『うんざりだからグッバイ』

前回記事の3/23らへん。この時点で家から出てない。を引き続き継続している。

てか12月に退院してからとんでもない目にあって忙しかった中、娘ちゃんの引っ越しが終わり、ひとり家に帰ってからは各種届出や変更するもの、新たに加入するものなどの用足しと自分の通院のみの外出でほぼ引きこもりだったけど。

北海道は2月末に道独自の緊急事態宣言をしたが、つい最近また2回目をやった。

(またかなりの日数経って書いてるので4/10くらいの話かな)

北海道と札幌共同宣言ってやつで札幌市を重要視した感じだから前とは内容は少し違ってるけど。基本道と一体化の宣言だからみんなに関わるけどね。

北海道はみんなもうあんま気にしない。

2回目だし、あーまたか。だ。

で、不満ある人もいるけど、それにちゃんと従う率がほんとに高い。

(今最近ほかの都府県とかで市独自に市民一人何千円とか一万円とか給付とか全くないけどそれについてもなんも言わない。)

都会と違って田舎町が多いし出てると目立つからか、ちょっと用事であっても白い目で見られる。とさえ思う人もいる。

今回、知事が一番心を痛めてまた強化に至ったこと。

それは今月初旬に数名の神奈川のバカと、東京のバカが感染してるのを隠して北海道に避難してきたこと。

特に全国的にニュースで東京の歯科医はめちゃくそ叩かれまくっている。

完全なる確信犯だから。テロリストと呼ばれている。

コロナにかかってる上にせっかく退院してきてお元気になっても普通にその後誰かに暗殺されてしまう恐れもありそうな心配があるくらいだ。

(投稿したこの時点ではかなり前にもう歯科医はどこに帰ってきてそこがなんて名前かもみんな知ってる。いま現在事件が起こったニュースはないから、もうみんなバカはほっとけになったのかな)

その頃の知事の会見は泣きそうだった。

ほんとにこの人良い人なんだよね。

最近(いつだよ。)の調査で道民の支持率88%だってさ。


正義で生きてる。めちゃくちゃ真面目。

2月の時も先を見通す能力が凄い。それに伴う行動力も。

最初北海道知事はやり方とかに非難されて矢面に立たされたけど、この時第一号の中国人感染者がでて色んなタイミングが重なって国内で最初に一気に増えた。

散々悪者みたく言われまくったけど前の記事でも書いたけど今となったら言ってたやつ恥ずかしいよね。この疫病にどうするか手段がわかった人がその頃にいるなら教えろ。

それと一緒にダイヤモンドプリンセス号もあの時なんとかしてやれ。


最初の時は次の日には東京に行き直接安倍総理と話して言いたいこと、お願いしたいことをはっきり言って帰ってきてから宣言を出した。

今回の感染したままやってきたやつが発覚した次の日も、厚生大臣と国土大臣に直接電話して入口で止めて下さいよ。入口と出口両方で連携しないとどうにもならない。と携帯ですぐ措置の執行を求めた。

次の日には国土大臣は羽田にサーモグラフィーで検疫の強化などを段取りしていた。

でも人のこと言えない。こっちからも行くバカもいるしね。


わたしは四月一日、国の緊急事態宣言がそろそろか?みたくなったときに知り合いの道議会議員にLINEで、大変なことになりますね、こっち入ってきますよまた。道は策とってますか?と聞いた。


結局国の緊急事態宣言は8日だかになったけど、

わたしも同感ですよ。道議会で発案するつもりです。

と言ってくれてた。

で、道外の感染地域から往来した人は2週間不要不急の外出しないこと。とか決めたぽい。もちろん体調の悪い人は当たり前だけど行ったり来たりすんなよ。も。

でもやってきたけどね。

丁度感染したまま来た東京歯科医のバカがくる前に空港で道民が空港で顔丸出しで息子が東京で一人暮らしするからどうしても行かなきゃならなくてとか申し訳なさそげに言ってる。

もう東京は大量に出てたからそいつが自ら戦場に行くのは止めようがないからいいけど、こいつ、何日後か知らないけど帰ってくるんだよな。

と思ってすぐその空港に電話してどんな体制を整えているのか聞いた。

到着して来た人にはビラとアナウンスをしっかりしております!

おわり。

ばかだね

そんなもん本人のモラルの問題で意味がほぼなさない。


じぶんの事だけしか考えなくて、ご老人とかにうつしてその人が亡くなったとしても、え?わたしから?とかアホヅラこいてわからないだろうから罪の意識もないしね。

我国の制度で外国のような強制措置や罰則ができないからお願いしますの体でしかない。

じゃあ、わたしみたいな庶民は国のことに関われないなら国が出来ないことを庶民は出来るんじゃないかとおもった。

こいつは本当に確信犯である。北海道に戦慄が走ったほどだ。

なので、こいつを相手に訴える。

をしたら良いとおもった。もちろん個人的に精神に支障をきたしてしまい、行っても良いところでさえ家から出ることが出来なくなった。恐怖と不安で精神被害が出ている。

は出来る。

ニンゲンはほぼお金が絡むとやめる。

この人まではっきり確信犯だという人は稀だからこの機会を逃してはならないと思った。

この時期でもきっと国内で訴訟を起こされて損害賠償を求める民間人の事案はないと思ったし、ひとつこれが取り沙汰されたらそんなこともされるのかもしれない。

とある一定のニンゲンには有効になるのかな。と考えている。

わたしみたいに疫病よりこの世の中に辟易した人はコロナの死亡と匹敵するくらい今後自殺者が出てもおかしくないとおもう。


あまりにもろくでないのが多すぎて滅入っているのは本当だ。

わたしがずっと何ヶ月も通してほとんど未だに外出しない理由は3つ。

・誰かに感染させたらやだから。(これ当たり前)

・じぶんがうつったら死ぬから。

わたしは死因がコロナでは困るのだ。

明日死んでも大丈夫だけど、コロナだとせっかく雇ってる弁護士と試行錯誤して重点を置いた部分にかなり費用が加算して計画した公正証書通りに執行出来ないことがいっぱい出てくる。

わたしの弁護士は最初の頃は死後事務は結構扱っているけど、ここまでご自分の死にストイックな内容はレアですねと笑っていた。

わたしが活き活きと話すのもおかしいのだろう。そりゃそうだよ。面倒なことを娘ちゃんにやらせたり、しなくてもいい辛い手続きや嫌な思いをさせなくて済むんだから。

・3つ目はもう精神が壊れたから。

ニュースを見て、出てる人がじぶんと同じニンゲンと認識ができなくなった。勝手なことばかりやって人に会ったりとかする。そんな人たちと共存する世の中に今後恐怖過ぎてとてもじゃないがこの地球という所にいれないとおもうようになった。

8割減らせと言われてできないのは理由はなんだかしらないけど、なんで人に会うの?なんで公園にいくの?なんでみっともないしゃがんだかっこして潮干狩りなんてすんの?そんなに貝?食べたいの?なんで外で昼とかに何がなんでも時間内にお酒飲んだりご飯を食べなきゃならないの?なんで迷惑ですよ。と教えてるのに仕事いくの?

わたしがおかしいのはわかる。

もうかなりの年月が経つけど誰一人制限などされてない時に自分だけ突然世界が変わったから。

病気の急激な悪化で突然自営していたけど無職になったし、具合悪くて出ないし、出れる時でも歩けないし、ものもほとんど食べたらダメなものだし。

わたしはその自分を受け止められた。難病のキツイ活動期を薬で抑え込んだ後は、生前整理に勤しみ、ただ来る日も来る日も本を読みふけってお静かに時を待つことにした。

今、外出はダメだよって言われて守れない人がどうしても受け付けられない。

身体が健康なら今だけ辛抱したらまた働けるし外で走り回って大騒ぎも出来るんじゃないの?

お家の中に居たって踊ったりお酒飲んだり美味しいもの食べたりできてわたしにとったら全然苦じゃないような事だけど。

お金がなくても国から貸付や色んな措置をとってもらえたり、免除や納期の延期とかあったよね。なんなの?

一ミリでも懐が寒くなるのが嫌なの?

コロナにかかってすぐに意識も無くなって死んだら、死んだこともよくわからないだろうしその時お金があってもただの紙だけど。

改めてじぶんのQOLがあまりにも桁外れで低いということが今回の件でわかった。


わたしは接触率10割減った。コロナ前でも9.59割だけど。

今は誰一人とも会わない。

食品の宅配便とかも玄関を開けてものを置いてもらって中にいれる。直接会わない。

毎週来るヘルパーさんとも中に入ってもらわずに外のことをしてもらうようになった。

未だにまだ寒いからストーブをつける。外のタンクに灯油を入れてもらうとかをしてもらう。北海道の春はまだ遠い

わたしのあたまがおかしいのは、人と会わないはいいのかも知れないけど、人と話もしない。電話で感染するわけはないのはもちろん知っている。

人と話すことももう出来なくなった。

いやだ。

とんでもなく人がいやだ。誰とも話したくない。やっぱり前に書いたと思うけどまた15.6歳くらいの感覚になってるぽい。

1日で自分の声を聞いたことがない日はたくさん出てきた。

あ!とか転びそうでビックリしたときだけ。

このままだとそのうち日本語も忘れそうだ。

わたしはこころがもうだめなんだ。


娘ちゃんは活き活きと新天地での生活とお仕事に頑張ってる。

忙しくて遅くまで必死になって帰ってからもお仕事を覚えたり、初一人暮らしで炊事洗濯掃除。

そこらの出来合い品を食べれないからもちろん自炊で大変だ。連絡もLINEのスタンプだけしか来ないのも仕方ないくらい。仕事場にスマホさえ持ち歩くのも出来ないしね。

それでも自分が食べたいもの食べたい味がいいからと一緒に暮らしていた時から自炊は全く苦にならない!と言って疲れてもやってるらしい。


わたしの方は娘ちゃんの事でしなくてはならない用事は一箇所からの書類が届いたら郵送するとか、出来れば新しい病院の初診に挨拶もしたいしどんな人が主治医なのか人格を見たいから付き添いたいくらい。

それくらいしかもうない。



時が流れて417日。

昨日全国で緊急事態宣言がでた。

中でも北海道は特例地域で最初の7都府県と同じ内容にされた。

北海道は四月初めの至る所からの往来で一波の時より1日の感染者数が連日多い。

広大なこの土地に点々といるから最早手に負えない。

あと、他の地域とこれでわかると思うが札幌については行ったり、向こうも他に出たりしたらだめ。

東京でいうなら同じ自治体なのに世田谷区は他の区に行ったり、入ったりもだめ。

みたいなこと。

最近の調査で札幌に転入届けが四月初めに3,000人だったぽい。ニュースで市の窓口で東京からです。と言いづらい。と言ってる人いた。

すごい流れてきたんだな。とこうゆう数字で改めてわかる。


最近特定地域にされた事の詳細を知事が会見した。

休業する業種や保証内容、道民にお願いすること。

どっかの都府県の偉そうなバカ達よりめちゃくちゃ具体的にわかりやすく言い切ってはなす。

元々だけど会見する時に妙な言い回しやパフォーマンス的なのもないし変にカッコもつけない。素朴。

去年の知事選前に知り合いの議員とこの人について話したことがある。この土地に来る前は菅官房長官の側にいてある時急になんの所縁もないここに来て道民ですら薄気味悪くて行かない最悪な夕張市の立て直しに市長として抜擢された。

当初若いからできるんだろうな。変な人。

と思ったけど、この時はわずかな給料しかもらわず手当なども辞退してもらってない。

貧乏な街だから市役所も冬でも早く暖房止められるから建物の中で防寒服きて仕事してるのをみたことがある。

市民から憐れみで市長に給料をあげて欲しいとか言われていた。

苦労かけるね。とか言ってたらしく奥さんも共働きで市長をこの頃からずっと支えていた。

この人もこんな辺鄙なおかしな土地に突然知り合いもなくやってきて大変なのに凄い人だね。

都会に住んでて、この北海道の気候もそうだけど過疎化して炭鉱の古びた街。独特の風土はみんな嫌だし戸惑うだろう。

会見中に言った事に、知事は会社でいうところの経営者です。

と自分で言うくらいだから、今回の休業要請を受けた業者や道民の方だけに虐げることはしない。

知事になってもまた自分の給料や手当など4割くらいはもらわないと言っていた。

ほかの議員さんはまだ古い考えの役所仕事の塊でほかの地域や安倍政権の周りの人間とあんま変わらない。

だから一部の話では知事はちょっぴり煙たがれている。

仲間内で煙たがれる事は道民に支持される事になる。は法則的に理解できる。

会見の記者の質問に削減は他の議員とかもですか?と聞かれ自分は構わないけど、議員はまたわたしがどうこう言って決めれる事じゃないから知らない。とはっきり言う。

ただ、保健所の人、コロナに関わる公務員には本当に寝ることもままならないほど頑張ってくれてるのでその方たちへの理解はお願いしたい。と言った。

その通りだ。この広大な土地で感染者の経路や濃厚接触者を未だに追跡し続けている。

都内は感染経路が不明な人しかほぼいないからもうそれに費やす時間の方が無駄。みたくなってるけど、北海道は大方まだリンクがあるし、あとクラスターだ。

だから追う。追い続ける。

今回の特定地域になった事で全道一律の基準で要請になったこと。

市外に出ないで。

は、もちろんだと思う。感染者が全くいない振興局管内もある。またまた東京で言うならこの区にはいっぱいだけど、この区にはいない。みたいなこと。

その市に遊びに行ったりしたら追えないし広がる。そして北海道は地域格差が激しい。

札幌などある程度拓けている医療体制と過疎化した地域の医療体制は全く違う。

町医者しかいない。ももちろんある。

そうなると何百キロも離れた場所から搬送しなきゃならないからね。


わたしはこの土地から離れ、最後に行きたい所で自分の終の住処に越す予定だった。まだ大まかにしか自分のことは考える時間がなかったけど、もう遅かった。手遅れになった。

今後どんなえらい学者や研究者も先を見通すことができない。

終息は年内に。とも一年以内にとも二年後とも今後ずっと

ともみんなバラバラだ。

わたしは明日生きてるかわからない。

は変わらない。

12月に入院した時もう緩和ケアの人みたいな部類に入ってるけど、前より体調は悪い。

自分の身体はどうなってるのかこの疫病くらい未知の世界だ。

入院中もだったけど、寝ても起きてもいられない。体内バランスが馬鹿になりすぎて熱が突然38度以上出たと思えば23時間で37度以下とか。それを1日繰り返したりする日もある。精神的ストレスで熱は上がることはしってる。

風邪とかじゃないからか、悪寒とかしない。一気に身体が熱いなーと思って終わり。

閾値とやらをあげる。は出来ないのでそのまま。

ある日、まだ市外に出れる日が来てまだ生きていても行動出来るようなそんな身体にはもうなってないかもしれない。

きっと願いは叶わないだろう。

最後に行きたかったところ。見たかったもの。ぜんぶ。

わたしのあたま自体がもうロックダウンした。



わたしはもう娘ちゃんと会えなくなった。

もちろん札幌以外の地域であっても不要不急の外出はだめだし、してない。

予定はないし言われる前から引きこもりだからいいんだけど。

娘ちゃんには事務的なものや届け物とかあるしもちろん平和な世の中だった時なら数日泊まっていたりするんだろう。

最後に会ったのは3月半ばに退院後引っ越しをした日と、四月初めに入社式に行った。

光り輝いていた。

ビシッとした制服姿。(黒いタイトのスカートにシャツ、ベスト、ジャケット、CAみたいな金色の差し色が入ったスカーフぽいやつを首元。)

髪型も後れ毛1つなくピチッとして嫌味のない基本的なお化粧姿。

肌が全て真っ白だし一際目立っていた。

入社式前から働いていたから社員さんや役員さんにとても可愛がってもらえて、娘ちゃん独特な真面目で頑張る性格が高じてとても良くしてもらっていた。

新入社員の中でひとりだけグループで一番格式の高い配属先になった。

一流の接客をしたい。そんな所で働きたい。と、あの頃就活の時妥協しないで良かったね。

役員の人や支配人さんとかにしょっちゅう今時の若い子じゃないね。と言われると言ってた。その次にどんなお母さんなの?と興味を持ってる人がいる。と聞いてわたしは震え上がる。

こんな親だよ

お母さんとも言えないようなやつ。

娘ちゃんは聞かれると、普通の顔して不思議な人です。と言ったけど。といわれた。

やめてほしい。

子供が不思議と思うなんてどんな人!ってなるようだ。

会うとわかると思います。とも娘ちゃんは言った。

普通の人々に会うのさえしてないのにそんなことを話されて入社式に関係者の方々と会うのはこれはとても辛い。

でも娘ちゃんに会いたい気持ちの方が強い。

娘ちゃんの足を引っ張らないように、しっかりした人にみえるような格好で行った。

余計目立ったけど、娘ちゃんの同期の子たちにはウケがよかったからまぁいい事にした。

そしてボロも出ないようにただ低姿勢で気配を消すようにいた。

招待された席ではひとりひとり、親に向けて手紙を書いていて目の前で読む。

というサプライズがあった。

最初に男の子が読んでいて、お母さんはボロ泣きだ。すごい良い子だった。沢山の感謝の思いを綴った手紙だった。

女の子はほとんど泣いてしまって最初からもう読めない子もいた。

改めて考えさせられる場面だった。

わたしは一体なんだろうか。

娘ちゃんの方がちゃんとしていて親みたいな暮らしだった。

他の女の子は沢山心配かけたり怒られたら反抗したりしてごめんなさい。それでもずっと見ていてくれてここまで育ててくれてありがとうございます。

みたいな内容がほぼ入っている。

あ。そうか。そうだった。だ。

親御さんの顔を見ても親みたいな顔をちゃんとしていた。

娘ちゃんの番が来て、わたしの目の前で手紙を読んだ。

まず一発目にお母さんへ。

が〇〇ちゃんへ。

だった。

思わずブッ。って吹いたら爆笑された。

内容は私たちは人には到底考えもつかない出来事(お互いの病気とか)に苦しみ、支え合って生きて来たこと。

娘ちゃんの病気とか体調が悪くて入院もあったらなんでそうなるのだ。と博士号でも取るかのように調べまくったりした事の感謝とか。

あと、わたしが辛いことを隠すから、これからはちゃんと伝えてほしい。見逃してまだ察する能力がなくてわからないから言ってほしい。何もできないかもだけど〇〇ちゃんの辛い時に寄り添いたい。

と言ってくれた。娘ちゃんも最初の方から泣いていた。

わたしは満足した。涙は出なかった。

みんな100%泣いてるでしょ?と突っ込まれどころだが、それをとっこしたんだと思う。

娘ちゃんはわたしの元から離れた。

これはわたしがずっとここまでは何がなんでも生きて親としてやり遂げなきゃならない。と精神論のみで突き動いてきたから。

免許証を初めて見たとき。

そして最近今まではずっとわたしの扶養の保険証だったのが会社からの社会保険証を見たとき。

もう娘ちゃんは巣立って行ったんだ。

まだ生きてこの日に居ることに満足だった。

娘ちゃんにはわからない気持ちだ。

あとから、ナンデ?なんでキミは泣かないの?てかずっと微笑んでたけど。でわたしだけ泣くとかウケたわ。

とか言われた。

最後にこれからもよろしくお願いします。

と書いてる娘ちゃんにはナンデ?と思うだろう。

わたしは残念だけど他の子たちみたく親みたいな事をしてあげれてない。威厳もない。怒るとかなかった。

手紙にも一番の親友みたいだった。

何も言わなくてもなんでも分かってくれるそんな存在でいてくれてありがとう。

だ。

となりに座っていた他のお母さんに、とても良い関係ですね。すごく絆深いなぁっておもいました。と言われた。

わたしと娘ちゃんは親子という名前の関係は相応しくない。

わたしは娘ちゃんであり、娘ちゃんはわたしになって一つになってしまったのだから。

引っ越しを終えた三月半ば、その帰り道の気持ちは前回書いた。その夜にわたしが暗号のようなある国の言葉を使う事をしっている娘ちゃんは初めて自分のLINEのステータスにその国の言葉を頑張ってググって翻訳したらしく、

大好きだよ。一心同体。

というふうにしたらこうなったーと載せてくれた。




もう一度

娘ちゃんのお家に行きたい。

娘ちゃんに会いたい。

娘ちゃんとたくさんおしゃべりしたい。

娘ちゃんとお腹痛くなるくらいまた大笑いしたい。

娘ちゃんと一緒にしょうもないものしか食べれないけど半分こづつってご飯食べたい。

娘ちゃんの、あ、居るんだって温かい温もりを感じたい。

娘ちゃんがいつもベトって甘えて引っ付いてくるあの心地良いやつしたい。

娘ちゃんに、ただただ会いたい。




改めてこの世の中に未練はない。

わたしは死ぬ瞬間のその時まできっと自分自身思い残すことなく自分の人生に最善を尽くして「生きる。」をした。と思える。

弁護士にも主治医にも伝えているが、わたしは

死の質(Quality of Death)を上げる工夫を「デスハッキング(DeathHacking)」

と言うことに基づき

ポルスト(POLST)と呼ばれる終末期において

・心肺停止時の蘇生

・脈拍・呼吸があるときの積極的医療

・抗生剤投与

・人工栄養

などを受けないと強く希望する。

と加えた


満足だ。

ただ、このまま娘ちゃんにもう一度会えないで終わった以外なら。


『ひとりあうとぶれいく』

感染症ではないが事件がカオス的にわたしに突発しておとずれている。

ひとりあうとぶれいく中です。

北海道はコロナミック(勝手に最初からパンデミックにしてた)中だった二月の初め頃からどんどんわたしは死体化の加速が進行している。

1月中ころは振り返ってみるとコロナの発生にかなり動揺してたな。

最初みなさんはあんまり知らないみたいで北海道になんでそんな感染者でるの?

とかテレビで言ってた。

あのね。

北海道は国内の人だけじゃなく観光地で人気だから。だけではないんだけど。

北海道にも中国人は至って普通の光景としてそこら中にいて住んでんだよね。結構北海道好きみたい。

東京とかは毎年オッカナイ爆買い?でテレビで見てるからみんな当たり前にオイオイ丁度春節じゃねーかよときっと思ってましたよね。

この地にももちろん春節だからってのも影響があります。

観光で来るひとと、中国の実家に帰省する人、プラスここ在住の中国の方のご実家のひとが来るとかあるんだから。

そんで春節とやらが終わったらまた北海道に住んでるから入れ替わり立ち替わりだしね。

北海道はそうやって渡航が何段階か活用になるというリスキーなところです

でもね、マナーが悪いとか言われがちだけど、結構チャイニーズ良い人おるし。

確かに温泉の中で石鹸で身体洗っちゃったりする。で旅館の人もわかってるからTシャツ短パンで風呂場に係の人がいて怒られてる人もいるけど笑

なんか。わたしはジャパニーズがめちゃくちゃ神経質でチャイニーズを、なんて無神経な!みたいになってるだけぽく感じる。

無神経というか中国人は我が道を行く!って人たち。

韓国人さんもいるけど、韓国女性、ちょいとプライドが高くヒステリックな気がする。でもはっきり自分主張出来ない日本人女性にしたら羨ましく思う人も居るんじゃないのかなー。

で。ある程度のプライドは人として必要である。

しかもめっちゃ美容大国だから娘ちゃんもだけどメイクとか韓国風好き。わたしも好き。

あと、言いたいのはいまはあんまり取り沙汰されなくなったけど雪まつりしたからうつった。ってやつ。

かなり北海道のせいで。的に言われまくったけど、そう思うなら来る方がおかしいので北海道に己から来た人に言って欲しい。

わたしは北海道に住んでるけどそなもん行かない。

自己判断で来たんでないのかよ。と思う。

(これも1か月くらい前から書いてるから今となっては何故かしら皆さんバイキン呼ばわりだったこの危険地域に主要都市の人とか北海道の実家に避難になのか感染したままやってきて広めていただいてる最中。)


なんてしょうもない話をするんじゃなかったわ。いやいやしょうもない話でもしてないとやってられない。


前回の最後の見て……

あ、そうそう。娘ちゃんの各々の検査結果であんまよくなかった。

炎症値が高い。これは多分お腹の方だと思うと主治医はいってる。慢性的に炎症しているのか、まだ医大で長く入院した皮膚が壊疽した原因不明の方のが出てくるつもりなのか、まさかのまさかでまたまた蜂窩織炎を発症でもすんの?とひとりでぐるぐるする。

とりあえず症状ないし、そこまで気にしなくてもこの数値くらいは出ても仕方ないとかだという。

でも今回で娘ちゃんも年貢の納め時で、鉄欠乏症貧血は前より悪いから投薬が必要になった。

副作用がほんとに嫌で仕方ないみたいだけどこれからハードな社会人生活が始まるからなんとかしたいし

そんなこんなであんま全身状態良くなかったけど、これで口腔外科が手術オッケー出たらしてもいい。

らしい。

で、口腔外科の先生とまた色々打ち合わせしてすることが決定した。

予定通り3月初め。入院期間は5日くらい。

ほんとこれが無事に済まないとえらいこっちゃだ。

これが2/20頃の話。既にもう一月末に中国人の観光客の人のコロナの感染が1番で確認されてた。

ほんとね、一月にこの疫病がわかった時、これからただでさえ最終診察して紹介状もらったりわたしの精神科とかめっちゃ病院だって行くし沢山やることが多すぎで生きる屍的状態でやる予定なんだけどと動揺してた訳です

娘ちゃんが感染したら大変だ。で済まない。

免許はまだ取ってないし、引っ越しも控えてる。

そんなんでコロナになると無理だ。当たり前だけど。

そしてわたしは四月までは死ねない。

死んでも誰かにゾンビにしてもらってやるしかない。

主治医は娘ちゃんは若いし体力もあるからいいけど、わたしはコロナにかかったら合併症でダメだと思うからさ!とか笑って言ってるし。

やっぱそうかい。わかってるけど。そりゃ難病も多少は関係あるし、なんたってわたしはまだ左肺は治ってない。心臓も奇形だし勝手にいつでも低体重すぎて心不全になるような人だ。心肺機能両方だめ。体力なし。免疫機能なし。自己治癒能力などほぼゼロ。そんで重症精神疾患で四六時中動悸して息苦しいだもね。

コロナになってなくても咳のないコロナの症状がある人だ。

空港なんかもう行くことないけど平熱は難病のおかげで高い時は37.8とかだからすぐ取っ捕まるよ。

で。

なんとか娘ちゃんの免許は2月の末頃ぎりぎり取れた。

で、次の日辺りかなー

この頃は北海道が緊急事態宣言した日だったから、娘ちゃんの学校の卒業式もどうなるかわからない。

うちは突然の手術が決まってすぐ学校の担任に入院手術が卒業式の数日後だから。と言って欠席にした。

入院前に風邪さえ引かないようにと言われてるくらいだし、しかも二人とも難病で免疫を下げる作用がある薬を飲んでる。

だから娘ちゃんとも話し合って、娘ちゃんも別に学校に未練が全くないし行きたいとかあんまない。と言うので欠席にしたのだ。(少し無情でそれはそれで怖い。小中学校の卒業式の時も未練なかった。すぐ未来にゴーって感じ……


学校は学校でめちゃくちゃパニックになってる。

もううちは欠席だから式のことなど関係ないのに、いちいちわたしに担任からLINEがくる。

在校生の出席をやめた。

から始まって、日々増えてく患者数に比例するくらい連絡してくるんだけど。

次は保護者の方も不参加でする。

次は証書の授与は各クラス代表一人がもらうだけにする。

次は祝辞、来賓の方省略。

だいたい2番目くらいで、わざわざご連絡ありがとうございます。

も返さなくなった。

で、国が自粛を発表したから卒業式の日にちすら予定の次の日に変わってた。

もうご連絡いらん。

学校では初めての事で職員は消毒作業をまず徹底してるところです。とか。

だからなんだよ。うちは欠席なんだっつーんだよ。忙しいんだよ。

と書きたいけど既読スルーにした。


ただ最初の方に欠席の場合は、後日校長室で授与が出来るので。

と言われたけど行ける日などないけど。

娘ちゃんは退院したあと数日わたしの家で抜糸まで過ごしてからその後抜糸の日は1番早い時間にしてもらってそのまま引っ越し先に行くのだ。

この数日は娘ちゃんは地獄的な痛みでほぼ食べれなかったから眠る時は少しは環境良くしてあげたい。と思ってわたしは4日くらいソファで寝た。喋ることもできないし腫れも結構出た。可哀想だった

で、わたしもソファはすげぇ痛いねん身体が。首ももげそうだ。毎晩苦しむ。

なのでほぼ起きてた。

娘ちゃんは結局鎮痛剤は術中の点滴もその後一回の点滴とあとは痛くなったら飲む薬の種類はアセトアミノフェンで済んだ。

「これはちっとも役に立たない奴だな全く。」

と最初文句を言ってたけど、だんだん少しずつ飲む回数も減ってなんとか終わった。

入院しててもらってる間にわたしは学校に卒業証書やなんか大量のプリントとか色々取りに行ったり、所用を済ませた。

娘ちゃんが入院するときは一カ月とかでも絶対に毎日行ってたけど、今回は入院時と手術の日、退院の日以外は主治医に来るのを止められてた。

この病院はコロナの受け入れる特定指定病院だから。

で、実際にその時3人だか感染の人が入院していた。

別棟だからそれはあんま関係ないけど、わたしの診察の時さえ、ほんとは肺を毎回診るのに、レントゲンはしばらくやめよう!すごい来てるからー!みんな撮ってるよ!とか言われるくらいだったし、毎日外来の玄関から入って病棟に行くにもとてもリスクが大きすぎる。


そして抜糸も終わり、難病の方の紹介状も完璧に用意できてたので、この地とも本当に最後のお別れの出発をした。

今回は行きは一緒だけど、これ。帰る時ひとりか

しかも何時間もだけど。

と、ここに来てふとなんとも言えない感情になる。

バタバタして、心配で、事務的な事や娘ちゃんの新居で足りないものを用意するとかがあったりでめっちゃ機械のように動いてたけど、大きい試練は乗り越えたんだ……

って感じなのかな。

一気にしんみりだ。


今まで色んなことあった。2人でめっちゃ楽しかったし、もやっとした事もあったり、険悪な時もあったり、すごい長い時間真剣に話したり、猫のようにいつも気まぐれにべったり甘えてきたり、一緒に好きなユーチューブ見て笑ったり、難しい病気と戦ってきたり、なんかすごい濃い時間を過ごしたな。

娘ちゃんとの暮らしはもう二度とないんだろう

いつも娘ちゃんとも当たり前に行ってたカフェももう行かない。


娘ちゃんは就職先に緊急事態過ぎることばかりでそれでも全然嫌な雰囲気なく都合を合わせてくれたりと、とても有り難かったのと迷惑をかけてしまった。

ほんとは入社前からアルバイトで入るのも半月遅れたし

なので娘ちゃんはついた次の日にすぐ制服合わせをして、色々お話しを聞いたり提出するものや事務的手続きとかをし、翌日から普通にフルタイムで出勤だった。

そんで、3月の末に23日新入社員全員参加の研修をして41日は入社式だ。

うちは遠方からだから、ギリギリに引っ越しができない事を相談したら、それならアルバイトのかたちから入ったら3月初めから会社の管理してるマンションに入っても良い。って事だったのだ。




わたし。

その日から一度も家から出てないんだけど。

(これは3/23くらい)

もちろん北海道だから不要不急のナンチャラで出ないってのもあるし。

出る気もさらさらない。

2月からは家に尋ねてくる人がいたらマスクをしてる。2回くらい頼んだネットスーパーの人に、こいつコロナで自宅待機⁇

とか思われそうでやだけど。

まぁヒョロヒョロしてるし病気で寝たきり?

とかの方かな

とにかくなんか誤解されてしまいそうだし食欲も体力も一気に無くなって寝込んでたのは事実。



まだいまはできない申請の変更や役所の手続きなど山ほどあるけど

なんとなく地球上にひとり取り残されたかんじ。

突然ぽつん。と自宅が隔離病棟みたく閉鎖している。


今は4月になりめちゃめちゃ話がたくさん残っているけれど、とりあえず一度投稿しておこう。

自分の記録としてもいるのに昔話を書いてるくらい目まぐるしく毎日事件が起きて訳がわからないよ。


つづく。


『セミタイトル通りカオス』

2020になりましたね。

1月に外出したのは片手で足りそうです。

わたしの精神科に行ったのと、娘ちゃんの継続的要観察の奇病の病院で最後の検査をしてその結果を添付して次の娘ちゃんの新しい病院に紹介状を書いてもらう目的の医大。

なんら未だに症状は出ず病気でもないが継続的に半年スパンくらいで血液検査が必要だ。

娘ちゃんは社会人になると、わたしと離れて暮らすし今後の金銭的負担を減らすことはとても大事です。

なので病院は同じUCの所だけど違う科に出す予定だったのを、血液検査だけだし、UCでも血液検査は定期的にするからついでに検査項目をその分を増やして一科で終わらせられるようにしてもらった。

医大の主治医もそれがいいと言ってくれたし、ほかの科の先生も症状が出たら専門的な科にかかればいいと言っていたのでそうゆう事にしてもらった。

あと今のUCの主治医からは次の娘ちゃんの病院のセンター長には強みが有るけど医大の方の先生とは特に接点が無いので、医大の紹介状はUCの主治医から出すやつと一緒にして主治医の方からも口添えをしてもらい全体的にうまく計らってもらえるようにお願いした。

気になること、伝えたいことがあったら紹介状に一気に書くから言ってねー!

と主治医が言ってくれたので気になることは心残りなく話して打ち込んでもらった。

娘ちゃんはあんま一般的にかかる風邪やら腹痛はしたことない。インフルとかもない。

なんせ難病がわかるまで皆勤なんだから。

関係あるのかわからないけど鉄欠乏症貧血なので肌が恐ろしく白く、いっときは3ヶ月治療をしたこともあるが、薬の副作用が嫌だっのが残っている娘ちゃん。

いまも全然正常値に一度もなってないけど、ぎりぎり治療しなくても良いかんじだ。

でもこれも定期的に血液で確認してほしいと言った。

あとは高1の時に帯状疱疹にかかって一ヶ月くらい通院した事。

疲れると出やすくなるので、帯状疱疹を一度やってるから体内ウィルスがあるので汗疹とかと間違いやすいけど、キャリアもちだからその辺もまた発症したら他の科に回してやってください。と言った。


毎日のわたしはうちの中ではほぼ横になって寝ている。

舌痛症で食欲はない。

前なら無理にでも食べていたけど、それもだんだん嫌になってきた。

痛くても多少は美味しいと思うなら食べれるかもだけどマズイか無味ならやはり口を刺激したくないのを優先してしまう。

その代償でどんどん衰弱が進行する。

今は四年近く前に一度だけなった33キロ台にずっといる。飲み物やさほど噛まなくていいものしかもう食べてない。

閾値を上げるとやらをしないとならないらしいが、多分わたしだけじゃなく、主治医も無理だともうわかってると思う。

今はシャーペンでも書くのに動悸やめまいがする。座って立つ時の立ちくらみどころではない。

もはやベットで横になって向きを変えるだけでも血圧が下がったみたく血の気が引くようなのと目が回ってしまうというわけのわからんやつになる。


でもってしかし寒い。

北海道は酷い寒さの時、いやー凍れた(しばれた)という。

明日(いつのことだよ)の朝は25くらいかなー

昼でも10以下だなー

アホみたいだね。


あ、こっちはいちいちマイナス25とか言わないんだよね、テレビで道民が言ってるのやってるやつあったから見た人は知ってるかな。

てか特に北海道にみんな興味ないよね。

自分もだけど。




書くのが尋常じゃないほどおそい。今もう2月だ。てか2月も中(この日2/16)過ぎてる。

あれからまたドリフの大爆笑の展開でとても付いてけてないよ。

よく、卒業してお仕事が始まる前に23月は学校は卒業式までほぼ行かないから歯医者など診てもらっとく方が良いよ。

とかいうやつを担任に言われたらしい。

で。今回もやらかした。

娘ちゃんはとても素晴らしいカオスな娘である。当選好きである。

21日朝起きた娘ちゃんは昨日から奥歯が変なんだけど?なんなんじゃ

というではないか。

わからな過ぎるんだけど痛いというかなんか押されている。


………オサレテイル⁇

え。何言ってるのかわからないんだけど。

とりあえずすぐに幼稚園から小学校まで女の子だから歯は大事なので歯並びの矯正をしていた時の歯医者に行った。

中学に入るまでは定期的に虫歯のチェックやフッ素に通っていたけど部活やらなんやら忙しくなってから自覚する痛みとか、学校の歯科検診で見つからなければいかなくなった。

未だに虫歯は0個だ。

で。けつろん。


親知らず下の二本がとてもおかしい方向に向かっているよ。

だってさ。

わたしの悪夢再びだ。


しかもわたしが最初にもめたのは口腔外科の個人歯科でさえ、たらい回しにされたが、

娘ちゃんの所は普通の歯科。

外科の先生が出張してきて親知らずとかの手術をやるらしい。


娘ちゃん1人で行っていたのでLINEで会計待ちのときどんなだったかをざっと書いて連絡してきた。

で、私たちは保険証やらお薬手帳、診察カードや受給者証など大量にあるので全部が入る医療系でまとめた入れ物を持ち歩いているので

難病のこと言った?鎮痛剤とか気をつけないとならない事だからね?と言ったら

歯科助手の人に難病のことを明かしたら受給者証とお薬手帳を出してくださいと言われたらしく見せた。

で、しばらくしたら、また連絡してきて、最初は、やる気まんまんで外科の先生が来てくれる日にちを紙に4つくらい候補で書いてお家に帰ってから考えて連絡してね!と言ってた先生が、手のひらがよじれて骨折したんじゃないのあんたと思うほど態度が急変だ。


はいまたでた


持病抱えてそんな弱い鎮痛剤しか使えないなら親知らずは骨まで行くのに無理無理!そんなの全身麻酔でやるやつだよー。外科の先生、やりたがらない!

とか苦笑いして平気で全力で拒否られた。

らしい。

お母様がお腹の病院で入院して親知らずをしたみたく、娘さんの場合もお腹の先生がすぐ情報わかるそちらにしてもらうのが絶対良いからうちからは紹介状書くよー。と言われたことなどを帰ってから詳しく聞いた。


……ムカつくから次の日の朝イチで電話して

言われなくてもそちらがお腹の病気に知識あるのか不安だったので主治医に相談してまた連絡するつもりでしたけど。

と言って電話を切り、そのあとすぐ難病の病院に電話したら、

今の時間は外来診てるから聞いてみますね、折り返します。

と言われたけど、五分くらいで看護師さんじゃなく直で絶大なる信頼をしてる主治医から電話してきてくれて、事の顛末を話した。

わたしの時で十分わかってるし、わたしがもう精神がやられてること、娘ちゃんのことであたまが普通ではない事、そんでもう身体は死体化してる事を退院したばっかりだからわかってくれて、

そこの歯医者さん、どこの外科の先生来るのか知らないけど、こっちからお断りだ!

うちでやるからむしろ勝手にそちらが絶対やらないでよ。

紹介状だけ患者さんに渡して!と病院から言われました。

と電話して言いなー。

と言ってくれた。ほんとにこの人良い先生で涙が出るよ。

で、個人歯科にそっくりそのまま言った。

その次の日紹介状を取りに行ったらすごいご機嫌取りをしてくる。

娘ちゃんが最初に行った時見えない根元で隣の歯に当たってる部分(親知らずはまだ両方頭が出てない)を少し処置して噛み合わせ直すね。ってのを確認して、とても良くなった!

歯石も何にもないしほんとに綺麗な歯だねーとか。言ってる

娘ちゃんはあらゆる美容、色んなことに気をつけている。

当たり前だよ高いオーラルケアグッズをどんだけ使ってんのか知ってから言え。

とかブツブツ言っていた。

で、紹介状をもらって、2日後いつもの巨大病院。

先ずは話をつけてくれた難病の主治医の所に行きわたしの時にしてくれた先生でお願いするからね、と言ってくれた。あの医大の口腔外科の偉い教授とやらも僕より腕いいよ。の先生だ。

で、診察室で話してるとき、今手術に入っていて今日は診れません。

と向こうの外来看護師さんから連絡がきた。

私たちぼーぜんだ。

え。今日来てそのまま診てもらうんじゃなかったっけ?

またもっかい出直せと?と、とても呪った顔をしたと思う。

主治医はいやーそっかぁ。なんの手術かなー歯医者のことはわからないなー長いのかなー来てねって言ってこれじゃ申し訳ないしまた来るの大変だよね。

と言って、すぐに先生は直接オペ室に電話し、

ごめーん!〇〇先生さー僕のずっと診てる患者さんなんだけど、そちらの予定とか見ないで今日来て歯科も診てもらうこと言っちゃったんだよー。終わったら診れるかなー?ほんとごめんねー。

と一方的に話すと、すぐ決まる。

断られる事など初めから想定していないんだろう。

優しいけど、病院内の従事者は誰もが逆らえない恐ろしい權力の持ち主である。

笑顔で私たちにはよかったーやったねーと言って、口腔外科の外来で終わる時間わからないから少し待つけどいいかい?ごめんねー。

とか言ってくれた。


あーほんとよかったわ。無駄足になる所だった。

わたしはもう歩くのはとてもじゃないが辛くて外出した日は次の日から大変な日数を寝込むのだ。

まして北海道の真冬は心も身体も肺にも染みる

娘ちゃんはお元気だから売店いこー!とか言って待ってる時間を楽しむ。

なんだかんだとやってたらすぐに口腔外科の先生が手術から帰ってきて診てくれた。

待ってる間に画像を撮っていたのでそれを見て、

うん。全身麻酔でいこう。

局所で一回一回痛くて怖い思いするよりずっと精神的にいいからね。

だって。

歯で全身麻酔かよ。とか最初の個人歯科で小馬鹿にしたけどやっぱそうなんだ

リスクを聞いても口腔外科の治療の全身麻酔は特に問題ない。

UCの主治医から電話で今お腹は安定してるからどんどんやっちゃっていいからー!

とか言われてるからかな

そのあとの痛みには数日鎮痛剤は必須だけど、わたしは親知らず一本だったからか1番安全な鎮痛剤(効き目も当たり前だけど弱い)を普通の人の半分の量だかにして飲む日数も少なくいく。

とかにした。

それでも飲むのが嫌で結局麻酔が切れた時と夜中に飲んだきりだった気がする。

それでまぁまぁ痛みはきつかった気はするけどもう忘れた。


娘ちゃんにもわたしと同じアセトアミノフェン(カロナール)で1回につき最高500ミリにしてほしいと言った。

先生は、少し考えて、痛みを我慢するのも悪いことだから、それでも痛みが強かったらロキソプロフェン(ロキソニン)でいこうか?

きっと問題はないとおもう。

と言われてわたしも娘ちゃんも同意した。


全身麻酔は一年前肺の手術のときやってエライ目に遭って終わった後はICUでしばらく身体中装置だらけだったからそうなる事しか考えられなかったけど、聞いたらすぐに病棟に戻って、大丈夫なかたなら負担かからない夕食を食べますよ?

とか言ってる。

全身麻酔という言葉が恐ろし過ぎて内臓の手術をやるのとは違うんだね。



でもって

最悪なことに患者さん待ちが凄くて一番最短で3月初めとか言うではないか。

あのね。

3月初めに娘ちゃんは地元を離れてお引越しの日まで決まってるんだけど。


色々相談して、それじゃあお引越しを先にしといた方が入院して手術もして、多少なりともその後縫合不全や感染症や合併症が全くないなど言い切れないからしといた方が安心だし、そうする事にした。


その後のわたしの死亡率がさらに上がったなとわかる瞬間だ。

引越しのときかなり心も身体もやられる。

業者さんだけじゃなくいつものヘルパーさんも一応来てもらうけど、貴重品とかあるから手を全く出さないことなどないしね。

そんで200キロ近く離れた場所に追っかけて行って新しいマンションの鍵を開けて荷降ろしをしないと。

その日は朝一で来てもらい、わたしは日帰りは自殺行為だから一晩は娘ちゃんの所に泊まると思うけど、普段の生活でさえ1日どっかに用足ししたら2日くらい寝込むのに大丈夫なのだろうか

とか思ってたんだけど


で、引越しの次の日わたしは自宅に戻っても娘ちゃんはその後たったの2日後にまた地元に戻って入院だ。

わたしと引越しだけして娘ちゃんも一緒に帰るのも考えたけど、家電一式が次の日電器屋さんが配達と設置にやってくるのでだめだ。

これが決まった時、引越しのときは自分の車で娘ちゃんと行かないとならないのはわかってはいたけど、入院の時は娘ちゃんは交通機関で一人で戻って来てもらうつもりだった。

でもさ、ご存知の通り北海道にコロナ患者様が出たわけだよ。

北海道の一番の大都市経由で帰ってくるのはとてもじゃないが怖い。

いくら今の娘ちゃんはお元気でも、術前で、しかも難病の薬は免疫を抑制する薬だ。抵抗力もない。はっきり言ってそこらの高齢者の方がお元気である。


またわたしがその当日の朝迎えにいくと思う。何時起きだよ

そのまま引越しのときからずっと娘ちゃんの新居にいたらいいのかともかなり考えたが、ちっこいワンルームで荷物にまみれたい放題でどんなとこだかもわからん。

しかも不眠症だ。

それなら自宅に戻った方が気持ちは楽かな

とか思ったりめちゃくちゃすげー迷う。

なんせ一番雪深い時の峠越えだ。

それを数日で片道200キロを2往復とか普通の人でもやめるだろう。

あーー

考えられない。考えると意識不明になる。

これは天候次第にしよう。ホワイトアウトの峠越えは無理だから通行止めにもなる時あるしね


書いてるだけでもうすでに始めているくらい心も身体も疲れる。

娘ちゃんには悪いが晴れの卒業式さえわたしは学校に行き座っているだけだけど大丈夫なのだろうか

と不安で仕方ない。

人がごちゃごちゃいるのなんかしばらく出くわしてないし、駐車場から体育館とやらにいくまでに生き倒れることになるという自信しかないんだけど

人がやだから保護者控え室なんぞにいないし。

1時間以上開場まで待つと思うけど車にいよう

で、終わったらすぐまた戻って娘ちゃんが来るの待ってよ


あーしんどいわ。

そのあとは帰ってから荷造りした段ボールやら荷物を娘ちゃんの部屋からリビングに全部置いといて、次の日の朝に引っ越しだからすぐ出来るように段取りしとくのだ。

その日だけわたしのベッドで娘ちゃんは寝るという事にしてる。


あーしんどい。

引っ越しがどんな事になるのか、入院手術はどうなるのかは今はわからないし、予定が全部ひっくり返って変わったので、これ以上書いても読んだ人もあたまが悪くなって困ると思うのでやめますね。


とりあえずわたしの弁護士には不測の事態があまりにもキャパ越えしたので予定より早く死んでからの事(死後事務)をかなり詰めている。

その内容も娘ちゃんのことが色々終わって書く事が出来るようになったら書きます。


あ。とりあえず術前検査や各科の受診を昨日してきてまたなんで問題ばっかでるんだよ。なんなんだよ

と一気にまたわたしの寿命がなくなった。


つづく?



『入院する&2019が終わる』

今年が終わる前になんとか投稿したい。

あけましておめでとうございます。

は嫌なのだ。

おめでとう。を言いたくないだけ。

と自己満足の為だけで焦っております。

いつも通り1ヶ月くらいかけて書いて終わりました


で、本題。書き始めから


毎年恒例行事みたいだけどいま入院している。(12月はじめ。)

身体がもう役に立たないんだけど。

なんの用事足しも出来ない。ふらつきと身体の色んな痛みで動けない。


また去年の気胸がわかったときみたく時折むせ返って話してられない感じに最近なっていたので、年末になってからまたあれ(ドレナージ手術)をバタバタやられる前に、以前からUCの主治医に外科の執刀した人が転院した病院に一回診てもらおうと言われてたのにまだ面倒くさくて行ってないから一番体調が悪い時に時間外だけど行ってみた。

で、まずはそれだけが具合悪い訳じゃないからいつものかかりつけの病院に行った。


当番医にどうなされましたか。と最初聞かれても

何て説明したらいいのかわかりません。

といった。

主治医はここの副院長だから、主治医の名前くらいはみんなわかるので、

主治医にはここは大きい病院で救急指定病院だから風邪でもなんでもおかしい時は君はここに来て。

って言われてるから

身体がとてもおかしいから来ました。

と言った(小学生の方がちゃんと話すね)


その日の当番医は知らない人だったけど、わたしのIDで全記録が分かるのでPCを見ながらまた気胸おこしたかなとか言ってる。

で、病棟医師も来てエックス線だけじゃなくCTもとってみて。とか指示されてた。

あと熱が微妙に高いくらい。

385分過ぎないと熱あるのかなという自覚がわたしはない。

あとはずっと左側の上腕、背中、胸が痛い。


気胸だけじゃなく全部がおかしいんだけど。

って言ったら、そのまま検査とかするから泊まることにした。

気胸ならすぐに処置しないとダメだけど検査しても術後毎回ここで確認してもらってる大きさ(膨らみきれないけど漏れてはいない)で変わらないという。

とりあえずあのアホかと思うほど苦しい手術はしないで済みそうで良かった。


次の日の朝から身体のいろんな不具合を、診てほしい科全部に受診してもらう事にした。


朝になってまだ外来診察が始まってないときに主治医の先生が病室に来てくれた。

(退院する日まで毎朝きてくれた。)

担当した時間外の先生(こいつはその日だけ)と病棟担当の先生(こいつは来た日に最初に診ちゃったから病棟主治医になったので毎日朝晩くる)は話したらなんかムカつくな。という感じの嫌なオーラを感じていたから、最初に主治医が来た時は気持ちが張り詰めていたのか、目を見た瞬間なみだがでてきた。

全身から優しいがでてる。

そして心の底から患者のことを想っている目だった。

ほんとうの医者なんだな。とおもった。

でかい病院だから外来の棟からわたしの病室にくるだけでも面倒だし時間もかかるのに

あとは今思うとここ数ヶ月のわたしの状態は一人ではきっと抱えきれるものじゃなかったのも気になってくれたんだと思う。



ただ涙だけを流し続けて泣いてるわたしに、

どれー!ちょっと色々診てからだけど、何か悪いとかならほんとにまずいけどさ、ただちょっと疲れちゃってるのかも知れない!まず身体休ませてあげよう!ちょっとだけ待っててね、外来始まるから終わったらまたくるからね!

と言って外来に戻っていった。

わたしの精神病(被虐待児の事も)、身体の癖、身寄りがない事、娘ちゃんが色々大変、わたしは人に自分のことを周知しないからいつも一人でくるし、去年のやっかいな手術でさえも別に誰かの承諾も同意もないから勝手にしていいよ。という人だ。

そんな細いこと全部を知っているからこそ安心する。

しつこいけどとても良い先生だ。


夜の、態度が医者だからオレはエライんだぞ!みたいな当番医と、偽善者丸出しでお前の心配などしてない。が丸わかりの作り笑顔全開の担当医が嫌で、話すのも面倒なくらいわたしの心が全力で拒否るのを感じたから、症状とか具合を話しかけてきても

ここの病院ほんといつもやな感じ。

だから副院長しか信じてないんだけど。

とか言ってた。結構我ながらお前こそやな感じだよって患者だった。



ちなみに言えば看護師もきらい。

病棟の看護師はそれを倍増するくらい嫌い。

外来にいる主治医付きのいつもの看護師さんしか用事とか話しとか相談はしない。

わたしが運が悪いのか看護師でいい人をほぼ見たことがない。

色んな病院、色んな科にかかってきたけど、こんなにEQの低そうな人ばかりで、看護師という職業はそうゆう人じゃないと出来ないのではないかとさえ思えてきてる。

わたしはあんま会話が成り立たない(続かない)ので他の患者さんの接し方とかをやたらと観察してしまう。

患者よりお前の方が情緒不安定だよ。

とかおもう。

優しいどころか物言いが怖い話し方や太々しい態度だな。

とかおもう。

ナースコールで呼びつけてなんだよ?面倒くせえな。と顔に書いてますよ。

とかおもう。

とりあえずまとめてあげると、そんなに嫌なら辞めたらいいのに。

こちらが迷惑だから。

中には感じの良い看護師さんも米粒くらいはいるけど、人格の問題だからその人は別に看護師だからじゃなくて、専業主婦でもコンビニ店員や事務員でも良い人だろう。

まぁまぁとにかく病院で働く人間はほぼ嫌いだ。

格好や肩書きで世話してやってる感もあるのか自分凄い人。みたく勘違いしてるのがやだ。

凄い人はお金とかにも困ってないだろうからそんなイヤイヤ働かないと思います。

そして病気なのに患者さんが看護師の機嫌の良い悪いがはっきりしてるから気を遣うので大変だから辞めてあげて。


そして担当医になった医者は、副院長が朝から慌てて来てくれたりしていたので最初コイツはわたしは大したことない患者だろう。とっとと帰ればいい。みたいな態度に感じていたが副院長が、しばらく入院してさぁ、休んで身体安静にしよう。と言われてるのがバツが悪かったのか急にわたしに口調も接し方も優しくなった。

副院長の顔色を見るばかな医者

患者の顔色を見やがれ。

悪口おわり。


わたしはこの1年書いた通り厳しいことがたくさんあった。正確に言うと去年の真夏に娘ちゃんの難病が発覚し、その合併症の影響で花の高校修学旅行直前まで入院して行けるんだからわからない不安定な毎日、まだまだ受け入れられない娘ちゃんの難病に落ち込む隙間もないほどバタバタした後のまさかの年末にじぶんが肺手術からだけど。


もう今年も終わるみたいだけど1ヶ月くらいしか経ってないような感覚だ。

娘ちゃんの事では本当に世の中への怒り、悲しみ、悔しさ、やり切れなさ

そしてわたしなかんかが親という娘ちゃんへの申し訳なさと自分の無力さで心が死んだ


身体がぼろぼろで済むならそれでいい。

あと2ヶ月ちょっとだけだから娘ちゃんと一緒に暮らす最後の時間を大切にしたい。

だけど心が壊滅的におかしい。

感覚もなにもかも。


きっとそろそろ書くことが出来なくなるし書く内容も全てが終わってしまう時期が近づいてるとおもうから話そうと思う。

今回もめちゃくちゃ長い日数をかけて書いてる。

今はもう退院はしている。


別に正直に書いてわざわざ身バレをしたい人などいないと思うが、このブログの形?を作ってくれた人が気を遣ってくれて全く所縁もないところを住んでる地域にしてくれた。

でもまぁきっとわからないと思うし芸能人じゃないのでわかったからなんだと思うのでほんとに住んでる所を書く。


わたしがずっと今まで生まれ育ってるのはとんでもない所だ。

北海道だ。

子供のころは朝平気でいつもマイナス30度になっていた。

今はほんとに温暖化なのかあったかくなってるけど真冬はマイナス20度越えはざらにある。

雪もひどい。山形とか青森の豪雪まではいかない。あったかいからそこら辺の地域は雪の方が辛いだろう。

こっちは寒いので雪質も湿り雪ばかりじゃない。

北海道は地域によって全然違うがわたしのところは寒いし大雪も降るところ。

積もらずあんま寒くないよ。

ってところもたくさんある。

ここは一晩で起きたら外の景色が全く変わって雪が50センチ以上とか降り積もってあっても特に驚かない。

玄関のドアが積もり過ぎてあかないこともあった。

古いアパートに住んだときは寒くて中にいても外からでもカギが開かないこともあった。

鍵を火で炙って熱くしてからまわすのに外出する時はライターは持っとく。

とか冷えこみが酷そうなときは鍵をかけない。とか工夫してた。

あと寒いと壊れやすいんだけど、ストーブが壊れることも良くある。寒いほど必要なのに寒すぎると壊れる。これはつらい。

そんな時は身寄りがないし、建築屋の時とかは帰宅が遅くなってたから一人でラブホに泊まったこともある。

凍れて車のドアも開かないとかもある。

ゴム(モール)が凍りついてひっつく。

そんなときはどっかのドアが開いたら潜り込んで運転席に行くとか。


そのくせ夏は35度とかにもなる。

大地が広大過ぎて本当に地域によって気候も何もかも違う。

そりゃ3つの海が全部あるしね。

日本海側の冬はほとんど吹雪の日で生きてるのが不思議だなと思えるような人々がいる。

内陸の寒さに耐えるにはロシアや北欧の人とかならイケるだろう。

網走監獄が有名なのは、昔とんでもない悪人を収容するにはここを選ばれるのは当たり前な場所だったろうな。

とおもう。

アンビリーバボでやってた昔のヒグマの話しとかも今もそれほど変わらず近隣で生息してるし、鹿なんか全国どこにでもいるわ。

とか思うだろうけど、こっちのはせんべいなどあげない。普通に野生だから突進してきて車が廃車になったりする。特にまれな話ではない。

車屋の経理をしてたとき鹿とぶつかって廃車になったお客様がいてとても気の毒だった。

保険の適用に相手とどっちが悪いかの割合もくそもない。

と悲しい顔をしていた。

あと、きつねは市街地でもどこにでもいる。

エキノコックスに注意をすれば良いだけ。

こっちに無くていいね。

と言われるのはゴキブリだ。

でも学生のとき飲食店でバイトしてたらちっこいゴキブリはいたけどあれは違うのだろうか。


……というアホみたいな場所にわたしは住んでいる。


まぁまぁ元気で若い時なら、なんとかこの人間が住むところじゃねーだろ。って土地でも暮らしていた。

ただ身体が衰弱するにつれて今はかなり生きて行くには難しい所にはなってる。

ヘルパーさんに雪はねやタイヤ交換など雪国ならではの辛い事はしてもらえる。


雪道の運転はトラックも乗っていたから特にアイスバーンでもホワイトアウトでも不安はないけれど、たかが数センチ車の上に積もった日にスノーブラシを片手で払う事はできない。

市の除雪が追いつかない時は中道は後回しにされる。

うちは中道に家があるから路面の状態ではどんだけ慣れていてもあずったり、うまる。

道具がなんもない時は専用のヘルパーや無ければ剣先スコップをタイヤにかまして脱出したりする。

あと牽引ロープくらいは積んでる。

バッテリーがあがってしまうのはとても困るけど近くにいた人の車でリードしてもらったり助け合い精神がある。

埋まった時も外からタイヤの空回る音、アクセスをふかす音がなかなか止まないと気の毒だから近所さんが誰かもわからなくても押しに来てくれたりする。

わたしも若いときはスポーツカーとかだったし車高が低いのでたまに気をつけても埋まったら何人かで助けてくれた。


雪国の人はみんなそれが当たり前だ。

今のわたしはそれももうできないけど。

一昨日くらいにシャープの字を消すのに少し消しゴムを使っただけで体力なくて具合悪くなったのにはとってもがっかりした。もうボールペンでは筆圧が強くなるので疲れてしまうからシャーペンで書くことが多い。

それくらいこの一年、急速な速さで体力の消耗が激しい。

ほとんどうちで寝ているけど何もしなくても動悸や息切れできつい。

動悸は背中まで感じて脈打つ程ひどい。



あとまたここの土地の話しに脱線するけど、一応たまにメディアとか見て憤慨するから訂正しときたい。

あのね。

バカにするほどなまりないんだけど。

特にわたしの住んでるところは標準語にかなり近いんだよね。

昔はどうかわからないのと浜の人は浜言葉があるから地域によっては全国でも知らないなまりがあるくらい。

だけどばかにしてるのかよ。

と思うようなテレビでわざと大げさに使うやつは誰も使わない。

そだねーは使う。

これは標準語だと最近まで思ってた。

それと、ワヤだわ。も標準語だと思ってた。


まぁ、あとの

したっけ、うまいっしょ、だべさとかを大量に使うのは大概にしといた方がいいと思う。

使いたいなら本当にそれを言ってるのかリサーチをしに来い。

っていう位使ってもいないし、イントネーションや目を剥きながら使うのは何それ。と思うくらい大げさだ。

あ、ゴミを投げるは言う。捨てるじゃない。

本州を内地とも言うのも本当だ。

後はとにかく面積が広すぎてずっとここにいるけどわたしもわからない事があるかな。

一応100箇所以上ある道の駅スタンプラリーは2年かけて完全制覇した事があるのとクルマが男並みに好きなので結構みんなが知らないところに行った事や通った事ないところは行ってるかもしれない。

北海道は異国の地のようなものだ。

もし何か質問があればお気軽にコメントをどうぞ。

そう。そうなんですよ。

今年の1月に肺の退院後すぐに娘ちゃんの足がおかしくなって病変が早すぎるからおぶって病院に連れてったのも極寒吹雪のときとかだったのだ。

肺に冷たい空気を吸い込むのも体力がすごくなくなってるのもあるし、冬は色々と今の身体に負担がかかるから退院後は最低でも1カ月は安静に。

とか言われたころ毎日娘ちゃんの事で動き回ってたり、内容も衝撃的なことだったしで、そこからも身体も心もバカになってる。



で、また話しをかえよ。

入院中いろんなことがあった。

わかったこと、考えさせられることも。

私の身体は今更驚きもされないが165センチ以上身長があるが体重は35ないくらいだ。

でも拒食症ではないので毎月完璧な周期で月経も来る。


ただ。

今までと今回入院して出た検査結果で変わってきていること。

全身状態がわるい(知ってるけど)

これは多分気づいてくれないと思うし何が悪くて具合悪いんだよ。と、一緒に考えてもくれない医者が多いと思うが、私の主治医はなんでも時間惜しまず付き合ってくれる。

なんせ専門外の気胸のレントゲンの画像をこれはなんなんだー?骨か?ここがだめなのかー?とかわたしと一緒に見て考えたりするような人。

とても楽しい。

で、今回わたしは全身の何が悪いのかわからない病。について考えてくれた。


まず手術した肺は左だけど肺じゃなく全部痛い。あの手術後で自分の身体がなんか全部変わってる感じは年明けからはあった。

例えるならば身体のバランスが天地がひっくり返ってるくらい不思議な感じ。別人。

あと舌痛症の苦しみは誰にもわからないだろう。

人によって違うんだろうけど、1日も大丈夫な日はない。

朝からMAXできつい日、徐々に時間とともにきつい日、食べるとダメは必ず同じ。

食べないと死ぬから食べる。

という食に対しての人としての価値観が皆さんと大幅に違う。

めちゃくちゃQOLが低いにも程がある。

わたしはいつから、あ、美味しい。

という言葉を言わなくなったのだろう。

今は舌や口腔内になるべく刺激を与えたくないので沢山噛むものはだめだ。

甘いものでもそのあと耐え難い苦みに味変するし、これはすぐやな感じになるかな。

ってのが、あれ?そうでもない。とかで、食べ物はどうなるのか見当がつかないロシアンルーレットのように食べてる。

なのでのどごしがいいもの。がほとんど。

すぐに飲み込まれるのを食べてる。

飲み物はあったかいものしか飲まなかったけど、それほど熱いものじゃなくてもはとても刺激するのでそれもダメになった。

そんなんだから食べる量も少なくなるし、栄養的にも良くないものだろうからまた体力が減るし体重も減る

食べたくないから食べないってのもあるけど。

わたしにとって食べる行為は傷口に塩を塗りたくって下さいね。ということに近い。


耳鼻科に今年の初めころ行って舌痛症だからそのうち治ると言われたのは書いた。

今回はしらみ潰し作戦でここの病院に入ってる口腔外科に診てもらった。

ここで2年前に親知らずを抜くだけ。という入院をしている。

で、そこら辺が関係あるのかとか、なんかわからないけど、今年ずっと調べてたときに抗生物質の投与や抵抗力が弱っている時に口腔内でカンジタ菌とかが悪さすることもあるってのを見たから細菌の検査もしてもらった。

所見では口腔内の異常は全くないと言われてしまったので気休めにどうぞ。

と、その間うがい薬をくれた。

……ばかにすんな。

1週間で検査の結果は出たけど口腔内はカンジタとかそうゆう真菌的なのはない。といわれて終わった。


治せないものはもう諦めてるし嘆いてもいない。

治るものは治したいんだよ。

と最初入院した日に担当医には伝えた。

でも、口腔外科の先生はどこの耳鼻科の先生に言われたのかわからないけど、これも治らないよ。

だって。

そりゃ精神薬飲んで治る人いるから。とか言われたけどまぁ治ってはいない。

てか舌痛症になる前からかなりきつい精神薬を長年飲んでる身分で治るわけはないね。

精神的なストレスとかがかなり関係するらしいけど、舌がおかしいだけでもそれがストレス過ぎて何のストレスを発散すれば良いのかわからないし、やけ酒とかやけ食いとかどっか行くとかなんも出来ないんだけど。

で、最後にうまくこれと付き合って暮らしていくしかないですね。

乾燥すると辛いからなるべく口渇に気をつけてね。

だってさ。


そうゆう結果も親愛なるUCの主治医に話した。

そしたらまた考えてくれて、少しでも楽にしてあげないとなぁと舌に塗る薬を出してくれた。

口の中だからとれやすいけどマシになればね。って言ってくれた。


あとはわたしの血液検査で炎症値も白血球の数値だけじゃなくいろんな項目から出るけど、これだけが高い。とかもあって、それは痛みに対して高く出てるのかな。というやつらしい。

感染系とかなんかの病気の炎症のじゃないやつ。

それを考えて、多分、閾値(生物学では、いきちと読む)が下がったんだろうね。

痛みの閾値。

前はもっと上だったから痛みとして感じないものが、今いろんなところが敏感で痛みにもすごく身体が反応するんだと思う。

ずっと体調が悪い中ストレスフルで我慢してきて年末にあの手術をし、予後が悪かったのも全部良くないんだろう。

身体を鈍感にする。

ってのを治療ということになるのかな。


で、入院中鎮痛剤を14回出された。

身体を麻痺させる。みたいで嫌な治療だ。

もちろんUCに悪さしない程度の鎮痛剤だから効いてんだかなんだか未だにわからない。

ただ胃に負担もかかるから胃薬と一緒に飲んでる。

ほかの科というと整形外科にも行った。

アスペルガーとの闘いでかなり右手が負傷したから。

やっぱり治ってないから貼り薬とかくれた。

こっちの痛みは我慢できる。


あとは主治医に血圧がかなり低いからふらふらは当たり前だけど、それも良くない。

と言われて、

きついと思うけど食べよう。検査で脱水も少しあるから水分も一緒に頑張って栄養をとって欲しい。

と言われた。


どうしたら閾値とやらを上げることが出来るのか病室に戻ってpadで閾値を上げる、と入れて調べた。

調べない方が良かった。

なんかそうゆう段階の人なの?

って感じなんだけど。


末期の癌患者さんの緩和ケアとか出たりする。

言われてるけどさ。

わたしは何も治療ないとか、なんかあってもお腹は手術も出来ないよ。とか。


ざっと見てやる気ゼロ人間になったからpadもポポイのポーイだ。


休むが目的の入院。

身体がふらふらで体温も血圧も痛みも安定してマシになるまで居てね。

と言ってくれたけど、主治医は娘っ子ともう少ししか一緒にいれないから早く帰りたいだろうし、頑張れ!って言ってくれた。


わたしはすぐに帰りたかった。

ここにいても治療とかないし、大部屋のうるささで眠れもできない。

気持ちが滅入ってストレスが溜まっていっただけ。

あと看護師のバカが気が利かないから同室の人が夜中喚いたり痛い痛いと唸ったりするのに見回りにこない。

この人もコール押して呼べよ。とか思うけど呼ばないし。

夜中の2時くらいまで考えてその人のベッドに行ってカーテンを開けてナースコール押しますか?と聞いた。

でも頭がどっかおかしくなってるのかトイレに行って呼ぶ。とか言う。

そんなふらふらで行けないですよ?と言っても行ったらそこで呼ぶ。ときかない。

じゃあ仕方ないので、付き添いますか?と言ったらお願いします。と言う

え。とか思うけどお互いふらふら人間でわたしより倍くらい大きい人の腕を掴んで連れて行った。

途中の廊下で看護師のバカが気付いて大騒ぎしてた。

わたしには珍しくごめんなさいねー。とか謝ってた。

とりあえず

身体の不調は沢山の検査で納得した。

なんもする事ない身体。大病が見つかったわけでもないけど、不調も治らない。

それがわかったらもう用事が済んだ。みたくなったし。

同室の人がとても厄介なのと

それに年末間近まではいたくないしね。

帰ったら帰ったでまた何もできないけど、買い物とかヨーカドーのネットスーパーを使うつもりだからそうゆう注文のとか、灯油をタンクもポリも満タンに頼んだりしないと。とか雑用を考えたらおちおち呑気に居られない。

今年は家で年末年始を横になってると思うが過ごせるだけ良かった事にしよう。

娘ちゃんと暮らす最後なのだ。


私の身体はいつ心不全になるかもわからないし、これはそろそろ他人様に迷惑がかかりそうだなと、自分教のため勝手に私自身が許可した安楽死をするかもしれない。


来年の4月以降(娘ちゃんの入社式)が済むまではなんとかがんばるけど。

娘ちゃんには日頃から死の教育をしていたので大体は受け入れられるだろう。

最初の一年くらいは悲しいとかあっても乗り越えていける環境と精神を身につけといてもらってると信じている。


次に投稿出来るのかわからないけど、ちゃんと娘ちゃんは送り出すつもりだからまた書けたらいいな。

前に井上尚弥の決勝を観るまでは死ねない。

が目標だったけど、今はわたしは、るろ剣が好きだったので(正確に言うと駒形由美)それが最近来年の夏だか秋にまた同じキャストで続編の映画をするからみたい。

駒形由美は前回死んでるから出ないけど内容と迫力は面白いのでそんなに思い入れはないが出来れば観たい程度。


あと最近AIの分身ロボットの特集をみた。

首から上が大丈夫な人にとって生きる楽しみ生きる希望が湧き上がるものだ。

絶望の中、人に迷惑しかかけてない無価値な人間だと嘆いて居た人がこの身体でももう一個欲しい!忙しくて楽しい!まだまだ生きてたい!と言ってる。

どうか行政はそのテクノロジーの発展に金をかけてくれ。

金儲けにつながるIRや東京五輪のことばっか考えてんな。


それでは今日は生きてます。

また生きてて書けるときに。

みなさん良いお年を。


『そんでまた独りになる』

アスペルガー馬鹿は実家に帰った。

わたしは結局最後の最後までそいつの身の周りのことをした。

引越し業者とも向こうは病気だとわからないのでこいつが話すとイチャモンをつけてるクレーマー扱いになって揉める。

強いこだわりで、どうしてそうなるのか、意味がわからない、辻褄が合わない。などなど

納得出来ないことを何度もしつこく聞くので仕方がない。

あなた(営業のひと)とは全く話にならない!と、その引越し業者の苦情センターにまで電話をしたが、その担当の人さえ何度もやりとりしたのち最後は居留守を使われて、折り返してください。と伝えても連絡すら来なくなっていた。

側で見ていて本人はそれだけで疲れ果ててげっそりして寝込みだしたのでやめさせた。

そしてわたしが違うところの業者をしらみつぶしに連絡し、最安でこの馬鹿にも良心的なやり方をしてもらえる業者に決め、その内容を本人に説明し、納得させてから手配と段取りをした。

それからやっと引越しが本格的に始まった。

ゴミ屋敷の大量のゴミだか必要だかわからないものの仕分けから始まり引越し業者さんが持ってきた段ボールで荷造りするまで全部だ。

ばかは重度のADHDの特徴で整理片付けが全く出来ないから。

そして身体が薬の副作用で全然動けないから。

幼稚園児の方がきっとかなり作業も進んでお役に立つと思う。

だけど、これまたアスペルガー全開で、口だけは健康だから威張り腐りながらこれはそうゆう風にするのやめて。いま何触ったの?明らかに生ゴミだというのでも勝手に捨てないで!俺がわかないことしないでよ!ちゃんと見せてからにして!

とか言うんだけど。

台所の賞味期限が何年も過ぎた調味料ひとつ、溶けて袋に引っ付いた小さな飴玉一個全てである。

最初に途方に暮れて泣きながら、

出来ないのでお願いします

と自分の引越しを他人にやってもらってる身分で何故にそんな偉そうに出来るのかほんとうに腹が立つ病気だ。

業者と決めた最低の金額内での荷物は、大の段ボールでは40箱だ。ほかにマットレスや大物がある。

引越しの荷造りを最低になんとかしても多分ファミリー用くらいのボリュームだろう。

あとは最終日の受診のとき今までかかっていた病院で次のところの紹介状も抜かりなく出してもらった。

発達障害の専門医、認定医の先生じゃないと今後色んな申請を出すのに効力を持たないからダメだとアスペルガー馬鹿は散々騒いでいたので、話すときはわたしと主治医の先生と考えて、なかなか予約は取りづらいけど、ちょうど主治医の先生が医科大学時代の先輩に当たる人の机下宛に一応二つの病院に出してもらえた。

他、この土地での役所関係、住処の退去の手続き、実家なので早く着く分にはいいから帰る日直前から向こうに行くように郵便の住所変更さえ全部やった。


そして何度かまた荷造り中わたしが我慢できないほどのレベルで威張ると格闘が始まる。

そしてその都度泣いて、

ごめんなさい。

俺は本当にどうしようもない

とか言ってやがる。

その繰り返し。

で、そんなこんなでやっとこわたしがやることがほとんど終わった。

最後は身体がぼろぼろになった。

ヒビがまだ治ってなかった中でぶん殴ったり、力仕事をしたので右手もまた悪化した。

ミシッて音を聞いた時あーあ

と思ったけど、こいつをこの土地から抹消するには犠牲は付き物だと学んでいるのでよい。

引っ越し業者さんの当日の朝でもまだ荷造りが終わってなかった。

この場に及んでまで明らかな布切れやスーパーのビニール袋、紙袋などのゴミも段ボールに入れて持って帰ろうとする有り様だ。

40箱で出してもらった見積もり金額なのに49箱になった。

もし多くなりそうならお知らせください。

と言われているのはわたしだ。

わたしがやり取りしているから恥ずかしい事をしないでほしいけどそんなのが通じないのがアスペルガーである。

絶対40でおさまらないとわかったとき、引っ越し屋さんに電話してオーバーしそうだから一個の単価聞くわ。といったら何個になったかわからないで済むかもしれないからしないで。とか言う。

わたしはそうゆうズル賢いのが嫌いなんだけど。

そして引っ越し屋さんは予定時間通りに来てくれた。

めちゃくちゃ重たいものしかない。

謎の石とか読みもしない無駄なゴツい本。もしくは精密機器ばかり。

終いには作業で引いていたサブロクくらいの薄いベニヤ板三枚も持って帰るときかない。


それをこんなにも丁寧に?とおもうほどちゃんとしてくれた。

そして一個一個に番号シールを貼っていったので個数オーバーはわかってもらえるぽい。

電話で前もって伝えなきゃだめだからそれだけで本当にとても恥ずかしい。

それなのに、全部積荷して清算するときに、最初に決めたのを変えれませんから。と嫌な顔ひとつせずに金額はそのままでやってくれた。

とても申し訳無い気持ちとなんだか無性に男の人1人と女の人1人がプロの仕事をしている姿に感動してしまった。

毎日朝から通い詰めて引っ越しの事をしていたのでこのアスペルガー馬鹿くらいしか最近話してなかったからか普通の人と話すとこんな感じだっけ?みたくなって、その逞しさと優しさとかで胸がいっぱいになり泣きそうになった。

わたしは朝8時から来て何も飲まず食わずにやり続けて、トイレにも1度も行かないでなんとか18時前に引っ越しは終わった。

そして寝袋で一晩こいつは寝る。

なので夜ご飯と朝ごはんをコンビニに買いに付き合って、また家に送り届けた。

で、わたしは意識が朦朧としながら自分の家に帰った。

帰っても食道が塞がったみたいに固形物は何にも喉に入らないのですぐに横になった。


今振り返ってみて、この2ヶ月がピークできっとかなりわたしは辛かった。

自分の引っ越しを人にやってもらってるくせに口調もキツく、文句を言われて感覚もどんどん麻痺してたし、体も朝起きたら毎日の疲労で浮腫みが辛かったし、右手も不自由、身体は元々病気。そんなのがやってるんだから。

じぶんではもう『やるしか道はない。』しかなくて限界なんか言ってられない。と、やっていたんだと思う。


そんなこんなで疲れすぎなのかほぼその夜は眠れずに次の日の朝8時前にまた家に行き、簡単な後始末と帰る荷造りをし、ここから消える瞬間(空港に送る)まで面倒をみた。

2週ごと往復8時間かけての通院から始まったこいつのと最終戦争は丸5ヶ月で終わりになった。


帰ったあとも必要書類を預かって年金の減免措置の手続き(書式は本人の名前が自筆で横に印鑑を押してあれば好きに書いた委任状があれば良いというから)を役所に代理で行って申請してからまた郵送で送り返したり。

本当にこいつのことは散々やった。


そうして知り合ってからの3年があっけなく終わった。

いまはそいつの痕跡は跡形もなくわたしの生活から無くなった。

あ、居たんだなと思い出せるのは身体中に出来た青あざや切り傷の跡。

右手は肘下から痛みが酷くほとんどもう力が入らなくなった。

体調があまりにも悪いからいつでも入院できる為用のキャスターも部屋にあったが玄関にまで移動してる。


こいつは、飛ぶ鳥跡をとっても濁す。

という男なので最後は地域の曜日に間に合わなかったんだ

ごめん。悪いけど〇〇ちゃんの地域の時に出してください。

と、人の車に古新聞古雑誌の回収系、段ボールの残骸やゴミを散々置いて行った。

最低である。


だけど、片付けをしている時に見つけたもの。

わたしが毎日通っているカフェに3年前こいつは突然話しかけてきた。

ちょうど3年前の年末だった、レシートを見てこの時間に来る人なのかと3日同じ時間に通ってわたしがいたら話しかけてみよう。とやってきたのがはじまりだ。

その頃のわたしは難病の薬が半年くらい飲んでて効いてたしこれから先の事をいつ何時、何が起こっても良いように整理しなくてはならない。

と、全てを終え全てを無くしてひと段落がついた時だった。

みんなが年の瀬で慌ただしくしている時も無心にカフェで本を読んでいた。来る日も来る日も何も考えずに本を読んでいた。

なので周りに誰かが居たとか全く見覚えも無かったけど、そんな不気味なわたしに話しかけてきたのだ。

その時の4日分の同じ時間帯が印字されたカフェのレシートを見つけた。

わたしにまつわるものはこれも捨てられないこだわりなのか何でもとってある。

一緒に食べたお菓子やパンの袋とかお店のカードとか何でも。

ちょっと気持ち悪いかもだけど、わたしのたまたま抜けた髪も絶対にとって大事にしていた。

わからないけど沢山の涙が出てきた。

止まらなかった。

何泣きなんだろうか。

わたしを勝手に見つけたくせにこんな感じになってお前は帰るのか。という怒りなんだろうか?

それの終わりが自分の身体がもうどうにもならないくらいに不調になったからなんだろうか。

もうよくわからん。

これも時が解決して行くんだろう。


お次は娘ちゃん。

娘ちゃんの問題もアスペルガーばかと同じ時期だ。

7月くらいから就活をひたすら頑張り続けてきた。

これまた地獄の日が何度もあった。

娘ちゃんは超がつくほど真面目で外では絶対に嫌な顔とかしない。

その分イライラや理不尽な世の中に体当たりでほぼほぼ毎日わたしにぶつけて来るけど、それにも向き合って行く。

わたしはブラック化した娘ちゃんに、

そんな程度何ともないよ。ストレスは難病にも良くない!全部ぶつけてー!って風を装って向き合う。

口調もキツイし顔も怖いし話しかけても無視も平気でされる。

本音はかなり精神的にやられたけど。

ハゲそうなくらい参ったけど。

恥ずかしいが夜中泣いたこともあるけど。

まぁ仕方ない。

親になった人しかわからないと思うが、子供に死にたい。と泣き叫ばれたときはかなり凹んだのだ。

学校の帰り道、どうやって死ねるのかな?

交差点があるたびにだれか轢いてくれないだろうか。

ばかり考えて帰ってきた。

と家に入るなり床に倒れて大泣きして言われた。

一応娘ちゃんはわかっている。

わたしに向かって

「せっかく産んでもらった親にそんなことを言うのはめっちゃ親は辛いと思うし酷いことなのわかってるんだ。でも言った方が良いと思って。」

と言われた。

わたしは、

「うん!言って言って!いつも帰ってきて暗い顔してなんかあったのかな?

とか今何考えてるのかな?とかわからないより全然良いんだー!」

娘ちゃんは、

「そんなこと普通の親は言わないと思うし、親なら、そんな死にたいなんて言わないでよ!絶対大丈夫だから!

とか言うと思うんだけど、〇〇ちゃんの最初の反応で、あ、言った方が良い。って思ったんだ。」

と言う。

そう。わたしは死にたくなることは誰でもあるしその理由が薄かろうが濃かろうが人間は死にたい時は死にたい。

なので、娘ちゃんに言われた時、親のくせに、

「わかるー‼︎

死にたくなる時めっちゃあるよね!」


と前のめりで肯定している。

「そりゃ親だから娘ちゃんにそれを言われたら辛ってなるけど全然みんなたまに死にたいし。とてもわかるので大丈夫ー。

あと産んでくれたのにとか言ってたけどわたしが好きで勝手に産んだんだし。

娘ちゃんが死にたいと思うような人生になったんならかえって申し訳ない‼︎

だよー。

だから、死ぬ時言って!産んで申し訳ないー!って一緒に死ぬからね!」

とウキウキで話してたら、なんだか娘ちゃんは苦笑いして、くだらなくなった!すっきりしたよ。とお元気になっていった。


変な親だと思うけどわたしにはそうゆうことなんだ。わたしはなんにもこんなに大きくなった娘ちゃんに役に立つことなんかないんだもん。

そんな事しか出来ないんだ。

もう社会からも離れて知人ともわざと距離を取ってる。誰かに相談とかしたくないし、誰かいたとしても話すとなぜだか余計に弱るし。

それ以前に舌痛症が最悪過ぎてもはや普通に話すのも嫌なのだ。


学校や企業に対してもわたし自身ムカつく事があった。

そうゆうのは黙ってられないので、これまた猛突進して全滅させないとダメなのでとても疲れた。

どこからのとか、どいつのとか、もうめちゃくちゃになってごちゃ混ぜなので判明出来ないほどメンタルも身体もボロクソになった。


それも今は全部終わった。

娘ちゃんのこだわりでここがいいと納得できるところに就職が決まった。

そして決まったのですぐに自動車学校の手続きをして免許を取りに行っている。

早くしないと地元を離れての職場なので間に合わない。

これはわたしはお金を払う事しか出来ないので己の力で引き続きひたすら頑張って取っておくれ。

とりあえず担当の教官?みたいなのは娘ちゃんは自分の子供と同じ歳くらいだからか話しやすくとても優しい良い先生らしい。

ビビリの娘ちゃんなのでここは直線で飛ばしていいよーと言われても未だに最高速度は37キロしか出ないぽい。可愛い。


ばかの引越しが終わってこの地から去ったらすぐにまたわたしと娘ちゃん2件分の荷造りがある。

ちょいちょいとかなり捨ててはきてたけど、まだ使うもの、持って行きたいか本人に確認するものなどがある。

就活中の娘ちゃんは、

俺に触ると怪我するぜ?

みたくとても目がつり上がっているようになっていたので簡単な日常生活の聞きたいことも安易に話しかける事も出来なかった。

バイトも人員の中では上らしく娘ちゃんは新しく入る人のトレーナーとやの身分で、店長に言ってもあまり休ませてもらえなかったり、イライラが超マックスであった。

キレ過ぎて突然店長に電話してそんなやり方するならやめる。と言ってみたりしてた。

それもなんとか落ちついて自学優先で日曜日の出れる時とかでいいから。と言ってもらえたりして、今となったら嘘のようにまたぽわーんとした柔らかな雰囲気が戻ってきたのでなんとかわたしも娘ちゃんに怯えることなく暮らせるようになった。

また以前みたくベッタリくっついて今日なんの映画観るー?と楽しそうだ。

わたしのベットにまで来てずっと喋って離れないとか。

かなり平和になった。

そしてお友達と溜まりに溜まった遊ぶ約束を入れ込み出して満喫している。

それもそれで心配だ。娘ちゃんは恐ろしく極端である。


あとはもう少しわたしの身体が復活したら一気に引越しの準備を進める。

娘ちゃんには普通親が実家で結婚するくらいまでは持ってるであろう。というような幼少期からの自分のものもわたしがどうなるか分からないから全部持って行ってもらう。


わたしは……


わたしはどこに行くのか決まってない。

まず娘ちゃんの事で精一杯だ。

新しい土地での病院は難病の方のは今のわたしと一緒の主治医がイチ推しのIBDセンター長が主治医に決まっているし、最近受診した時も

「もう用意は出来ているからね。あとは最後2月に簡単な検査結果を添付したら完成!」

らしい。

もう一個の訳の分からん10年くらいは見なきゃならないPR3-ANCAのやつの医大の病院も難病と同じ病院に紹介状を1月にもらう事が随分前に決まっているから安心である。

あとは心配なので初診だけはご挨拶がてら同行するつもり。これは3月の初めころになるかな

娘ちゃんの住む場所は決まったので全部綺麗に終わらせる事はできる。

事務的なこと、今後は生命保険とか私名義のものを自分に変えてそれの口座変更や色んな支払いの引き落としを自分名義にしないとならないからそれの手続き。

流れは出来ている。時期も工程は出来ている。


そのあと最後にさぁ!自分はどうするかな。

となる。

難病の主治医はもう娘ちゃんがそばにいてもはっきり話すようになった。

わたしは相変わらず死がとても近いとおもうけどあと娘ちゃんと暮らす3ヶ月はなんとかイケるとおもう。

娘ちゃんは大丈夫だ。減薬もしてしばらく落ちついたら断薬の期間も視野に入れて紹介状には書いてるから。と言われた。

わたしはまだ一度も減薬どころかそのまま活動期で飲む容量のまま。

肺も気胸のまま。

この季節になるともう1年になるんだな

と最近ふと思う。

クリスマスに息が出来なくなった。

手術のときも入院生活も未だに鮮明に覚えている。

いつまたくるかわからないあの呼吸困難のやつ。

そっかー食べ物の味もわからなくなったのも一年経つ。

味がないだけなら全然いいんだけど舌先や舌全部のビリビリ、口の中全部が金属ぽい感じ、唇までの痺れにはほんとうにこれを毎日我慢していられたことは普通の人間ではないとおもえるわ。

あとは今年こそ大晦日にガキの使いをみたい。てか、娘ちゃんとの2人暮らし最後の年末年始はのんびり過ごしていたい。


WBSSの井上の試合は願い通り観れた。

一応全試合コンプリートしている。

バンタム級のWBOのベルトを狙ってるみたいだからそれもなんとか観たいけどいつかわからないしとりあえず今のところ満足した。

そのほかは思い残す事がないようにしていこう。


この歳であと23ヶ月後のわたしは一体どこに暮らして一体どうなってるんだろか?

と生活している人きっといないだろう。

一応2月だか3月に入居できる市住の申し込みも布石的にしてきたけど人気のないところはゼロとかもいっぱいあるがわたしが入りたい所は新しいし久々の単身可の物件だから倍率100倍位だ。

きっとダメだね。まぁ独りだからどうにでもなる。

自分のことはなんとでもなる。

ほかの土地に行くなら今の街で沢山の手続きがあるからそのままの住所があるうちにしないとならない。

今の家は娘ちゃんがいるうちだけの2月いっぱいになると思うので、出てそれらをやるかもしれないから最悪は車中泊生活が短期間であるかもしんない。

とんでもない人生だ。

それでも今のところまだ生きているから考えておかないならない。

みんなそうだろうけど、わたしにとっても生きることは地獄だ。

「死にたいまま生きている」

という人もいると思うが、わたしは

「なるべくなら生きたいが死ぬだろう」

だ。

親兄弟ともあれきりだな。

クソジジイは肺の手術の前の日に叔母が教えてやって来たけど大げんかになった以来だ。

姉と母親は何年会ってないのか数えられないや。



今の娘ちゃんは学校帰りそのまま自学、日曜はバイトか遊びで朝から出て夜遅くまでいないからあまり顔を合わさない。

だけど一緒になる時間帯はなんとか娘ちゃんが離れて行く日までわたしはとてもお元気です!って感じでいなくてはならないし、その残された時間を大切にしたい。


7月初めに勃発した嫌なことも春ころにはなんとか目処もついて関わることも一生なくなると願って暮らしている。

それはその直前に一気にカタがつくのでまだ不安なのは仕方ないけど今は考えてもしょうがない。


そのあとはしらない。

のたれ死んだらそれはそれまで。

今の近況というか書くことができるのはこのへんです。

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