Tsuioku kana2『願いが叶う』

皆さまこんばんは。

8月ももうすぐ終わってしまいますねぇ。

忘れん坊なので記憶喪失になる前に書きまーす。


素晴らしいナイスプランにした検査が先月7月におわりました。

なので、ご報告を致します。

はじめに結論をお伝え


全然素晴らしいナイスプランじゃなかったわ。


7月某日。

検査4日前処置が始まりましたよ……

あーあ

とりあえず最初の3日はなんとかふつーに生きれる。

はい。問題は前日に入院してから何を飲まされてどんな事をされるかなのです。


そんで、夜から飲まされたクスリ

………すごいヤなやつだったんだけど。

一晩中眠れないほどお腹がしくしく痛いしトイレに行くのが面倒である。


そこの病棟は夜中とても静かでした。

辛いのでひっそりとは行けない

バタついてしまうからうるさい音が出るのが心配だ。

同じ病室の方たちにとても気を遣うのです。

もぞもぞと布団から出てスーッとカーテンを開けてスリッパ履いて歩くのに細心の注意を払ってお静かにしないとー!

……って。んなこと出来ない。

それじゃ間に合わないんだよ。

なので一度行くとなかなかベッドに帰る気になりません。

トイレの花子さんになろうとおもいます。

患者さんが静かなので緊急処置とかがないからか看護師さんもそこら辺にはいなくてとても静かです。

たまに意識が遠のくのでわたしが本当にトイレに潜むおばけみたいです。

一晩そんな状態で朝が来ました。

でもって朝6時から本格的な処置を始めましたが、去年と同じ方法だったにもかかわらず、夜中からずっと具合が悪かったせいか全く飲むことが出来なかった……

多分全液2リットル中100ccも飲んでないわ。

赤ちゃんでももっとがんばれるね


そして、ただただ吐き気との闘いみたいになってしまい、検査の処置を一時断念して吐き気どめの注射と、ありえないほど血圧が下がり過ぎていて痺れも酷く、意識があまりはっきりしなくなったので点滴治療をしました。


なんか。もう入院してる主旨が違ってきているけど。

なんか。これは一体なんの治療なんなんだろうか。

単なる4日前からほとんど絶食した人の栄養失調の治療みたくなったんだけど。


そんな事を23時間しながら、わたしは本気で何をしにきたのかと、涙が止まりませんでしたー。

4日前から検査の処置をしてきて、心の準備もして(これはあんまりしてないや)ほとんど固形のものを食べずにいて、前日からは処置が少しでも進む為に自己判断での絶食をし、この日に挑んできたのに、これじゃ検査すら出来ないなんて自分で自分が許せませんでした。

悔しい。とんでもなく悔しいのだ。


この検査は一般的には結構詳しく調べてくれる会社なら年1の健康診断とかでもするもので、大腸の検査は辛いよねー嫌だよねーとか普通の人は言うには言うけれど、みんなちゃんとやり終えることが出来る検査なのに、わたしにはもう検査をする体力も身体もありません。


でも、ここまで来て検査をしないとはやっぱり情けない。惨めすぎるな。

とてもかっちょ悪い。

と思い直して処置を開始しました。今度は気力精神力との闘いにチェンジしてみる。

で。昼過ぎにやっと消化器官全てがキレイになるところまで完璧にもっていきました。


検査自体は約30分くらいかなぁ

いつもですが前処置に比べたら比にならないほど楽です。

でも、1年ぶりになかなか見る機会のない腸の中、末端部分までの羅患部をみなくてはならない恐怖みたいのは多少ありました。

いろんなことがあった1年間。(私生活で結構ごたつきがあったりで精神やられた。)

わたしには今はどうなっててももう仕方ないかな!とは思っていました。


モニターで自分の目で見ててもわかるくらい、先生の話しでも腸自体の粘膜の炎症状態は全体的には良い方だなとおもいました。

だけど、はっきり見えるから尚のこと先生はほんとに余りにも歴史が古いのが良くわかるなー。と、言っていました。

わたしの難病は一桁の歳からなので何十年と完全に経ってます。

診断され、それに効く薬を飲み始めたのなんて、たった2年前です。それにより地獄と化した制限された生活を同時に送ることになってこんな体重にまでなってしまいましたけど。


この病気は発症が確認されてから5年ごとに重大な影響が出てくる確率がどんどん増えるというデータがある病気です。

わたしはその確率も発症が何十年以上も前

なので、遡って5年ごとにあてはめるといいのかわからないけど様々な事が起こり得るのが他の人よりもさらに何十倍にもなる事を改めて言われました。

更に寛解期でもしっかり難病の薬を服薬し、ストレスなく安静に暮らしていても緩い右肩下がりで活動期に入るパーセンテージが上がります。

なーのーで。今は小康状態が続いていても絶対に毎年は必ずこの検査を一生、投薬も効いている薬を一生、制限された生活も一生。らしいです。

一生、一生とか、何十年も生きてるみたいに書いてるけど長生きなんかしないけどね笑


いまは寛解が続いていても病名はこの難病である。と、変わることはないし、治ることはない。


そんなの2年前にお腹いっぱいになるほど聞いて知ってるけど、毎回言われたらわたしだって耳にタコが出来るのである。疲れっちゃうよ。


とりあえずまとめると、今回の結果ですが去年の7月は特に何もなかったから検査の結果説明だけだったけど、今回は直腸に潰瘍が二箇所見つかりました。

センセーが言うにはちょっと気になる潰瘍らしく、内視鏡の先端にクリップみたいのを付けて潰瘍を挟んで取り、検体を病理解剖に回しています。

悪性のものなのか良性のものなのか判断しないとだめなんだとさ。

わたしは……

衰弱し過ぎて検査中も点滴しっぱなしで病棟から検査室まで車椅子移動とあまり記憶も定かではない。

センセーには今日も1日入院していた方がいいかな。

と言われた。

検査終わったら普通の人はピンピンして、良し!腹減ったー美味いもの喰うぞー!とかなるんだけどね。ほんと羨ましいよね。



初日に病室に入ったとき、同じお部屋の患者さんに、あらまぁ!可愛いひときたわぁーどこが悪いのぉーどうしたのぉー

なーんて言われチヤホヤされましたが

超笑顔で、わたし難病なんですぅー!なので毎年検査するんですぅー!といって全員を一瞬でフリーズさせて始まった入院。


いる間みなさんにはご家族が朝と夜12回でもやってくる。


わたしは一人で大荷物(絶食につき病院食は何も出ないので飲む物を大量に持参したから)を持ってやってきて、帰るときは虫の息にもかかわらずまた一人で帰り支度をする。その間だれも訪れず……

です。


あ。ちょっと脱線しますが、入院の時に提出する書類っていろいろありますよねー。

緊急連絡人、保証人とかもわたしは白紙でなぜか通じる。

精神障害2級だから「このひといみわからないのかなー」

とか思われてて通じんのかな?

他にも書き物はたくさんあるけど、あんま書いてない。

その中で自分の性格は?

ってのがあってかなりツボった。

これは何に必要なのかとても知りたい。

逆質問したいくらいだ。

とりあえずこれは実に興味深いよ?

だからこれは書いてあげた。


性格          ふつう。


にしといてあげた。

なんと!これは使える!ってあるならおせーて。




はい。では戻ります。

そして退院の時、入院検査だったので3ヶ月分の大量に処方された薬は院内処方になるので自分で持って帰れという。

いつもの外来の時に出される薬は配達してくれる院外薬局にしている。


この量を持って帰れ?

ばかなの?

せめて薬局は一階だし正面玄関も近いから一階に置いていてくれよー

と、その旨をなんとか懇願し伝える。


答え。


病室で看護師とチェックして確認しながらご本人に受け渡すことになっていると言う。

ここはお役所かよ?


わたしは検査室に行くのも車椅子で病院内を暮らしたのだ。

あーあ血も涙もないね前に書いたことがある記事の役所の難病更新の窓口にいた臨職の人と同じだ。

てか医療に関わってるからこっちの方がタチが悪くないか?


とりあえず仕方がないので帰りは処置とかに看護師が使う二段になってるアルミ台のカートにエンシュアH250ミリ24本入り5ケースと飲み薬超大量、そしてまた自分が持ってきたデカイバックをその台のてっぺんにドカンとおいた。

そしてそのカートを一人でふらっふらのへろっへろ状態の患者が引いて歩かすのがここの普通らしい。


凄まじい姿である。

5日物をまともに食べていないから胃も腸も空っぽだし、入院中、何度か瀕死した。


で、また超笑顔でお世話になりましたーとみなさんにご挨拶をする。


え!ちょっとー!誰もきてくれないの?

大丈夫なのー⁈


だいじょぶですー!

えへへ。

だ。


そして病室を出てもドアがないから聞こえる。

ずっと遠くに行っても聞こえる。


いやぁあんなに若いのに可哀想だよねぇ


どうしてまたそんな病気になんかなって世の中間違えてるよ可愛い顔してニコニコしてさぁ、どこからか出てきたみたいな人だったねぇやりきれないねぇ


とか。


要するに憐れまれた。


こっちは必死すぎて心臓破裂とかで死ぬんでないのかと思ってはひたすら病棟から遠く遠く離れた玄関に向かう。

で、外に出て駐車場の遠い所に車を停めてある場所までカートを押した。


車の所まで来て全てを積み終わりカートを風除室に戻して車にもどると頭のどっかからなんかがブチリと音がなりましたよ。


大泣きをしてみた。

ひとりざんざん雨である。


お腹は空いてるけど、意識は不明にほぼ近いけど、とりあえずまたマツコ語録が出てきてムカつく。

ほんと、そこまでして生きてたいのかいキミ。

だ。


2時間大泣きしてやってやめた。

あーばかくさい。あー帰ろうっと。



あ。

題名の『願いが叶う』

をお伝えしますね。


前回の検査前の記事で、七夕さんにお願いしたことがほぼ叶いましたー!

「死ぬ日を教えて」です。


わたし。死ぬまで3年くらいらしいっす。

何月何日何曜日何時何分かおせーて。

はさすがに小学生なので、超アバウトですが3年がわかったのでとりあえずいいや。

だいたいその頃になったら自分で時期も絞られてきてきっとわかるだろう。

なので、この期間にすべき事をしようっと!


計画は立てている。とかだいたいの流れを決めている。


は書いて来ました!

最後はその詳細を書いてみようとおもいます。


次回。これからわたしに残されたちびっとの時間についてどうするこうするこうおもう。といった思いの丈をここに書き綴っておこうっと。

青年の主張!ってやつです。



いつかにつづく……


Tsuioku kana『わたしはまだ生きている』

突然こんばんは。


「わたしは自由です。」



で、おわり。

ましたが



とりあえず自由にはやってはおります。

そうですねぇー。例えばいまは

「自由に毎日泣く。」という事をやっております。

11度は必ず泣いている。

なんて自由なのだ!

てか、ひきこもりだからできるだけね。



しかし。

わたしが生きてる事に対して批判的な事をテレビでこの前言っとったな

と、被害妄想の塊でかなり精神が傷んでおります。

マツコデラックスがね、色々美味しいものばっかり食べる番組で、「これはねー食べれないなら生きてる意味はないね。死んでいいわ。」

だってよ。

生きてるやつここに居るんだけどいいっすかね?ダメなら言って。


あのね、何を言いたいかというと、とにかく食べたいわけ。

2年経ったけど、これはちっとも慣れない。

慣れるどころか増し増しで食べれない苦しみで精神が崩壊している気がするけれども?

食欲。こいつは人間の最大な欲求なわけですよ。

あと何年の我慢だよ!がんばだよ!


じゃないんす。

死ぬまでなんす。

それか腸を丸ごと全部引っこ抜いて出すかなんす。


書いた事があるかも知れませんが、一番のお願い事は、「死ぬ日を教えて。」です。

七夕さまが近いのでどっかの道端の木にでも書いた紙をひっ掛けてこよう。と考え中です。


で、わたしがこの世からいづれ居なくなるとそこは心霊スポットとなり、わたしが生きていた痕跡が残るというなかなかのアイディアなのです。


死ぬ日がわかるなら、当日は意識とか無かったら意味なしなので、1週間くらい前から今まで我慢してきたありとあらゆるものを全て喰らい尽くします。

食べるもの、もう紙にメモっております。

すごい膨大な種類なので少しづつになると思うのでちゃんとその辺の配分も考慮しておかないとならないわぁ

あー!あれ忘れてたー!食べ忘れがあったわー!

なーんてなったら成仏できない。




えと。突然こんばんは。したのは今月が悪魔の月だからです。

はい。しつこくて申し訳ないのですが、大嫌いな毎年のおっきな検査の月です。

難病の病院は相変わらず朝イチオンナで予約をしています。

で、前回の受診で日にち等を決めてきました!

検査はブログを読んで頂いた方々ならお分かりの通り。そう毎年7月なのです。

やだわ

Episodi294296にグチグチ書いてます)

とりあえずかなりの暴挙にでた去年の前処置は4日前処置でその間、本人判断でほぼ絶食。とデータに書かれたぐらい本人(わたしだけど)も、とてもツライことになりました。

でも、その前の二回の処置法よりはマシ。

ただフラフラで瀕死の人になるだけです。

(食べないからだけど。)

前の受診で先生に

「消化のいいものは食べていいんだからー!

4日前から食べないなんてダメダメ!」

とか言う。

でもわたしは食べたい物を普段から食べれる訳じゃないし食べない方が当日ラクならそれ(絶食)をしてしまう


で、去年これでダメなら来年は前日から入院でやろう。

と言ったので、今年(今月)は入院してすることになりました。


処置自体は4日前から朝昼晩飲む薬と2日前の夜だけ飲む薬があるのと、前日に去年は拒否った強めのを飲む。これはもう入院しているから大丈夫カナ?と思って。

で、当日の朝からニフレックを始めるーるる

といった感じでほぼ去年と同じでございます。

フラフラニンゲンにならないように入院するので点滴をして過ごせるというシステム。

あー今年こそは素晴らしいナイスプラン!


でもって。体調はですねぇ相変わらずおバカな身体です。

体重も35くらいのままです。

居宅サービスの方にはひと冬とてもお世話になりました。

この人居なかったら生き延びるのは難しかったと今振り返ると思います

ただもう体力が劇的に落ちてしまいましたね。階段の登り降りはもう無理だ。

バックくらいしか持ってないのに登る時に片足を少し上げただけで後ろにひっくり返りそうになった日、ひとりなにかを悟りました

もう足もバカになって人として機能的に無理だと観念しました。

ニンゲン不良品があと一歩で廃棄ゴミ処理場行きになりそうです。

と、いうこともあり今年の31日に、受けれる在宅サービスの手帳に追加サービスをしました。

それは、自宅での療養も辛い時に短期入所が出来る。ってやつです。

わたしは月に7日滞在出来る枠を入れてくれました。

で、支援団体の方と施設を見て回り、何かあった時に急でも受け入れが大丈夫で、その時連絡してみてお部屋が空いてると入れる。という所を二箇所確保して契約し決めました。


精神状態はこれも相変わらずおバカな感じです。

あ、これはちょっと前よりヒドイか。

起きた時にここがどこだかわからなくて必死に思い出す。

という作業がひとつ増えました。

多分お昼寝して起きた赤ちゃんが「ナニガオキタノー」って驚いて泣くやつの原理だと考えております。

どこだかわからないのと同時にじぶんが何かもわからないがとりあえずセットになってます。


かなーり終わってます


あと増えた作業として脳みそが半死してる。

半死での生活は大変です。

まず車に轢かれる。

あれ?なんか聞いた事があるね。

子供の頃に2回轢かれておる

人は歳を取ると子供に戻ると言いますが早すぎるのではないだろうか

これは大したことがなく脳みそが少し揺れた気がします。あと打撲程度。


半死の影響その2

大怪我をしてじぶんをとても困らせるという作業です。


半分の脳みそで考えているのでミステイクがおこる。

アタマバカだからあんまりびっくりしないんですが、指をちょん切りそうになりました。

人ってマンガみたく血がでるのね。

包丁でとてつもなく大きな寒玉のキャベツをいただいて芯を取り除くのにキャベツの芯じゃなく親指を取り除こうとしてる。

新聞ひいた上に傷んだ葉っぱのキャベツを置いたその上が水溜まりみたくなったわー。

おもしろい。

実におもしろい画像(動画も)が撮れる!

で、写メる。

てか、これは病院に行くべきレベルかを知りたくてすぐに返信が来そうな数人に「指死んだんだけど」って言葉と一緒に送ってソレ聞きたいだけなんだけどね


で。

みんなみてくんない。

あんまみてくんない。


お返事が、「やだー見れない!ちょっとしか見れない!」(薄目で見るの?)

「あ、ごめん。これ系ニガテ」(これ系?って一応ニンゲンのあたしなんだけども。)

とても役に立ってもらえない人を選んで送ってしまったようだ

で、仕方がないので輪ゴムで親指の付け根を巻く。

30分血を流し続けてやっとこ止血成功!


でもさぁ切ったとこってなんも痛くないのね。

ただ輪ゴムんとこがちぎれるほど痛いのね

で、我慢出来ずに緩める。

そしたらまた血が飛び出すシステムだ。

あなたならどっちを選ぶ?


これはねーこんな事にずっとかまってやんない。びょーいんだ。

で、また止血した隙に絆創膏でグルグル巻きにして行ったよ。


で、着いた。

待合室に人いるけど急ぎの人扱いでそのまま一番でせんせー見てくれた!

やったー!運転大変だったから嬉しい!

でもそれなら救急車呼べば良かったのか?


で、はいまた出た。

「すぐに縫合します。」だ。

あー縫合ね。麻酔して縫うのね。


だーかーら!ダメだから!

せんせーに難病について事細かく教える

看護師さんも急に忙しくなる。

難病の受給者証とお薬手帳のコピーやらなぜか精神病での障害手帳までコピーしています。

へ?それはなんで?

で、せんせー。

「縫いたいけど!これは縫うんだけど!

麻酔と鎮痛剤使えないならだめだぁー!」

は?どうすんのさ。

で、なんだかパッチだかテープだかでひっつくまで絶対に剥がさずに傷口を塞ぐ。

という治療……


で滲み出る血がついたガーゼのみ毎日取り替える。


で絶対に水で濡らしてはいけない。化膿しても抗生剤が使えないからだ。

で、とにかく何にもしないで。動かさないで。


おわり。


後はね、指は神経が敏感だから今晩が一番やむと思うからこれは我慢だね!

だとさ。

今痛くないんだけど?やむの?

うん。やんだ。

2晩やんだわ。

それに最初の晩は血を見過ぎてなぜか顔が白くなった。

痛みは我慢出来る!あとはどうか化膿をしないでおくれ。お願いです



普通なら10日もすれば傷口が塞がってるらしいけど自然治癒力治療だから3週間かかったんだけど。

その間に良いこと。

親指と人差し指で掴むとか持つとかつまむって無意識にすごい多いのね。

で、それが全くできない代わりに人差し指と中指でやる事になった。

中指がこの歳でとても発達してくれました。


脳トレどうもありがとう。


やっぱねーコリャ生きてるうちはうかつでも絶対に小さなケガ、病気は出来ないのをまたまた口腔外科の時に思ったのをまた振り返る

ほんとにこの人なんで生きてるのかおせーて。


はい、お次の半死の影響その3

3月に車同士で事故ってかなり落ち込んだ。

なんにも見てなかったー!なーんにも!

ケーサツに、見えずらかったかな?

とか言われたけど、いいぇ、見る気もないだけ。

お相手には突然横道の止まれ側のニンゲン(わたしだけども)が、わざと?って思うくらいに出てきたもんだから、きっと死にたい人かなんかと思われたんでないのかな?

お相手のお車恐ろしくデカイクルマだったしね。

そう。完全に私が悪いやつだ。10-0でいいっす。

って思うくらい。

寒いし朝だから忙しかっただろうしお相手にとても申し訳なかったなぁ

でも私、やたらと異常に謝るし、ご機嫌を伺うし、ショボンとしてるし、でもって多分目の焦点が合ってなかったのかお相手さまが謎に優しくしてくれた。

40過ぎくらいの御夫婦でした

どうもすみませんでした

で、結果が出た時、なぜか8-2にしてくれてビックリ

お相手さま。何にも異論ないですよ。って事でしたよー!と、保険屋から聞いてほんとに申し訳ないわぁ

ケガがないなら個々で会うのはあまり良くないらしいが菓子折りを渡したいくらいだ。

でもって脳みそ半死の精神病の今の私レベルではあんま運転をしては良くないみたいだ。

ってのはわかった。


あと余談。

相変わらず不眠。

これは不眠っていうの?

最強のヤクを飲んでるけれど1時間もたない時どうします?どうしたらいいわけ?

起きたらまだ同じ日とかほんとに嫌なんだけれども

わたし。暇なんです。

お仕事も出来ない。お出かけもしない。

なので眠れない人間にとって24時間も1日にあるのがとても辛い



生きてる意味はかなり考えている。

そしてだいたーいわかってはいる。

ただ死ぬ時の流れを気にしだすことが増えた。

もともと昔から臓器提供カードを持ってるし無駄な生命維持治療を望まない。

のをはっきり示している。

エンディングノートにも書いている。


ただ。

自分の死ぬ時に食べること以外でもいろいろやりたいのだ。

行きたい場所もあるし会いたい人も一応少しいる。

で、これまた勿論意識不明の一歩手前でなければならない。

で、超キメキメの姿にならなくてはならないのだ。

死んだ時に着る白装束っていうの?

あれじゃないやつにしたい。

素晴らしいお仕立てた着物を着て、髪も美容室でセットしておきます。

で、そのままお棺に入れて下さい。


そうして今わたしは安楽死と尊厳死についてかなり調べている。

日本では安楽死はほんとに本人意識なし状態くらいでやっとこしてもらえるかどうかだ。

わたしが望むのは尊厳死なのだ。

それが出来る国は二箇所しかない。

それを必死に調べている。

とても高い壁があり問題も山ほどあるのはわかっちゃいるけど、調べる。仕方ないのです。



あと。わたしは自分さえなんだっけ?

と思い出せないものを随分前にメモっていた。

それを最近発掘しました。

その中での……


『人は修行プランを予め立てた上で親を選び、生まれる場所を選ぶと。


早死にするのは、その人の今回の計画の失敗ではなく修了ということなのだろう。


人は一人では生きられないようになっているから、人が生きるには誰かの助けが必要で

また死ぬときには、誰かに何らかの影響を与える。


その影響がその人の今回の計画で、影響を与えて亡くなり、その影響が反映した場所で次の人生を送るつもりだったのかもしれない。


人生が一度だけだと考えると、納得出来ないことばかりだけど

輪廻転生を信じるとしっくりくる場合が多々ある。』


が好きなのです。


「人はなんらかの使命を持って産まれてきた。」


これにやはり通じる。





検査が終わり、また書きたいわぁ

と思ったらまた書きます。

読んでいただいている方がいらしたら読んでくださいねー。



Lopussa 『優しい人間は誰よりも優れている』

最後に遠く離れた「唯一知っていて欲しい人」とのやりとりをそのまま載せさせていただきます。




『こんにちは。

体調は平行線キープで過ごしておりますよ。
その状態だからと欲を張らず、嘆かず、今の自分の状態を受け入れて、素敵なものを見ればきれいだと思うし、子供達が無邪気に遊びまわる姿を見れば自然に顔が穏やかになり、危ないときはハラハラし、普通の人間であり続けています。

わたしは孤独すぎました。
親兄弟もなにもかも無さ過ぎました。

痛みの感覚だけが生きてる証でした。


私は小林麻央さんに限らず、芸能人の訃報の話題は何も興味も同情もありません。死はどんな人にも平等だから。

世の中には沢山の辛い思いを抱え、苦しみ、痛みをこらえ続け、それでも尚生かされている方。
その果てに壮絶な死を迎えられている方。
がいます。
孤独で全てが闇に覆われて1人静かに時の流れに身を任せ、抵抗できるものもなく、抗わず、誰に知られる訳でもなく、自分の人生を受け入れています。

麻央さんのブログで励まされた方々はとてもそれは、良かったことと素直に思います。しかしその反面あれだけ多くの人々の助けがあり見守り続けられ、お金等の心配もなく病気とだけ闘う事ができる環境でいられる事を忌み嫌う方も中にはいること。それも存在する人々がいます。

最後に搾りたてのオレンジジュースをお母様が作ってくれるのをまだかまだかと待ち遠しい…
とありました。
他知らず存在する方は
自分で絞りますね。絞れない状態だったみたいですが、それなら売ってるものを這って買いに行くしかないですよね。
しかし、その缶の蓋、ボトルのキャップを開けることが出来ず、結局飲めない方もいますよね。

色んな人が様々な想いの中、生と、死に向き合っています。

わたしもいつか死にます。
最後に伝えてくれた自分らしく…

いただいた言葉。とてもあたたかい気持ちになりました。ありがとうございます。

わたしは一日一生で最後の最後までダイヤモンドよりも輝き続けて行きます。

わたしは貴方に課せていただいた過酷な状況にいる方、そうでもない方、どんな方にも心が少しでも喜んでる気持ちになれるように人に優しさを与えて行きたいと思います

わたしが貴方とこの何年にもわたり繋がって生き続けられてるのはわたしもその部分であると分かってます。へんてこなお祈りで一日一日を乗り越えてきた小さいころのわたし。

見ているものがなぜ見えるのかと不思議で仕方なかった子供の頃。

見えるものがいかに不確かであるということ。
見えないものにとても心を救われるということ。

優しさをなくすことは絶対に出来ません。
自分が全身の痛みにもがき苦しむときも、少しでも辛いおもいをしている人がいるのが絶対に嫌なんです。悲しい気持ち、寂しいおもいをしている人がいるのが嫌です。
みんな幸せでいて欲しい。
孤独の闇に飲み込まれないで欲しい。

そしてずっと温かい人でいたい
傷つくのは他の人じゃなく自分で良かったんだと思っていたい。
ただ…
世の中の残酷さには泣けます‼︎』






『「孤独すぎました。
親兄弟もなにも何もなさすぎました。
痛みの感覚だけが生きてる証でした。」

重みのある言葉ですね・・・
でも、貴女の苦労は私はわかってるつもりです。
頑張れともいいません。勝ってくださいとも
いいません。負けないでともいいません。

ですが、貴女の気持ちはわかっていこうと思っている人間がいると思ってください。

貴方の今までの怒りはあって当たり前。
否定しなくていい。
僕は否定しない。
それだけの苦しみ、悲しみを味わったんだから・・・

君は悪くない
何も悪くない
誰も君を
責めるものはいない

むしろ偉い
誰よりも偉い
誰よりも強い
誰よりも努力して頑張ってる

だから僕は君を褒める 称える
 
だから誰からも慕われるんだよ
誰よりも優しいから愛されるんだよ

ひとり救うだけでも君の生まれてきた来た価値はある。

人を励ませる人は慈悲のある人
人を励ませる人は勇気のある人

「死はどんな人にも平等だから。」
そう、そのとおり。これが通じる人は僕は大好きだ。
どんな人間だって明日死ぬかもしれない。
だから常に人生は覚悟。そして使命感を持たなければならない。

「誰に知られる訳でもなく、自分の人生を受け入れています。」

まさに「生かされるままに生きる」の僕と同じ状態ですね。

人間には境涯が存在します。
簡単に言うと人間性の高低差ですね。
貴方は自分が思っている以上に境涯が高いということです。

 
「わたしは一日一生で最後の最後まで
ダイヤモンドよりも輝き続けて行きます。」

いい言葉ですね。
ダイヤモンドの原石は磨いて初めて輝きを放ちます。

「優しさを与えて行きたいと思います。」

そう優しさ。これが一番大事
 
優しいという字は優れているとも読みます。
 
『優しい人間は誰よりも優れている』

…………。




今まで読んで下さった方。ありがとうございます。

この先の人生。
じぶんのココロが喜ぶこと。
それだけをして生きて行きたい。

こうしたら良い。とか
誰にも指図をされたくはない。
これは良くない。とか
誰にも縛られたくはない。

わたしは自由です。




 




Episodi:300 これからもわたしは生きる

2017年12月31日
今年もおしまいです。

約3カ月間。このブログを読んでいただいた方がいらしたら本当にありがとうございます。

そして今年も終わると同時にこのブログも本日で完結します。
この記事のあと、最後のLopussaまでどうか読んでいただけたら嬉しく思います。
どう捉えられるかわかりませんが、わたしの自由な心のままで実際にやり取りした事をそのまま書いているものです。





前記事の続き……

わたしのチカラでは政治など動かす事はできない。
ヒトひとりずつの辛い気持ちを聞いたりする事しか所詮できない。

まして、わたしも病んでいる。
頭の先から足の先まで病んでいる。
全身の痛みを毎日感じて生きている。
ちょっとした事で息があがる。
ちょっとした事で動悸が止まらない。
毎朝起きた時…毎晩眠る時…
いつ心臓が止まるのだろうかと思いながら生きている。
産まれた時から欠陥商品だと扱われて来て今現在まで生きている。
その事に親兄弟は何も感じずにわたしの人生は終わると思う。
わたしが死んでもわたしが憤りを感じたこの世の中の様々な矛盾や問題は解決出来ないでいるんだろう……


『知っていて欲しい人』の言葉。

君の好きなアーティスト。彼がいい事を言っていたよ。

「人間は何らかの使命を持って生まれてきた。
 それを最後まで全うすることは困難
 であるけど
 でも生きてる限り進むしかない」と。


そうですね。
いま、わたしは生きている。
でも、いつか死んでいく。



そして、こんな言葉を伝えてくれました。

【死について】

”死”は不幸でもありますが幸せでもあり、 
”生”は幸せでもありますが不幸でもあります。 
”死”は次の生の生みの親であり、 
”生”は死の準備ともいえるでしょう。 

わたしは、”死”は決して不幸のシンボルではないと思う。

………と。


最近のお話。
12/17に仕事をいただいていた会社の方から連絡が来ました。
君の家の近くで催事があるので時間があったら来てよ!との事でした。
この会社はNPO法人団体の障害者支援活動をしています。知り合いはわたしの病気とかまでは知らないけど、いつも虚弱なカラダなのを知っているので今でもお会い出来る人です。
とても尊敬出来る人です。

そこの会場にはその方のブースの横にアロマオイルが有りました。わたしは昔からよくティーツリーの精油だけは使ってたなぁ…と懐かしく見ていた。ティーツリーの効能はいい。アロマオイルは匂いを嗅いで自分がいい匂いだと感じるものは自分に合っている。
ティーツリーはざっくり言うと、優れた抗菌作用と免疫力が上がる。抗ウィルス作用や心身の疲労回復にもなる。
ラベンダーやローズとかそういった誰でもいい匂い。といったものじゃないけど、半年間寝たきりだった時も枕元にガーゼに数滴含ませていたり湯船にも数滴入れていた。
それを思い出して見ていたらそこのお店の人が、乾燥の時期だし、蜜蝋にオイルを入れてハンドクリームも作りますよ?と言ってくれた。

アロマオイルはヨガなどでも関係している。ヨガの中でチャクラという言葉は知っていたけどイマイチ意味がわからなかった。そしてその人は人のチャクラの色もわかりますよ?と言って来ました。その人のオーラの色ってやつだ。
わたしは何色かわかりますか?と聞いたら見てみますね。
と言ってずっと見ている。どこを見てるのか分からないけどしばらく見て。
あなた…白なんだぁ…っていった。
台の上に紙があった。カラー別に一番下の赤から始まり7番目は紫になっている。
白がない。白オーラを説明してくれた。
紫の上になるようだ。

何か全てに納得できた。自分が生きてきて普通じゃない事も何もかもわたしには普通だったんだ。
白オーラについて、もしこのブログを読んでいる方が興味が有れば調べていただけたら嬉しいです。




わたしはいつまで生きてるのか分からないけど小さな小さな夢はかなえてみたい。
少女のようなおさない夢だけど。
少女のようなはかない夢だけど。

その夢はきっとかなうことはない。
そうおもうけど………







Episodi:299 思いを託す

頭にきております。
見逃すわけにはいかない。

とりあえず保健課のそいつの名前とどの役職なのかは聞いた。ほんとはコイツの書面が欲しかったけどこの際もういい。
で、申し訳ないですが、わたしは知り合いにお願いしました。
個人事業をしている時から仲良くしてくれていた議員さんがいます。市議会議員より上の人です。

LINE電話でわたしが体験した事。
もうすでに認定されている特定疾患の更新なのになぜあんなに難しく膨大な書類や提出物や書くものが必要なのか。ほんとに必要な物だと思うものなどたかがしれていたこと。
臨時職員とはいえ病気の人の窓口での職員の対応、そして常々思っていた特定疾患にも認定されず苦しむ人々が沢山いること……
誰にも頼る人がいなくて自分でしか出来ない人も沢山いる事。ばかみたく要らない書類ばかりあるから認定や更新にも無駄に時間がかかるんだ。って事などなどそれらを切実に伝えました。
知り合いの議員さんは
「自分がまず代わって全てに謝罪致します。全部おっしゃる通りだと自分もおもいます。」
とその方は言ってくれました。
そして、
「まず、自分自身で特定疾患についてどんな書類が必要でどんな仕組みかを見てみます。そして次の議会でこの件を発案します。
そのあと、市に対しての注意喚起を促します。
臨職とはいえその窓口に座る以上意識の問題です。しっかり保健課には指導勧告をします。
どうか、この一件はもうわたしに任せて下さい。疲れきってしまった身体と心をどうかゆっくりと休ませて下さい。」
と言ってくれました。
知り合いの議員さんが頭をさげる事じゃないのに下の不始末は自分の責任。と、とても真摯に対応してくれました。
とても感謝しています。
わたしも「心から感謝します。そしてこの件の事をどうかお願いします。」と言いました。この日1時間以上もそんなお話をしました。
今現在もそのあとの途中経過などLINEでのやり取りをしています。

特定疾患は国が定めたもの。です。
そこまでたどり着くにはとても困難だとはわかっています。
だけど、なんにもしないと変わらない。誰かひとりが始めて、もう1人、2人と増えて行っていつか少しでも何かが変わってほしい。
わたしは諦めたくは有りません。

次の日の朝、市役所の障害福祉課の人が心配して連絡をしてくれました。
「昨日の様子をみてどうにかなっちゃったら…と思ってねぇ……保健課の人間とは納得できる電話でしたか?」
と言ってます。わたしは
「ありがとうございます。保健課のバカな人間とはただ嫌な思いをしただけになって終わりました。」
と言ったら、その人言葉を失う。
「なので、この辺あたりでゴチャゴチャしてても無意味なのがわかったので議員さんが議会で発案してくれる事になりました。」
と、伝えました。
障害福祉課の人はその方が良かった。動いてもらえるなら、もし無駄になったとしてもこの先に今回の事が何か必要なものになるかもしれないから。
って言ってます。なんか違和感がある。
どうして、そんなに心配だったんですか?
何か今までに有りましたか?
と聞いたら
「実際この課ではないですが、わたしがいた前の課で亡くなった方がいて……」

絶句だ…。
役所にやっつけられて亡くなった人がいる。
弱いものが生き延びていけないこの世の中。

本当に弱者にとっては厳しい現実ばかりだ。
わたし1人だけの話でも細かい事を言えばきりがないくらい有る。
は?なんで?
と思うことばかりだ。

何も出来ずただ辛いおもいをして泣いている人が今のこの時間にもいる。

そんな事はやっぱり許せない。









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