2019年04月

Tsuioku kana14 『わたしと娘ちゃんその1』

三つ子の魂なんとか。というので3歳までは一緒にいる時間をなるべく大切にし、最低限の仕事をしながら生活費のほか色んないらん出費(元旦那の母さんのやつ)があったので不足分はわたしの貯金で暮らした。

それから保育園に入れてからはほぼ家事雑用含めたら24時間労働のように働いた。

これは睡眠障害だからなせる技だとおもう。


園にはいつも朝は一番で来るくせに帰りはギリギリになって迎えに行った。

そして買い物して帰ってきてからご飯、お風呂。そしてまた仕事に行く。

ヤツ(元旦那とか面倒くさいからこれにする)はカップラーメンを作れるかどうかのレベルだった。袋のインスタントラーメンは無理だ。

お湯も沸かせるか沸かせないかなのだから。

ほんとうに恐ろしくネジが飛びまくった生活をしてきていたんだろう。

特に暴力とかないし、喋らないし、家の中の酸素が減るというだけの、無害なやつだが、それと同時に仕事の時だけ留守番して居てくれたらあとは居なくてもいくね?ってやつだ。


ただ子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。

でたでた。この説は一体誰案だよ?

三つ子の魂百までとやらは調べてみたら諸説あったけど、その頃までに自我や感情、感覚などにとても影響を及ぼす時期ぽいから従ってみようと思ったけど。


ヤツは顔だけは良かった。

園の保護者の方々に12を争うイケメンパパと言われていた。


そういえばヤツの家系は美形だ。お母さんも若い頃参観日にくるとかなり目立つくらい綺麗だったと義理姉に聞いたことがある。

3回くらい結婚しているけど。

義理姉も痩せたら顔自体は整っている。

もちろん義理妹も綺麗な子だった。


ありがたいことに娘ちゃんは父親の家系をついでかとんでもく顔がかわゆい。背はちっこいが(1567くらい?)

あと、ただヤツは肌が地黒だった。


でも娘ちゃんはそこだけはわたしに似てくれた。

今もだけど肌は黄色的じゃなく白人的な真っ白でとてもかわゆい。わたしはどっちかというと娘ちゃんより黄色的な真っ白だ。

それだけで小さい頃、外を出ればいつも通ってるスーパーのレジのおばさんが自前で買っておいたアンパンマンのチョコとか飴を用意しといてくれて、娘ちゃんが来るのを待ってて頂いたりしていた。

娘ちゃんは愛想もとてもよろしい。

人々をイチコロにする。


人はやはり顔だけじゃなく愛嬌の良し悪しが生きてく上において関係するのだなと改めて学んだ。


ただスーパーに行くときは少し勇気がいる。

外で隣の建物との間の狭い場所の1箇所を毎回見る。

じっーっと見る。

で、何でいつもあの人はあんな所にいるの?

と聞いてくる。

そう。凡人には見えないやつだ。

今日は言わないで。

と毎度思うけど毎度言うので最後は付き合うようにした。

あら。ほんとだねーそれがお仕事なんだろうねー

なんつう仕事だよ。と思うけど、それで納得するから良いのだ。

だが、家の中でもそれはあった。

お願いだから教えてくれなくていいんだけど。

いつも小さい子がいると言う。

これも見えてはダメなやつである。

静かだなーと、ふとした時に娘ちゃんを見るとじーっと電話台の横っちょとか見ている。

顔をみているならば言う通り小さい子の背丈くらいのところを見ている。

で、あそぼー!とか言い出す。

もはやうちは一人っ子ではなくなっている。


これは未だに娘ちゃんは、あー!いたよねー‼︎とか言ってるけど、いねーから



娘ちゃんは園でもとても快活で素直な子供だった。

ただ回旋異常で産まれたからなのか人とはやることや出来ることが真逆で面白い。

お遊戯もみんなとは全部が反対周りだったりする。普通縄跳びは前まわりからが簡単なのに後ろまわりからが得意だった。

前転もだめ。後転が簡単らしい。

娘ちゃんを見ているととても面白い生き物だった。

園の先生には書き物系は生涯ずっと残ってしまうのに、連絡帳にはいつもみんなと違うことをします。とか、とても個性的です。と書いてある。ただじぶんが反対周りを直すとか教えるのが面倒くさいだけだろうが。

暴れたり、いう事をきかないとかではないんだから。

それに子供であれ、ニンゲンは誰一人同じニンゲンなどいるわけがないだろうに何が個性的だよバカだな。無視無視無視とおもった。

多分育てやすかったんだと思う。

とこの前書いたが、いやいやーかなり育てやすくはなかったはずだよ。と昔の知人につい最近苦笑いされて言われた。


わたしは娘ちゃんは最初の一年はびっちり働くのに保育園だったが、年中組から2年間は教育の場である幼稚園に行かせた。延長保育や夏休みなどの長期休みも預かり保育があったし、

ここは剣道、書道、本物外人先生の英会話教室などなどたくさんの事を教えて躾てくれる。これもわたしの目指していた教育方針だったのかも知れない。


個性的というならば、今更だけど私の方だ。

幼稚園の保護者のひと、ママ友やらなど一人もいなかった。わたしから話したことはたぶん朝のおはようございます。帰りのこんにちは。くらいなもんだと思う。わたしは見た目も全く普通の母さんではない。

分かり合えると思う人などきっといなかったとも思うし、話題も中学のときのクラスメートのときに味わったやつみたく全く理解できないだろうとわたし自身思えた。

やたらと群れてるから大声で話すのはいいけれど自分の子供全くみてないけど大丈夫なんだろか?といつもおもった。泣いてもなんか訴えてきても知らんぷりでママ友仲間に入るのに必死の形相はとてもよろしくない。


今もだがわたしは同年代の同性にはあまり好かれない。これも魔術師みたいな人に言われたことがある。       なんで⁇

きっと同年代だとわたしはいわゆるKYってやつなんだろう。となんかわかってきたけど。


わたしが仲良くなるのは極端に若いか、お年寄り。

若い子は同じアパートの下に住む大学生の子も今でもわたしをちゃん付けで呼ぶ。

なんだかに、にてるーから始まった。

EXIDという韓国のグループのハニちゃんらしい。

知らない。と言ったらハニちゃんの画像をLINEに送ってくれた。

自分では見てもよくわからないけど、iPhoneの写真に自動保存なので、ある日写真のアルバムの中から自分だけが抜粋されてるピープルを見たらその中にハニちゃんの画像も入っていたのでコンピューターの識別でも似てると思うらしい。

若い子ははなしててもとても楽しい。

彼氏がいて花火大会にいくのに1人で浴衣を着ようとしたけど着れない!と半泣きになって階下から電話が来る。

お願いー着せてー時間ないー!泣


若い子が楽しいのはきっとじぶんがこんな青春みたいなのと縁がなかったからかも知れない。

今の娘ちゃんもやっぱり若いから楽しい。

今どきの知らない事をいっぱい教えてくれる。お化粧もお上手である。とても女子力が高い。


あ。話しがぶっ飛んだけど、べつにわたしがこんなでも娘ちゃんは園でのびのびと暮らしていじめなどにもあわなかった。

何がそんなに自分の意思を捻じ曲げて時間を費やしてまでママ友が大事なのかが理解が出来なかった。

それもわたしの特徴というか、ぼっちが慣れてしまったのは広くみたらきっと良くない部分もあるとは思う。

けど、今更なはなしだ。

育て直しという恐ろしい治療をされそうになって逃げたから仕方ない。


娘ちゃんはわたしとは全く反対の人生になっているから一先ずわたしのような奇天烈な人にはならないだろう。

あと、これまたよく、一人っ子なの?一人っ子可哀想だよーと言われることがとてもあった。

でた。一人っ子はあんま良くない説。

これは是非とも勝手にさせていただきたい。

わたしは姉に赤ちゃんのときから隙あらば殺されそうになっている。


大人になったら小さい頃仲が悪くても、仲良くなり、子どもができたらお互い助け合って子供を頼んだり、親の面倒を見るにも一人より安心で必要だった!と思うときが来るからーとか言われたけど、それも一度も必要なかったし、未だ虐待の後遺症で治療中の為わたしの脳みそには話しかけないでほしい


あと、幼稚園では運動会やお遊戯会が終わると親の飲み会があるのはなんで?

打ち上げ?とかって言われたけど親はなんか頑張ったの?と思うし、うちは一人にさせれないから一度も行ったことがない。

てか、知り合いとでさえ飲みに行くとか遊びに行くことは結婚生活をしている間でも全くなかった。

現実問題で無理なのもあったが、居酒屋含めバーやスナック、飲み屋などわたしには働く場所。という感覚しかない。



わたしは唯一怒るが出来ないところがダメ親だった。怒るじゃななく叱る?か。

娘ちゃんは家の中では完全なる無法地帯である。

わたしは意味ないだろうとおもうようなことでも何ごとも学ぶというか創意工夫をすることに繋がるものだと思っていたとおもう。

それにそんな悪いことなんかしなかったしね。

小学校に入っても傘をグルングルン回して(これはあぶねーな)登校していくいつも楽しい娘ちゃん。相変わらずみんなが簡単なことがとても難しく、みんなが難しいと思うことが簡単に出来たりする反対っ子だった。

小学校も毎回学童保育にはギリギリで迎えに行く。いつも最後の1人か2人しかいなくてちょっと寂しい思いさせたかな

小学校は離婚したため半分半分でちがう学校になったけど、地域的に近くにいたので幼稚園からのお友達がこれまた半分半分の割合でいたからさほど問題なく小学校生活を暮らした。

ただ、学童は時代にしてはマンモス小学校だったからか高学年になると入れてくんない。

娘ちゃんは学校が終わり塾が終わると少し1人の時間がある。

お友達と遊んでたり悪さはしないが、やはり心配である。

なのでこの頃は娘ちゃんと交換日記をした。

そして第二次?反抗期の最中でもあって娘ちゃんから書いてくるやつはデスノートみたくなってた。


そんなこんなでもう娘ちゃんは18歳になる。


なので今はありとあらゆる話をいっちょこ前に出来る。

わたしのことは名前にちゃん付けだ苦笑

お互いちゃん付けである。

たまに娘ちゃんのほうが精神年齢の高さを感じてしまうのが悲しい

だって学級委員長みたいなんだもん。

娘ちゃんに、やだー気をつけてよ!とか、ちょっとー大丈夫なのー!とか、そんな事したらダメだよー!とか、食べ物落とさないの!と注意をうける

大笑いはしてくれるけど、ふざけた顔芸をするとほんとにバカなんだから。と言われてしまう。

実際に凄い人のところシリーズで出てきたあの魔術師みたいなひとにも、あーあんたよりこの子の方がお母さんね。あんたを助けに産まれてきてる。と言われたときも、やっぱりね。って思った。

あとは娘ちゃんにとっても、ある意味わたしを反面教師にしてるのかもしれないな


で、も!

娘ちゃんはなぜかわたしを尊敬してくれてわたしになりたいと言ってくれる。

みんなの話を聞いてなのかお母さんとゆうのがわたしじゃなかったら絶対やだー。とも言ってくれる。LINEのアイコンをたまにわたしの顔にしてくれたりする。

仕事も同じ食の道に進んでいくという。

今現在で食の専門学科の高校なのでわたしより資格とかもある。

今は飲食関係の接客のバイトをしている。チェーン店なのでみんなが知ってる絶対好きなやつ食べた事があるやつのお店だ。

あ。別にどうでもいいかも知れないけどハンバーガー屋さんと牛丼屋とカレー屋とファミレスではないよ。

で、ずっとやってるから今はもうトレーナーとかにのぼりつめている。

店長副店長娘ちゃん下に10くらい。

なので、この10連休も超強烈に忙しいのでその内の7日はバイトだ。店長とかに頼りにされているのは有難いけど休みたくても用事がないと真面目すぎて嘘を言えないし、他の人がパニックになって困っているのとか考えたら頼むから出てと言われたら、出ますー。と言ってしまう。朝8時過ぎにでて夕方帰ってくる。

結構な労働時間だ。今日もかえってからウチだけのブラック娘に変身していた。

お客さんが忙しいからなかなか順番が来ないとか先に並んでいたのにとか怒ってしまった。とか色んな話をしてくれるけどその中で、

今日はお店に娘ちゃんを気に入ったどこぞの学校かはわからないがサッカー部の高校生が数人で来たらしい。

仲間の1人にお前見過ぎだろーとか、わかりやすすぎるって!とか言われながらも臆することなく娘ちゃんの接客の方に並び注文をしてくるらしい。

わたしはそれを聞いたら素直にとても嬉しい。

娘ちゃんを好きになってくれる子はとても良い子だ!と簡単に思ってしまう。

この辺がなんか違うよね?

知り合いの男の子のお母さんはすごく彼女の文句を言うのをよく耳にする。

誕生日とかイベントにうちにいないんだから!いっつも彼女!とか言う。

当たり前だ。とおもうけど、そうなんだねー寂しいねーと言っとく。

異性の親子の歪みみたいのを感じる


娘ちゃん、このままここに就職して商品の企画開発とかすれば良いのにと言ったことあるけど、それは嫌らしい。



お勉強をしたことがじぶんがないからお勉強しなさい系は言ったことがない

人は言わないとする生き物みたいなのがわかったのと、言ったらしない生き物なのを人から聞いた。

危険!なんか怖い!を察知する能力もいちいち気をつけなさい!とか言わなくても身につくみたいだ。

親はあんまり転ばぬ先の杖にはならない方がいいと思います。(自論)

わたしもそうだけど、一通り色んな痛い目にあった方が良い。死なない程度にとか限度はあるけどね。

なので現在ほぼ人格が固定してきているが娘ちゃんはとても真面目で慎重である。

喜怒哀楽ははっきりしているがそれは家の中でだけ。ムカついたことがあったらチンピラ口調になるのも家の中でだけ

娘ちゃん今日怖いよーとわたしが言うことがとても多い。

でも、お外では礼儀正しいどこぞのお嬢様かよ。みたいに暮らしている。

じぶんでもわかっているから、よそ行き用、よそ行き用!という。


そして小中高の途中まで皆勤だった。

本当にわたしとは全くの正反対人物だ。


振り返るとそんなわたしでも唯一親らしく毎日必ず言い聞かせたことがひとつだけある。

他の子供に関わり出す保育園に行くときから「すべてのお友達に優しくしなさい。いじわるされたり優しくしてくれたりするどんなお友達にも同じように優しくすることー!」

だ。これを毎日毎日言った。

これは今になっても娘ちゃんも覚えている。

あとはあんま覚えてないぽいからほんとにそれしか教えてないとおもう。


でも唯一教えるとか違うかもしれないけど食べ物はちゃんとした。お惣菜など出来合いのは食べてない。外食はお寿司とか特別な日とかは行ったけど他はまったくない。娘ちゃんは肉が嫌いだったから特に行くところがなかったってのもある。

毎日必ず手作りで仕事上の問題もあるけど添加物フリーの食事をしていた。

お菓子も本業でもあるため手作りだった。

とくにチーズの入ったスコーンが大好きだった。

おせち料理さえ田作り、なます、伊達巻、栗きんとん、なんでもかんでも手作り。

あ、昆布巻きはダメだった。ありゃ買った方が良い。

身体に良いというのが一番だけど、なんせ働かないやつがいたから手作りで外食なしじゃないととてもじゃないがわたしが働いている意味がなくなってしまう。

これで思い出したが幼稚園のお弁当は小さな子供が好むようなのが苦手で黒豆とかが入ってた。おじさんのお弁当みたいなのを作っていた。


あと、季節行事は特に気をつけて習慣付けた。いつかお嫁に行って子供にはこうしてほしいな。という一応親心。

お彼岸には一緒におはぎをつくり、十五夜には丸めたお餅をお供えした。小さい頃は紙皿に折り紙を丸めて窓に置いてあったので、眠ったあと夜中にわからないように数個減らしてウサギが食べてったふりをしといた。

娘ちゃんは朝が来て起きてそれを見たら大喜びだ。

節分も節句も色んな物語が今考えるとたくさんある。

クリスマスには本場のフィンランドから娘ちゃんの名前で届くエアメールの手配をして、文面の中に決まった文字数ではあるがわたしからのメッセージをサンタさんからいってる風なお手紙をくるようにした。それを信じているあいだ毎年やった。


大晦日近くには家で餅つきもする。大量について園のお友達を呼んで鏡餅に丸めたりかなりの量だったからちっこく丸めたり平らにしたり棒状にしたりと、最後の方は食べ物ぽくなくなった。

人間も家も粉だらけになってしまって、ほぼ遊び状態だったけど、お正月というのがとても好きな子供だった。

福笑いがかなりツボるらしい。

これが始まるととてもしつこい。


食に関してちょっと困ったのは給食がそのため苦手で食べれない。と言われた。臭いとかなんか変な味するとかあと汚いんだもん。

だ。

失礼な娘っ子だ。まだ小さいちびっこがご飯をよそったりするのがダメぽい

色んな理由があってか給食を完食したことがほぼない。これはあんまり良い躾ではなかったかもしれない。

ただ、よそ様のお家に行った時に出されたものは全部食べ、お行儀よく食べる所作は教えた。あとこれはもう今でもだからきっと直るとかはないと思うが食べ終わるのが信じられないくらいに遅い。娘ちゃんは何にも惑わされないマイペースだ。


わたしも親としてじぶんがされてきたことの全てにおいて反対の事をして育てた。クソババァを反面教師で育てた。

女の子だから小さな細かい部分にも手を抜かなかった。歯が顎が狭くて全部入りきらないかもしれないと言われたので小さな頃に矯正もして、その後も定期的に歯医者には行き、未だに虫歯はひとつもない。


わたしが通っているエステの人に言われたことで最初からが肝心です。と言っていたからワキ脱毛は一度もカミソリで剃らずに中学生のときから最初からエステに行かせた。


わたしが10代の頃の家なき子の時、お世話になった友達のお家でその子とお母さんとわたしで銭湯に行ったことがあった。

お母さんがその子のうなじの産毛を剃っている姿を見た光景を一生忘れられない。

どんな感情かと説明出来ない。

親ってこんな人なの?みたいなのかな。

すごいものを見た。ってゆうしかない。

そんな潜在意識もあるとおもう。


あとは一番願うように教育した事は、小さい頃からわたしが突然居なくなってもまわりに誰かがいなくても一人で生き抜く力をどうぞ持ってください。

という教育方針だ。

これには強靭な精神的とド根性がいるので同じ生活リズムを崩さなかった。そして4歳から最後見てくれる小6までずっと同じ塾に通い続けた。

頭を良くするとか成績を上げる為ではない。

同じことを継続するというのが大切なのを教えたかった。

ザ、忍耐だ。

あとは娘ちゃんは小さな頃から音楽や歌がすきだった。

娘ちゃんは最初左利きだったが、行儀が悪いので箸と書き物は右手になんとかさせた。

でも、フタを開けるのにちからを入れるとか、ラケットやボール投げなどはいまだに左だ。

要するに両手利きな子供だ。なのでピアノにはうってつけで、かなり夢中になって弾いていた。耳が恐ろしく良くて絶対音感があった。

中学に入ると弦楽器に興味が出てバイオリンの仲間みたいなのとかギターもうちにあった。部活もそんなのに入った。

吹奏楽ではだめなのだ。弦楽器が好きらしい。ただサックスだけはいまだにやりたいと興味をもっている。

部活は校内で一番の大所帯の部活だったが3年生の時、引退した先輩と顧問の先生方に決められて部長になってしまいかなり苦労していた。

同じ学年のお友達にもまじめにしてないと注意するとか、音合わせでうまく弾けないダメな人には個人的にずっとつきあってやらないとならないとか、楽器は好きだから部活に行きたいけど同学年同士の仲間内のトラブルなのか部活に来なくなった後輩と何度も話し合いをして、また来れるようにするとか、部長という肩書きにしょっ中苦しんでは家に帰ってきた途端うつ伏せの大の字になって号泣したこともある。

顧問の先生が全部を娘ちゃん任せにして何にもしてくれなくて凄くむかく。と言っていた。

学年主任の先生だから忙しくて仕方なかったがやはり放置し過ぎたかなと感じたのか卒業式のとき娘ちゃんだけじゃなくわたしにもとても苦労させてしまいました。

と謝ってきた。

毎年絶対に全国大会まで合奏部門でも行く学校だった重圧もあり、楽器の演奏はみんなが一つにならないとダメだから仕方ないけど、嫌われ役になんでよと泣くことも多々あるちょっぴり悲しい部活時代の娘ちゃん。

でも、楽器を弾くのは本人も楽しいから良いらしい。

高校に入ってもその学校にはそんな部活はなかったので社会人クラブに入って続けていた。

年に一度大きなホールで演奏会もあった。中学の顧問の先生は花束を楽屋に届けてくれたり、もちろん演奏もご夫婦で来て聴いて帰ってくれた。

高校の担任の先生も全く興味がないのに日常にはない不思議な世界を見たいと来てくれた。

毎週の練習、演奏会近くはたくさん練習日があるとか、衣装の準備、それらの送り迎えなど、わたしの仕事や用事の合間をぬってするのは大変だったが継続する忍耐を教えて来たのはわたしだったし、やりたい事をさせるのが一番の目的だったから仕方ない。


とりあえず親バカ記事は今回はこのくらいにしとく。


親バカ記事の前に本当は娘ちゃんにとても感謝をしていることを言わないとダメだった。

それは一生思って行くだろう。

わたしはお腹に娘ちゃんがいるのがわかって産まれて初めて産婦人科に行った。

赤ちゃんいますよーってなって、その時に他も色々検査してみるからそれで子宮頸がんが見つかりました。

ほんとのギリ上皮内だったから進行の具合は今後わからない状態で、しかも妊娠している。という状態だ。

この時先生に妊娠と同時進行で経過を見る。と言われました。

まだまだ初期の段階で行ったからかあんまり赤ちゃん自体も成長してなくて、ひょっとしたらダメになるかもしれないのはわかっていてくださいね、この事も経過次第。と言われていた。

癌は若いと進行は早い。

とても怖いなと思った。

でも、娘ちゃんが出来なかったら絶対に産婦人科など行くわけもないし、特にわたしはみんなが異常だよ。と思うような症状が出ても放置とかしてほぼ20代で死んでたりしたんだろうな。と今も思っている。

娘ちゃんが教えてくれて命を救ってくれた病気だ。


そして、出産予定日より一週遅く産まれたのに2,500gくらいしかなく発育の経過は良くなかったけど、産まれたとき、癌はほぼなくなっていて、赤ちゃんが一緒に産み落としたね。と先生に言われた。

末期の癌患者さんがひょんな事から癌が消滅したって人は何人か知っている。

とても仲よかった建築のときの大工さんも胃がんで摘出の予定で入院中に、もう少しで手術だ。という時ある日突然癌が消えた。

人体の摩訶不思議だ。

癌は難病と違って人はみんな癌細胞を体内にもってるから別に不思議じゃないのかな


でも、わたしの癌の話は進行すると先生も思っていて産んだらすぐにそっちの方だ!ってなっていたのでやっぱり娘ちゃんはわたしの命よりも尊い存在である。

命の恩人である。


一度ある程度まで出てしまったから今でも毎年子宮頸癌検診は必ずしなくてはならない。

娘ちゃんありがとう。突然死なずにキミに会えてよかった。


離婚した理由はいつな書ける範囲内で書けるといいなと思うが

ある日わたしの結論が出た。

とりあえず家族の一員として迷惑をかけてはいけない。

てか、おまえが普通は家族を守るとかだろうが。そして何より素行が娘ちゃんの教育にわるい。


そう、

子供にはお父さんがいた方がいいだろう説。ほんとに誰説だよ。


わたしはヤツにも文句らしい文句やケンカもしたことがなかった。

娘ちゃんが見てたらたいへんだ。ってのもあるけど正直ヤツがある意味不気味な怖さを持っていたから。


でももう離れてしまう方が良い。

経済的にも収入のないヤツといるより母子家庭の方が医療費もかからず学校の諸経費など国からいくらか支給もしてくれて今より楽である。

で、話すのも別れるなら理由とか今更文句とかはいらない。

娘ちゃんが眠った夜中に、

あのね。わたし別れるから。いま居るうちに書いて。

と離婚届を前に出した。


で、話はとくにない。はい、書いて。


そしたら泣く。

これは意外な展開である。

不気味なのは泣くが入ってなかったよ。

でも、わかってるから泣くのだ。自分のいままでの過ちを。

そんで、泣きたいだけ泣いて出てってしまった。


あー逃げられた。

また逃げる。があったねうかつだったわ。


でも今回は23日でご帰宅である。

全くどこ行ってたんだよ。一番大事な場面だったわー

と聞いたら、


死に切れなかった

といわれた。首を吊るつもりだったらしい。

でも出来ずに未遂でおわった。

なんとも全てにおいて中途半端な野郎だ。


しかし、やはり不気味はほんとうだ。

これは一刻も早くこいつから退散しなくてはならない。

刺激を与えずに、ヤツの今後の居場所や必要最低限の家財道具を揃えたり私物もきちんと整理してあげた。

次の居場所の保証人にさえなってやった。

これも娘ちゃんのためだとおもってグッと煮え湯をのんで堪えた

ある時ばったりと橋の下の住人状態みたいな父親にでもなって会ったら大変悲しいだろうからね


口数の少ないヤツは最後に自分の思いをはなしてきた。

ずっとお父さん。というのが何かわからなかった。

じぶんには本当の父親は記憶にないし義理の父親とかに何かしてもらったとかもなかったから何の役割をしなきゃならないとかわかない。

姉貴の子供達がいたからたまに遊んでいたからそうゆう感覚だった。

中卒のじぶんが教えることもなにもないと思ったし、子供は好きだけど我が子は特別可愛いという感覚がよくわからない。


だった。


ヤツとのやりとりも娘ちゃんの心配は最後まで無かった。これは本音なのか今はもうわからないけど、

(わたしへの)想いが残ったままなんだ。簡単に吹っ切れるもんじゃないんだ。

と言われた。

ほんとに最後の最後の電話の声がこれだった。今でも耳に焼きつくほどにはっきり覚えている。断末魔のような叫び声みたいだった。

この人はきっと生きては行けないな。

やけになって、生きていく意味を見出すことはこの先もきっとないな。とおもった。


そしてやっぱりわたしには恋愛も結婚もだめだと改めて思った。

わたしは子供が出来たから結婚した。

この人の事はやはり特別な感情などなかった。

子供を産んでから一度も子供ができる行為もしなかった。

この人の悪口に聞こえる事ばかり。自分は大変でした。みたく書いてるけど、どっちが、と比べられるものじゃないけど、まともじゃないのはきっとわたしの方だったのかもしれない。


そうしてわたしの約10年の結婚生活がおわった。

それからわたしは心機一転また個人事業を始めたのでした。


Tsuioku kana13 『わたしの裏話』

いろんな家族がいる。

ホームドラマやアニメに出てくるようなアットホームでこれがごく普通なのよと言われるような家族などほぼ存在しないのだろう。

サザエさん家もないよ。


わたしのかぞくは極端すぎたかもしれないけれど、似通った家は沢山あり、その反対も沢山ある。

ほとんどが夫婦子供たち、誰かかれかの不平不満を持ちながら、こんなもんかと我慢できる範囲で落とし所を自分で見つけて居場所を作り、なんとか誤魔化しながら共同生活をしているのだろう。



普通が一番と言うけれど、いかに普通ということが難しくみんなそうそう簡単に手に入れることができない。

そりゃ普通が一番幸せなのだ。

みな普通でいたい。


家族全員のひとりひとりが自分にも家族それぞれにも満足し家族の絆をしっかりと持ち続け、じぶんよりも大切に思えることはこの前ニュースで話題になったブラックホールを見つけたくらい滅多なはなしだとおもう。


わたしは産まれた瞬間から死んで欲しかった。と、かぞくに思われていた事を聞いたから知っている。

なら産んでくれるな。

とおもうけど、産まざるを得ない状況なのだから産んだんだろう。

わたしはその後勝手に育っていき、今後勝手に両親も姉もみな知る事なく死んでいくということになる。

そのためにも早くこの土地からは離れないとならない。


4/19に予定通り訪問看護の契約をした。

その時にも所長さんと2時間以上はなした。

前の時は支援センターの人がいたけど今回は1人で来たので、深くまで話せることがとてもあったし向こうも話しやすそうだった。

わたしの話だけじゃなく、所長さん自身のこともたくさん聞いた。

色んなことを話してくれました。

そして、わたしが前回話しきれなかった今一番苦しんでいることを話さねばならないと思った事も出来てちょうどよかった。

それを聞いてもらって、サポート出来ますか?って答えを知りたかったから。


この事もこれからとても長くなるとおもうけどそろそろ少しづつでも書いていきます。


所長さんでさえ、そんな……。と絶句するようなわたしの今の現実。

市の保健師さんがわたしにかける言葉など薄っぺら過ぎることしかないのがしぶんでわかってただ泣いていた。という事があったけど所長さんは、こーんなの抱えきれるレベルの人はそうそういないですよ

この苦しみはあまりに厳しい

と、残酷な世の中なんだとうなだれた。

でも、僕はあなたの今抱えているものを何とかしたい。痛みの共有をしていきたいと思います。

と強い瞳と強い口調で向き合ってくれるみたいだ。


では、そろそろいままでずっと書かずにいた事を最初から話します。

いままでの記事の裏側ではこんな事が同時進行でありました。




こんなわたしでも命なんか何個でもくれてやる。とおもうひとがいる。

次は書けたらいいなと思います。と言ってきたひと。


実はわたしは人の親である。


ずっとこのブログに登場させることをしなかったけれど今まで死にものぐるいで守ってきた娘がいる。一緒にいれない時期もあったけどとにかくわたしの魂全てがつまった唯一無二の存在。


この子の父親は今現在は生きてるのか死んでるのかも知らない。とっくのとうに離婚している。

若気の至りとなってしまうのかもしれないけれど、きれいな言葉でいうと授かり婚をしたのだ。

元旦那と初めて会ったのは10代だ。

このかたはまず働かない。

親姉妹(嫁ぎ先関係)もひどいものだった。

未だにあの人達のことはよくわからない。

親はお母さんだけしかいなかった。

わたしの旦那さんだった人とずっと2人で暮らしていた。

でも何故か親子で苗字が違ってた。そして身体がとても弱くて確かリウマチだったとおもう特に足が不自由で家から出ることはないお母さんだった。


義理姉にあたる人はわたしと最初にあった時は連れ子が2人いて再婚していて、その旦那さんとの子供はいないけど4人家族で、義理妹に関しては会ってさえいない。

あまり嫁ぎ先から自由に出れない人らしかったからだ。でも義理姉からはわたし達が結婚をした事とかを知らせたり連絡を取り合える仲だったみたいだ。


元旦那はいつもフラフラ風来坊のような人で携帯に連絡もつかないような相手だった。

働かない、免許すらもない。

なのでわたしは法律で大丈夫なのか?って月まで妊婦のまま働いていた。家事も仕事もひとりでやった。

産まれたときも元旦那は家に居なくて陣痛が始まったときはじぶんで運転して病院にいった。

わたしも相手方のほうにも頼る人は誰もいなかったから仕方がない。


娘は回旋異常だったので丸三日の異常分娩でやっとこ産まれてきた。

回旋異常で産まれてきた赤ちゃんは顔とか傷だらけになって出てくるケースがあるらしいがきれいなままだった。

最後はかなり心拍もお互い弱ってきててお腹を切るかどうか決めるという一時間前にでてきた親孝行な子だ。


帝王切開じゃないから、そんな分娩でも1週間だけの入院。

産後わたしはとても憔悴した。

多量出血と脳が酸欠になったのか記憶障害みたいのと得意の切腹並みの腹痛(UC)で産後のひだちが悪く、ニンゲンらしいましな人になるのに1年はかかった。精神病もかなり影響した。あと失語症。言葉をかなり忘れてしまっていた。うまく口もまわらなくて人とはなすのが嫌だった。

あ。この頃はもちろんじぶんがまだ難病だと知らずにいる。

難病になってからいまの主治医に言われて知ったことだけど、わたしがいまは独身なのを主治医は知ってるから、まだ若いから今後結婚しても子供は絶対だめだよ。

と言われたのはきっと書いたと思う。

理由はお腹に赤ちゃんがいるときは症状がとても安定していて薬さえいらない。とおもうくらいなんだよ。でも赤ちゃんがお腹から出ちゃったら一気にUCは悪化する。

なんだと。

UCでも普通体型、ひどく重症じゃない人ならそれを乗り越えられるけど、わたしは乗り越えられるわけがない。

鮭の産卵のようだねって言った。

なので若い頃でもこの分娩後の再発は本気で酷かった。


陣痛中何度かパニ症もでた。記憶も抜け落ちている部分がある。

人は子供産んだとき二度ともう産まない!っておもうよねー。でも忘れて(?)なのかまた欲しくなって産むよねー。

とか言うけど、わたしはとんでもないトラウマのままだけど

色んな記憶が無くなってるのにこの時の音や雰囲気、匂い、分娩台の周りの景色、看護師の顔全て鮮明に覚えている。

ドキュメンタリー番組で分娩の様子で赤ちゃんの心拍を装置からドクンドクンと聞こえるやつを聞いたら今でも胃の中のものが全部出そうになる。


そんなこんなで子供と2人で退院してきて1人で育てた。1か月は赤ちゃんを外に出したらダメとか言われたから入院する前に赤ちゃんのものだけじゃなく家に必要な分のものを用意しておいて1か月を指折り数えて乗り越えた。


で、1か月がたったらどこに行くにもなにをするにも赤ちゃんには申し訳ないが共に行動してもらった。玉子の特売の日、人間でごちゃ混ぜになるスーパーの中にも一緒に入ってもみくちゃになってもらった。赤ちゃんも1人と数えてもらえるのでお一人様一個とかのが二個買えるようになったのが普通に感激した。


里帰り出産とか母親が助っ人にくるとか聞くけど、なんかすることあるのかな?と思うほど子育てはなんにも苦痛でも疲れもしなかった。

とても育てやすい子だったのかな

睡眠障害だから3時間おきに起きてナンチャラとかも元々3時間も普段から寝てないし、肉体労働やクラブで働いてた究極のサービス業の仕事に比べたら、こんなに赤ちゃんのペースでぼけっと暮らしていていいんだろうか?痴呆症になるんじゃないかとおもった。


話は戻ってしまうけど、相手はお金もなかった。

まだ産まれる前に一緒に住むとき、

子供できたから結婚するって親に言ったらうちの全財産これだから。持ってきな。と7万くれた。

と言われた


7。何に消えたかわからん。

借家の諸費用にもなってないとおもう。


そしてお母さんはどこの馬の骨だからわからんわたしより義理姉のお家に住むことになった。


一応、3人での暮らしが始まったけれど相手はオムツを替えた事も多分ない。

なんもしてない。

無免許だから買い物も頼めないし、赤ちゃんの見張りをする。という事だけをしていた。


日雇いや年末年始の短期間の宅配の忙しいときの仕事とかはしていたけど家族を養うというお金には到底ならない。

正社員。というものにも結婚している間一度もなっていない。

月に一桁のお給料とかだ。おまえは芸人か。とおもった。

高校新卒女子の地方の中小企業事務員のほうがもらっている。


そして娘ちゃんが1歳くらいの時事件がおきた。

突然電話が義理姉から来た。義理母が搬送された。と言われた。

たしかに不自由な身体だったけどなんで?

と思いながら病院に行くと、医者がなんか超疑惑の顔をして義理姉夫婦と話している。

お母さんひどい状態ですけど?

どうしてここまで放置しました?

と言われている。

なんと、インフルエンザにかかって寝たきりになってしまったらしい。

なのにおむつ替えとかもなかなか嫌でしなかったぽい。

で病院にも連れて行かなかったぽい。

で、とうとう寝たきりの放置にしたから褥瘡(じょくそう。ほねが当たってるところが飛び出て皮膚が壊死してぐちゃぐちゃになるやつ)の範囲が酷過ぎるらしい。

おむつもまともに変えてないからばい菌だらけになって炎症をおこしている。

これは警察に電話した方がいいかお話をちゃんと聞かせて下さい。

とか言ってる。

あらぁびっくりだ。

これは大変なことになったよ。


結論。お母さん自身が病院に絶対行きたがらなかった。お母さんが身体を触らせてくれなかった。で通じた。

スゲーな

病院側も今後の態度次第と思ったのか、あと面倒な事になるのが嫌なのか警察には通報しないでくれた。


盆正月と何回かは娘ちゃんの顔を見せに義理姉の家には行っている。

その時はいつもワイワイ楽しそうな5人がいた。義理姉の子供達は小学校低学年で元気いっぱいだ。


義理姉は医者と話し終わるととてもバツが悪そうな顔をしていた。

もう何を聞いても仕方ない。わたしだって仕事と育児とやらがあったけど家族の一員なのだ。一応責任がある。

元旦那本人など一番知らん顔で一番じぶんは他人。みたいな顔をしてやがる。


ここからがまた戦いの日々が始まった。

義理姉夫婦は世の中の事をなんにも知らん人だった。

どうやって子供のことをして来たのかと思うほど手続きとかなんも知らん。


わたしは一人で生きてきたから国の制度やなんとかならないかなーと思うことをすぐ調べたりしてきた。

反対に、えー‼︎そんなぁーとおもう理不尽な制度にも苦しんだけど


義理姉はとにかく面倒くさがりの太っちょさんだ。だからちょっと動くのも面倒くさそうである。


お母さんのことはすべてがわたしがすることになった。


まずはいつまでかわからない入院の為市役所で高額医療制度の手続きをするのも義理兄の扶養だとそれに応じた額になるので同じ家に住んではいるけど、世帯分離をした方がいいだろう。

となって、お母さんを分離して同じ家でも世帯主にし非課税での限度額にしたり、病院にも、仕事、育児、自分の病院(精神科)、娘ちゃんの送り迎えのどれかの隙に通い続けた。

義理姉はクルマがない。

唯一義理兄が休みの日に家族で友達のお見舞いかよ?みたく来る。

みなさんとても顔色も良く健康的である。


わたしは疲労困憊だ。これはこれは建築現場の生コン打ちより凄い体力と精神力が必要である。

この役と、これする役とと、3人くらいじぶんの分身が欲しいと真剣に考えた。

でも仕方ない。じぶんがその人と結婚すると決めたんだから。


お母さんは一年半くらい入院して死んだ。


褥瘡がやはり良くなかった上、めちゃめちゃ病院食の文句を言ってマズイ!と食べないから治るものも治らないのだ。ずっとガリガリだった。

義理姉も元旦那も食べ物は美味しいものしか元々食べなかったから。とぬかしてやがる。結婚する時7万が全財産だったが、いつも冷蔵庫にはウニや牛ヒレ肉が入っていて食べたいものを考えもなく買っている生活だったのは話しされて知っている。

入院費は最低の限度額だったけど差額代や病衣やテレビカードや食事代はまるまるかかるのに食べてないからわたしの稼ぎを一部はドブに捨てたようなもんだ。食べないなら持って帰りたい。と切実に考えた事もある。


褥瘡の部分の皮膚移植もしたり、食べないからかなんなのか知らないけど胃に穴があいたとかなんか忘れたけど胃を全摘した。

手術に立ち会うのも何もかもがわたしだ。

最後終わって医師から胃を虫ピンみたいな標本の様に一枚に広げたやつを見せられてここがこうでしたー。とかの説明も受けた。

おかげでホルモンが苦手になった


色々手術したり手は尽くしてもらったけど、どんどん死に向かっているのがわかった。

最後の方の一週間くらいは病室でわたしに、シーツの縫い目にカメラがある!取ってー!と怒る。

幻覚をかなり見だしている。

幻覚は分かり合える 

なのでこれには付き合ってやるのが一番安心する。

あーほんとだ。はいはい。とりましたー

だ。

あとは天井のシミみたいのもカメラだ。

あーほんとだ!きっと急に具合悪くなってないか看護師さんがみるやつだよ!

と、てきとーだ。


そして敗血症で最期は耳も鼻も隠れてなくなるほどパンパンに水分で膨れ上がって異様な姿で死んだ。


この期間の入院費用は義理姉とうちの半分づつで毎月支払った。

死んだ時病院に義理妹夫婦とやらに初めて会った。

信じられないが、挨拶がこの場に及んで「初めまして。」

からだ。

そして義理姉から色々聞いてるのか、お姉さん(わたし)にはすごく面倒をかけてしまったことを聞いてます。すみませんでした。と言ってきた。

オネエサン

と呼び慣れない初めて言葉で呼ばれたことにびっくりであとあんまり覚えてない。

一応挨拶は日本語で出来るぽい。

だけわかった。


隣にはその旦那さんがいた。

見たらギョッとした。はぁそうゆうことね、わかったよ

ナルホドでございます。

義理妹があんまり外出できない生活なのはこいつだ。

ヤのつくやつだ。

でも、一人34歳の娘を連れてきている。

ふぅ~ん。わたしの嫌い系のやつである。

あんま話さないとこ。


と思ったら、

イヤァーすんませんでしたねー

うちらはなんも出さんかったしー

ほんとなんもせんかったわー

とか言ってる。


口のききかたがべらんめいだ。ゲンコツしてやりたい。

そして、わたしに唐突に20万を握らせた。

入院費もこんなもんじゃなかったろうし面倒もほんとかけましたー

だってよ。


でもね、なんかなんか義理姉夫婦、ウチの元旦那がうつむいて、怯えているよ。やな予感だよ。


すぐにそれは的中しました。


まず、うちが長男だから喪主。プラス施主も。

とんでもなく若い喪主夫婦である。

これはさすがにわたしも当たり前だがやったことなどない。

しかも元旦那は頭のネジがとれている。(人のこと言えないけど)

この度はー

なんて挨拶など出来る訳もないので一応密葬でって話しなのに義理妹の旦那は自分の親戚やら知り合いとかわちゃわちゃ呼んだらしく来るんだけど


で、はい。でたでた。

すべてがおわったあと、待ってましたーのいちゃもんだ。

何してくれてんだよ馬鹿野郎‼︎

俺の知り合いに挨拶どっちかしたんか⁈

あー⁈

誰が喪主だったかわからんかったぞ。挨拶もされんかった。って言われたんだ、恥かかせやがって‼︎


はい。すんませんした。とてもじゃないけどやることいっぱいで気が利きませんでしたよ。認めますよ。だから密葬っつったんじゃねーかばかやろう。とココロで言う。

で、この人の目的。


ばばぁ(死んだお母さん)は保険金も貯金もなんもねえってんじゃないか!

じゃあ遺産どうなるんよー

分け前ってやつだよわかるかー?


ばかだ。とても馬鹿野郎はおまえである。


で、ほかのみなさんはシーン

この馬鹿野郎に逆らえません。


わたしがターゲットだ。

そうですよ?保険金も貯金も遺産はないですよ。だから入院代も全額払ってきたし、葬儀も一番安くできるところでなんとか形ができましたよ?

それで何が遺産になるわけ?


といったら、


なんだよこの野郎!じゃあなぁこっちは毎日節約してご飯とキムチしか食ってねえのに最初くれてやった20万と、恥かかせやがったやつの分の香典を全部返せ。

あと、残った香典はそれは遺産だ。

それをよこせバカ!


と言われたんだけど。

あー。宇宙旅行にいきたいわ。

ニンゲンのいないとこ希望


それで、コイツに全部根こそぎやられた。

香典を足しになんとか葬儀代と、仏壇(タンスの上に置けるサイズのやつ)、お寺さんのお布施、そのあと骨堂とかどうするか


ってあったんだけど、もうオワッタ。

毎週77日で49日まで来るお坊さんはなんとなく気配とか雰囲気を察してました。

なぜなら義理妹のバカ旦那がずっと読経してる時もわたしにべらんめいの文句をぶつぶつ言ってるから。

こいつの母親もひどいものだった。祭壇にある遺骨に手を必死にこすり合わせて「どうか今日のパチンコ勝たせて下さい!お願いお願ーい‼︎」とか唱えている。


最後はお坊さんにめちゃんこ怒られてたけど。

で、わたしをお寺の方に一度あそびに来なさいと言ってくれました。


49日が終わると納骨が迫っていたのですぐにいってみると、とりあえずお母さんのお骨は合同供養でしまうところがあるのでそこにおきましょう。

ほんとうは毎年五万円(確か)お金をいただきます。そして合同で毎日読経します。

お参りに来るときは共同ですがちゃんと供物もおける台があり、お線香も蝋燭も用意してます。

それが一番ここではお金の問題ではよいかと


でした。

わたしはわかりました。ありがとうございます。とても助かります。

と言いました。

でも、住職さんは察してくれて、お金は払える時にでいいです。毎年必ず。じゃなくていい。そしてたまにうちのが(奥様)いつもいるから遊びに来るといいよ。

だって。なんて良いひとなんだ。

ここに来てあの野郎に無茶苦茶文句を言われた甲斐があったわ



わたしはお母さんが亡くなる前後から49日が終わるまでに6キロ痩せた。

妊娠中15キロ以上増量したのが産んですぐのと、今回ので一気に戻ったわ。


おつぎは当人のくせに全てにおいて最後まで知らんぷりの元旦那だ。

おまえはわたしがアイツ(義理妹のバカ旦那)にめちゃくちゃやっつけられてもうつむいたまま一度もかばうことが無かった。見かねて住職さんがアイツを怒鳴ってくれた。

おまえは自分の母親のことなのにわたしを守らなかった。これは許さん。

それからわたしはあんたの親族とこれからも付き合って行くなら離婚をする。わたしはお母さんを最期まで看取って、やるべき事もやった。なんにも悔いはない。

と言いました。

そしたら

いや。俺から御免だから、もうあいつらとは一切関わらない

だってよ。


でもね。

離婚したのはこの件で十分理由になるだろうけどちがいます。


そして娘ちゃんの成長の様子、今現在のこともすべて話して書き残しておくんだ。


長いので分けますね


Tsuioku kana12 『それぞれの家族のありかた』

最近、私物の片付けをやたらと急ピッチで進めている。まだ分別などが出来るアタマが確かで手が動くうちにやる。

それさえ終われば介護のヘルパーさんにそれを処分したりどっかにあげたりしてもらえる。

わたしはいつ消えてなくなるかわからない。

まだ若いので老衰じゃないな

自然死。突然の心停止か大量出血あたりになるとおもうから。


わたしには難病の方でも悪化しても、もう手術さえしてもらえない。

しないから。そのままで終わらせると言われて半年が経つ。今の身体の調子で自分でもだいたい残された時間もわかってきていたけれど、わからない部分もある。

いまそんな中でオマケの時間を過ごしている。

わからないのは想定外な肺のやつとか精神病が悪化しているからだ。

死因は他にも自分のなかの自分がざわめく頻度が高いからザワザワザワザワ騒ぎ出すとわたしをわたしが勝手に殺してしまう。

訪問看護をその為にお願いした。

そして8日に顔合わせをした。

その後15日に訪問看護の所長さんから電話がきました。

病院とのやりとりが成立して書類も整ったのでお時間ある時に本契約を交わしましょう。と。

うちに来てもらうからわたしは朝イチならいつでもいいので向こうの都合で19日にしてもらいました。

はい。明日です。

詳細についてと、あと、実際に通い始めてもらってどんな感じかはまたゆっくり書きたいとおもいます。


来てもらっても解離発動をしない精神状態になるかわからない。

だからいつオマケ時間がなくなるのかわからない。

でもわたしのことではないが絶対に一区切りさせないとならない責務がある。

それで一年は執念でも生きる予定にしているけど。そんなの望みにしかならないんだけどね。


人は今しか生きているという事実しかない。

その今の積み重ねでしか生きてはいない。


必死である。

とにかく。


色んなことを片付けているなか、前々回の記事に間違えて書いてる事が本日分かりました。

事業を初める前から仲良くしていた銀行さんが雑務で今日ウチに来ました。

記事に起業して今年の春で丸8年と書いたけど丸9年で、今年の春からは10年目だった。

どうでもいい話だけど、なんかこれも区切りがいいな。とおもったのであえて訂正。



ずっとあれが食べたいこれが食べたいと、めんどくせぇやつだったけど、もういまはほぼない。

死ぬ前にメモったやつ全部食らうのだ!と張り切っていたけど、舌痛症でいまは食べても良いものでさえ喉が通らない事が多い。

とりあえず舌痛症は日によって酷さとか時間とかが違うので、食事は栄養を摂取するだけ。という目的のみで、今だ!って時にひたすら食べれるものを食べる。

だいたい食べるとほどなくして舌痛が出てくるのでその日の食事摂取はほぼ終了してしまう。

酷い時は唇までビリビリしてうまく話せない、アルミ箔をずっと口の中に入れて過ごしているような感じである。そんなときは人と会う外出は控える。


あとは足りない分は水分補給でするのみ。

一応身体に気をつけてアーモンドミルクや野菜ジュースなどにするけれど舌を刺激する場合はとりやめる。


症状についてはキツイなとか痛いなとか鉛の身体になる日は苦しむとかはあるけれど特に悲観することはない。

焦る。という感覚がふさわしいとおもう。

また最低でもあと来春までじぶん頼む!

と思う。


そんな総合的ストレスか舌痛からか肺の爆弾からのそれぞれのストレスからかお腹の調子が悪い時が増えている。

血が出ないから寛解中に一応ではあるが、たまに前に主治医が言ってる腸が腫れてる。という嫌な感覚と消化器官の広い範囲でモヤっと重だるいような良い消化を出来てないような気持ち悪さがある。

春が終わる頃毎年書いて来たが真夏に入院が必要な大腸検査に憂鬱になっていたけれど今年はしないでみようかとおもっている。

嫌だという簡単な理由もあるけれど、それをする為に体力も時間も消耗することにあんまり意味を感じなくなった。

これは勝手な考えだけど、もし癌に移行してます。酷い潰瘍が前よりあるからまた病理に回すのに取ります。とあっても、それがなんだ。となっているからだ。

悪化してもなにしても手術はもう出来ないならとくに知る必要がないと思うのが一番大きい。症状が出たら考えたらいい。

そしてそれに合った薬を飲んでやり過ごすだけなのだ。と思っている。



とりあえずまだ外見は健康な人にしか見えないし、動ける日は他人の用事もある。

決まった日にしてほしい頼まれ事とかは毎日の具合が違うからほんとはつらいけど、カフェで会ってからの付き合いのあるお年寄りで、最近入院したご老人さまのお家の金魚の餌やりを頼まれている。

古い家屋に一人で80歳近くになるが住んでいる。

体調の問題はあるにしても今の時期は雪や寒さがないから通える。

去年も餌やりは頼まれたことがある。

年に何回も入院するかたなので仕方ない。

あかの他人でしかも私は身の上をこの人にもほぼ教えていない。

苗字すら知らないし、住んでいるところももちろんしらない。

わたし。という人だけを見てそのひとは自宅の鍵を渡す。

いまあるいろんな手口の電話詐欺がある中恐ろしく危機管理能力がない。とみなすか、じぶんでいうのはおかしいけど、わたしを大丈夫だ。と見る目があるひと。というのかわからない。

でも、人に物事を頼むとかは出来れば借りを作りたくない、申し訳ない。など、あまりしたい事ではないとおもう。

しかも今まで話を聞いているとわたしの家の近くに結婚もしている息子さんがいる。

息子さんとは行き来もあるし、息子さんにお米やら何やら届けたのよ。と話してたこともある

でも、たかが餌やりさえじぶんのことは実の親子でも頼めない見えない何かがあるんだな


わたしの事は頼まれて面倒くさいなとか嫌悪感を持たれない事をきっと知っている。

今回は急な入院だったので病院にまず鍵を取りに行く。から始まった。

そこもデカイ病院だから病棟まで辿り着くのもつらいけどやる。

嫌だともおもわない。

困った時の困ったどうしよう

は大なり小なりずっとそれでわたしは生きてきたから人が困っていたら自分の方から手伝いたいとおもうくらいだから。

でも何が無くなった、あれが壊れてる。などトラブルになるのは避けたいからそれだけは一応無駄でも言っておく。

その老人は家の中のもの全部無くなっても構わないとさえおもっているから大丈夫です。という。

大事な金魚3匹が無事ならそれだけでいいらしい。


今日も餌やりをしてきた。

生き物を飼うことは大変だ。

責任あることでもあるし、そのものに対して十分な敬意を払うことをしなくてはならないとおもう。

なんせ、じぶんの勝手な都合で命のあるおもちゃにしているのだから。


未だに動物園、水族館、ペットはわたしは無理だ。

昔家にいた小犬の可愛子ちゃんはある日ナマハゲクソババァが連れてきた。

小さすぎて最初とても恐ろしかった。

でも、すがる目、不安な顔、怯えたときに震える身体。

そんなすべてを見せられたらじぶんの命よりも大切にしなくてはならない。と子供の頃に強く思えた。

誰にも簡単に懐かない犬だったから、来客が来たらすごく不安になるので構われたりしないように居場所を作ってあげたり、クソババアの賭け事仲間が来ると、うちの開きの玄関ドアをちゃんと閉めないやつがいたらそこから出てしまって帰って来れなくなる。

姿が見えないと死にものぐるいで探した。

飼い犬としてしか生きてきていないから野ら犬になどなったら、はねられたりして1日も持たずに死んでしまう。


みんなそういう思いでいて欲しい。

動物の虐待もよく耳にするけれど、ほんとうに悲しい事です。


色んな感情がいまわたしの中で渦巻いています。

もうわたしの肉体と精神は宇宙に丸投げしてるからお任せなので書き残したいことをただ脈略なく書き綴ってしまいます。

今日は前回最後に少し触れた人のことを書こう。


Episodi293  告白

で出てきたひとの事です。

あれから2年以上経ってますが、彼は今でもわたしをずっと思い続けてくれている。

やりとりをしなくてもラインのステータスにはわたしにしかわからないメッセージをその時折でいれてくれる。

一緒に行ったことのある風景をホーム画面にしていたりする。


そしてなぜか身体があまり良くないときや精神的に追い込まれているときに虫の知らせの様にわかるのか連絡が来たりしてずっと何年もそんな風がわりなつながりをもっている。

気胸の時もそうだった。まだ気胸がわからなくて入院するほんの少し前からやりとりをしていました。

他愛もない事。付き合ってもいないし本当に他愛もない話をしていました。


大晦日、1人の病室で痛み止めの背中のカテーテルを取られた日も、今年の終わりはこの始末かぁ。最後の平成の大晦日にとてもふさわしいもんだ。

と思って過ごしていました。

彼の仕事はデカイトラックを乗っている。

年末年始忙しいんだよ。ずっと仕事なんだ。とは聞いていたけど、忙しい中、年が明ける五分前に電話をくれました。

病室に1人なので小声だしおはなしはできます。ただ息苦しさと痛みでほとんど声が出なく言葉らしい言葉も喋れなかった。

でも、電話で繋がって新しい年を迎えました。

電話の向こう側では彼のトラックのラジオから、ももクロのカウントダウンの放送が流れていた。

おめでとう。

と言われて、ちゃんと喋れてなかったかもしれないけど、わたしもおめでとう。と言いました。

痛みや精神的苦痛を言わずともわかってくれる人です。

彼はわたしになってくれるひと。

励ますとかしない。

痛いし、辛いし、なんてこった。

ってのをその通りだよ。

って思ってくれる共感、同調が出来る人だ。

頑張れも言わない。

わたし。という人間をほぼほぼわかっている。

もちろんわたしの醜い状態の時も見ている。

そして生い立ちから現在までも知っている。

そしてわたしをいま想ってくれる他の人とは違うところは、わたしの死を受け入れている。

この辺が 2年前とかなり違っていることです。

あの頃は彼はわたしと光り輝く将来を夢見ていた。

でもわたしにはなにひとつ叶えられるものを持ち合わせていなかったから一緒にはなれないことを言って終わってしまった。


今は月日とともに変わっている。

わたしの今の状態全てを理解し、わたしがこうでありたいと望む最期をも受け入れるという。

そのあとこの人はどうなるのか。

それはわたしが心配しても仕方ないし本人もわからない。

でも今という時さえ後悔することをしたくないそうだ。だからまた一緒にいたい。どうしても一緒にいたいんだ。と言われた。


この彼とまだ普通にしていた 2年前はお母さんとも何度か会って話したことがある。

電話はよく来ていた。

彼は全く母親と話さない。母親をとても嫌っている。

毎月渡すかなり高額な生活費もテーブルの上にメモに今月分〇〇万とだけかいたのを一緒に置いてお金を直接渡す事さえしない。

もともと無口でわたしとしか普段も話すことはない。

人付き合いが苦手なのもあるけれど、とんでもなく真面目だ。仕事でも会社ではかなりそうゆう部分で評価されている。誰にでも温厚で丁寧で敬語でしか話さない。

雑踏の中でも常に気を遣い人の迷惑にならないようにする。

疲れないのかと思うほど信じられないくらい周りや人に気配りをする。


自分勝手なわたしとは大違いだ。

わたしの方が歳上だけど、彼は保護者みたいな感じになる。

いつもいつもふらふら好きに歩くわたしに危ない!といつも言われて守ってくれていた。


でもわたしにだけ素を見せることが出来るんだという。

めちゃくちゃな事を言って来たことも、酷い言葉を使って来たことも、イラつきや八つ当たりもわたしだけにはする。

手を出すとかはない。

日々のそういった他人への彼の気遣いが済んだとき、ほんのたまにだけど辛いときだったり参っていたりするときに吐き出してくる。

あと、わたしと話すと電話でも永遠に話す。

無口で世の中を生きている人とは信じがたいくらいに話す。10時間超えでも途切れなく話す。


その頃はお母さんは彼が何を考えているのか、どんな状態かも一緒に暮らしていてもわからないからわたしに連絡をしてきていた。

彼の普段の生活についての文句もいう。


彼もわたしにお母さんがだらしないなどの文句をいう。

2人がわかり合うことは決してなかった。

お互いの話を聞いているから、この先も難しいだろうとおもっていた。

それでもお母さんはやはり親だ。

とても彼の事を心配している。

わたしを通して情報を得ていたけれど、いつもわたしとこのままずっとうまく行って欲しいの

と言われていた。


わたしは彼とは一緒にはなれませんでした。


と彼だけの問題みたく記事に書いたけれど他にも違う理由があった。

お母さんに病気である事をその頃じぶんで伝えた。

それを聞いた時、いつも機関銃のように話すお母さんが無言になった。

かなり長い無言だった。


そして、お母さんは、

元気でいて。

あいつは〇〇ちゃん(わたし)に何かあったら立ち直れない。

だからずっと元気でいて。

だった。

わたしの心配なんかはない。そんなの分かってることだからどうでもいい。


そして、2人の事だからわたしが何かいうことは出来ない、あいつが決めた事だしわたしもあなたが本当にだいすきだから。

と言ってくれた。


親として、息子の相手がわたしみたいなのは絶対に御免だとおもう。

このお母さんも根底はそうであるのはわかる。でもそうしか言えない。だけ。


この頃の彼の想い、お母さんの想いがわたしには終わりにしたほうがいいという結論になった。

それでも彼はずっといま現在まで変わりなく想い続けここまで考えや覚悟を決めてわたしと向き合ってくれている。

とても有り難いとおもう。


それなら僅かな時間かも知れないけど一緒にいれば?と他の人は思うかもしれない。


でも、わたしはお母さんとの約束を破っている。お母さんは 2年前に付き合う。という形をやめた事を知らずに今もいる。

彼がまったく話さないからわからないのだ。ただ彼はその頃わたしがいまは体調が悪いから連絡しないでやってくれ。とそれだけ話してた。


いま、わたしは元気でいてね。

なんかの次元ではない。

急下降で死に近づいている。

それがある以上この家族に対して勝手なことは出来ない。


お母さんには 2年前までは頻繁に話していたがそれから今現在まではメールでのやり取りを数ヶ月に一度くらいしていた。


でも、今回の彼の気持ちを聞いた以上はこのままではいられない。

少し前に現状を掻い摘んで話をしました。

そして自分の息子の気持ちも知った上でやはりこのお母さんも世の中の親。というのが垣間みえた。


わたしは最初に謝罪をしました。

元気でいる。って事をずっと破ってしまっていたから。

それよりも入退院ばかりをこの期間繰り返し彼に心配ばかりかけたから。


お母さんにとって、わたしは一緒になって欲しい相手ではない事はちゃんとわかってます。お母さんからはとても言いづらいと思うので自分で言います。

お母さんが望むような相手ではまったくないです。むしろ彼の事を考えると親として子供に苦労や辛い思いなどさせたくはないのは当たり前だとおもいます。

もっと身体が丈夫で、しっかり働けて、子どももたくさん作って、みんなで同じものをわいわい食べる人がいいですよね。


と言った。

お母さんは困った顔をしていたけれど、その通りです。と顔に書いてあった。

でも言わない。

ただ、また

あいつが決める事だから。

そしてあいつはここを出て暮らすみたいだから心配なの。

1人で暮らすなんて絶対無理だから

という。


わたしは1人暮らしは彼は出来ますよ!

しっかりしてます。ここでは甘えがあってしない事も1人になればせざるを得ないからしますから!大丈夫ですよ!

と言った。


で、やはりここで本音が出る。

〇〇ちゃんは一緒にいれないの?

あいつが夜中に帰ってから自分でご飯なんか作ることなんかできるわけないし、ただ寝て起きたらまた仕事。

そんな生活で食事や洗濯、掃除が出来るわけない。本当に心配なの。


だ。


もしわたしが一緒にいたとしてもお母さんは心配じゃないですか?

わたしは自分のことさえ満足に出来ません。

いつまた体調を崩したり気胸をおこすかわかりません。彼がわたしといるともっと違う仕事が増えてしまうとおもいますよ?


ここの様に親子関係が破綻しているようなおうちでもわたしは心無い言葉やその人の考えで無駄に傷つく。


お母さんはじぶんが嫌われているのを分かっているから、どうか誰か息子の世話をして下さい。なのだ。飯炊き家政婦が居ないと心配で仕方がないのだ。


そして

わたしは1人暮らしをしたことがないの

だから分からないの。でも男だからきっと無理。

わたしは知り合いに兄妹本当に仲良しだよね。って言われてるくらい兄達にも可愛がってもらってみんな仲良くいたし。

でも下の兄が亡くなった時お嫁さんはなんにも挨拶もわたし達や母親にもして来なかったのよ。病院代や生活費全部上の兄が面倒を見てくれたのに


その辺はまだ亡くなる前に電話で色々聞いていた。お母さんはいつもお兄さんのお嫁さんの悪口ばかり言っていた。


そしてわたしの家庭事情を知っているのに今回は、

お嫁さんはね、わたし達兄妹とは違ってちょっと複雑な家庭のひとだったんだよね。兄弟がいるみたいだけど血が繋がってないとか全然親族とは縁がなかったひと。

そうゆうのも関係してるのかも

と言っていた。

わたしも無縁でいてその人と同じだからわたしに対して何を言いたいのかわからなかったけど、そうだったんですね

と言った。

あとは、いまどうやって生活しているのかだ。

お金は大丈夫なの?病院代もかかるだろうし生活どうしてるの?

をかなり聞いてくる。

これは中々人には聞きづらい事だと思うけどこれもまた息子の心配のひとつなのだろう。

わたしのお金の面倒さえ見なくてはならない。

そんな息子を不憫に思うのだろう。


大丈夫ですよ。

いま仕事は全くしてないけれど問題なく生活しています。

とだけ言った。


どうやって?貯金?貯金は崩しながら?

いや収入がある訳?どんな収入があるの?

そしたら貯金からは崩さずに済んでいるの?


とか言ってきたけど、うまく流した。

きっとこの家のお金、彼の貯金含めた全財産より、わたしはお金だけはある。

でも言わない。

わたしは長年、命をかけて普通の人の何倍も働いてきたのだ。

その苦労さえ知って欲しくもなかったから。


前に書いたけど、難病のほうの病気が確定した時に付き合っていた人のお母さんにはクソミソに言われて、このお母さんの様に元気でいて欲しい。身体大丈夫なの?のひとつも言われず、とっとと消えてください。的な扱いをうけた。


でもこのお母さんもそうなのだ。

親はみんな自分の子供だけがしあわせであればいいのだ。


彼にはそんな親心がわからない。


あのババァになにをいわれても関係ない。

1人だったとしてもいずれほとんど縁を切ってるような感じにしていくつもりだったから。

それをあのババァが〇〇を傷つくような事をしたなら今からぶっ倒しにいく。


だそうだ。


お母さんは至極当然の普通のお母さんだよ。

はっきり言うか言わないかの違いは人それぞれだけど、普通の親心のあるお母さん。

少し心配の仕方が違うけどね。

わたしが親ならじぶんが居なくなって困る事がないように自立した人間に育てる。

お母さんは周りにも恵まれていたから困らなかったんだからそういった考えにならなかっただけだよ。

でも、わたしは先に死んじゃう訳だしー。

あいつは何にも出来ないからほんとに心配。

とかは一応言ってたよ。

あと、あいつも娘も(結婚した妹ちゃんがいる。)わたしの面倒は将来みない!ってはっきり言われてるの!わたしはどうしろってのさーでしょ?とも言ってた。

と、説明した。



わたしなら子供にじぶんの面倒など絶対に見て欲しくない。

お母さんにはその返答はちゃんと思ったことをそのまま言った。


わたしは沢山の老人の方々と接する機会があります。

でもほとんどの方が子供の世話にはなりたくない。施設とかでいる方が気楽で1番だ。

と言ってますけど、どうなんでしょうね。

と言った。


そしたら鬼ババァみたくなっちゃった。

どこにそんな所に入れるお金があるのー!

いくらかかると思ってるのームリムリ!


だそうです。

どうぞあなたも1番上のお兄さんとやらに面倒を見てもらうとよい。

彼が小学生の時に離婚して一人で2人育ててきたからある程度の苦労はしているはず。

本当なら人の痛みも知っているよねきっと。


こりゃダメだ。今のわたしには他所様のしがらみには付き合ってられない。


ただ彼には1人暮らしが初めてというから色々教えてあげるよ。と言った。

なんにもわからんから助かる。と言っていた。

そのうちわたしが一緒に暮らすんだとおもっている。

いまは色んなことをいっぺんに処理出来ないからそう思ってていい。話すのはいずれでいい。

彼はわたしが居ても居なくても1人暮らしをすることになったからその辺は問題ないのだ。



いろんな家族がいる。

いろんな人間が同じ世界でいまこの時間も共存している。


Tsuioku kana11 『病バナ』

今回は病気の話しばかりだから恋バナみたいなだいめい。


わたしがブログの中でかなりの頻度で出した言葉にクスリがある。



まだ未だに同じ精神科なのだが診察にするとここはほんとに待つ。やたらと今も患者が多くて有名である。今はもうほとんどクスリだけ取りにいっている。

で、ここは院内薬局はない。

ここの隣に薬局がある。周りには他に病院はないからほぼこの精神科の患者用だ。


今飲んでるわたしのクスリ。


抗不安薬  13回各1     レキソタン5ミリ

睡眠薬  就寝前1   サイレース2ミリ

頓服薬   向精神薬  液体エビリファイ

用途は

①解離しそう。離人しそう。パニック出そうなんでもかんでも用

②睡眠薬(サイレース未だ全く効かない)と一緒に飲む。


である。

レキソタン最強とかいうが効いた感のためしがない。全くの最弱だけど。


サイレースについて引用すると。


『サイレース(一般名:フルニトラゼパム)は、ベンゾジアゼピン系に分類される睡眠薬になります。

 

サイレースの効果は非常に強く、切り札ともいうべき睡眠薬になります。その強力さゆえ、犯罪に使われてしまうこともあるくらいです。

 

しかしながら副作用や依存性についても注意が必要で、安易に使うべきお薬ではありません。ほかの睡眠薬でも効果が不十分な場合に、最後の選択肢として考慮していきます。』


これが最後の選択肢ならもうどうしようもない。

ドラールも昔ダメだった。

抱き合わせで向精神薬を飲んでも寝れないけど


この前薬局で待っていたら、すみません。レキソタン5ミリが在庫が足りないので足りない分は郵送でもいいでしょうか?

と言われた。

やはり最強でみんな出されて飲むんだなと思った。

結構出るんですか?と聞いたら、はい、レキソタンは先生かなり出しますね!

あ、でも、5ミリはあまりいません。だいたい1ミリか2ミリが出るんですよね。


だって。

いらんこと聞いたわ。落ち込むんだけど。

そんなんで皆さん効いてんの?


115ミリ飲んで一瞬たりともふわっとでも何か気持ちがちがうことないけど。


とにかく精神科のクスリはこんな感じです。


お次。

難病のやつは飲み薬のほかエンシュア24缶を何箱とかあるので無料配達してくれる違う薬局さん。


メサラジン系ペンタサ

朝夕  1500ミリ3錠(寛解期継続中13,000mg

ミヤBM

朝昼晩  1312

他必要に応じて補助的に酸化マグネシウム剤など。


これは飲んでないとまた腹が切腹みたくなるから多分意識不明になって白目になってでも飲むと思う。

けど、いくら生活、食事を気をつけていても去年の検査で新しい潰瘍が三箇所とか見つかる。

症状が出なければもうどうでもいいけど


とにかくクスリを飲むのがとても無意味だと思うやつと、面倒くさいというやつ。

ペンタサは粒が大きくて、もうわたしの細い食道では飲み込むのが一苦労だ。


最近の3/28は難病の受診日でした。

体重が減ってきているからちょっとその辺考えてもらいたいんだけど

気胸でかなり入院して以来、体力が戻らないのでなんとかしたいのです。

肉という代物は食べた記憶が年単位でない。

タンパク質が必要だから玉子とかで補うけどなかなか大量に食べれるものでもない。

違う病院で入院した時ブロッカーというゼリーが出て小さいのにかなりタンパク質や必要な栄養素が入っていたので処方してもらえるのか聞いたら、食品になるからか机の病院PCでヒットしてこない。

すぐに主治医が薬剤部に電話してくれて直接聞いてくれたけど、処方対象外なんだという。

で、タンパク質が豊富ななんかないか?と聞いてくれたら、エネボーがいいのではないでしょうか?と返事がきたみたいで、それを出すかー?とか言ってる。

2人でPCでエネボーとやらをみたらエンシュアと同じアボットジャパンから出てて、見た目も変わらない250ミリ缶の飲み物でした。

エンシュアHよりもタンパク質やほかの成分が素晴らしい。EPAさえ入っている。

主治医はこれすごいなー俺も飲むかな

と言ってた。

でも味が書いてないけど、何味さ?

って聞いたら

うーん。

書いてないからまずいってことかもね笑

経口でもいいし腸管に直接注入でもこれらの液体は出来るから、きっと経口ではあんまりでてないんじゃないのかなー

とか言う。

エンシュアでさえ一種類だけしかかろうじて飲めないのにこれは多分ダメなやつだ

とりあえず試し!2週間分だそう!

って事で薬の他にエンシュア24缶入り3箱とこいつが加わりました。


あと、UCの主治医とは一月末の退院する日の受診以来なので、肺についてどうか聞かれました。

なんか、どうなってるのかわからないままいるけど。

原因も先天性のものとかあの医者(外科の時の執刀医)に言われて、調べたり人に聞いたりしたけど、そんなの聞いたことないわ。とか言われるんだけど。

しかも気胸は女の人はあんまりならない。女の人がなるのは女性特有の気胸ならあるけどそれじゃないし。と話しました。


うーん痩せてるひとはなるからそれしか理由ないけど、先天性とかゆうのはわからんわー専門外!

と、せんせーは言ったあと、

とりあえずX線とってみてみるかーとか言うのでとってみました。


で、しばらくしてまた呼ばれて衝撃的事実



「あれ?まだ気胸だけど。」


は?なんと?


ほら!同じところ。ここの(画面指差して)空白部分は肺ないね。膨らんでないねー。

とか言ってる。

症状ないから現在漏れ出し中!ではないけどこれは気胸といえる肺のサイズのままらしい。


なーんだよバカ。

体力つけてたつもりだったけど、そりゃないはずだね。

外出もするようにしたけどそりゃただ疲れて次の日から寝込むだけだわね。


気胸あり。

とか打ち込んでいる。


なんなのわたし。わたしってなんなの?

そろそろはっきりと当てはまる病気とか症例のあるやつとか治る病気とかにして欲しいんだけど。


落ち込む。

これ再発しそうだね。また手術とかはやだよ?

と言った。


それはなんとも言えないけど、これ以上膨らめないのかわからないしこれでどうぞ生きてくださいね。

ってやつかもしれない。

萎んでないならいいとする。

ってやつ。


福祉活動を考えている矢先にこりゃまた考え直しをさせていただこう。


とりあえず、病院という建物に行って何事もなく帰ってくることがほぼない。

いつもいらない知りたくないオマケをもらえる。


エネボーとやらに興味があったけど家に届いたらあんまり興味もなくなって、つい昨日まで冷蔵庫でねてた。

で、飲んでみたらまずかった。このような顛末になるのだいたいわかってたけど。

一箱とかもらってなくて良かったけど、あまってるやつはどうするかなー

ひらめくまでほっとこう。

きっと食べものも何もかもないとき餓死よりましかと飲む日が来るかもしんない。あと震災用として使う。

あ、みんなが困らないように大量にもらっておいてうちを避難場所にしてみるのもいいかもしれない。

エネボーあります。

ってだけだけど。一人も来なそう。


あと、前回の記事の続き。

難病の方からのオッケーが出れば訪問看護(精神的部分でのカウンセリングみたいの)を難病の月の上限額で来てもらえる。ってやつですが、3/28の受診の時支援センターから預かってた主治医あての手紙を渡しました。

主治医は一通り見て、

どーぞどーぞ!来てもらうとよい!

とか言ってる。またPCに訪問看護OKとか書いてる。

てか、すぐ書く、こいつはなんでも書く。舌痛症やだ。と言って他の科のことだし、消化器官と関係ないからなんにもしてくれないけどそれも書く。


で、手紙のやつはこれは僕もらって、そのあとは事務の方とやってください。でいいのかな?

と言われたので、あー、先生が口頭でわたしに良いよーって言ったら事業所さんが病院に書類を作成してやりとりするみたいよ。

と言った。


病院が終わってから、とりあえず来てもらって良いみたいです。と結果をいつもの障害者支援センターの担当者さんに報告したら、わたしがちょっと不信というかどんなひと来んだろうばっかり言ってたので、まずはお会いしましょう!

と、言ってくれました。

で、4/8にセンターの担当者と看護の所長さんがうちに来ました。


………見た瞬間わかっちった。

この人もだ


けど、とりあえずまずは普通に一通り話しました。

どんな制度でこんな内容で事業所をしてます。って所長さんがいろいろ話してくれました。

その中で、いつもの担当者さんはわたしのことをだいたいはわかってるので、ある程度はわたし。についてのことは教えてあるのは聞いてたけど、も少し詰めて話すことをしました。

所長さんは精神科に10年間働いていた。

病棟勤務もあるからかなり統合さんや隙あればすぐ死のうと頑張る人ともたくさん接しているんだろう。

だからわたしの話しをうんうんわかる!みたく頷く。

小さい頃から幻聴幻覚が当たり前、解離なんかしょっちゅう、今はたぶん自分は人間ではないぽい。ところまで来てることまでなんでもいえる。

その時々の状態や一番酷かった156の宿無し生活の中、所構わずパニ症であらゆる人間に迷惑をかけてきて、それでも最初は無理やり連れてかれた感の精神科だったからもらった処方箋さえ捨てて薬局スルーで帰ってたりしたけど、こりゃマズイ

とだんだんわかってきてちゃんと自分から精神科に通うようになったと言った。

スマイリーに見捨てられた事も言った笑

病院名とスマイリーの苗字で所長さんも知ってた。あと、今の精神科の先生のことも結構どんな人かわかってた。


今は自宅に訪問看護をする。というくらいなんだから、かなり自立できている人が利用者なんだと思う。

でも深いところまで話してなかった支援センターの担当者さんはそうだったんだーと、時々驚いていた。

あんまり知らなかったらあんた大丈夫⁇と思う話がてんこ盛りなんだろう。


これはね、専門用語もありーの、なった人しかわからない系のだから話ができる人とできない人がいるのでご了承下さい。って感じだ。


話していく中でこの人の身の上がかなり興味がありすぎた。

まず自分が発達障害として産まれている。

小中高とかなり変わり者の扱いを受けそれで自分はちょっと違うんだな。と辛い思いをしながらも、看護師や薬剤師などの免許も取って、まず新薬にとても興味があったからその開発をする職場に就いたらしい。

精神科の薬ばかりじゃないが、やはりそれ系の開発が多かったらしい。

あの頃はSNRIとかSSRIだったなぁ。

とか言ってる。


あーわかるわかる。わたしもえらい目にあったよ!

サインバルタはそれ系だ。

昔の三環系四環系はひどかったのは知ってるけど、抗うつ薬はイメージがずっと悪いままだ。

結局何ひとつ効いた試しなく最大量摂取まで行ってそれからダメだねーとかってなって減薬するのも長かったし、シャンビリで苦しんだ。


どうかもっと頑張って開発して欲しかったです。

と、聞きながら思ったけど珍しく言わない良い人になってあげた。


と、いうのも、その開発のお仕事でかなり自分の持ち合わせている障害も関係してか、うつ病になって辞めたと言うのだ。

発達障害は半端なく症状や種類あるし自閉症とアスペルガーの真ん中とかADHD入っちゃったやつとか様々で、だいたい共通するのは「強いこだわり」がある。

だからきっと追い詰めてしまったんだなーと思った。


所長さんは支援センターの担当者と仲良しなのに、あ、言ってなかった自分のことも話します。とか言ってわたしにいろいろ身の上をたくさん話した。

そして発達障害なので遺伝の要素が大きいから自分の親族はいろんな発達障害のひとばかりなんだと言う。

あと、息子さんもいてもう発達障害の症状ははっきりでてるんですよね言う。


大変だね。親としてツライね。そして奥さんも周りもみんな。


わたしは産まれつきの精神病ではない。


虐待からもう1人の人格が作り出されて共存しながら生きてきましたよね?

人格障害はきっとご自分でも今はわかっててそうなるようになる仕組みももう十分すぎるほど知ってるって感じですよね。


わたしは遺伝的な先天性。

あなたは外部からの後天性。


でも症状や苦しみ、離人や解離は話してて痛いほど僕もあるからわかります。


とか言ってた。


わたしは所長さんと話していてずっと気になっていたことを言った。


失礼なことを言うかもしれませんがおうちに入って来ていただいてお顔見た瞬間すぐに患ってるのわかったんですけど

あなたは克服してこの仕事をしてますか?


わたしは世間的には精神を患っていることを全く周知はしない。そう決めています。

付き合った彼氏とか深く関係した人は目の当たりにしてしまうから知るけど、それ以外のいま普通に生活している中でわたしは普通の人として普通の人ばかりと繋がっています。


そうでありたいのと、言う必要性が全く今までなかったのが自分の中であったので。


あとは、精神がかなりマズイねレベルの人と接すると自分はもらっちゃうでしょ?

負の感情が自身に入り込んでしまうのとか大丈夫なんですか?


と、聞いた。

そしたら、

僕は克服した!と自分でなっとくして大丈夫だ!と思いました。

それもあったからまずは精神科で働いて自信をもってこの事業を始めました!


だとさ。


それはすごいですねわたしは人にすら言うつもりもない弱い人間ですから。

それならわたしみたいのと話して大丈夫だと思って良いんですね?


と聞いたら、はい、大丈夫だと思ってます。

僕は克服という言葉をたくさん使ったけど、多分正しくはいまの自分をガチガチに作りあげました。


なるほど。ロボットニンゲンとして産まれ変わったの?本来の自分の産まれながらの特徴やら性質をねじ曲げたんだー。

へー凄いね。

なら任せても良いのかな?&この人からのネガエネルギーはもらわないですむのかな?

とかグルグル考えました……


解離の話の時、わかります!いまも名残りというか感覚はおぼえてます。とか言ってたけど

それは関係ないのかな


とりあえず、必要に応じて週に3回~5回まで来れます。

緊急もきます。24時間対応です。

調子がよくてまったく必要ないな。って月もあって大丈夫なので、曜日時間とかをがっちり決めるとかも考えず慣れる程度から始めましょう。


と、なった。

病院と書類のやりとりをして事務手続きが完了する前からでも来れますよ?って言ってくれたけど、2週間程度で終わるらしいので、

ちゃんとしてからでいいです。

と言いました。


障害センターの担当者はいま希死念慮大丈夫ですか?とわたしに聞いて来た。

ちがうんだってば!

ね?ちがうでしょ?と所長さんに言いました。

死にたいとかの上なんだよー

生きてるのか不明。ってやつなのだ。

肉体と精神。またその中でも全てがバラバラになってて、それに対して怖いとか悲しいとか辛いとな憎いとか感覚もないやつ。

何個か前の記事に書いたけど


死にたいとか死ぬとかじゃなくその上のやつをなんというのだ。

人ぽくないんですけど。脳みそがほとんど死んでます。


なのだ。

それだとわたしの人生の終焉に備えてやらなきゃならない事がうまく運べないのよーん

て事。


これからはいつもの毎週一回、訪問介護のヘルパーさんに追加で不定期で訪問看護も受けます。


そして少しマシになってきたら、もうそろ行きたいところや会いたい人に会うとか心残りない、最期の日を迎える準備をしたりしよう。


今回は今の病気にまつわる生活的なことを書きました。


ほかにずっと書きたいことが残ってるのと、あと、いつまで経ってもわたしを想ってくれる奇特な人のおはなしをできたらいいな。

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