2004年10月17日
sabra 『HELLO Good Job』グラビア・カメラマン後編
前編でグラビアカメラマンの実態について、いい加減なことを書き飛ばしていた新連載。後編はグラビアカメラマンになる方法。
成功者の例その1
30年前に報道カメラマン志望で、営業に回った雑誌の中に、たまたま「平凡パンチ」があり、タイミングの良さもあってグラビアカメラマンに。
報道カメラマンになりたいなら、まず自費で戦場に行き、写真を撮ってきてから雑誌に営業に行くものだと思うが。写真が無いのに営業に行っても無意味で、そんな奴に仕事をオファーする編集者がいるとも思えない。しかし、こういうバカな話が実際にあったかどうかは確かめようもない。
成功者の例その2
東京芸術大学写真学科を卒業後、南米を放浪した時の風景写真で「木村伊兵衛賞」を受賞、その後に前衛的なヌード写真を発表してグラビアに転向。
実際には東京芸術大学に写真学科は無く、南米の風景写真で木村伊兵衛賞を受賞した者も存在しない。受賞後にグラビアに転向した者もいない。(但し、第1回に候補になったが受賞は逃した平地勲はグラビアでも活躍中。)
ここまででもかなり眉唾ものだが、続いてサブラ読者が脱サラしてグラビアカメラマンになる方法が語られる。細かいところはもういいとして、「30歳オーバーでもぎりぎりセーフ」というのは大嘘なので読者は道を誤らぬように。
成功者の例その1
30年前に報道カメラマン志望で、営業に回った雑誌の中に、たまたま「平凡パンチ」があり、タイミングの良さもあってグラビアカメラマンに。
報道カメラマンになりたいなら、まず自費で戦場に行き、写真を撮ってきてから雑誌に営業に行くものだと思うが。写真が無いのに営業に行っても無意味で、そんな奴に仕事をオファーする編集者がいるとも思えない。しかし、こういうバカな話が実際にあったかどうかは確かめようもない。
成功者の例その2
東京芸術大学写真学科を卒業後、南米を放浪した時の風景写真で「木村伊兵衛賞」を受賞、その後に前衛的なヌード写真を発表してグラビアに転向。
実際には東京芸術大学に写真学科は無く、南米の風景写真で木村伊兵衛賞を受賞した者も存在しない。受賞後にグラビアに転向した者もいない。(但し、第1回に候補になったが受賞は逃した平地勲はグラビアでも活躍中。)
ここまででもかなり眉唾ものだが、続いてサブラ読者が脱サラしてグラビアカメラマンになる方法が語られる。細かいところはもういいとして、「30歳オーバーでもぎりぎりセーフ」というのは大嘘なので読者は道を誤らぬように。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by パンダ 2004年10月17日 07:52
なるほど。グラビアカメラマンへの道も遠いですね。。。。
2. Posted by HUSTLA 2004年10月18日 03:13
サブラお薦めの王道路線(スタジオマン→アシスタント→独立)だと下克上ができないという罠もあるんですよね。弟子が実力で上回っても、名前がある師匠の方にオファーがいきがち。新人アイドルなら若手カメラマンも撮らせてもらえますが、テレビや映画に出て売れはじめたアイドルは大先生じゃないとブッキングが難しいようです。その大先生たちは目が衰えても、カメラの進歩に助けられて引退してくれないし……。