入院中いろんなことあった。

12/30からは大部屋だったけどみんな年末年始の一時帰宅や退院でわたし以外誰もいなくなった。

ひとりがとても心地よかった。

12/26にここに来てからほとんどまともに眠ってない。

普段から最強の眠剤を飲んでも眠れることができないから当たり前だとおもう。

わたしは飼育されてる動物みたいになったので日中トイレとかに管を装置から外してもらう以外コールを押さない。


だけど、ここは外科病棟で特に術後の人はかなりの頻度で昼夜関係なくコールを押すし、看護師も何もなくてもしょっちゅう見にくる。

わたしは足音ですでに起きてしまっているからカーテンをそっと覗かれただけでバッチリ目が合う

ここに来てからずっとベッドは肺が苦しくてフラットの状態では横になってはいられない。

そして日中も仕切りのカーテンは閉めっぱなしだ。

なるべく開放すること。と、消化器病棟のときは書いてたけど、ここは外科だから違うんだろうか書いてない。

てか、看護師さんの方から閉めたほうがいいねと言う。

管から空気を取り込んでいる装置を通して薄い箱型のクリアなプラスチックのケースは中で3つくらい仕切りがある。

空気が流れるほうには水みたいのが入っていて呼吸や咳をするとボコボコ言ったり力を入れたりするとジャーっと音を出す。

その度にまだ空気が出てるんだとわかるから心が折れる。

その反対には胸腔内に溜まっている汚いの(手術したから中の血とか黄色いの)がでてくる。

カーテンを閉めるのは見た目が気持ちわるいから他の人にも見せたくないんだろうな。と、おもう。


ベッドは起きてる時は90度に近いし、寝るとき45度くらいの傾斜にしている。

だから夜中でも普通に起きてるように目が合う。


眠っていてもうるさいからそれで起きてしまう。

起こしておいて眠れませんか?

とかバカな事を聞いてくる。


わたしが何事もないかとか管の状態や装置の作動状態を確認しに来てくれてるんだけど、とてもストレスになっていた。


眠れませんよ。

人がいるのは慣れてないし。

という。


眠剤使いますか?

という。


わたしは就寝時間にあの眠剤飲んでるけど、あれに増して追加で飲んでいいの?

と聞いたら、

そうですよね

という。


そして退散する。


日に日に顔つきが変わっていた。

見たことないくらい目がひっこんで骸骨みたくなっていった。

眼の色も変わってるとじぶんでも気付くくらいになった。瞳は自分がみても気持ち悪いなとおもった。

いつしか知らない人に突然言われた事で記事でも書いたことがあるけど、ビー玉みたいだなとおもった。人間ぽくなくなった。


そんな中でも大晦日と元旦は痛みとかで苦しみ抜いたけどひとりがとても嬉しかった。

その時だけ廊下から部屋に入る方とは反対側のカーテンを開けっ放しにした。

そしたら窓の外が見えた。

景色は良くも悪くもない。

何十年も見慣れたじぶんの生まれ育った嫌いな街だ。

ただ2つくらい季節が変わっているような感じに見えた。


入院中は誰も来ないし誰とも話さない毎日を過ごした。

同室の人の様子とかを書くととんでもなく長くなるし、くだらないので書かない。


ただ久しぶりに人が食べ物を食べてるのを近くでされてること。

13度の食事を病室で皆さんが食べるのには退院する日まで慣れる事はできなかった。

見えないけど、お汁をすすったり、噛む音、飲み込む音、箸をかちゃかちゃする音、器を置く音、全てがとても気分がよくなかった。

食べたいとかじゃない。

なんでかわからないけど耳障りなのだ。


色んなストレスなのか、段々と自分がなんなのかもわからなくなるようになった。

空間が閉鎖的過ぎるのか、全身麻酔の影響なのかな。くらいに思ったけど違うみたいだった。


心がかなり後ろにあるせいか感情がないんだ。

7日に外科グループがどんな判断をするのかは怖いけど、日が経つとなんとなくどうでもいい部分も出てきた。


その後わたしは一度どうしても片付けないとダメなことの雑用の多さに一旦何日か退院した。

各種支払いや年末年始だったから宅配での贈り物が溜まりに溜まっていたり手術にまたなったとき死んでもいいように家の最終チェックをしたりした。

その時外に出たのもすごく久々だった。

なんせ翌年になってるんだから。

寝たきりを続けて手術もしたからか信じられないほど体力がなくなっていた。

帰るだけでその後3日間、太ももがパンパンになった。

家に入って驚いたことは懐かしくも嬉しくもなかった事だ。

あーやっと帰ってきた!

なんてならない。

むしろ怖かった。

長年住み慣れた家が他人の家みたく気持ち悪くみえた。

あったものは覚えてるし知ってるけど、前に見た感覚と全く違っていて、その物ひとつひとつ、凹凸や高低も違って見えた。不思議な感じだった。

動くのにはちょっと前かがみをしても痛むし、むせ返るから下のものを取るときいちいちしゃがむ。

一度座ると立つこともとても難しい。

目が回るし血が一気に下に行く感じで頭の血が引いていってく感じが全然慣れない。とても気持ちわるい。

この身体で生活がもっとたいへんになった。



わたしは結局20日ころに退院した。

最終的に治ったのか?

は、今もわからない。小さくはなってない。

大きくは少しなった。

だからまた変だとおもったら行く。

ってだけ。

あとはカラダのバランスが崩れたり免疫力の低下で肺とは関係ない部分に炎症や症状が出てきたやつのそれぞれの科にかかって治療している。

退院の時にUCの主治医のひとこと、それが一番心に残ったままだ。

もちろん今まで使用した薬はお腹に悪いからってのもあるけど、ストレスでかなり参ったかという事が気になって外来受診を入れてくれていた。

ストレスというこれまた簡単な言葉を使いたくない。

心が死んだ病と脳がおかしくなった病になったと言いたい。



今も退院後とさほど変わらない具合の悪さで過ごしている。

家のことはなんにも出来ない。

外出も11箇所、数歩あるいて数分で終わることが適度らしい。

欲張って何件か用足しをすると次の日は高熱になったり身体が動かなくなって寝たきりになってしまう。

人と話すのもまだ息があがるし、苦しくなるし、小さい声になってしまうから面倒くさくて話さない。


そうゆうのが無くても一日中家にいて横になっていても息苦しさやめまいや吐き気、傷と肺、胸の痛みで苦しい。


傷跡は変わらない。

汚いままだ。


左上半身と左上腕部分の皮膚がかなり敏感で一枚皮膚を剥いだんじゃないかと思うほどだ。

着ているものに触れるだけでピリっとしたりそこだけ鳥肌がガッとでる。

あと、味がないしマズイ。ほとんどの食べ物の味がなくなっている。味覚異常。

ストレスでなったひと、亜鉛不足でなったひとは知ってるけど、舌もヒリヒリして夜になるほどつらい。

唯一食べれるものの中でも好きなものでもこれじゃとてもつまらない。この辛さは本気できつい。

たくさんのことを本当に奪いやがったな。

とおもう。


昨日もひきこもりになってた。

なんにも出来ないことは前からだけどそれでも生きていなくてはならない事を知ってはいる。

それでもたまに本音は早く死ねばいいのにとおもう。

死ぬことは以前と変わらず何も怖くない。

死に方が間違ってまずい感じになったら大変だ。とかの不安だけだ。


今のわたしは強くもないし弱くもない。

頑張ってもないし、頑張ってなくもない。

偉くもないし、愚かでもない。

諦めたとか諦めてないとかでもない。

投げやりになったとかヤケになったとかもない。

楽しいと思うも、腹が立つも、癒されるなも、怒るもない。

こころ静かに穏やかにビー玉みたいな目で生きている。

少しだけ家の中での幼少期の虐待されていたときのじぶんに似ているなとおもう。



ただ。あまり言いたくないが、ひとつ憎しみという感情がある。

誰かが憎いではない。病気や不自由な身体が憎いでもない。


原理が憎い。


それを言うとわかってくれるひとがいる。




あと、さっき、死ねばいいのにとおもうと言った。

でも死んだら自分は楽になるのかどうだかしらないけれど困る人がひとりいる。

それが前からずっとまだ言えない衝撃的な事のひとだ。


そのためにわたしは生きる。

わたしは今は死ぬことはできない。

じぶんの意思など関係なくただいるだけでもいい状態でも生きていなくてはならない。


この次に書くことがあれば、その事も書ければ良いなとおもう。

もう色んな結論は出ている。

2019.2.1