三つ子の魂なんとか。というので3歳までは一緒にいる時間をなるべく大切にし、最低限の仕事をしながら生活費のほか色んないらん出費(元旦那の母さんのやつ)があったので不足分はわたしの貯金で暮らした。

それから保育園に入れてからはほぼ家事雑用含めたら24時間労働のように働いた。

これは睡眠障害だからなせる技だとおもう。


園にはいつも朝は一番で来るくせに帰りはギリギリになって迎えに行った。

そして買い物して帰ってきてからご飯、お風呂。そしてまた仕事に行く。

ヤツ(元旦那とか面倒くさいからこれにする)はカップラーメンを作れるかどうかのレベルだった。袋のインスタントラーメンは無理だ。

お湯も沸かせるか沸かせないかなのだから。

ほんとうに恐ろしくネジが飛びまくった生活をしてきていたんだろう。

特に暴力とかないし、喋らないし、家の中の酸素が減るというだけの、無害なやつだが、それと同時に仕事の時だけ留守番して居てくれたらあとは居なくてもいくね?ってやつだ。


ただ子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。

でたでた。この説は一体誰案だよ?

三つ子の魂百までとやらは調べてみたら諸説あったけど、その頃までに自我や感情、感覚などにとても影響を及ぼす時期ぽいから従ってみようと思ったけど。


ヤツは顔だけは良かった。

園の保護者の方々に12を争うイケメンパパと言われていた。


そういえばヤツの家系は美形だ。お母さんも若い頃参観日にくるとかなり目立つくらい綺麗だったと義理姉に聞いたことがある。

3回くらい結婚しているけど。

義理姉も痩せたら顔自体は整っている。

もちろん義理妹も綺麗な子だった。


ありがたいことに娘ちゃんは父親の家系をついでかとんでもく顔がかわゆい。背はちっこいが(1567くらい?)

あと、ただヤツは肌が地黒だった。


でも娘ちゃんはそこだけはわたしに似てくれた。

今もだけど肌は黄色的じゃなく白人的な真っ白でとてもかわゆい。わたしはどっちかというと娘ちゃんより黄色的な真っ白だ。

それだけで小さい頃、外を出ればいつも通ってるスーパーのレジのおばさんが自前で買っておいたアンパンマンのチョコとか飴を用意しといてくれて、娘ちゃんが来るのを待ってて頂いたりしていた。

娘ちゃんは愛想もとてもよろしい。

人々をイチコロにする。


人はやはり顔だけじゃなく愛嬌の良し悪しが生きてく上において関係するのだなと改めて学んだ。


ただスーパーに行くときは少し勇気がいる。

外で隣の建物との間の狭い場所の1箇所を毎回見る。

じっーっと見る。

で、何でいつもあの人はあんな所にいるの?

と聞いてくる。

そう。凡人には見えないやつだ。

今日は言わないで。

と毎度思うけど毎度言うので最後は付き合うようにした。

あら。ほんとだねーそれがお仕事なんだろうねー

なんつう仕事だよ。と思うけど、それで納得するから良いのだ。

だが、家の中でもそれはあった。

お願いだから教えてくれなくていいんだけど。

いつも小さい子がいると言う。

これも見えてはダメなやつである。

静かだなーと、ふとした時に娘ちゃんを見るとじーっと電話台の横っちょとか見ている。

顔をみているならば言う通り小さい子の背丈くらいのところを見ている。

で、あそぼー!とか言い出す。

もはやうちは一人っ子ではなくなっている。


これは未だに娘ちゃんは、あー!いたよねー‼︎とか言ってるけど、いねーから



娘ちゃんは園でもとても快活で素直な子供だった。

ただ回旋異常で産まれたからなのか人とはやることや出来ることが真逆で面白い。

お遊戯もみんなとは全部が反対周りだったりする。普通縄跳びは前まわりからが簡単なのに後ろまわりからが得意だった。

前転もだめ。後転が簡単らしい。

娘ちゃんを見ているととても面白い生き物だった。

園の先生には書き物系は生涯ずっと残ってしまうのに、連絡帳にはいつもみんなと違うことをします。とか、とても個性的です。と書いてある。ただじぶんが反対周りを直すとか教えるのが面倒くさいだけだろうが。

暴れたり、いう事をきかないとかではないんだから。

それに子供であれ、ニンゲンは誰一人同じニンゲンなどいるわけがないだろうに何が個性的だよバカだな。無視無視無視とおもった。

多分育てやすかったんだと思う。

とこの前書いたが、いやいやーかなり育てやすくはなかったはずだよ。と昔の知人につい最近苦笑いされて言われた。


わたしは娘ちゃんは最初の一年はびっちり働くのに保育園だったが、年中組から2年間は教育の場である幼稚園に行かせた。延長保育や夏休みなどの長期休みも預かり保育があったし、

ここは剣道、書道、本物外人先生の英会話教室などなどたくさんの事を教えて躾てくれる。これもわたしの目指していた教育方針だったのかも知れない。


個性的というならば、今更だけど私の方だ。

幼稚園の保護者のひと、ママ友やらなど一人もいなかった。わたしから話したことはたぶん朝のおはようございます。帰りのこんにちは。くらいなもんだと思う。わたしは見た目も全く普通の母さんではない。

分かり合えると思う人などきっといなかったとも思うし、話題も中学のときのクラスメートのときに味わったやつみたく全く理解できないだろうとわたし自身思えた。

やたらと群れてるから大声で話すのはいいけれど自分の子供全くみてないけど大丈夫なんだろか?といつもおもった。泣いてもなんか訴えてきても知らんぷりでママ友仲間に入るのに必死の形相はとてもよろしくない。


今もだがわたしは同年代の同性にはあまり好かれない。これも魔術師みたいな人に言われたことがある。       なんで⁇

きっと同年代だとわたしはいわゆるKYってやつなんだろう。となんかわかってきたけど。


わたしが仲良くなるのは極端に若いか、お年寄り。

若い子は同じアパートの下に住む大学生の子も今でもわたしをちゃん付けで呼ぶ。

なんだかに、にてるーから始まった。

EXIDという韓国のグループのハニちゃんらしい。

知らない。と言ったらハニちゃんの画像をLINEに送ってくれた。

自分では見てもよくわからないけど、iPhoneの写真に自動保存なので、ある日写真のアルバムの中から自分だけが抜粋されてるピープルを見たらその中にハニちゃんの画像も入っていたのでコンピューターの識別でも似てると思うらしい。

若い子ははなしててもとても楽しい。

彼氏がいて花火大会にいくのに1人で浴衣を着ようとしたけど着れない!と半泣きになって階下から電話が来る。

お願いー着せてー時間ないー!泣


若い子が楽しいのはきっとじぶんがこんな青春みたいなのと縁がなかったからかも知れない。

今の娘ちゃんもやっぱり若いから楽しい。

今どきの知らない事をいっぱい教えてくれる。お化粧もお上手である。とても女子力が高い。


あ。話しがぶっ飛んだけど、べつにわたしがこんなでも娘ちゃんは園でのびのびと暮らしていじめなどにもあわなかった。

何がそんなに自分の意思を捻じ曲げて時間を費やしてまでママ友が大事なのかが理解が出来なかった。

それもわたしの特徴というか、ぼっちが慣れてしまったのは広くみたらきっと良くない部分もあるとは思う。

けど、今更なはなしだ。

育て直しという恐ろしい治療をされそうになって逃げたから仕方ない。


娘ちゃんはわたしとは全く反対の人生になっているから一先ずわたしのような奇天烈な人にはならないだろう。

あと、これまたよく、一人っ子なの?一人っ子可哀想だよーと言われることがとてもあった。

でた。一人っ子はあんま良くない説。

これは是非とも勝手にさせていただきたい。

わたしは姉に赤ちゃんのときから隙あらば殺されそうになっている。


大人になったら小さい頃仲が悪くても、仲良くなり、子どもができたらお互い助け合って子供を頼んだり、親の面倒を見るにも一人より安心で必要だった!と思うときが来るからーとか言われたけど、それも一度も必要なかったし、未だ虐待の後遺症で治療中の為わたしの脳みそには話しかけないでほしい


あと、幼稚園では運動会やお遊戯会が終わると親の飲み会があるのはなんで?

打ち上げ?とかって言われたけど親はなんか頑張ったの?と思うし、うちは一人にさせれないから一度も行ったことがない。

てか、知り合いとでさえ飲みに行くとか遊びに行くことは結婚生活をしている間でも全くなかった。

現実問題で無理なのもあったが、居酒屋含めバーやスナック、飲み屋などわたしには働く場所。という感覚しかない。



わたしは唯一怒るが出来ないところがダメ親だった。怒るじゃななく叱る?か。

娘ちゃんは家の中では完全なる無法地帯である。

わたしは意味ないだろうとおもうようなことでも何ごとも学ぶというか創意工夫をすることに繋がるものだと思っていたとおもう。

それにそんな悪いことなんかしなかったしね。

小学校に入っても傘をグルングルン回して(これはあぶねーな)登校していくいつも楽しい娘ちゃん。相変わらずみんなが簡単なことがとても難しく、みんなが難しいと思うことが簡単に出来たりする反対っ子だった。

小学校も毎回学童保育にはギリギリで迎えに行く。いつも最後の1人か2人しかいなくてちょっと寂しい思いさせたかな

小学校は離婚したため半分半分でちがう学校になったけど、地域的に近くにいたので幼稚園からのお友達がこれまた半分半分の割合でいたからさほど問題なく小学校生活を暮らした。

ただ、学童は時代にしてはマンモス小学校だったからか高学年になると入れてくんない。

娘ちゃんは学校が終わり塾が終わると少し1人の時間がある。

お友達と遊んでたり悪さはしないが、やはり心配である。

なのでこの頃は娘ちゃんと交換日記をした。

そして第二次?反抗期の最中でもあって娘ちゃんから書いてくるやつはデスノートみたくなってた。


そんなこんなでもう娘ちゃんは18歳になる。


なので今はありとあらゆる話をいっちょこ前に出来る。

わたしのことは名前にちゃん付けだ苦笑

お互いちゃん付けである。

たまに娘ちゃんのほうが精神年齢の高さを感じてしまうのが悲しい

だって学級委員長みたいなんだもん。

娘ちゃんに、やだー気をつけてよ!とか、ちょっとー大丈夫なのー!とか、そんな事したらダメだよー!とか、食べ物落とさないの!と注意をうける

大笑いはしてくれるけど、ふざけた顔芸をするとほんとにバカなんだから。と言われてしまう。

実際に凄い人のところシリーズで出てきたあの魔術師みたいなひとにも、あーあんたよりこの子の方がお母さんね。あんたを助けに産まれてきてる。と言われたときも、やっぱりね。って思った。

あとは娘ちゃんにとっても、ある意味わたしを反面教師にしてるのかもしれないな


で、も!

娘ちゃんはなぜかわたしを尊敬してくれてわたしになりたいと言ってくれる。

みんなの話を聞いてなのかお母さんとゆうのがわたしじゃなかったら絶対やだー。とも言ってくれる。LINEのアイコンをたまにわたしの顔にしてくれたりする。

仕事も同じ食の道に進んでいくという。

今現在で食の専門学科の高校なのでわたしより資格とかもある。

今は飲食関係の接客のバイトをしている。チェーン店なのでみんなが知ってる絶対好きなやつ食べた事があるやつのお店だ。

あ。別にどうでもいいかも知れないけどハンバーガー屋さんと牛丼屋とカレー屋とファミレスではないよ。

で、ずっとやってるから今はもうトレーナーとかにのぼりつめている。

店長副店長娘ちゃん下に10くらい。

なので、この10連休も超強烈に忙しいのでその内の7日はバイトだ。店長とかに頼りにされているのは有難いけど休みたくても用事がないと真面目すぎて嘘を言えないし、他の人がパニックになって困っているのとか考えたら頼むから出てと言われたら、出ますー。と言ってしまう。朝8時過ぎにでて夕方帰ってくる。

結構な労働時間だ。今日もかえってからウチだけのブラック娘に変身していた。

お客さんが忙しいからなかなか順番が来ないとか先に並んでいたのにとか怒ってしまった。とか色んな話をしてくれるけどその中で、

今日はお店に娘ちゃんを気に入ったどこぞの学校かはわからないがサッカー部の高校生が数人で来たらしい。

仲間の1人にお前見過ぎだろーとか、わかりやすすぎるって!とか言われながらも臆することなく娘ちゃんの接客の方に並び注文をしてくるらしい。

わたしはそれを聞いたら素直にとても嬉しい。

娘ちゃんを好きになってくれる子はとても良い子だ!と簡単に思ってしまう。

この辺がなんか違うよね?

知り合いの男の子のお母さんはすごく彼女の文句を言うのをよく耳にする。

誕生日とかイベントにうちにいないんだから!いっつも彼女!とか言う。

当たり前だ。とおもうけど、そうなんだねー寂しいねーと言っとく。

異性の親子の歪みみたいのを感じる


娘ちゃん、このままここに就職して商品の企画開発とかすれば良いのにと言ったことあるけど、それは嫌らしい。



お勉強をしたことがじぶんがないからお勉強しなさい系は言ったことがない

人は言わないとする生き物みたいなのがわかったのと、言ったらしない生き物なのを人から聞いた。

危険!なんか怖い!を察知する能力もいちいち気をつけなさい!とか言わなくても身につくみたいだ。

親はあんまり転ばぬ先の杖にはならない方がいいと思います。(自論)

わたしもそうだけど、一通り色んな痛い目にあった方が良い。死なない程度にとか限度はあるけどね。

なので現在ほぼ人格が固定してきているが娘ちゃんはとても真面目で慎重である。

喜怒哀楽ははっきりしているがそれは家の中でだけ。ムカついたことがあったらチンピラ口調になるのも家の中でだけ

娘ちゃん今日怖いよーとわたしが言うことがとても多い。

でも、お外では礼儀正しいどこぞのお嬢様かよ。みたいに暮らしている。

じぶんでもわかっているから、よそ行き用、よそ行き用!という。


そして小中高の途中まで皆勤だった。

本当にわたしとは全くの正反対人物だ。


振り返るとそんなわたしでも唯一親らしく毎日必ず言い聞かせたことがひとつだけある。

他の子供に関わり出す保育園に行くときから「すべてのお友達に優しくしなさい。いじわるされたり優しくしてくれたりするどんなお友達にも同じように優しくすることー!」

だ。これを毎日毎日言った。

これは今になっても娘ちゃんも覚えている。

あとはあんま覚えてないぽいからほんとにそれしか教えてないとおもう。


でも唯一教えるとか違うかもしれないけど食べ物はちゃんとした。お惣菜など出来合いのは食べてない。外食はお寿司とか特別な日とかは行ったけど他はまったくない。娘ちゃんは肉が嫌いだったから特に行くところがなかったってのもある。

毎日必ず手作りで仕事上の問題もあるけど添加物フリーの食事をしていた。

お菓子も本業でもあるため手作りだった。

とくにチーズの入ったスコーンが大好きだった。

おせち料理さえ田作り、なます、伊達巻、栗きんとん、なんでもかんでも手作り。

あ、昆布巻きはダメだった。ありゃ買った方が良い。

身体に良いというのが一番だけど、なんせ働かないやつがいたから手作りで外食なしじゃないととてもじゃないがわたしが働いている意味がなくなってしまう。

これで思い出したが幼稚園のお弁当は小さな子供が好むようなのが苦手で黒豆とかが入ってた。おじさんのお弁当みたいなのを作っていた。


あと、季節行事は特に気をつけて習慣付けた。いつかお嫁に行って子供にはこうしてほしいな。という一応親心。

お彼岸には一緒におはぎをつくり、十五夜には丸めたお餅をお供えした。小さい頃は紙皿に折り紙を丸めて窓に置いてあったので、眠ったあと夜中にわからないように数個減らしてウサギが食べてったふりをしといた。

娘ちゃんは朝が来て起きてそれを見たら大喜びだ。

節分も節句も色んな物語が今考えるとたくさんある。

クリスマスには本場のフィンランドから娘ちゃんの名前で届くエアメールの手配をして、文面の中に決まった文字数ではあるがわたしからのメッセージをサンタさんからいってる風なお手紙をくるようにした。それを信じているあいだ毎年やった。


大晦日近くには家で餅つきもする。大量について園のお友達を呼んで鏡餅に丸めたりかなりの量だったからちっこく丸めたり平らにしたり棒状にしたりと、最後の方は食べ物ぽくなくなった。

人間も家も粉だらけになってしまって、ほぼ遊び状態だったけど、お正月というのがとても好きな子供だった。

福笑いがかなりツボるらしい。

これが始まるととてもしつこい。


食に関してちょっと困ったのは給食がそのため苦手で食べれない。と言われた。臭いとかなんか変な味するとかあと汚いんだもん。

だ。

失礼な娘っ子だ。まだ小さいちびっこがご飯をよそったりするのがダメぽい

色んな理由があってか給食を完食したことがほぼない。これはあんまり良い躾ではなかったかもしれない。

ただ、よそ様のお家に行った時に出されたものは全部食べ、お行儀よく食べる所作は教えた。あとこれはもう今でもだからきっと直るとかはないと思うが食べ終わるのが信じられないくらいに遅い。娘ちゃんは何にも惑わされないマイペースだ。


わたしも親としてじぶんがされてきたことの全てにおいて反対の事をして育てた。クソババァを反面教師で育てた。

女の子だから小さな細かい部分にも手を抜かなかった。歯が顎が狭くて全部入りきらないかもしれないと言われたので小さな頃に矯正もして、その後も定期的に歯医者には行き、未だに虫歯はひとつもない。


わたしが通っているエステの人に言われたことで最初からが肝心です。と言っていたからワキ脱毛は一度もカミソリで剃らずに中学生のときから最初からエステに行かせた。


わたしが10代の頃の家なき子の時、お世話になった友達のお家でその子とお母さんとわたしで銭湯に行ったことがあった。

お母さんがその子のうなじの産毛を剃っている姿を見た光景を一生忘れられない。

どんな感情かと説明出来ない。

親ってこんな人なの?みたいなのかな。

すごいものを見た。ってゆうしかない。

そんな潜在意識もあるとおもう。


あとは一番願うように教育した事は、小さい頃からわたしが突然居なくなってもまわりに誰かがいなくても一人で生き抜く力をどうぞ持ってください。

という教育方針だ。

これには強靭な精神的とド根性がいるので同じ生活リズムを崩さなかった。そして4歳から最後見てくれる小6までずっと同じ塾に通い続けた。

頭を良くするとか成績を上げる為ではない。

同じことを継続するというのが大切なのを教えたかった。

ザ、忍耐だ。

あとは娘ちゃんは小さな頃から音楽や歌がすきだった。

娘ちゃんは最初左利きだったが、行儀が悪いので箸と書き物は右手になんとかさせた。

でも、フタを開けるのにちからを入れるとか、ラケットやボール投げなどはいまだに左だ。

要するに両手利きな子供だ。なのでピアノにはうってつけで、かなり夢中になって弾いていた。耳が恐ろしく良くて絶対音感があった。

中学に入ると弦楽器に興味が出てバイオリンの仲間みたいなのとかギターもうちにあった。部活もそんなのに入った。

吹奏楽ではだめなのだ。弦楽器が好きらしい。ただサックスだけはいまだにやりたいと興味をもっている。

部活は校内で一番の大所帯の部活だったが3年生の時、引退した先輩と顧問の先生方に決められて部長になってしまいかなり苦労していた。

同じ学年のお友達にもまじめにしてないと注意するとか、音合わせでうまく弾けないダメな人には個人的にずっとつきあってやらないとならないとか、楽器は好きだから部活に行きたいけど同学年同士の仲間内のトラブルなのか部活に来なくなった後輩と何度も話し合いをして、また来れるようにするとか、部長という肩書きにしょっ中苦しんでは家に帰ってきた途端うつ伏せの大の字になって号泣したこともある。

顧問の先生が全部を娘ちゃん任せにして何にもしてくれなくて凄くむかく。と言っていた。

学年主任の先生だから忙しくて仕方なかったがやはり放置し過ぎたかなと感じたのか卒業式のとき娘ちゃんだけじゃなくわたしにもとても苦労させてしまいました。

と謝ってきた。

毎年絶対に全国大会まで合奏部門でも行く学校だった重圧もあり、楽器の演奏はみんなが一つにならないとダメだから仕方ないけど、嫌われ役になんでよと泣くことも多々あるちょっぴり悲しい部活時代の娘ちゃん。

でも、楽器を弾くのは本人も楽しいから良いらしい。

高校に入ってもその学校にはそんな部活はなかったので社会人クラブに入って続けていた。

年に一度大きなホールで演奏会もあった。中学の顧問の先生は花束を楽屋に届けてくれたり、もちろん演奏もご夫婦で来て聴いて帰ってくれた。

高校の担任の先生も全く興味がないのに日常にはない不思議な世界を見たいと来てくれた。

毎週の練習、演奏会近くはたくさん練習日があるとか、衣装の準備、それらの送り迎えなど、わたしの仕事や用事の合間をぬってするのは大変だったが継続する忍耐を教えて来たのはわたしだったし、やりたい事をさせるのが一番の目的だったから仕方ない。


とりあえず親バカ記事は今回はこのくらいにしとく。


親バカ記事の前に本当は娘ちゃんにとても感謝をしていることを言わないとダメだった。

それは一生思って行くだろう。

わたしはお腹に娘ちゃんがいるのがわかって産まれて初めて産婦人科に行った。

赤ちゃんいますよーってなって、その時に他も色々検査してみるからそれで子宮頸がんが見つかりました。

ほんとのギリ上皮内だったから進行の具合は今後わからない状態で、しかも妊娠している。という状態だ。

この時先生に妊娠と同時進行で経過を見る。と言われました。

まだまだ初期の段階で行ったからかあんまり赤ちゃん自体も成長してなくて、ひょっとしたらダメになるかもしれないのはわかっていてくださいね、この事も経過次第。と言われていた。

癌は若いと進行は早い。

とても怖いなと思った。

でも、娘ちゃんが出来なかったら絶対に産婦人科など行くわけもないし、特にわたしはみんなが異常だよ。と思うような症状が出ても放置とかしてほぼ20代で死んでたりしたんだろうな。と今も思っている。

娘ちゃんが教えてくれて命を救ってくれた病気だ。


そして、出産予定日より一週遅く産まれたのに2,500gくらいしかなく発育の経過は良くなかったけど、産まれたとき、癌はほぼなくなっていて、赤ちゃんが一緒に産み落としたね。と先生に言われた。

末期の癌患者さんがひょんな事から癌が消滅したって人は何人か知っている。

とても仲よかった建築のときの大工さんも胃がんで摘出の予定で入院中に、もう少しで手術だ。という時ある日突然癌が消えた。

人体の摩訶不思議だ。

癌は難病と違って人はみんな癌細胞を体内にもってるから別に不思議じゃないのかな


でも、わたしの癌の話は進行すると先生も思っていて産んだらすぐにそっちの方だ!ってなっていたのでやっぱり娘ちゃんはわたしの命よりも尊い存在である。

命の恩人である。


一度ある程度まで出てしまったから今でも毎年子宮頸癌検診は必ずしなくてはならない。

娘ちゃんありがとう。突然死なずにキミに会えてよかった。


離婚した理由はいつな書ける範囲内で書けるといいなと思うが

ある日わたしの結論が出た。

とりあえず家族の一員として迷惑をかけてはいけない。

てか、おまえが普通は家族を守るとかだろうが。そして何より素行が娘ちゃんの教育にわるい。


そう、

子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。ほんとに誰説だよ。


わたしはヤツにも文句らしい文句やケンカもしたことがなかった。

娘ちゃんが見てたらたいへんだ。ってのもあるけど正直ヤツがある意味不気味な怖さを持っていたから。


でももう離れてしまう方が良い。

経済的にも収入のないヤツといるより母子家庭の方が医療費もかからず学校の諸経費など国からいくらか支給もしてくれて今より楽である。

で、話すのも別れるなら理由とか今更文句とかはいらない。

娘ちゃんが眠った夜中に、

あのね。わたし別れるから。いま居るうちに書いて。

と離婚届を前に出した。


で、話はとくにない。はい、書いて。


そしたら泣く。

これは意外な展開である。

不気味なのは泣くが入ってなかったよ。

でも、わかってるから泣くのだ。自分のいままでの過ちを。

そんで、泣きたいだけ泣いて出てってしまった。


あー逃げられた。

また逃げる。があったねうかつだったわ。


でも今回は23日でご帰宅である。

全くどこ行ってたんだよ。一番大事な場面だったわー

と聞いたら、


死に切れなかった

といわれた。首を吊るつもりだったらしい。

でも出来ずに未遂でおわった。

なんとも全てにおいて中途半端な野郎だ。


しかし、やはり不気味はほんとうだ。

これは一刻も早くこいつから退散しなくてはならない。

刺激を与えずに、ヤツの今後の居場所や必要最低限の家財道具を揃えたり私物もきちんと整理してあげた。

次の居場所の保証人にさえなってやった。

これも娘ちゃんのためだとおもってグッと煮え湯をのんで堪えた

ある時ばったりと橋の下の住人状態みたいな父親にでもなって会ったら大変悲しいだろうからね


口数の少ないヤツは最後に自分の思いをはなしてきた。

ずっとお父さん。というのが何かわからなかった。

じぶんには本当の父親は記憶にないし義理の父親とかに何かしてもらったとかもなかったから何の役割をしなきゃならないとかわかない。

姉貴の子供達がいたからたまに遊んでいたからそうゆう感覚だった。

中卒のじぶんが教えることもなにもないと思ったし、子供は好きだけど我が子は特別可愛いという感覚がよくわからない。


だった。


ヤツとのやりとりも娘ちゃんの心配は最後まで無かった。これは本音なのか今はもうわからないけど、

(わたしへの)想いが残ったままなんだ。簡単に吹っ切れるもんじゃないんだ。

と言われた。

ほんとに最後の最後の電話の声がこれだった。今でも耳に焼きつくほどにはっきり覚えている。断末魔のような叫び声みたいだった。

この人はきっと生きては行けないな。

やけになって、生きていく意味を見出すことはこの先もきっとないな。とおもった。


そしてやっぱりわたしには恋愛も結婚もだめだと改めて思った。

わたしは子供が出来たから結婚した。

この人の事はやはり特別な感情などなかった。

子供を産んでから一度も子供ができる行為もしなかった。

この人の悪口に聞こえる事ばかり。自分は大変でした。みたく書いてるけど、どっちが、と比べられるものじゃないけど、まともじゃないのはきっとわたしの方だったのかもしれない。


そうしてわたしの約10年の結婚生活がおわった。

それからわたしは心機一転また個人事業を始めたのでした。