前回の続き……。大概にしろよと言われるやつからだ…。
③自閉症のひとのお手伝い
実はあれからアスペルガーのひとをわたしはあほだからほっとけてない。
2月。毎日肺も精神も肉体も瀕死で娘ちゃんの入院してる病院に通い、先生と話し合いの前日は聞いたこともない専門用語をめちゃくちゃ調べまくってきて万全の体制で主治医と脳みそフル回転で向き合い、そして終わったら電池が切れて病室に戻ったらたまに娘ちゃんのベッドで半日半死状態で眠ったりするような生活中に、家に帰ればあんだけ何時間も痛い目に遭ってストレス死が目前ではないかとおもっていたが、相手は病気や生まれつきのものでわからないからやってるんだ。
と知ってしまったからだ。
わたしは拒否られてほとんど無理だとおもったけどちゃんと発達障害の専門医に診てもらおうとした。
近くには大学病院や他に大きな病院もあるけど専門医とカウンセラーが揃っているのはほとんどなくて、あっても新患なら2年待ちです。とかぬかす。何件電話したかわからん。
順番がきたその頃にはわたしが死んでいないかもしれないではないか。
範囲を広げてもっと都会にした。めっちゃネットで調べまくってここはいいかも!ってところをみっけた。
評判も訪看の所長さんや精神科に詳しい方に聞いたら、大丈夫な病院ぽい。
連絡したら最短の最短で2週間後にでもどうぞ。みたいになってる。
素晴らしい!
これはあとは本人をどう説得するかだ。
本人。本人は誰の話も言う事もきかないやろうだ。
でも、わたしに素を見せてしまったからか、それでもいままであなたはこうですよ!と言いづらいことを言い続けてきたからか、まず1番わかりやすそうで当てはまるのがほぼ全部ぽいな。っていうアスペルガーの特性のサイトを貼り付けて送った。
そして、かなり納得したぽい。
じぶんでもなんでこんなにおかしいことをするのかわからないし、嫌なことを言ったりするのかもわからないし、言われることも理解できない。生活環境ももう手に負えないし(片付けられないからゴミ屋敷)体調がひどく良くない。全然いまは眠れないんだ。すごく辛い。…と行くにはドンピシャ(古っ)な状態だ。
それをここまでなる前に一応じぶんはなんなんだ。と長年の引きこもり生活で調べてはいたという。
で、わたしも発達障害には治療はない。ってのは知っている。いかに生きやすく周りのサポート。ってやつ。
ただこの人は放置し過ぎてそれもとっこして2次障害までいってる。
その中のものほとんども当てはまるほど心も身体もいまは支障がでている。
これに対しては苦しいから軽減させることをしなくてはならないので一時的にでも薬物療法が必要かどうかの話しになるし、どんだけ重症なんだよのカウンセリングも必要になる。認知行動療法ってやつもあるんだろう。
この病院は電話をして予約する段階でまずソーシャルワーカーのかたがとても丁寧に症状やどんな感じの患者さんですか?ってのを聞いてくれる。
めちゃくちゃいい!とすぐにわかる病院だった。
30分は話したと思う。お話を聞かせていただきまして、こちらで先生に診ていただいた方がいいと思います。(そんなのは知ってる)そして日にちを決めたり行くまでに何回かやりとりして、忙しいのに本当によくしてくれた。
症状や性格は事実だけちゃんと言ってはいるつもりだけど、よくそこまで言ったなと相手がきっとおもうほど多分めちゃくちゃ本人が悪党のようになってしまう。
ソーシャルワーカーさんからは来るまでにA 4程度に簡単でいいので本人がじぶんでどんな症状とかこちらで話したい事などすきなように書いて来て欲しいです。と言われた。
受診日は会社に有給の申請をして、それまでのあいだ、カフェで待ち合わせをして書かせた。
わたしはわたしなりに分析して書いてきて持ってきたのは言わずにいた。
どれだけの自覚があるのか、まったくじぶんを理解してないのかを見比べたかった。
そしたら。とても大変理解している。
わたしが貼り付けたことがほとんど当てはまったのもあるけど、子供のころから本気でとんでもない暴君だったようだ。
散々人を傷付けてきた事を引きこもり中に思い出したりして懺悔して苦しんだらしい。だからといって人の気持ちがわかるとはまた違う。
当時はひとの苦しむのや悲しみがわからないから、ただその状態のひとをからかってる遊び的な感じにしか思ってなかったから、あー楽しいと思うらしい。
優しさがない。
人を信じられない。
理屈っぽい。
人の気持ちがわからない。
本当に目の前で真剣にたくさん書いていた。
みんな普通にできることが自分は全然できない事も。
それどころか、そんな事をしていたのか。っていう新しい発見もあってかなり重症なのを知って少しひるんだ。
でも他の人(実の母親までも)のようにはしたくない。逃げないでこの人と向き合ってなんとかしなくちゃならん。
って余計思った。
私生活がもういまは完全にまともではない。
よくそれでも仕事には毎日遅刻もせずに(寝坊はする。今日もしていた)行ってるから偉いのか?
自閉症独特の、身なりをまったく気にしない。超適当だ。身体に合わないサイズの服とかもへっちゃらである。
不規則な生活リズムだし頭も全身も青箱の牛乳石けんで洗う。洗濯もお風呂のとき一緒にその石けんで洗い柔軟剤などしない。終わったら手絞り。おわり。乾いたらもちろんしわくちゃ。
理由は皮膚が過敏だから化学物質が嫌だし、匂いに敏感だから気持ち悪くなるので柔軟剤とか変なものを使いたくない。らしい。
あとは鏡くらいみなさい。
と言ったことがある。今の部屋は洗面台があるから鏡がある。下駄箱の扉にも全身わかるようにお出かけ前チェックは出来るが引っ越す前の家には小さな手鏡すらなかった。
鏡は電子レンジの黒い扉に顔が反射してなんとなくみえるくらいなのにそれで身支度をしていた。
そしていまは仕事が終わって帰ったら記憶を失うように玄関を上がってすぐにそのまま数時間眠り込んでしまうか、嫌なこと、不安なことがあって帰った日は昂ぶった神経が鎮まるのに2時間くらいだったのがどんどん長くなって3時間くらいかかってとても夜の普通の人間の生活を送れてない。
睡眠障害もやはりかなりひどい。
これはわたしがほとんど夜中も把握できるほどじぶんがそうだからかなりマズイなとおもうレベルだ。
入眠障害は導入剤程度で十分だと言う人が多い。
わたしは違うタイプだ。
中途覚醒がひどすぎるのでわたしの薬は飲んでから1、2時間くらいたってからきいてくる。(いちいち煩いがきかないけど。)
そしてこれもほぼ1~2時間で起きてまた寝れるか寝れないかだ。ブログを読んでいただいてるかたならお分かりだが、もうかれこれ数えきれない年月をこれで過ごしてきた。
今最近の彼もそれだ。
家について記憶なく眠ると22時くらいに起きたー。とLINEが入る。
あ、またやったな。と思う。
早くお風呂とかご飯食べないとだめじゃないか。と送る。
普通に眠る時間で寝ても2時すぎとかにLINEが入る。最近わたしは夏至は過ぎたが夜明けが早いので3時台には起きる。
2時からまたきっと眠ってはいるな。とはチェックはしておき、朝になってあのあといままで寝れていたのかとか聞いとく。
そんな風に病院の前にかなり生活時間を確認していた。
あと、わたしには前々から言ってくれていたが病院でも自分から言った。
希死念慮が強い。
死にたいじゃない。死なねばならない。
らしい。
それも普通に死んではダメらしい。普通ってのもわからんけど、彼曰く、強烈な苦しみを己に与えて行かなきゃならないと言う。
まずは指を細かくぜんぶ切り刻まないとならない。とか。切断系だ。
一本した時点で気を失ってもうその先じぶんで出来なそうだけど。
とか思うけど言わない言わない…。
あと同じ動作や音を立てるとか奇妙な行動はチックからきてるという。
チックにぜんぶ当てはまるのかはわからないがとんでもない事をしでかす。
尖ったものがあったら目に刺したくて仕方ない。
歯ブラシの柄のほうをおもっきり噛んでみたい。折れるまで噛みたい。
どっちが?と思ったら歯が折れるほうらしい。そして折れて満足したらしい。
ロードバイクを乗ってるんだけど、どうしても走ってる時の回っている車輪に足や指を突っ込んでみたくてたまらないらしい。
そんなことしたら大変だ!って事に怖いとかがない。
でも細菌とかに感染するとか手に触れるばい菌が死ぬほど怖いとか。
本当に専門医でないとこりゃ無理だな…
と改めて感じた。
A4程度に一枚でいいのが、小さな細かい字をたくさん書いて合計5枚になった。半日かけてかいた。
この日はカフェで座って書いた。
たまに食べ物を口にして血糖値も上げて、多少は休みを取りそれでなんとか書き上げた。
これはわたしが持ってなくてはならない。
強いこだわりでまた何度も書いたら大変だ。
そしてこの日夕方近くに送り届けたら彼はもう目もどっかいってるしフラフラだ。ろれつも回らなくなり赤ちゃんみたいになる。
アタマを使いすぎるとこの現象が起こる。
はい!さっさと寝てしまえ。
と言ってわたしは家にかえった。
当日は片道4時間かかるので5時に出発した。
9時半予約だった。
時間がうまく使えないので5時ちょい前に迎えに行ってもバタバタして20分遅れででた。
お薬手帳がない!と大騒ぎしている。
行く日が決まった時に保険証とお薬手帳があればそれを用意しといて。
と言ってたが、なんで当日の出発前にやってんだよ…
ないなら良いの!飲んでる薬ないんだから!と言っても納得しない。
多分この中のはずだ!と重そうな大きなクリアケースを家から持って出てきた。
もう仕方ない。ずっとこいつは何年もこれだ。邪魔くさいが後ろに積め、そして早く乗れ。と言ってやっと出発だ。
(クリアケースについては道中何時間もある中、一度も見ないし探さない。持ってきたことに意味があるぽい)
間に合ったから良かったけど、この数日前からわたしはかなりピリピリしていた。
なんとかいい方向に向かってほしい。
良い先生であってほしい。
往復8時間を日帰りだ。かれは次の日は仕事だから終わり次第なるべく早く帰らないとならない。
受診のとき医師に相談すること、聞きたいことはある程度あたまにまとめて無駄のないようにしてきたつもりだが会ってみない限り安心などできない。
最初は10分程度、心理療法士のカウンセリングを受けた。とても感じが良い。
てか、病院に入ってすぐから他の精神科(特にわたしが行ってるとこもいままで行った全部含めて)とはまるで違う。
精神科じゃなくてもここまで患者さんに気配りをする病院に出会ったことがないと言えるくらいだ。
まず、9時ちょいに入ったので玄関の自動ドアを開けると男性の職員さんが深々とおはようございます!とお辞儀している。
受付に行くと言葉遣い、笑顔、事務のかたみなさんがとても礼儀正しくてイヤミな感じなど全くなく親切である。
初診なので診察カードを作るのに少し書くものがあったんだけど、それも、どうぞこちらのカウンターで…もし具合が悪いとかありましたらそちらに座ってください。とか。
ほんとにわたしのとこと大違いすぎてここは病院なのか一流ホテルなのかわからん。
まずわたしのところは精神病だとおもって態度が悪い。どうせ馬鹿なんだからわからんでしょ。みたいなやつ。
職員が笑顔⁇そんなのみたことない。
ぼそぼそ名前呼ばれていくらです。とか言われてお大事に。もない。
とにかくじぶんも患者さんからもらっちゃって精神おかしい病になったら困るから無視しとくのが得策だと思っているのだとおもっていた。
そして、運命の専門医の診察。
1時間以上は診察室にいた。
わたしの同席を本人が強く望んでそうして欲しい!を頑なに伝えられていたから一緒に入った。
そして持ってきた紙をみたり、最初のカウンセリングのやつと見合わせたり、本人にもたくさん質問する。
先生は話を根気よく聞いてくれる。
彼はじぶんが納得するまで話さないとあたまがおかしくなり、ヤブ医者とすぐ認定する。
市内の皮膚科や耳鼻科でもあった。
どこの病院がいいの?と連絡が来ると、その科その科でわたしはここが良いと思って通ってるよー。と紹介しても文句だらけでかえってくる。
何ひとつ満足などしない。
そして簡単な心理テストをうけた。
そのあとの話はわたしと同じ見解をだしてくれた。
アスペルガーとADHD、それぞれ当てはまるんですが、アスペルガーのほうが重きを置いてるとおもいます。これは自閉症スペクタクルだと思ってください。学習障害はないですね。
だった。
冊子で説明してくれたり、とても納得のいく診察だった。
普通のわたしみたいな後天的精神疾患と明らかに違うのもわかった。
知的レベルはまったく正常なのも特徴。
下手したら、わたしの方が馬鹿だとおもう。
ただマルチタスクが全く出来ない特性があるから不器用だったり仕事出来ないひと的に思われてしまうかもしれない。
この病気自体は治すということじゃなく産まれながらの特徴として過ごしやすい生活にしていく。ストレスで睡眠や消化器などに影響まででたら辛いことですからね。
躁うつはとても疲れてしまうでしょうから二次障害の部分で多少の薬を飲む必要はあるかもしれないですけど、すぐに結論は出しません。
つぎは一日で終わらせられるようにテストや心理カウンセラーとの対談を2時間くらいしてみます。
今日は宿題みたいですが、そのテストを3種類持って帰って次に来れそうな日をカウンセラーと決めてください。
次に来るときはわたしの受診はありません。
そのあと1週間くらいで結果が出るのでこちらから連絡をします。
そしてまた来ていただいてわたしの診察で結果と今後の展開を考えて行くことにしましょう。
だ。
なんてながい道のりなのだ。
発達障害を甘くはみてはいないがここまでガチガチにテストをしなくてはならないのか。
サイトとかの10問程度であなたは確率高いです。とかとは現実に専門医の病院に行くと全く違う。
そして、診察室をでたら次の時にお話しする心理カウンセラーさんと会った。
先生が言っていたテスト用紙やファイルを持って座っておはなしした。
まず簡単そうな、はい、いいえの問の紙一枚両面で66問、そして分厚い550問のテスト。
わからない、どっちとも言えないは550問の内9問以下でお願いします。
どうしても悩むようなら棒線ひいてこっちの方がまだ当てはまる。とかにマルをつける。
あと、この人には最大の難関であろう絵に人が二人いて、色んなシチュエーションがあり片方だけ言葉が書いてあり、言った言葉に相手はなんといいますか?ってやつが24問くらい。
これは人の気持ち、想像力、理解力ゼロ人間にはかなり手強いな。とおもった。
これも見てるから一緒にやろう。
少し次の行く日に余裕持たせて焦らないでやろう。
と言った。(今この地点。まだ何もテストは開いていない。日にちはもう6/28じゃないです…彼が休みの日くらいしかできないから仕方ない)
つい何日か前にこの病院を行ったばっかりだ。
そしてまだ本人は仕事しながらで精神科にいったという昂りがのこっている。
病院に行った日から毎晩不安定になり電話がくる。
くだらない話をしばらくすると安心して眠る。お母さんと話す子供にかえっていると強く感じる。
当の実家の人には行くと決まったかなり前に病院に行きます。と伝えてあると言っていた。一応言っとけ。と言ったから。
わたしがリンクしたサイトをそのまま親にも貼り付けてこれっぽいから病気に行ってきます。と彼は言った。
お母さんの反応は、誰かしら何かにあてはまるんじゃないのかしら?そんなに深刻になることナノ?
だった。LINEでやりとりしてるのをわたしにそのまま見せてくれる。
最後のナノってカタカナにわたしはとんでもなく呆れた。親には頼むことはない。理解を求めてもいない。周りのサポートが1番必要な障害だけど、おめえの母さんはあれじゃ意味ないから周りのサポートが必要みたいなこと書いてるけど何も考えなくていいと言ってやれ。と彼には言った。
彼も母ちゃんや父さんは言ってもわからんから。と言っていた。
10年息子が同じ家にひきこもり、汚言はいたりビニール袋の音がカサっとしただけで発狂したり街の街灯などのひかりが目に入るだけでも苦しみ暴れ出す。それでも体張ってでも向き合ってなかったんだ。耳栓でもして存在をないものとして暮らしたとしか思えない。
家を出たら治るかな?みたいな程度で本人の希望通りに地元を離れこっちに行かせた。世の中が治してくれるだろう。
だ。
わかってはいたけど無責任さにムカつく。
産みっぱなしの放置と同じじゃないか!
もし、娘ちゃんがわたしにそんなリンクをつけて病院に行ってきます。など突然きたら血相変えてすっ飛んで行くよ。普通そうだろうよ。
もういい。ほんとにダメ親だ。
これからは色んな申請が出来るはずだし福祉関係や市の訪看など他人からのサポートで充分だから。
と彼に言った。
わたしは彼に病院に行ってみようよ。
と言った時、わたしはそこまでがわたしの仕事。
大きくあなたが変わる日だ。その入り口につれていく。
あとはわたしのする事は無い。専門の機関に任せないとだめだ。
連れて行く。
それがわたしが出来るところの終わり。
と言っている。
彼に対してもなんの私的感情は皆無だ。
彼はわたしにそばにずっといて。
と言っているけど、そうゆう感情で居る事はできない。
次は7月中ばに日にちを決めたのでまた朝イチから心理カウンセラーさんに会いに行く。それまでにテストを終わらせて持っていく。
1週間くらいで結果は出るというから、またその翌月に彼が有給を取らなくても行ける日に主治医の最終判断をしてもらえるようにその日が埋まっていたら困るので早めに受診日の予約の連絡もした。
本人の状態がどの程度かわかって、もしここで少しは通わなくてはならないかもしれないけれど、2週毎や4週でも通いはきついとおもうので、薬が必要とかまだわからないけど、場合によってはそのあとは主治医はそれなら地元で信頼できる先生に全ての情報を共有して地元で通う。ってのもいいですよ。
と、言ってくれていた。
それまでは責任を持って彼をその病院に連れて行く。
綺麗事はいわない。
わたしは良い人じゃない。
たぶんわたし自身のためにやってる。
やり残してしまった事を悔やみたくないからなんだ。
(ここは投稿前に書き足し部分。今7/5時点で66問と吹き出しに書く会話のテストを終えている。
すぐ終わると思った66問は見当はずれで深く深く考え意味も何回も何回も確認するので2時間はかかった。一緒ににみてやったから普通ならきっと早くて15分程度だとおもう。
あとは8月の受診時に休職が必要かとか、たぶん障害年金が通ると思うので障害年金の受給資格や傷病手当、もし入院でもしたらと生命保険などの確認をしている。結構な労力だ。でも彼には分からないしできない。)
そして、突然また違う話。
④わたしの夢
要らないものはほぼ処分し終わっている。
あとは書類など最後まで必要なものだけが残っている。
その中にじぶんの軌跡的なもの(数枚の子供のころの古い写真、へその緒とか)に紛れて中学の卒業の頃にもらった同級生からの手紙があった。
懐かしいな…。
この人は最初の方の記事に出てきた、わたしを好きになってくれた人と謎の下校を繰り返してそれに腹を立てて睨みつけられた人だ。
覚えている理由は夜商売していた時道端でばったり会ったから。その人もホステスをしていた。
その人の手紙には夢があっていいなぁー。旅をするんだね、旅人かー!と書いてる。
全然意味が違うが中田英寿と同じ職業だ…。
書いた記憶は全くない。中学生でそんなことを書くやつはほぼいないだろう。
ただの現実逃避的な意味だったんだろうなぁと今ならおもう。
でもこれはある意味行き場所を考えれば叶えられそうだ。
だけど今になり、もう叶えることはできなくなってるのにやりたい夢がでてしまった。
わたしは医者になりたい。(やっぱりあほ。)
大きな病院とかで名声を築きたいとかじゃない。
理由は彼をみておもったことも中に入ってる。
眠れない夜を過ごしている人がたくさんいる。
わたしも昔はそうだった。寝室の中のある一角で気付けばいつも時間を忘れて窓の外をみて黄昏るようになっていた。
いつもそこにいると涙がこぼれ落ちていた。
不安で苦しくて今どうにかなりそう。
そんなもがき苦しむひとの診療所をやりたい。
夜中わたしは起きている。一日を通して少しの睡眠を時々とる。って生活になってる。
どんだけその日心身共に疲れ果てて意識も朦朧としてもいつもと同じ変わらぬ睡眠だ。
それを知ってる人たちは夜中でも突然蕁麻疹が身体中に出たー!どうしよう!と写メ付きで来たり、昔心臓の手術をしたところが何十年もたって心臓じゃなく、のどらへんの穴を開けた部分が痛い、ゴロゴロするんだけどー!とか言ってくる。
不穏に苦しむひとは大抵夜中だ。病院が閉まっているからわたしなんぞに言っても治らないが不安でたまらないんだろう。
そんな人やただもう末期で在宅緩和ケアをうけてるようなひとが夜中でも誰かに会いたい。
とおもうひと用の医者になりたい。
いろんな文学小説を読んだ。
真夜中のパン屋さんもあった、真夜中にしか開いてないお店だ。
わたしは真夜中しかしてないお医者になりたい。
彼のように夜中に起きてたまらない恐怖にく
るしんでる人がいたら一緒にいたい。
それはちゃんと医師免許を持って、わたしが昔やってた工房みたく物件をリフォームとかして営業許可をもらって、必要に応じて薬の処方もできる。
そんな診療所をやりたい。
精神科なんて行っても…
それならわたしを呼び出して永遠に話しを聞いてほしいなーと言ってくれた人もいた。
そんな人が来て欲しい。
でも時間がないや。
猛勉強しても受からないと思うし受かったとしても何年もかかっちゃう。
最短で取れる、ここまで程度しか治療は出来ないですよ。みたいな段階分けのスキルとスペックの医師免許があれば良いのになー。
看護師さんみたく准看と正看があるみたくね。
で、科は内科。院名は真夜中の診療所。がいいかなー。
あとはこの病気に必要な情報を知っていて欲しい!と来たらその都度猛勉強して症例やその治療法などを確認してどっかの病院と連携できる状態にしてその人に合わせた話をする。そんななんでも屋さんでいい。
わたしは動けないから、つらくて自力では来れないひとは専用車を用意するんだ。
人の雇用という社会貢献にも少しは役に立つ。
タクシーの進化系みたいなやつ。
考えるだけでやりたいが止まらない。
またまた日付が変わってとっくに7月になってる。
毎日必ず少しは書いてるんだけど打つのが遅いんです。
⑥北川悦吏子
これはあまりわたしには当てはまらない。
って事を突然焦ったように連絡してきた友人がいる。
知人といっても6つくらい上のかたで病院で介護士をしている女性の友達。
ちょうど夜勤明けにね、帰って一度寝て、起きて夕方テレビをつけたらある番組が入っててびっくりしたの!そのまま観てたんだけどね、脚本家の北川悦吏子ってわかる?
という。
名前は知ってるけどなんの人か顔とかは全くわからないよ?って言ったら
その人はわたしと同じ病気らしい。
ちょっとすっぽ抜けて間違ってるところあるかもしれないけど今57?くらいの人で20年前に突然UCで倒れて?そして10年前には全大腸を摘出したらしい。
有名なの?みんな知ってる事なの⁇
で、その手術後がとても大変で苦しんだ。
という話。
いまお腹どうなってんの?
って聞いたら
術後の三年後?くらいで今は安定してるみたいだ。
それなら良かった…。
全大腸摘出術でどんな術式をしたのかまではテレビで言ってたのか聞いてないけど、何種類かある。
専門的な話になるがストーマ(人工肛門)を付けるか。
それも、袋を腹のなかに切った時いれるのと、外にだすというのでも違う。
見た目は中の方が良いが人体はたとえ医療具だとしても異物として攻撃する。
なので数年に一度中を開いて化膿したりおかしなことになってないか見なきゃならない。
外出しのは実際にしてる人をみたことあるけど見た目はやっぱり服装とかも考えなきゃならないが、外に見える分リスクは無さそうだ。
あとはストーマなしで小腸から直腸に繋げれるタイプ。
直腸が残せるほどに使えたらそれが可能だ。
それが出来るなら一番身体にも予後的にも見た目も何もわからないから良い。
ただ五年くらいは感覚が全く読めずにもよおすことがわからない。時とともに頻度や感覚はわかってくるが最初はほんとに大変なのは聞いたことがある。
水状のものが頻回に出るので夜もまともに眠れない。日中の外出もあまりしたくない。
そんな感じ。
でもIBDの冊子でよく書いてるのは今までの一番の苦しみ、ストレスだった食べたいものが食べれるようになる。薬もいらない。
ちょっと長い期間頑張らないとならないけどそれを目標にできる。
そしてなによりも、難病患者のレッテルが取れる。
大腸自体もう無いんだからね。
ただストーマをつける人は障害者に認定を受けることが出来るからその辺はひとの自由だと思う。
記事にもかいたが、わたしはTsuioku kana3で岡山にいる医師に今の状態をそのままにしてることが信じ難い…といわれたが、
Tsuioku kana4で主治医には何があってももうお嬢は無理だ。手術はしない。とはっきり言われている。
悪化してどうにもならなくなってもそのままだ。薬もいずれ効かなくなって死ぬだけ。
北川さんも大変だったと思うけど乗り越えていま生きている。そうやってテレビにも出て、まだ脚本?の活動もしていると聞いた。
苦しんだ甲斐があってそして今があってこの先に希望を持てて本当に良かった。
でもその知人はその番組にはなんかテーマがあって、そんな北川さんでもいっときは死なせてくれないのはなんでだ。みたいな事を考えていたらしい。
そんなに辛かったんだね…。
そして勝ち取っていまの自分がいるんだね。
とにかく痛いのは嫌なの!っていうかたらしいよ?って知人は言ってた。
そりゃみんなやだよ…。
で、北川さんは死なせてって思ったのかな?
知人はその番組中に話していたことをその後色々教えてくれた。
それでわたしを心配してくれたんだ。
有難や…。である。
うーん。
これは最後に投稿するのと少し内容がだぶるから、もう書いちゃったしここではこのくらいにしとこ。
時間があれば、最後のやつに北川悦吏子さんの事も付けたせたら良いな…