Tsuioku kana17 『わたしと娘ちゃんその4』

訪問看護は週2で来てもらっているからか、なんかわからないけど、所長さんに慣れました。

なんだろう。とてもぱっと見は弱々しい感じなんだけど芯がある感じ?物腰はとても柔らかい。

電話で話してるのに両手で電話を持ってお辞儀してはい!そうです!はい!とするような人だ。


所長さんとこは24時間対応の事業所。まだ開いて浅いから人員不足やスタッフ同士の伝達不足でけっこう大変そうだ。

介護施設に入ってるのにさらに手厚く看護したい利用者さんもいて、首から下が麻痺なので管から痰取りをしに行く。ってのをするとかもしている。

うちにいる時にその利用者さんのお母さんから何日か前のクレームが来た。

24時間対応だから呼んだらすぐ来い。

というやつ。についてだ。

うちの子が30分辛かったんですよ!としばらく言ってる。

所長さんは低姿勢だからどんどんお母さんも頭が冷えてきたみたいでうちの子だけじゃないですもんね、ちょっと可哀想になっちゃって言い方もすみませんでした。今後もよろしくお願いします。って最後なってる。


最初に超絶不機嫌な声で今大丈夫ですか⁈とお母さんに聞かれて所長さんは、あぁいま利用者様のお宅にいますが、何かございましたか?と、言っているのにずっと気がすむまで話したおばさん。

わたしの利用時間なんだけど

うちの子可哀想だけどさ、わたしの時間も可哀想にしてあげてくれ。


まぁいいや。大変ですねーと言ったら、長々とすみませんでした。聞こえてましたよね?とか言うから、あーちょっと声大きかったので聞こえてましたー。と言った。


うなだれている。

所長さんがんば!ってなる。

ついでにご自分の体調どうですかーとか、息子さんどうですかーってなる。

どうやら所長さんはあんまり息子さんとうまくいってないぽい。

自分がこんな障害をもっていたから親にきつくされたので同じく息子にもなんだかきつくあたってしまってと悩んでる。

そうかなぁ。

わたしは親にめちゃんこ放置されて大変だったけど娘ちゃん大好き。と言う。

そうでなければと僕も頭では理解はするんだけど、昔の自分を見てるみたいな感じなんですよ

と悩んでる。所長さんも葛藤の中接しているのにちょうど息子さんは反抗期と重なってる。

お互いに辛そうですね。って言った。

あと、奥様にも10年くらい前から症状が難病の疑いがあるぽくて大変そうだ。

奥様は息子さんをうまく操縦出来るらしい。

所長さんは娘さんと仲良しらしい。

だからそれだけが救いかなぁ。なんとかいってる感じですよ

だって。

所長さんは色々話してくれる。

辛いことも話してくれる。

なんだかここにわたしが看護に伺ってるんですが、じぶんが気持ちを楽にさせてもらってますね。申し訳ない事なのにすごく有難いです。と言ってた。

いや。その方がいいと思います。

もしわたしに色々話してじぶんの押し殺してきたものに影響が出て困るとかあるなら別ですが、こっちは診てやってる!こっちは雇ってやってる!みたいな感じより同じ眼線でいること。お互いに楽になるような時間であるほうが良いと思いますよ。

と言った。

ここには心の休息になってしまってるほんとにありがとうございます。と言ってくれたけど、わたしこそとても有難い。

それは後日書く内容でわかるかな


わたしはここんとこ毎日が不調だ。要因はたくさんありすぎて12番も決めれないくらいだ。

身体はかなりきつい。家の中でもあまり動けなくなってきた。強いめまいで意識がぴょんと飛ぶ。

バイタルはそんなに悪くない。

これがもうベースになっていて身体がかえってきついのかな。

血圧は上80台あれば良い。頻脈なのはしってる。体温高いのもしってる。

身体頑張ってますね。と言ってくれる。

ほんとだね。心臓を動かすの大変そうね。とおもう。

気胸はわからない。肺はしょっちゅう痛いけど肋間神経痛なのかなんだかわからない。

たまに背中も痛い時はしぼんでるのかなーと思う。またあれは急に入院して管繋がり人間になるからとても面倒くさいので、自分で体重測るみたく家に簡易レントゲン撮影機みたいのあればいいのに。と本気で思う。


あと腸の具合は最近最高に悪くなってるのがわかる。

とてもやだ。

舌痛症とどっちが勝つかなくらいやだ。

口の中が嫌な感じだ。とてもつらい。

食べれるものも食べれないし、食べたあともっときつくなって悲しいや

治る方法ないって言われて、ストレスをなくす事しかないけどそんなの最初からできる訳なく論外だからこれはほんっときつい。


身体の症状は今更なのでこんくらいにしとこう


そして

最近憤慨したことをまず話したくて仕方ないのだ。

わたしの母親は園児程度の知能で特養施設に入っりっぱなしだ。もう何年だろうか。いや十何年とかだよ。

最初の突然の救急搬送の連絡から始まり2年間の入院で病院通い、ゴミ屋敷の撤去、このバカ親の借入金の返済、なぜかわたしがやたら怒られた生活保護の申請、今の入居施設への手続き、全ての関わりをわたしがしてきた。

あのろくでもない姉がする訳がない。

身元引受人、保証人、緊急時全てわたしだ。

それを3年前に自分が寝たきりになったからなんとか叔母とかを経由したり施設長にもお願いして姉にしてもらった。

した。と言っても毎月くる利用明細兼請求書兼領収書みたいなのが郵便で届くのを姉のところにしただけ。後はなんかあったら(1度もなんもない)1番の連絡先を姉に変更。ってだけだ。


そ、れ、が。

叔母の家で去年の秋からいろいろ大変だった。唯一父親とは会わないのに叔母(父親の妹)はわたしと仲良しである。

その叔母の旦那さんが突如病気の嵐になった。ずっと糖尿病だったけど、なんか調子が悪くて診てもらったら肝臓にガンがあって、かなりの大きさで市内のデカイ病院でも難しいらしく、ちょいと有名な医大から外科医が執刀にくるレベル。

入院中血糖を安定させたり他の検査もしていくうちに大腸ガンもわかった。どっちも単発だから取り除けばなんとか大丈夫だ。

叔母はうろたえる。かなりパニックだ。肝臓ガンがわかった時点でひどくパニッてたから入院するときの手続きも医者の病状説明とかも全部お願いだから聞いて。と言われてその都度同席していた。

ちょうど肺がおかしい時で(肺と知らなかったけど)左上半身の激痛からたまに意識不明になりながらなんとか立ち会っていた。

でも、おかげでガンにはとても詳しくなった。

ステージや部位によっては抗がん剤はつかえないとか、深さのレベルで放射線治療の必要かどうかとか。

叔母は全く覚えられない。小さい声で、はい。はい。しか言わない。なのでわたしが質問や治療の流れ、手術法など色んなことを聞きながら考えつく範囲で疑問係をしてそれを帰ってから書いてわたす。とゆうシステムだ。

そんなこともあり、叔母の家とはその頃よく関わっていた。

姉の話はお互い暗黙のタブーになっている。

でもふとしたある日、姉の居どころが不明な話になった。

そのときはふーん。だったんだけど、つい最近母の日ムード満載の世の中になってて気づいた事がある、


あ、その前に書いたかわからないけど、話を少し脱線します。

わたしが気胸で手術した時叔母だけは知っている。

なんせわたしが緊急で入院した日と同日に叔父が退院したからだ。

お迎えに行けないことや、しばらく音信不通で困ることがあってはお互い心配になる。

誰にも言わないでくれと言ったが、万一なんかあって自分だけ知っていた。とかになるのは嫌なのか単純に叔母は良かれと思ったのか、父親に言ってしまった。イコール馬鹿姉も知ることになる。

いまだに父親と姉は繋がっている。

姉は一人では生きていけないからすぐに父親にすがって生きてきているのはずっと知っている。


手術の前日、執刀医に呼ばれたとき身元引受人も立会いもだれもいないことを伝えてあった。

術中なにかあったら連絡できる成人の方が本当は家族控え室にいてほしい。術後説明もあるので。と言われたが、居ないものはいない。

なんかあっても勝手にしてください。あと副院長とか色々しってるからきっと大丈夫です。と適当な事を言って納得してもらった。

他にも術前に本当はいまもこの手術の説明を誰か一緒に聞いていただきたいし、署名もしてほしいのがあります。と言われたけど、これまた居ないものは居ない。

架空の人物でもいいのかな?と言ったら苦笑いして諦めていた。

なんかあってもちゃんと遺言もあるし、こうなる事以前から身辺はだいたいきれいにしてるから大丈夫だからー。

ここはUCと同じ病院だから、なんかわからなかったらとりあえず副院長に聞いてください。UCで入院する時も全然書類とか提出してないの主治医は知っているから。


そんなやりとりで何とか切り抜けたのに、とても気分を損ねてくれることをする。

叔母は善意で話したんだろうけど、術後何日もせずに父親が来た。しかもカテーテルがとれるかとれないかくらいの時。

年末なので大部屋だけど叔母、父親、わたし。それしかいなかった。

こっちは術後また肺がしぼんで失敗に終わりまた装置に繋がれた人になってて凹んでんだよ

いい加減にしてくれ。とおもう。

叔母にはわたしと両親の間に深い溝があるのはどの程度なところまでかは分からなかったんだろうけど、わたしが父親と話すとロクなことにならないのよ?……


父親の最初のご挨拶。

なーにやってんだよこんな年越しに

という。

もう帰っていいよ。

と秒で思った。

仕方ないんだよ。わからなかったんだから。で、何を言いたいんだよ。来て早々。

というと。とっても耳を疑うが、

おまえはなぁー親や姉ちゃんと仲良くしないからよー。

……

光の速さでキレたわ。

はぁ?何言ってんだよ。肺と何の関係があるんだ。あんたは家にいなくてなんにも知らなかったんだろうけどあの2人に小さい頃から今までどんだけ酷い目に合わされてどんだけの病気にまでなったと思ってんだよ。

どうせ姉ちゃんから都合のいいようにしか聞いてないと思うし、一緒になってあーでもこーでもないとかいちいち訂正する気もなかったわ!

と、言った。


あの当時お前たちが出てってからどんな事になったか父さんわからんって。

何でそしたらこっちに帰って来んのよ?

と言う。

バカだよバカだよあーバカだよ。


あんたいないでしょ?あの家にもいなかったし、すぐへんてこなババァと住んでたでしょ!全く何目線で言ってんだかマジで頭おかしくなるんだけど。

そしたら。

父さんのせいじゃないだろう!あの女が男作ってやりたい放題で出て行ったんだぞ!

父さんがどれだけあの女ぶっ殺してやろうかと思ったかわからんだろ!


もうだめだ。とてもこれはお見舞いではない。大ゲンカである。それになぜに逆ぎれなのだ。

しかも術後まだ全然息が出来ない病人が必死に怒鳴るという光景になった。

一応子供と言う立場のわたしに母親をあの女という名称を使うことで既にこいつも終わっている。

叔母はやってしまった感丸出しで丸椅子に自分ももっと丸くなって固まってしまった。間に入ってなんにも言えるような状況ではない。とても迫力のある映像だ。


とりあえず、おまえは何しに来たんだよ。ここは今人はいないけど病院なんだよ。昔の文句とぶっ殺しに行くならここじゃなく施設に行ってくれ。

と言った。

もうこの辺りでわたしは呼吸困難である。

こんなバカと話して頭に血も登って精神的にもまともにいれない。

そう。わたしはこの父親と話すととてもべらんめいな口調にどんどんなるのが嫌なのだ。

こいつは話し方がもともと色んな土地にいたり浜言葉なのか、どこぞかの訛りなのか知らないがわたしの嫌いなべらんめい口調になるから仕方ない。

とにかく帰って。肺が死ぬから。と言った。


で。最後のいらん捨て台詞

おまえが思ってるより姉ちゃんはなぁすごく心配してんだぞ。

顔見せには行けなくて、この病院の周りに車を止めてみたり、ぐるぐるまわって見てって帰ったんだって言ってたぞ?

だってさ。

なんなの?この生き物。

それはそれはありがとうございます。と私がいうの?それ言わせたくて来たの?

叔母が見兼ねてもうそろそろおいとましないと、身体辛そう。と言ってくれた。

いやいやほんと早くおいとまして。

その後何にも話してない。あれはなんの日だったんだ。と今でもおもう。

そのあとしばらくして、叔母はごめんね。

あんなにわからないひとだとは思わなかったよ。言ってることめちゃくちゃ


だって。叔母は特にいいのだ。それが叔母の天然の特徴なのだ。

普通に暮らしている人に私達のキテレツ関係は理解できる訳がない。


それで最近になって、施設にはちゃんと新しい居どころは言ってるのか?

施設で郵便物など戻ってきて困ってないのかな?

という問題が発生したのだ。

そうおもって施設に連絡したら、やっぱり住所の変更など聞いてないという。

叔母にすぐ連絡していつ頃から行方がわからないの?と聞いたらそろそろ一年?とか言ってる。


郵便物は1年間しか新しいところに行かないではないか。

仕方ないのでまたわたしが母親のやつを全部することになった。

身内の問題は施設に関係ないから迷惑はかけれない。

また施設長と書面のすり合わせなどをした。老人ホームから特養に会社の形態が変わったので最初交わした契約書が古すぎるからだ。

とりあえず保証人関係は最初の契約のままわたしになってるからとくに変えることもないけど、もう要らない契約書(いろんな契約書が膨大にある)をこれは要る要らないをやった。

あー疲れた。

それが最近ふと湧いたしばらくぶりの母親登場で憤慨したことです。

まぁ本人に会ってはいないけど

施設長はわたしの友人だ。だから全部親子関係はしっている。なので自然と話す内容は結構フラッシュバックしてしまうのだ。

現在はほぼ車椅子(右半身麻痺と強い言語障害、高次機能障害)だけど、もりもりご飯を食べてわたしより長生きするだろう。

わたしが死んだらここにも迷惑をかけないようにしとかないとならない場所である。


あと母の日をまっていたこと。

もう一つこの日にやっつけてやりたい人がいた。これも前回書いている。

人はとても脆く危うい。

何がきっかけで一瞬にして人生が変わるかも計り知れない。

ただ何気ない他人のたった一言でも

その後ずっと苦め悩み心を閉ざしてしまう。夢も希望も捨ててじぶんを見失いそうになる。


誰かを故意に傷つけることをわたしは許さない。

年齢も、肩書きも、性別も関係ない。

それをわざわざ母の日ギフトにしてあげよう。

誰かさんのお母さんをわたしは成敗しなくてはだめだ。

わたし以外にもこの先嫌な思いをする人が出ないように。


実行してみて、いとも簡単に壊れて行く。

弁解などまったくない。ぐうの音も出ない。許してほしいなど到底思いません

だった。

この先自分の人生はとっても長いと思っているようなのでどうぞ頑張って生きてください。

わたしは暴力や怒りで成敗はしない。

どれだけじぶんが愚かで恥ずかしい生物かをヤメテー!と耳を塞いで悲鳴をあげたくなるほど認識させる。

とびきりの溢れる優しさで成敗してあげるんだ。


そして病院行くなら紹介してあげるんだ。



話はまたまた題名に戻り、娘ちゃんについてはあれから帯状疱疹も良くなってはいてもお腹の具合が良くならない。

娘ちゃんもお腹が弱いけど、まだわたしよりマシ。

症状も違うのでわたしにはわからないから病院には小学校高学年から行ったけど、なんかあんまりピンと来ないな。と思って違うところに行ってた。中学の時もそこ。過敏性腸症候群(わたしが誤診されたやつ)って事でそので薬をもらってた。調子悪いときは飲む。そしたら治る。

それが今回なかなか治らん。

娘ちゃんもイラつく

その気持ちはとても分かります


娘ちゃんが通っていた内科は、わたしが今行ってる大きい病院の前に昔から通ってたところだ。

ここの院長先生はとても有名で看護師さんは勤続30年とかザラにいる。院長先生がしっかりした人だから看護師さんは看護師協会?みたいな勉強会にも出席するし、わたしの友人もここの看護師で25年以上いる。

わたしがまだ学生の頃にここですでに看護師で会っている。


そして院長先生がかなり悩んだ結果、

よし!〇〇の所行くか!と言った。

〇〇とはわたしの難病の病院で診てくれてる主治医の下の名前だ。

実はわたしの主治医はここの院長先生の大学の後輩で今でもかなり仲良しである。

夫婦揃っての家族ぐるみの仲良しらしく花見とかもするし良く食事もするらしい。


娘ちゃんの付き添いで来るとき、あまり混んでないとたまにわたしの世間話をする。わたしが今難病でその先生に診て貰っていることは知っているから調子どうだい?あいつに任せとけば大丈夫だ!とか言ってくれる。

わたしの友人の看護師も、ウチの院長が呼んでたまにここの患者さんの内視鏡してもらう事あるんだよねー。でもわたし達は大変なんだからー!

すごい怖いし少しでももたついたから怒鳴るし!

と、わたしの知らない一面を教えてくれる。


えー?すごい優しいよー!診台に上がるとき靴とか脱げなくてもたついてたら、全くーとか言って脱がせてくれるし。一緒に写メとか撮るし、めっちゃわたしのくだらない話とかも聞いてくれるし。


と話すと、あー患者さんをほんとに大切にするからねー。だからわたし達が助手で入ってる時にもたもたすると患者さんの身体の負担になるから怒鳴るんだよね!


あーそうなの?

ほんといいやつだったんだね。と、改めて思う。


院長先生は結構お歳だ。で、後輩はみーんな有名な医師になってんのになーとか言ってる。

ここも有名だけど、入院施設のない個人病院だ。

わたしの主治医はデカイ病院の副院長とかだ。

それでもこの院長先生を尊敬して慕っていて何かあれば飛んでくるようなお付き合いをしているみたいだ。

看護師の友人から〇〇先生の奥さんね、めっちゃ料理凄いから!

もう料亭か?って感じなの!

ウチの院長の家に遊びにくる時大量に持ってくるから、わたし達にもおすそ分けくるんだよねー‼︎ほんと凄いんだからー。

と、いろんな裏話を聞ける。


そして、その日のうちに娘ちゃんに〇〇のところ行っといでー!って言って紹介状を書いてくれました。

その足で行っていいからねー!

だって。


娘ちゃんはうろたえる。

当たり前だ。

突然のことである。

行って何すんだよ?

って顔をしている。


多分今日は症状とか聞いて出来る範囲の血液検査とか改めて必要な検査の説明とかするんじゃないかな!

って言って病院に向かった。


つづく。



Tsuioku kana16 『わたしと娘ちゃんその3』

本題に入る前にいやぁーいま頃やるのかよ?

と一人でぐちぐち言ってた事を書きます。

とてもくだらないからなるべく手短にしますね。


今やってる医療系のドラマで前回の話にバンドでギター弾きの若い女の子が肩が痛いと病院にきました。

で、レントゲンを撮ってもなんも異常なし。

医者は様子見ましょう。

だったのが、近くライブがあり、それまでに良くなるの?わたし。みたくなって、そんで放射線技師とやらが心配していてなんか様子が気になる。とかいう話。

肩が痛いと言ってるけどすれ違ったとき背中の方までさすっていた。ってなって、それで、医者の反対を押し切り(いつも医者のいうことを聞かないで勝手な事をする人たちのはなし。)レントゲン技師がその子をもう少し検査したいと強引にやるのだ。

で、肩じゃなくちょっと広範囲で撮影したら気胸だった。っていうやつ。

で、ドラマの医者も、気胸は急に胸が苦しくなって呼吸出来ずにすぐわかることが多いけれど確かに肩や背中の痛みから来る人もいるのにそこまで考え付きませんでした。

とか言って、この子は黒い影が少しって言ってたからそんなに重症じゃなかったのか、すぐに検査してもらえてわかったからか医者に、

ドレナージ法だけで治ります。

23日から1週間でよくなるよ!ライブには間に合うよ!

良かった良かった。

だった。


このドラマは窪田正孝が出てるからきっと見たので2シーズンくらい前にやって欲しかった。


わたしは10月から肩と背中が痛いのも、骨の方まで痛い感じだったから、ばかみたいに思いっきり硬い棒で叩くと楽になる法などをあみだして凌いでいた。今考えるととても恐ろしい事をしている。

ドラマの中のセリフでも肩が痛い。で気胸だとはなかなかたどり着けません。とか言ってたけどさぁわたしはなんかいつもあちこち痛いからUCの主治医ももうどうでもいいと思ったのか、しばらく様子見て治らなかったら整形外科にまわすよーとか言われその時レントゲンさえ撮られずにいた。

肩痛い、背中痛い、肋骨痛い

とかで検索しても全く気胸の気の字もでない。2か月の間何度いろんなキーワードで検索したかわからん。

気胸がわかれば気胸で検索すると肩などが痛いという人がいる。

と出る。もっとネットもちゃんと頭良くなって対応しといて。

おかげで長いことがまんしてあんなことになったんだけど、ほんとにとにかく運の問題なのか知らないが、当たりたいやつに当たらないで、当たりたくないやつに当たるし、時期ももう少し遅かったら、早かったらが悪い時期に方のやつの人になる。

という話。


あと、予定通り53日に精神的な方での訪問看護さんがきました。

今後週2190分お話します。

前に少し話しましたがこの所長さんも自身で抱えてきた問題、そして息子さんも同じだということ。


初めての日、わたしはじぶんの事をやっぱり深くまでは話さなし、笑いありで話してしまう。

あと今はもう筆談などはしないが、向こうに話せさせてしまう癖がとれない。

ある程度時間もたち、慣れてきてから、わたしの事は苦しめているものをメモかよ?という感じで並べるように話すかんじ。

看護師さんだからバイタルチェックもしてくれるし、気胸のままらしいから色々気にしてくれる。


まぁ、結論。どうすることもできないのばかりだ。

これからだと思おう。話しを続けていって色々変わって行くだろう。

そしてきっとわたしも多少なりとも気持ちが救われていくとおもう。

この夜、わたしはLINEで本日は初日ありがとうございました。の文を送った。

所長さんからは、


「私には〇〇さんがどれ程のものを抱えているかまだまだわかっていませんが、私なりにその重荷を軽くする方法をお伝えできればと思っています。

今日は初日という事もありどんな方かな。と思いならがおはなし出来ました。

わたしが勝手に思った事ですが、あなたはご自分では全く気付いていないみたいですが、アドラー心理学を自然に身についたことをしているな。とおもいました。

わたしはアドラー心理学も学び、それを今関わっていただけてる利用者さんには使わせてもらう事があります。

では、今度またゆっくりお話しできたら、と思います。」

と、お返事がきた。


アドラー心理学という言葉すら知らなかったから意味もわからずとてもビックリしたので得意の調べるひとになったけど、なんせ哲学?っていうの?こうゆうのは理解できない事がとても多い。

勘と閃きオンナだからダメだ。そうゆうの右脳タイプだっけ?

これは所長さんが自分で感じたこと。

で特にいいや。



ただわたしの話からはとても脱線するが、前回来た時に所長さんも苦しんできていたという発達障害について最初に来た時いろいろ聞いていた。

少し前の記事でろくでもないいちゃもんをつけて来てオカーさんに言いますよ!

ケーサツ呼びますよ?

のやつの人について。


わたしがとてもいやぁー疲れました的に話しが始まったけど、じぶんなりには本当にかなり忍耐強く接してきたつもりだった。

でも、捻じ曲がった感情に支配されて暴言や人の心を踏み潰してじぶんをコントロール出来ないとなるともうお手上げだった。

この頃はわたしはほかにも大事な事を抱えていてとても疲れていたのもある。

そんな話をした。


来るものはどんなものも拒まない。

去るものも追わない。


それはずっと変わらないつもりだったけれど、間違いや、考えればすぐにわかるような被害妄想も自分の頭にこびり付いて囚われてしまったら、彼はもうわたしの話したいことを全く理解してもらえないからとても攻撃してくるし会話にならない。

同じことを何回も何回も違うんだよ、そうゆう意味じゃないよと言って、疲れてしまったしそれでは彼には意味がないと思ったし、彼にとってもずっとアドレナリンが出続けてて良い事ではない。

そう思ってこの人からは逃げたくなった。


所長さんには詳しいやりとりは話してはいないが何年にもわたってこんな感じの人とやりとりした結果わたしも嫌な思いをしたし、とても残念なことになった、

と言った。


わたしは大人のADHDとアスペルガーと自閉症スペクトラムのどの部分が一番厄介で当てはあるのか結局はわからなかったんだと思う。

発達障害は総称だ。とても複雑で訳がわからん。


こんな感じの人(彼の特徴)には何をすべきだったんですかね。と聞いた。


所長さんは、薬はありません。病院も必要ありません。

なぜなら彼を治す。変える。はしてはいけないから。

先天的なものにはもう周りのサポートのみです。

家族、恋人、会社で信頼をおける話せる方。そんな周知の中でより彼が生きやすくストレスを溜めずに過ごせるかだけです。


そうなんだ。

わたしはあの時一緒になって、怒りをぶつけた。あまりにもわからないからお前はほんとのバカなのか?まで言っている。

所長さんの話から、わたしが生半可に関わること自体がおこがましかった。

普通の状態の人びとの社会の中でさえ、じぶんの考えを押し付けたり、じぶんが正しい人間だと思い込んで他人にこうした方がいい、こうしなきゃダメだなどというのは恐ろしい洗脳ではないか。とても愚かで醜い話である。

みんな自分自身については自分の生きてきた道があり、それで身に付いたやりかた、考えがあり、それでこころ穏やかに過ごせる工夫をしているもの。

それだけだ。

わたしなど親でもない。ただ向こうがある日近寄ってきた他人のひと。

ただ慣れない土地で色々な場所やご当地あるあるを教えたり、最初の家が欠陥物件だったので転居した時は各種届け出、変更、業者への伝達などが出来ない事が多いので代行したりしただけ。

いくら初めての一人暮らしではあるが、最初のところに引っ越してきた経験はあるのになんにもわからないのが不思議だったけど、この地に行きたい。だけは彼が決めて、アパートをお父さんが遠く離れた自宅から不動産屋のネット物件で探し、彼の自宅の荷物さえ物が多すぎて訳も分からない状態だからそのまま全部荷造りもし、引っ越し手続きまですべてやったらしい。彼は先に学校が始まるのでこちらに来なくてはならなかったからお父さんが必死に探して荷物を入れ終わるまで、1か月もの間ビジネスホテルに泊まって学校に通っていた。

だからだったんだ。2030とか若い年齢でもないのに何にもできないし分からない

とんでもなくぶっ飛んでるな



わたしが彼にとった行動は彼を余計に追い詰め、意味も理解出来ないのに過剰なストレスを与えただけに過ぎなかった。


逃げ出したことは、今まであんまり感じたことのない、もやつく感情になった。

そしてわたしが彼を傷つけてしまったんだなぁ



そんな中ちょうど一ヶ月が経った4月の終わりに彼から電話がきた。

所長さんからそんな話を聞いて10日くらい経った頃だ。

聞かなかったら当然わたしは無視しただろう。ただわたしの中の自分を許せない何かがあったから電話に出た。


とても泣いて何を言ってるのかわからなかった。

寂しい寂しいと泣いている。

わたしは正直に気持ちを伝えた。


何もわかってあげられなかった、

ごめんね。わたしがあなたの特性を一番ここでは知っていたのにあたまがおかしくなるくらい辛い気持ちにさせて、お互いにただ傷をどれだけ多くつけてやるか。

そんなだった。

わたしなんかには支えるとか寄り添うなど、とてもおこがましくて言うつもりはない。

この土地にはあなたの深層部分を知るひとはいない。こんなにも生きているのが厳しいのなら地元に帰ってご実家のみなさんやたくさんの方が周りにいる地元でサポートしてもらってほしい。


と言った。


彼は

親も兄弟もきっとじぶんがここまで酷いとかおかしいとわかっていない。

じぶんもわかってなかった。

じぶんはとても精神的に強いと勘違いしていた。怖いものなどなかった。ずれていただけだった

だけどそれをするとどうなるか。がわからなかっただけの精神的にとても弱い人間なんだと初めてわかりました。

ごめんなさい。

だからまたじぶんの側にいて欲しいです。必要な人なんです。と謝りと気持ちを伝えてきた。


これはまたわたしを悩ます。

わたしももう辛い、病気のひとなのはわかっていても人の気持ちがわからない特性のためとても嫌な思いや困ることをされる。

こっちが先に参ってしまう

ちょっと距離を置いてやすむ。

そうしないと完全に共倒れになるだろう。


はい。では。

娘ちゃんの事もどんどんこの場で話せるようになり、そろそろ核心をつく事。言いたい事も書いていけそうです。


Tsuioku kana2Tsuioku kana3の間が少し空きました。そのときに今の今になってコレかよ。とわたしの精神に核爆弾を投下されるほどに破壊していただける出来事のオンパレードでした。


2018.9.3にわたしの脳みそが一度死んでます。

わたしは自由です。

わたしは自由ではありません。

になった日。

そして、死んでも苦しむねぇということがおきた日。


まぁ、わたしが苦しむ事はカミングアウトしたからわかると思いますがじぶんのことではなんにもない。じぶんに興味ない。明日の昼ころ死にますよ。と言われてもきっと平気な人だ。

普通に寝て(不眠症だけど。)朝同じ時間に体組成計にのるだろう。

死ぬ日の今日も体内年齢28歳のままだ!やったー!って感じだろう。

この出来事がわかる前のじぶんならね。

そして予定通り、じゃあねー!ばいばーい!って逝く。


でもここに来てわたしの人生設計をとんでもなく変えなくてはならなくなったので仕方ない。


手始めに、去年2018年の7月末頃からなぜか娘ちゃんがとても不調だ。


まず。お腹にプツプツとあせもみたいなのが出てきて、なんだろーってなって、薬を何日か塗っても治らずどんどん広がる。

で、風邪をその前からよく引くようになっていてなんか抵抗力弱った?ってなった。

季節の変わり目からだったからずっと風邪とお腹の調子が悪かったりでほんと字のごとく不調。の娘ちゃんである。


これはなんかあせもではない。


と思って皮膚科に行ったら帯状疱疹です。

と言われた。

それってこんな若い子なるやつだった?とか思ったけど、水ぼうそうの経験があって体力低下でなります。って言われた。

水ぼうそうをまともに2歳になる前くらいにかかった。

これはとてもムカついたのではっきり覚えている。

チビのこの時期とかめっちゃ予防接種が多い。しかも三回打つやつとかポリオ飲むやつとかそうゆう日にちが決まってる以外で打てる時期を計算して合間合間に麻疹風疹の予防接種やおたふくもやったりしてとにかく予防接種スケジュール帳がいるくらいだった気がする

で、もちろん水ぼうそうも予防接種しようとしていた。

で、も!

ドラッグストアに買い物に行ったら(娘ちゃんももちろんいつでも一緒)なーんか遠くに顔がプツプツした女の子がいる。


これは!と思ってその子から遠いところにいた。

で、そのひとたちが帰ったから、しばらくしてレジしたんだけど、そのレジの空気中でミスボー菌がいたぽい。

とんでもなく恐ろしい感染力だ。

それから潜伏期間もしっかり合致していてかかってしまった。

すげームカついた。


そのときもムカついたが今回水ぼうそうをしていなかったら帯状疱疹はならないことを聞いてまた凹んだ。

若い子はお年寄りより痛みはあまりないと言われて、23週間飲み薬、そして診てもらっていいよーってなるまで塗り薬。

結局夏休み中ずっと帯状疱疹のことばかりの娘ちゃんだった。


これはこの先もなるから体力使いすぎで疲れたらポチって出てきたら帯状疱疹を疑って行かないとならない。

放置では治らないから病院に行かないとだめだから覚えておく事。になった。


こんなのマジで手始めの赤ちゃんレベルだ。

その後から現在に近付くまでどんだけのペースで書くかわかりませんが娘ちゃんに巻き起こること、その様子、そしてわたしの様子や気持ちを載せて行きたいとおもいます。



あと、本日は母の日だ。

もちろん母親に何か。などない。

でも、ちょうどこの数日前から母親に関わる問題がありとても憤慨している。


それともう一つ、何日経っても思い出してはわたしを苦しめる事をいわれた人をこの日に成敗してしまいたい。という事がある。

それもまた書ける時かきます。



皆さんは穏やかに、仮面なのか、ほんとに好きなのか知らないけど、良き母の日をお過ごし下さい。

Tsuioku kana15 『わたしと娘ちゃんその2』

娘ちゃんはわたしがブログを書いてることは最初の頃から知っている。

書いてるのはじぶんのことだけー!って言ってきてて、たまに娘ちゃんと関わった人や知ってる人のはなしがあると強烈なところは端折って読んで聞かせていた。

いつも笑い転げる。

めっちゃ面白そう!読みたい!

と何度も言われてきたけど、今までの内容がなんせコレだ。

衝撃でアタマがおかしくなってはいけない。

なので、娘ちゃんが20歳になってからか、わたしが死んだら読んでいいよ!としている。

じぶんが産まれたあと、記憶がいまもある頃からのじぶんやわたしの生活環境ついては大体の事は覚えているので読んできかせると、あー!あのときやっぱりー!とか納得してくれる。


つい最近、自分の話。って事に決めてたから絶対書かないと思っていたんだけどさぁー、なんか書きたいと突然思ったからキミが出てきてるんだよ!

と言ったらもっと興味を持ったので前の2話は大体の部分を読んであげた。


大笑いして、そして?そして?と言って喜ぶ。自分のバカっぽいやつとかには、しんどーい!とまた大笑いする。

まぁ特定はされないから。だいじょぶ!

と言ってある。


で、あーでもなんかわかるよ。書くつもりじゃなかったけど、わたし(ずっとわたしにしてるけど、娘ちゃんはじぶんのことを名前でいう。)が出ないと話がおかしな事になるんだろうねー。と、理解してくれた。

まぁね。そうなんだよねーこの先のことが一番書き留めておきたいんだよねー。

と言っといた。


とにかく早く読みたいらしい。

娘ちゃんとは普段からお互い暇な時カフェに行ったりドライブしたりする。

それをツイッターやインスタにあげたりするから、これも間違っても載せるなよ。

とは、おもう。


最近はかなりのペースで家の中のものを片付けたり捨てているので懐かし系とかに手が止まるから娘ちゃんも尚更いよいよお互い旅立ちの日が近いなーと思いにふける。

わたしのはほとんどが捨て。でいい。

あと、この家の中の白物、黒物家電はだいたいのものを全部そっちにあげる。といってある。揃えるのは最初からは大変だから。

あとは娘ちゃんの押入れは凄いことになっている。

なんせフィルムで貼るゴツいアルバムが一体何冊あるんだよ。

ってくらいある。

娘ちゃんの産まれた時から今現在までのだ。

スタジオで撮った100日とか一歳とか七五三か入園、入学などの台紙がちゃんとした写真館のものや、かなり大きなパネルみたいなのもある。

他にも幼稚園、小学校、中学校、高校の今現在までの教科書やノート、学校からのプリントも全てまとめてとってある。

給食だよりとか、きっと大人になったらなんつうものを食べてる時代だよと面白いとおもうだろうとか。そんな理由。

あと、保育園、幼稚園、中学校の制服等一式。

でも幼稚園の時の工作はどうなのかな?と思うものが非常に多い。ただ折り紙を丸めたものとかだ。ゴミにしか見えない。


娘ちゃんにはこの家自体お互い引っ越すから無くなるし、ご存知わたしには実家はない。

だから、自分の小さい頃のものとか大切なものを持って行ってもらわないとならない。

お雛様もガラスケースのだけど、自分の身代わりさんだから持って行かせて必ず毎年出してあげないとね。

わたしは娘ちゃんのものは本当に大切なのしか手元に置かない。わたしが死んだらわかるようにしておくのでその時にそれらは自分で持っているといい。

娘ちゃんは年内にその大量のゴミみたいのも含めた思い出の品を分別しなくてはならない。

これは、介護のヘルパーさんにも手伝ってもらえるのでなんとか進めていこう。



話しにもどります。


離婚後すぐにわたしは着々と準備を進めていた事業をはじめた。

娘ちゃんについては戸籍上もちろんわたしが親権を持っているが、ヤツがとにかくわたし並みの奇天烈人間なのでお金をかけて裁判所で娘ちゃんはむこうからの除籍までしている。

なんかあって娘ちゃんのところに面倒なのが来たら困るからね。


食品衛生法により自宅での製造は保健所の許可がおりないので、一戸建てを借り、基準に合わせた内装工事をした。

この頃の事は前々から記事にも書いている。


自分一人で出来る範囲でする。

って決めていたので宣伝も何もない。

店舗でもないから来るお客さんもいない。

知り合いだけ。から始まって、口コミのみ。

最初の保健所の許可がおりるまでは審査を受けるのにこれはこうするとかすごく細いわ。とか思ったけど、始まってからは楽しくて仕方ない。


たまに娘ちゃんもきていた。

作業場には立ち入り禁止だが、戸建なので仮眠室もあるし、応接室兼事務所もあるし、二階部分は仕切りを全部取っ払ったのでとても広い。もともととても大きな家だった。

裏には公園があったので娘ちゃんは色々と探検もしていた。

隣に住んでいた謎の老人さんだけは気をつけるのだ。と言っとく。なんせ何時ぞやのかわからないサーターアンダギーをくれるからだ。


そんな娘ちゃんも中学に入るととても忙しい人間になったけどね。

わたしは自宅と工房を行き来する日々。

身体がどんどん蝕んでいるのは忙しさの中での疲労なんだと自分ではもう区別もなつかなくなっていた。

どんどん忙しくなる。

小売はないが予期せぬ受注がやってくることもある。わたしは自分の仕事に対しては完全なるイエスマンだった。

何年かすると身体は言う事をきかないまま精神力だけでやりすごした。

そして三年前身体が全く動かなくなってしまった。

その年に難病もわかり、落ちついたころ、このブログを書き始めたのだ。


半年近く寝込んだ話をした頃。

その春は娘ちゃんの中学の卒業式、高校の入学式もあった。

前の年の高校の入試に関する時はなんとかまだまともにいれた。


真面目、ランクもクリア、部活などで築き上げてきたもの、そんな娘ちゃんは推薦でしか入れない専門学科の高校に、まずは10月の校内推薦も通り、あとは一般入試より一足早く推薦入試がある。倍率の高い学科だったのでひたすら進路指導の先生と練習をしてその時を待つだけだった。

年が明けて2月。面接と作文だけの入試だったがそれもなんとか合格した。

やっとこれで娘ちゃんの方向性も決まってきた。


これまたわたしの独りよがりの教育方針だけど、娘ちゃんが中3のとき15歳の誕生日を迎えたあと、わたしの思いを話した。

15歳になり、中学を卒業するともう義務教育は終わる。そのあと学校に行く人もいるし働く人もいて自由だ。じぶんで将来を考え、進む道を決めてください。

あと、犯罪ももう子供だからと軽罰にはならないよ。

と、いうやつと、

高校に入ってすぐに話したのは、18歳になって高校を卒業したら家を出て一人暮らしをすること。

だ。

娘ちゃんはわたしに言われなくても高校に入ってすぐからこの土地よりも都会で就職したいと言ってきた。行きたい地域があったし、だいたいの職種も自分の中で決まっていた。


女の子の一人暮らしは初めはとても大変かもしれない。だけど家庭を持つようになるには必ず必要なことだとわたしはずっと思っていたから是非とも頑張ってほしい。

一人暮らしもそうだが、18歳になると自分自身において全て責任をもって行動すること。

何かがあっても自分でいっぱい考えて解決して行かなくてはならないからね。


わたしはほんとうにどうにもならない絶対絶命のピンチには必ずなんとかしてあげるから。

だからやれることは自分のちからでやりぬいて。生き抜くちからをしっかり身につけてね。と言っていた。


中学の卒業式をあと少しで迎えるころわたしはほぼ寝たきりだった。


病院以外、外に出ることが無くなっていた頃は娘ちゃんも大体のことは口にしないだけで感じていただろう。

卒業式にはおむつをして行った。

蛇口をひねりっぱなしのわたしの消化器官はもう為すすべなし。


でもまだだ。まだ少し時間がはやい。

高校に入るまでは全てを打ち明けないと決めていたから。


高校に入り少しは学校にも慣れた頃の初夏、記事通りわたしはちゃんとした病院に、行ってくるわ

と、なり、娘ちゃんにも話をするときがきた。


最初の頃は工房にしか来ることを許さなかったが、この頃に一緒にいた彼はわたしの友達だということになっていたので、たまに娘ちゃんとも遊び仲間になり娘ちゃんのことが大好きだった。可愛くて可愛くて仕方なかったぽい。そのうち自宅でも遊んでいた。

今も高校から街に遊びに行きたいんだけど。と連絡をしたら喜んで迎えにくるような人だ。

外食もわたしが全然食べれないし、外に出ることもままならない。というのもあって、娘ちゃんはあれ食べたい!これ観たい!と言っては2人で出かけて行ってた。


当時娘ちゃんには辛いすがたはほとんど見せてない。ただ寝ている人。って感じだ。

痛いと叫びたい。のたうち回りたい。そんな時も娘ちゃんがいる時はじぶんに呪いをかけるようにひたすら、動いたら負け。みたいな我慢大会だ。

彼が見たお互いの涙と、記憶にない死にたいなぁと言った時、娘ちゃんはスヤスヤと眠りの中だ。

娘ちゃんは睡眠時間がいまでもとんでもなく長い。

小さなときから8時に就寝。中学で9時。そんな毎日だったので大晦日さえ年を越せないくらいに眠りが必要な子だった。


年号がこの前変わったが、お互い普通の日にしか思っていない。

テレビもあんまりわたしが見ないのと娘ちゃんはイヤホンでユーチューブばっかり見て大笑い(イヤホンでわからないのかとてもうるさくてびっくりする。)して暮らしていた。



彼とは病気が確定してすぐに別れたことは記事に載せている。

ついでにこの彼のお母さんのこともかなりクソミソに言っている。

本当にひどかったのだ。

あの時には書けなかったけれど、最初に会った頃、2人だけでカフェで話すことがあった。

場所はスタバだ。スタバはそれからどこのにも二度と行ってない。

その時にお母さんは沢山の本音を言ってきた。

もちろん可愛くて仕方ない我が息子の心配だ。

わたしのことしか書いてきてなかったが、実はわたしは、このお母さんが嫌いなのは、まだ見たこともない娘ちゃんの事を散々言われたからである。


ただでさえ彼は何個も年下なので、さぁこれから良い人見つけてもらおー!

と、母親は思うだろう。

なのに相手はこれ。(わたし)

子持ちで素性もなんだかよく分からん人。


そこからしてもうアウトなんだけどね。

てか、散々色々聞いてきたけど殆どの異性の母親は誰が相手でも気にくわない。

早く良い人見つけて欲しいわぁー。とか言っても、できたらめちゃくちゃ文句を言う。

うちの子がいいようにされてないんだろうか。

でもさぁ、どの口が言ってんだよ。

と思うけどね。


この彼のご一家は彼も含めて前の人とは一転して超ぶさいくしかいなかった。

お母さんは100キロくらいなはずだ。きっとないけど、まぁ見た目そんくらい。

で、書いたけど、とにかくなんでも思ったまんま考えずに口にするし、あんま上品な言葉遣いじゃない。ちょっと乱暴な感じだ。

男の子3人と女の子1人育ててきたから仕方ないのかな?


前の記事で書いたけど、ほんと異性の親子の歪み(ひずみ)はすごい。

まず大体のお母さんが声に出していかにじぶんの子供は素晴らしいかをうったえてくる。

心の中だけにとどめてほしい

そして自慢話が半端ない。

小さい頃なんだかをして優勝したとか、

上の子はねーとか、

いやいや兄弟の話まではいいってば!

と思うが全部言わないと気が済まない。


そして一通り聞いたけど、なんの変哲も無い話だったりする。

そして都合の悪い話しは貝のように口を閉じる。


彼からわたしについての大体の話し、離婚していて前の人とはもう会うこともない。結婚生活は苦労していたとか聞いてるんだろう。

てか。

離婚してる。って時点で人間性に問題あり。はい、人間失格。と烙印を押すようなお母さんだ。


娘ちゃんのことを言われてとても辛かったのは、

「お父さんは離婚したあとなんにもしてくれてないんでしょ?養育費とかもくれなくて、連絡もつかないような人なんだもんね?

あのねぇこんな事言いたくないけど、子供ってちゃーんと血がつながっているの。

だから、娘さんにもそのお父さんの血が流れているから気をつけなさい。」


だった。

とてもぶん殴りたい。

お前より礼儀も態度もちゃんとしとるわボケ。

血だ血だ騒ぐがそのお前の血の息子どもよりもちゃんとしとるんじゃ。


と言ってやりたかった。

すごく悔しかった。


わたしとおんなじ事を娘ちゃんまで言われちゃったな。

わたしにはあのナマハゲクソババァの血が流れてる

これも当時の記事に書いたけど、血だな!って言われた事があったけど、さすが親子だね。

でも息子は心を入れ替えて許しをひたすらこうて工房の雑草取りしておったわ。


彼のお兄さんに関してはほんとうに人間失格はお前である。と言いたい。

わたしの素性をお母さんに聞いてるのかしらないが、

「近い親族に前科のある人はいないですか?」

と言われた。

自分様はご自衛隊でございます。

なのだ。自衛隊の決まりなんだかしらないけどそうゆう親族がいるとなんかダメなんだろうか?

わからんけど、わたしの親族はそこまで悪党ではない。

ただあの当時わたしの虐待で捕まっていたら違うのか?

どちらにしても、わたしにこんな質問を、おはよう!みたいに気軽に聞いてくるやつだ。

もしあの時ありますよ?と言ってみたらどうなるのか今更だけどしりたい。


とりあえず

このお母さんも書いたか忘れたけどしっかりやっつけた。

わたしはかなりイカれたところまでたどり着くと人をいとも簡単に粉砕する。2度と元の状態になることもできないほどにやる。


お母さんにも付き合ってたときに

「病院なんか行ったこともないわたしがおかげで病院通い」

と言われている。巨デブだったがもやしみたいになっている。


娘ちゃんは今はわたしという生き物をとてもよく知っている。


みんなわからないからねー!〇〇ちゃん(わたし)は、いつもぽわんとして、何ごとにも怒りませんの。みたいにしてるけどわたしの事について怒らせたらこの人より怖い人見たことない。

バイトでやたらキレ出す人とか見るけどおかげで全然怖くないもん。

とか言う。


その通りなのです。


精神科送りにしたのは、このお母さんともう1人いる。


彼は大変だ。じぶんの母さんはとんでもなくわたしをキレさせてしまったのだ。

今現在3年経つが別れたあともいまだに娘ちゃんが大好きだ。

そしてやらかした後始末をちゃんとしている。

しっかりと落とし前をつけている。

娘ちゃんが就職するまで不憫な生活にはならないようにしてくれていて、

娘ちゃんの頼みはほぼほぼイエスだ。

そしてわたしもお母さんをやっつけた後はとくにもうどうでもいい人になるから別れても彼とは普通に話す。


ずっと毎年シリーズで欠かさず観ていたスパナチュと、ウォーキングデットと、グリム(これは終わったねーかなしいー)の海外ドラマを一緒に観てたんだけど、今は借りてきてもらって観終わったら渡す。とかしてる。


娘ちゃんがいつか結婚する話をするだけでとても熱くなってそんなの一回連れてこい!

とか言ってる。

ほんとの父さんより父さんだ。

そんなのもあと1年で娘ちゃんはきみの近くからいなくなってしまうんだ。娘ちゃんロスにでもなっておくれ。


まぁ娘ちゃんの方は言われなくても心配無いけどね。

娘ちゃんはとても強烈に慎重なのだ。

いまどき付き合うひとは結婚するひと。

とか言ってる。

お相手の希望は、

優しくて誠実な人。ちゃんとしてる人。コンビニとかの店員さんとかにも礼儀正しくできる人。お酒とタバコとギャンブルをやらない人

らしい。


ほんとにわたしと大違いすぎて恋愛話は全く話にならない。

わたしの恋愛話しを興味深く聞いてくることがあるが話してあげると宇宙人にでも遭遇したかのような顔になる。


あ。でもわたしも酒飲みとは付き合わない。

きれいな飲み方をできる人はほぼいない。

わたしと付き合うならやめてもらえるか、やめられないなら最初から付き合わない。


娘ちゃんと話すのはとても楽しい。

バイトの休憩中にムカつく事があったりするとLINEがくる。

そのやりとりはこいつは母親の言うことではないよ。というのが娘ちゃんは楽しいらしい。それでお元気になるならいいのだ。


娘ちゃんはわたしの太陽だ。

眩しすぎで涙がでる。




Tsuioku kana14 『わたしと娘ちゃんその1』

三つ子の魂なんとか。というので3歳までは一緒にいる時間をなるべく大切にし、最低限の仕事をしながら生活費のほか色んないらん出費(元旦那の母さんのやつ)があったので不足分はわたしの貯金で暮らした。

それから保育園に入れてからはほぼ家事雑用含めたら24時間労働のように働いた。

これは睡眠障害だからなせる技だとおもう。


園にはいつも朝は一番で来るくせに帰りはギリギリになって迎えに行った。

そして買い物して帰ってきてからご飯、お風呂。そしてまた仕事に行く。

ヤツ(元旦那とか面倒くさいからこれにする)はカップラーメンを作れるかどうかのレベルだった。袋のインスタントラーメンは無理だ。

お湯も沸かせるか沸かせないかなのだから。

ほんとうに恐ろしくネジが飛びまくった生活をしてきていたんだろう。

特に暴力とかないし、喋らないし、家の中の酸素が減るというだけの、無害なやつだが、それと同時に仕事の時だけ留守番して居てくれたらあとは居なくてもいくね?ってやつだ。


ただ子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。

でたでた。この説は一体誰案だよ?

三つ子の魂百までとやらは調べてみたら諸説あったけど、その頃までに自我や感情、感覚などにとても影響を及ぼす時期ぽいから従ってみようと思ったけど。


ヤツは顔だけは良かった。

園の保護者の方々に12を争うイケメンパパと言われていた。


そういえばヤツの家系は美形だ。お母さんも若い頃参観日にくるとかなり目立つくらい綺麗だったと義理姉に聞いたことがある。

3回くらい結婚しているけど。

義理姉も痩せたら顔自体は整っている。

もちろん義理妹も綺麗な子だった。


ありがたいことに娘ちゃんは父親の家系をついでかとんでもく顔がかわゆい。背はちっこいが(1567くらい?)

あと、ただヤツは肌が地黒だった。


でも娘ちゃんはそこだけはわたしに似てくれた。

今もだけど肌は黄色的じゃなく白人的な真っ白でとてもかわゆい。わたしはどっちかというと娘ちゃんより黄色的な真っ白だ。

それだけで小さい頃、外を出ればいつも通ってるスーパーのレジのおばさんが自前で買っておいたアンパンマンのチョコとか飴を用意しといてくれて、娘ちゃんが来るのを待ってて頂いたりしていた。

娘ちゃんは愛想もとてもよろしい。

人々をイチコロにする。


人はやはり顔だけじゃなく愛嬌の良し悪しが生きてく上において関係するのだなと改めて学んだ。


ただスーパーに行くときは少し勇気がいる。

外で隣の建物との間の狭い場所の1箇所を毎回見る。

じっーっと見る。

で、何でいつもあの人はあんな所にいるの?

と聞いてくる。

そう。凡人には見えないやつだ。

今日は言わないで。

と毎度思うけど毎度言うので最後は付き合うようにした。

あら。ほんとだねーそれがお仕事なんだろうねー

なんつう仕事だよ。と思うけど、それで納得するから良いのだ。

だが、家の中でもそれはあった。

お願いだから教えてくれなくていいんだけど。

いつも小さい子がいると言う。

これも見えてはダメなやつである。

静かだなーと、ふとした時に娘ちゃんを見るとじーっと電話台の横っちょとか見ている。

顔をみているならば言う通り小さい子の背丈くらいのところを見ている。

で、あそぼー!とか言い出す。

もはやうちは一人っ子ではなくなっている。


これは未だに娘ちゃんは、あー!いたよねー‼︎とか言ってるけど、いねーから



娘ちゃんは園でもとても快活で素直な子供だった。

ただ回旋異常で産まれたからなのか人とはやることや出来ることが真逆で面白い。

お遊戯もみんなとは全部が反対周りだったりする。普通縄跳びは前まわりからが簡単なのに後ろまわりからが得意だった。

前転もだめ。後転が簡単らしい。

娘ちゃんを見ているととても面白い生き物だった。

園の先生には書き物系は生涯ずっと残ってしまうのに、連絡帳にはいつもみんなと違うことをします。とか、とても個性的です。と書いてある。ただじぶんが反対周りを直すとか教えるのが面倒くさいだけだろうが。

暴れたり、いう事をきかないとかではないんだから。

それに子供であれ、ニンゲンは誰一人同じニンゲンなどいるわけがないだろうに何が個性的だよバカだな。無視無視無視とおもった。

多分育てやすかったんだと思う。

とこの前書いたが、いやいやーかなり育てやすくはなかったはずだよ。と昔の知人につい最近苦笑いされて言われた。


わたしは娘ちゃんは最初の一年はびっちり働くのに保育園だったが、年中組から2年間は教育の場である幼稚園に行かせた。延長保育や夏休みなどの長期休みも預かり保育があったし、

ここは剣道、書道、本物外人先生の英会話教室などなどたくさんの事を教えて躾てくれる。これもわたしの目指していた教育方針だったのかも知れない。


個性的というならば、今更だけど私の方だ。

幼稚園の保護者のひと、ママ友やらなど一人もいなかった。わたしから話したことはたぶん朝のおはようございます。帰りのこんにちは。くらいなもんだと思う。わたしは見た目も全く普通の母さんではない。

分かり合えると思う人などきっといなかったとも思うし、話題も中学のときのクラスメートのときに味わったやつみたく全く理解できないだろうとわたし自身思えた。

やたらと群れてるから大声で話すのはいいけれど自分の子供全くみてないけど大丈夫なんだろか?といつもおもった。泣いてもなんか訴えてきても知らんぷりでママ友仲間に入るのに必死の形相はとてもよろしくない。


今もだがわたしは同年代の同性にはあまり好かれない。これも魔術師みたいな人に言われたことがある。       なんで⁇

きっと同年代だとわたしはいわゆるKYってやつなんだろう。となんかわかってきたけど。


わたしが仲良くなるのは極端に若いか、お年寄り。

若い子は同じアパートの下に住む大学生の子も今でもわたしをちゃん付けで呼ぶ。

なんだかに、にてるーから始まった。

EXIDという韓国のグループのハニちゃんらしい。

知らない。と言ったらハニちゃんの画像をLINEに送ってくれた。

自分では見てもよくわからないけど、iPhoneの写真に自動保存なので、ある日写真のアルバムの中から自分だけが抜粋されてるピープルを見たらその中にハニちゃんの画像も入っていたのでコンピューターの識別でも似てると思うらしい。

若い子ははなしててもとても楽しい。

彼氏がいて花火大会にいくのに1人で浴衣を着ようとしたけど着れない!と半泣きになって階下から電話が来る。

お願いー着せてー時間ないー!泣


若い子が楽しいのはきっとじぶんがこんな青春みたいなのと縁がなかったからかも知れない。

今の娘ちゃんもやっぱり若いから楽しい。

今どきの知らない事をいっぱい教えてくれる。お化粧もお上手である。とても女子力が高い。


あ。話しがぶっ飛んだけど、べつにわたしがこんなでも娘ちゃんは園でのびのびと暮らしていじめなどにもあわなかった。

何がそんなに自分の意思を捻じ曲げて時間を費やしてまでママ友が大事なのかが理解が出来なかった。

それもわたしの特徴というか、ぼっちが慣れてしまったのは広くみたらきっと良くない部分もあるとは思う。

けど、今更なはなしだ。

育て直しという恐ろしい治療をされそうになって逃げたから仕方ない。


娘ちゃんはわたしとは全く反対の人生になっているから一先ずわたしのような奇天烈な人にはならないだろう。

あと、これまたよく、一人っ子なの?一人っ子可哀想だよーと言われることがとてもあった。

でた。一人っ子はあんま良くない説。

これは是非とも勝手にさせていただきたい。

わたしは姉に赤ちゃんのときから隙あらば殺されそうになっている。


大人になったら小さい頃仲が悪くても、仲良くなり、子どもができたらお互い助け合って子供を頼んだり、親の面倒を見るにも一人より安心で必要だった!と思うときが来るからーとか言われたけど、それも一度も必要なかったし、未だ虐待の後遺症で治療中の為わたしの脳みそには話しかけないでほしい


あと、幼稚園では運動会やお遊戯会が終わると親の飲み会があるのはなんで?

打ち上げ?とかって言われたけど親はなんか頑張ったの?と思うし、うちは一人にさせれないから一度も行ったことがない。

てか、知り合いとでさえ飲みに行くとか遊びに行くことは結婚生活をしている間でも全くなかった。

現実問題で無理なのもあったが、居酒屋含めバーやスナック、飲み屋などわたしには働く場所。という感覚しかない。



わたしは唯一怒るが出来ないところがダメ親だった。怒るじゃななく叱る?か。

娘ちゃんは家の中では完全なる無法地帯である。

わたしは意味ないだろうとおもうようなことでも何ごとも学ぶというか創意工夫をすることに繋がるものだと思っていたとおもう。

それにそんな悪いことなんかしなかったしね。

小学校に入っても傘をグルングルン回して(これはあぶねーな)登校していくいつも楽しい娘ちゃん。相変わらずみんなが簡単なことがとても難しく、みんなが難しいと思うことが簡単に出来たりする反対っ子だった。

小学校も毎回学童保育にはギリギリで迎えに行く。いつも最後の1人か2人しかいなくてちょっと寂しい思いさせたかな

小学校は離婚したため半分半分でちがう学校になったけど、地域的に近くにいたので幼稚園からのお友達がこれまた半分半分の割合でいたからさほど問題なく小学校生活を暮らした。

ただ、学童は時代にしてはマンモス小学校だったからか高学年になると入れてくんない。

娘ちゃんは学校が終わり塾が終わると少し1人の時間がある。

お友達と遊んでたり悪さはしないが、やはり心配である。

なのでこの頃は娘ちゃんと交換日記をした。

そして第二次?反抗期の最中でもあって娘ちゃんから書いてくるやつはデスノートみたくなってた。


そんなこんなでもう娘ちゃんは18歳になる。


なので今はありとあらゆる話をいっちょこ前に出来る。

わたしのことは名前にちゃん付けだ苦笑

お互いちゃん付けである。

たまに娘ちゃんのほうが精神年齢の高さを感じてしまうのが悲しい

だって学級委員長みたいなんだもん。

娘ちゃんに、やだー気をつけてよ!とか、ちょっとー大丈夫なのー!とか、そんな事したらダメだよー!とか、食べ物落とさないの!と注意をうける

大笑いはしてくれるけど、ふざけた顔芸をするとほんとにバカなんだから。と言われてしまう。

実際に凄い人のところシリーズで出てきたあの魔術師みたいなひとにも、あーあんたよりこの子の方がお母さんね。あんたを助けに産まれてきてる。と言われたときも、やっぱりね。って思った。

あとは娘ちゃんにとっても、ある意味わたしを反面教師にしてるのかもしれないな


で、も!

娘ちゃんはなぜかわたしを尊敬してくれてわたしになりたいと言ってくれる。

みんなの話を聞いてなのかお母さんとゆうのがわたしじゃなかったら絶対やだー。とも言ってくれる。LINEのアイコンをたまにわたしの顔にしてくれたりする。

仕事も同じ食の道に進んでいくという。

今現在で食の専門学科の高校なのでわたしより資格とかもある。

今は飲食関係の接客のバイトをしている。チェーン店なのでみんなが知ってる絶対好きなやつ食べた事があるやつのお店だ。

あ。別にどうでもいいかも知れないけどハンバーガー屋さんと牛丼屋とカレー屋とファミレスではないよ。

で、ずっとやってるから今はもうトレーナーとかにのぼりつめている。

店長副店長娘ちゃん下に10くらい。

なので、この10連休も超強烈に忙しいのでその内の7日はバイトだ。店長とかに頼りにされているのは有難いけど休みたくても用事がないと真面目すぎて嘘を言えないし、他の人がパニックになって困っているのとか考えたら頼むから出てと言われたら、出ますー。と言ってしまう。朝8時過ぎにでて夕方帰ってくる。

結構な労働時間だ。今日もかえってからウチだけのブラック娘に変身していた。

お客さんが忙しいからなかなか順番が来ないとか先に並んでいたのにとか怒ってしまった。とか色んな話をしてくれるけどその中で、

今日はお店に娘ちゃんを気に入ったどこぞの学校かはわからないがサッカー部の高校生が数人で来たらしい。

仲間の1人にお前見過ぎだろーとか、わかりやすすぎるって!とか言われながらも臆することなく娘ちゃんの接客の方に並び注文をしてくるらしい。

わたしはそれを聞いたら素直にとても嬉しい。

娘ちゃんを好きになってくれる子はとても良い子だ!と簡単に思ってしまう。

この辺がなんか違うよね?

知り合いの男の子のお母さんはすごく彼女の文句を言うのをよく耳にする。

誕生日とかイベントにうちにいないんだから!いっつも彼女!とか言う。

当たり前だ。とおもうけど、そうなんだねー寂しいねーと言っとく。

異性の親子の歪みみたいのを感じる


娘ちゃん、このままここに就職して商品の企画開発とかすれば良いのにと言ったことあるけど、それは嫌らしい。



お勉強をしたことがじぶんがないからお勉強しなさい系は言ったことがない

人は言わないとする生き物みたいなのがわかったのと、言ったらしない生き物なのを人から聞いた。

危険!なんか怖い!を察知する能力もいちいち気をつけなさい!とか言わなくても身につくみたいだ。

親はあんまり転ばぬ先の杖にはならない方がいいと思います。(自論)

わたしもそうだけど、一通り色んな痛い目にあった方が良い。死なない程度にとか限度はあるけどね。

なので現在ほぼ人格が固定してきているが娘ちゃんはとても真面目で慎重である。

喜怒哀楽ははっきりしているがそれは家の中でだけ。ムカついたことがあったらチンピラ口調になるのも家の中でだけ

娘ちゃん今日怖いよーとわたしが言うことがとても多い。

でも、お外では礼儀正しいどこぞのお嬢様かよ。みたいに暮らしている。

じぶんでもわかっているから、よそ行き用、よそ行き用!という。


そして小中高の途中まで皆勤だった。

本当にわたしとは全くの正反対人物だ。


振り返るとそんなわたしでも唯一親らしく毎日必ず言い聞かせたことがひとつだけある。

他の子供に関わり出す保育園に行くときから「すべてのお友達に優しくしなさい。いじわるされたり優しくしてくれたりするどんなお友達にも同じように優しくすることー!」

だ。これを毎日毎日言った。

これは今になっても娘ちゃんも覚えている。

あとはあんま覚えてないぽいからほんとにそれしか教えてないとおもう。


でも唯一教えるとか違うかもしれないけど食べ物はちゃんとした。お惣菜など出来合いのは食べてない。外食はお寿司とか特別な日とかは行ったけど他はまったくない。娘ちゃんは肉が嫌いだったから特に行くところがなかったってのもある。

毎日必ず手作りで仕事上の問題もあるけど添加物フリーの食事をしていた。

お菓子も本業でもあるため手作りだった。

とくにチーズの入ったスコーンが大好きだった。

おせち料理さえ田作り、なます、伊達巻、栗きんとん、なんでもかんでも手作り。

あ、昆布巻きはダメだった。ありゃ買った方が良い。

身体に良いというのが一番だけど、なんせ働かないやつがいたから手作りで外食なしじゃないととてもじゃないがわたしが働いている意味がなくなってしまう。

これで思い出したが幼稚園のお弁当は小さな子供が好むようなのが苦手で黒豆とかが入ってた。おじさんのお弁当みたいなのを作っていた。


あと、季節行事は特に気をつけて習慣付けた。いつかお嫁に行って子供にはこうしてほしいな。という一応親心。

お彼岸には一緒におはぎをつくり、十五夜には丸めたお餅をお供えした。小さい頃は紙皿に折り紙を丸めて窓に置いてあったので、眠ったあと夜中にわからないように数個減らしてウサギが食べてったふりをしといた。

娘ちゃんは朝が来て起きてそれを見たら大喜びだ。

節分も節句も色んな物語が今考えるとたくさんある。

クリスマスには本場のフィンランドから娘ちゃんの名前で届くエアメールの手配をして、文面の中に決まった文字数ではあるがわたしからのメッセージをサンタさんからいってる風なお手紙をくるようにした。それを信じているあいだ毎年やった。


大晦日近くには家で餅つきもする。大量について園のお友達を呼んで鏡餅に丸めたりかなりの量だったからちっこく丸めたり平らにしたり棒状にしたりと、最後の方は食べ物ぽくなくなった。

人間も家も粉だらけになってしまって、ほぼ遊び状態だったけど、お正月というのがとても好きな子供だった。

福笑いがかなりツボるらしい。

これが始まるととてもしつこい。


食に関してちょっと困ったのは給食がそのため苦手で食べれない。と言われた。臭いとかなんか変な味するとかあと汚いんだもん。

だ。

失礼な娘っ子だ。まだ小さいちびっこがご飯をよそったりするのがダメぽい

色んな理由があってか給食を完食したことがほぼない。これはあんまり良い躾ではなかったかもしれない。

ただ、よそ様のお家に行った時に出されたものは全部食べ、お行儀よく食べる所作は教えた。あとこれはもう今でもだからきっと直るとかはないと思うが食べ終わるのが信じられないくらいに遅い。娘ちゃんは何にも惑わされないマイペースだ。


わたしも親としてじぶんがされてきたことの全てにおいて反対の事をして育てた。クソババァを反面教師で育てた。

女の子だから小さな細かい部分にも手を抜かなかった。歯が顎が狭くて全部入りきらないかもしれないと言われたので小さな頃に矯正もして、その後も定期的に歯医者には行き、未だに虫歯はひとつもない。


わたしが通っているエステの人に言われたことで最初からが肝心です。と言っていたからワキ脱毛は一度もカミソリで剃らずに中学生のときから最初からエステに行かせた。


わたしが10代の頃の家なき子の時、お世話になった友達のお家でその子とお母さんとわたしで銭湯に行ったことがあった。

お母さんがその子のうなじの産毛を剃っている姿を見た光景を一生忘れられない。

どんな感情かと説明出来ない。

親ってこんな人なの?みたいなのかな。

すごいものを見た。ってゆうしかない。

そんな潜在意識もあるとおもう。


あとは一番願うように教育した事は、小さい頃からわたしが突然居なくなってもまわりに誰かがいなくても一人で生き抜く力をどうぞ持ってください。

という教育方針だ。

これには強靭な精神的とド根性がいるので同じ生活リズムを崩さなかった。そして4歳から最後見てくれる小6までずっと同じ塾に通い続けた。

頭を良くするとか成績を上げる為ではない。

同じことを継続するというのが大切なのを教えたかった。

ザ、忍耐だ。

あとは娘ちゃんは小さな頃から音楽や歌がすきだった。

娘ちゃんは最初左利きだったが、行儀が悪いので箸と書き物は右手になんとかさせた。

でも、フタを開けるのにちからを入れるとか、ラケットやボール投げなどはいまだに左だ。

要するに両手利きな子供だ。なのでピアノにはうってつけで、かなり夢中になって弾いていた。耳が恐ろしく良くて絶対音感があった。

中学に入ると弦楽器に興味が出てバイオリンの仲間みたいなのとかギターもうちにあった。部活もそんなのに入った。

吹奏楽ではだめなのだ。弦楽器が好きらしい。ただサックスだけはいまだにやりたいと興味をもっている。

部活は校内で一番の大所帯の部活だったが3年生の時、引退した先輩と顧問の先生方に決められて部長になってしまいかなり苦労していた。

同じ学年のお友達にもまじめにしてないと注意するとか、音合わせでうまく弾けないダメな人には個人的にずっとつきあってやらないとならないとか、楽器は好きだから部活に行きたいけど同学年同士の仲間内のトラブルなのか部活に来なくなった後輩と何度も話し合いをして、また来れるようにするとか、部長という肩書きにしょっ中苦しんでは家に帰ってきた途端うつ伏せの大の字になって号泣したこともある。

顧問の先生が全部を娘ちゃん任せにして何にもしてくれなくて凄くむかく。と言っていた。

学年主任の先生だから忙しくて仕方なかったがやはり放置し過ぎたかなと感じたのか卒業式のとき娘ちゃんだけじゃなくわたしにもとても苦労させてしまいました。

と謝ってきた。

毎年絶対に全国大会まで合奏部門でも行く学校だった重圧もあり、楽器の演奏はみんなが一つにならないとダメだから仕方ないけど、嫌われ役になんでよと泣くことも多々あるちょっぴり悲しい部活時代の娘ちゃん。

でも、楽器を弾くのは本人も楽しいから良いらしい。

高校に入ってもその学校にはそんな部活はなかったので社会人クラブに入って続けていた。

年に一度大きなホールで演奏会もあった。中学の顧問の先生は花束を楽屋に届けてくれたり、もちろん演奏もご夫婦で来て聴いて帰ってくれた。

高校の担任の先生も全く興味がないのに日常にはない不思議な世界を見たいと来てくれた。

毎週の練習、演奏会近くはたくさん練習日があるとか、衣装の準備、それらの送り迎えなど、わたしの仕事や用事の合間をぬってするのは大変だったが継続する忍耐を教えて来たのはわたしだったし、やりたい事をさせるのが一番の目的だったから仕方ない。


とりあえず親バカ記事は今回はこのくらいにしとく。


親バカ記事の前に本当は娘ちゃんにとても感謝をしていることを言わないとダメだった。

それは一生思って行くだろう。

わたしはお腹に娘ちゃんがいるのがわかって産まれて初めて産婦人科に行った。

赤ちゃんいますよーってなって、その時に他も色々検査してみるからそれで子宮頸がんが見つかりました。

ほんとのギリ上皮内だったから進行の具合は今後わからない状態で、しかも妊娠している。という状態だ。

この時先生に妊娠と同時進行で経過を見る。と言われました。

まだまだ初期の段階で行ったからかあんまり赤ちゃん自体も成長してなくて、ひょっとしたらダメになるかもしれないのはわかっていてくださいね、この事も経過次第。と言われていた。

癌は若いと進行は早い。

とても怖いなと思った。

でも、娘ちゃんが出来なかったら絶対に産婦人科など行くわけもないし、特にわたしはみんなが異常だよ。と思うような症状が出ても放置とかしてほぼ20代で死んでたりしたんだろうな。と今も思っている。

娘ちゃんが教えてくれて命を救ってくれた病気だ。


そして、出産予定日より一週遅く産まれたのに2,500gくらいしかなく発育の経過は良くなかったけど、産まれたとき、癌はほぼなくなっていて、赤ちゃんが一緒に産み落としたね。と先生に言われた。

末期の癌患者さんがひょんな事から癌が消滅したって人は何人か知っている。

とても仲よかった建築のときの大工さんも胃がんで摘出の予定で入院中に、もう少しで手術だ。という時ある日突然癌が消えた。

人体の摩訶不思議だ。

癌は難病と違って人はみんな癌細胞を体内にもってるから別に不思議じゃないのかな


でも、わたしの癌の話は進行すると先生も思っていて産んだらすぐにそっちの方だ!ってなっていたのでやっぱり娘ちゃんはわたしの命よりも尊い存在である。

命の恩人である。


一度ある程度まで出てしまったから今でも毎年子宮頸癌検診は必ずしなくてはならない。

娘ちゃんありがとう。突然死なずにキミに会えてよかった。


離婚した理由はいつな書ける範囲内で書けるといいなと思うが

ある日わたしの結論が出た。

とりあえず家族の一員として迷惑をかけてはいけない。

てか、おまえが普通は家族を守るとかだろうが。そして何より素行が娘ちゃんの教育にわるい。


そう、

子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。ほんとに誰説だよ。


わたしはヤツにも文句らしい文句やケンカもしたことがなかった。

娘ちゃんが見てたらたいへんだ。ってのもあるけど正直ヤツがある意味不気味な怖さを持っていたから。


でももう離れてしまう方が良い。

経済的にも収入のないヤツといるより母子家庭の方が医療費もかからず学校の諸経費など国からいくらか支給もしてくれて今より楽である。

で、話すのも別れるなら理由とか今更文句とかはいらない。

娘ちゃんが眠った夜中に、

あのね。わたし別れるから。いま居るうちに書いて。

と離婚届を前に出した。


で、話はとくにない。はい、書いて。


そしたら泣く。

これは意外な展開である。

不気味なのは泣くが入ってなかったよ。

でも、わかってるから泣くのだ。自分のいままでの過ちを。

そんで、泣きたいだけ泣いて出てってしまった。


あー逃げられた。

また逃げる。があったねうかつだったわ。


でも今回は23日でご帰宅である。

全くどこ行ってたんだよ。一番大事な場面だったわー

と聞いたら、


死に切れなかった

といわれた。首を吊るつもりだったらしい。

でも出来ずに未遂でおわった。

なんとも全てにおいて中途半端な野郎だ。


しかし、やはり不気味はほんとうだ。

これは一刻も早くこいつから退散しなくてはならない。

刺激を与えずに、ヤツの今後の居場所や必要最低限の家財道具を揃えたり私物もきちんと整理してあげた。

次の居場所の保証人にさえなってやった。

これも娘ちゃんのためだとおもってグッと煮え湯をのんで堪えた

ある時ばったりと橋の下の住人状態みたいな父親にでもなって会ったら大変悲しいだろうからね


口数の少ないヤツは最後に自分の思いをはなしてきた。

ずっとお父さん。というのが何かわからなかった。

じぶんには本当の父親は記憶にないし義理の父親とかに何かしてもらったとかもなかったから何の役割をしなきゃならないとかわかない。

姉貴の子供達がいたからたまに遊んでいたからそうゆう感覚だった。

中卒のじぶんが教えることもなにもないと思ったし、子供は好きだけど我が子は特別可愛いという感覚がよくわからない。


だった。


ヤツとのやりとりも娘ちゃんの心配は最後まで無かった。これは本音なのか今はもうわからないけど、

(わたしへの)想いが残ったままなんだ。簡単に吹っ切れるもんじゃないんだ。

と言われた。

ほんとに最後の最後の電話の声がこれだった。今でも耳に焼きつくほどにはっきり覚えている。断末魔のような叫び声みたいだった。

この人はきっと生きては行けないな。

やけになって、生きていく意味を見出すことはこの先もきっとないな。とおもった。


そしてやっぱりわたしには恋愛も結婚もだめだと改めて思った。

わたしは子供が出来たから結婚した。

この人の事はやはり特別な感情などなかった。

子供を産んでから一度も子供ができる行為もしなかった。

この人の悪口に聞こえる事ばかり。自分は大変でした。みたく書いてるけど、どっちが、と比べられるものじゃないけど、まともじゃないのはきっとわたしの方だったのかもしれない。


そうしてわたしの約10年の結婚生活がおわった。

それからわたしは心機一転また個人事業を始めたのでした。


Tsuioku kana13 『わたしの裏話』

いろんな家族がいる。

ホームドラマやアニメに出てくるようなアットホームでこれがごく普通なのよと言われるような家族などほぼ存在しないのだろう。

サザエさん家もないよ。


わたしのかぞくは極端すぎたかもしれないけれど、似通った家は沢山あり、その反対も沢山ある。

ほとんどが夫婦子供たち、誰かかれかの不平不満を持ちながら、こんなもんかと我慢できる範囲で落とし所を自分で見つけて居場所を作り、なんとか誤魔化しながら共同生活をしているのだろう。



普通が一番と言うけれど、いかに普通ということが難しくみんなそうそう簡単に手に入れることができない。

そりゃ普通が一番幸せなのだ。

みな普通でいたい。


家族全員のひとりひとりが自分にも家族それぞれにも満足し家族の絆をしっかりと持ち続け、じぶんよりも大切に思えることはこの前ニュースで話題になったブラックホールを見つけたくらい滅多なはなしだとおもう。


わたしは産まれた瞬間から死んで欲しかった。と、かぞくに思われていた事を聞いたから知っている。

なら産んでくれるな。

とおもうけど、産まざるを得ない状況なのだから産んだんだろう。

わたしはその後勝手に育っていき、今後勝手に両親も姉もみな知る事なく死んでいくということになる。

そのためにも早くこの土地からは離れないとならない。


4/19に予定通り訪問看護の契約をした。

その時にも所長さんと2時間以上はなした。

前の時は支援センターの人がいたけど今回は1人で来たので、深くまで話せることがとてもあったし向こうも話しやすそうだった。

わたしの話だけじゃなく、所長さん自身のこともたくさん聞いた。

色んなことを話してくれました。

そして、わたしが前回話しきれなかった今一番苦しんでいることを話さねばならないと思った事も出来てちょうどよかった。

それを聞いてもらって、サポート出来ますか?って答えを知りたかったから。


この事もこれからとても長くなるとおもうけどそろそろ少しづつでも書いていきます。


所長さんでさえ、そんな……。と絶句するようなわたしの今の現実。

市の保健師さんがわたしにかける言葉など薄っぺら過ぎることしかないのがしぶんでわかってただ泣いていた。という事があったけど所長さんは、こーんなの抱えきれるレベルの人はそうそういないですよ

この苦しみはあまりに厳しい

と、残酷な世の中なんだとうなだれた。

でも、僕はあなたの今抱えているものを何とかしたい。痛みの共有をしていきたいと思います。

と強い瞳と強い口調で向き合ってくれるみたいだ。


では、そろそろいままでずっと書かずにいた事を最初から話します。

いままでの記事の裏側ではこんな事が同時進行でありました。




こんなわたしでも命なんか何個でもくれてやる。とおもうひとがいる。

次は書けたらいいなと思います。と言ってきたひと。


実はわたしは人の親である。


ずっとこのブログに登場させることをしなかったけれど今まで死にものぐるいで守ってきた娘がいる。一緒にいれない時期もあったけどとにかくわたしの魂全てがつまった唯一無二の存在。


この子の父親は今現在は生きてるのか死んでるのかも知らない。とっくのとうに離婚している。

若気の至りとなってしまうのかもしれないけれど、きれいな言葉でいうと授かり婚をしたのだ。

元旦那と初めて会ったのは10代だ。

このかたはまず働かない。

親姉妹(嫁ぎ先関係)もひどいものだった。

未だにあの人達のことはよくわからない。

親はお母さんだけしかいなかった。

わたしの旦那さんだった人とずっと2人で暮らしていた。

でも何故か親子で苗字が違ってた。そして身体がとても弱くて確かリウマチだったとおもう特に足が不自由で家から出ることはないお母さんだった。


義理姉にあたる人はわたしと最初にあった時は連れ子が2人いて再婚していて、その旦那さんとの子供はいないけど4人家族で、義理妹に関しては会ってさえいない。

あまり嫁ぎ先から自由に出れない人らしかったからだ。でも義理姉からはわたし達が結婚をした事とかを知らせたり連絡を取り合える仲だったみたいだ。


元旦那はいつもフラフラ風来坊のような人で携帯に連絡もつかないような相手だった。

働かない、免許すらもない。

なのでわたしは法律で大丈夫なのか?って月まで妊婦のまま働いていた。家事も仕事もひとりでやった。

産まれたときも元旦那は家に居なくて陣痛が始まったときはじぶんで運転して病院にいった。

わたしも相手方のほうにも頼る人は誰もいなかったから仕方がない。


娘は回旋異常だったので丸三日の異常分娩でやっとこ産まれてきた。

回旋異常で産まれてきた赤ちゃんは顔とか傷だらけになって出てくるケースがあるらしいがきれいなままだった。

最後はかなり心拍もお互い弱ってきててお腹を切るかどうか決めるという一時間前にでてきた親孝行な子だ。


帝王切開じゃないから、そんな分娩でも1週間だけの入院。

産後わたしはとても憔悴した。

多量出血と脳が酸欠になったのか記憶障害みたいのと得意の切腹並みの腹痛(UC)で産後のひだちが悪く、ニンゲンらしいましな人になるのに1年はかかった。精神病もかなり影響した。あと失語症。言葉をかなり忘れてしまっていた。うまく口もまわらなくて人とはなすのが嫌だった。

あ。この頃はもちろんじぶんがまだ難病だと知らずにいる。

難病になってからいまの主治医に言われて知ったことだけど、わたしがいまは独身なのを主治医は知ってるから、まだ若いから今後結婚しても子供は絶対だめだよ。

と言われたのはきっと書いたと思う。

理由はお腹に赤ちゃんがいるときは症状がとても安定していて薬さえいらない。とおもうくらいなんだよ。でも赤ちゃんがお腹から出ちゃったら一気にUCは悪化する。

なんだと。

UCでも普通体型、ひどく重症じゃない人ならそれを乗り越えられるけど、わたしは乗り越えられるわけがない。

鮭の産卵のようだねって言った。

なので若い頃でもこの分娩後の再発は本気で酷かった。


陣痛中何度かパニ症もでた。記憶も抜け落ちている部分がある。

人は子供産んだとき二度ともう産まない!っておもうよねー。でも忘れて(?)なのかまた欲しくなって産むよねー。

とか言うけど、わたしはとんでもないトラウマのままだけど

色んな記憶が無くなってるのにこの時の音や雰囲気、匂い、分娩台の周りの景色、看護師の顔全て鮮明に覚えている。

ドキュメンタリー番組で分娩の様子で赤ちゃんの心拍を装置からドクンドクンと聞こえるやつを聞いたら今でも胃の中のものが全部出そうになる。


そんなこんなで子供と2人で退院してきて1人で育てた。1か月は赤ちゃんを外に出したらダメとか言われたから入院する前に赤ちゃんのものだけじゃなく家に必要な分のものを用意しておいて1か月を指折り数えて乗り越えた。


で、1か月がたったらどこに行くにもなにをするにも赤ちゃんには申し訳ないが共に行動してもらった。玉子の特売の日、人間でごちゃ混ぜになるスーパーの中にも一緒に入ってもみくちゃになってもらった。赤ちゃんも1人と数えてもらえるのでお一人様一個とかのが二個買えるようになったのが普通に感激した。


里帰り出産とか母親が助っ人にくるとか聞くけど、なんかすることあるのかな?と思うほど子育てはなんにも苦痛でも疲れもしなかった。

とても育てやすい子だったのかな

睡眠障害だから3時間おきに起きてナンチャラとかも元々3時間も普段から寝てないし、肉体労働やクラブで働いてた究極のサービス業の仕事に比べたら、こんなに赤ちゃんのペースでぼけっと暮らしていていいんだろうか?痴呆症になるんじゃないかとおもった。


話は戻ってしまうけど、相手はお金もなかった。

まだ産まれる前に一緒に住むとき、

子供できたから結婚するって親に言ったらうちの全財産これだから。持ってきな。と7万くれた。

と言われた


7。何に消えたかわからん。

借家の諸費用にもなってないとおもう。


そしてお母さんはどこの馬の骨だからわからんわたしより義理姉のお家に住むことになった。


一応、3人での暮らしが始まったけれど相手はオムツを替えた事も多分ない。

なんもしてない。

無免許だから買い物も頼めないし、赤ちゃんの見張りをする。という事だけをしていた。


日雇いや年末年始の短期間の宅配の忙しいときの仕事とかはしていたけど家族を養うというお金には到底ならない。

正社員。というものにも結婚している間一度もなっていない。

月に一桁のお給料とかだ。おまえは芸人か。とおもった。

高校新卒女子の地方の中小企業事務員のほうがもらっている。


そして娘ちゃんが1歳くらいの時事件がおきた。

突然電話が義理姉から来た。義理母が搬送された。と言われた。

たしかに不自由な身体だったけどなんで?

と思いながら病院に行くと、医者がなんか超疑惑の顔をして義理姉夫婦と話している。

お母さんひどい状態ですけど?

どうしてここまで放置しました?

と言われている。

なんと、インフルエンザにかかって寝たきりになってしまったらしい。

なのにおむつ替えとかもなかなか嫌でしなかったぽい。

で病院にも連れて行かなかったぽい。

で、とうとう寝たきりの放置にしたから褥瘡(じょくそう。ほねが当たってるところが飛び出て皮膚が壊死してぐちゃぐちゃになるやつ)の範囲が酷過ぎるらしい。

おむつもまともに変えてないからばい菌だらけになって炎症をおこしている。

これは警察に電話した方がいいかお話をちゃんと聞かせて下さい。

とか言ってる。

あらぁびっくりだ。

これは大変なことになったよ。


結論。お母さん自身が病院に絶対行きたがらなかった。お母さんが身体を触らせてくれなかった。で通じた。

スゲーな

病院側も今後の態度次第と思ったのか、あと面倒な事になるのが嫌なのか警察には通報しないでくれた。


盆正月と何回かは娘ちゃんの顔を見せに義理姉の家には行っている。

その時はいつもワイワイ楽しそうな5人がいた。義理姉の子供達は小学校低学年で元気いっぱいだ。


義理姉は医者と話し終わるととてもバツが悪そうな顔をしていた。

もう何を聞いても仕方ない。わたしだって仕事と育児とやらがあったけど家族の一員なのだ。一応責任がある。

元旦那本人など一番知らん顔で一番じぶんは他人。みたいな顔をしてやがる。


ここからがまた戦いの日々が始まった。

義理姉夫婦は世の中の事をなんにも知らん人だった。

どうやって子供のことをして来たのかと思うほど手続きとかなんも知らん。


わたしは一人で生きてきたから国の制度やなんとかならないかなーと思うことをすぐ調べたりしてきた。

反対に、えー‼︎そんなぁーとおもう理不尽な制度にも苦しんだけど


義理姉はとにかく面倒くさがりの太っちょさんだ。だからちょっと動くのも面倒くさそうである。


お母さんのことはすべてがわたしがすることになった。


まずはいつまでかわからない入院の為市役所で高額医療制度の手続きをするのも義理兄の扶養だとそれに応じた額になるので同じ家に住んではいるけど、世帯分離をした方がいいだろう。

となって、お母さんを分離して同じ家でも世帯主にし非課税での限度額にしたり、病院にも、仕事、育児、自分の病院(精神科)、娘ちゃんの送り迎えのどれかの隙に通い続けた。

義理姉はクルマがない。

唯一義理兄が休みの日に家族で友達のお見舞いかよ?みたく来る。

みなさんとても顔色も良く健康的である。


わたしは疲労困憊だ。これはこれは建築現場の生コン打ちより凄い体力と精神力が必要である。

この役と、これする役とと、3人くらいじぶんの分身が欲しいと真剣に考えた。

でも仕方ない。じぶんがその人と結婚すると決めたんだから。


お母さんは一年半くらい入院して死んだ。


褥瘡がやはり良くなかった上、めちゃめちゃ病院食の文句を言ってマズイ!と食べないから治るものも治らないのだ。ずっとガリガリだった。

義理姉も元旦那も食べ物は美味しいものしか元々食べなかったから。とぬかしてやがる。結婚する時7万が全財産だったが、いつも冷蔵庫にはウニや牛ヒレ肉が入っていて食べたいものを考えもなく買っている生活だったのは話しされて知っている。

入院費は最低の限度額だったけど差額代や病衣やテレビカードや食事代はまるまるかかるのに食べてないからわたしの稼ぎを一部はドブに捨てたようなもんだ。食べないなら持って帰りたい。と切実に考えた事もある。


褥瘡の部分の皮膚移植もしたり、食べないからかなんなのか知らないけど胃に穴があいたとかなんか忘れたけど胃を全摘した。

手術に立ち会うのも何もかもがわたしだ。

最後終わって医師から胃を虫ピンみたいな標本の様に一枚に広げたやつを見せられてここがこうでしたー。とかの説明も受けた。

おかげでホルモンが苦手になった


色々手術したり手は尽くしてもらったけど、どんどん死に向かっているのがわかった。

最後の方の一週間くらいは病室でわたしに、シーツの縫い目にカメラがある!取ってー!と怒る。

幻覚をかなり見だしている。

幻覚は分かり合える 

なのでこれには付き合ってやるのが一番安心する。

あーほんとだ。はいはい。とりましたー

だ。

あとは天井のシミみたいのもカメラだ。

あーほんとだ!きっと急に具合悪くなってないか看護師さんがみるやつだよ!

と、てきとーだ。


そして敗血症で最期は耳も鼻も隠れてなくなるほどパンパンに水分で膨れ上がって異様な姿で死んだ。


この期間の入院費用は義理姉とうちの半分づつで毎月支払った。

死んだ時病院に義理妹夫婦とやらに初めて会った。

信じられないが、挨拶がこの場に及んで「初めまして。」

からだ。

そして義理姉から色々聞いてるのか、お姉さん(わたし)にはすごく面倒をかけてしまったことを聞いてます。すみませんでした。と言ってきた。

オネエサン

と呼び慣れない初めて言葉で呼ばれたことにびっくりであとあんまり覚えてない。

一応挨拶は日本語で出来るぽい。

だけわかった。


隣にはその旦那さんがいた。

見たらギョッとした。はぁそうゆうことね、わかったよ

ナルホドでございます。

義理妹があんまり外出できない生活なのはこいつだ。

ヤのつくやつだ。

でも、一人34歳の娘を連れてきている。

ふぅ~ん。わたしの嫌い系のやつである。

あんま話さないとこ。


と思ったら、

イヤァーすんませんでしたねー

うちらはなんも出さんかったしー

ほんとなんもせんかったわー

とか言ってる。


口のききかたがべらんめいだ。ゲンコツしてやりたい。

そして、わたしに唐突に20万を握らせた。

入院費もこんなもんじゃなかったろうし面倒もほんとかけましたー

だってよ。


でもね、なんかなんか義理姉夫婦、ウチの元旦那がうつむいて、怯えているよ。やな予感だよ。


すぐにそれは的中しました。


まず、うちが長男だから喪主。プラス施主も。

とんでもなく若い喪主夫婦である。

これはさすがにわたしも当たり前だがやったことなどない。

しかも元旦那は頭のネジがとれている。(人のこと言えないけど)

この度はー

なんて挨拶など出来る訳もないので一応密葬でって話しなのに義理妹の旦那は自分の親戚やら知り合いとかわちゃわちゃ呼んだらしく来るんだけど


で、はい。でたでた。

すべてがおわったあと、待ってましたーのいちゃもんだ。

何してくれてんだよ馬鹿野郎‼︎

俺の知り合いに挨拶どっちかしたんか⁈

あー⁈

誰が喪主だったかわからんかったぞ。挨拶もされんかった。って言われたんだ、恥かかせやがって‼︎


はい。すんませんした。とてもじゃないけどやることいっぱいで気が利きませんでしたよ。認めますよ。だから密葬っつったんじゃねーかばかやろう。とココロで言う。

で、この人の目的。


ばばぁ(死んだお母さん)は保険金も貯金もなんもねえってんじゃないか!

じゃあ遺産どうなるんよー

分け前ってやつだよわかるかー?


ばかだ。とても馬鹿野郎はおまえである。


で、ほかのみなさんはシーン

この馬鹿野郎に逆らえません。


わたしがターゲットだ。

そうですよ?保険金も貯金も遺産はないですよ。だから入院代も全額払ってきたし、葬儀も一番安くできるところでなんとか形ができましたよ?

それで何が遺産になるわけ?


といったら、


なんだよこの野郎!じゃあなぁこっちは毎日節約してご飯とキムチしか食ってねえのに最初くれてやった20万と、恥かかせやがったやつの分の香典を全部返せ。

あと、残った香典はそれは遺産だ。

それをよこせバカ!


と言われたんだけど。

あー。宇宙旅行にいきたいわ。

ニンゲンのいないとこ希望


それで、コイツに全部根こそぎやられた。

香典を足しになんとか葬儀代と、仏壇(タンスの上に置けるサイズのやつ)、お寺さんのお布施、そのあと骨堂とかどうするか


ってあったんだけど、もうオワッタ。

毎週77日で49日まで来るお坊さんはなんとなく気配とか雰囲気を察してました。

なぜなら義理妹のバカ旦那がずっと読経してる時もわたしにべらんめいの文句をぶつぶつ言ってるから。

こいつの母親もひどいものだった。祭壇にある遺骨に手を必死にこすり合わせて「どうか今日のパチンコ勝たせて下さい!お願いお願ーい‼︎」とか唱えている。


最後はお坊さんにめちゃんこ怒られてたけど。

で、わたしをお寺の方に一度あそびに来なさいと言ってくれました。


49日が終わると納骨が迫っていたのですぐにいってみると、とりあえずお母さんのお骨は合同供養でしまうところがあるのでそこにおきましょう。

ほんとうは毎年五万円(確か)お金をいただきます。そして合同で毎日読経します。

お参りに来るときは共同ですがちゃんと供物もおける台があり、お線香も蝋燭も用意してます。

それが一番ここではお金の問題ではよいかと


でした。

わたしはわかりました。ありがとうございます。とても助かります。

と言いました。

でも、住職さんは察してくれて、お金は払える時にでいいです。毎年必ず。じゃなくていい。そしてたまにうちのが(奥様)いつもいるから遊びに来るといいよ。

だって。なんて良いひとなんだ。

ここに来てあの野郎に無茶苦茶文句を言われた甲斐があったわ



わたしはお母さんが亡くなる前後から49日が終わるまでに6キロ痩せた。

妊娠中15キロ以上増量したのが産んですぐのと、今回ので一気に戻ったわ。


おつぎは当人のくせに全てにおいて最後まで知らんぷりの元旦那だ。

おまえはわたしがアイツ(義理妹のバカ旦那)にめちゃくちゃやっつけられてもうつむいたまま一度もかばうことが無かった。見かねて住職さんがアイツを怒鳴ってくれた。

おまえは自分の母親のことなのにわたしを守らなかった。これは許さん。

それからわたしはあんたの親族とこれからも付き合って行くなら離婚をする。わたしはお母さんを最期まで看取って、やるべき事もやった。なんにも悔いはない。

と言いました。

そしたら

いや。俺から御免だから、もうあいつらとは一切関わらない

だってよ。


でもね。

離婚したのはこの件で十分理由になるだろうけどちがいます。


そして娘ちゃんの成長の様子、今現在のこともすべて話して書き残しておくんだ。


長いので分けますね


ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント


J-CASTニュース
  • ライブドアブログ