何を隠そう、例によって就活を始めて半年以上が経ちましたが、いまだに再就職先は見つかりません。
クローズで応募している一般募集が多いのですが、どうやら履歴書を見るだけでも「面倒くさいおっさん」なのは明白なようです。

就職が決まらないのは専門的な資格や経験がないのが大きな問題の一つと考えているので、日本語教師の資格試験の勉強をしています。

もともと現代文だけは得意だったこと、前職で実習生に日本語を少し教えていて面白いと思ったことなどが動機ですが、勉強していくとASD的な発想に関連してきてとても興味深いところがあります。

技能実習に関わってみようと思ったのは、外国人と日本人のコミュニケーションと、発達障害者と一般人のコミュニケーションに共通項があるような気がしたからですが、言語学的(?)な習得のプロセスやら異文化コミュニケーションの基礎やらを解説されると、なるほど自分も普段(日本人の)他人と関わるときにやってるよなあということがとても多いのです。そして、普通の人はやっていないのだろうなあということも。 

私が現代文を得意だったのもそういう習性が大きく関わっているとも思うのですが、じゃあそこまで考えて会話しても好印象を持たれないのは何故だろうと考えたとき、言語というものの限界を感じました。

会話も文章もどうやったって一次元なのです。
「あ」から始まって「ん」で終わる文言なら、その順番通りにしか解釈は成り立ちません。最近「縦読み」が話題になったりもしましたが、あくまで例外的な暗号としての面白さがあるからです。

しかし、人間の頭の中は多次元です。
例えばものすごく可愛くない犬を連れたものすごい美女に会ったとしたら、「犬ぶっさ!」と「超可愛い!」が同時に頭に浮かぶかもしれませんが、いざ会話することになってもこれらを同時に言うことはできません。
言葉で表現する以上、どちらかを先に言わなければならないのです。(最も上の例で両方言うシチュエーションはなかなか思いつきませんがw)
またあるいはそんな風に思っても第一声が「可愛いワンちゃんですね」となることもあり得ますしね。

言葉には大なり小なり発する目的があります。
「可愛いワンちゃん」と言うとしたら、おそらくその美女の気を惹きたい場合でしょうね。
逆に、ものすごく失礼な美女で文句を言いたいことがあったとしたら、「不細工な犬ですね」と言う場合もあるかもしれません。 

目的があるならそれを相手に理解させなければなりませんから、ある程度論理的に辻褄の合う内容を理解しやすい順序で発せられなければなりません。
しかし、脳内の認識は一次元ではなく色々な印象を同時に持ちますから、その中のどれをどのように言葉にするかはその目的によって取捨選択されるわけです。

今日は、私の文章にやたら()が多いのはそういった取捨選択ができていないからなのだろうなあ、というちょっと取り留めのないお話でした。 
(あ、試験の話は勉強をサボりすぎていてヤバめなので、年始までにここで自慢しなかったら察してくださいw)