2011年05月30日
【長文レポ】陸前高田・仙台にて。そして行動へ。
樋渡啓祐武雄市長のお誘いで陸前高田、仙台へ行ってきた。
ハートタウンミッションという山中光茂松阪市長、樋渡市長らが全国の首長、財界、NPO関係者などに声をかけて、陸前高田の復興に向けて具体的なアクションを起こしているプロジェクトがある。これからの陸前高田市をどうするか、具体的な会議と現地調査が行われた。
長崎から、浅田ますみ、山田ともこ県議会議員と私が、樋渡市長に同行させていただいた。
仙台から3時間かかって、陸前高田へ。
市街地から5キロを切ったところで、光景が一変。大きな波が押し寄せてきたことが、わかる光景だ。山と山の間に波が押し寄せ、低地の住宅が全て流されてしまっている。高台のところは、残っていた。

仮設市役所に集合し、戸羽太陸前高田市長からご挨拶。市長の個人的なことは新聞報道で知っていたのだが、市長の強い意志と覚悟に感動した。涙が出た。
戸羽市長は2月の選挙で初当選。市長就任後初めての新年度予算を議論している3月議会中に被災。ご自身も市役所の屋上で、ぎりぎりのタイミングで助けられたという。お立場を思うと、本当に胸が痛い。
「陸前高田市に住みたいという人が1人でもいる限り、私はこのまちで闘い続けます」

地元の小学校の校長先生は、「子どもたちは震災2日目から笑顔を見せていた。本当は悲しいのかもしれないけれど、表に出さない。だから、私たちは極めて普通に接することを心掛けている」と。
「学校が避難所ならば最低限度の機能は必要。自家発電システム、毛布が欲しかった」と、訴えておられた。私たちが各地域に戻って、教訓として活かしてほしいと仰っていたのが印象に残った。
市内は魚の腐敗した臭いが立ち込める。子どもたちの通学路にもなっているので、衛生状態が心配だ。警察関係者が未だに遺体の捜索を行っている。自衛隊関係者だろうか。誰かが国旗を掲げていた。

手前は踏切で、線路が枕木ごと流されている。

辛かったのが、陸前高田市役所。悲しさ、悔しさ、怒り、様々な気持ちが溢れ出てくる。言葉を失うというより、何も反応できない。

金曜日の昼下がり。多くの市民が週末のことを考えいたかもしれない。週末のために、もうひと頑張りしようと思っていたかもしれない。子どもたちも下校中に、何をして遊ぼうか約束をしていたかもしれない。市役所の向かいにはショッピングセンターがあった。週末の食材を買いに来ていたお母さんも多かったことだろう。子どもたちに食べさせる料理を一生懸命、考えていたかもしれない。
一瞬にして、日常が崩壊してしまう。私たちの世界はなんとあまりに脆く、残酷なのだろうか。

市役所1階だったところに、車が流れ着いていた。




これまでの、まちの歴史と文化、生活を支えてきた書類はすべて津波が全て持って行ってしまった。議場もわずかに形跡を残している。散乱する書類。どこから流れてきたのか、わからない生活用品。ガラスの破片。電気コード。
4回の屋上まで、津波がやってきたこと。それを肌で感じた瞬間は絶句した。
「ここまで大きな波が来るとは思わなかった。家屋の間から、黒い大きな土煙がすごい勢いで押し迫ってきた。」
市の職員は、その時のことを鮮明に、そして極めて冷静な口ぶりで話してくれた。建物で津波がどこまで来ているのかは見えなかったが、見えたときはすごい勢いだったという。

今年、プロ野球の試合が予定されていた野球場。ナイター設備を整え、市長の肝いりだったという。津波の影響で球場は陥没している。球場が海水に浸されている。津波でまちの地形が変わってしまった。
「あの海のところにサッカー場があったんですよ」と職員が説明してくれた。まちが津波で沈んでしまったという現実だった。

雇用住宅。4階まで波が来たことがわかる。5階は窓ガラスが残っている。

陸前高田市の参与になられたワタミ最高顧問の渡辺美樹氏。お話しさせていただいたが、本当に陸前高田のことを思い、行動される方だ。ネット上では、すぐに批判が出るが、私は全く思わない。まずはアクションを起こされたことを認め、結果を見て評価するべきだと思う。
それは、このハートタウンミッションも同じ。私は市議会議員であり、NPO法人の理事という立場だ。あとで書くが、具体的にできることを始める。そして、人を巻き込んでいく。議論百出より、まずは一つの行動だ。
陸前高田市の翌日は仙台市で津波の被害大きかった若林区へ。この日は女優の真野響子さんもご一緒だった。
武雄市議会の有志8名の議員と市長がボランティアに入ったところへ行く。インフラなどは自衛隊、行政関係者が迅速な対応を行ったが、個人の居住区域は瓦礫、汚泥の運搬作業が進んでいない。陸前高田もそうだが、ボランティアの人出が圧倒的に足りていない。

これが、チーム武雄のメンバーが搬出した瓦礫や泥。高度な技術を要することはプロにしかできないが、こういう居住区域の片付けなどは、私たちにできることがよくわかった。そして、その作業に対して圧倒的に人手が足りないことも。樋渡市長から、具体的にどのような作業を行ったのか、教えていただいた。
その後、奥山美恵子仙台市長を訪問。


市長から、震災後の復興対策、および今後の課題について教えていただいた。特に、物流ルートの確保については勉強になった。災害規模に応じた物流ルートのシュミレーションは本当に必要で、長崎県、あるいは大村市単位でも精査しておくべきだと思う。陸前高田、仙台で学んだことはレポートにして、松本市長にお渡ししようと考えている。
私は、仙台から都内へ。
NPO法人ドットジェイピーの理事会へ。佐藤大吾理事長からも、震災対応についてレクチャーをいただく。樋渡市長と同じように、「少し瓦礫を運んだり、畳を運んでくれたりしたら、住めるような住宅がたくさんあるのに、被災した高齢者にはその作業ができない。そこにボランティアが入れば問題解決できるのだけど、不足しているのが現状」とのこと。
長崎県議会が6月21日から被災地に入るように、全国的に地方議員が被災地で活動できることはあまりに多い。もちろん、大村市議会をはじめ、長崎県、九州の議員で現地活動できるよう声をかけていく。
もちろん、市政の課題に応じた視察も必要だが、メディアで報じられるような安易な視察を行うくらいなら、被災地支援の活動に重きを置くべきではないか。(誤解なきように繰り返すが、市政の課題に応じた視察なら是認する)
ドットジェイピー出身議員が全国で30名を超えているので、7月に会を招集して陸前高田で活動できないか準備を始めた。6月議会が終わったら、すぐに走り出せるようにしたい。準備の事前会議は6月上旬に行うことにした。
7月には議員インターンシップに参加する大学生100人の前で講演する機会があるので、現状を伝えていきたい。危険な作業は不可だが、何度も書いているように、居住区域でできる作業がたくさんある。そのことを学生たちにも伝えていく。
大村市内でも、話してほしいというオファーを2件頂いた。何分だろうが、何人だろうが、私が見てきたこと、感じてきたことをお伝えさせていただきます。いつでもご連絡ください。omura@murasaki-hiroshi.jp
樋渡市長、佐藤大吾理事長ともに、仰っていたが「復興に向けた作業はかなり長期にわたる。今年だけではなく、来年以降も人手が必要だ」。
一時の感情ではなく、恒常的に被災地支援できるよう地方議員のコミットメントが問われている。そして、地方議員は人気の間、恒常的に活動することが可能だ。
樋渡啓祐市長もブログで、主張している。
私は恒常的に動いていく。ただし、大村市議会議員、総務委員長としての仕事の質は下げないように心掛けながら。
これを読まれたあなたも一緒に考えたり、行動したりしませんか。私で役に立てることがあるなら、いつでもご連絡ください。
ハートタウンミッションという山中光茂松阪市長、樋渡市長らが全国の首長、財界、NPO関係者などに声をかけて、陸前高田の復興に向けて具体的なアクションを起こしているプロジェクトがある。これからの陸前高田市をどうするか、具体的な会議と現地調査が行われた。
長崎から、浅田ますみ、山田ともこ県議会議員と私が、樋渡市長に同行させていただいた。
仙台から3時間かかって、陸前高田へ。
市街地から5キロを切ったところで、光景が一変。大きな波が押し寄せてきたことが、わかる光景だ。山と山の間に波が押し寄せ、低地の住宅が全て流されてしまっている。高台のところは、残っていた。

仮設市役所に集合し、戸羽太陸前高田市長からご挨拶。市長の個人的なことは新聞報道で知っていたのだが、市長の強い意志と覚悟に感動した。涙が出た。
戸羽市長は2月の選挙で初当選。市長就任後初めての新年度予算を議論している3月議会中に被災。ご自身も市役所の屋上で、ぎりぎりのタイミングで助けられたという。お立場を思うと、本当に胸が痛い。
「陸前高田市に住みたいという人が1人でもいる限り、私はこのまちで闘い続けます」

地元の小学校の校長先生は、「子どもたちは震災2日目から笑顔を見せていた。本当は悲しいのかもしれないけれど、表に出さない。だから、私たちは極めて普通に接することを心掛けている」と。
「学校が避難所ならば最低限度の機能は必要。自家発電システム、毛布が欲しかった」と、訴えておられた。私たちが各地域に戻って、教訓として活かしてほしいと仰っていたのが印象に残った。
市内は魚の腐敗した臭いが立ち込める。子どもたちの通学路にもなっているので、衛生状態が心配だ。警察関係者が未だに遺体の捜索を行っている。自衛隊関係者だろうか。誰かが国旗を掲げていた。

手前は踏切で、線路が枕木ごと流されている。

辛かったのが、陸前高田市役所。悲しさ、悔しさ、怒り、様々な気持ちが溢れ出てくる。言葉を失うというより、何も反応できない。

金曜日の昼下がり。多くの市民が週末のことを考えいたかもしれない。週末のために、もうひと頑張りしようと思っていたかもしれない。子どもたちも下校中に、何をして遊ぼうか約束をしていたかもしれない。市役所の向かいにはショッピングセンターがあった。週末の食材を買いに来ていたお母さんも多かったことだろう。子どもたちに食べさせる料理を一生懸命、考えていたかもしれない。
一瞬にして、日常が崩壊してしまう。私たちの世界はなんとあまりに脆く、残酷なのだろうか。

市役所1階だったところに、車が流れ着いていた。




これまでの、まちの歴史と文化、生活を支えてきた書類はすべて津波が全て持って行ってしまった。議場もわずかに形跡を残している。散乱する書類。どこから流れてきたのか、わからない生活用品。ガラスの破片。電気コード。
4回の屋上まで、津波がやってきたこと。それを肌で感じた瞬間は絶句した。
「ここまで大きな波が来るとは思わなかった。家屋の間から、黒い大きな土煙がすごい勢いで押し迫ってきた。」
市の職員は、その時のことを鮮明に、そして極めて冷静な口ぶりで話してくれた。建物で津波がどこまで来ているのかは見えなかったが、見えたときはすごい勢いだったという。

今年、プロ野球の試合が予定されていた野球場。ナイター設備を整え、市長の肝いりだったという。津波の影響で球場は陥没している。球場が海水に浸されている。津波でまちの地形が変わってしまった。
「あの海のところにサッカー場があったんですよ」と職員が説明してくれた。まちが津波で沈んでしまったという現実だった。

雇用住宅。4階まで波が来たことがわかる。5階は窓ガラスが残っている。

陸前高田市の参与になられたワタミ最高顧問の渡辺美樹氏。お話しさせていただいたが、本当に陸前高田のことを思い、行動される方だ。ネット上では、すぐに批判が出るが、私は全く思わない。まずはアクションを起こされたことを認め、結果を見て評価するべきだと思う。
それは、このハートタウンミッションも同じ。私は市議会議員であり、NPO法人の理事という立場だ。あとで書くが、具体的にできることを始める。そして、人を巻き込んでいく。議論百出より、まずは一つの行動だ。
陸前高田市の翌日は仙台市で津波の被害大きかった若林区へ。この日は女優の真野響子さんもご一緒だった。
武雄市議会の有志8名の議員と市長がボランティアに入ったところへ行く。インフラなどは自衛隊、行政関係者が迅速な対応を行ったが、個人の居住区域は瓦礫、汚泥の運搬作業が進んでいない。陸前高田もそうだが、ボランティアの人出が圧倒的に足りていない。

これが、チーム武雄のメンバーが搬出した瓦礫や泥。高度な技術を要することはプロにしかできないが、こういう居住区域の片付けなどは、私たちにできることがよくわかった。そして、その作業に対して圧倒的に人手が足りないことも。樋渡市長から、具体的にどのような作業を行ったのか、教えていただいた。
その後、奥山美恵子仙台市長を訪問。


市長から、震災後の復興対策、および今後の課題について教えていただいた。特に、物流ルートの確保については勉強になった。災害規模に応じた物流ルートのシュミレーションは本当に必要で、長崎県、あるいは大村市単位でも精査しておくべきだと思う。陸前高田、仙台で学んだことはレポートにして、松本市長にお渡ししようと考えている。
私は、仙台から都内へ。
NPO法人ドットジェイピーの理事会へ。佐藤大吾理事長からも、震災対応についてレクチャーをいただく。樋渡市長と同じように、「少し瓦礫を運んだり、畳を運んでくれたりしたら、住めるような住宅がたくさんあるのに、被災した高齢者にはその作業ができない。そこにボランティアが入れば問題解決できるのだけど、不足しているのが現状」とのこと。
長崎県議会が6月21日から被災地に入るように、全国的に地方議員が被災地で活動できることはあまりに多い。もちろん、大村市議会をはじめ、長崎県、九州の議員で現地活動できるよう声をかけていく。
もちろん、市政の課題に応じた視察も必要だが、メディアで報じられるような安易な視察を行うくらいなら、被災地支援の活動に重きを置くべきではないか。(誤解なきように繰り返すが、市政の課題に応じた視察なら是認する)
ドットジェイピー出身議員が全国で30名を超えているので、7月に会を招集して陸前高田で活動できないか準備を始めた。6月議会が終わったら、すぐに走り出せるようにしたい。準備の事前会議は6月上旬に行うことにした。
7月には議員インターンシップに参加する大学生100人の前で講演する機会があるので、現状を伝えていきたい。危険な作業は不可だが、何度も書いているように、居住区域でできる作業がたくさんある。そのことを学生たちにも伝えていく。
大村市内でも、話してほしいというオファーを2件頂いた。何分だろうが、何人だろうが、私が見てきたこと、感じてきたことをお伝えさせていただきます。いつでもご連絡ください。omura@murasaki-hiroshi.jp
樋渡市長、佐藤大吾理事長ともに、仰っていたが「復興に向けた作業はかなり長期にわたる。今年だけではなく、来年以降も人手が必要だ」。
一時の感情ではなく、恒常的に被災地支援できるよう地方議員のコミットメントが問われている。そして、地方議員は人気の間、恒常的に活動することが可能だ。
樋渡啓祐市長もブログで、主張している。
私は恒常的に動いていく。ただし、大村市議会議員、総務委員長としての仕事の質は下げないように心掛けながら。
これを読まれたあなたも一緒に考えたり、行動したりしませんか。私で役に立てることがあるなら、いつでもご連絡ください。
huraibow1980 at 09:22│clip!

