2004年06月
2004年06月29日
ポスト篠山紀信
週刊ポスト、脱ヘアヌード宣言から二号目である。
シノヤマキシンのアカルイハダカに代わって、誰が台頭するのかに興味。
先週号の巻頭は内藤啓介(ちんかめ)×井上和香、次いで藤代冥砂×小沢真珠だったが、今週号は竹中直人×高岡早紀、塔下智士×小倉優子。
先週号は悪くないが、老体篠山紀信が突っ走っているのに中堅どころが小さくまとまってどうする?という感じが否めず。篠山紀信の引き出しの多さ(最近刊行された『アカルイハダカ』でデジタルカメラ、『人間関係』では8x10判カメラ)に比べると、内藤はいかにもワンパターンだし、藤代は楽に仕事をしすぎ。
篠山は写真に興味がない層も引き付ける力量の持ち主だが、藤代と内藤はあらかじめ写真に興味がある層にしかアピールできていない。写真集を買わせるならそれで良いのだが、週刊誌が売れる為の写真としては弱いのである。
今週号は何も言う気にならないほど酷い内容。
どちらにせよ、篠山紀信に代わる人材が簡単に見付かるはずはないのだから、ポストには中堅どころでお茶を濁すのではなく、若手をスターカメラマンにする気概でやってほしい。
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シノヤマキシンのアカルイハダカに代わって、誰が台頭するのかに興味。
先週号の巻頭は内藤啓介(ちんかめ)×井上和香、次いで藤代冥砂×小沢真珠だったが、今週号は竹中直人×高岡早紀、塔下智士×小倉優子。
先週号は悪くないが、老体篠山紀信が突っ走っているのに中堅どころが小さくまとまってどうする?という感じが否めず。篠山紀信の引き出しの多さ(最近刊行された『アカルイハダカ』でデジタルカメラ、『人間関係』では8x10判カメラ)に比べると、内藤はいかにもワンパターンだし、藤代は楽に仕事をしすぎ。
篠山は写真に興味がない層も引き付ける力量の持ち主だが、藤代と内藤はあらかじめ写真に興味がある層にしかアピールできていない。写真集を買わせるならそれで良いのだが、週刊誌が売れる為の写真としては弱いのである。
今週号は何も言う気にならないほど酷い内容。
どちらにせよ、篠山紀信に代わる人材が簡単に見付かるはずはないのだから、ポストには中堅どころでお茶を濁すのではなく、若手をスターカメラマンにする気概でやってほしい。
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2004年06月23日
藤代冥砂インタビュー 「PHaT PHOTO 7-8月号」
雑誌PHaT PHOTOにて『もう家に帰ろう』に関するインタビュー。
「女性を撮るコツは?」と訊かれて、「やっぱり好きですね女の人(笑)。でもナンパ半分じゃだめですよ。かといって写真的恋愛とかでもなく、ほんとにただスーッと近づいていこうっていう感じですかね」と答えて「恋写」をかる〜く否定。飄々と、淡々とした口調で毒を吐く。インタビュー中には「恋写」とも「野村誠一」とも言わないが読む人が読めばわかるし、当人同士はきっと火花バチバチなのだろう。面白い男だ。続きを読む
「女性を撮るコツは?」と訊かれて、「やっぱり好きですね女の人(笑)。でもナンパ半分じゃだめですよ。かといって写真的恋愛とかでもなく、ほんとにただスーッと近づいていこうっていう感じですかね」と答えて「恋写」をかる〜く否定。飄々と、淡々とした口調で毒を吐く。インタビュー中には「恋写」とも「野村誠一」とも言わないが読む人が読めばわかるし、当人同士はきっと火花バチバチなのだろう。面白い男だ。続きを読む
2004年06月21日
新宿東口の巨大看板
新宿東口の線路脇にあったホストクラブの巨大看板が東京都東京都青少年の健全な育成に関する条例※の改正に伴って撤去されてしばらく経つ。同じ場所に最近、ミュージシャンの半裸写真の看板が掲げられている。スーツ着用のホストと半裸のミュージシャンのどちらが不健全なのかという疑問が生じるが、写真としての面白さは断然ホストの方にあったと思う。歌舞伎町「トップダンディー」の面々がズラリと並んだ看板は壮観だったし、ポートレイトの一形態として興味深いものがあった。自分がもしどちらかを撮るなら、親の七光りでデビューしたらしい新人ミュージシャンよりも、成り上がりのホストの方を選びたい。パッと見た感じは両者似ているのだが。
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藤代冥砂 ザ・ベストマガジン・オリジナル7月号表紙

表紙なのにもかかわらず、モデルの磯山さやかではなく転がっているオレンジ色のボールにピントが合っているというすごい写真。今回に限った話ではなく、6月号の瀬戸早妃も。1月号の二宮歩美はかなりすごい外しっぷり。
巻頭グラビアの中にはちゃんとピントが合っている写真もあるので、同誌に連載されている荒木経惟による「アラーキーの裸花」のようにほとんど常に外れているというわけではないし、老眼の荒木とまだ三十代の藤代を同列には扱えない。
何故こんなピンボケ写真が表紙に使われるのかについて、周囲の人と意見交換した結果、以下のふたつの説が挙げられた。
1、藤代は野村誠一(同じKKベストセラーズ刊のDOPE※1とBOMBERの表紙撮影)よりも写真が下手なのでピンボケが多い。編集部のセレクトが甘いのでそれを表紙に使ってしまう、或は全部ピンボケなのでその中でマシなものを選んでいるという説。
2、藤代は故意にピントを外しているという説。グラビアに関しては野村の撮り方を否定していくと過去に発言※2していることから、ライティングを極めすぎない、背景もゴチャゴチャさせる、ピントも合わせない。編集部にはピンボケ写真を表紙にするようゴリ押し。
藤代冥砂を高く評価する当ブログとしては第2説を唱えたいが、藤代の名前など知らないであろう何万人もの一般読者のほとんどが、このピンボケ表紙をどのように評価しているのかは気になるところである。
また、BOMBERは読者アンケートで「他誌と比べて本誌の表紙をどう思いますか?」という質問があり、読者の意見を反映させて試行錯誤を重ねているようだが、ベスト・オリジナルとDOPEにはそのようなアンケート項目はなく、各編集部の温度差も感じられる。
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週刊ポスト 脱ヌード宣言
週刊ポストが今後、ヌード写真掲載を取り止めるという方針を打ち出した。
http://www.excite.co.jp/News/society/20040619062225/Kyodo_20040619a451010s20040619062242.html
背景には東京都の青少年健全育成条例の改正で「包括指定制度」と「緊急指定制度」が導入されたことがある。(7月1日施行)
これにより都側が恣意的な有害図書指定をすることも可能になってしまった。有害図書指定を喰らうとコンビ二が取り扱わなくなる、取り次ぎが扱いを拒否するなどして雑誌が廃刊の危機に。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/straycat/watch/data/kisei/tokyo.htm
他誌も同様の方針を打ち出す可能性が高く、写真を批評対象にしている当ブログとしては今後の状勢が気になるところ。
(エロに限らず暴力的表現なども、写真に限らずマンガ、その他いろいろ関係ある話ですが)
他のブログ読んでてもほとんどの人が都条例のことを知らずに書き散らしていますね。
充分な議論がなされぬまま事実上の検閲制度が出来上がってしまうという恐ろしさ。東京都の条例でありながら、その影響は全国に及んでしまう理不尽さ。
戦っているのは宝島社だけ?続きを読む
http://www.excite.co.jp/News/society/20040619062225/Kyodo_20040619a451010s20040619062242.html
背景には東京都の青少年健全育成条例の改正で「包括指定制度」と「緊急指定制度」が導入されたことがある。(7月1日施行)
これにより都側が恣意的な有害図書指定をすることも可能になってしまった。有害図書指定を喰らうとコンビ二が取り扱わなくなる、取り次ぎが扱いを拒否するなどして雑誌が廃刊の危機に。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/straycat/watch/data/kisei/tokyo.htm
他誌も同様の方針を打ち出す可能性が高く、写真を批評対象にしている当ブログとしては今後の状勢が気になるところ。
(エロに限らず暴力的表現なども、写真に限らずマンガ、その他いろいろ関係ある話ですが)
他のブログ読んでてもほとんどの人が都条例のことを知らずに書き散らしていますね。
充分な議論がなされぬまま事実上の検閲制度が出来上がってしまうという恐ろしさ。東京都の条例でありながら、その影響は全国に及んでしまう理不尽さ。
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2004年06月19日
若木信吾 『吉澤ひとみ 8teen』

普段は十把一からげにされて活動しているタレントのソロで、水着なしという悪条件。個人的にはモーニング娘はピンでは全く画にならない半素人(完全な素人のほうが撮りやすい?)と思っている。この写真集も見所は少ない。
だが、若木は自分の血の繋がらない祖父(『Takuji』『young tree』)や、友人のマイク・ミヤヒラ(『Free for All』)など魅力的な素人を撮ると抜群にいい。優れた写真家はそういう出会いに恵まれるというよりも、写真を介してありふれた関係性を特別なものに変える才能があるのだが、それはスタジオマンやアシスタントの経験を積んでも決して得られない生来の資質である。
今回のような依頼仕事ではその資質は発揮されにくいかもしれないが、グラビア畑のカメラマンたちの窮屈な写真を駆逐するためには若木や佐内に過剰な期待をしてしまうのである。
2004年06月10日
若原瑞昌 『月刊ソニン』

しかし、「撮らせてもらった」感じが否めないのも事実。
表紙を含め、ページのほとんどがネガのベタ焼き(※1)をそのまま使うという構成で、1ページ大で使われた写真はわずか12枚に留まる(※2)。一見斬新に見えるが実は使い古された手法。お遊び程度に数ページというのはよく見るが、一冊のほとんどというと話は別。裏を返すと、これは大きく使える写真が少ない、出来が良くないということ。さらにイラストレーターがベタ焼きの上から落書きをしている。もともと月刊シリーズは凝ったデザインが多いがこれはやり過ぎ。若原も自分の写真がぞんざいに扱われることに対して怒ってもいいはずだ。
兎に角、一冊の写真集の中でカメラマンの存在がこんなにも軽んじられているのは初めて見る。かなり期待していただけにガッカリさせられた。師である藤代は今最も注目されている写真家と言っても過言ではなく、当然弟子の若原にも注目と期待は集まる。恵まれたスタートを切れば、超えるべきハードルも高い。
あちこちのサイトで「石田東 撮影」と間違って書いているのは何故なんだろう?続きを読む
2004年06月06日
佐内正史 『鉄火』

佐内はどこにも行こうとしない写真家だ。しかし目的地がないままで絶えず移動している。車で、徒歩で。移動しながら写真を撮っている。近所で、いつも行く場所で。
そういう佐内の写真もバブル世代には理解しがたいのだろう。だが、若い世代に佐内の写真が受けるのは、彼がどこにも逃げないからなのだと思う。どこにも逃げられない者達から佐内は支持されている。閉塞的な時代の閉塞的な写真だという批判もあるが、閉じた場所から出たものの強さというのもある。コンクリートの割れ目から咲くタンポポのような。佐内の花はどこででも同じく咲くだろう。それがたまたま日本だっただけだ。場に左右されるバブル世代は弱い種なのだ。厳しい場所で自分を磨く素振りをしながら、予め耐えられる程度の厳しさを課しているに過ぎない。しかし、プロとして写真を撮る上で最も厳しい場所は今いる日本なのではないか。
荒木経惟は『すべての女は美しい』のなかで、「オレって海外とかいろんなところにいって未知のものを見たいとかあんまり興味ないんだ。近所しか歩かないし見てないんだよね」と言っている。そして、「ソウルの街を撮っても、ニューヨーク撮っても、たいがい同じような、オレがガキのころから見てる三ノ輪の街角みたいになってる」とも。
個人的には、森山大道の写真にもパリを新宿に変えるぐらいの力はある気がする。
バブル世代を飛び越えて、若い佐内が老いた荒木、森山と符合するのが面白い。
2004年06月05日
2004年06月04日
篠山紀信 『Car girl』

篠山のようなカメラマンになりたいなら車は必需品だが、荒木のような写真家になりたいなら普段の移動は公共の交通機関と徒歩でなくてはならない。
カメラマンとは常々「いい女とかっこいい車に乗りたい」と思っている人種である。思うだけでなく実際に口にしてはばからない者もいる。対して写真家は、いつも車に乗っていては見落としてしまう風景があり、出会わないひとがいることを知っている。
「カメラマン」の頂点にいる篠山が、「美女と名車」を撮った写真集を出すというのは象徴的だ。野村誠一が自身のホームページで「車を恋写」していることにも注目したい。カメラマンと写真家の間を行き来する藤代冥砂は、『もう、家へ帰ろう』のなかで「私がいつも車を使うので、二人で電車に乗ることは少ない」と発言しているが、同時に夫婦で散歩したり、自転車で出掛けたりもする。荒木は多分、免許すら持っていないはずで、猥褻図画販売で摘発され警視庁に出頭したとき「朝ビールを飲んでいるはずの時間に、通勤ラッシュでぎゅうぎゅうの小田急線に乗らなきゃいけないでしょ。そのときにサラリーマンたちの大変さを感じる(以下略)」と発言している。(『すべての女は美しい』より引用)こういうことがビジネス街でサラリーマンを撮った写真集『男の顔面』に繋がるのだろう。『男の顔面』は荒木の企画ではないが、それを引き受けるか断るかの判断をするときに普段のあり方が重大な影響を及ぼすことは想像に難くないし、車という個室に自らを隔離しつづけるカメラマンにはビジネス街のお父さん達は撮れないのだ。撮りたくないかもしれないが、週刊ポスト、週刊現代、フライデー、フラッシュの読者は普段電車に乗っているサラリーマンが大半なのだ。自分の写真に金を出してくれるのがどんな人か興味がないのも「カメラマン」なのだろう。
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