皆さまこんばんは。

8月ももうすぐ終わってしまいますねぇ。

忘れん坊なので記憶喪失になる前に書きまーす。


素晴らしいナイスプランにした検査が先月7月におわりました。

なので、ご報告を致します。

はじめに結論をお伝え


全然素晴らしいナイスプランじゃなかったわ。


7月某日。

検査4日前処置が始まりましたよ……

あーあ

とりあえず最初の3日はなんとかふつーに生きれる。

はい。問題は前日に入院してから何を飲まされてどんな事をされるかなのです。


そんで、夜から飲まされたクスリ

………すごいヤなやつだったんだけど。

一晩中眠れないほどお腹がしくしく痛いしトイレに行くのが面倒である。


そこの病棟は夜中とても静かでした。

辛いのでひっそりとは行けない

バタついてしまうからうるさい音が出るのが心配だ。

同じ病室の方たちにとても気を遣うのです。

もぞもぞと布団から出てスーッとカーテンを開けてスリッパ履いて歩くのに細心の注意を払ってお静かにしないとー!

……って。んなこと出来ない。

それじゃ間に合わないんだよ。

なので一度行くとなかなかベッドに帰る気になりません。

トイレの花子さんになろうとおもいます。

患者さんが静かなので緊急処置とかがないからか看護師さんもそこら辺にはいなくてとても静かです。

たまに意識が遠のくのでわたしが本当にトイレに潜むおばけみたいです。

一晩そんな状態で朝が来ました。

でもって朝6時から本格的な処置を始めましたが、去年と同じ方法だったにもかかわらず、夜中からずっと具合が悪かったせいか全く飲むことが出来なかった……

多分全液2リットル中100ccも飲んでないわ。

赤ちゃんでももっとがんばれるね


そして、ただただ吐き気との闘いみたいになってしまい、検査の処置を一時断念して吐き気どめの注射と、ありえないほど血圧が下がり過ぎていて痺れも酷く、意識があまりはっきりしなくなったので点滴治療をしました。


なんか。もう入院してる主旨が違ってきているけど。

なんか。これは一体なんの治療なんなんだろうか。

単なる4日前からほとんど絶食した人の栄養失調の治療みたくなったんだけど。


そんな事を23時間しながら、わたしは本気で何をしにきたのかと、涙が止まりませんでしたー。

4日前から検査の処置をしてきて、心の準備もして(これはあんまりしてないや)ほとんど固形のものを食べずにいて、前日からは処置が少しでも進む為に自己判断での絶食をし、この日に挑んできたのに、これじゃ検査すら出来ないなんて自分で自分が許せませんでした。

悔しい。とんでもなく悔しいのだ。


この検査は一般的には結構詳しく調べてくれる会社なら年1の健康診断とかでもするもので、大腸の検査は辛いよねー嫌だよねーとか普通の人は言うには言うけれど、みんなちゃんとやり終えることが出来る検査なのに、わたしにはもう検査をする体力も身体もありません。


でも、ここまで来て検査をしないとはやっぱり情けない。惨めすぎるな。

とてもかっちょ悪い。

と思い直して処置を開始しました。今度は気力精神力との闘いにチェンジしてみる。

で。昼過ぎにやっと消化器官全てがキレイになるところまで完璧にもっていきました。


検査自体は約30分くらいかなぁ

いつもですが前処置に比べたら比にならないほど楽です。

でも、1年ぶりになかなか見る機会のない腸の中、末端部分までの羅患部をみなくてはならない恐怖みたいのは多少ありました。

いろんなことがあった1年間。(私生活で結構ごたつきがあったりで精神やられた。)

わたしには今はどうなっててももう仕方ないかな!とは思っていました。


モニターで自分の目で見ててもわかるくらい、先生の話しでも腸自体の粘膜の炎症状態は全体的には良い方だなとおもいました。

だけど、はっきり見えるから尚のこと先生はほんとに余りにも歴史が古いのが良くわかるなー。と、言っていました。

わたしの難病は一桁の歳からなので何十年と完全に経ってます。

診断され、それに効く薬を飲み始めたのなんて、たった2年前です。それにより地獄と化した制限された生活を同時に送ることになってこんな体重にまでなってしまいましたけど。


この病気は発症が確認されてから5年ごとに重大な影響が出てくる確率がどんどん増えるというデータがある病気です。

わたしはその確率も発症が何十年以上も前

なので、遡って5年ごとにあてはめるといいのかわからないけど様々な事が起こり得るのが他の人よりもさらに何十倍にもなる事を改めて言われました。

更に寛解期でもしっかり難病の薬を服薬し、ストレスなく安静に暮らしていても緩い右肩下がりで活動期に入るパーセンテージが上がります。

なーのーで。今は小康状態が続いていても絶対に毎年は必ずこの検査を一生、投薬も効いている薬を一生、制限された生活も一生。らしいです。

一生、一生とか、何十年も生きてるみたいに書いてるけど長生きなんかしないけどね笑


いまは寛解が続いていても病名はこの難病である。と、変わることはないし、治ることはない。


そんなの2年前にお腹いっぱいになるほど聞いて知ってるけど、毎回言われたらわたしだって耳にタコが出来るのである。疲れっちゃうよ。


とりあえずまとめると、今回の結果ですが去年の7月は特に何もなかったから検査の結果説明だけだったけど、今回は直腸に潰瘍が二箇所見つかりました。

センセーが言うにはちょっと気になる潰瘍らしく、内視鏡の先端にクリップみたいのを付けて潰瘍を挟んで取り、検体を病理解剖に回しています。

悪性のものなのか良性のものなのか判断しないとだめなんだとさ。

わたしは……

衰弱し過ぎて検査中も点滴しっぱなしで病棟から検査室まで車椅子移動とあまり記憶も定かではない。

センセーには今日も1日入院していた方がいいかな。

と言われた。

検査終わったら普通の人はピンピンして、良し!腹減ったー美味いもの喰うぞー!とかなるんだけどね。ほんと羨ましいよね。



初日に病室に入ったとき、同じお部屋の患者さんに、あらまぁ!可愛いひときたわぁーどこが悪いのぉーどうしたのぉー

なーんて言われチヤホヤされましたが

超笑顔で、わたし難病なんですぅー!なので毎年検査するんですぅー!といって全員を一瞬でフリーズさせて始まった入院。


いる間みなさんにはご家族が朝と夜12回でもやってくる。


わたしは一人で大荷物(絶食につき病院食は何も出ないので飲む物を大量に持参したから)を持ってやってきて、帰るときは虫の息にもかかわらずまた一人で帰り支度をする。その間だれも訪れず……

です。


あ。ちょっと脱線しますが、入院の時に提出する書類っていろいろありますよねー。

緊急連絡人、保証人とかもわたしは白紙でなぜか通じる。

精神障害2級だから「このひといみわからないのかなー」

とか思われてて通じんのかな?

他にも書き物はたくさんあるけど、あんま書いてない。

その中で自分の性格は?

ってのがあってかなりツボった。

これは何に必要なのかとても知りたい。

逆質問したいくらいだ。

とりあえずこれは実に興味深いよ?

だからこれは書いてあげた。


性格          ふつう。


にしといてあげた。

なんと!これは使える!ってあるならおせーて。




はい。では戻ります。

そして退院の時、入院検査だったので3ヶ月分の大量に処方された薬は院内処方になるので自分で持って帰れという。

いつもの外来の時に出される薬は配達してくれる院外薬局にしている。


この量を持って帰れ?

ばかなの?

せめて薬局は一階だし正面玄関も近いから一階に置いていてくれよー

と、その旨をなんとか懇願し伝える。


答え。


病室で看護師とチェックして確認しながらご本人に受け渡すことになっていると言う。

ここはお役所かよ?


わたしは検査室に行くのも車椅子で病院内を暮らしたのだ。

あーあ血も涙もないね前に書いたことがある記事の役所の難病更新の窓口にいた臨職の人と同じだ。

てか医療に関わってるからこっちの方がタチが悪くないか?


とりあえず仕方がないので帰りは処置とかに看護師が使う二段になってるアルミ台のカートにエンシュアH250ミリ24本入り5ケースと飲み薬超大量、そしてまた自分が持ってきたデカイバックをその台のてっぺんにドカンとおいた。

そしてそのカートを一人でふらっふらのへろっへろ状態の患者が引いて歩かすのがここの普通らしい。


凄まじい姿である。

5日物をまともに食べていないから胃も腸も空っぽだし、入院中、何度か瀕死した。


で、また超笑顔でお世話になりましたーとみなさんにご挨拶をする。


え!ちょっとー!誰もきてくれないの?

大丈夫なのー⁈


だいじょぶですー!

えへへ。

だ。


そして病室を出てもドアがないから聞こえる。

ずっと遠くに行っても聞こえる。


いやぁあんなに若いのに可哀想だよねぇ


どうしてまたそんな病気になんかなって世の中間違えてるよ可愛い顔してニコニコしてさぁ、どこからか出てきたみたいな人だったねぇやりきれないねぇ


とか。


要するに憐れまれた。


こっちは必死すぎて心臓破裂とかで死ぬんでないのかと思ってはひたすら病棟から遠く遠く離れた玄関に向かう。

で、外に出て駐車場の遠い所に車を停めてある場所までカートを押した。


車の所まで来て全てを積み終わりカートを風除室に戻して車にもどると頭のどっかからなんかがブチリと音がなりましたよ。


大泣きをしてみた。

ひとりざんざん雨である。


お腹は空いてるけど、意識は不明にほぼ近いけど、とりあえずまたマツコ語録が出てきてムカつく。

ほんと、そこまでして生きてたいのかいキミ。

だ。


2時間大泣きしてやってやめた。

あーばかくさい。あー帰ろうっと。



あ。

題名の『願いが叶う』

をお伝えしますね。


前回の検査前の記事で、七夕さんにお願いしたことがほぼ叶いましたー!

「死ぬ日を教えて」です。


わたし。死ぬまで3年くらいらしいっす。

何月何日何曜日何時何分かおせーて。

はさすがに小学生なので、超アバウトですが3年がわかったのでとりあえずいいや。

だいたいその頃になったら自分で時期も絞られてきてきっとわかるだろう。

なので、この期間にすべき事をしようっと!


計画は立てている。とかだいたいの流れを決めている。


は書いて来ました!

最後はその詳細を書いてみようとおもいます。


次回。これからわたしに残されたちびっとの時間についてどうするこうするこうおもう。といった思いの丈をここに書き綴っておこうっと。

青年の主張!ってやつです。



いつかにつづく……