写真集

2004年10月16日

栗山千明×蜷川実花 『プリンセス』

ninagawa_kuriyama様々なプリンセス(白雪姫、シンデレラ、かぐや姫、人魚姫、眠り姫など。あかずきんは違う気がする)にコスプレさせられた栗山千明を蜷川実花が撮った。最早、写真をどう撮るかというより衣装は何を着せるかの問題。以前にはヤングジャンプでの女子プロレスラーのコスプレ、スマートガールズでのRPGコスプレなどもあったが症状が進んで末期的になってきている。
女が女を撮る場合に陥りがちな「お友達写真」をコスプレで克服できるかは疑問だ。また、蜷川カラーと呼ばれる独特の色彩を、衣装やメイク、セットの人工的な色に頼って作り出すのは「ドーピング」でないかと思う。見る側の期待する以上の派手な色彩を目指した結果かもしれないが、そういう表層的なことしか写真に求められていないのも哀しい。続きを読む

hustla_1_push at 20:37|PermalinkComments(1)TrackBack(4)

2004年10月11日

『NAMI』と『NEW WAVES』

ホンマ_WAVEリトル・モアのビジュアル誌「FOIL」が行った「FOIL AWARD」のグランプリ作品、佐渡島で僧侶をしているという梶井照陰の『NAMI』、リトルモアの写真家や美術家の持ち上げ方にはいつも違和感を感じる。FOIL AWARDはグランプリ作品のみならず、誌面に載った候補作がひとつもいいと思えず、審査員が編集長の竹井正和と画家?奈良美智だから仕方ないと今まで無視を決め込んでいた。が、10日付け朝日新聞の書評欄でもこの写真集が褒めちぎられているのを見て反論したいという気持ちを禁じ得なくなった。
まず、梶井の『NAMI』は全ページに渡って佐渡島の波の写真が続くが、そのアイデアは既にリラックスのムック写真集でホンマタカシがやったもので(添付画像はホンマのNEW WAVES)、波の写真だけで一冊作ってしまうというアイデアのインパクトが評価の大部分を占めていることは疑いようがないのだから、審査員両名と書評を書いた立松和平がホンマの写真を知っていたかは気になるところだ。
続きを読む

hustla_1_push at 04:58|PermalinkComments(11)TrackBack(1)

2004年09月26日

『乳房、花なり』荒木経惟、宮田美乃里

荒木_乳房乳ガンで乳房を失った歌人・宮田美乃里にヌードを撮って欲しいと手紙をもらった荒木。

「朽ちて散っていくように、ありのままを受け止めて生きていきたいと思うのです…普通の均整の取れた裸体ならば飽きるほどご覧になっておられることでしょう。けれども、私は、ちょうど枯れかけた花のように、片方の乳房がありません…そこには、私の人生があります」

荒木が写真を撮り、宮田が歌を詠む。
乳房がなく、代わりに手術の傷痕が残る宮田の胸は、意外にも醜さを感じさせない。顔も凛として美しい。しかし、美醜の判断は個人の好みによるところが大きい。元来、荒木は比喩ではなく「枯れかけた花」そのものも頻繁に被写体にしてきたし、腹の出た人妻のヌードを撮っても「すべての女は美しい」とうそぶいてきた。(後になって、やっぱり美しくないと言ったりもする)問題は、第三者が判断する被写体の美醜ではないのだ。
宮田が手紙を書いたのが、他のどの写真家でもない荒木であること。若くて健康的であるなら篠山紀信に撮ってもらう方がいいだろう。藤代冥砂、若木信吾、蜷川実花でもいい。しかし、乳房を失った時には荒木以外に選択の余地はないだろう。そもそも、荒木という写真家の存在がなければ、乳房を失った体を写真に残したいと思っただろうか。この写真集はそんな気にさせる。荒木は唯一無二の写真家なのである。続きを読む

hustla_1_push at 04:50|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2004年08月01日

『100HIPS』 藤代冥砂

18bdeccc.gif 人気のおしり写真集『58HIPS』と『MILKY HIPS』の2冊が1冊にまとめて文庫化された。
 非常に良い写真集だと思うが、『巻末に顔写真を載せたのは蛇足』という意見は定説でもあった。
 また、文庫化されたことにより、オリジナルの空気感が損なわれ窮屈になった印象を受ける。そもそも4X5判で撮影された写真を文庫サイズにしたらフィルムの面積とほとんど変わらず、勿体ないような気もする。むしろ大型本を1万円ぐらいで出して欲しいものだと思う。その方が引きの構図が活きるはず。

hustla_1_push at 01:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2004年07月18日

月刊佐藤寛子 藤代冥砂

月刊佐藤寛子 
 無難にまとめた印象で、とりたてて褒めるべきところは無い。新潮社の月刊シリーズでは毎度のことだが、デザイナーがでしゃばりすぎて写真を殺している。3D写真もいらない。小細工を弄せずに純粋な写真で勝負して欲しいと思う。続きを読む

hustla_1_push at 07:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2004年06月19日

若木信吾 『吉澤ひとみ 8teen』

efb88812.jpg 佐内正史が撮影した安倍なつみの『出逢い』に続いて、グラビア畑の出身ではないカメラマン若木信吾を採用したモーニング娘の吉澤ひとみの写真集。
 普段は十把一からげにされて活動しているタレントのソロで、水着なしという悪条件。個人的にはモーニング娘はピンでは全く画にならない半素人(完全な素人のほうが撮りやすい?)と思っている。この写真集も見所は少ない。
 だが、若木は自分の血の繋がらない祖父(『Takuji』『young tree』)や、友人のマイク・ミヤヒラ(『Free for All』)など魅力的な素人を撮ると抜群にいい。優れた写真家はそういう出会いに恵まれるというよりも、写真を介してありふれた関係性を特別なものに変える才能があるのだが、それはスタジオマンやアシスタントの経験を積んでも決して得られない生来の資質である。
 今回のような依頼仕事ではその資質は発揮されにくいかもしれないが、グラビア畑のカメラマンたちの窮屈な写真を駆逐するためには若木や佐内に過剰な期待をしてしまうのである。

hustla_1_push at 19:26|PermalinkComments(4)TrackBack(1)

2004年06月10日

若原瑞昌 『月刊ソニン』

7068ac15.jpg 若原は藤代冥砂のアシスタントを経て今年独立したばかりの新人。いきなり月刊シリーズを撮らせてもらえるというのはかなり恵まれたスタートと言える。
 しかし、「撮らせてもらった」感じが否めないのも事実。
表紙を含め、ページのほとんどがネガのベタ焼き(※1)をそのまま使うという構成で、1ページ大で使われた写真はわずか12枚に留まる(※2)。一見斬新に見えるが実は使い古された手法。お遊び程度に数ページというのはよく見るが、一冊のほとんどというと話は別。裏を返すと、これは大きく使える写真が少ない、出来が良くないということ。さらにイラストレーターがベタ焼きの上から落書きをしている。もともと月刊シリーズは凝ったデザインが多いがこれはやり過ぎ。若原も自分の写真がぞんざいに扱われることに対して怒ってもいいはずだ。
 兎に角、一冊の写真集の中でカメラマンの存在がこんなにも軽んじられているのは初めて見る。かなり期待していただけにガッカリさせられた。師である藤代は今最も注目されている写真家と言っても過言ではなく、当然弟子の若原にも注目と期待は集まる。恵まれたスタートを切れば、超えるべきハードルも高い。

あちこちのサイトで「石田東 撮影」と間違って書いているのは何故なんだろう?続きを読む

hustla_1_push at 19:01|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2004年06月06日

佐内正史 『鉄火』

c1e496da.jpg 写真を撮るようになってから、年上の様々なひとから「旅行には行くつもりがないのか」と言われることが多くなった。特に「外国へ行けば自分の常識の殻が破られて写真が変わるぞ」と。しかし小生は、バブル期に青春(より正確に言えば高校や大学を卒業してからの数年間)を過ごした世代のこのような暢気なアドバイスを決して受け入れることはない。金を稼ぐのが容易で、物質の量と広い空間ばかりを求めて本来為すべき内省を怠ったまま歳を重ねた者らの感覚など到底信じられない。女を撮るとなれば「光が違う」と理由付けて、無闇に南の島へ行きたがるのもこの世代のカメラマンに顕著な傾向だと思う。或はニューヨーク、パリ、インドに行きたがる写真家。「ここではない何処か」を中年になっても探し続けている。
 佐内はどこにも行こうとしない写真家だ。しかし目的地がないままで絶えず移動している。車で、徒歩で。移動しながら写真を撮っている。近所で、いつも行く場所で。
 そういう佐内の写真もバブル世代には理解しがたいのだろう。だが、若い世代に佐内の写真が受けるのは、彼がどこにも逃げないからなのだと思う。どこにも逃げられない者達から佐内は支持されている。閉塞的な時代の閉塞的な写真だという批判もあるが、閉じた場所から出たものの強さというのもある。コンクリートの割れ目から咲くタンポポのような。佐内の花はどこででも同じく咲くだろう。それがたまたま日本だっただけだ。場に左右されるバブル世代は弱い種なのだ。厳しい場所で自分を磨く素振りをしながら、予め耐えられる程度の厳しさを課しているに過ぎない。しかし、プロとして写真を撮る上で最も厳しい場所は今いる日本なのではないか。
 荒木経惟は『すべての女は美しい』のなかで、「オレって海外とかいろんなところにいって未知のものを見たいとかあんまり興味ないんだ。近所しか歩かないし見てないんだよね」と言っている。そして、「ソウルの街を撮っても、ニューヨーク撮っても、たいがい同じような、オレがガキのころから見てる三ノ輪の街角みたいになってる」とも。
 個人的には、森山大道の写真にもパリを新宿に変えるぐらいの力はある気がする。
 バブル世代を飛び越えて、若い佐内が老いた荒木、森山と符合するのが面白い。

hustla_1_push at 04:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2004年06月05日

伊東美咲 『美咲』『Fruits』

884337a2.jpg リトルモアから伊東美咲の写真集が2冊。
 『美咲』は広告写真の大御所・上田義彦(1957)の手によるもの。一方、『Fruits』はホンマタカシのアシスタントを経て2000年にデビューした新鋭・森本美絵(1974)による撮影。
 中年男と若い女の「不倫旅行の匂い」、歳が近い女同士の「お友達感覚」。撮影者の属性はどうしても写る。
画像は『Fruits』から。


hustla_1_push at 22:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2004年06月04日

篠山紀信 『Car girl』

95530f2d.jpg      
 篠山のようなカメラマンになりたいなら車は必需品だが、荒木のような写真家になりたいなら普段の移動は公共の交通機関と徒歩でなくてはならない。
 カメラマンとは常々「いい女とかっこいい車に乗りたい」と思っている人種である。思うだけでなく実際に口にしてはばからない者もいる。対して写真家は、いつも車に乗っていては見落としてしまう風景があり、出会わないひとがいることを知っている。
 「カメラマン」の頂点にいる篠山が、「美女と名車」を撮った写真集を出すというのは象徴的だ。野村誠一が自身のホームページで「車を恋写」していることにも注目したい。カメラマンと写真家の間を行き来する藤代冥砂は、『もう、家へ帰ろう』のなかで「私がいつも車を使うので、二人で電車に乗ることは少ない」と発言しているが、同時に夫婦で散歩したり、自転車で出掛けたりもする。荒木は多分、免許すら持っていないはずで、猥褻図画販売で摘発され警視庁に出頭したとき「朝ビールを飲んでいるはずの時間に、通勤ラッシュでぎゅうぎゅうの小田急線に乗らなきゃいけないでしょ。そのときにサラリーマンたちの大変さを感じる(以下略)」と発言している。(『すべての女は美しい』より引用)こういうことがビジネス街でサラリーマンを撮った写真集『男の顔面』に繋がるのだろう。『男の顔面』は荒木の企画ではないが、それを引き受けるか断るかの判断をするときに普段のあり方が重大な影響を及ぼすことは想像に難くないし、車という個室に自らを隔離しつづけるカメラマンにはビジネス街のお父さん達は撮れないのだ。撮りたくないかもしれないが、週刊ポスト、週刊現代、フライデー、フラッシュの読者は普段電車に乗っているサラリーマンが大半なのだ。自分の写真に金を出してくれるのがどんな人か興味がないのも「カメラマン」なのだろう。
 続きを読む

hustla_1_push at 21:18|PermalinkComments(0)TrackBack(1)