2004年09月

2004年09月27日

藤代冥砂 ROOM 3軒目 サブラ連載 (おまけあり) 

sabra_017雑誌サブラの連載第3回目、山本梓、根本はるみに続いて水谷さくらが登場。


やはりヤラセを疑う声は多いのか、

「『アイドルの部屋企画ったって、どーせヤラセでしょ!?』
某芸能事務所のマネージャーMさん、ナニ言ってんですかぁ!!
100%本物です!演出ゼロだからキャスティングが大変なんですってば!!
今回のはロリ系グラドルの大本命?水谷さくらちゃん。
噂では聞いてたけど、マジお嬢様だったんですね。
日本屈指のお屋敷街”芦屋”の邸宅にカメラ初潜入です!!」

と冒頭から怪しい雲行き。
藤代冥砂がこのページの為にわざわざ兵庫まで行くとは思えない。お嬢様の部屋と言うわりには狭くて天上も低いようだ。
本物かヤラセかは実はあまり重要ではない。荒木経惟も言っているように「写真は嘘をつく」。だから、本物に見えるか、ヤラセに見えるかがより重要なのだ。つまり、事実より見た目が大事。本物なのにヤラセに見える写真というのが最も程度の低い写真である。
この連載が多くの読者にヤラセに見えるなら、藤代冥砂の看板に傷が付くだろう。次に登場するアイドルは誰かなど最早どうでもよい。藤代がいつまで我慢できるか、どう辞めるかに興味は移る。
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hustla_1_push at 05:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑誌 

2004年09月26日

『乳房、花なり』荒木経惟、宮田美乃里

荒木_乳房乳ガンで乳房を失った歌人・宮田美乃里にヌードを撮って欲しいと手紙をもらった荒木。

「朽ちて散っていくように、ありのままを受け止めて生きていきたいと思うのです…普通の均整の取れた裸体ならば飽きるほどご覧になっておられることでしょう。けれども、私は、ちょうど枯れかけた花のように、片方の乳房がありません…そこには、私の人生があります」

荒木が写真を撮り、宮田が歌を詠む。
乳房がなく、代わりに手術の傷痕が残る宮田の胸は、意外にも醜さを感じさせない。顔も凛として美しい。しかし、美醜の判断は個人の好みによるところが大きい。元来、荒木は比喩ではなく「枯れかけた花」そのものも頻繁に被写体にしてきたし、腹の出た人妻のヌードを撮っても「すべての女は美しい」とうそぶいてきた。(後になって、やっぱり美しくないと言ったりもする)問題は、第三者が判断する被写体の美醜ではないのだ。
宮田が手紙を書いたのが、他のどの写真家でもない荒木であること。若くて健康的であるなら篠山紀信に撮ってもらう方がいいだろう。藤代冥砂、若木信吾、蜷川実花でもいい。しかし、乳房を失った時には荒木以外に選択の余地はないだろう。そもそも、荒木という写真家の存在がなければ、乳房を失った体を写真に残したいと思っただろうか。この写真集はそんな気にさせる。荒木は唯一無二の写真家なのである。続きを読む

hustla_1_push at 04:50|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 写真集 

2004年09月23日

米倉涼子のヌード 雑誌anan

68501895.gif特集が「恋に効くSEX」ということでヌードを披露した米倉涼子。撮影は若木信吾だが、あまり良い写真とは言えない。「ゴージャスでエロティック」ではなく、飽くまでもコマーシャル、商品としてのカラダ。
米倉自身が「男っぽい性格だから”いやん”なんてかわいく言えないし(笑)。自分でもセクシーだと思わないですよ」と言っているのだから無理もないか。
市川海老蔵と結婚して梨園の妻の座を狙う身として、隠すべきところはシーツや枕、椅子の背もたれなどでしっかりと隠す。しかし、隠しているからエロくないということではない。隠している分、カメラマンはモデルを動かすことができず、ポーズを固定してからシャッターを切るため。これではどうしても米倉側が撮られてもよいポーズばかりを撮らされるハメになるのだ。
恋には効かなそうなヌード写真である。続きを読む

hustla_1_push at 21:04|PermalinkComments(202)TrackBack(10) 雑誌 

2004年09月18日

アカルイコスピン

月曜が祝日なので今日発売の週刊ポストは、シノヤマキシンのアカルイ・シリーズと内藤啓介のコスピンが初めて同じ号に載ったが、豪華版という感じはまったくせず、むしろ合わせ技でないと一本とれなくなったという弱体化。
シノヤマのアカルイハワイはモデルに楊原京子(知らん)。モデルがひとりだけだと物足りない気がする。
コスピンはモデルに熊田曜子を起用。ヒョウ柄の水着でセクシーパンサーとか言われても、もはやコスプレでもなんでもない。ヤングマガジンのグラビアのように下品である。どうせなら北関東の公立高校のスケ番とか良かったんでは?と思うほど。大体、モデルに何を着せるかが最重要のグラビアなら、カメラマンよりスタイリストの方がエライのではないかと思ってしまうのは小生だけではないはず。
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hustla_1_push at 18:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑誌 

2004年09月03日

コスピン 内藤啓介

週刊ポストに掲載された、内藤ちんかめ啓介撮影のグラビア。コスプレ・ピンナップを略してコスピンとのこと。
第2弾はスチュワーデスのコスプレで、モデルは安田アイフル美沙子。(第1弾なんかあったか?と思い、調べてみると脱ヘアヌード宣言直後の井上プロミス和香のバニーガールがそうであった。)
先週のシノヤマキシンのアカルイビーチバレーと比べると分かりやすいが、内藤はモデルを動かしながらの撮影ができない。ポーズを決めてからシャッターを切る。だが、それだとどうしてもモデルの表情が乏しくなる。ポーズを決めると、モデルは自分が撮られ慣れた表情で顔を固めてしまいがちだ。そしてつまらない写真ができる。
内藤は、連載のタイトルに「アカルイ○○」と付けるプレッシャーを考えたことがあるだろうか。多くの女の子を撮り続ければ、中には相性の悪い場合もある。しかし篠山はどんな場合でも「アカルイ」表情を撮らなければいけない。しかもモデルはタレントではなく、半分素人のヌードモデルや企画もののAV女優なのだ。(なぜか篠山はこのシリーズで有名モデルを使うことが少ない)
対して、内藤はシャッターを切る瞬間だけモデルにお得意の表情を作ってもらえばよい。そんなことはプロのグラビアアイドルなら出来て当然のことで、カメラマンとの関係性や現場の雰囲気とは関係がない。その為に、篠山と違い、写真慣れしていないド新人などはほとんど避けている。内藤自身もプロカメラマンとして出来て当然のことをするだけでよいのだから、つまらないのは当然と言える。
第3弾は是非とも小野アコム真弓をモデルにして、このシリーズを早々に完結してもらいたい。


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2004年09月02日

グラフィティ・ライターたちのポートレート

b8eb7599.jpg南青山のBape Galleryにてカメラマンであるピーター・サザーランドが3年半かけて制作した『AUTOGRAF-NEW YORK CITY'S GRAFFTI WRITERS-』の展示。
グラフィティ・ライターたちのポートレートに、彼らのタグ(サインのようなもの?)を書き足したユニークな作品が並んだ。アートとして認められつつあるとはいえ、違法行為であるグラフィティのライターたちが写真に収まることはリスクが高く、数人を除いてはみなマスクを被ったり、Tシャツを引っぱり上げて顔を隠したり、写真のブレを利用して顔が分からないようにしたりしている。グラビアアイドルたちが肌をどこまで隠すか、或は全てを露にするかということにも似た面白さがあった。
写真技術は稚拙だが、50名以上ものライターたち(日本でも有名なKAWSやFUTURAなども)を探し出し、写真に収めたことは驚嘆に値する。
ストリートの最前線にいる者には、ベッドルームにいる者からの批判をかわすフットワークの軽さと強かさがある。続きを読む

hustla_1_push at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 写真展