今回は流行り物。
大河ドラマ、新札にもなり、オリラジ中田敦彦の「YouTube大学」などでも取り上げられている渋沢栄一の本である。(ちなみに硬い本だと文体も硬くしたくなるものである)

論語と算盤 現代語訳/澁沢栄一/守屋淳【3000円以上送料無料】
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それにしても江戸から昭和まで生きるというのは昭和から令和などという私には想像もつかない世代である。

これらの時代では人は毎日のように殺し合い、飢え、そして産み育てていたであろうが、今では殺し合いや飢えを見かけないのは当然ながら、産み育てることすら少なくなっている。


栄一の生まれ育った江戸時代の士農工商とは、身分の上下を決めるという点を除けば割と公平な?考え方であるとも言える。

武士は政治を司り、農民は生命(食料)を司り、職人は生活を司り、商人は経済を司る。金持ちの商人でも職人が建ててくれた家に住むし、将軍であっても農民の育てた米を食べていたには違いない。
身分の上下という観点が無ければ、それぞれの専門分野に敬意を払いつつ役割分担ができそうであり、それは現代の職業にも当てはめられるのだろうと思う。
医者や弁護士になるのは敷居が高く、その知見に対して敬意を払われるべきだと思うが、コンビニやスーパーの店頭に立つ人もいなければ食料すら手に入らないし、病院の清掃をする人もいなければ治療が成り立たない。ましてコロナ禍で命懸けともなれば敬意やそれなりの待遇も保証されて然るべきである。 


いきなり話が逸れたので本筋へ戻そう。
「論語と算盤」は一般的に渋沢栄一の「著書」として紹介されがちだが、実は本人の書いたものではない。また、原書は漢文調らしいが、紹介している本書はさらにそれを口語に翻訳したものである。原書を買うか現代語訳を買うか迷ったのだが、原書は少し面倒くさそうだし、立ち寄った書店にこれしかなかったので買ってしまったというわけだ。

本人の記述でない証拠?に、最後の最後で盛大に栄一がDisられているのも面白い。どのように悪口を言われているか、ぜひご一読いただきたいw


考えてみれば私の尊敬する偉人はわりと自分では本を書いていない。イエスもブッダも孔子もソクラテスも自分では書かなかった。ただその考えを後世に残したいと考えた人々がまとめて本にしただけなのである。

思うに、彼らにとってはそういう思想が神の教えだとか他人に講釈するようなものではなく、単に自分で考えたらそうなっただけのことだったのではないだろうか。だから本にして教えを垂れようなどとは思わず、人に問われて答えた文言だけが残されているのであろう。


また、他の宗教や哲学などについてもそうだが、栄一は自己啓発マニアであったわけでもないようで、むしろキリスト教や儒教を「宗教」や「学問」にしてしまった後世の人物には反感を滲ませている。小難しい用語や学説を生み出して専門家同士の議論に明け暮れ、庶民の生活に役立てることをやめてしまった、というわけだ。
 
本書の中で言う「論語」と「算盤」であるが、いってみれば過去を分析するのが算盤で、未来を見通すのが論語なのかもしれない。

論語を考える力がなければ先々の算盤を弾くことはできないし、算盤を弾くのが苦手では論語も解することができないとも言えそうだ。
現代の先進国では算盤だけを弾き続けた結果、貧富の差は大きくなり、環境は汚染され、民は子供を産まなくなってしまった。「技術」や「経済」が発達したところで暮らしづらくなったのでは何をもって「進歩」というのだろう。SDGsなどと言っても、出生率が2以下になれば滅びに向かっているわけで、環境など保護しなくても人類がいなくなるから大丈夫という話ではないか。 


道徳なく儲かれば良し、では先がないと栄一は言うが、これは個人の商売だけでなく政府が「GDPが上がれば良し」ということにも同じように当てはまると思うのだ。


「原点に立ち返る」と紹介されているが、そもそも今の日本は未だ「原点に達していない」のではないかと感じる。国力で韓国に抜かれたなどという報道がされる昨今、紙幣に渋沢栄一を採用するという選択は、政府に対する誰かしらの痛烈な皮肉なのではないだろうか。