『厳しい現実』

2021もそろそろ終わる。

未だに新型コロナにいつまでも翻弄される世界。

オリンピックの歓喜とコロナの感染爆発の恐怖ニュースがごちゃ混ぜだった凄い違和感のある暑かった夏も遠い昔の様に終わり、今年も冬が来た。

そしてまた違う変異種の発生に毎日毎日またまた世界中大騒ぎである。


最後の投稿からかなり経ってしまったけど、またしてもいろんな事があった。

この土地に帰ってきて、ほんとにろくな事が起こらない。今の生活環境が悪いのかもしれないけど


最後に投稿してからの続きで書こうと思う。


近場で行こうと予約していた小さな心療内科は結局いってはいない。

最初からじぶんの事を話すのがとても面倒くさくて行こうと思えなくなったから。

という理由。

あとは私の事はここでは何もできないとおもった。

最近ずっとだけど、とにかくなにごとにも執着や興味がない。感情の鈍麻がひどい。

脳みそが眠ってる。

多分眠らせておかないと、考えたら死にたくなり、ほんとに死んでしまうかもしれないからかな。

東京で診断された病気の症状はじぶんでもわかるほど悪化している。

わかってはいても1人での治療はできない。


心が鈍麻していても、この痛みさえ伴う過敏な感覚と人間のみっともなさへの憂鬱だけは変わらない。

次から次へと心がえぐられることしかおきないのは毎度ながら不思議でたまらない。

悲観するどころか、その謎にはまりそうである。


9月末までにコロナワクチンは打ち終わったけど、これも酷い目にあった。

1回目の接種後3日目くらいの朝、シーツが血まみれである。

誰かが侵入してきて刺されたのかと本気で思ったけれど、よくみたら子宮からの不正出血だった。

ただちにいつもの主治医のところにいった。

すぐに婦人科と連携をとってもらった。

院内では全身状態の悪さと出血が止まらないので点滴をぶら下げながらの車椅子移動で、あらゆる検査をした。

不正出血など産まれて初めてだ。

月経もほぼ毎月くるいなく来るし。

それでも病院も厚労省もワクチンの副反応とは決して認めない。

調べてみたらその頃、韓国の女性が1人同じ不正出血から亡くなっていた。

韓国あたりはかなり前から月経異常や不正出血を問題視していた。

それでも大きなこの病院で、わたしが初めてだ。と婦人科の医師は言った。因果関係どころかコロナのワクチンが怖くて精神的にストレスがあって不正出血したとおもう。

だって。


アホだ。信じ難い位にとてつもなく。


こんな事が怖い?!不安でストレス?!

わたしの人生でこんな事など全く匹敵するような生き方してないんだけど。

いやいやいや、、、むしろ肺を患ってるし、免疫異常の難病だし、早く打ちたくて必死に300回では足らないくらいのワクチン予約電話をしたくらいなんだけど、、、。



そして数日後、国内でも亡くなったかたがいた。

厚労省の担当のかたには起こるかもしれない副反応に入れて欲しい。と話した。

任意接種だから責めることはない。

自己責任の決断なのだから、本人がどうなっても仕方ない。ただ、事例があがっている情報を提供する義務だけはあるはず。

とはなした。

ワクチンでの体調不良はまともな月経が再開されるまでの約2ヶ月間続いた。

3回目のことはもう考えたくない。


体調も落ち着いた秋ぐちに、もういい加減、いつまでも住所不定はやめよう。と思った。

色んな手続きや更新(病気のばっかり)が済んだので都市部に引っ越すことにした。


事前にネットでかなり物件を絞りこんで不動産屋さんとはメールや電話でやりとりをし、当日は往復で300キロ近いから、1日で内見契約まで出来るようにした。

当たり前だけどもちろん家具家電のない車に詰め込む量しか私物のない同じ生活をするので長期契約のマンスリーマンションだ。


ここはきっと良い。と思った物件はやはり良くて、管理会社の対応もよかった。

なので即決で話をすすめて一旦戻った。


引越しの日までの予定を考えるとその日から1ヶ月ちょっと。

一気に忙しくなったけれど、これでやっとしばらくぶりのちゃんとした住所登録ができる。


ここはわたしの終の住処になるとおもう。

新しい土地では東京並によさそうな精神科もあったので連絡してそこで決めた。

初診日も予約した。その為には、話すと瀕死になるいつもの精神科に仕方なく紹介状をお願いしに行った。

また最後まで嫌な思いはしたけど、これで本当にこの殺人病院とは、おさらばになる。

次の所でわたしは1からまた生きてきた自分を話し、東京で診断を受けた結果を踏まえ、そしてカウンセリング等たくさんの検査をするのだろう。

ほぼ何の病気かわかってはいるが、1番はやはりキツかった薬の副作用が心配だ。

ひとりでは乗り越えることができない。

それを含めて新しい引越し先で訪問介助と、看護のかたを引き継いでもらった。

いい事業所を見つけてもらえると助かるけれど、なるべくは負担にならないのがよい。




そうして膨大な届出や変更をなんとか一つづつやり過ごしながらいたけれど、11月も終わる頃に、またもや手に余すような厳しい試練がやってきた。




今は書くことが困難だ。精神的にも肉体的にも今までの限界をかなりオーバーした。

脳みそも現実に全くついていけてない。

年が明けて落ち着いたらゆっくり書いて行きたいとおもいます。


わたしは今年の年末年始もそんな季節感もお屠蘇気分もなく終わるだろうけれど、皆さまよいお年をお迎えください。

『当たり前になってるアンフェア』

まだ住所不定無職を引き続きしている。

記憶障害がひどすぎる。走り慣れた道までわからなくなって来たこの頃だ。

あと、言葉がたどたどしい。物の名前や単語が思いだせない。

言語障害もおきると言われたっけ?

そんな感じだから意味不明な事を書くかもしれないけど、これもまた現実である。


最後の投稿から数日後、なんか変だなぁーと思ったら帯状疱疹になった。

最初かぶれた?とかとおもったら違うし。

これ。とんでもなく痛いんだけど。

神経の痛みだから鎮痛剤は効かないと言われて神経ブロック注射を打つ。それか耐えられない人はペインクリニックとかに結構入院してる。

原因は過労とストレスからくる抵抗力低下でなる。と言われたけど、ここに来て今更どれのストレスなのか考えると笑える。

表面的なのは1ヶ月くらいみたら治るとか言われたけど、この飲み薬がとんでもなく副作用がきつい。注意欄に意識障害がある。(かもしれないではない)ほんとに朦朧とするし日々記憶すら曖昧だ。

なので当たり前だけどいろんなことがうまく出来ないし、転倒したり火傷したり物が壊れたり。と、いらん事が異常に増えた。

家で絶対安静に。と言われたけど、身体のことじゃなく、いらん事ばっかりになるからなのかなと思えたので従っとこう。

ただ最低限の飲食物は必要だ。

でも、転倒して足の甲が腫れ上がり、サンダルさえも履けない時は絶望した。

さすがに今の時代、子どもじゃあるまいし裸足で外を歩くには一応まだ出来ないという理性があるみたいだ。


相変わらず人の助け。とやらはいらない。

また得意のとにかくなんらかで凌ぐ。を、ただひたすらする。

肺もだし、高校生の時膝下から切断するかもしれなかったのも左。これまたおんなじ左だから身体は左右どちらかが人は弱いとか医学的にあるのだろうか。

いや。わたしの身体は内外ともに全身おかしいな……

脳死の時のドナー提供には眼球以外で登録してるけど、まともに使い物になる臓器はあるんだろか?なんだか申し訳ないね。

輸血用に血液は全部抜いて良いよ?くらいしか言えない。

帯状疱疹は左の胸あたりから後ろにまわって背中の中央近くまで疱疹がでた。

今までひとりでずっといて、あんま困ったことってないけど、今回しょうもない事で困った。

手の届かない背中に塗り薬を塗ることができないのだ。12回行うから頻度がある面倒な困りごとだ。

でもって。

アタマが回らないからヘラとかスプーンを使うと良い。を治る頃知った。

あら、そーだね。

と思った。


後から帯状疱疹なのになんで入院してなかったの?は数人に言われたけど、華道に使う剣山みたいな針でブスブスずっと刺されてるみたいにとんでもなく痛かったけど、通院で良いと言われたからそこまでじゃないのかな。

痛いのは神経の痛みだから数年持ち越す人も多いらしく、それを知ってるひとは帯状疱疹のワクチンさえあるのも聞いてそこまでコイツはかかりたくない厄介なやつなんだな。

と改めて思った。


とりあえず最近治ったぽい。

しばらくの間衣類が触るのも痛いからとりあえず毎日左を上に横向きで寝てたら少しの時間でも起きると右耳が死んでるんでないかと思うほど感覚も消えて痛かった。


あと、いつもデカイ病院しか行かないから採血ならそれだけをする採血室のプロの人。とかで、点滴とかは入院の時くらいしか普通の看護師はわたしに注射をすることがなかったけど、普通の看護師でも大勢の人の回数をこなしてたり入院してるくらい重篤なかただろうから、わたしみたいな全然血管出ない人はよくいるんだろう。

だけど、行った先の皮膚科の看護師は最後まで一度しか注射を成功しなくて両腕がヤク中の人みたくなった。

こんなに平均的に一般の病院は注射がヘタクソなの?

この病院のたぶん全看護師にあたったと思うんだけど1人まぐれで一回1発目で成功だった。

痛いし、あざが気持ち悪い色の時がたまにあるからこっちがムカつく立場だと思っていたけど、最近知り合いの看護師に、あら!看護師さん泣かせなのね!って言われたんだけど、何それ。

焦るとか緊張するとかの意味なんだろうけどこっちが泣く方なんだけどなんだよ。


北海道はニュースでも出てるくらい日本一暑い日があったり、猛暑が続いていて、陽当たり一番の真南向きの角部屋でエアコンのないこのウィークリーマンションは安静に寝たきりのひとにとっては地獄でしかない。

とにかくえらい目にあってる。

今日もわたしのいる地域は37℃

1ヶ月は35℃くらいをバカみたくずっーとやってる。

こんなに人口少ないのに数人熱中症で死んでる。

冬は極寒のマイナス35℃で小さいころ凍死してるおじさんを道の端っこで発見したことあったなぁ

とりあえずいまは多少の後遺症が残ってまた違う治療が必要か考え中だ。


脳みそバカのビョーキの方はなんだかもっと悪化した気がする。

6月初めに受診した時の難病の主治医とは専門外のビョーキだけど今後のことについて1時間くらい話した。

結論はお互い悩み、考え過ぎるくらい考えて、とりあえず東京でこれを飲んどけ。と言われた薬を飲んでみてまたやっぱりダメなら……。とかになった。

主治医のそうした理由。

突然死んだら色々とたいへんだから。

だ。

それはそうだ。こちらも同意見である。


あ。

ここの久々の外来でうけた検査で相変わらず肺はもうもとには戻らない。

あとは血液の数値が微妙にわるい。

肝臓がどんどんダメになってる。いつも基準値からはみ出てるけどどんどんはみ出ている。


7月中ごろ大事な書類の手続きで全く意思の疎通が出来ない、いきつけの精神科の医者の受診を久々にしたけど、もっと死にたくなるくらいぼろぼろに言われて精神をやっつけられるという目に遭った。

そんな奴だとわかっていたけど、久々だったからか結構ガチ目に心が粉砕した。

そんな精神科病院がここ以外にあれば知りたい。

この書類の為だ。と思ってやっつけられた日と2晩くらいもがき苦しむ。をこれまた堪えた。

これでここの病院はもう行かない。

コイツとの付き合いは7年チョイで幕を閉じそうだ。

脳の方の問題のやつは本格的に向き合うならば難病の一番信頼している主治医がうちにしろよー!と前から言われてたから、ここの精神科に回してもらおうとも考えていたけど主治医になるであろう、ってやつが肺の手術の時に会って話したらろくでもないことになってコイツを受け付けられなくなったしな。

そんなんで、じぶんと相性があった精神科医は15のときから1人もいなかったし、とりあえず今度のは、ぼろくそにやっつけてこないやつ。

というを最低限を目標の目安にしといた。

行ってみないとわからないし、紹介状なしでも大丈夫なのはほぼ個人病院と限られてるから、今住んでるウィークリーから近所で、受診のシステムが面倒くさくないところを探してそこで手を打った。

1番早い予約はお盆前だった。

多分こんなにクセのある面倒くさい症状ばっかり抱えてるやつが来るとは思ってないだろし、向こうも気の毒だと思っておこう。


どんな話しになるのかは憂鬱だけど、いつもの変わりないくすりしか飲まないか、ちゃんと脳みそバカの病気を抑える薬も飲んで操り人形になるかだな。

何の投薬もしないで生きづらい苦しみや全身の痛みと付き合うとほぼ決めてはいたけどここにきて結構やらかしてるから1人だけの問題じゃ済まなくなると大変なので両方で考えている。

どっちを選んでも地獄的だけど。

選択が地獄しかないのもあるんだろうか?

これも合わせて知りたい。


ここまで書いてこんなにコントのように思いもしない嫌な出来事ばかりおこるものだろうか……

期間にして2ヶ月も経っとらんのだけども。




話を変えよう。


最近心の変化というか、わたし。という『ひと』の在り方。みたいな事を考えさせられている。


娘ちゃんがとうとう二十歳になった。

なる前の日と、当日。毎年の誕生日とはこんなにも違うものなのかと思った。

何がなんでもこの日を迎えるまでは死ねない。を言い続けてきすぎた。

それを成し遂げる事はじぶんにとっては、かなり難しく、とにかく必死だった事のようなのだ。


誕生日を過ぎたいま。

この。もういつでも死ねるーーーー!

みたいな開放感はなんなんだ。


すると前にもまして今の一瞬でも何故に生きてるのかが本気で不思議でたまらない病になっている。

未だにわたしの居場所を知っている人は娘ちゃんと毎月お茶のお誘いをずっとしてくれている友人一名のみだ。


ほんとに本人は全身苦痛だらけでお先も真っ暗で何故に生きている必要があるんだろうか。とてつもなく疑問なのだ。


思いつくのは娘ちゃんがイライラが止まらなくて職場ではとてもちゃんたしたひと。を通しているからか、たまに愚痴の大爆弾を吐き出してくる時いないとならない。という感じだ。

わたしの方から娘ちゃんにとって重要な話で連絡しても何日もLINEの既読がつかない。

とても自分の都合のよい仕組みになっている。

幸にして、娘ちゃんは職場のひとにとても可愛がってもらえて何かあってもすぐにかけつけてもらえるような感じである。職域でのコロナのワクチンも接種済みだ。

プライベートでもとても今のこの若い時代を楽しんでいる。

それはわたしにしてもとても有難いし嬉しい事だ。


わたしは……

まだ居場所を見つけられていない。


コロナ禍で特定疾患の難病の更新は去年は更新なしでそのまま使える。だったけど、今年の通知は年末まで今の受給者証は使えて、更新の手続きのお知らせはだいたい9月に入ってから郵送でのやり取りのようだ。

あーーーーーーーーーー!

これがまたくる。ほんとに面倒でしかない。

郵送でとか言っても必要書類を揃えたりするのに外出するんだけど。

それが年末っていったら寒いわ雪だわで、延長のカタチをとってあげたよ良かったね。ぐらいで国は思ってんだか知らんけどこっちにしたらいらんことするな。って感じなんだよ。

先がほんとに見通せないのだ。

見えない鎖にいつまでも繋がれている。


そんなことを考えるとか地獄絵図の暑さに苦しむ。をするだけの毎日で他に何もなく、どこからかそんなに生き延びたいの?とか聴こえてきそうで笑えてくる。


今日は原爆投下された日。

静かに黙祷した。


そして北海道の七夕は1ヶ月遅れの明日87日だ。

願い事は決まっている。

『居場所』

6月に入ってこれから夏に向かっている。

いつもこの季節は嫌いじゃない。

厳しい冬から抜け出して今季も生き延びたんだ。

と昔から思う時期だ。


ただ今年の部屋の窓からみえる景色は今まで見たことがない。

厳しい越冬を今回は初めて経験する事なく、地元に帰ってきて一か月くらい経った。


コロナの影響もあるので今のわたしは手っ取り早いマンスリーマンションで過ごしている。

車に乗るものしか物がないわたしにはこれが一番の形だ。

家具家電全て備え付けで、なんの不自由もない。

わざわざ水道光熱の契約をする必要もなく全て含めて月いくら。退去時も特にかからない所。

そんな場所がほんとに煩わしさもなくちょうど良い。


ただ思うのは、だれも監視もしない閉鎖病棟にいるような感覚がある。

狭い一間に全てがあり、そこの中の世界で毎日が終わる。

特有の持ち合わせた性質のせいですぐ簡単になんでも手放したり捨ててしまう。

脳の病気。はなんなんだってんだよ。

自分が自分じゃない感覚と自分を無意識に殺す感覚てなんだよ。

取説必要な病気で本人は1人にはしないで周りのサポートが必要とかいう冊子まである病気ってなんなんだよ。

それどころかひたすらにそんな自分を隠して他人に偽って暮らす日々に辟易するわ。


いかにも普通ですよ。

をしてるじぶんが気色悪くて仕方ない。


この病気で通った東京の病院では、本人が何がおきても、当院は関係ありません。

て書く書面にサインをしたじぶん。

そんなもの無くても誰のせいにもしないし関係ないわ。


最近は生きてるのかもよくわからない感情で日々過ごしている。

乗り移ったような人格障害みたいなやつも、あーまたね。

はいはい。脳みそ頑張れよ。と思う。


難病はやっと最近落ち着いて、活動期は終わった。

薬を寛解時に戻しても問題なく過ごせてるのが唯一の幸せだ。


脳みその薬を飲むことを絶対とされたあの病院だけど、とりあえず地元の難病の主治医と相談したい。

精神科目なんかわからんだろうし精神科の薬の処方できる範囲も限られているが、わたし。という人物をわかってくれているからそれで良いのだ。話をしたい人なだけ。


地元でかかりつけの精神病院は相変わらず信頼関係が全く築けてないから向こうで言われた事を話すつもりもなく、ただ何にも効いてはいない、いつもの薬だけをもらいに行っている。


脳の問題の病気は治療というか、症状を抑えるための薬しかないけど、じぶんが人形のようになるのはわかった。

脳みそシャットダウン作戦にするという薬だ。

個性も自分らしさもそんなもん無くなる。

ただ、衝動性と人に危害を加えないようにしなくてはなんないだけ。


それを生きている。と言うのだろうか?

わたしは肉体が動くことを生きてる。

とは思ってはいない。

じぶん。というニンゲンの心があるのが生きてること。と思ってしまう。


自殺を完遂する率はかなり高いのは聞いた。

精神病からじゃないから。

勝手に脳の誤作動で本人わからずして完遂している人もいるから見守り隊が必要なのだ。


約一年半前くらいの投稿で、

『暴力を振るった日』

を読み返してみると、今年から解りやすく変だった。ではなかったのだと改めて実感している。


冒頭、これからの季節は好き。と書いた。

ただ去年から予約している6月の初めにわたしは主治医といろんなことを話してこれからの生き方を決める。

奇しくも、その日はちょうど母親の命日であり、そしてわたしが生まれ変わった日(誕生日ではない)と同じだった事を最近思い出した。

最近。なのだ。

どんどんいろんな事を忘れていき、感情の鈍磨や敏感さを背中合わせにしているじぶん。


思いに耽る事が多くなる一方で、もう23時間しか取れない睡眠に身体が限界を感じている。



話し変わって、つい先日娘ちゃんの成人式の前撮りの打ち合わせをしにスタジオに行った。

評判で検索して、納得できる内容の所にした。

その日に何着か試着して、娘ちゃんもわたしもとても気に入ったものにした。

2着チョイスしたので、カッコいいモード系と色鮮やかでとてもデザイン性の高いものの真逆のものにした。

一番高い金額になったけど、それで良い。

当日は60カット以上は撮るからかなり疲れると思うのでそれまでお互いなんとか元気でいよう。


それが終わるともうすぐ来るお誕生日で娘ちゃんは20歳だ。

よくこんなのが20年も人間を育てたもんだ。

と思う。

娘ちゃんにはわたしの体調や病気については特に詳しく話していない。


娘ちゃんは娘ちゃんで一生懸命に生きている。とてもとても頑張っている。


ここの場所は一か月毎に宿泊代を払って住んでいる。

色んな手続きと更新があってそのあとのことが何一つ決めることがまだ出来ない。

近くに迫った主治医と、全てをお願いしている弁護士先生と話して決めよう。


わたしの居場所はどこになるんだろうか。

『確率』

2021.3月末


昨年1月より世界中を大パニックに陥れた新型コロナウィルスが出始めてからかなり経っている。

当初、未曾有。という言葉を良く使っていたがもう殆ど耳にしないね。


今のわたしはひとり未曾有だ。

新型コロナよりも1人でとんでもないことになっている。

2020.11末頃。

難病がわかってからひたすらストイックに食べたいものも食べず寛解を維持してきたけれど……

ここにきて


『再燃』のもよう。


嫌な予感していたんだけどね

今まで多少腸が腫れてる感覚や痛みはあったけど、すぐおさまっていたのに今回はそれじゃ済まなくなりました。

久々の感覚に一気に血の気が引き、心の奥底から何かわからないものが、焦り、湧き出して流れ出て行く。

わたしはもう再発をしたら体力がもたずにダメなひとになる。

と言われたけど⁇

投薬中の発症はどこまでの酷さで先行きがどうなるのか未経験なのでわからない。

ただひたすらボーゼン。魂の抜けがら状態だ。


難病のくすりを飲み始めて、食事も180度変わり、衰弱しながらもなんとか寛解を維持して来た。

それからの再燃は未知の世界で途方に暮れた。

もう内科的治療(薬の変更など)

で済まなくなって行くのだろうか。

焦る。

いまもう少しだけわたしは死ねない。


その頃、わたしの主治医はテレビに出るほどその地域は最悪なコロナの巨大クラスターの事態となっていた。

感染機関病院のなかで一番先に受け入れる病院の院長だから、大変なその状況に毎日毎日心が痛んだ。


知り合いは大丈夫だろうか。クラスターが発生した所で勤務している友人やその家族、全ての人が心配になったのと、主治医もコロナになると危ないのを知っているから、余計にお腹の悪さと相まって全く眠れなくなった。


戦場となってからしばらく経ち多少見通しがついているかなと思う頃、年末近くに病院に連絡をした。

そして主治医と自分の状態を細かく話す。

すでに1か月は経っていたが、展開も読めず、せっかくもらってきた紹介状の病院にもコロナの蔓延でどうしても都心部に行く気になれず、活動期に服用する最大量に増やして薬を飲み続けている。と話した。

主治医は、

それでいい。とりあえず年明けまでなんとかなるか?と言い、わたしは大丈夫だよ。と答えた。

このまま年明けにまた状態を見て考えてみよう。

と言われ、そうする事にした。

主治医の方も心配だったが、話した時いつもと変わらず、あったかい包み込まれるような口調に安心した。


そっち。酷かったね。全国テレビでも報道されてたから出てたの観たよ?

見たことないピリピリした顔してインタビューされてたから心配だった。

と言うと、

あー!ピリピリして話さないとカット!って言われるんだよ!笑

といつもの屈託なく笑いながら喋る主治医だった。

お嬢はそっちにいて正解だ。よかったな!

と言われたけど複雑な気持ちになった。



とりあえず8歳からこの症状と付き合っていたから辿る経路はわかる。

でも難病だとわかってから薬は一度も欠かさずにずっと飲んできて、ぴたりと止まっていたからそれを飲んでしても症状が出たことにわたしのこころは到底対応できなかった。


原因はわかっている。

地元から1,200キロ離れた所までフェリーを使ってひとりで運転してきた。

その疲労は思ったよりも厳しかった。

体力がどんどん失っていき食べても食べても追いつかないくらい憔悴していた。

34キロくらいはあった体重も32キロを切っていたし。

そして、1番はこころがだめになっていた。

春に戻るまではこの知らない土地でわたしはコロナにかかることは絶対に出来ない。

左肺はもう完全に治らないのはわかっているから何としてもでもじぶんで守るしかない。

いつでも死ぬ準備は出来ているがしつこいけど死因がコロナではダメなんだよ

それがまた全国的な感染拡大になってる。

コロナがこんなにも自分の邪魔なるとは思わなかった。

細心の注意をして出る。

ではなくなっていた。

新しい土地に来て、週に一度、車で行ってもせいぜい滞在時間30分程度の食料品の買い物だけをしていたが、それも2週に一度になり、それから月に一度そして今現在行くことはない。

昨年1229日と明けて15日に行ったきり、その後緊急事態宣言が出た後は一度も行っていない。

外にでたのは今年、今までで片手でたりる。

ただバッテリーが上がってないか徒歩2分の駐車場に行ってエンジンをかけて少し辺りを走る。

あとはついでにポツンとあるポストに投函してくるくらい。

それだけ。


テレビはコロナの変異種の脅威や後遺症、ワクチンの話ばかりだ。


そんなんで。


一歩も外に出ることができなくなった

人と会うのは1週間に一度、ネットスーパーの宅配の人のみの1分くらい。

動いてる人間を見るのもその日のみ。


20202021の年末年始は今年も1人だった。

今日、昨日過ごしたことと同じように何ごともなく過ぎて行った。

相変わらず親兄弟はわたしがどこで何をしているのかも知らずに生きている。

誰かが死ねば役所からか、なんらかの手続きが必要だ。と連絡が来てわかるだろう。

わたしが死ぬと弁護士の権限を行使するので親兄弟に連絡が届くのはかなり経ってからになるけど。



あとの数回の外出は


実は病院だ。



ずっといままで自分はまともではない。

そんなことはとっくにわかっていたけれど。


パニ症から始まり精神疾患であろうあらゆる現象や生きづらさがあった。

それがこの土地にきて顕著に現れてきた。

何かが、ちがう。


いつもあったけど、もっと違うなにか


以前にも増して身体がまったく動かなくなった。

何ひとつできない。全てが崩壊している。


そして、こちらに来て家を貸してもらっている友人が堪りかねて病院に連れて行ってくれた。


そしていろんな検査をした。

初日でほぼわかったようだけど、毎週同じ曜日に友人はわたしをその病院に連れて行ってくれた。


わたしはわたしの身体のことは必ず聞く。

自分が自分を守るしかないから。知らないと計画が立てられず大変だから。


そして、医者は、

ほんとは患者さんには言わない。薬を飲ませて通ってもらう様になるね。までしか言わないんですが。


と前置きし、わたしは精神(心)の病気ではなかった。

統計でいうと軽症も合わせて0.40.6%しかいない治らない脳の病気だった。


脳の信号が誤作動を起こすんだろう。

原因がわかっていない。治療薬もない。

はいはい。またでた。

稀有なやつね。一生お付き合いするやつ。


どれだけ普通の病気と縁がないんだよ。

相変わらず風邪も20年は引いてないし、食当たりとか、難病とは関係ない腹痛もそのくらいないんだけど。インフルエンザもかかった記憶すらない。


この病気について結構詳しく教えてくれた。

亡くなった人の統計では平均寿命より30年以上早く死ぬ。

突然死がある。

なんかいろいろ書いて説明受けたけどまぁ、ろくたらな病気じゃないわ。


その前に死んでそうだし。

ただ今年は生きていたいんだ。


娘ちゃんは素晴らしい功績を着実と残している。

その職種で一番の企業で、グループ自体も規模が大きい。


その中でもう少しでくる41日。

娘ちゃんは今年度の新入社員の入社式で新入さんに向けた、挨拶の言葉をのべる。

上役さんから、あらゆる社員の方々が集まっている所で

そんな大役を任されたぽい。

忙しい中原稿を書きチェックをいれてもらっていた。

そして新人さんの指導をしていくのだろう。



そんな中でもじぶんがどうなるかわからない病と共に頑張っている。

定期的な病院の日の検査結果は全て送ってもらっているが、気休めでもいい状態だね。とは言えない。


それでも心が健康だからほんとうに救い。

たまに仕事のボリュームに癇癪をおこすけどそれもなんだか嬉しい。


もう少しで成人式の前撮りの日程をくんでいる。

最後のわたしの勤めになるだろう。


好きなところを選んでいいよ。

お金はわたしが出すからどこでも構わないからね。

というととても楽しみにしていた。


それが終わるのを見届けたい。

ほんとうの成人式はまだわたしが生きていてもお友達と一緒なのかもしれないしその辺は敢えて話していない。



わたしの未来は相変わらずだ。

地元に戻ったら主治医と今後のことを話していかなくてはならない。


これくらいしかまだはっきりとわからない。またすぐに投稿できたらいいな。

ここはわたしの吐き出し場所。

『いま』

この前(いつだよ)また今年の誕生日がきた。


ある年から誕生日という名前をかえている。

娘ちゃんの難病が確定してから役所に届けた日。申請日にした。

いま。わたしはとても自由な毎日を過ごしている。もちろん自由はとても不自由なのは変わらないけど。


かなり前の記事で

『不要なもの必要なもの』

というのを書いた。

以下抜粋。


「わたしに必要なものは他の人には不要である。わたしに不要なものは他の人は必要だったりする。

みんなひとりひとり違うんだろう。


わたしには親兄弟はいなくていい人なのだ。

わたしには結婚して自分の家族もいらない人なのだ。

わたしには一軒家に住む事も必要ないことなのだ。


他の人はそれらが全部必要だったとしても、その人はその人。って事でわたしとは違うだけ。


唯一わたしの生きてきた道を知ってる人。が


 誰よりも苦しんだ人が

 誰よりも幸福になる


 誰よりも悲しんだ人が

 喜びを感じることができる


 誰よりも泣いた人が

 本当の人生を知る


と、言ってくれた事があります。

そうであって欲しいとおもう。」


と、書いた。

いま誰もわたしの居場所を知らない

(娘ちゃんにはふわっと教えてる)

少しだけそれより多く情報を知っているのは唯一の代人、わたしの弁護士さんだ。

公正証書にかなり死後事務を詳しく書いて遺しているので、生きてるあいだの連絡事項は必要最低限のことでいい。

あとは誰もわたしがどうしているのか知らない。

でもその事が何故か妙に心地よい。


いまのわたしには何もない。

人は本当に必要なものなどほとんどないのだな。

としみじみ思う。

いまは長年住んだ家も引き払っている。その時に家具も家電も全て処分した。

一軒家を持つどころか住所不定である。

最低限の重要書類と、最低限の貴重品と最低限の服飾品のみをわたしは持っている。

昔の想い出のものなどもあるわけがない。

娘ちゃんに関わるものは思い出のものや大事なものは本人にもう渡してあるからわたしのもとには何もない。

娘ちゃんから今までもらったゴミにも見えるほど小さいときからの大量のお手紙も今は手元になく弁護士事務所のわたし用の物の中に入れてもらって火葬するとき棺に入れてもらうことにしてる。

最後の手紙は入社式に読んでくれたもの。

それだけ持っていようか迷ったがそれも中に入れてもらった。

車はステーションワゴンに乗っているが、後ろをフラットにしたら余裕で全部入る程度の荷物だ。

だからと言って車中泊生活ではないけどね。


娘ちゃんは離れてからひとりで難病の病院も定期的に行っている。

とても素晴らしい主治医を紹介してもらったから、もうわたしが偽医者のように口出したり博士号を取る勢いでいろんな文献や薬科を調べるような事もない。

こっちで一緒だったわたしの主治医も凄いと思うけど、かなり精密にしっかりと診てくれているし、ちょっとした検査も抜かりなくする。

話し方は穏やかな中でもしっかりとブレず、説明も簡潔に話してくれてこちらの話しも時間を惜しみなく聞いてくれるので娘ちゃんの性格にも合いそうで信用できるかんじだ。

娘ちゃんは頑張ってる。

もう立派な社会人になっている。

仕事は朝の7時から夜24時を回る事がほとんどだ。

途中、中抜けの時間があるけど足りるわけがない。休みも次はいつなのか分からないけど週に1日は一応ある。

そんな生活の中辛いけどやりがいと楽しみや自分へのご褒美を見つけて充実している。

いまの時期は社員みなさんがそんな事になってるから仕方がないんだ!と言って頑張っている。

たまに社会の矛盾やイライラに闇LINEが入って機関銃のように捲し立てて、恐ろしい言葉づかいで来るけどすっきりしてすぐにケロっとしてる。

本当に精神病の部分がないことが救いだ。


わたしのことに心配はさせてない。

わたしについては何も変わらないよ。

と、現状や心の内を話してはいない。


そんな娘ちゃんにわたしは一つしか言うことはない。

いつもLINEに書いてるけど、身体に無理だけはしないで欲しい。

それだけ。

わたし達の難病は再発すると厄介だ。

無理をしてないと思ってやっていても症状として出る前に既に奥深くでは燻っているようなもの。

先も読めないし長期戦になると体力の消耗とともに心も持ってかれる。

安倍晋三があれだけの地位を離れなくてはならないほど、そして離れるととんでもなく世間から酷い目に遭うこと、世の中がひっくり返る程たいへんな事態になるのもわかってるけどそのくらい身体は無理になる。それほど地獄的に苦しい。

いろんな人。医師や政治家、一般人が辛さを知らないから好きにメディアで安倍総理のことを言うのは自由だけど、自分が言われている様ですんませんね。とか言いたくなる。

わたしなんかの一庶民ですらどんだけ偏見と差別、屈辱を味わったか、もう覚えきれてない。

細いのがきれいだと勘違いしてるの?骸骨みたいだよ。

とか。

食べたいくせに我慢してるとかみっともなくない?

とか。

それすぐ死ぬってやつでしょ?

とか。

誰にも迷惑かけてないつもりなんだけどね。

大人しく生きてるんだけどね。

わたしと外食したいと思ってくれるのはありがたいけど、行けないとなると大体文句を言いたいみたいだ。

なんでも食べなよ!食べても大丈夫だって!食べないから弱っていくんだ!そんなに細いからだめなんだよ!どうにかしないと!



ばかだ。

どうにか出来るなら誰よりも1等賞でとっくに頑張ってるわ。



同じ難病でも人それぞれ症状が違うしステージが同じでもうまくコントロール出来る人と出来ない人がいる。

母体の病気より合併症や副作用の方で酷い目にあったりそのせいで予後不詳なおかしな身体になったりする。


話が変わるけど、最後に投稿してからこの長いあいだに判ったことがある。

つい何週間か前?いや何ヶ月か前か?に唯一やり取りをしている叔母から連絡がきた。

叔母とは年に12度話す事がある。

家庭菜園をしていて野菜を取りにこれる?

という感じ。

叔母はわたしが食べれないのとかわからないし説明も面倒なので、いただくことにしてる。

変わりに珍しいお菓子を持って行くと喜んでくれるからそれで良い。

野菜は申し訳ないがいつも野菜好きの知人にそのままもらってもらう。


今年は叔母がわたしの父親が一緒に野菜作ってるんだよ。と話してきた。叔母は父親からわたしに実った野菜を渡してやってくれ。

と言伝がきたから連絡してきた。

もう今は父親と電話ですら話すことはない。

最後は数年前、よりによって肺の大きな手術の前の日にわたしが産まれた時から理不尽でしか生きて来なかった幼少期の事をはぐらかしたり知らない事が多すぎる父親に的外れなことをグダグタ言われたので

「出てけばか。」と大げんかをした以来だ。

今更わたしからは言わないのに、こいつ(親父)は

「おまえはほんとに何の連絡もしないで好き勝手にやってるからこんな目に遭うんだ。」

とバチが当たった的な事を言い出して喧嘩を売ってくる。

術前なんて怖くて安定剤や眠剤を飲む人もいるほどなのにこいつのおかげでただムカついて手術のことも忘れるくらいだった。

そう、ほんとそれ以来関わってはいない。

覚えているのは、病室に来た時になんとも言えない顔をしながら手ぶらで、お見舞いとか持ってきてないぞ?病院代も自分で払えるんだろ?

だ。

叔母が気を利かせて話してしまったとはいえほんとにこいつは何故に来たのか死ぬまでの疑問の一つになるだろう。


話は脱線したけど、そして叔母から父親の作った野菜をもらった。

その時に叔母は姉の事を何か言いたげな感じなのがすぐにわかった。

でもわたしは聞かない。顔色ひとつ変えないでありがとうございます!とだけ言って帰る。


母親の方は施設で未だわたしとは親子の関係性もちゃんとわかってないのかも知れず相変わらず5歳くらいの知能で過ごしているだろう。

わたしが元々身元引き受け人と保証人だったのを病気の悪化で去年から姉に変更してもらう話になっている。

施設長にその段取りは進んでいるのか心配になった。姉が何故か引っかかるから。

叔母のところからの帰り、その日のうちに施設長に連絡をしてみた。

問題なく保証人の変更はできるけれどなかなか忙しくて姉とやり取りが出来ていないという。

姉に何か変わった事はないのかを聞いてみた。

施設長は知っていると思ったのか、お姉さんのほうはもう落ち着いたと思いますよ!と言う。

落ち着いた?

何が落ち着いたのか聞いた。

突然だけど、姉は結婚をしていた。

最近のことではないと言われた。わたしよりも歳下で姉からだと10くらい下になるらしい、そして施設長は「もう何年も経ってますよね?」

だって。


父親と叔母は相変わらずわたしには何も教えてはくれないし、姉の幸せを守っているんだと思う。姉とは仲良くしてるから尚更言わない。

父親は何度も家族として新しい旦那さんと会っているようだ。


聞いてもあんまり驚かなかった。

とっくにわたしは親兄弟など自分にいないと脳内変換されているんだろう。


最後の最後までわたしはこの家族の一員にはなれなかった。


そうして今のわたしがどうしているのか身体はどうなのか、出て行ってるのも、どこに行ったのかも何も知らないままこの生まれ育った街をわたしはでた。

この土地を出る日。

もう2度とあの人達と会う事はないんだな。と思った。

いつかわたしが死んでも、全てきれいに処理されて何ひとつ形あるものもない状態から、「死にましたよ。」と弁護士さんが伝えてくれる仕組みにしている。


この土地を出るにあたり、難病の主治医とこれから秋は季節の変わり目で一番気をつけないとならないし、市内でコロナがちらほらでてきてたのと、秋冬のコロナとインフルの流行にこの土地の医療体制は脆弱過ぎて地獄絵図になりそうだ。って話をした。

とっとと逃げよう。

主治医はわたしから言うより先に春まで来なくても良いように薬の配分を考えて出してくれた。

もちろん肺の再発と難病の悪化、再燃があれば話が別だからすぐきてね。と言われておわり。

最後に行った頃にはわたしが話したい事、残したい事、希望を全て完了しているので今は気が楽だ。

ポルストと同様の権限になるだろうDNARもすぐにサインしていた。主治医側とわたしが持っている。

今更、こんなのまだまだ考えなくても!など甘い事などわたしにはもう主治医は言わない。

道内にいるのかもわからない。なんせ寒いのはいやだ。

それも言っていたので、最後の受診日に何かあったら的なお手紙を用意するから!

と言ってくれた。

道外でも良いように慶応医大にする。と言われた。

あーやっぱりね。

わたしも最初の頃はこの病気に新薬や治験に特化した慶応に一度診てもらおうとは考えた事を思い出した。

いまは安倍の病院。みたくなってる。

安倍さんは誰に診てもらってんのー?

と聞いたら、何ちゃら?の特別な扱いでその教授とかだよ。いくらお金かかるかわからん所だよー笑。だって。

そりゃ日本国にとって重要人物だもね。

で⁇

わたしは誰宛にしてくれんのー!って聞いた。

いっぱい知ってる先生いるから、どうするー?って聞いてきたので、それしか言葉知らないのかよ。と得意の「良い人」って言ったら、主治医は笑いながら少し考えてパソコンで打ち始めた。

この人も凄いから!どんだけすごい人数診てることかー!

だって。主治医とも仲良しみたいだしわたしと合う合わないは誰になってもわからないからいいや。

しばらく会わないので最後は主治医と2人で記念撮影した。

精神科の病院の薬はヘルパーさんに別口契約でお願いして、毎月取りに行ってわたしが指定する所に送ってもらう事になってる。

あと、弁護士の方もきっちり話しも内容も固まっている。


いま、わたしは色んなことを考えている。

最初の方に


 誰よりも苦しんだ人が

 誰よりも幸福になる


 誰よりも悲しんだ人が

 喜びを感じることができる


 誰よりも泣いた人が

 本当の人生を知る


になると良いね。など書いたが今は少し違っている。

確かにひどい人生だったかもしれない。

この歳で家もなく、あえて人と濃密な関わりをな持たず、物もなく浮浪者とあまり変わらない。

でも。

最後は幸せになる。

がおかしいと思うようになった。

今まで通りが相応しいとおもうのだ。

最後に変わるのはなんだか不自然である。

安っぽい恋愛ドラマみたく無理矢理ハッピーエンドにした感じだ。


ただ、本当の人生を知る。

はわかった気がする。だからこそ尚更そう思える。

わたしのこの

『いま。』これこそがわたしの人生らしいし結構気に入っている。



わたしは本当のじぶんのことがまた少し分かるようになった。

わたしはとても人間的に性根が腐っている。

記事に付き合った人のお母さんから嫌な思いしたときに反撃した話しでわたしほんとは真っ黒なんです。という一文を書いた事があったけど、そうゆうのじゃなく、日常的に病気だからって理由じゃ通用しないほど心が真っ黒だ。誰のせいにもしてない。持ち合わせたもの。多分ひどくたちが悪いし悪どいと思う。

人を傷付けることはしないけど、感情をおいてる場所が人とずれまくって違うのかな。

罪の意識はない。

猟奇的な快感で。とかでもない。

外出して手を洗うかのように普通のことをしているような気持ちでしかない。


人によっては不幸な事ばかりの人生だと、前世の因縁やら人の業などと言われたら、どうしてわたしが!

とか思うんだろうけど、ここまできたらそれの方が良いなと思う。

わたしの次の人は幸せでいてほしい。

その宿命やら因縁や業とやらは死ぬまでの間にわたしで片付いておきたい。

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