2019年05月

Tsuioku kana18 『わたしと娘ちゃんその5』

皆さんこんばんは。

前記事(去年の夏)のこの辺りの話しからなかなか筆?が進まない


まだまだ置かれた状況に心が対応できてないんだなと改めておもう

毎日11秒で、お次はなんの変化がおこるかもわからない。そんな毎日を過ごしております。


もはやわたしの連続睡眠は一時間半程度。

それを1日何回かする。

食事じゃないんだよ。とおもう。


筆が進まない話の前に前回話していた事を書こう。

訪問看護師さんについて。

この方も色んなことを背負っている。

まぁ。多かれ少なかれみんなそうだね。

だいたいわたしと所長さんの対話は半々でじぶんの言いたいこと、辛いこと、悩み、あらーとてもぶっちゃけてくれるんだなーとか何でも話します。

前に次話しますと言ったわたしがとても有難いこと。

それはとてもしつこくて決裂に終わった警察と裁判沙汰の男性の事だ。


看護師さんが来た日の朝にとんでもない事があったので来た時は見てわかるほど顔色が悪かったんだとおもう

そして深いところまで話しました。

ずっと今まで全然平気。ぽく軽く話してるように感じてるかわかりませんが、実はもう私生活怖いんです。

と言いました。

なんせ、わたしが警察呼ぶけど?と言ったら、自分からします。の人だ。

自分はこれから人に嫌なこと悪いことをします。と言ってから向かいます。というかなりのイカれた脳みそ保持者だから。

 

バトルの時、あんた率直にストーカーだよ。とは言ったんですけど。

と話すと、

前から聞いててそうですよ?もう彼はれっきとしたストーカーです。

と言われました。


そう。あれからも終息などしなかった。

彼はとにかくしつこかった。

一緒にいたい、暮らしたい、体調悪いならそばにいるから会社を辞めるなどなど。

私はあなたのそうゆうところ、存在自体がストレスで病気が悪化していくんだけど。

一緒になんていたら死んでしまう。

と日々かなりの攻防を長時間繰り広げていました。

でも彼は自分の存在をどれだけ迷惑だと言われても、本当は必要なはずなんだ。きっと君はわかってないんだろう。

間違いないんだ、自分が守って助けてあげなくてはならない。

ですからね。と話すと


こちら側から警察に相談したらこの内容では完全に彼に通達が行きます。

よく言われる半径何メートル以内に近づかないよう。ってやつです。

とても危機感を持って欲しい段階にありますよ。

と言われました。

そう、こんなネジの飛んだバカ頭のわたしでもなんとなくでも怖いと思ってるんだからそうなんだよね

テレビに出る日がくるぽい。とつぜん刺されている人になっちゃうまだあと来春までは刺されたら困る。


わたしの勝手な思い込みですが、警察に相談すると殺されますよね?

余計に刺激を与えて逆上して殺される。

しか結末が見えないけど。


もうすでに兆候はあるんで

今朝突然来ました。

うちに居たらいいよ!具合悪い時休んだり、いつでも来れるようにしたらいいよね!

仕事から帰ってから居てくれたらこっちも嬉しいから持っていて欲しい。と、メモと一緒にポストにそこんちの鍵が入ってたんです。


そう、看護師さんが来た日の朝数時間前にに

とても脳みそも感情もついてけない。

こんなものより爆弾が入ってる方が多分怖くないとおもう。


そんな感じで所長さんと話していくうちに彼の発達障害の話になり、彼はADHDじゃないですね、きっとアスペルガーの疑いの方が強いです。自閉症も相当入ってると思います

と言われた。

調べたらほとんど当てはまっている。

アスペルガーのひとはこうですよー

と見本になれるほどだ。

二次障害まで当てはまるものもある。

読めば読むほどどれだけ間違えた対応で話し合いが出来ないようなことをして来たんだ。

とじぶんを呪いそうになる。


そして、ストーカーは五段階?くらいの行動をおこします。と図式ぽいので教えてくれました。

お話を聞くと、いまこことここの間ら辺ですかね

わたしに超拒絶されて抑うつの傾向、いま茫然自失的な場面。


次は?次はなにになるんだよ


そしてそのあと、行動に出ます。思い通りにならないなら威力で自分が納得できる事をしようとしますね。


……そんなにあっさり言わないで。


ほんとうに危機感をもってください。

警察は信頼できない、何かおきてから来る間に間に合わないない人達。っていう心配なのはわかります。

もし不吉に感じるだけでもいい、本当に来てしまったらでもなんでもいいので僕に連絡してください。


‼︎なんて素晴らしいひとなんだ。

訪看でただ24時間対応。ってだけなのに、下手したら自分も死んじゃいますけど⁇

と思いました。

そう、そんな人なんです。

医療で人の命を救う。だけじゃない人です。

自分の危険もかえりみず何かに危険を感じている人をも救う。


それが、前回の記事でいったわたしにとっても今所長さんの存在はとても有難いこと。



娘ちゃんについては

ここまでは全然今日書ける。って所をかこう


あのあと、とりあえずわたしの主治医の机下の紹介状をもってそのまま行きました。

着いてからそんなに待たずに受診してくれました。

最初、おーどうしたー⁈とびっくりしてましたが、いただいてきた紹介状を読みわたしに23質問をしてから、


よぉし!わかった!

お嬢ちゃんちゃんと診るよー!任せて!

とお元気。

反対に娘ちゃんは全然お元気ではない。

今日は血液検査や腹部エコーくらいしか出来ないと思って来ました。そして前処置の説明をして後日改めて内視鏡検査の日程を決めて帰るという流れだな。


と思ってたんだけど。全然違かったんだけど。


えー今日のうちに診ちゃうよ?

UCならまず直腸から病巣が広がるから入り口ちょっと入れて見たら、おかぁーさまと同じ潰瘍性大腸炎かわかるから!

もしそうだったらもう今日から薬飲めるよ!

その腹痛にもう我慢しなくていいんだよ!

と張り切ってるけど


娘ちゃんは絶句

魂が絶対ここに無いと隣で感じる。

宇宙かどっかに行ってる顔だ。

わたしは反対に申し訳ないが少し嬉しい

ずっとまさかまさか。で不安だったし早く痛みとトイレの住人から解放させたい。

でも入り口だけとはいえ検査するの、娘ちゃん大丈夫かなー

とゆう心配ももちろんある。


で?入り口だけだとしても前処置は?

とおもう。

それは浣腸を2回くらいしたら大丈夫!

らしい。


同時に腹部エコーで腸の状態、血液検査で炎症値が分かるから今日やれることはやるよーと、言われました。



娘ちゃんは覚悟をきめた。

てか、従うしかないだけだ。

浣腸で前処置をした時点でもかなり辛そうだ

顔は死んでる。やはり心は宇宙に行ってるぽい

娘ちゃんとわたしの関係はちょいと変かもしれないけど、検査用トイレも一緒にいる。

わたしが我慢時間を計ったり、あんま意味ないけど、がんばっておくれ。と励ます。

浣腸で出るものがもう水(浣腸の液体?)しかなくなったら終わりだ。


わたしはここの患者であり内視鏡のリアルモニターも見慣れているから潰瘍やビランがあるとか、あと、叔父のも見たから多分癌とか腫瘍系も見たらわかる。


急に言われて初めての事だから本人がとても不安がっているしこの物々しい手術室みたいな所になどひとりで入れることはしたくない。

だから術室に立ち合わせをお願いします。

と言って立ち合いました。


結果、娘ちゃんはこの最近ずっと下していたこと、物もあまり食べれてなかったことが良かったらしく直腸はおろか一度で一番奥の全大腸まで内視鏡が入りました。

大人でもこれはつらい。

かなりの意識なくすレベルだとおもう。

ましてやこんな経験はお初である。

どうなっていくのか時間もどんくらいかも、なにもかもが未知なる体験だ。

ましてやいまお腹が絶頂に状態が悪い中で入れるのはわたしも分かるからほんとにきつい!


つらいけど。痛いけど。一言も声も漏らさずに身体も身じろぎもせずジッと耐え、ただ涙だけをツーッと頰を伝って流し続けている。

息だけはどうしても荒く早くなる。

わたしは頭をさわったり、胸をとんとんと落ちつかせる。

一度だけ声を出した。虫の声のように、まだですか?と看護師さんに聞いてたけど、聞いた看護師はとんでもなく馬鹿野郎な頭の人だったらしく、えーっとね。もう少しかな!頑張って!みたく言ってる。


娘ちゃんは幼児や小学生ではない。

具体的に聞いてんだよバカ。


わたしは検査の先生(主治医は外来の日だから検査は他の人にさせると言われたけど中でも腕のいい人にしてくれ。と言ったので会ったこと無いけどなかなかいい先生らしい。でも内視鏡の腕は主治医には全く落ちる。全然下手。それでも耐えてる娘ちゃんは凄い)とモニターをガン見していた。あ、結構奥までいけるかも!と話しながら先生とやりとりしていた。


看護師はお馬鹿さんでそんな話をしてたから、次は娘ちゃんと話さないとダメだ

えとねーいま、腸の(指で腸の形を空中で書いて)ここから入ってーカメラがこの辺までいるの!で、吸引しながら結構奥まで見れそうなんだよ!

そしたらさぁ、もし問題あったらまた改めて前処置してまたカメラを入れて全部の大腸を見なきゃならないんだけど、このまま全部見れたら今日一回で終わる!

だからがんばれ!と、モニターを見ながら、あと少しで1番奥だ!とか実況生中継をした。

奥まで行ってぐるりと回してまた辿った道をなるべく回転させながら360度見えるように戻って行きS状から直腸にかけては、くまなく慎重にみて出口まで来て終了。


先生に、この子すごいな。我慢強いとかの問題超えてるね、お母さん褒めてあげて!

と言われている。

助手の看護師さん達もパチパチして賞賛を浴びるくらいすごい耐えまくりの娘ちゃんだ。


結論はカメラを入れた瞬間入り口ですぐにわかりましたが、娘ちゃんもUCでした。

末端まで頑張って見れたので私と同じ全大腸型であるのもわかりました。

色んな箇所で細胞を採取したり末端までくまなく見てもらいかなりの時間がかかりながらも無事に終えました。


検査してくれた先生に、

今日はとりあえずUCかどうか入り口だけで判断し、もしそうなら改めて前処置をして全大腸の内視鏡検査をすることになるはずでしたが、これで難病の申請できますよね?と聞いたら、病理検査も回せるし末端の画像まで全部撮れたから今日で申請できるよ!

と言ってくれました。


また主治医のもとに戻ってお話。

そかそかー同じかー。ちょうどひどい時来たからかなり中も酷いな。とPCの画像をみて

まぁこの病気や生活はおかあーさまがプロだから!なーんでもわかってるから聞きなよー!

で、僕の方からは、今日から飲む薬‼︎

同じ5アサのメサラジンのペンタサで行くよ!

ちょっといまは酷いから量は多く飲んでもらうかな?


わたしで今寛解中だが1日朝晩合わせて3,000ミリ。娘ちゃんは朝晩合わせて4,000ミリの処方と整腸剤、胃薬(胃に対する目的じゃなく違う作用で使いたいらしい)、あと食事の制限あるから残渣物や繊維質が摂れないので酸化マグネシウム(下剤)。

酸マグはわたしも処方されているが、今まで生きてて下剤を飲んだことがないからなんか怖くて飲んでない。

そんな感じで、この日は娘ちゃんもヨボヨボのご老人みたくなっているのですぐかえってきた。

次は最初わたしもそうだったように、ペンタサの効き具合や副作用をみるのに4週間後くらいに予約をした。


検査が終わったあと娘ちゃんは自分もわたしと同じ病気がわかった事より今はやっと終わって楽になって、その方が嬉しくてたまらない。

病院からの帰り道心が宇宙からも帰ってきて少し元気を取り戻したのもあり内視鏡のときの辛かったことや看護師さんの文句を機関銃のように話す。

浣腸が辛かったこともだ。わたしにも暴言を吐くほど出してはいけない我慢大会には娘ちゃんは暴言で頑張るらしいのが今日わかった。

お腹の中もすっからかん。

あーお腹減ったー!と騒いでいるのでうちて早く食べよー!ってなってる。



この後のことは、これからゆっくり時間をかけて2人で向き合うことにしよう。

わたしももちろんある程度この結果も予想に入れてはいたけれど、もしUCならどのくらいの程度なのかどこまでやられてるのかを考えると辛かった。


その間、数日後病院から分厚い診断書が届きいた。

それに補足書類を揃えれば役所の特定疾患の新規申請ができます。


まずはやることやろう。すぐに手続きだけはしないと。

わたしの命は短いかもしれないけど、これから一生わたしが背負う覚悟でもある。そんな気持ちで自分の誕生日が近かったのでその日に提出しました。

通れば今後この日付で娘ちゃんが難病と確定した日になります。

自分の誕生日は楽しいことになどしない。お祝いなどでもない。ずっと祝うを封印することにしました。


自分自身やり場のない説明もつかないおもいで支配された。

わたしの身に起こる事は、意味があってなる事はわかる反面、娘ちゃんが酷い目に遭うや辛い病気、ケガ、精神的苦痛のすべてがわたしに来ているんだ!全部わたしにして!

という思いだったのもあるから。

なのでこんがる。

なかなか正直その辺を消化できないでいた。

怒りや憎いや悲しいとかではない。

こんがるのだ。


二箇所を1日で行った病院の日。

娘ちゃんは小学校から高2のこの時までずっと皆勤だった。初めて学校を休む事に、こんだけ具合も悪くやっと歩いているのに、なんか悪いことしてるみたいだ。と言った娘ちゃんを忘れられない。


そのあと難病以外にも次から次へと娘ちゃんに襲いかかる出来事や、難病になってお互いに話し合った事など、また書いて行けたらいいと思います。




ずっと今まで天真爛漫、とってもお元気、喜怒哀楽がはっきりしていて、ほんとうに娘ちゃんは、わたしの太陽なのだ。

ほんとうに眩しくて眩しくでたくさんの涙がこぼれる。


Tsuioku kana17 『わたしと娘ちゃんその4』

訪問看護は週2で来てもらっているからか、なんかわからないけど、所長さんに慣れました。

なんだろう。とてもぱっと見は弱々しい感じなんだけど芯がある感じ?物腰はとても柔らかい。

電話で話してるのに両手で電話を持ってお辞儀してはい!そうです!はい!とするような人だ。


所長さんとこは24時間対応の事業所。まだ開いて浅いから人員不足やスタッフ同士の伝達不足でけっこう大変そうだ。

介護施設に入ってるのにさらに手厚く看護したい利用者さんもいて、首から下が麻痺なので管から痰取りをしに行く。ってのをするとかもしている。

うちにいる時にその利用者さんのお母さんから何日か前のクレームが来た。

24時間対応だから呼んだらすぐ来い。

というやつ。についてだ。

うちの子が30分辛かったんですよ!としばらく言ってる。

所長さんは低姿勢だからどんどんお母さんも頭が冷えてきたみたいでうちの子だけじゃないですもんね、ちょっと可哀想になっちゃって言い方もすみませんでした。今後もよろしくお願いします。って最後なってる。


最初に超絶不機嫌な声で今大丈夫ですか⁈とお母さんに聞かれて所長さんは、あぁいま利用者様のお宅にいますが、何かございましたか?と、言っているのにずっと気がすむまで話したおばさん。

わたしの利用時間なんだけど

うちの子可哀想だけどさ、わたしの時間も可哀想にしてあげてくれ。


まぁいいや。大変ですねーと言ったら、長々とすみませんでした。聞こえてましたよね?とか言うから、あーちょっと声大きかったので聞こえてましたー。と言った。


うなだれている。

所長さんがんば!ってなる。

ついでにご自分の体調どうですかーとか、息子さんどうですかーってなる。

どうやら所長さんはあんまり息子さんとうまくいってないぽい。

自分がこんな障害をもっていたから親にきつくされたので同じく息子にもなんだかきつくあたってしまってと悩んでる。

そうかなぁ。

わたしは親にめちゃんこ放置されて大変だったけど娘ちゃん大好き。と言う。

そうでなければと僕も頭では理解はするんだけど、昔の自分を見てるみたいな感じなんですよ

と悩んでる。所長さんも葛藤の中接しているのにちょうど息子さんは反抗期と重なってる。

お互いに辛そうですね。って言った。

あと、奥様にも10年くらい前から症状が難病の疑いがあるぽくて大変そうだ。

奥様は息子さんをうまく操縦出来るらしい。

所長さんは娘さんと仲良しらしい。

だからそれだけが救いかなぁ。なんとかいってる感じですよ

だって。

所長さんは色々話してくれる。

辛いことも話してくれる。

なんだかここにわたしが看護に伺ってるんですが、じぶんが気持ちを楽にさせてもらってますね。申し訳ない事なのにすごく有難いです。と言ってた。

いや。その方がいいと思います。

もしわたしに色々話してじぶんの押し殺してきたものに影響が出て困るとかあるなら別ですが、こっちは診てやってる!こっちは雇ってやってる!みたいな感じより同じ眼線でいること。お互いに楽になるような時間であるほうが良いと思いますよ。

と言った。

ここには心の休息になってしまってるほんとにありがとうございます。と言ってくれたけど、わたしこそとても有難い。

それは後日書く内容でわかるかな


わたしはここんとこ毎日が不調だ。要因はたくさんありすぎて12番も決めれないくらいだ。

身体はかなりきつい。家の中でもあまり動けなくなってきた。強いめまいで意識がぴょんと飛ぶ。

バイタルはそんなに悪くない。

これがもうベースになっていて身体がかえってきついのかな。

血圧は上80台あれば良い。頻脈なのはしってる。体温高いのもしってる。

身体頑張ってますね。と言ってくれる。

ほんとだね。心臓を動かすの大変そうね。とおもう。

気胸はわからない。肺はしょっちゅう痛いけど肋間神経痛なのかなんだかわからない。

たまに背中も痛い時はしぼんでるのかなーと思う。またあれは急に入院して管繋がり人間になるからとても面倒くさいので、自分で体重測るみたく家に簡易レントゲン撮影機みたいのあればいいのに。と本気で思う。


あと腸の具合は最近最高に悪くなってるのがわかる。

とてもやだ。

舌痛症とどっちが勝つかなくらいやだ。

口の中が嫌な感じだ。とてもつらい。

食べれるものも食べれないし、食べたあともっときつくなって悲しいや

治る方法ないって言われて、ストレスをなくす事しかないけどそんなの最初からできる訳なく論外だからこれはほんっときつい。


身体の症状は今更なのでこんくらいにしとこう


そして

最近憤慨したことをまず話したくて仕方ないのだ。

わたしの母親は園児程度の知能で特養施設に入っりっぱなしだ。もう何年だろうか。いや十何年とかだよ。

最初の突然の救急搬送の連絡から始まり2年間の入院で病院通い、ゴミ屋敷の撤去、このバカ親の借入金の返済、なぜかわたしがやたら怒られた生活保護の申請、今の入居施設への手続き、全ての関わりをわたしがしてきた。

あのろくでもない姉がする訳がない。

身元引受人、保証人、緊急時全てわたしだ。

それを3年前に自分が寝たきりになったからなんとか叔母とかを経由したり施設長にもお願いして姉にしてもらった。

した。と言っても毎月くる利用明細兼請求書兼領収書みたいなのが郵便で届くのを姉のところにしただけ。後はなんかあったら(1度もなんもない)1番の連絡先を姉に変更。ってだけだ。


そ、れ、が。

叔母の家で去年の秋からいろいろ大変だった。唯一父親とは会わないのに叔母(父親の妹)はわたしと仲良しである。

その叔母の旦那さんが突如病気の嵐になった。ずっと糖尿病だったけど、なんか調子が悪くて診てもらったら肝臓にガンがあって、かなりの大きさで市内のデカイ病院でも難しいらしく、ちょいと有名な医大から外科医が執刀にくるレベル。

入院中血糖を安定させたり他の検査もしていくうちに大腸ガンもわかった。どっちも単発だから取り除けばなんとか大丈夫だ。

叔母はうろたえる。かなりパニックだ。肝臓ガンがわかった時点でひどくパニッてたから入院するときの手続きも医者の病状説明とかも全部お願いだから聞いて。と言われてその都度同席していた。

ちょうど肺がおかしい時で(肺と知らなかったけど)左上半身の激痛からたまに意識不明になりながらなんとか立ち会っていた。

でも、おかげでガンにはとても詳しくなった。

ステージや部位によっては抗がん剤はつかえないとか、深さのレベルで放射線治療の必要かどうかとか。

叔母は全く覚えられない。小さい声で、はい。はい。しか言わない。なのでわたしが質問や治療の流れ、手術法など色んなことを聞きながら考えつく範囲で疑問係をしてそれを帰ってから書いてわたす。とゆうシステムだ。

そんなこともあり、叔母の家とはその頃よく関わっていた。

姉の話はお互い暗黙のタブーになっている。

でもふとしたある日、姉の居どころが不明な話になった。

そのときはふーん。だったんだけど、つい最近母の日ムード満載の世の中になってて気づいた事がある、


あ、その前に書いたかわからないけど、話を少し脱線します。

わたしが気胸で手術した時叔母だけは知っている。

なんせわたしが緊急で入院した日と同日に叔父が退院したからだ。

お迎えに行けないことや、しばらく音信不通で困ることがあってはお互い心配になる。

誰にも言わないでくれと言ったが、万一なんかあって自分だけ知っていた。とかになるのは嫌なのか単純に叔母は良かれと思ったのか、父親に言ってしまった。イコール馬鹿姉も知ることになる。

いまだに父親と姉は繋がっている。

姉は一人では生きていけないからすぐに父親にすがって生きてきているのはずっと知っている。


手術の前日、執刀医に呼ばれたとき身元引受人も立会いもだれもいないことを伝えてあった。

術中なにかあったら連絡できる成人の方が本当は家族控え室にいてほしい。術後説明もあるので。と言われたが、居ないものはいない。

なんかあっても勝手にしてください。あと副院長とか色々しってるからきっと大丈夫です。と適当な事を言って納得してもらった。

他にも術前に本当はいまもこの手術の説明を誰か一緒に聞いていただきたいし、署名もしてほしいのがあります。と言われたけど、これまた居ないものは居ない。

架空の人物でもいいのかな?と言ったら苦笑いして諦めていた。

なんかあってもちゃんと遺言もあるし、こうなる事以前から身辺はだいたいきれいにしてるから大丈夫だからー。

ここはUCと同じ病院だから、なんかわからなかったらとりあえず副院長に聞いてください。UCで入院する時も全然書類とか提出してないの主治医は知っているから。


そんなやりとりで何とか切り抜けたのに、とても気分を損ねてくれることをする。

叔母は善意で話したんだろうけど、術後何日もせずに父親が来た。しかもカテーテルがとれるかとれないかくらいの時。

年末なので大部屋だけど叔母、父親、わたし。それしかいなかった。

こっちは術後また肺がしぼんで失敗に終わりまた装置に繋がれた人になってて凹んでんだよ

いい加減にしてくれ。とおもう。

叔母にはわたしと両親の間に深い溝があるのはどの程度なところまでかは分からなかったんだろうけど、わたしが父親と話すとロクなことにならないのよ?……


父親の最初のご挨拶。

なーにやってんだよこんな年越しに

という。

もう帰っていいよ。

と秒で思った。

仕方ないんだよ。わからなかったんだから。で、何を言いたいんだよ。来て早々。

というと。とっても耳を疑うが、

おまえはなぁー親や姉ちゃんと仲良くしないからよー。

……

光の速さでキレたわ。

はぁ?何言ってんだよ。肺と何の関係があるんだ。あんたは家にいなくてなんにも知らなかったんだろうけどあの2人に小さい頃から今までどんだけ酷い目に合わされてどんだけの病気にまでなったと思ってんだよ。

どうせ姉ちゃんから都合のいいようにしか聞いてないと思うし、一緒になってあーでもこーでもないとかいちいち訂正する気もなかったわ!

と、言った。


あの当時お前たちが出てってからどんな事になったか父さんわからんって。

何でそしたらこっちに帰って来んのよ?

と言う。

バカだよバカだよあーバカだよ。


あんたいないでしょ?あの家にもいなかったし、すぐへんてこなババァと住んでたでしょ!全く何目線で言ってんだかマジで頭おかしくなるんだけど。

そしたら。

父さんのせいじゃないだろう!あの女が男作ってやりたい放題で出て行ったんだぞ!

父さんがどれだけあの女ぶっ殺してやろうかと思ったかわからんだろ!


もうだめだ。とてもこれはお見舞いではない。大ゲンカである。それになぜに逆ぎれなのだ。

しかも術後まだ全然息が出来ない病人が必死に怒鳴るという光景になった。

一応子供と言う立場のわたしに母親をあの女という名称を使うことで既にこいつも終わっている。

叔母はやってしまった感丸出しで丸椅子に自分ももっと丸くなって固まってしまった。間に入ってなんにも言えるような状況ではない。とても迫力のある映像だ。


とりあえず、おまえは何しに来たんだよ。ここは今人はいないけど病院なんだよ。昔の文句とぶっ殺しに行くならここじゃなく施設に行ってくれ。

と言った。

もうこの辺りでわたしは呼吸困難である。

こんなバカと話して頭に血も登って精神的にもまともにいれない。

そう。わたしはこの父親と話すととてもべらんめいな口調にどんどんなるのが嫌なのだ。

こいつは話し方がもともと色んな土地にいたり浜言葉なのか、どこぞかの訛りなのか知らないがわたしの嫌いなべらんめい口調になるから仕方ない。

とにかく帰って。肺が死ぬから。と言った。


で。最後のいらん捨て台詞

おまえが思ってるより姉ちゃんはなぁすごく心配してんだぞ。

顔見せには行けなくて、この病院の周りに車を止めてみたり、ぐるぐるまわって見てって帰ったんだって言ってたぞ?

だってさ。

なんなの?この生き物。

それはそれはありがとうございます。と私がいうの?それ言わせたくて来たの?

叔母が見兼ねてもうそろそろおいとましないと、身体辛そう。と言ってくれた。

いやいやほんと早くおいとまして。

その後何にも話してない。あれはなんの日だったんだ。と今でもおもう。

そのあとしばらくして、叔母はごめんね。

あんなにわからないひとだとは思わなかったよ。言ってることめちゃくちゃ


だって。叔母は特にいいのだ。それが叔母の天然の特徴なのだ。

普通に暮らしている人に私達のキテレツ関係は理解できる訳がない。


それで最近になって、施設にはちゃんと新しい居どころは言ってるのか?

施設で郵便物など戻ってきて困ってないのかな?

という問題が発生したのだ。

そうおもって施設に連絡したら、やっぱり住所の変更など聞いてないという。

叔母にすぐ連絡していつ頃から行方がわからないの?と聞いたらそろそろ一年?とか言ってる。


郵便物は1年間しか新しいところに行かないではないか。

仕方ないのでまたわたしが母親のやつを全部することになった。

身内の問題は施設に関係ないから迷惑はかけれない。

また施設長と書面のすり合わせなどをした。老人ホームから特養に会社の形態が変わったので最初交わした契約書が古すぎるからだ。

とりあえず保証人関係は最初の契約のままわたしになってるからとくに変えることもないけど、もう要らない契約書(いろんな契約書が膨大にある)をこれは要る要らないをやった。

あー疲れた。

それが最近ふと湧いたしばらくぶりの母親登場で憤慨したことです。

まぁ本人に会ってはいないけど

施設長はわたしの友人だ。だから全部親子関係はしっている。なので自然と話す内容は結構フラッシュバックしてしまうのだ。

現在はほぼ車椅子(右半身麻痺と強い言語障害、高次機能障害)だけど、もりもりご飯を食べてわたしより長生きするだろう。

わたしが死んだらここにも迷惑をかけないようにしとかないとならない場所である。


あと母の日をまっていたこと。

もう一つこの日にやっつけてやりたい人がいた。これも前回書いている。

人はとても脆く危うい。

何がきっかけで一瞬にして人生が変わるかも計り知れない。

ただ何気ない他人のたった一言でも

その後ずっと苦め悩み心を閉ざしてしまう。夢も希望も捨ててじぶんを見失いそうになる。


誰かを故意に傷つけることをわたしは許さない。

年齢も、肩書きも、性別も関係ない。

それをわざわざ母の日ギフトにしてあげよう。

誰かさんのお母さんをわたしは成敗しなくてはだめだ。

わたし以外にもこの先嫌な思いをする人が出ないように。


実行してみて、いとも簡単に壊れて行く。

弁解などまったくない。ぐうの音も出ない。許してほしいなど到底思いません

だった。

この先自分の人生はとっても長いと思っているようなのでどうぞ頑張って生きてください。

わたしは暴力や怒りで成敗はしない。

どれだけじぶんが愚かで恥ずかしい生物かをヤメテー!と耳を塞いで悲鳴をあげたくなるほど認識させる。

とびきりの溢れる優しさで成敗してあげるんだ。


そして病院行くなら紹介してあげるんだ。



話はまたまた題名に戻り、娘ちゃんについてはあれから帯状疱疹も良くなってはいてもお腹の具合が良くならない。

娘ちゃんもお腹が弱いけど、まだわたしよりマシ。

症状も違うのでわたしにはわからないから病院には小学校高学年から行ったけど、なんかあんまりピンと来ないな。と思って違うところに行ってた。中学の時もそこ。過敏性腸症候群(わたしが誤診されたやつ)って事でそので薬をもらってた。調子悪いときは飲む。そしたら治る。

それが今回なかなか治らん。

娘ちゃんもイラつく

その気持ちはとても分かります


娘ちゃんが通っていた内科は、わたしが今行ってる大きい病院の前に昔から通ってたところだ。

ここの院長先生はとても有名で看護師さんは勤続30年とかザラにいる。院長先生がしっかりした人だから看護師さんは看護師協会?みたいな勉強会にも出席するし、わたしの友人もここの看護師で25年以上いる。

わたしがまだ学生の頃にここですでに看護師で会っている。


そして院長先生がかなり悩んだ結果、

よし!〇〇の所行くか!と言った。

〇〇とはわたしの難病の病院で診てくれてる主治医の下の名前だ。

実はわたしの主治医はここの院長先生の大学の後輩で今でもかなり仲良しである。

夫婦揃っての家族ぐるみの仲良しらしく花見とかもするし良く食事もするらしい。


娘ちゃんの付き添いで来るとき、あまり混んでないとたまにわたしの世間話をする。わたしが今難病でその先生に診て貰っていることは知っているから調子どうだい?あいつに任せとけば大丈夫だ!とか言ってくれる。

わたしの友人の看護師も、ウチの院長が呼んでたまにここの患者さんの内視鏡してもらう事あるんだよねー。でもわたし達は大変なんだからー!

すごい怖いし少しでももたついたから怒鳴るし!

と、わたしの知らない一面を教えてくれる。


えー?すごい優しいよー!診台に上がるとき靴とか脱げなくてもたついてたら、全くーとか言って脱がせてくれるし。一緒に写メとか撮るし、めっちゃわたしのくだらない話とかも聞いてくれるし。


と話すと、あー患者さんをほんとに大切にするからねー。だからわたし達が助手で入ってる時にもたもたすると患者さんの身体の負担になるから怒鳴るんだよね!


あーそうなの?

ほんといいやつだったんだね。と、改めて思う。


院長先生は結構お歳だ。で、後輩はみーんな有名な医師になってんのになーとか言ってる。

ここも有名だけど、入院施設のない個人病院だ。

わたしの主治医はデカイ病院の副院長とかだ。

それでもこの院長先生を尊敬して慕っていて何かあれば飛んでくるようなお付き合いをしているみたいだ。

看護師の友人から〇〇先生の奥さんね、めっちゃ料理凄いから!

もう料亭か?って感じなの!

ウチの院長の家に遊びにくる時大量に持ってくるから、わたし達にもおすそ分けくるんだよねー‼︎ほんと凄いんだからー。

と、いろんな裏話を聞ける。


そして、その日のうちに娘ちゃんに〇〇のところ行っといでー!って言って紹介状を書いてくれました。

その足で行っていいからねー!

だって。


娘ちゃんはうろたえる。

当たり前だ。

突然のことである。

行って何すんだよ?

って顔をしている。


多分今日は症状とか聞いて出来る範囲の血液検査とか改めて必要な検査の説明とかするんじゃないかな!

って言って病院に向かった。


つづく。



Tsuioku kana16 『わたしと娘ちゃんその3』

本題に入る前にいやぁーいま頃やるのかよ?

と一人でぐちぐち言ってた事を書きます。

とてもくだらないからなるべく手短にしますね。


今やってる医療系のドラマで前回の話にバンドでギター弾きの若い女の子が肩が痛いと病院にきました。

で、レントゲンを撮ってもなんも異常なし。

医者は様子見ましょう。

だったのが、近くライブがあり、それまでに良くなるの?わたし。みたくなって、そんで放射線技師とやらが心配していてなんか様子が気になる。とかいう話。

肩が痛いと言ってるけどすれ違ったとき背中の方までさすっていた。ってなって、それで、医者の反対を押し切り(いつも医者のいうことを聞かないで勝手な事をする人たちのはなし。)レントゲン技師がその子をもう少し検査したいと強引にやるのだ。

で、肩じゃなくちょっと広範囲で撮影したら気胸だった。っていうやつ。

で、ドラマの医者も、気胸は急に胸が苦しくなって呼吸出来ずにすぐわかることが多いけれど確かに肩や背中の痛みから来る人もいるのにそこまで考え付きませんでした。

とか言って、この子は黒い影が少しって言ってたからそんなに重症じゃなかったのか、すぐに検査してもらえてわかったからか医者に、

ドレナージ法だけで治ります。

23日から1週間でよくなるよ!ライブには間に合うよ!

良かった良かった。

だった。


このドラマは窪田正孝が出てるからきっと見たので2シーズンくらい前にやって欲しかった。


わたしは10月から肩と背中が痛いのも、骨の方まで痛い感じだったから、ばかみたいに思いっきり硬い棒で叩くと楽になる法などをあみだして凌いでいた。今考えるととても恐ろしい事をしている。

ドラマの中のセリフでも肩が痛い。で気胸だとはなかなかたどり着けません。とか言ってたけどさぁわたしはなんかいつもあちこち痛いからUCの主治医ももうどうでもいいと思ったのか、しばらく様子見て治らなかったら整形外科にまわすよーとか言われその時レントゲンさえ撮られずにいた。

肩痛い、背中痛い、肋骨痛い

とかで検索しても全く気胸の気の字もでない。2か月の間何度いろんなキーワードで検索したかわからん。

気胸がわかれば気胸で検索すると肩などが痛いという人がいる。

と出る。もっとネットもちゃんと頭良くなって対応しといて。

おかげで長いことがまんしてあんなことになったんだけど、ほんとにとにかく運の問題なのか知らないが、当たりたいやつに当たらないで、当たりたくないやつに当たるし、時期ももう少し遅かったら、早かったらが悪い時期に方のやつの人になる。

という話。


あと、予定通り53日に精神的な方での訪問看護さんがきました。

今後週2190分お話します。

前に少し話しましたがこの所長さんも自身で抱えてきた問題、そして息子さんも同じだということ。


初めての日、わたしはじぶんの事をやっぱり深くまでは話さなし、笑いありで話してしまう。

あと今はもう筆談などはしないが、向こうに話せさせてしまう癖がとれない。

ある程度時間もたち、慣れてきてから、わたしの事は苦しめているものをメモかよ?という感じで並べるように話すかんじ。

看護師さんだからバイタルチェックもしてくれるし、気胸のままらしいから色々気にしてくれる。


まぁ、結論。どうすることもできないのばかりだ。

これからだと思おう。話しを続けていって色々変わって行くだろう。

そしてきっとわたしも多少なりとも気持ちが救われていくとおもう。

この夜、わたしはLINEで本日は初日ありがとうございました。の文を送った。

所長さんからは、


「私には〇〇さんがどれ程のものを抱えているかまだまだわかっていませんが、私なりにその重荷を軽くする方法をお伝えできればと思っています。

今日は初日という事もありどんな方かな。と思いならがおはなし出来ました。

わたしが勝手に思った事ですが、あなたはご自分では全く気付いていないみたいですが、アドラー心理学を自然に身についたことをしているな。とおもいました。

わたしはアドラー心理学も学び、それを今関わっていただけてる利用者さんには使わせてもらう事があります。

では、今度またゆっくりお話しできたら、と思います。」

と、お返事がきた。


アドラー心理学という言葉すら知らなかったから意味もわからずとてもビックリしたので得意の調べるひとになったけど、なんせ哲学?っていうの?こうゆうのは理解できない事がとても多い。

勘と閃きオンナだからダメだ。そうゆうの右脳タイプだっけ?

これは所長さんが自分で感じたこと。

で特にいいや。



ただわたしの話からはとても脱線するが、前回来た時に所長さんも苦しんできていたという発達障害について最初に来た時いろいろ聞いていた。

少し前の記事でろくでもないいちゃもんをつけて来てオカーさんに言いますよ!

ケーサツ呼びますよ?

のやつの人について。


わたしがとてもいやぁー疲れました的に話しが始まったけど、じぶんなりには本当にかなり忍耐強く接してきたつもりだった。

でも、捻じ曲がった感情に支配されて暴言や人の心を踏み潰してじぶんをコントロール出来ないとなるともうお手上げだった。

この頃はわたしはほかにも大事な事を抱えていてとても疲れていたのもある。

そんな話をした。


来るものはどんなものも拒まない。

去るものも追わない。


それはずっと変わらないつもりだったけれど、間違いや、考えればすぐにわかるような被害妄想も自分の頭にこびり付いて囚われてしまったら、彼はもうわたしの話したいことを全く理解してもらえないからとても攻撃してくるし会話にならない。

同じことを何回も何回も違うんだよ、そうゆう意味じゃないよと言って、疲れてしまったしそれでは彼には意味がないと思ったし、彼にとってもずっとアドレナリンが出続けてて良い事ではない。

そう思ってこの人からは逃げたくなった。


所長さんには詳しいやりとりは話してはいないが何年にもわたってこんな感じの人とやりとりした結果わたしも嫌な思いをしたし、とても残念なことになった、

と言った。


わたしは大人のADHDとアスペルガーと自閉症スペクトラムのどの部分が一番厄介で当てはあるのか結局はわからなかったんだと思う。

発達障害は総称だ。とても複雑で訳がわからん。


こんな感じの人(彼の特徴)には何をすべきだったんですかね。と聞いた。


所長さんは、薬はありません。病院も必要ありません。

なぜなら彼を治す。変える。はしてはいけないから。

先天的なものにはもう周りのサポートのみです。

家族、恋人、会社で信頼をおける話せる方。そんな周知の中でより彼が生きやすくストレスを溜めずに過ごせるかだけです。


そうなんだ。

わたしはあの時一緒になって、怒りをぶつけた。あまりにもわからないからお前はほんとのバカなのか?まで言っている。

所長さんの話から、わたしが生半可に関わること自体がおこがましかった。

普通の状態の人びとの社会の中でさえ、じぶんの考えを押し付けたり、じぶんが正しい人間だと思い込んで他人にこうした方がいい、こうしなきゃダメだなどというのは恐ろしい洗脳ではないか。とても愚かで醜い話である。

みんな自分自身については自分の生きてきた道があり、それで身に付いたやりかた、考えがあり、それでこころ穏やかに過ごせる工夫をしているもの。

それだけだ。

わたしなど親でもない。ただ向こうがある日近寄ってきた他人のひと。

ただ慣れない土地で色々な場所やご当地あるあるを教えたり、最初の家が欠陥物件だったので転居した時は各種届け出、変更、業者への伝達などが出来ない事が多いので代行したりしただけ。

いくら初めての一人暮らしではあるが、最初のところに引っ越してきた経験はあるのになんにもわからないのが不思議だったけど、この地に行きたい。だけは彼が決めて、アパートをお父さんが遠く離れた自宅から不動産屋のネット物件で探し、彼の自宅の荷物さえ物が多すぎて訳も分からない状態だからそのまま全部荷造りもし、引っ越し手続きまですべてやったらしい。彼は先に学校が始まるのでこちらに来なくてはならなかったからお父さんが必死に探して荷物を入れ終わるまで、1か月もの間ビジネスホテルに泊まって学校に通っていた。

だからだったんだ。2030とか若い年齢でもないのに何にもできないし分からない

とんでもなくぶっ飛んでるな



わたしが彼にとった行動は彼を余計に追い詰め、意味も理解出来ないのに過剰なストレスを与えただけに過ぎなかった。


逃げ出したことは、今まであんまり感じたことのない、もやつく感情になった。

そしてわたしが彼を傷つけてしまったんだなぁ



そんな中ちょうど一ヶ月が経った4月の終わりに彼から電話がきた。

所長さんからそんな話を聞いて10日くらい経った頃だ。

聞かなかったら当然わたしは無視しただろう。ただわたしの中の自分を許せない何かがあったから電話に出た。


とても泣いて何を言ってるのかわからなかった。

寂しい寂しいと泣いている。

わたしは正直に気持ちを伝えた。


何もわかってあげられなかった、

ごめんね。わたしがあなたの特性を一番ここでは知っていたのにあたまがおかしくなるくらい辛い気持ちにさせて、お互いにただ傷をどれだけ多くつけてやるか。

そんなだった。

わたしなんかには支えるとか寄り添うなど、とてもおこがましくて言うつもりはない。

この土地にはあなたの深層部分を知るひとはいない。こんなにも生きているのが厳しいのなら地元に帰ってご実家のみなさんやたくさんの方が周りにいる地元でサポートしてもらってほしい。


と言った。


彼は

親も兄弟もきっとじぶんがここまで酷いとかおかしいとわかっていない。

じぶんもわかってなかった。

じぶんはとても精神的に強いと勘違いしていた。怖いものなどなかった。ずれていただけだった

だけどそれをするとどうなるか。がわからなかっただけの精神的にとても弱い人間なんだと初めてわかりました。

ごめんなさい。

だからまたじぶんの側にいて欲しいです。必要な人なんです。と謝りと気持ちを伝えてきた。


これはまたわたしを悩ます。

わたしももう辛い、病気のひとなのはわかっていても人の気持ちがわからない特性のためとても嫌な思いや困ることをされる。

こっちが先に参ってしまう

ちょっと距離を置いてやすむ。

そうしないと完全に共倒れになるだろう。


はい。では。

娘ちゃんの事もどんどんこの場で話せるようになり、そろそろ核心をつく事。言いたい事も書いていけそうです。


Tsuioku kana2Tsuioku kana3の間が少し空きました。そのときに今の今になってコレかよ。とわたしの精神に核爆弾を投下されるほどに破壊していただける出来事のオンパレードでした。


2018.9.3にわたしの脳みそが一度死んでます。

わたしは自由です。

わたしは自由ではありません。

になった日。

そして、死んでも苦しむねぇということがおきた日。


まぁ、わたしが苦しむ事はカミングアウトしたからわかると思いますがじぶんのことではなんにもない。じぶんに興味ない。明日の昼ころ死にますよ。と言われてもきっと平気な人だ。

普通に寝て(不眠症だけど。)朝同じ時間に体組成計にのるだろう。

死ぬ日の今日も体内年齢28歳のままだ!やったー!って感じだろう。

この出来事がわかる前のじぶんならね。

そして予定通り、じゃあねー!ばいばーい!って逝く。


でもここに来てわたしの人生設計をとんでもなく変えなくてはならなくなったので仕方ない。


手始めに、去年2018年の7月末頃からなぜか娘ちゃんがとても不調だ。


まず。お腹にプツプツとあせもみたいなのが出てきて、なんだろーってなって、薬を何日か塗っても治らずどんどん広がる。

で、風邪をその前からよく引くようになっていてなんか抵抗力弱った?ってなった。

季節の変わり目からだったからずっと風邪とお腹の調子が悪かったりでほんと字のごとく不調。の娘ちゃんである。


これはなんかあせもではない。


と思って皮膚科に行ったら帯状疱疹です。

と言われた。

それってこんな若い子なるやつだった?とか思ったけど、水ぼうそうの経験があって体力低下でなります。って言われた。

水ぼうそうをまともに2歳になる前くらいにかかった。

これはとてもムカついたのではっきり覚えている。

チビのこの時期とかめっちゃ予防接種が多い。しかも三回打つやつとかポリオ飲むやつとかそうゆう日にちが決まってる以外で打てる時期を計算して合間合間に麻疹風疹の予防接種やおたふくもやったりしてとにかく予防接種スケジュール帳がいるくらいだった気がする

で、もちろん水ぼうそうも予防接種しようとしていた。

で、も!

ドラッグストアに買い物に行ったら(娘ちゃんももちろんいつでも一緒)なーんか遠くに顔がプツプツした女の子がいる。


これは!と思ってその子から遠いところにいた。

で、そのひとたちが帰ったから、しばらくしてレジしたんだけど、そのレジの空気中でミスボー菌がいたぽい。

とんでもなく恐ろしい感染力だ。

それから潜伏期間もしっかり合致していてかかってしまった。

すげームカついた。


そのときもムカついたが今回水ぼうそうをしていなかったら帯状疱疹はならないことを聞いてまた凹んだ。

若い子はお年寄りより痛みはあまりないと言われて、23週間飲み薬、そして診てもらっていいよーってなるまで塗り薬。

結局夏休み中ずっと帯状疱疹のことばかりの娘ちゃんだった。


これはこの先もなるから体力使いすぎで疲れたらポチって出てきたら帯状疱疹を疑って行かないとならない。

放置では治らないから病院に行かないとだめだから覚えておく事。になった。


こんなのマジで手始めの赤ちゃんレベルだ。

その後から現在に近付くまでどんだけのペースで書くかわかりませんが娘ちゃんに巻き起こること、その様子、そしてわたしの様子や気持ちを載せて行きたいとおもいます。



あと、本日は母の日だ。

もちろん母親に何か。などない。

でも、ちょうどこの数日前から母親に関わる問題がありとても憤慨している。


それともう一つ、何日経っても思い出してはわたしを苦しめる事をいわれた人をこの日に成敗してしまいたい。という事がある。

それもまた書ける時かきます。



皆さんは穏やかに、仮面なのか、ほんとに好きなのか知らないけど、良き母の日をお過ごし下さい。

Tsuioku kana15 『わたしと娘ちゃんその2』

娘ちゃんはわたしがブログを書いてることは最初の頃から知っている。

書いてるのはじぶんのことだけー!って言ってきてて、たまに娘ちゃんと関わった人や知ってる人のはなしがあると強烈なところは端折って読んで聞かせていた。

いつも笑い転げる。

めっちゃ面白そう!読みたい!

と何度も言われてきたけど、今までの内容がなんせコレだ。

衝撃でアタマがおかしくなってはいけない。

なので、娘ちゃんが20歳になってからか、わたしが死んだら読んでいいよ!としている。

じぶんが産まれたあと、記憶がいまもある頃からのじぶんやわたしの生活環境ついては大体の事は覚えているので読んできかせると、あー!あのときやっぱりー!とか納得してくれる。


つい最近、自分の話。って事に決めてたから絶対書かないと思っていたんだけどさぁー、なんか書きたいと突然思ったからキミが出てきてるんだよ!

と言ったらもっと興味を持ったので前の2話は大体の部分を読んであげた。


大笑いして、そして?そして?と言って喜ぶ。自分のバカっぽいやつとかには、しんどーい!とまた大笑いする。

まぁ特定はされないから。だいじょぶ!

と言ってある。


で、あーでもなんかわかるよ。書くつもりじゃなかったけど、わたし(ずっとわたしにしてるけど、娘ちゃんはじぶんのことを名前でいう。)が出ないと話がおかしな事になるんだろうねー。と、理解してくれた。

まぁね。そうなんだよねーこの先のことが一番書き留めておきたいんだよねー。

と言っといた。


とにかく早く読みたいらしい。

娘ちゃんとは普段からお互い暇な時カフェに行ったりドライブしたりする。

それをツイッターやインスタにあげたりするから、これも間違っても載せるなよ。

とは、おもう。


最近はかなりのペースで家の中のものを片付けたり捨てているので懐かし系とかに手が止まるから娘ちゃんも尚更いよいよお互い旅立ちの日が近いなーと思いにふける。

わたしのはほとんどが捨て。でいい。

あと、この家の中の白物、黒物家電はだいたいのものを全部そっちにあげる。といってある。揃えるのは最初からは大変だから。

あとは娘ちゃんの押入れは凄いことになっている。

なんせフィルムで貼るゴツいアルバムが一体何冊あるんだよ。

ってくらいある。

娘ちゃんの産まれた時から今現在までのだ。

スタジオで撮った100日とか一歳とか七五三か入園、入学などの台紙がちゃんとした写真館のものや、かなり大きなパネルみたいなのもある。

他にも幼稚園、小学校、中学校、高校の今現在までの教科書やノート、学校からのプリントも全てまとめてとってある。

給食だよりとか、きっと大人になったらなんつうものを食べてる時代だよと面白いとおもうだろうとか。そんな理由。

あと、保育園、幼稚園、中学校の制服等一式。

でも幼稚園の時の工作はどうなのかな?と思うものが非常に多い。ただ折り紙を丸めたものとかだ。ゴミにしか見えない。


娘ちゃんにはこの家自体お互い引っ越すから無くなるし、ご存知わたしには実家はない。

だから、自分の小さい頃のものとか大切なものを持って行ってもらわないとならない。

お雛様もガラスケースのだけど、自分の身代わりさんだから持って行かせて必ず毎年出してあげないとね。

わたしは娘ちゃんのものは本当に大切なのしか手元に置かない。わたしが死んだらわかるようにしておくのでその時にそれらは自分で持っているといい。

娘ちゃんは年内にその大量のゴミみたいのも含めた思い出の品を分別しなくてはならない。

これは、介護のヘルパーさんにも手伝ってもらえるのでなんとか進めていこう。



話しにもどります。


離婚後すぐにわたしは着々と準備を進めていた事業をはじめた。

娘ちゃんについては戸籍上もちろんわたしが親権を持っているが、ヤツがとにかくわたし並みの奇天烈人間なのでお金をかけて裁判所で娘ちゃんはむこうからの除籍までしている。

なんかあって娘ちゃんのところに面倒なのが来たら困るからね。


食品衛生法により自宅での製造は保健所の許可がおりないので、一戸建てを借り、基準に合わせた内装工事をした。

この頃の事は前々から記事にも書いている。


自分一人で出来る範囲でする。

って決めていたので宣伝も何もない。

店舗でもないから来るお客さんもいない。

知り合いだけ。から始まって、口コミのみ。

最初の保健所の許可がおりるまでは審査を受けるのにこれはこうするとかすごく細いわ。とか思ったけど、始まってからは楽しくて仕方ない。


たまに娘ちゃんもきていた。

作業場には立ち入り禁止だが、戸建なので仮眠室もあるし、応接室兼事務所もあるし、二階部分は仕切りを全部取っ払ったのでとても広い。もともととても大きな家だった。

裏には公園があったので娘ちゃんは色々と探検もしていた。

隣に住んでいた謎の老人さんだけは気をつけるのだ。と言っとく。なんせ何時ぞやのかわからないサーターアンダギーをくれるからだ。


そんな娘ちゃんも中学に入るととても忙しい人間になったけどね。

わたしは自宅と工房を行き来する日々。

身体がどんどん蝕んでいるのは忙しさの中での疲労なんだと自分ではもう区別もなつかなくなっていた。

どんどん忙しくなる。

小売はないが予期せぬ受注がやってくることもある。わたしは自分の仕事に対しては完全なるイエスマンだった。

何年かすると身体は言う事をきかないまま精神力だけでやりすごした。

そして三年前身体が全く動かなくなってしまった。

その年に難病もわかり、落ちついたころ、このブログを書き始めたのだ。


半年近く寝込んだ話をした頃。

その春は娘ちゃんの中学の卒業式、高校の入学式もあった。

前の年の高校の入試に関する時はなんとかまだまともにいれた。


真面目、ランクもクリア、部活などで築き上げてきたもの、そんな娘ちゃんは推薦でしか入れない専門学科の高校に、まずは10月の校内推薦も通り、あとは一般入試より一足早く推薦入試がある。倍率の高い学科だったのでひたすら進路指導の先生と練習をしてその時を待つだけだった。

年が明けて2月。面接と作文だけの入試だったがそれもなんとか合格した。

やっとこれで娘ちゃんの方向性も決まってきた。


これまたわたしの独りよがりの教育方針だけど、娘ちゃんが中3のとき15歳の誕生日を迎えたあと、わたしの思いを話した。

15歳になり、中学を卒業するともう義務教育は終わる。そのあと学校に行く人もいるし働く人もいて自由だ。じぶんで将来を考え、進む道を決めてください。

あと、犯罪ももう子供だからと軽罰にはならないよ。

と、いうやつと、

高校に入ってすぐに話したのは、18歳になって高校を卒業したら家を出て一人暮らしをすること。

だ。

娘ちゃんはわたしに言われなくても高校に入ってすぐからこの土地よりも都会で就職したいと言ってきた。行きたい地域があったし、だいたいの職種も自分の中で決まっていた。


女の子の一人暮らしは初めはとても大変かもしれない。だけど家庭を持つようになるには必ず必要なことだとわたしはずっと思っていたから是非とも頑張ってほしい。

一人暮らしもそうだが、18歳になると自分自身において全て責任をもって行動すること。

何かがあっても自分でいっぱい考えて解決して行かなくてはならないからね。


わたしはほんとうにどうにもならない絶対絶命のピンチには必ずなんとかしてあげるから。

だからやれることは自分のちからでやりぬいて。生き抜くちからをしっかり身につけてね。と言っていた。


中学の卒業式をあと少しで迎えるころわたしはほぼ寝たきりだった。


病院以外、外に出ることが無くなっていた頃は娘ちゃんも大体のことは口にしないだけで感じていただろう。

卒業式にはおむつをして行った。

蛇口をひねりっぱなしのわたしの消化器官はもう為すすべなし。


でもまだだ。まだ少し時間がはやい。

高校に入るまでは全てを打ち明けないと決めていたから。


高校に入り少しは学校にも慣れた頃の初夏、記事通りわたしはちゃんとした病院に、行ってくるわ

と、なり、娘ちゃんにも話をするときがきた。


最初の頃は工房にしか来ることを許さなかったが、この頃に一緒にいた彼はわたしの友達だということになっていたので、たまに娘ちゃんとも遊び仲間になり娘ちゃんのことが大好きだった。可愛くて可愛くて仕方なかったぽい。そのうち自宅でも遊んでいた。

今も高校から街に遊びに行きたいんだけど。と連絡をしたら喜んで迎えにくるような人だ。

外食もわたしが全然食べれないし、外に出ることもままならない。というのもあって、娘ちゃんはあれ食べたい!これ観たい!と言っては2人で出かけて行ってた。


当時娘ちゃんには辛いすがたはほとんど見せてない。ただ寝ている人。って感じだ。

痛いと叫びたい。のたうち回りたい。そんな時も娘ちゃんがいる時はじぶんに呪いをかけるようにひたすら、動いたら負け。みたいな我慢大会だ。

彼が見たお互いの涙と、記憶にない死にたいなぁと言った時、娘ちゃんはスヤスヤと眠りの中だ。

娘ちゃんは睡眠時間がいまでもとんでもなく長い。

小さなときから8時に就寝。中学で9時。そんな毎日だったので大晦日さえ年を越せないくらいに眠りが必要な子だった。


年号がこの前変わったが、お互い普通の日にしか思っていない。

テレビもあんまりわたしが見ないのと娘ちゃんはイヤホンでユーチューブばっかり見て大笑い(イヤホンでわからないのかとてもうるさくてびっくりする。)して暮らしていた。



彼とは病気が確定してすぐに別れたことは記事に載せている。

ついでにこの彼のお母さんのこともかなりクソミソに言っている。

本当にひどかったのだ。

あの時には書けなかったけれど、最初に会った頃、2人だけでカフェで話すことがあった。

場所はスタバだ。スタバはそれからどこのにも二度と行ってない。

その時にお母さんは沢山の本音を言ってきた。

もちろん可愛くて仕方ない我が息子の心配だ。

わたしのことしか書いてきてなかったが、実はわたしは、このお母さんが嫌いなのは、まだ見たこともない娘ちゃんの事を散々言われたからである。


ただでさえ彼は何個も年下なので、さぁこれから良い人見つけてもらおー!

と、母親は思うだろう。

なのに相手はこれ。(わたし)

子持ちで素性もなんだかよく分からん人。


そこからしてもうアウトなんだけどね。

てか、散々色々聞いてきたけど殆どの異性の母親は誰が相手でも気にくわない。

早く良い人見つけて欲しいわぁー。とか言っても、できたらめちゃくちゃ文句を言う。

うちの子がいいようにされてないんだろうか。

でもさぁ、どの口が言ってんだよ。

と思うけどね。


この彼のご一家は彼も含めて前の人とは一転して超ぶさいくしかいなかった。

お母さんは100キロくらいなはずだ。きっとないけど、まぁ見た目そんくらい。

で、書いたけど、とにかくなんでも思ったまんま考えずに口にするし、あんま上品な言葉遣いじゃない。ちょっと乱暴な感じだ。

男の子3人と女の子1人育ててきたから仕方ないのかな?


前の記事で書いたけど、ほんと異性の親子の歪み(ひずみ)はすごい。

まず大体のお母さんが声に出していかにじぶんの子供は素晴らしいかをうったえてくる。

心の中だけにとどめてほしい

そして自慢話が半端ない。

小さい頃なんだかをして優勝したとか、

上の子はねーとか、

いやいや兄弟の話まではいいってば!

と思うが全部言わないと気が済まない。


そして一通り聞いたけど、なんの変哲も無い話だったりする。

そして都合の悪い話しは貝のように口を閉じる。


彼からわたしについての大体の話し、離婚していて前の人とはもう会うこともない。結婚生活は苦労していたとか聞いてるんだろう。

てか。

離婚してる。って時点で人間性に問題あり。はい、人間失格。と烙印を押すようなお母さんだ。


娘ちゃんのことを言われてとても辛かったのは、

「お父さんは離婚したあとなんにもしてくれてないんでしょ?養育費とかもくれなくて、連絡もつかないような人なんだもんね?

あのねぇこんな事言いたくないけど、子供ってちゃーんと血がつながっているの。

だから、娘さんにもそのお父さんの血が流れているから気をつけなさい。」


だった。

とてもぶん殴りたい。

お前より礼儀も態度もちゃんとしとるわボケ。

血だ血だ騒ぐがそのお前の血の息子どもよりもちゃんとしとるんじゃ。


と言ってやりたかった。

すごく悔しかった。


わたしとおんなじ事を娘ちゃんまで言われちゃったな。

わたしにはあのナマハゲクソババァの血が流れてる

これも当時の記事に書いたけど、血だな!って言われた事があったけど、さすが親子だね。

でも息子は心を入れ替えて許しをひたすらこうて工房の雑草取りしておったわ。


彼のお兄さんに関してはほんとうに人間失格はお前である。と言いたい。

わたしの素性をお母さんに聞いてるのかしらないが、

「近い親族に前科のある人はいないですか?」

と言われた。

自分様はご自衛隊でございます。

なのだ。自衛隊の決まりなんだかしらないけどそうゆう親族がいるとなんかダメなんだろうか?

わからんけど、わたしの親族はそこまで悪党ではない。

ただあの当時わたしの虐待で捕まっていたら違うのか?

どちらにしても、わたしにこんな質問を、おはよう!みたいに気軽に聞いてくるやつだ。

もしあの時ありますよ?と言ってみたらどうなるのか今更だけどしりたい。


とりあえず

このお母さんも書いたか忘れたけどしっかりやっつけた。

わたしはかなりイカれたところまでたどり着くと人をいとも簡単に粉砕する。2度と元の状態になることもできないほどにやる。


お母さんにも付き合ってたときに

「病院なんか行ったこともないわたしがおかげで病院通い」

と言われている。巨デブだったがもやしみたいになっている。


娘ちゃんは今はわたしという生き物をとてもよく知っている。


みんなわからないからねー!〇〇ちゃん(わたし)は、いつもぽわんとして、何ごとにも怒りませんの。みたいにしてるけどわたしの事について怒らせたらこの人より怖い人見たことない。

バイトでやたらキレ出す人とか見るけどおかげで全然怖くないもん。

とか言う。


その通りなのです。


精神科送りにしたのは、このお母さんともう1人いる。


彼は大変だ。じぶんの母さんはとんでもなくわたしをキレさせてしまったのだ。

今現在3年経つが別れたあともいまだに娘ちゃんが大好きだ。

そしてやらかした後始末をちゃんとしている。

しっかりと落とし前をつけている。

娘ちゃんが就職するまで不憫な生活にはならないようにしてくれていて、

娘ちゃんの頼みはほぼほぼイエスだ。

そしてわたしもお母さんをやっつけた後はとくにもうどうでもいい人になるから別れても彼とは普通に話す。


ずっと毎年シリーズで欠かさず観ていたスパナチュと、ウォーキングデットと、グリム(これは終わったねーかなしいー)の海外ドラマを一緒に観てたんだけど、今は借りてきてもらって観終わったら渡す。とかしてる。


娘ちゃんがいつか結婚する話をするだけでとても熱くなってそんなの一回連れてこい!

とか言ってる。

ほんとの父さんより父さんだ。

そんなのもあと1年で娘ちゃんはきみの近くからいなくなってしまうんだ。娘ちゃんロスにでもなっておくれ。


まぁ娘ちゃんの方は言われなくても心配無いけどね。

娘ちゃんはとても強烈に慎重なのだ。

いまどき付き合うひとは結婚するひと。

とか言ってる。

お相手の希望は、

優しくて誠実な人。ちゃんとしてる人。コンビニとかの店員さんとかにも礼儀正しくできる人。お酒とタバコとギャンブルをやらない人

らしい。


ほんとにわたしと大違いすぎて恋愛話は全く話にならない。

わたしの恋愛話しを興味深く聞いてくることがあるが話してあげると宇宙人にでも遭遇したかのような顔になる。


あ。でもわたしも酒飲みとは付き合わない。

きれいな飲み方をできる人はほぼいない。

わたしと付き合うならやめてもらえるか、やめられないなら最初から付き合わない。


娘ちゃんと話すのはとても楽しい。

バイトの休憩中にムカつく事があったりするとLINEがくる。

そのやりとりはこいつは母親の言うことではないよ。というのが娘ちゃんは楽しいらしい。それでお元気になるならいいのだ。


娘ちゃんはわたしの太陽だ。

眩しすぎで涙がでる。




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