障害者になってみた #逆説の発達障害#

42歳にして発達障害(ADHD・不注意型₍ADD₎)及び自閉症スペクトラムと診断された男の、闘病₍?₎と就職活動の記録です。 障害者本人から見た世の中をなるべくわかりやすく書いてみようと思います。

2019年09月


出典:デジタル大辞泉(小学館)

[名](スル)
1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が成長する」「ひなが成長する」「経験が人を成長させる」
2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が成長する」「経済の高度成長」

だそうです。

私は職場で「成長しろ」とか「成長しない」と言われることが多いのですが、特に仕事においては以下のようなものが「成長」なのかなあと考えています。

1.知らなかったことを知ること
2.できなかったことができるようになること
3.できることがより早く、より正確にできるようになること

しかし、こういった意味で成長するとどうなるかというと、自分より成長が遅い人が愚かで無能に見えてくる場合があります。

上司や同僚だった人は無能な部下になるかもしれませんし、仲のいい友人に付き合う価値を感じなくなるかもしれません。

また、今の会社や上司は、成長はしてほしいが自分よりも成長してほしくはない、成長しても権限や給与は増やしたくない、というパターンも多いので、場合によっては上からも疎まれます。

と考えると、成長なんかせずにただ人間関係だけ上手にやっていく方が幸せなのではないかとも考えられます。


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とあるカードゲームをしている時にインドのガンジーの話が出ました。
歴史上の人物で誰が強いのかというイメージを共有することがゲームの主旨だったのですが、「歴史的には最強レベルだよなー」というのが大方の意見。
私も異論ありませんし実際みんなのイメージは共有されたのでゲームとしては成功で終わったのですが、天邪鬼な私としてはホントにそうか?というアンチテーゼを考えざるを得ませんでした。(ちなみに「非暴力・不服従」というのは私と同じような天邪鬼要素を感じるところでもありますw)

私はガンジーの生涯を詳しく知らないのですが、イギリスから見れば自国の一部を勝手に独立されたわけで、見方によっては反逆者とも侵略者とも言えます。イギリス人はインドでの利権を失って今までより不幸になったというわけです。

彼はイギリス人よりインド人の幸せを優先しましたし、インド人が幸せになることが彼にとっての幸せだったのだと思います。これは「アメリカファースト」というトランプ大統領も、自分の財産を増やしたいだけの犯罪者でも同じといえば同じで、自分の幸せを追求しているだけとも言えます。

「全人類が幸せになりますように」と時々張り紙などされていますが、ガンジーですら母国の人々(しかも全員ではなかったでしょう)しか幸せにできなかったのです。

私はその上でガンジーが「カッコイイ、スゲエ」と感じるわけですが、それは単に私がそういう感性の人間だからというだけなのだろうと思います。
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前回お話ししたわが社の通訳さん。

最近態度が悪いとか通訳がヘタだと社内で文句を言う人がいます。

お話しした通り、通訳は話をする人間の能力次第だと私は考えていますので、うまいヘタはお門違い。
上司は「優しく教えてやってるのに」と言いますが、私から見ればそれは優しくしているというより子供扱いしているだけです。

しかもそれを他部署の人間まで喫煙所で「それはダメだな」みたいに話していて見苦しいことこの上ありません。

通訳に限らず仕事上の部下の使い方としては、ダメなところに文句をつけるのは時間の無駄なんだろうと思います。

軽自動車を買ってきておいて、加速が悪いとか荷物が載らないとか文句をいい、あげく蹴飛ばしてへこませたりメンテをサボって故障したりするドライバーがいたら、「バカなのか?」としか思いませんよね?

「弘法筆を選ばず」といいますが、安物を使うなら使う方が努力するしかありません。まあ三流の職人に安物の道具を与えたらもうプロとしての仕事が成り立たないのは当然かもしれませんが。

通訳のことは、前回だけ見ると完全に悪口と思う方が多いかもしれませんが、私は彼女が努力家で正義感の強いピュアな女性であることも知っています。

彼女は今は軽自動車ですが、軽自動車と彼女の違いは成長する可能性があるということで、来月は最高速が1km上がるかもしれないし、来年にはドリフト走行もできるかもしれません。

上司であればそうなるように仕向けるのが仕事であり成果でしょう。なんなら成長させて給料据え置きにできれば最高です。

もし部下が成長しなかったら?

別に今の待遇のまま今まで通り働いてもらえばいいだけで、文句を言うために時間を使う意味がありません。

そんなわけで部下の能力に文句を言っている人を見ると最近気分が悪くなるのです。
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仕事柄、通訳をよく連れて歩きます。
わが社には通訳が一人いるのですが新卒の外国人で、当然ながら通訳レベルはそれほど高くありません。

日本に来て数年ですから文化的なことも知らないし、固有名詞やビジネス用語など、日本語学習の教科書に載らないことも知りません。

ですから、テレビで見るような国際会議の同時通訳などとは天と地くらいの能力差があります。(あれは天才レベルでなくては務まらないらしいです)

そんな状態で普通にしゃべるとどうなるか?
私の言葉が通訳には半分も伝わらず、彼女から技能実習生にはさらに半分以下しか伝わりません。

私の場合はまず、抽象表現、気持ちの問題、漢字の熟語で表記される表現を極力排除し、文法的に間違いなく短い文章で話すように心がけます。ちょっと面倒で疲れる脳内作業ですが、私はこういうの好きなので結構楽しんでいます。

技能実習生がトラブルを起こして呼び出されることは時々あって、通訳を介して説明したり説教しなくてはいけなかったりするのですが、そういうときに「人として」とか「ちゃんとして」などという話し方をする人がいます。

私は前述の理由から、こういう言い方は無意味かあるいは有害な言い方だと考えていますので、「強制送還の可能性がある」とか「減給の理由になる」という言い方をします。

こういうやり方は「人として」いいか悪いかわかりませんが、通訳と実習生の会話を見ていればある程度伝わっているかどうかはわかりますので、最低限の用は足りるということです。

通訳を介するときの会話の通じ具合は結局、通訳の能力ではなく会話する人間の国際感覚とか言語能力次第ということです。
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というわけで連続投稿です。

前回、ギフテッドの幸せについて書きましたが、幸せというのは全人類を基準とした場合、増減するものではないと思えます。

前回の原爆のことでも、日本で発明されて戦争に勝ったとすれば、日本国民はその利益を享受できたでしょう。しかしそれは連合国の国民が不幸をなめることになるだけです。
今の日本のようにインフラが発達し、安全で貨幣価値が高いというのはつまり、道路も舗装されておらず、夜は女性が出歩けない、貨幣価値の低い途上国があるが故です。

個人的なレベルで考えても、毎日フルコースを食べていた人が今日はおにぎり一つしか食べられなかったら不幸と感じるでしょう。しかし、3日間飲まず食わずの人だったらおにぎり一つに無上の幸せを感じるでしょう。

つまり、個人レベルでも社会レベルでも、幸不幸とはニュートラルより上がるか下がるかだけのことです。

何が言いたいかといえば、「全人類の幸せ」というのはありえないということです。

獣におびえながら平均寿命30歳で死んでいったという原始時代でさえ、当時の人たちにとっての幸せや不幸があって、それは知り得ない未来の基準とはかかわりなかったことです。
逆に、未来の人類からすれば、「21世紀なんていまだに戦争とかやって100歳までも生きられなかった不幸な時代」と思われるかもしれません。

ですから、政府がギフテッドを支援するとすれば、それはあくまで自国の利益のためであるべきですし、私が幸せを求めるとすれば、他人から大なり小なり幸せを奪うべきであるというのが結論です。



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