ハマヤ式

Dope journal from Tokyo

飼い猫が便秘で2日まるまる排便しないので抱きかかえて下っ腹をマッサージしたら意外と嫌がらなかったけれどマッサージを始めて10秒くらいたったときに小さな声でニャーと鳴いた。

嫌なのかなと思い床に置いたらブッと屁をこいた。

猫とはいえ女子の屁の音を聞くのは久しぶりで高校時代の夏休みの夜に公園で男女6人で缶チューハイを飲んでいた時を思い出した。

その時女子の一人が唐突にプゥと屁をこいたのだけれど男はそれには触れられずにどうしたものかと一瞬無音の世界に突入したがすぐさま屁こき女の横にいた女二人がうけるwとかなんとかいって笑いだしたのを聞いた屁こき女はちょっとなに?なに笑ってんの意味わかんないと往年の大女優でも演じきれないようなしらばっくれを堂々と決め込んだのを見て女は図太いと感心したものだ。

んなことはどうでもいいからはやく図太いうんこをして安心させておくれと猫を抱きかかえてまた下っ腹をさすった。

ニャー

去年今年と「物より思い出」をテーマにちょいちょい旅行に行ってきた。

去年はサイパンと沖縄本島、今年3月に宮古島、今週は札幌に1泊2日のグルメ旅行に行った。

キャンプも去年の秋から合計4回行った。

そんな傍から見たら充実していると思われそうな生活を叩き壊しかねない事態が起きていて困惑している。

会社でうける健康診断で便潜血があったのだった。

来週、2Lの下剤を飲み、腸内を空っぽにした後、けつに触手のようなカメラをねじ込まれるやいなや、こそこそと撮影され、極めて個人的な腸内という肉のひだを眼前に突きつけられてまざまざと暴かれるのだ。ゲイになったらどうしよう。

けど宿便がとれるから3〜5キロ痩せるんだって。

ラッキー☆

新居の天井を飼い猫がずっと凝視し続けて怖くなり、ネットで調べたら猫は非常に耳が良く、人には聞こえない物音に耳を澄ませていることがある、と書かれていたので一瞬安心したが住んでいるのが10階建ての10階だからさらに怖くなってしばらく新居になれそうにないどうしよう。

新居が全然慣れないどうしよう。

また半年以上時間が空いてしまいました、いまだ健在ハマヤ式です、こんばんは。

ひょんなことから最近マンションを買った。
築5年の入谷駅が最寄りのごく普通のマンションである。
43平米の1LDKでバリバリの35年ローン。
6月前半に引渡し予定で引っ越し準備を始めたところだ。
浅草に引っ越してから3年が経ったが、今回の引っ越しで4回目である。
3年で4回の引っ越しは、趣味が引っ越しの僕でもさすがに多すぎる。

振り返ってみると、

長野県長野市 で生まれ
秋田県能代市 0歳〜15歳
長野県長野市 15歳〜18歳
埼玉県所沢市の小手指 18〜19歳
アメリカのウエストバージニア州ウィーリング 19歳から半年
ロサンゼルスのハリウッドのハズレのコリアタウン 19歳〜20歳
ノースハリウッドのちょい北のバーバンク 20歳〜22歳
イーストロサンゼルスのローズミッド 22歳〜23歳
ニューヨークのブルックリン 23歳から半年
横浜の桜木町 23歳の2ヶ月間
狛江市の和泉多摩川 24歳の半年
さいたま新都心のとなりの与野 24歳の半年
北区赤羽 25歳〜26歳
杉並区高井戸 27歳〜29歳
渋谷区笹塚 29歳〜31歳
台東区浅草の松が谷 31歳〜32歳
松が谷◆33歳の半年(ここで離婚笑)
台東区千束 33歳〜35歳
台東区入谷 35歳〜(いまここ)

来月の引っ越しで19回目になる。
改めて数えてみるとなかなか変態的な数だ。
1.84年に一回引っ越している計算になる。
昔、誕生日図鑑なる本に一生転々と住処を変え定住しない人生になると書いてあったが、転々とし過ぎである。
引っ越しは面倒だし、お金がかかるし、体力も使うが新しい土地に移り、新しい部屋で、新しい家具の配置で生活を始めるのは、時間を掛けて作った生活の基盤を瞬時にぶっ壊すカタルシスがあって、自虐的にも感じるが実際はわくわくして興奮する。これはきっとずっとやめられない。

浅草近辺をここ3年ほどうろうろしているがまだまだ飽きそうにない。
自分の人生がどうなっていくのか俯瞰で見ると楽しみだ。

バリバリ働いてローンを返そう。
働くおじさんはみんなえらい。


前回猫を飼う流れを妄想のように書いたが、実は本当に猫を飼っている。

オチがなかったので、妄想風に書いてしまった。
嘘をついてすみません。


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前回書いたのはすべて事実で、名前はハチ。
もう3ヶ月になる。

子猫の頃のあどけなさはなくなりつつあり、どんどん生意気になり活発になっている。
家の和室の障子は半分以上破られ、壁にかけているキャップは下に落とされて噛みつかれぼろぼろになっているし、噛み癖がひどくて両手が血だらけになることもあるがまあかわいい。

かわいいってだけでいろいろなものを帳消しにする、というシンプルな正義に今更ながら気がついた。

ハチがまだ小さいから早く帰宅するようになった。
早く帰ってもやることがなくて早く寝るようになり、睡眠時間が増えた。
そんな日々が続き、ある時アマゾンプライムの戦闘車という番組を見ていたらある車が出てきた。

プラスドライバーの岩橋という芸人が乗ってきたカスタムされたホンダのクロスロードという車だ。


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初めて見た車だ。
調べてみると2007年〜2010年までしか作られておらず、モデルチェンジもない。
つまり売れなかった不人気車だ。
ネットでノーマルの写真を見ると確かにダサいし、特別なウリもこの車にはない。
発売当初から批評家から売れない理由しかないと書かれている失敗作だ。
リコールされている過去さえある。
だが僕にとってはかっこよかった。
心が揺さぶられるくらいだ。
もともと車に興味がある方ではなく、もちろん詳しくもない。
東京で車なんか必要ないし、車が必要な時はレンタカーの方が安くて効率的だと常々思っている。
理性が強く僕を制限している。


2週間が経った。

クロスロードを買うことにした。

理性で決めつけるのではなく、欲望に寄り添うことにした。
東京で車を持つという経験を買うことにしたのだ。
乗り潰すつもりで12万キロオーバーのを総額60万円ほどで購入し、11月末に納車する。
買うと決めて、1週間で購入し、近所の駐車場を探し、保険を選んだ。
ネット上で決済が行われるため、現金を目にすること無く、モニターで見る数字だけの預金残高がどんどん減っていく不安感がある一方、車が手に入ったらどこ行こうかと妄想してわくわくもしている。このままでは散財する快感に酔いしれてしまいそうで、とりあえずはパタパタとお金に羽が生えて飛んで行くイメージだけは持っておくことにした。大金がごそっとなくなるのは恐怖なのだ。


どこに行こうと考えているうちに、せっかく4駆のクロスロードを購入したのだから山にキャンプに行こうと思った。
焚き火を囲んで酒を飲み、星空を見上げてこの世を憂うのだ。
なんて楽しそうなのだろうか。
何人かで行ってもいいし、ソロでしっとりやるのもいい。
よしキャンプ道具を買おうとネットで口コミや評判を見ながらポチポチキャンプ道具を買っていく。
するとすぐさま気づいたキャンプ道具って高い。
一番の出費であるテントに到達する前に大台の10万円を超えた。
最初にいいものを買っておけば長く使えるなどと自分で自分をそそのかしてポチポチしていたが、よく考えたら車がなければキャンプにはいけないのだ。
キャンプ道具を長く使うということは車をずっと保有しなければならないのだということに気がつくのが遅すぎた。

車を買い、キャンプ道具を買い、キャンプに行くことによってきっとキャンプにはまり、さらに良いキャンプ道具が欲しくなり、またお金が飛んで行くのだろう。

とりあえず12月は3回キャンプに行ってきます。

特にオチはありません。

やれやれ。



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猫を飼い始めた。


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数年前から猫を飼いたい願望があったが、最近やっと飼える環境になったので知り合いに猫をくれる人がいたら紹介してほしいと言いまくっていた。

ペットショップで買うのも、譲渡会などで保護猫をもらうのも何か違うと思っていた。

猫がうちに来るまでの流れに物語性を感じたかった。

周りに猫を飼いたい話をし始めてから半年が過ぎた。

先日、会社の後輩とともに御徒町のペットショップに行った。

その後輩はしょっちゅうそのペットショップに行っていて、フレンチブルドッグが入ったら連絡してほしいと店員に伝えていたところ連絡が来たので見に行ってくると言うから一緒についていった。

後輩は総額50万円する小さく高級なフレンチブルドッグを見るなり気に入って翌日購入した。

後日、そのフレンチブルドッグを見に後輩の家に遊びに行った。

それから一週間後、後輩が会社で大声で僕の名前を叫んだ。

猫をもらってほしいっていう人がいます!と興奮気味に言ってきた。

その人は後輩が行っていたガールズバーの娘だった。

ふたりで遊んだことはないがたまにラインをする仲で、そもそも後輩は猫を探している人がいるというのをその娘には伝えていなかったのに、急に誰か猫をもらってくれと連絡が来たようだった。

まず、写真を見せてくれと後輩に頼み見せてもらった。

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すぐ楽天とアマゾンで猫グッズを買い漁り、1週間後竹ノ塚までレンタカーで猫を迎えに行った。

おそらく生後1ヶ月ほどで、竹ノ塚の神社で3匹の兄弟と共に拾われたようだ。

他の2匹は拾われた当日に貰い手が見つかった。

キャリーバッグに猫を入れてすぐ動物病院で診てもらったところ、ノミとダニだらけだが元気な雌だと言われ安心した。

ガールズバーの娘からはたぶん雄だと聞いていたので、雌でしたとその娘に伝えると、実は雌なら欲しいという人がいたがたぶん雄だと思うと言ったらじゃあいいですと断られたんですわたしの勘違いがなければその人にもらわれてましたねと言う。

こういうストーリーが欲しかった。

こういう縁のある猫が欲しかったのだ。

神社で拾われたというのもいいし、顔も客観的に見て美人だ。

フレンチブルドッグを見に行った時から流れが来ていたのだ。

体毛の模様がハチワレという種類らしく、それを知った瞬間に名前はハチにしようとすぐ決まった。

そんな猫をもらってきて5日になる。










という妄想を日中ずっとしていたことは内緒だよ。

先月4年ぶりに海外に行ってきた。

サイパン島3泊4日。

最高の旅行だった。

その時一緒に行った彼女とはもう別れたが、最高の旅行だった。

彼女とは別れたが、気候も、自然も、ホテルも、飯も、最高だった。

マニャガハ島というサイパン島からほど近いリゾートアイランドにも行った。

普通はフェリーや漁船で向かうところを、バナナボートに乗って行った。

今はもう別れた彼女とバナナボートに30分間乗って行った。

バナナボートに30分乗り続けるのはつらかった。

サイパン島からマニャガハ島まで猛スピードで、一直線に最短距離でバナナボートに乗っていくのは、実際現地に行ったことのある人ならわかるはずだがありえないことだ。

バナナボートで行くには遠すぎるのだ。

そもそもバナナボートは長時間乗るものじゃないし、カーブして振り落とされて楽しむものだ。

バナナボートは移動手段ではないのだ。

ホテルのビーチにいた現地人にツアーを頼んだからこうなったのだ。

バナナボートのあとに沖の方でスノーケリングをライフジャケット無しで30分して溺れかけたが、正規のツアーじゃない分ワイルドで楽しかった。

現地人のガイドは海中の死んだサンゴをポキポキ折って別れた彼女にくれていた。

そのサンゴをふたりで船上で見ていたら他のガイドに怒られた。

そういうことはしてはいけないと怒られた。

私も別れた彼女もきっとそうだろうと初めから思っていた。

サンゴを折ったガイドは眩しそうに空を見上げていた。

それでもツアー料金は安かったし、もろもろ含めて楽しかった。

南の島では仲睦まじく連れ添っていた彼女とも帰国して1ヶ月で別れた。

仲が良ければずっと付き合えるわけではないことを学んだ。

バナナボートの思い出は一生忘れないだろう。

バナナボートを見るたびに彼女のことを思い出し、移動手段として乗ったあのバナナボートの色もきっと思い出すはずだ。

あのバナナボートは黄色ではなく、緑色だった。

熟していない緑色のバナナだった。

そんなことってあります?

気が付いたら2年ぶりでした破魔矢です!
見てる人いますか?

この2年の間に色々なことがありました。

前の会社の上司と会社を立ち上げてちょうど2年。
去年は知り合って8年以上になる人と結婚してすぐ離婚をしました。
離婚の理由は黒人のハーフに寝取られたからです。
名前はケニーでした。
黒人をリスペクトしてたのですが、さらにリスペクトするようになりました。

大きなイベントで言えばそんなもんです。

今は御徒町の近くにある職場でパタパタやってます。

それではまた!(見てる人いますか?)

帰って参りました!

かれこれ1年半ぶりくらいでしょうか。

更新をさぼり、皆に見放されたハマヤ式。

自分自身に向けて書いてます。

って書くとやばい人みたいですね。

今、職場で書いているので本当にやばい人かもしれません。




ニート時代で終わっているハマヤ式ですが、あれから先輩のところで防水屋や塗装屋でバイトをさせてもらいながら、念願の小説を書き上げ、無謀にも群像新人賞に応募して、予想通り全く引っかからず、すっきりしたところで、本格的に就職活動を始め、意外とあっさり仕事が見つかり、というのが2014年の2月。

その会社に1年ちょい在籍中の破魔矢です。

不動産の営業だが、雰囲気のいい会社で、入社前は手と受話器をガムテープでぐるぐる巻きにされたり、灰皿が飛んで来たり、成績の悪い奴は人間じゃない!ぐらいの扱いを覚悟していたが、杞憂に終わった。

実際、営業職ではそういう会社もある。噂はよく聞く。

そんなこんなで今は課長代理である。

わりとトントン拍子に出世できた。

それもこれも、成績次第で全てが決まる営業職だからできたことだ。

自慢したくてこれを書いたわけではない。

意外とチャンスはそこらに転がっているということを伝えたかったのだ。




だが、その会社も今月で退職する。

理由はまた今度♪

それではまた!

完全自立型のニート、破魔矢です!
夏ぶりの更新です。

旅を終え、約半年間続く無職の状況で、飲み会以外外から出ずにひたすら徹底して引きこもりを敢行していた。
先月末やっと念願の個人的な作業を完成させ、来年の就職に向けた活動を少しずつ始めている。
今までやったことのない業種にしようと思っていて、楽しみと同時に不安がいつも頭のどこかに巣食っている。
自分のスタイルとは何かを考えた時、優先順位を決めることが重要だと思い、というのも今年で30歳になったわけだから残りの人生を逆算して考えなければならないからだ。
10代から続けてきた飲食業をきっぱりオールリセットすることには後悔はない。
それよりも今までの職業歴に捕われて、未来にある可能性を潰す方が自身のスキルを妨げるリスクが高い。
優先順位の上から順にあるのは、海外も含め各地転々と引っ越す、インセンティブ収入、やりがい、副業の時間の確保だ。
どれを捨て、どれを特化するのか。
自分の優先事項と就職する会社がどこまで寄り添い、想いを共有できるか。
今後どうなっていくのか先が全く見えない状況に高揚している。
変化以外必要ない。
それが今の自分のスタイルだ。
自分のスタイルを求め、実行し続けてさえいれば日々の生活につまずくことがあっても、立ち上がることができるだろう。
とにかく、我武者らにやってみます。

それではまた。

argo-still

やっとARGOを見れた。
ベンアフレック監督主演の実話を元にする映画だ。
アカデミー賞作品賞を始めとして3部門に輝いた。
当時アメリカは諜報活動の暗躍と失敗に嫌気が指し、カーターが大統領に就任するとCIAなどの諜報部門の予算を大幅に削減させ、その結果イランの政局が読めず70人以上のアメリカ大使館における人質を生んだ。
1981年に起きたこの映画における人質奪還作戦はカナダによる手柄とされたが(実際カナダも大いに貢献した)1997年にクリントン元大統領によって明るみに出されるまで極秘裏とされていた。
歴史の裏側を垣間見れる興奮とベンアフレック映画の抑制された、波が引いていくような静かなる演出とがぶつかりつつも馴染み鋭い一撃を残す。
いい映画だ。
たとえそれがアメリカの、CIAのプロパガンダとしても、だ。

マレーシアのペナン島へは、タイのプーケット島から8人乗りのワゴンで向かった。
朝早くゲストハウス前に向かえに来たワゴンに乗り込むとまずは南東にあるハートヤーイに向かう。
道中3時間に一度ほどの割合でトイレ休憩があった。
ちょうど休憩のタイミングで強い雨が降り、雨が地面やトタン屋根を激しく打つ音しか聞こえなくなった。
ボロボロの犬がいた。その犬は茶色で中型でおそろしくボロボロだった。所々毛は抜け落ち白い地肌がむき出しになっている。トイレの前の大型バスが駐車するスペースの上に粗末なトタン屋根があってそこでワゴンの乗客ともども犬が雨宿りしていた。東南アジアの野外で見た犬には一つの共通点があった。目が切なそうなのである。自分にはどうすることもできない諦めのような、哀愁を漂わせているのだ。雨宿りしている犬も例にもれず悲しそうな目で近くにいる人間を見ている。もし人間のいない世界で生きているのならきっとこんな表情はしないのではないかと考えた。人の近くに住む野良犬というのはほとんどが人からのえさや残飯で腹を満たしている。人がいないとなれば自分で小動物やら魚やらを手に入れなければならない。人のそばで生きる野良犬たちはその状態が続く限り、きっと切ない目をしていきるのではないかと夢想する。可愛がられる飼い犬と違い野良犬は、時に人によって酷い仕打ちをうけることがある。幼い頃から人の恐怖を叩き込まれ、そしてえさをもらう。逃れられない宿命を背負ったギリシャ神話の神々のように残酷な生き方だともとれる。
切ない目をしたボロボロの犬は人を見るのを止めて、赤土を叩き付ける雨を見ている。
乗客達がワゴンにのろのろと乗り始めると、ドライバーがワゴンをバックさせる。
ワゴンの数メートル後ろにはあの犬が横たわっていたはずだ。
微かな緊張を覚えて、窓から犬の姿を探したがどこかに行ってしまったのだろう、どこにもその姿は見つけられなかった。
あの犬を人間の世界に置き換えてみる。
自分はあの犬のような目をしてはいないだろうと想像する。
しかしあの犬のような目をする瞬間はあるような気がした。
もがいても足掻いてもその社会から抜け出せず、逆にその社会がなければ生きていけないことを悟る悲しさ。
そんな感傷に浸りたい時もあるにはある。
結局その社会で生きていかなければならないのだ、と切なさに火をつけ哀愁を灰にする。
そんなものなのだと図々しくも決定付ける。
そのほうが生きやすい。

強い雨脚は走るワゴンをどこまでも執拗に追いかけてくる。
前方には黒い雲とわずかな光と強い雨が待っている道路が延々と続いている。
ワゴンは雨に追いかけられているのでなく、自ら向かっているような気がして、なんだかほっとした。

帰国してから2週間ほど経ちました、破魔矢です!

帰国直後は飲み会がちょいちょいあったが、今は完全に家に引きこもっている状況である。
一日一回外に出ればいいほうで、出るにしても近所のコンビニかTSUTAYAにDVDを借りに行くかくらいしかない。
そんな状況が続くとどんなことが起きるかというと、全てのものが新鮮に見え続ける。
旅行の出発前は悪鬼の如く遊び狂っていて、飲みに行くことが日々の習慣、酷いときには一日に三件の飲み会があったりした。
外出イコール飲み屋に行く、だった。
飲みが続いてくると飲みに行くのが苦痛になってきた。
また今日も飲み会か、と自分で入れた予定に嘆くようになってきた。
完全に自業自得である。
一ヶ月分の給料が全て飲みで消えていった。
その後旅に出て、一ヶ月が経つと日本食が無性に食べたくなった。
帰ってきた当初も飲み会で外出はほとんど飲み屋だった。
それでも東南アジアから日本の飲み屋にくると感動ものである。
食事は全ておいしく口に運ぶたびに美味しいと自然に声がもれ、屋内でタバコが吸える上に、空調もちょうどいい。
食べるもの全てに毎回感動できるのだ。
それがまだ続いている。
新鮮さは食事だけではない。
ちょっと外に出るだけで、それも特に都会でもなんでもない場所でとんでもない美人が歩いているのを見かける。
東南アジアでも大きな都市の裕福層が集まる地域ではもちろん美人はかなりいる。
しかしそれはこちらの比ではない。
あらゆる街角に美人がいるのではないかと思ってしまうほどだ。
美人というより美しく見せるスキルが高いからそう見える女性が多いというのが日本の真実だとは思うが、通り過ぎるだけの存在な訳だから美しく見えるだけでいいのである。
そんなわけで退屈はしていない日々だ。

無から何かを作り出し、それを認めてもらう。
そういうことを今、やっている。
自分を励まし続けられるか、そこに成否は懸かっている。

それではまた。

帰って参りました、破魔矢です!
正確にいうと23日の午前1時に笹塚に到着しました。

南タイを足早に駆け巡り、ピピ島へのアクセスポイントでもあり、この旅で初めて海を見たクラビへバンコクからバスで一日かけて向かいそこで一泊。クラビからボートに乗ってピピ島へ。ピピ島では島内のビーチを無理矢理徒歩で巡り、ボートタクシーのドライバー達から顰蹙を買い、流石に青と緑の混じった、透明度が高いのにも関わらず色が際立って見える特殊な海に唸り、ビーチにねっころがった。
しかし滞在も1日のみ、翌日はプーケット島に向けてまたまたボートで移動。タイで知り合ったおじさんに教えてもらった馳星周のマンゴーレインというタイを舞台にしたハードボイルド小説を読んでいるとあっという間に2時間が経ち、目の前に港が現れた。
プーケットといっても様々な顔を持ったビーチが点在していて、どのビーチに行こうかまだ決めていなかった。面白すぎる本のせいでしばし港で呆然とするものの、タクシーのドライバーのすすめでやはり安宿が多い、プーケットで一番有名で大きなビーチ、パトンビーチに向かうことになる。
ピピもそうだったがプーケットもリゾート地なだけあって宿代が高い。
それでも飯はうまいし、島で働いている現地人もなんだかあったかくて来てよかったなあとは思えた。
上陸の午後から翌日の夜までスクーターをレンタルして島西側のビーチを北から南までくまなく訪ね、運転中にひどく日に焼かれておでこと鼻がにぶい赤と汚い黒が混じった泥に埋もれた毒蛙みたいな醜い色になって3日後には皮が向けた。
島の波はどこも波がものすごく高く、あぶないよ!と大きく主張したフラッグがパタパタと強めの風に吹かれて白めだが茶色がかった砂浜にずんと突き刺されている。
恐怖を感じるような波の高さだが、浅瀬は続いている。
波が来ると今まで腰の辺りまでの水深が一度に身長の1.5〜2倍の高さで文字通り覆い被さってくるのだ。
そうなると水中眼鏡を殊勝にも目の回りに貼付けている頭ごとを軽く波の力で一回転ないし一回転半させられ、眼鏡は本来あるべき場所を離れ海水が目に入り軽いパニックといつ死ぬか分からないのだ生き物はというしごく当たり前のことへの気付きが不安を呼びながらもその間ずっと波にいいように弄ばれてそれでもやっと体の一部が海の底に触れた時の安心感はやはり自分は生きたいのだという静かだが微動だにしない基盤を持った生への執着を思わせなぜか喜ぶのだ。
2日間滞在し、3日目の朝マレーシアのペナン島はジョージタウンへバスで向かった。

ジョージタウンは2008年コロニアル調の建物が美しくマラッカとともにマレーシアが誇る世界遺産になった街である。そこで泊まったゲストハウスの部屋がこれである。

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激しく落ち着かなかった。
翌日はペナン島で一番人気のビーチ、バトゥフェリンギ、沢木耕太郎の深夜特急でも舞台になったゲストハウスがあることでも有名なビーチにローカルバスで向かう。
結局大きなホテルが建設中で、その舞台になったアーベンゲストハウスは取り壊されていて、その跡地の横にあった華人系のゲストハウスに泊まった。
2階にある部屋からは波が砂を洗う音が聞こえてくる。海までの距離は30メートルといったところか。
15くらいの客室があるようだが、泊まっているのは自分だけであった。
それみよがしにパンツ一丁でバルコニーから共同バスルームまで蹂躙し、自分の城を簡単に作り上げた。
そこには2泊し、目の前のビーチではジェットスキーをやり、端から端まで散歩してビーチを支配して満足した。

続きはまた今度書きます。

I cannot type Japanese at internet cafe in Phiphi Islands, so in English now.

Phiphi Islands is so beautiful.

that's all

thanx ^^

tomorrow Im going to Phuket Island.

bye!

1週間滞在したバンコクも今日で最終日だ。
明日の朝にはプーケットが近いクラビという日本人にはあまり馴染みのないリゾートに移る予定だ。

4月10日に初めてバンコクを訪れたときは1日でだけの滞在で駆け足で寺を見て回っただけでほとんどカオサンロードにいた。
2回目はラオス、カンボジア、ベトナムを回った後に来たのだが、ほとんどの時間をBTSという高架鉄道の南にある駅オンヌット近くのマンションの一室で過ごした。夜に少し出かけるだけでほとんど室内で文章を書いたり、ネットをいじったりしていたが、昨日久しぶりに日中に外出した。
ドゥシット動物園とウィークエンドマーケットに行ったのだ。動物園はベトナムで行ったところより数段格下で、いる動物も施設の設備も荒く、しまいには工事中の場所が多く、象を見に行ったのに象すらいなかった。どういうこと!?と一人愚痴り(どの動物園も一人で行った)、マーケットのほうへすばやく移動した。マーケットはかなり広く、最初から方位磁石が大活躍で、売っているものも多岐に渡り、服がメインだがペット、家具、観葉植物などがあり、食事ができる場所も多い。時間帯の成果観光客はそれほどおらず、地元のタイ人が買い物を楽しむというよりただぶらぶらしている感じだった。僕はひたすらおみやげを選び、同じ商品でもどの店が安いか調べ、結果かなり安価で購入できた。例えば、ファーストコンタクトでタンクトップが250バーツと言われ、高いありえない、と手を振ってその場を去るふりをすると、商売根性のある売人はいくらがいいんだ?と聞いてくる。そこですかさず100バーツだ、と答える。向こうは200バーツでどうだ?いきなり50バーツも下げてくる。僕は強気に100バーツで買えるほかの店を知ってるからいいや、とまたまた去るふりをする。店の主らしき人物とその売人がごにょごにょ相談しているのを背中で感じながらゆっくり歩いていると100バーツでいい!と後ろから声がかかる。250バーツが100バーツになるのだ。なんて世界だ。そんなこんなで10人分のお土産用タンクトップとタイパンツを手に入れた。

今回の滞在で成長したのは移動手段を現地人に近い形で利用できるようになったことだ。
高架鉄道、地下鉄、バイクタクシー、普通のタクシーを組み合わせて使い、トゥクトゥクみたいな観光客向けの割高な移動手段は使わなかった。特にバイクタクシーは完全に市民の足で僕も外出する際は必ず使った。マンションから駅まで30バーツほどでバイクタクシーを使わなければ歩くしかないので必然であった。

カオサンロードにも2回行った。
タイ在住のタイ語、英語、日本語を操る日本人の友人ができたのでクラブに遊びに行ったのだ。
カオサンはバックパッカー以外にも最近はタイ人の若者も遊びに来る場所になっていてクラブ内の7割くらいは白人などの旅行者だが、その他はタイ人で、僕の今回の旅の唯一といってもいいほどのこだわりが地元感をひたすら味わうというものだったから、もちろんクラブではタイ人と遊んだし、クラブが終わった後はそこで知り合ったタイ人の家に行ったりした。
飯もタイのローカル屋台からハイソなタイ人が行くちょいと高めのレストランやバーも連れて行ってもらったし、観光客向けの所にはなるべく近づかないようにしていた。
さすがに有名な寺院などの観光スポットは外していないが、それ以外は現地人から情報を得るか、現地人に直接案内してもらった。

明日にはバンコクを去るわけでもう旅の終わりも近い。
クラビに渡り、その近辺の島々を訪れ、マレーシアに南下する。
シンガポールに行ってもしょうがないよ、シンガポールつまらん論が多数を占めることが判明したのでシンガポールに行くのはやめて、マレーシアのクアラルンプールから日本に帰ろうと思う。
人生の夏休みももうわずか。
約2ヶ月に及ぶ旅も終わりを迎えるのかと思うと心臓がぎゅっと縮むような切なさと寂しさが溢れてくる。
まだ旅は終わっていないが、今回の旅で得たものは本当に大きかった。人生観を変えたといっても過言ではない。これからの生き方に大きな影響を与えるだろうし、その影響はよい物であることを信じている。
日本に帰ったらまず、FXで小金を仕入れて、失業保険を取得して半年乃至1年は自分のやりたいことに専念しようと考えている。

人生は一度きりの勝負であり、その勝負は楽しんだもの勝ち、という自分の考えを実践しよう。
未来への不安など誰にでもあるし、ないやつはただの馬鹿だ。
ただ未来への保険をかけすぎて現在を楽しもうとしないのももったいない。
老後のために生きているわけではないのだ。
今やりたいことを悔いのないようにやる。簡単なようで実践している人は少ない。自分の好きなように生きられる状況を利用して楽しむこととしよう。

それではまた。

タイとラオスの国境で出会い、ラオスの北、フアイサーイという街からスローボートというメコン川を1泊2日で下る恐ろしく遅いボートに一緒に乗り、到着地のルアパバーンで同じゲストハウスに2日間泊まりつつ様々な観光をして、ラオスの首都バンビエンまでバスで向かい、そこで一旦別れたタイ人女性がバンコクに持っているマンションの一室でぱたぱたとキーボードをやっている。
バンコクには旅の初日に来た以来で、二回目の滞在の今回は一週間ほど彼女の家に居候する予定である。
彼女はいわゆるインテリでタイで三本の指に入る大学を卒業し、今はITエンジニアを大企業相手にやっているらしく、音楽が好きで趣味はウクレレとギター、ジブリの音楽で有名な久石譲やシンセサイザーを扱うKITARO、ウクレレ奏者のJake Shimabukuroなど世界的に著名な日本の音楽家にも詳しい。
スローボードではやることがほとんどなく、しかもフアイサーイで、日本で買ったばかりのiPhone5を落として壊してしまった僕には音楽も映像もネットもカメラも全てすでに失っていて、彼女と話すかメコン川沿いのおそらく何千年も変わらないであろう岩と小高い丘に群生する名前も分からない木々を眺めるしかなかった。
その文字通りスローな世界でポツポツと様々な会話をし、その中に音楽の話題があがったのは幸運以外の何物でもなかった、なぜなら僕の好きな音楽と彼女の好きなそれとは少なからず共通点があったからだった。
会社を辞めて以来、寝起きによく流したのはNorah Jonesで毎日のように聞いていた。
彼女はおそらくNorah Jonesの全てのアルバムを持っていた。
John Mayerが僕の一番のお気に入りで、その他にはJack Johnsonもよく聞いていた。
彼女がこの歌を知っているかと尋ねてくる曲全てが僕のお気に入りだった。
日本の著名なミュージシャン、そして僕の好きなアメリカのミュージシャンを好きな女性を僕は好きにならない理由はなかった。

彼女は物静かだ。
二人の間に余計な会話はなく、本当に伝えたいことしかお互い口を開かない。
もちろん冗談も言い合う。
しかしその冗談に僕は一番気を使う。
彼女は本当におもしろいと思ったときだけ笑顔を見せるからだ。
気を使って笑ってあげる、といった概念は生憎持ち合わせていない。
けれどそんな彼女を笑わせたとき −もちろん英語で− 最高に嬉しくなる。
たくさんの小さな笑いも嫌いではないが、今は洗練された冗談をいかに拙い英語で彼女に伝えられるかに腐心している、というのは大げさだが単純に笑顔はいいものだ。

先週末、アンコールワットがある街、シェムリアップからバスに揺られ夜10時頃にバンコクに着いてまず寝床を探さなければならず、とりあえずカオサンロードに向かい300バーツで適当に宿を見つけ、インターネットカフェでメールをチェックすると彼女からゲストハウスにまだチェックインしてなければうちに泊まってもいいよとメールが来ていた。
宿探しの前にメールをチェックすべきだったと後悔しつつも、カオサン近辺で彼女と待ち合わせ、軽く飲んでから宿をチェックアウトして彼女の家に向かった。
彼女の家はスカイトレインという比較的新しい高架鉄道の駅の近くにあるが、近くといってもタイ人の感覚で近いだけであって、駅から家までバイクタクシーという日本のカブみたいなバイクの後ろに乗っけてもらうタクシーで三分近くかかる。
歩いて駅まで行くという感覚はよほど高級な駅近のマンションでない限りなさそうだ。
毎日駅と家の往復はバイクタクシーを使い、仕事場までは電車とタクシーを使う。
公共の移動手段の全てがかなり安いからできるのだ。

居候の身としてはやはり彼女に最大限の気を使うのが僕の欠陥だらけの常識の中の唯一といってもいいほどの美点になりうることだが、はてさて僕に何ができるだろう、と考えてみた結果、日本料理でも作ろうかと結論が意外に早く出た。
逆に他に何もなかったのもあった。
しかし問題もあった。
バンコクに住む多くの一人暮らしの人々は外で食事を済ませるらしく、家族用のマンションでないかぎりまずキッチンというものがない。
流し台すらないところも多いそうだ。
彼女の家にはかろうじて流し台があるが、それはベランダにあった。
もちろんガスコンロも調理道具もない。
なので全てそろえる必要があった。
日本食を扱っているスーパーに行き、日本の二倍以上する恐ろしく高い食材を買い、近くのスーパーで調理道具を揃え、彼女の友人二人とチェンマイで出会った僕の友人の五人で寿司パーティーを開いた。
稚拙な寿司と粗末なカリフォルニアロールだったが味はそこそこで、彼女たちもたぶん喜んでくれていたはずだ。

どんなつらいことでも慣れてしまえば苦にならなくなる、だからつらいと思うそのときに、きっと近い将来今の状態を笑える日が来るはずだから楽しんでしまえ、とよく考えることがあった。
頭の右斜め後方に別の自分がいてじっと僕を見ている姿を想像するのだ。
この妙な、もしくは苦痛であろう状況をお前はどう対処するのか、受け入れるのか拒絶するのか、欲望に流されて自分が自分の一番の操縦者でいられるのかそれともただただ運命という名の流れに身を任せるのか。
大げさに言ってはいるが、僕が言いたいのは単純に英語ばかりで生活していると独り言も英語になり、夢の中でも英語を話し、何か考えているときでもふと英語の単語が思いつくことが多くなったということだ。
別に苦痛でも妙な状況でもないが、簡単に言えば自分を客観的に常に見れるかどうかで日々を楽しめるかどうかが大きく左右される、僕の場合。
英語に慣れた自分の先にあるのは何か。
きっと何もない。
何もないだろうが、アメリカ留学時代以外にこんな状況になったことはなかった。
ただそれだけだ。

今夜はお好み焼きを作ってみたが、買ってきたフライパンが粗悪品で使い物にならず結局ぐちゃぐちゃのゴミみたいな炒め物ができあがった。
無表情でそれを食べる彼女を見て胸が痛くなったが仕方ない。
僕と彼女はビールを一本ずつ飲み、二本目を二人で分け合った。
キーボードをパタパタやっている間彼女はベッドで携帯をいじっている。
時々にやっとする。
にやっとしている雰囲気が背中から伝わってくる。
僕はそれに反応せず、伝わってくるままにしている。

明日は久しぶりに予定がない。
本を読んで、文章を書いて、ビールを飲んで、夜はきっとまたゴミみたいな食事を用意して彼女の表情を曇らせる。
この生活はやがて去っていく。
最初から分かっていることだ。
始まりの時点で終わりはすでにそこにある。
それを右斜め後ろにいる自分が楽しんでいる。
それでいいのだ、今は。

どれくらいぶりかわからないくらいに更新を怠っていた破魔矢です!
まず、このハマヤ式をまだ見ている人がいるのかどうか、そこが疑問ですがせっかく仕事も辞め人生の夏休みに入っているわけですから軽い日記というか旅のスケジュールを載せていきたいと思います、とても雑に。

なんやかんやもめながらも辞表を受け入れてもらえ、3月、4月は有給消化で勤務時間はほぼなく、4月に関してはまるごと有給扱いで4月末で退社という運びになった。
このハマヤ式にも以前書いていたとおり若いうちに東南アジアを旅しておきたいと思っていた僕ですが、4月9日に悪名高いエアアジアでまずはバンコクへと飛びます。といっても一回クアラルンプールを経由してですが。
10日の朝バンコクに降り立ち、まずはバックパッカーの聖地ともいわれるカオサンロードへと向かいます。
ひどく方向音痴な僕はアゴダで予約しておいた目当てのゲストハウスにもたどり着けずなんとか見つけたころには汗だくで誇張ではなく意識は朦朧としていました。
とここまで書いて思いました。
こんな調子でだらだら書いてたんじゃ今日までの旅程を書ききるのに何時間かかるのか。
というわけでメモ程度に簡潔に、書きます。 

9日エアアジアで羽田を立つ。

10日バンコク着、早速カオサンロードでタイ人の刺青だらけのスケボーを持った女に声をかけられ、そいつのバイクの後ろに乗り有名どころの寺や仏像を駆け足で見てそいつが注文した飯を食べなぜか腕にキスをされ公園で少年少女と一緒にスケボーをしうちに泊まれとひたすら求愛されているかと思ったら最後にしっかりガイド代として500バーツも取られ振り向きもせずすっとそいつは去っていった。
初日から暑い熱い日だったのである。

11日アユタヤへ鉄道で移動、ゲストハウスが多い通りで宿を見つけ、駅近くでバイクを借りひたすら乗り回す。
アユタヤの遺跡はあまり感動をもたらさず、自分はもしかして遺跡に興味がないのではと訝りだすがそんなことよりもバイクで走りまわす楽しさが強くてアユタヤ全体を走りまくった。

12日アユタヤをさらに爆走、夕方にバイクを返し、夜行バスでタイ北部の都市チェンマイへと向かう。
バスを待っている間日本人に話しかけられ少し話す。このきっかけが明くる日に繋がっていく。

13日チェンマイ着、予約していたホテルは過去のバブル時代を感じさせる立派なものだったが今の熱海のように白けている。昔はきっと豪華だったのだろう。ホテルに荷物を置き出たのが朝10時頃。そこからターペー門内の旧市街に行き飯を食べようとふらふらしているとコーヒーショップに日本人らしき男性発見、しかしそこはスルーして隣の麺料理の店へ。食事を終えてまだその日本人がいたら声をかけようと密かに ーといっても一人旅なのですべて心のうちにあるのだがー 思っていたらまだそこにいたので声をかけた。それというのも前日に日本人に声をかけられたことが大きな原因になっていてこちらも情報を得たいときなどはどんどん声をかけていこうと思っていたのだ。そしてそれが吉となる。後にハマちゃんスーさんのコンビになる二人の出会いであった。
コーヒーを飲んでいるスーさんに声をかけると親切に色々と教えてくれる。ソンクランというタイの水掛祭りがその日から始まっていてそれに一緒に行かないかとまで誘ってくれた。早速誘いにのり、近くに友人がいるからそこまで行こうとスクーターの後ろに乗せてくれる。その友人が後のチェンマイ3兄弟の一人になるひかりちゃんであった。3人がそろうともちろん3ケツで旧市街を取り囲んでいるお堀沿いを走り始める。とたんに側道から食堂から車の荷台からなにから水をぶっ掛けられる。その日は一日中水を掛けられ、反撃にお堀の緑に濁った恐ろしく汚い水を掛け返した。


時系列はぶっとび、今は5月3日である。
カンボジアのシェムリアップというアンコールワットなどのへの基点となる街のゲストハウスのPCをぱたぱたやっている。
昼11時半のバスで再びバンコクに戻り、何日か滞在してさらに南下しビーチというビーチを漁り貪ったあとマレーシア、シンガポールへと向かう。あわよくばインドネシア、フィリピンにも行きたいが時間と資金次第だ。
この続きはまた今度。
といっても見ているのは僕だけだろうが。

渋谷の勤務している店舗で20歳のアルバイト2人が店を卒業した先輩のためにアルバムを作っている。
写真を大量に現像して、はさみで人物の輪郭をひたすら切り取り、メッセージと共に貼付けていく。
店の一番奥の席でそれは行われていて、そこからは外が見える。
雨がゆっくりと少しずつ、時間をかけて降っていて、傘をさしている人は少ない。
時間は午後4時で店内は半袖でちょうどいい温度だ。
マックのポテトとシェイクを時折つまみながら、事務的な会話のみで作業は淡々と進められていく。

卒業したアルバイトは2人いて、そのうちの1人は埼玉の店舗で2年、渋谷で2年、合計4年以上勤務したベテランだった。
背は150センチ程度で、そのへんの身長の女性がよくそうであるように少しぽっちゃりしている。
勝ち気な女だが、同時に自分に自信を持っておらず、その間で常に揺れ動いてはいても自分の価値観は簡単に揺らぐ事はない。
礼儀ができていない人間に嫌悪感を抱き、逆にできている人間にはひどく丁寧に接する。
誰もが知っている大学に通い、誰もが知らない埼玉の奥地に住んでいる。
化粧をする事を塗装と呼び、化粧がうまくいかないと顔面スランプだと自分を罵る。
自虐は自分に自信のないものだけが吐ける自分への慰めの言葉だが、他人から言われるのは許せない。
決して単純な性格ではない。
そもそも単純な人間などいない。
彼女は単純な性格ではないが、自分が心を許した人にはとことん尽くす。
4年以上働いたのもその現れだろう。

その彼女の写真が大量に切り取られていく。
後輩の二人は事務的な会話から数ある写真の中のその時の状況を楽しそうに話している。
今週の土曜日に送別会がある。
店に尽くしてくれたアルバイトを盛大に送り出そう。
見返りを求めない貢献は必ず後になって自分に返ってくる。
そういう模範を作るのが僕の下で働いた者たちへの恩返しだと信じている。

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