裏とされていた。
歴史の裏側を垣間見れる興奮とベンアフレック映画の抑制された、波が引いていくような静かなる演出とがぶつかりつつも馴染み鋭い一撃を残す。
いい映画だ。
たとえそれがアメリカの、CIAのプロパガンダとしても、だ。

ペナン島から

マレーシアのペナン島へは、タイのプーケット島から8人乗りのワゴンで向かった。
朝早くゲストハウス前に向かえに来たワゴンに乗り込むとまずは南東にあるハートヤーイに向かう。
道中3時間に一度ほどの割合でトイレ休憩があった。
ちょうど休憩のタイミングで強い雨が降り、雨が地面やトタン屋根を激しく打つ音しか聞こえなくなった。
ボロボロの犬がいた。その犬は茶色で中型でおそろしくボロボロだった。所々毛は抜け落ち白い地肌がむき出しになっている。トイレの前の大型バスが駐車するスペースの上に粗末なトタン屋根があってそこでワゴンの乗客ともども犬が雨宿りしていた。東南アジアの野外で見た犬には一つの共通点があった。目が切なそうなのである。自分にはどうすることもできない諦めのような、哀愁を漂わせているのだ。雨宿りしている犬も例にもれず悲しそうな目で近くにいる人間を見ている。もし人間のいない世界で生きているのならきっとこんな表情はしないのではないかと考えた。人の近くに住む野良犬というのはほとんどが人からのえさや残飯で腹を満たしている。人がいないとなれば自分で小動物やら魚やらを手に入れなければならない。人のそばで生きる野良犬たちはその状態が続く限り、きっと切ない目をしていきるのではないかと夢想する。可愛がられる飼い犬と違い野良犬は、時に人によって酷い仕打ちをうけることがある。幼い頃から人の恐怖を叩き込まれ、そしてえさをもらう。逃れられない宿命を背負ったギリシャ神話の神々のように残酷な生き方だともとれる。
切ない目をしたボロボロの犬は人を見るのを止めて、赤土を叩き付ける雨を見ている。
乗客達がワゴンにのろのろと乗り始めると、ドライバーがワゴンをバックさせる。
ワゴンの数メートル後ろにはあの犬が横たわっていたはずだ。
微かな緊張を覚えて、窓から犬の姿を探したがどこかに行ってしまったのだろう、どこにもその姿は見つけられなかった。
あの犬を人間の世界に置き換えてみる。
自分はあの犬のような目をしてはいないだろうと想像する。
しかしあの犬のような目をする瞬間はあるような気がした。
もがいても足掻いてもその社会から抜け出せず、逆にその社会がなければ生きていけないことを悟る悲しさ。
そんな感傷に浸りたい時もあるにはある。
結局その社会で生きていかなければならないのだ、と切なさに火をつけ哀愁を灰にする。
そんなものなのだと図々しくも決定付ける。
そのほうが生きやすい。

強い雨脚は走るワゴンをどこまでも執拗に追いかけてくる。
前方には黒い雲とわずかな光と強い雨が待っている道路が延々と続いている。
ワゴンは雨に追いかけられているのでなく、自ら向かっているような気がして、なんだかほっとした。

帰国から日常へ

帰国してから2週間ほど経ちました、破魔矢です!

帰国直後は飲み会がちょいちょいあったが、今は完全に家に引きこもっている状況である。
一日一回外に出ればいいほうで、出るにしても近所のコンビニかTSUTAYAにDVDを借りに行くかくらいしかない。
そんな状況が続くとどんなことが起きるかというと、全てのものが新鮮に見え続ける。
旅行の出発前は悪鬼の如く遊び狂っていて、飲みに行くことが日々の習慣、酷いときには一日に三件の飲み会があったりした。
外出イコール飲み屋に行く、だった。
飲みが続いてくると飲みに行くのが苦痛になってきた。
また今日も飲み会か、と自分で入れた予定に嘆くようになってきた。
完全に自業自得である。
一ヶ月分の給料が全て飲みで消えていった。
その後旅に出て、一ヶ月が経つと日本食が無性に食べたくなった。
帰ってきた当初も飲み会で外出はほとんど飲み屋だった。
それでも東南アジアから日本の飲み屋にくると感動ものである。
食事は全ておいしく口に運ぶたびに美味しいと自然に声がもれ、屋内でタバコが吸える上に、空調もちょうどいい。
食べるもの全てに毎回感動できるのだ。
それがまだ続いている。
新鮮さは食事だけではない。
ちょっと外に出るだけで、それも特に都会でもなんでもない場所でとんでもない美人が歩いているのを見かける。
東南アジアでも大きな都市の裕福層が集まる地域ではもちろん美人はかなりいる。
しかしそれはこちらの比ではない。
あらゆる街角に美人がいるのではないかと思ってしまうほどだ。
美人というより美しく見せるスキルが高いからそう見える女性が多いというのが日本の真実だとは思うが、通り過ぎるだけの存在な訳だから美しく見えるだけでいいのである。
そんなわけで退屈はしていない日々だ。

無から何かを作り出し、それを認めてもらう。
そういうことを今、やっている。
自分を励まし続けられるか、そこに成否は懸かっている。

それではまた。

帰国

帰って参りました、破魔矢です!
正確にいうと23日の午前1時に笹塚に到着しました。

南タイを足早に駆け巡り、ピピ島へのアクセスポイントでもあり、この旅で初めて海を見たクラビへバンコクからバスで一日かけて向かいそこで一泊。クラビからボートに乗ってピピ島へ。ピピ島では島内のビーチを無理矢理徒歩で巡り、ボートタクシーのドライバー達から顰蹙を買い、流石に青と緑の混じった、透明度が高いのにも関わらず色が際立って見える特殊な海に唸り、ビーチにねっころがった。
しかし滞在も1日のみ、翌日はプーケット島に向けてまたまたボートで移動。タイで知り合ったおじさんに教えてもらった馳星周のマンゴーレインというタイを舞台にしたハードボイルド小説を読んでいるとあっという間に2時間が経ち、目の前に港が現れた。
プーケットといっても様々な顔を持ったビーチが点在していて、どのビーチに行こうかまだ決めていなかった。面白すぎる本のせいでしばし港で呆然とするものの、タクシーのドライバーのすすめでやはり安宿が多い、プーケットで一番有名で大きなビーチ、パトンビーチに向かうことになる。
ピピもそうだったがプーケットもリゾート地なだけあって宿代が高い。
それでも飯はうまいし、島で働いている現地人もなんだかあったかくて来てよかったなあとは思えた。
上陸の午後から翌日の夜までスクーターをレンタルして島西側のビーチを北から南までくまなく訪ね、運転中にひどく日に焼かれておでこと鼻がにぶい赤と汚い黒が混じった泥に埋もれた毒蛙みたいな醜い色になって3日後には皮が向けた。
島の波はどこも波がものすごく高く、あぶないよ!と大きく主張したフラッグがパタパタと強めの風に吹かれて白めだが茶色がかった砂浜にずんと突き刺されている。
恐怖を感じるような波の高さだが、浅瀬は続いている。
波が来ると今まで腰の辺りまでの水深が一度に身長の1.5〜2倍の高さで文字通り覆い被さってくるのだ。
そうなると水中眼鏡を殊勝にも目の回りに貼付けている頭ごとを軽く波の力で一回転ないし一回転半させられ、眼鏡は本来あるべき場所を離れ海水が目に入り軽いパニックといつ死ぬか分からないのだ生き物はというしごく当たり前のことへの気付きが不安を呼びながらもその間ずっと波にいいように弄ばれてそれでもやっと体の一部が海の底に触れた時の安心感はやはり自分は生きたいのだという静かだが微動だにしない基盤を持った生への執着を思わせなぜか喜ぶのだ。
2日間滞在し、3日目の朝マレーシアのペナン島はジョージタウンへバスで向かった。

ジョージタウンは2008年コロニアル調の建物が美しくマラッカとともにマレーシアが誇る世界遺産になった街である。そこで泊まったゲストハウスの部屋がこれである。

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激しく落ち着かなかった。
翌日はペナン島で一番人気のビーチ、バトゥフェリンギ、沢木耕太郎の深夜特急でも舞台になったゲストハウスがあることでも有名なビーチにローカルバスで向かう。
結局大きなホテルが建設中で、その舞台になったアーベンゲストハウスは取り壊されていて、その跡地の横にあった華人系のゲストハウスに泊まった。
2階にある部屋からは波が砂を洗う音が聞こえてくる。海までの距離は30メートルといったところか。
15くらいの客室があるようだが、泊まっているのは自分だけであった。
それみよがしにパンツ一丁でバルコニーから共同バスルームまで蹂躙し、自分の城を簡単に作り上げた。
そこには2泊し、目の前のビーチではジェットスキーをやり、端から端まで散歩してビーチを支配して満足した。

続きはまた今度書きます。

Phiphi Islands

I cannot type Japanese at internet cafe in Phiphi Islands, so in English now.

Phiphi Islands is so beautiful.

that's all

thanx ^^

tomorrow Im going to Phuket Island.

bye!

最終日 バンコクにて

1週間滞在したバンコクも今日で最終日だ。
明日の朝にはプーケットが近いクラビという日本人にはあまり馴染みのないリゾートに移る予定だ。

4月10日に初めてバンコクを訪れたときは1日でだけの滞在で駆け足で寺を見て回っただけでほとんどカオサンロードにいた。
2回目はラオス、カンボジア、ベトナムを回った後に来たのだが、ほとんどの時間をBTSという高架鉄道の南にある駅オンヌット近くのマンションの一室で過ごした。夜に少し出かけるだけでほとんど室内で文章を書いたり、ネットをいじったりしていたが、昨日久しぶりに日中に外出した。
ドゥシット動物園とウィークエンドマーケットに行ったのだ。動物園はベトナムで行ったところより数段格下で、いる動物も施設の設備も荒く、しまいには工事中の場所が多く、象を見に行ったのに象すらいなかった。どういうこと!?と一人愚痴り(どの動物園も一人で行った)、マーケットのほうへすばやく移動した。マーケットはかなり広く、最初から方位磁石が大活躍で、売っているものも多岐に渡り、服がメインだがペット、家具、観葉植物などがあり、食事ができる場所も多い。時間帯の成果観光客はそれほどおらず、地元のタイ人が買い物を楽しむというよりただぶらぶらしている感じだった。僕はひたすらおみやげを選び、同じ商品でもどの店が安いか調べ、結果かなり安価で購入できた。例えば、ファーストコンタクトでタンクトップが250バーツと言われ、高いありえない、と手を振ってその場を去るふりをすると、商売根性のある売人はいくらがいいんだ?と聞いてくる。そこですかさず100バーツだ、と答える。向こうは200バーツでどうだ?いきなり50バーツも下げてくる。僕は強気に100バーツで買えるほかの店を知ってるからいいや、とまたまた去るふりをする。店の主らしき人物とその売人がごにょごにょ相談しているのを背中で感じながらゆっくり歩いていると100バーツでいい!と後ろから声がかかる。250バーツが100バーツになるのだ。なんて世界だ。そんなこんなで10人分のお土産用タンクトップとタイパンツを手に入れた。

今回の滞在で成長したのは移動手段を現地人に近い形で利用できるようになったことだ。
高架鉄道、地下鉄、バイクタクシー、普通のタクシーを組み合わせて使い、トゥクトゥクみたいな観光客向けの割高な移動手段は使わなかった。特にバイクタクシーは完全に市民の足で僕も外出する際は必ず使った。マンションから駅まで30バーツほどでバイクタクシーを使わなければ歩くしかないので必然であった。

カオサンロードにも2回行った。
タイ在住のタイ語、英語、日本語を操る日本人の友人ができたのでクラブに遊びに行ったのだ。
カオサンはバックパッカー以外にも最近はタイ人の若者も遊びに来る場所になっていてクラブ内の7割くらいは白人などの旅行者だが、その他はタイ人で、僕の今回の旅の唯一といってもいいほどのこだわりが地元感をひたすら味わうというものだったから、もちろんクラブではタイ人と遊んだし、クラブが終わった後はそこで知り合ったタイ人の家に行ったりした。
飯もタイのローカル屋台からハイソなタイ人が行くちょいと高めのレストランやバーも連れて行ってもらったし、観光客向けの所にはなるべく近づかないようにしていた。
さすがに有名な寺院などの観光スポットは外していないが、それ以外は現地人から情報を得るか、現地人に直接案内してもらった。

明日にはバンコクを去るわけでもう旅の終わりも近い。
クラビに渡り、その近辺の島々を訪れ、マレーシアに南下する。
シンガポールに行ってもしょうがないよ、シンガポールつまらん論が多数を占めることが判明したのでシンガポールに行くのはやめて、マレーシアのクアラルンプールから日本に帰ろうと思う。
人生の夏休みももうわずか。
約2ヶ月に及ぶ旅も終わりを迎えるのかと思うと心臓がぎゅっと縮むような切なさと寂しさが溢れてくる。
まだ旅は終わっていないが、今回の旅で得たものは本当に大きかった。人生観を変えたといっても過言ではない。これからの生き方に大きな影響を与えるだろうし、その影響はよい物であることを信じている。
日本に帰ったらまず、FXで小金を仕入れて、失業保険を取得して半年乃至1年は自分のやりたいことに専念しようと考えている。

人生は一度きりの勝負であり、その勝負は楽しんだもの勝ち、という自分の考えを実践しよう。
未来への不安など誰にでもあるし、ないやつはただの馬鹿だ。
ただ未来への保険をかけすぎて現在を楽しもうとしないのももったいない。
老後のために生きているわけではないのだ。
今やりたいことを悔いのないようにやる。簡単なようで実践している人は少ない。自分の好きなように生きられる状況を利用して楽しむこととしよう。

それではまた。

バンコクにて

タイとラオスの国境で出会い、ラオスの北、フアイサーイという街からスローボートというメコン川を1泊2日で下る恐ろしく遅いボートに一緒に乗り、到着地のルアパバーンで同じゲストハウスに2日間泊まりつつ様々な観光をして、ラオスの首都バンビエンまでバスで向かい、そこで一旦別れたタイ人女性がバンコクに持っているマンションの一室でぱたぱたとキーボードをやっている。
バンコクには旅の初日に来た以来で、二回目の滞在の今回は一週間ほど彼女の家に居候する予定である。
彼女はいわゆるインテリでタイで三本の指に入る大学を卒業し、今はITエンジニアを大企業相手にやっているらしく、音楽が好きで趣味はウクレレとギター、ジブリの音楽で有名な久石譲やシンセサイザーを扱うKITARO、ウクレレ奏者のJake Shimabukuroなど世界的に著名な日本の音楽家にも詳しい。
スローボードではやることがほとんどなく、しかもフアイサーイで、日本で買ったばかりのiPhone5を落として壊してしまった僕には音楽も映像もネットもカメラも全てすでに失っていて、彼女と話すかメコン川沿いのおそらく何千年も変わらないであろう岩と小高い丘に群生する名前も分からない木々を眺めるしかなかった。
その文字通りスローな世界でポツポツと様々な会話をし、その中に音楽の話題があがったのは幸運以外の何物でもなかった、なぜなら僕の好きな音楽と彼女の好きなそれとは少なからず共通点があったからだった。
会社を辞めて以来、寝起きによく流したのはNorah Jonesで毎日のように聞いていた。
彼女はおそらくNorah Jonesの全てのアルバムを持っていた。
John Mayerが僕の一番のお気に入りで、その他にはJack Johnsonもよく聞いていた。
彼女がこの歌を知っているかと尋ねてくる曲全てが僕のお気に入りだった。
日本の著名なミュージシャン、そして僕の好きなアメリカのミュージシャンを好きな女性を僕は好きにならない理由はなかった。

彼女は物静かだ。
二人の間に余計な会話はなく、本当に伝えたいことしかお互い口を開かない。
もちろん冗談も言い合う。
しかしその冗談に僕は一番気を使う。
彼女は本当におもしろいと思ったときだけ笑顔を見せるからだ。
気を使って笑ってあげる、といった概念は生憎持ち合わせていない。
けれどそんな彼女を笑わせたとき −もちろん英語で− 最高に嬉しくなる。
たくさんの小さな笑いも嫌いではないが、今は洗練された冗談をいかに拙い英語で彼女に伝えられるかに腐心している、というのは大げさだが単純に笑顔はいいものだ。

先週末、アンコールワットがある街、シェムリアップからバスに揺られ夜10時頃にバンコクに着いてまず寝床を探さなければならず、とりあえずカオサンロードに向かい300バーツで適当に宿を見つけ、インターネットカフェでメールをチェックすると彼女からゲストハウスにまだチェックインしてなければうちに泊まってもいいよとメールが来ていた。
宿探しの前にメールをチェックすべきだったと後悔しつつも、カオサン近辺で彼女と待ち合わせ、軽く飲んでから宿をチェックアウトして彼女の家に向かった。
彼女の家はスカイトレインという比較的新しい高架鉄道の駅の近くにあるが、近くといってもタイ人の感覚で近いだけであって、駅から家までバイクタクシーという日本のカブみたいなバイクの後ろに乗っけてもらうタクシーで三分近くかかる。
歩いて駅まで行くという感覚はよほど高級な駅近のマンションでない限りなさそうだ。
毎日駅と家の往復はバイクタクシーを使い、仕事場までは電車とタクシーを使う。
公共の移動手段の全てがかなり安いからできるのだ。

居候の身としてはやはり彼女に最大限の気を使うのが僕の欠陥だらけの常識の中の唯一といってもいいほどの美点になりうることだが、はてさて僕に何ができるだろう、と考えてみた結果、日本料理でも作ろうかと結論が意外に早く出た。
逆に他に何もなかったのもあった。
しかし問題もあった。
バンコクに住む多くの一人暮らしの人々は外で食事を済ませるらしく、家族用のマンションでないかぎりまずキッチンというものがない。
流し台すらないところも多いそうだ。
彼女の家にはかろうじて流し台があるが、それはベランダにあった。
もちろんガスコンロも調理道具もない。
なので全てそろえる必要があった。
日本食を扱っているスーパーに行き、日本の二倍以上する恐ろしく高い食材を買い、近くのスーパーで調理道具を揃え、彼女の友人二人とチェンマイで出会った僕の友人の五人で寿司パーティーを開いた。
稚拙な寿司と粗末なカリフォルニアロールだったが味はそこそこで、彼女たちもたぶん喜んでくれていたはずだ。

どんなつらいことでも慣れてしまえば苦にならなくなる、だからつらいと思うそのときに、きっと近い将来今の状態を笑える日が来るはずだから楽しんでしまえ、とよく考えることがあった。
頭の右斜め後方に別の自分がいてじっと僕を見ている姿を想像するのだ。
この妙な、もしくは苦痛であろう状況をお前はどう対処するのか、受け入れるのか拒絶するのか、欲望に流されて自分が自分の一番の操縦者でいられるのかそれともただただ運命という名の流れに身を任せるのか。
大げさに言ってはいるが、僕が言いたいのは単純に英語ばかりで生活していると独り言も英語になり、夢の中でも英語を話し、何か考えているときでもふと英語の単語が思いつくことが多くなったということだ。
別に苦痛でも妙な状況でもないが、簡単に言えば自分を客観的に常に見れるかどうかで日々を楽しめるかどうかが大きく左右される、僕の場合。
英語に慣れた自分の先にあるのは何か。
きっと何もない。
何もないだろうが、アメリカ留学時代以外にこんな状況になったことはなかった。
ただそれだけだ。

今夜はお好み焼きを作ってみたが、買ってきたフライパンが粗悪品で使い物にならず結局ぐちゃぐちゃのゴミみたいな炒め物ができあがった。
無表情でそれを食べる彼女を見て胸が痛くなったが仕方ない。
僕と彼女はビールを一本ずつ飲み、二本目を二人で分け合った。
キーボードをパタパタやっている間彼女はベッドで携帯をいじっている。
時々にやっとする。
にやっとしている雰囲気が背中から伝わってくる。
僕はそれに反応せず、伝わってくるままにしている。

明日は久しぶりに予定がない。
本を読んで、文章を書いて、ビールを飲んで、夜はきっとまたゴミみたいな食事を用意して彼女の表情を曇らせる。
この生活はやがて去っていく。
最初から分かっていることだ。
始まりの時点で終わりはすでにそこにある。
それを右斜め後ろにいる自分が楽しんでいる。
それでいいのだ、今は。

カンボジアにて

どれくらいぶりかわからないくらいに更新を怠っていた破魔矢です!
まず、このハマヤ式をまだ見ている人がいるのかどうか、そこが疑問ですがせっかく仕事も辞め人生の夏休みに入っているわけですから軽い日記というか旅のスケジュールを載せていきたいと思います、とても雑に。

なんやかんやもめながらも辞表を受け入れてもらえ、3月、4月は有給消化で勤務時間はほぼなく、4月に関してはまるごと有給扱いで4月末で退社という運びになった。
このハマヤ式にも以前書いていたとおり若いうちに東南アジアを旅しておきたいと思っていた僕ですが、4月9日に悪名高いエアアジアでまずはバンコクへと飛びます。といっても一回クアラルンプールを経由してですが。
10日の朝バンコクに降り立ち、まずはバックパッカーの聖地ともいわれるカオサンロードへと向かいます。
ひどく方向音痴な僕はアゴダで予約しておいた目当てのゲストハウスにもたどり着けずなんとか見つけたころには汗だくで誇張ではなく意識は朦朧としていました。
とここまで書いて思いました。
こんな調子でだらだら書いてたんじゃ今日までの旅程を書ききるのに何時間かかるのか。
というわけでメモ程度に簡潔に、書きます。 

9日エアアジアで羽田を立つ。

10日バンコク着、早速カオサンロードでタイ人の刺青だらけのスケボーを持った女に声をかけられ、そいつのバイクの後ろに乗り有名どころの寺や仏像を駆け足で見てそいつが注文した飯を食べなぜか腕にキスをされ公園で少年少女と一緒にスケボーをしうちに泊まれとひたすら求愛されているかと思ったら最後にしっかりガイド代として500バーツも取られ振り向きもせずすっとそいつは去っていった。
初日から暑い熱い日だったのである。

11日アユタヤへ鉄道で移動、ゲストハウスが多い通りで宿を見つけ、駅近くでバイクを借りひたすら乗り回す。
アユタヤの遺跡はあまり感動をもたらさず、自分はもしかして遺跡に興味がないのではと訝りだすがそんなことよりもバイクで走りまわす楽しさが強くてアユタヤ全体を走りまくった。

12日アユタヤをさらに爆走、夕方にバイクを返し、夜行バスでタイ北部の都市チェンマイへと向かう。
バスを待っている間日本人に話しかけられ少し話す。このきっかけが明くる日に繋がっていく。

13日チェンマイ着、予約していたホテルは過去のバブル時代を感じさせる立派なものだったが今の熱海のように白けている。昔はきっと豪華だったのだろう。ホテルに荷物を置き出たのが朝10時頃。そこからターペー門内の旧市街に行き飯を食べようとふらふらしているとコーヒーショップに日本人らしき男性発見、しかしそこはスルーして隣の麺料理の店へ。食事を終えてまだその日本人がいたら声をかけようと密かに ーといっても一人旅なのですべて心のうちにあるのだがー 思っていたらまだそこにいたので声をかけた。それというのも前日に日本人に声をかけられたことが大きな原因になっていてこちらも情報を得たいときなどはどんどん声をかけていこうと思っていたのだ。そしてそれが吉となる。後にハマちゃんスーさんのコンビになる二人の出会いであった。
コーヒーを飲んでいるスーさんに声をかけると親切に色々と教えてくれる。ソンクランというタイの水掛祭りがその日から始まっていてそれに一緒に行かないかとまで誘ってくれた。早速誘いにのり、近くに友人がいるからそこまで行こうとスクーターの後ろに乗せてくれる。その友人が後のチェンマイ3兄弟の一人になるひかりちゃんであった。3人がそろうともちろん3ケツで旧市街を取り囲んでいるお堀沿いを走り始める。とたんに側道から食堂から車の荷台からなにから水をぶっ掛けられる。その日は一日中水を掛けられ、反撃にお堀の緑に濁った恐ろしく汚い水を掛け返した。


時系列はぶっとび、今は5月3日である。
カンボジアのシェムリアップというアンコールワットなどのへの基点となる街のゲストハウスのPCをぱたぱたやっている。
昼11時半のバスで再びバンコクに戻り、何日か滞在してさらに南下しビーチというビーチを漁り貪ったあとマレーシア、シンガポールへと向かう。あわよくばインドネシア、フィリピンにも行きたいが時間と資金次第だ。
この続きはまた今度。
といっても見ているのは僕だけだろうが。

前哨戦

渋谷の勤務している店舗で20歳のアルバイト2人が店を卒業した先輩のためにアルバムを作っている。
写真を大量に現像して、はさみで人物の輪郭をひたすら切り取り、メッセージと共に貼付けていく。
店の一番奥の席でそれは行われていて、そこからは外が見える。
雨がゆっくりと少しずつ、時間をかけて降っていて、傘をさしている人は少ない。
時間は午後4時で店内は半袖でちょうどいい温度だ。
マックのポテトとシェイクを時折つまみながら、事務的な会話のみで作業は淡々と進められていく。

卒業したアルバイトは2人いて、そのうちの1人は埼玉の店舗で2年、渋谷で2年、合計4年以上勤務したベテランだった。
背は150センチ程度で、そのへんの身長の女性がよくそうであるように少しぽっちゃりしている。
勝ち気な女だが、同時に自分に自信を持っておらず、その間で常に揺れ動いてはいても自分の価値観は簡単に揺らぐ事はない。
礼儀ができていない人間に嫌悪感を抱き、逆にできている人間にはひどく丁寧に接する。
誰もが知っている大学に通い、誰もが知らない埼玉の奥地に住んでいる。
化粧をする事を塗装と呼び、化粧がうまくいかないと顔面スランプだと自分を罵る。
自虐は自分に自信のないものだけが吐ける自分への慰めの言葉だが、他人から言われるのは許せない。
決して単純な性格ではない。
そもそも単純な人間などいない。
彼女は単純な性格ではないが、自分が心を許した人にはとことん尽くす。
4年以上働いたのもその現れだろう。

その彼女の写真が大量に切り取られていく。
後輩の二人は事務的な会話から数ある写真の中のその時の状況を楽しそうに話している。
今週の土曜日に送別会がある。
店に尽くしてくれたアルバイトを盛大に送り出そう。
見返りを求めない貢献は必ず後になって自分に返ってくる。
そういう模範を作るのが僕の下で働いた者たちへの恩返しだと信じている。

get drunk

taiwan_taipei


おはようございます!破魔矢です!
今日は久しぶりに酔っぱらいでの更新です。

昨日の営業が早めに終わったので社員とバイトの4人で富士そばでえさみたいなカツ丼を食べてたら連れから連絡があり、飲みにいく事に。
センター街のねじべえという鶏ちゃん焼きが名物の店に行ってきた。
何度か行った事がある店で落ち着いた大衆居酒屋の雰囲気が気に入っている。
そこで7,8杯素早く飲んでカラオケに。
日曜の深夜なのにセンター街のカラオケはどこも混んでいて、歌広の1畳くらいの酷く狭い部屋だったがなんだかんだで楽しんでしまった。
どうやって帰ってきたか覚えていないが起きたら12時過ぎだった。
最近休みの前の日はほぼほぼ朝まで飲んで夕方に起きる。
そしてなぜか休みの日はほぼほぼ雨が降っている。
今日も雨だ。

これから学芸大学前まで行ってアンコウ鍋を振る舞ってもらう予定だ。
調理をするのは自己流で料理修行をし、今はかなりの腕前になっている大男で、同じ秋田の能代出身。
共通の友人を通して19歳の時知り合い、話してみると専門学校まで一緒だった。
破天荒という言葉がぴったりの男で、ヨーロッパで1年放浪したりと海外をウロウロしていたのもあり、日本の規格外の考え方をする。
ただ、飯を作らせたらなかなかだ。
ブイヤベース鍋、マグレカナールとかいう鴨肉のソテー、魚介たっぷりのパエリアなどイタリア、スペインあたりの料理が特に美味しい。
今までそっち方面の食べ物はなかなか手を出せないでいたが、うまい。
以前タラの白子鍋を逃し、去年仕事で彼の自宅で開催されていたアンコウ鍋会も逃していた。
今日はリトライ。



話は20歳と28歳の脇腹の贅肉のつき方のようにがらっと変わり、来週14日から3日間台湾出張に行ってくる。
渋谷でお好み焼き店をやり始めてから3年弱が経ち、その間に会社も優良な親会社に変わって資金も潤沢になって次の展開が必要な時期になってきた。
このまま渋谷で働き続けるのも未来が見えないなと思っていて、社長に違う業態で働きたいと伝えていたところに台湾にお好み焼き屋を出店しないかというオファーが大阪の本家のお好み焼屋のほうからあったのだ。
本家の方は国内の出店は一旦やめて、韓国にガンガン出店している。店の売り上げは良いようだが円高の影響で韓国で稼いだウォンを日本に持って来れないでいる。
なので金がない。
そこに潤沢な資金を持っている当社に話が回ってきた。
本家としてはブランドネームを世界中に広めたいという思いとお好み焼きという日本の食文化を世界に発信して啓蒙したいと考えている。
もちろんロイヤリティも欲しいだろう。
その話を会議中に本家の常務から聞いた時、なんとなくふわふわといいな台湾行きたいな、なんて言っていたらその話が社長や取締役まで行き、上役も思いの外乗り気で今回の台湾出張につながった。
その3日間で台湾でやれそうかどうかの判断を統括店長と僕とで判断するのだ。
現場の二人でなくては現地でのビジョンが描けるかどうかは判断できないだろうとのことで部長や取締役は行かない。
ゼロベースからのスタートで統括店長と僕とでどのような形態のお好み焼き屋にするか全て一から考えなければならない。
上役にはぜひ私にやらせてくださいとゴリ押しした。
海外でゼロベースから店を立ち上げるなんて、なかなかない挑戦だからだ。
渋谷店の立ち上げの時はリニューアルオープンだったから細かい契約や業務には携わってない。
これは餓死寸前に目の前に巨大な骨付き肉がぶら下がっているような分かりやすいチャンスだ。
これを逃す手はない。
元々日本にずっといる気はなかったし、英語を活かせるチャンスでもある。
台湾は親日で有名だし、台北あたりは気候も温暖だ。
アメリカ留学時代に何の因果かチャイニーズ街に住むことが多かったことを思い出す。
自分と中華のつながりに嫌悪感は全くないし、つながり自体は好意的に見ている。
実際台湾で出店するかはまだ決定していないがもしそうなったら僕が行く事になるのは確実だ。
台湾1号店を成功させたら何店舗も出店できるかもしれないという野望がふつふつと湧いてくる。
この感覚はマンハッタンの街自体から放たれる圧倒的なパワーが腹の奥で微睡んでいた欲を刺激してくるのを目の当たりにした時以来の興奮だ。
恐ろしく大変だということは渋谷店の立ち上げの経験から分かっている。
言葉の通じない国で住んだ事のない国でお好み焼きという食がまだ開拓されていない国で立ち上げるのだ。
断言してもいい。
恐ろしく大変だ。
けれどそれを僕は求めている。
大変という言葉はプラスの方向にも成りえる。
僕にとっての充実した感情というのは何かをやり遂げたときに起こりやすい。
ルーティーンワークをしている中ではそういった感情にはなかなかなる機会がない。
楽しみだ。





さて、アンコウ鍋食べに行ってきます。
それでは。

おそばせながら

今更感半端ないですがあけましておめでとうございます!

今年の抱負は実行です。

去年種まきで今年は実行です。

まいた種に栄養を与え、収穫します。

何を撒いたかはお楽しみ。





年々生活環境は良くなってきている。

それを今年はさらに押し上げていきたい。

例えば、今年中にマンションタイプの住居に引っ越す予定だ。

今の家も悪くはないが、木造で1階なので大きな音が出せない。

ヤマハのアンプを買ったので爆音で音を聴きたいのだ。

他には浄水機と空気清浄機も欲しい。

どちらも一個10万円越えである。

最近お酒を飲む機会をあえて減らして物を買おうと思っている。

去年一年闇雲に遊び倒した結果、残った物は楽しかったという思い出だけだった。

今年はメリハリをつける。

どこにお金を使う優先順位を立てるかを考えていく。

年取るごとに成長したいものだ。

とにかく眠いのでここまで。

またあいまそう!

年末

12月中盤から予想はしていたが店の忙しさが今年最高のものになっていった。
22日の今日は今年最後のピーク日になる。
予約だけで50名近くあり、席はきっちり2回転する。
4名席に8名とか無茶入りの予約もある。
先週から風邪を引いてまだ完全には治っていない。
風邪を引いてからクラブでオールし、鍋パーティーを発熱しながら行い、熱を出しながら朝会議してそのまま終わりで午前11時から歌舞伎町で夕方まで酒を飲んだりしてたので治りが悪いのはじぶんのせいではある。
昨日は朝から左肩が痛くて左上腕3等筋がずっと朝から晩までびくびくっ!とずっと痙攣していた。
遊びまくりの働きまくりで体がぼろぼろだ。
ただ12月から趣味の禁煙をまた初めてはいる。
そのせいか甘いものを求める強さがぐんぐん上がっている。

今年の抱負は種まきだったが、結局人脈の種まきが少し出来ただけで文章系の種まきはできなかった。
来年こそは作品を完成させよう。
仕事面でも管理職を目指して上を目指す。
今まで出世の事は考えた事はなかったがこれからはそれも意識していく。
やらなければならないことはあいかわらずたくさんある。
ひとつひとつやっていこう。
まずは今年一番のピーク営業のために早めに寝よう。
それではおやすみなさい。

sea

ディズニーシーに行ったのにアトラクションに一つも乗らないで帰って来た破魔矢です。

酒飲みすぎて後半覚えていません。

人にはそれぞれ何かしら人より秀でているものがあるというのは一般論だが、僕の場合12月4日のディズニーシーで一番酔っぱらっていたこと、だろうか。

次の日は二日酔いだ。

the wedding party

長野に友人の結婚式で久しぶりにバスで帰った。
ネットでバスを探していたら片道1,900円という破格のバス会社を発見、名前はハーベストツアーとかなんとかそんな感じの名前だった。
安いからには理由がもちろんある。
まず、出発2日前だったからかわからないが18時45分新宿発の便しかなかった。
新宿といっても西新宿の高速バスターミナルではもちろんなく、東京モード学園等が入っているコクーンビルの前の道路にただぽつねんと停車しているだけで、ネットに乗っている地図の精度も劣悪だったのもあり15分くらいiPhoneのGPSを使いながらも迷ってしまった。
乗務員に名前を告げるとバスの入り口に座席表があってそこに名前があるから自分で探して座ってください、と言われいざその座席表を見ると普通なら1Bとか5Dとか座席の位置を示す記号があるはずだが、そこには名前しか書かれておらず、例えば破魔矢の席は前から5列目の運転席を背にして右の窓側だった。なので前から1つ、2つと5列目を数えて探し、本当にここでいいのだろうか僕は28歳にもなってこんなしみったれたバスで帰郷していていいのだろうか新幹線で颯爽と短時間で移動して時間を金で買うべきなのではないだろうかしかし僕は極度の金欠なのだからこのバスがお前にふさわしいのだ我慢しろ、と考えたあたりできっとこの席は僕のためのものだ、と無理矢理自分で納得した。
金髪の若造が一度バスの奥の方まで行き、あれ?ってな感じでまた前方の座席表を見に戻っていた。
もしやこれは座席表を一発で理解できないアホをファッションショーのモデルみたいに座席に挟まれたランウェイをわざと1往復させて聴衆に心の中であいつアホやな〜と微小の優越感に浸り、1,900円で長野まで移動する貧民の中にも序列があるのだと悟らせる国家的な何かの実験か、などと考えたわけではもちろんないが、もう一回座席表を見に行くのはかっこわるいことに間違いはない。

休憩1回を経て、長野に着いた時刻は22時。
ネットの時刻表によると長野着予定は23時。

一時間も予定がずれるって毎回走るルート変えてるんかいっ!
と激しくツッコミたかったが、遅れた訳じゃないから熱い想いを隠して沈黙していた。
昔の恋人に迎えに来てもらってそのまま家の近所の昔バイトしていた飲み屋に。
店のおかみさんが破魔矢の顔を覚えてはいたが名前は思い出せないとのこと。
何年か前も同じことを言われたことを思い出す。

場所を破魔矢宅に移して飲み会再会。
高校からの連れ3人と元彼とその女友達の総勢6人でコンビニで酒を買いまくり、帰宅したら母親が起きてきて飲み会に参加。
早く寝てくんないかなという子の想いは親知らず。
母親が切り上げたあたりから記憶がない。
あとで写真を見るところによると、体中にマジックでお互い落書きをしつつ、王様ゲームまでしていたようだ、よかったよかった。

いつ寝たのかも、どこで寝たのかも記憶にないまま目が覚め時計を見ると10時を過ぎている。
結婚式の受付を頼まれていたのはしっかりと覚えている。
確か10時15分までに会場に来てくれと言われていた。
一緒に受付をやる連れを叩き起こし、タクシーを呼び、会場に駆けつけ時計を見ると45分を過ぎている。
受付どころではない。
結婚式自体が始まってしまう。
ガムを噛んでなんとか酒をごまかそうとするがそんなんじゃどうにもならないほど酔っている。
花嫁側の受付の女性2人が僕らの代役をしてくれていた。
とりあえず、どうもすみません!ありがとうございます!と頭を下げてみた。
女性2人は道ばたに転がっているひからびたみみずを見るような、あなたたちそんな表情生まれて初めてしたんじゃない?みたいな顔面の歪みをしっかりと破魔矢に照射した。
女性陣の目線が破魔矢の右手の甲に移ったのと一緒に自分も右手を見てみると、油性マジックでロマンと書かれていた。
女性2人はそれ以来破魔矢を、破魔矢がいる方角を見てはくれなかった。

楽しい結婚式は過ぎ・・・

2次会までつなぎで蕎麦屋で他のお客さんがいるのにドストライクの下ネタを大声でがなり立てる連れにヒヤヒヤしたりしながらも2次会へ。
そこでもあまり記憶がない。
気がついたら会場を出ていて駅に向かっていた。
新幹線で帰ろうと発車時刻を見ると出発まで40分もあることが判明、調べてから会場を出ろよアホと自分を叱りつつホームにしゃがみ込みしばし待つ。
新幹線に乗り込みすぐ失神。
大宮〜大宮〜
というアナウンスでがばっと起き、荷物を抱えて(忘れていないのが奇跡)ホームに降り立つとそこは群馬県の奥地だった。
これのどこが大宮やねんっ!
と酔っぱらった勢いで声に出して何の罪もない群馬の奥地に呪いをかけつつ、目の前に滑り込んで来た上野行きの高崎線に飛び乗った。
あのアナウンスは夢だったのか。
そこから1時間半。
やっと本来の大宮にベロベロベロベロベロベロベロベロベロペロの状態で着いた。
新幹線で黙って失神していれば1時間半で大宮に着いていたはずだった。
長野から群馬の奥地まで、結局新幹線には40分くらいしか乗っていなかったというミラクルいやただのアホ。
結局はアホはあの金髪の若造ではなく、破魔矢だったのだ・・・
と2秒考えてすぐ忘れた。
高井戸の家に着いたのは23時半。
長野を出たのは20時。
世の中色々あるけど、がんばろう。
と2秒考えたが次の日まで引きずった。

それ以来、本当に隠居中の破魔矢より、不平等な世界に住む全ての生き物に光を。

深夜3時半の文脈にまともなものなど何一つありはしない。
おやすみなさい。

The playing

隠遁という言葉は破魔矢から一番遠い存在である。

というわけで隠遁どころか夏並みに遊んでしまっています。
色々な経緯がありまして、また違う機会にちゃんと書きますが、東南アジア旅行やめました。
もうちょいこの新しい会社にいようかと思ってます、ノリに乗ってるのもあって。
3ヶ月で20万ほど貯金ができた僕は、というかちゃんと貯金ができるということを学生時代以来に再認識した僕は、ここ2週間くらいで、まんま20万円使った。
まずiPhone4Sを買ったところから悲劇というか啓示というか、ストーリーが始まることになる。
4Sを買って家のMacに同期させようとしたところ、OSが古すぎて同期できない、ならば新しいOS
を買おうと思ったら、intelが入っているMacじゃないと新しいOSをインストールできないことが判明、つまり4Sを使いたかったら新しいMacを買え、今のお前が使っている8年前のpowerbook proじゃ話にならないぜ、というわけで4Sを買ってから4日間くらい3SGと4Sを2台持ちして、ギリギリ過ごしていたが、もう我慢の限界で勢いで山田電気でMacbook Proを11万くらいで購入、しかも11万もの大枚を叩く1週間前にネット6万円のポケットコイルの3Pソファを購入済み、さらにMacbookを買ったときのポイントが2万円分、それと昔テレビを買ったときのエコポイントでギフトカードが1万円分ある、ここまできたらもう全部そろえてしまえ!とそのまた3日後に家電激戦区の池袋に再び上陸して予算3万円でホームシアターセットを買おうと我らが山田に乗り込んで店員さんに話を聞いているとどうしても4万円のやつが欲しくなるのが人の性、ケーブル代も含めたら1万5千円オーバー、しかもそのまた1週間後には長野で今破魔矢の年代で流行っている結婚式というものが開催されるという情報もキャッチしているし、結婚式というのはどうやら祝福をお金という形で表現しなければならないらしく、当然長野に帰る交通費二次会の会費昔からの連れとの飲み代を含めるとえらいことになるのは覚悟しなければならない、さらに今週は金曜は合コン土曜は女子飲み日曜は(日曜だけ仕事が休み)昼過ぎから連れと遊ぶという殺人的スケジュールをこなさなければならない上にお金ももちろん飛ぶのは否めない、さあどうする!?どうなんの俺!?とかなんとか思いつつもしっかりとホームシアターを買い、二日連続オールして体調がいい訳もなく休みの日曜日も具合が悪い中外に遊びに出て月曜の今日仕事が本当に辛かったという完全な自業自得な破魔矢をこれからもどうか暖かい目で見てやってください。

いいニュースは4Sがやっぱり感動なのと、Macbookが最高なのと、ヤマハのスピーカーが衝撃的だということです。
ハマヤはやっぱりヤマハです。
それではまた。 

遊び

隠遁するとかいってまた遊んじゃいました、破魔矢です!

新しい会社の懇親会を六本木界隈で深夜までやってそのあと池袋の連れの家に遊びに行ったら女子5人もいて調子のってまた飲んで朝ちょっと寝てから10時から提携会社の常務といつもの会議を新宿でやって夜からディナーだから家帰って寝よーと思ってたらランチに入る予定のバイトが一人来なくてフラフラのままランチ勤務してたらバイトから寝坊したとの連絡があったから自分の代わりにディナー出てもらって夜暇になったから池袋で遊んだ連中と渋谷のカフェで合流してまた池袋に行ってグラタンと天ぷら深夜から作って食って自分だけ軽く酒飲みながら5時くらいまで起きてて朝そこにいた京都在住の女子と新しくなったサンシャイン水族館行って飯食って東京駅まで見送って自宅に帰ったら14時半くらいですでに違う連れが家まで自転車で来ててちょっとゆっくりしてから世田谷区の連れの家にいってワイン飲んで20時くらいには川崎に移動してて兄貴と合流して3人で飲んでたら兄貴夫妻に子供が出来たってのと秋田の親父が再婚して兄弟が3人新たに増えたとか青天の霹靂頂いて自宅に連れと戻ってすぐ違う連れの誕生日ケーキ即席で準備して連れが家にきたところでスティービーワンダーかけてサプライズしてまた酒飲んで朝方寝て昼前に起きて誕生日の連れと井の頭公園散歩からの吉祥寺カラオケして高井戸戻ってきて近くの居酒屋に行ったら誕生日の人は焼酎ボトルプレゼントとかいうからそれもらって酔ってそのあとスーパーに行って長芋とかえりんぎとか買って炒め物とみそ汁作って食って寝て朝起きて仕事に行った。

という日々が5日前くらいにありました。
もう無茶しません。
何回言ってんだって話ですけど。

ノミノミ

昨日は仕事上がりにビルの下にある焼き肉屋の社員さんに誘われてその店の飲み会に一人で乱入してきた破魔矢です!

次の日(今日)も朝から仕事だったんであんま飲まないようにしようとしてたけど、社員さんがめちゃぶりで飲ませようとしまくってきて99%くらい断ったんだけど結局テキーラ3杯いって他にもなんやかんや飲んでしっかり二日酔いになりました。

そこのアルバイトが暴飲し始めて完全に悪酔いしてグラスを割りまくって自分でこけて唇に穴が開いて血だらけになってました。穴が貫通してました。破魔矢のシャツにも血がべっとり。

最終的に寝ようしてた社員さんの足にガスバーナーをあててがっちり火傷させてその社員さん今日歩けなくなってました。意味がわかりません。

今日の夕方くらいにそいつが真っ青な顔で来て謝っていって帰りました。

本当に人はお酒で変わる。

怖い。

最近ちょっとの酒ですぐ記憶が飛ぶのも怖い。

今年の夏はまあまあ遊んだので隠遁しないと。

って最近ずっと言いながら飲んじゃってます。

危ない。

昔は記憶のない時やばいことやってないだろうなと勘ぐってたけど、この歳になると記憶をなくした時の自分がそうおかしなことをしていないという自信を持っています。

そんなことに自信を持っている自分が怖い。

もう秋なのでゆっくり生きます。

それでは。
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