2004年07月

2004年07月26日

藤代冥砂、電車で撮る ザ・ベスト・オリジナル

 オリジナル8月号
 表紙と巻頭グラビアで、モデルは水谷さくら。
 路面電車(おそらく都営浅草線)の貸し切りロケをしたらしいが、正しいエロ本のあり方としてはゲリラ撮影に挑戦すべきだ。楽をするのは爺さんになってからでよい。生温い環境で撮っているからゆるい写真になる。モデルにも緊張感が無い。周りに一般客がいないならもっと色々出来るはずだ。編集の方が及び腰なのかもしれないが。
 本家のザ・ベストBOMBERでは、企画グラビアで名も無いカメラマンが電車内と駅構内で撮影をしているぞ。

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2004年07月18日

月刊佐藤寛子 藤代冥砂

月刊佐藤寛子 
 無難にまとめた印象で、とりたてて褒めるべきところは無い。新潮社の月刊シリーズでは毎度のことだが、デザイナーがでしゃばりすぎて写真を殺している。3D写真もいらない。小細工を弄せずに純粋な写真で勝負して欲しいと思う。続きを読む

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2004年07月17日

GQ JAPAN 蜷川実花×麻生久美子

 男性誌のGQ JAPANに何故か蜷川実花。普段から仲が良いらしい麻生久美子を連れて、編集者、メイク、アシスタント、スタイリストすべて無しで二人だけでハワイに行ったらしい。
 男性誌に女同士のお友達写真を掲載することに疑問を感じる。雑誌の売り上げを左右するわけでもなく、ページとして遊び以外の何物でもない。
 広告収入で成り立っている雑誌でカメラマンとして仕事をするのは大変だが、写真家として仕事をするのは楽だという典型ような写真だ。企業の商売ではなく「文化事業」としての写真。生温い。
 蜷川独特のビビッドな色は発揮されず、全体的にくすんだ印象。写真集のように印刷工程までコントロールできないのだから、それも当然か。
 歳を重ねれば鮮度が落ちるだけで上積みは望めないと思うので、ピークの今に出来るだけ荒稼ぎするつもりかもしれないが、先日のヤングジャンプでもそうだったように、雑すぎる仕事ではさらに寿命を縮めるだけだ。

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「アカルイ湘南」シノヤマキシン

 改正都条例が試行されてから一ヶ月も経たないうちに週刊ポストに紀信が復活。ちんかめが巻頭グラビアを撮った号の売り上げがよほど悪かったのか、週刊誌らしい素早い対応を見せた。
 脱ヘアヌード宣言を撤回したわけではないので、ヘア無し、乳首も無しのセミヌードのグラビア。「アカルイハダカ」ではない新シリーズということらしい。
 内容もデジタルカメラでの撮影ながら、やはり三流どころのカメラマンとは格が違うところを見せた。日本の夏でありながらジメジメした湿気がなく、いい風が吹いている写真だ。他のカメラマンがこういう写真を撮ろうと思ったら、南の島に行かねばならないのだが。

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2004年07月13日

今週のポストと現代

 週刊ポストの新聞広告で篠山紀信の文字を見て期待したら、巻頭は写真集『Car girl』からの借物。グラビアを撮り降ろす予算もないのか、このままジリ貧となりそう。
 「後藤真希のへそ出し全開」に「中島美嘉のセクシーショット」では話にならん。
 現代も同様で、巻頭に今さら吉岡美穂。カメラマンは大友一生で安上がり。見るべきところ無し。
 ソフト路線に変更してシール封を免れても中身が無ければ誰も買わない。記事ものも読むべきものがない。

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2004年07月12日

『フォトグラファーの仕事』平凡社

平凡社
佐内正史、長島有理枝、蜷川実花、野口里佳、藤代冥砂。以上の五人のインタビュー集。
 
 佐内はリー・ペリーやビョークに極めて近い生き物。話す言葉が幼稚で支離滅裂だが、なぜか許せる。国語の成績はずっと1だったそうだ。
 長島と蜷川が同い年とは初めて知ったが、長島の方がいい歳のとりかたをしていて、精神的にもタフな印象。私写真が撮れるのは強み。
 対する蜷川はインタビューでいつも同じことしか言わない。
 野口は「夏休みの自由課題」を写真でやっているという印象。話す言葉も優等生的で極めて退屈。
 藤代冥砂については、やはり飄々としつつ野心家でもあるという評で間違いないと確信。アンケートで好きな写真集に『オレレ・オララ』『ハイ!マリー』『晴れた日』と篠山紀信の作品を挙げていた。

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2004年07月10日

野村誠一のおもちゃカメラ CIRCUS 創刊号

fd06d343.jpg 今月創刊された雑誌CIRCUSの表紙・巻頭グラビアの撮影は野村誠一。モデルに白石美帆。
 以前、当ブログで藤代冥砂撮影のピンボケ表紙ザ・ベスト・オリジナルをとりあげたが、こちらは大胆なブレ写真。何かの偶然か、或は藤代を意識してやっているのか。面白いことになってまいりました。
 しかし、この雑誌での見所はそれだけにあらず。「玩具カメラ恋写館」と題して8ページのグラビア。モデルに青木怜。
 使用されたカメラはHOLGAとLOMO Action Sampler Flashとなっているが、フィルムがフジのRDPIII135と表記されているのでHOLGAはブローニー判の方ではなく、35ミリ判のHOLGA35AFXではないかと思う。
 トイカメラにポジフィルムを詰めてここまでの写真を撮れるのは流石である。特に見開きの写真などは、言われなければトイカメラとは判らない。蜷川実花がコンタックスでグラビアを撮るよりも技術面では数段上で、おそらくプロビアを減感したことで得られたと思われる色味も面白い。
 しかし今のトイカメラ・ブームは、思ったようには写らない意外性や時に失敗をも楽しむことにその意義がある。野村のようにほとんど完璧にコントロールされた写真を見せられてもトイカメラの魅力は半減するように思う。飽くまで技術にこだわるところが野村の限界かもしれない。また、技術を抜きにすると何もない写真になってしまうことは自身でよく理解しているはず。
 「恋写」にしても「必ずキレイに撮れるから女の子は心を開いてくれる」と発言しているように、まず技術ありき。裏を返せば「写真が下手なら恋にならない」ということ。写真技術に左右される関係性を恋とは呼ばないと思うのだが。

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2004年07月09日

蜷川実花 ヤングジャンプ表紙/巻頭グラビア

9954778e.jpg 7/8(木)発売の週刊ヤングジャンプ。モデルは近野成美。

 蜷川実花がヤングジャンプのグラビアを撮るのは初めてではないが、今回も「蜷川マジック」とやらは発揮されなかったようだ。同日発売のヤングサンデーのグラビア(西田幸樹撮影/モデル山本千夏)と比べればその差は歴然。グラビアを舐めてはいけない。
 蜷川は荒木経惟や藤代冥砂とは違って、現在は「私写真」を撮らないタイプ(以前はセルフポートレイトや妹の写真も撮っていたが)。私写真を撮らないということは、被写体との関係性を言葉で補ったりせず、写真の外の事物とは無関係に、フレームの中、写真そのものの出来不出来で勝負するということである。グラビアとは本来そういうものだが、荒木や藤代の場合はそれでも写真の中に私(わたくし)が入り込んでしまう、或は意図的に入り込ませることができるところにその才がある。しかしながら、蜷川にはそれがない。色彩ばかりが注目されるのもそこに原因があって、要するに文学的な?深みが感じられない、見た目が最重視された写真なのである。
 誤解を覚悟の上で言えば、蜷川実花とは「女・野村誠一」である。支持する層が同性にひどく片寄っていることに加え、その支持の理由が画一的で深みがないことも共通している。(蜷川の写真を好きな理由としてよく挙げられるのは「かわいいけど、それだけじゃなくて毒がある」というもの)
 写真に深みがないならば、高度にエンターテインメント的、実用的な写真を見る者に提供するのがプロとしての責務であるはず。女子向けのファッション写真に関しては素晴らしい仕事ぶりだが、青年マンガ誌のグラビアとしては落第点と言うしかない。

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2004年07月06日

蜷川実花写真展 over the rainbow @ Laforet Museum Harajuku

 写真集『mika』『over the rainbow』の発売に合わせてラフォーレ原宿で開かれている写真展。7/11(日)まで。

 小生はオリジナルプリント至上主義ではないし、巨大なプリントでも写真の価値がそれに比例して大きくなるわけでもない、むしろ多くの人の目に触れる印刷物の方が重要と思っている。写真集で見れるものをわざわざ写真展に足を運んで見ようとはなかなか思わない。
 しかし、写真展の客を見れば、その写真家がどういうひとびとに指示されているかが判る。極論すれば写真展とはプリントを見る場所ではない。客層を見るべきなのである。
 ラフォーレミュージアム原宿という場所柄、若い女性客が多いとかいう大雑把な把握の仕方ではなく、彼女らがおしゃれさんなのか、やぼったいのか、少数派の男性客や年輩者にも注目したいところである。
 小生は平日の昼間に行ったのでサンプル数があまりに少なく、ここで印象を語ることは控えるが、当ブログ閲覧者に足を運ばれた方がいれば感想レポート頂ければ幸いである。続きを読む

hustla_1_push at 22:26|PermalinkComments(1)TrackBack(2) 写真展 

2004年07月03日

69 若木信吾×妻夫木聡×安藤政信

 雑誌『H』にて映画『69 sixty nine』に出演の妻夫木聡と安藤政信を若木信吾が撮影。写真集も1969円でロッキングオンから出版。

 今、男を撮らせるなら若木信吾で間違いない。
 女を撮るのが上手いカメラマンは多いが、若木のように男を撮れるカメラマンがそれほど多くないのはポートレイトの撮影術のほとんどが女を美しく撮ることに重点を置いて進歩してきたからである。(レンズやフィルムの開発に於いてもしかり)
 男を撮るときには、それとまったく異なる考えや撮影方法をもって臨まなければならない。以前にも当ブログでは、藤代冥砂がミスター・チルドレンをSWITCH誌上で撮った写真を全く同じ理由で批判したが、女性ポートレイトの撮影術を男に用いて失敗している写真はさほど珍しくない。自分のなかに蓄積されてきた技術を見せびらかそうとして失敗する例もあるし、意識せずとも癖として出てしまうという場合もあるだろう。
 では何故、若木信吾はそういう間違いを犯さないのか。それは彼の写真の原点が「祖父をカッコ良く撮る」ことにあったからである。しかも撮影時から既に自分と祖父に血の繋がりがないことを知っていたというのだから、単純な家族写真と片付けることはできない。実際、写真集『Takuji』『young tree』には、血の繋がりに甘えていては決して撮れないダンディズムの理想型が見られる。
 数少ない男を撮れる写真家として荒木経惟の名を挙げないわけにはいかないが、荒木自身が妻陽子を撮ることで写真家になったと発言しているように、彼もまた女を撮ることにその原点がある。写真家として名を為すには女を撮るのが最も近道であるが、若木は商業的にも成功しづらい男のポートレイトで世に出て来た非常に稀な写真家である。それだけを見ても若木の力量のほどが判るというものだ。
 妻夫木と安藤を撮った写真は、女子には判らない男子の世界が写っていて、かなりいかした感じだ。女のケツばかり追いかけてる奴じゃあこんなふうには撮れないぜ。いや、女のケツを追いかけるのも大事だけどね。続きを読む

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