2019年06月

Tsuioku kana20 『わたしと娘ちゃんの闘病日記』

皆さんこんにちは。

今日は最初に常日頃の疑問を書いてみます。


これはなんなの。流行り言葉ですか?

これはなんでこぞってみんな使うようになったんですか?


1CEO

2、忖度


ちなみに2つともわたしは未だよく意味をしらないでいる。聞く気も調べる気もない。モヤっとなんかわかるからいいや的なやつだ。

でもみんな突然これが現れてからいつまでたっても使い続けるし、ドラマの中でもニュースでもいっつも出てきてやだ。

CEOに至ってはCOOとやらも加わってきたよ。これはcoop生協しかわたしはしらない。

かっこが良いのか?賢い感じになるのか?

わからないけど若い俳優さんが、

「待ってくださいCEO!

とか呼ぶシーンにわたしはなぜかとても恥ずかしいのだ。なんか日本人に合わないとおもう。

早めの終息を希望。


あと巷でかなり連続している虐待事件についてわたしの考えかたや意見を述べると、Tsuioku kana50くらいになるからやめとく。


くだらないはなしおわり。



令和になり、1ヶ月も過ぎ、今年も半分くらい終わろうとしている。

相変わらずわたしの体調は良くない。

舌痛症はもう治ることない。と完全に諦めた。

なので食べ物に対する執着はもはや皆無だ。

ものを食べるのさえ嫌なんだからね。

お腹が半端なくすいて胃がギューッっと振り絞るように鳴ったり、栄養不足で手が痺れたりふらつきが出てきたら無理矢理に食べる。

何でも良い。できれば一度で終われるように超高カロリーなのでいい。

そんな感じ。

美味しいもの食べたい。とかない。

もう今は食べたかったものの味も忘れた。


肺はまだ左側の痛みと、なぜか傷跡がしつこく痛い。また漏れたら息苦しさでわかるからそれまでは何にもすることないから別にいいんだけど。


とにかく自分の身体には全く興味はない。

それだけ。


精神状態の方はかなり思わしくない。

アスペルガーさんとの戦いもあったけど、まだ話してない事の苦しみにまだまだ心が解決しようとしない。

てか、どうする事もできない苦しみだからどうしようもないんだけど。

という事は、わたしはもう抗えない事実として受け入れてるんだろうか。

それによって生じている肉体的精神的な不調を生きてる限りどうにかしていく。

きっとそれだけのことなんだろう。



訪看の所長さんにもその苦しみの概要は言ったけど、深く話さない。さらっと流してしまう。

所長さんはわたしのところに来ることは自分にとってとても嬉しい事だと言う。

初めてわたしと話した時にわたしの感覚や考えに今でも衝撃的だったし、この人と話すことはとてもじぶんにとっても意味がある。と思いましたと言われた。


あ。所長さんはじぶんの発達障害からきている社会性や私生活においての現実に克服などしていない。ガチガチに今の自分を作った。

と言っていたが、いまもとても危うくて、ガチガチなんかではない。

来た時は、朝一の顔ですぐにわかる。

優れない感じだったら、どうしましたか?何かありましたか?

と聞くのが定番になっている。

すると素直に話してくる。

昨日の夜家族で何台もの携帯の手続きに行ったらとても時間がかかりました。

とても疲れてしまいました。

なのでいつも家で夜にしていること(PC漬けになるらしい)が1晩出来なかったのが、朝になっても、モヤモヤとじぶんの決まり事を狂わされた気持ちが収まらなくて

とかだ。

全く克服も別人にもなっていない。

それはわかっていたからいいのだ。

そんな事が自身の力で出来る障害ではないから。

自分の強いこだわりでやっぱり家族がだらしなかったり、家の中が汚れていたり、散らかったりしているととても苦しい。

と言う。

そして、奥様がかなりの主導権を握っているので家庭は奥様の独壇場になり、娘さんもお母さんと確執があるみたいだ。娘さんの年ではもう反抗期ではないだろう。自我が確立されているから一人の人間としてお母さんの矛盾ややり方に反発するんだとおもう。


なんでも嫁はじぶんの思う通りに全員がならないと気が済まないもので……

と家族の話をする顔がとても暗い。

そんな人が発達障害の人のパートナーとはかなりのタブーだけどよく居るな

と思う。


でも。子供がいるから仕方ないです。

といわれた。


?子供がいるからそれじゃダメなんじゃないの?とか思うけど

でたでた夫婦は揃っていた方がいい説。


所長さんの考えや奥様の考えでいまそれが最善の選択ならいいけど、子供にとってはありがた迷惑ですねー。

目の前でも奥様とやり合うと言ってましたよね?

それは見せちゃだめですよ?仮面でいれるなら、大きくなるまでなんちゃらははまだいいとしても子供の前でケンカや言い争いや恐怖心につながるようなのを見せてるの、最悪ですけど。

と言った。


おっしゃる通りなんです。ほんとにどうしていいものか。嫁は絶対に自分が一番正しい、そしてそれに従わせる

ちょっと気を遣って言った言葉でさえ、反発してその言葉には裏がある。そんな事思ってもいないくせに。

と言ってはキーッとなるんです。


ヒステリックババァかよ。めんどくせぇ家だな。じぶんの唯一の解放地帯がそんな場所じゃ橋の下の段ボールの中にいる方がマシだと思うわ。

所長さんがんばっておくれ


おはなし聞くだけでもいくらでもお聞きますし、同じ子を持つ親として、お節介かもしれないけど、なんか子供さんの方が心配というか、気持ちわかるなーとか思っちゃうし教えてくださいね。

夫婦の間でのやりとりや考え方もこうしてみたら楽じゃないですか?

とかわたしなんかでも思いついたら言いますね。

とは一応言っている。


わたしの身体的な事は解決する事など何ひとつない。

誰にも出来ない。

宇宙におまかせしておくしかないから。

ただ突然襲いかかる精神がおかしくなって予期せぬ事態をなんとかやり過ごさねばならない。




はい。ではまたかなり時を遡って娘ちゃんの続き


娘ちゃんは修学旅行から無事に帰ってきました。

めっちゃ疲れてたけど、とても良い顔をしてる。顔面血の気なく真っ白だけどね。

わたしにはお土産に京都で扇子を買ってきてくれました。

また来年の夏は浴衣を着るでしょー?

なんのでも合わせれるやつにした!

ととてもシンプルでかっこいいやつくれた。

帯にぶっ刺しとくだけでも高そうだから勿体なくて使えないよー


娘ちゃんはディズニーでウサギちゃんの耳みたいなキャラクターのやつなんだ?なんだっけあれ?

「おーい娘ちゃーん!ん?」

あーはいはい

ステラ・ルーちゃんね。

ルーちゃんの耳ついたヘアバンドみたいなの。と、そのぬいぐるみだ。

たいそうお気に召されたらしい。


娘ちゃんはぬいぐるみ大好きだ。お姫様ベッド(白くて柵とか雰囲気が)にはじぶんは半分くらいしか寝る場所が使えないほどぬいぐるみで埋もれて眠る。

部屋の中全部がお花畑みたいだ。

可愛いものが大好きなのだ。


わたしと大違いだ。

ぬいぐるみなど嫌いだ。

一人暮らしをしている時に無駄なものが全くないので年寄りの家かよ。と言われていた。と、記事にも書いたくらいだ。


あとハリポタのお菓子のお店のはなし。

(なんだかよくわからん

新幹線からなのにばっちり写った富士山。

あとかなり前からはまりまくっている防弾少年団のなんだかがある東京の新大久保とやらのはなし。

泊まったホテルの部屋が素晴らしくゴージャスだったこと。

向こうに行ってるあいだでもちょいちょいLINEはきて色々教えてくれたけど、帰ってからも話すことがとてもある。書ききれないほどいろいろ話してくれた。

そしてお腹も大丈夫だったみたいだ。


嫌な思いはきっと何回かしただろうけど、楽しいが大きいみたい。

心配だった足も普段は白とピンクのプレイボーイのハイカットのスニーカーだけど、無難にナイキの歩きやすいやつにしたのもよかったみたい。


蜂窩織炎は黒くなった皮膚が時間の経過で皮が剥けてきておわりだ。

そして帰って少し経ったくらいにUCの受診日にしてたのでそれも行って問題なし!


やっとひと段落した。

おつかれさま娘ちゃん。

ほんとに頑張った。よかったよかった。


やっと普通の生活に戻った娘ちゃんだ。

お腹が痛くないという期間がこんなに長くない事が素晴らしく天国らしい。


これからは無理は絶対しない。

人に迷惑かけることになるのがわかった。

じぶんも我慢するとかしたら、ろくなことにならいのがわかった。なんてバカだったんだ。

と、じぶんを戒めている。



わたし。

わたしはその頃Tsuioku kana4のはなしの前半部分だ。謎の痛みに毎日を過ごしていた。

そして去年の暮れにそれが何かがやっとわかったのだ。

肺の気胸でこんなに長く入院した人いるのかよ。とおもう。しかも一旦退院して23日後にやっぱりダメで3日くらいまた術後経過で再入院したし。


心も身体ももう限界だ。

限界って知らないけどこれを限界にしたい。


1月も中すぎて終わるころの3日間の入院後、家に帰ってもなーんにもできないから置物のようにいた。

Tsuioku kana7の後半あたりのところ。


で。置物が置物になってはいられないことがおきた。

そうです。かけるかわからないなーってずっと思っていた事がこの辺から


さて。書いてみっか。




退院後3日経ったその夜に娘ちゃんがもじもじしてる。

なんだろうか。


ねぇねぇ、これなんだとおもう?

こっちも!これも!


見ると、両足(特に左側。蜂窩織炎だったのは右側)膝下足首付近に虫刺されみたいに真ん中が赤くふくれているのが何個かあるのと、あまり大きくはないが尋常じゃない数のカサブタみたいな血の塊みたいなのが至る所にある。


蜂窩織炎は皮膚の皮下組織に広がっていたので表面には何にも出ない。

ただ腫れと赤みが出る。


これはなんだよ?びっくりしたけど、わたしがびっくりすると娘ちゃんはとても不安になるので、必死に普通を装う。

なんだー?これどうしたの?いつから?

と聞いた。


突然見たらあったの!すごいびっくりしたの!

と言ってる。


わかったよ。ちょっとわからないから、明日朝一に病院に行こう?

と言って娘ちゃんには眠ってもらった。


わたしは全く眠れずあたまがまたフル回転だ。なんだアレ。嫌な予感しかない。

もう血が固まってるのもあるのに気がつかなかった?おかしい

で、新しそうなピンク色のぷちっとした蚊に刺されたみたいなのとか色んなのがある。



朝になって娘ちゃんの足をみた。


愕然とした。


小さな蚊に刺されたようなぷちっとしたのが五百円玉くらいの大きさでかなりのツユが入ってるみたくふくれて皮膚はぶよぶよしてたり盛り上がってぱんぱんだったりだ。

それで中がグチュっとして表面が真っ赤っか。というか赤黒いくらいになっている。

そうだ、気づいたらもうかさぶたにさえなってるやつさえあるほどあまりにも病変が早すぎる


は?なんなの!

これはごめん。もう普通は装えないわ


8時には家をでた。

娘ちゃんは痛みが出てるし足首ら辺だから曲げたらそれが破れて破裂しそうだ。


火事場のなんとかをつかうしかない。

肺の退院後で全く体力も息苦しさもなおってないけどこっちの肺が爆発してもいいから娘ちゃんをおぶって外に出て、車にのせて急いで病院に行った。


着いたら速攻で玄関の車椅子を取りに行って娘ちゃんは病院の中に入れといて、車は駐車場に停めに行き、すぐ戻って予約なし診察の受付をした。


皮膚科に行こう。

わからん。全くなんだかわからないけど蜂窩織炎で4か月前まで診てもらっていたからその方がいいと思った。


予約じゃないからかなり待ったけど診てくれた。

前と同じ皮膚科の先生でお願いした。

先生は、ん。これはどうしたんだ

とちょっとびっくりしてる。

わたしも数時間足らずであまりにも病変が早すぎて驚いてます。

とりあえず昨日の夜の状態がこれだったんです。

と、写メっておいたのを見せた。

今はそれが同じ場所のものとは全く思えないほど原形を留めていないくらい違う。


もう一人の若い皮膚科の先生も呼んでくれて2人で話し合っている。


そして、

断言は出来ないけど、これは壊疽性膿皮症だとおもいます。

これこそ、UCの人がかかりやすい合併症です。ちょっとやっかいなものですね

と言われた。

病状を聞いたり本で見せてくれたりこれからどうなるかを聞いた。

字の如くだ。皮膚が潰瘍になりどんどん壊死してぐちゃぐちゃになって行く。

ひどい人は胸からお腹まで全部の皮膚がえぐれてぐちゃぐちゃにただれてしまっている写真もある。


娘ちゃんには見せなかった。話と病名だけで顔面蒼白だ。


わたしも娘ちゃんをおぶったり走ったりで呼吸困難だった肺や心臓どころか、この現実に脳みそもついて行けなくてどんどん意識がなくなりそうになるんだけど。

このまま失神しそうだ。


すぐに血液検査をしたが、蜂窩織炎のようにCRPがさほど高いわけでもない。

なんだかわからない。

でも蜂窩織炎のような細菌からの感染症ではないことは明らかだと言われた。


壊疽性膿皮症は感染症ではない。

じぶんの中で白血球の抗体?だかの異常で勝手に組織を殺していく。


すぐにステロイドのクスリを全面に塗られて包帯ぐるぐる巻きになった。

服薬は抗生剤で様子をみたいと言われた。

数日単位で状態をみたい。

と言われた。


とりあえず1週間後にまた来ることで帰った。

そして、それから3日単位で投薬を変えても何も良くなることは無かった。


先生はもうここまでで限界にします。

壊疽性膿皮症だと細胞を採取すると一部を深くえぐり取るともっと広がって行く。という事が考えられるので細胞の採取は本当に最後の手段にしますがもうそれをしなくてはならないと思うます。原因の特定を消去法でもなんでも、しなくてはこのままではダメです。

と言われた。

メスを入れてなるべく新しそうな水泡のような部分から細胞を採取した。

これには同意書も必要なものだった。

もちろん奥深くまでメスを入れてるので中と外側の皮膚を5針くらい縫わないとならなかった。


これにもわたしは自分の目でみたかったので処置室の同室をお願いした。

グロくてあんまり見るような親はいないかも知れない

だけど、娘ちゃんだけその場に置いとく事なんか出来ない。

看護師さんたちが準備をしているあいだ、ベットに横になっている。

お腹の内視鏡のときのような恐怖で娘ちゃんは自然に涙が溢れている。

突然決まったんだから当たり前だ。

側にいることしか出来ない。

メスを入れるけど、痛くないから!さっき説明してくれたように先ずは麻酔するからちょっと針を刺す痛みだけ!

と看護師さんは言ってるけど怖いよね。

ただでさえ少し触れるだけでも痛い水泡の横に針を刺すんだから。

ここだけ我慢大会しようか。そのあとは本当に大丈夫だよ。あとはなんにも痛くない。

縫うときも麻酔は効いてるからね。

と、とりあえず言ったけど怖いよね

娘ちゃんはまた声は出さずひたすら泣き続けた。

コンタクトレンズまで片方取れたとか言ってる。それを看護師さんは精製水で洗ってつけてくれていた。


ここまででくるのに無理を聞いてもらい予約を学校帰りの四時とかにしてもらって何度も通った。真冬の吹雪の時もあった。

わたしの身体も限界はとっくに通り越した。

数時間でも車に雪が10センチ以上積もってることもある。

訪問介護さんがうちに来てから車の雪さえじぶんではねられなくてやってもらっていた。

でも今は肺が痛いとか呼吸できないとか言ってらんない。

雪をはらった時点でもう脳貧血みたいになってるけどそのまま連れてく。

頑張ってる娘ちゃんに送り迎えをして一緒に居ることしかわたしには何も出来ないのだ。

ほんとに情けない親だね。

じぶんがもっと元気なお母さんだったらもっと支えてあげれた。

いつも人に介護してもらって、我が子のことなのにこんなことも満足に出来ないんだ。



ただわたしは病院に行き、先生と話すときは別人になる。家で調べまくった事、ほかに考えられるものはないのか、素人が突然医大を目指すかのように猛勉強をしている姿だ。

受診の時は向こうが言ってきたことに瞬時に頭が対応できるように疑問や今後の展開、他に考えられることはないのかフル回転でたくさん話す。

時には録音もする。体力がない分頭をつかう、口を出す。は、その分100倍やる。


ここまでの2週間近く、昂ぶった神経と娘ちゃんのこれからわからない先を考えると眠ることもなにも出来ずに過ごしていた。


もうこの頃はいろんな意味で限界だったとおもう。精神力。気力。で生きた。

なんて簡単な言葉を使いたくない。

意味めちゃくちゃだけど拷問のような日々だった。

それも、今日でおわる。そのあとに待ち受ける結果をまた受け入れるしかない。

そして最終手段の細胞採取をした。これで何かしらがわかるだろう。他に似たような病気はスイート症や、血管炎に絞られている。

そしてこの日はとても稀な血液検査をします。と言われこの日娘ちゃんは最大の10本越えの血液を採っていた。

結果は1週間近くかかるものがあると言われた。


そして、結果によっては入院が必要になります。

と言われた。

この日からとても時間が長く感じた。

そしてやっと次の日が受診の日。

わたしは夕方病院に電話をしました。

話や結果はもちもん明日伺ったときに聞きます。

ただわたしも、もう当日の、しかも夕方にまた家に行ったり来たりは限界なので入院の準備をして持って行った方がいいかだけ先生に聞いて教えてください。

と言った。


結果はもう先生はわかっているはずだ。


看護師さんは少し迷って、わかりました。と先生にその旨を伝えてくれた。


そして。入院の用意をしてきてください。

と言った。


当日になった。わたしはビリビリの緊張感の中夕方まで過ごし娘ちゃんをいつも通り学校に迎えに行きそのまま病院に行った。


ついてすぐに先生の話を聞きました。

結論。

血管炎の疑い。


これは、炎症性疾患の人がかかりやすい壊疽性膿皮症でも、スイート症でもありません。

血管炎とした理由。

稀な血液検査の結果、PR3-ANCA(通称アンカと呼ぶ)の数値が基準値は0.1以下だけど、50以上ある。これは完全なる異常値。


このアンカの数値が高いのを意味している事は


まず、足にでたのはただの1つのちょっとした症状なだけです。

足が原発の病気でも皮膚の病気でもありません。

この数値は、内臓のどこか(頭から足の先まで)に病巣がある。臓器全般、肺に影が見つかったり、脳だったり、鼻の奥にでも肉芽腫が見つかったりします。全身性エリテマトーデスなどのリウマチ系かもしれない。

内臓の問題で血管は身体中を巡っているわけで、いま足にたまたま症状がでてる。というだけのものです。

まず、体内のどの部位の病気でおこっているのかを特定し、適切な治療をしなくてはなりません。

わかりやすくいいますと、膠原病の何かに当てはまる。とおもいます。

潰瘍性大腸炎も関係ありません。

これも誰にでも、ある日発病する病気です。


ただ残念ながらここまでずっと経過を見させてもらいましたがうちの病院では膠原病科がありません。

大学病院に紹介状を出します。




多分録音してなかったらここまでかけなかったかな。

途中から耳が無音状態になったわ。

いつもマシンガントークのわたしも質問さえすることもないわ。

黙って聞いてる。



隣の娘ちゃんは一点を見て微動だにしない。


こんなでかい病院から紹介状が出るのね

ふーん。

大学病院とはここは提携関係で向こうの医師もたくさんいるけどさ。

それでもここじゃダメなんだね。

先生は専門の科があること、血液検査ひとつ画像の設備ひとつとっても大学病院は最新ですから、たくさんの詳しい検査が出来ます。

安心してください。

と言った。


ここでも診れないよ。に衝撃的だったんだろうか。そして全く予期してなかった内臓のどこかがおかしいとか言われたのがとても驚いてんだろう。

膠原病もいろんなのあるけど大体が難病指定になるやつだ。


……また難病の数増えるとかあほか。



この先生も

大学病院で全身の検査をして思いつく限りのすべての科を受診し特定させて治療が始まるでしょう。


今それしか分からないし言えないんだからもうお互いあんま話す事ない。


で?

この状況なんなの?


とりあえず先生はすぐに大学病院で受け入れができるか、そしていつ頃かをやり取りしてくれた。

皮膚科繋がりで行く方が話がもっていきやすいし、入りやすいとおもう。と言って向こうの皮膚科の先生と話している。

先生同士でより良い方に頑張って話してくれてるのは聞こえるから伝わる。

わたしも娘ちゃんも今回の足はもう今まででかなりもう限界に疲れ果てた。

毎日かなり広い範囲を朝晩薬を塗って潰れてツユとか血液とかでてるから大判のガーゼで覆う。そしてグルグル巻き包帯。おわり。


登下校も一苦労。(学校では特別許可でソックスも履けないし両足の見た目がおかしいからジャージとスリッパ)お風呂も一苦労。一度座って立つのも一苦労……

娘ちゃんも頑張った。まだこれから始まるんだけど頑張った。




そして、電話が終わり、明日の朝10:0011:00までの間に来て下さい。

と超最短で受け入れてもらえた。


で?

ほんとにさー今の状況なんだこれは?


先生は、

今日はこちらではなんにもすることができません。

ホテルみたいになってしまいますが、時間も時間です(学校終わってここまでやりとりして6時過ぎてる)から転院準備として安静にという形で一晩はこちらで入院しましょうか。

だって。


わたしは、わかりました。

と言って先生に今までお世話になりました。とお礼を言った。


あとは看護師さんに明日朝一番で精算できるようにしておいて下さい。

雪降ったり、雪道の渋滞などがあったら時間内に入れなかったらこまるので早めに迎えに来ます。


と言った。

娘ちゃんを見るととてもお腹がぺこぺこで死にそうと言ってる。もう病院食は間に合わないのでギリギリ売店が開いてたから食べれるのを買って病室に入った。

荷物は洗面関係しか出さないでいいからね!すぐ何時間か後に来るからー!

明日は朝から忙しいからね!向こうに行っても色んな事するから早く休んでねー!

と言った。



娘ちゃんはホテルだってーとか言って笑っていた。

膠原病など聞いたこともないだろうし、先生とわたしの会話を聞いていても何語ですか?みたいな顔をしてなんだかさっぱりわからないのだ。

まだ現実がよくわかってない。

今はそれでいい。



そして、わたしは一人でうちに戻った。


なんの感情もない。

それすら感じる余裕もくれない程、目まぐるしい日々だった。そして心も体も疲れた。

最大にわたしは疲れた。

もう、なんで娘ちゃんがこんな目に

と嘆くもない。

そんな薄っぺらい感情なんかとっこした。


とりあえず唯一学校の担任の先生だけ、連絡をしなくてはならない。

また入院します。

転院します。次は大学病院です。

期間はわかりません。


それを言うのでいっぱいだ。

もう舌痛症がきつい時間だったから口さえ痺れてるし開かない。病気はまだなにかもわからないから話すこともない。


夜一人で家に入るともうなんにも出来ない。

余力も微塵も残ってない。

今日もきっと眠れずにこのまま明日朝一番で迎えに行くんだろう。

そしてまた新しい試練が始まるんだ。




2019.2月はじめころのはなし。


Tsuioku kana19 『わたしと娘ちゃんの闘病日記』

一昨年の年末に完結したはずのこのブログ。

それがその半年後、去年の夏に吐き出したくてたまらない事だらけになってしまい、

Tsuioku kana(追伸)という形で続けてみた。

これも3話でいいたい事が終わる予定だったのに、3をかいて10日も経たずして左肺気胸で搬送され手術をする。というとんでもない事になり、そのままズルズルごちゃごちゃとしてご覧の通り只今19とかになってる。

追伸19だってさ。

追伸はただでさえ一言や一話で終わることをいうのだ。

Tsuioku kanaは日本語ではないといえ追伸が19もあるってなにさ。

もう既にカテゴリーの意味を持たない。

Tsuioku kanaは、おまけ。と読むことにしてください。



アスペルガーさんはその後、しばらくやりとりは続いてました。

なんせわたしの手元にはそこんちの鍵があるのだ。

これは、ただ向こうのポストに投函して返す。ではまた同じ事の繰り返しでわたしのガソリン代がかかるという迷惑になるだけだ。


わたしの本当の気持ちをしっかり聞いてほしい。わたしは嘘も試すことも、人を気まぐれで惑わすことも言わない。正直な気持ちだから勝手に解釈しないでほしい。

かなり前から言ってるけど、わたしはとっても人に嫌われる勇気のある人間だから。信じて!(なんだそれ。)

と、本人に伝えた前置きはこのくらい。


あと、所長さんとやりとりして、1つの案を出してくれました。


わたしは警察に言う=殺される。

の気持ちが変わらない。

じぶんの事を警察が知ってしまった。

という時点でもう人生終わりだと本人は思うんだろうとおもう。

わたしだけでも勿論勘弁してほしいが娘ちゃんに何かあったらとてもじゃないけど死にきれない。


うちの家を知った時に、娘の目がある(この人はおろか、付き合っていた人も娘ちゃんには異性と付き合うは言わないがこうゆう友人がいるんだよ。は必ずいう。)

そして、この人も娘ちゃんの存在を知っているし、あとはわたしは賃貸物件ではあるが、この土地で長く暮らしているので、ご近所の方々にも良くしてもらっている。

迷惑になるようなことはしないよう、今までお静かに暮らしてきているし、娘ちゃんは大の子供好きなので隣の小学生兄妹ともいつもおはなししたり、まだ何年か前までは外で一緒にあそんであげていた。

さすがに高校に入ってからは朝出てバイトがあると帰宅後滞在時間一時間もなく夜10時とかまでいない。

お休みの日は遊ぶ予定が無ければ睡眠に費やす。

娘がいるのに異性とのゴタゴタをうちの外で繰り広げるなんでとんでもない事だ。恥ずかしくてここに住んでられない。


娘ちゃんは、わたしがいても娘ちゃんの気分次第でずっと話してきたり、部屋に引きこもってずっとユーチューブで大笑いして全く関わらない。とか極端だ。

うちの中だけがなんのストレスもない自由空間にしなくてはならない程、娘ちゃんは一歩外に出ると日々ストレスシャワーを浴び続けているのだ。

そういったうちの中の暗黙の決まり事みたいな暮らし方を死守せねばならないのだ。

だから、絶対にうちに来ないで。


を強く言った。



それじゃあ、あとは第三者であったり何らかの不都合やじぶんに不利益があれば退散するのだろうか



そして所長さんは、訪問看護師が来ている事は知っていますか?と言われたので、知ってます。わたしの病気にまつわる事もだいたい知っています。と言うと。


では。わたしが、今訪問で診ていると、どんどん衰弱していますが、何かありましたか?と聞かれて、あなたの素性はまったく話していないけれど、ある人の事で今かなり参ってしまっている。

と言った。

にしましょう。

そして、ストレスがあまりにも長期に渡っている為、元々効かない薬や頓服も、もはやほとんど効いていない。

睡眠障害も強いのでその状態はとても苦しいことであり、希死念慮も出てきている。

その為かなり精神病も悪化していますよ。

とても人と関わってはいけない状態です。


と、看護師に言われたと言いましょう。


一応もうひとつ布石として、UCも再発している。と、嘘をついて下さい。

知っているから再発がどれだけの事を意味するのかわかってますよね?

そして、いつもの難病の主治医のほうからも人と関わるのは体力的にも精神的にもドクターストップで安静にするようにと言われた。


と、伝えてみたらいかがですかね?

といった提案をしてくれた。


なんかイケそうだ。

彼は精神疾患でストレスになることがとても良くないのは知っている。ただじぶんがそうさせてる。がわかってないだけ。

そしてわたしの身体、特にお腹のほうについてとても敏感に気を遣う。

体重がないのがとても心配で、今まで何とかわたしが食べられる範囲で高エネルギー、高タンパクな物がないかを調べる事が大好で、UCにはクマ笹がよい。と聞けば買うではなく、取ってきて作ることはできるかとか何時間も調べまくったりする。

強いこだわりのせいで調べて少しみただけでも作れるものじゃないと結論でてるじゃん。といっても納得するまで何時間もやっているので頭がいたくなって具合悪くなって最後は寝る。みたいになる。


なので体重がどんどん減っている。は効き目がありそうだ。

その一言でかなり心配をするだろう。


あと、自分のせいでなったら病院代やなにやらと請求でもされる責任問題になるんじゃないか。とかアスペルガーの特徴なのか失礼な事でも平気で思うとても嫌な人だ。

そうだ、彼はとてもドケチである。


そうゆう流れで

あなただけではなく、もう人と関わるのさえ出来ないくらいになってしまった作戦にしました。

そして、他人の家の鍵も持っている事もストレスなのでまたお返しに投函しておきます。

にした。


結果。今のところ(2週間くらい)何事もなく過ごしている。

今後は何かまた探るようなことや連絡が来たらそのとき考える。

しかないや……




では。娘ちゃんのお話。

お腹の症状は服薬してすぐにどんどん良くなり、10日くらいにはほぼ落ち着きましたが、副作用がひどかった。


わたしは飲んですぐに出ましたが、娘ちゃんはお腹がおさまってから時間差で出てきました。

それに油断したところもありお腹がおさまったので普通通りに身体を動かし無理もしてました。病気じゃないしー副作用だからー

と。


10年半皆勤だった娘ちゃん。

病院の日に休んだとき下血が止まらない状態でさえ休むことに悪いことしてるみたいだ

という最後まで真面目な子だ。


副作用が出たけど、いま色んな行事があるから、みんなと同じようにやりたい。

サボってると思われたくない。と多少身体の倦怠感や痛みも無理して過ごしました。


結果、それから何日も経たずして体調をガタッと崩し始めかなり普通じゃない状態になりました。

なぜか足の方にきてた。腫れと痛みが酷くて靴も履けない。そもそも履かなくても全く歩けなくなってました。

あまりにも急な展開ですぐに病院に連れて行きましたが、主治医は外来日じゃなかったので違う消化器内科の先生に診てもらいました。

全身のあちこちが痛む症状は副作用だけど、足については副作用ではなく、腸管外合併症(結節性紅斑)を引き起こしていると診断されました。


娘ちゃんは慣れのせいかわからないけど痛みに強いのか、痛いけど我慢をしてしまうのかわからない。

本人に聞いても、どの部位でも限界がわからないんだよねー。という。ここまで痛いとまずい。とかがね。


どの時期からUCが発症したかはわからない。

だけど、大人でもあの痛みはとても耐え難い。

一度友達と遊びに行ったショッピングモールのトイレでこれはもう二度と出れないかもしれないと、救急車を呼ぼうか迷った。

と聞いた時は過敏性腸症候群でもそんな痛いの?とか思ったけど、きっともうその時は潰瘍とビランで切腹されていたんだったんだろうな

いつも腹痛の時は動悸や手の痺れまでくるのを聞いていた。

本当に今までで一番ショッピングモールの時がキツかったんだろう。

なんかねー意識がなくなっていきそうだったから迷ったーとか言われた。

腹痛も動悸や痺れもわたしも身に染み付いてるからわかる。あれをまだまだ大人でもない娘ちゃんは耐えていたのを考えると胸が張り裂けるほどに苦しい。



とりあえずもう限界以上をしてしまったので歩けないのから院内も車椅子。

安静にすると何日かで良くなって行くとおもうから入院することを言われましたが娘ちゃんは入院など未知の世界だ。

怖い。だからお家がいい。お家で安静にしてます。

と強く言うので連れて帰ってきました。



最初に難病がわかった時点で沢山のことを話す必要性があり、すぐに学校側でも詳しく話を聞かせてほしいと言われて出向き、半日くらいかかって話しました。


毎日のように担任とはそれからもしばらくは電話連絡をしていました。学校側では、全教、職員に周知し全面サポートをします。と言ってもらってます。

でも、その時期に球技大会や学校祭など立て続けにあったり、その準備もあり

と本人も担任の先生もそこまで娘ちゃんの身体ばっかり見てはいられない。

歩けない程になって学校側からとても心配なのと見てあげられてなかったという謝罪をいただきましたが、子供じゃないので本人の自己管理能力の問題でもあります。と話した。


お腹が落ち着いても娘ちゃんには沢山の悩みが出てくる事になった。

これはわたしと違うのは、親密な狭いコミュニティーの中で過ごさないとならない学生だからだ。

まず学校側には全てお話したので全面サポートをしていただける。

あとは友達、クラスメイトにはどうするか。だ。

今までいろんな物が入っていたお弁当がある日突然全く違うものになる。お弁当は無理だ。ご飯を食べれるおかずの素材になる物があまりにも無い。

スープとパン。唯一食べれる2種類のフルーツ(バナナとりんご)や白桃か黄桃かりんごのフルーツの缶詰くらいだ。


高校生らしい休み時間も今まではお菓子交換など食べてたお菓子は、娘ちゃんが今後一生食べれるお菓子は和菓子(こしあん)や揚げてないおせんべいや飴、ガム程度だ。

そんなもん誰も持って来ないし持っても行かない。なのでお菓子交換には参加する事はできなくなった。

ポテチも、大好きだったじゃがりこも、ポッキーもチョコレートもバター入ってるからクッキーもなんでもかんでも全部だめだ。


病気がわかってから娘ちゃんとはまずその辺りの会議をした。

病気の特徴もその問題もあるので合わせてしながら、これから先の生活においての注意事項も話した。

これは前にわたしの記事で、この病気の注意点という題名で書いてあるのを、あまり深刻には話さず、それでもちゃんと気をつけて欲しい事としてだいたい話した。

それに、高校に入ってからわたしはこんな難病だということを話していたし、食生活も間近で見ていたこともあり、受け入れやすかったのかもしれない。

娘ちゃんは全くこの病気が確定しても嘆きもせず、なんとも思わないらしい。

これは無理しているとかはわたしは見抜けるから本当にないみたいだ。

むしろ、この魔法の薬のおかげであの地獄の腹痛がないことに幸せすぎる。と目をキラキラさせていう。

どんだけ辛かったんだよ……


あと、これはわたしが涙が出そうになった事だが、わたしと同じ病気でほんと良かったー!という

違う難病だったり原因がわからなかったとかなら知識ないでしょー?と。

訳がわからなくて2人して不安とかより絶対良いし、病院の先生がおかーさまが全部わかってるから!良くここまで調べたわって事までしってるから、安心だねー!って言われて、ほんとにそう思ったし、〇〇ちゃん(わたしを下の名)みたいな人になりたいって思ってたから少し近づいた気分!


なんて言ってる。

本当に救いだ。

ポジティブで、唯一の救いは娘ちゃんは心が健康精神疾患がない。こと。

わたしみたいなのにはとても信じられなくて何度もこうなる以前からも聞いたことがあった。普通の親は聞かないだろうけどね

でも、わたしには当たり前にあったことだったからそれが無いことが信じられない。


なんかさー何にも理由もないのに心がざわざわ落ちつかなくて不安定でどうしようもない感情とか衝動であたまがおかしくなりそうになったりする事ってあるよねー?

と聞いても、

は。何それ。

えー?ないけど。嫌なことあってムカつきすぎてなかなか治らないとかみたいなの?

とか言う子だった。


じぶんと等身にしたらだめだね。

わたしは娘ちゃんの年頃にはキチガイになっていたし、小学生から摩訶不思議現象があったのと一緒にしたら申し訳ないね。


話し合いの結果、担任の先生が学校の教職員さん方が周知されているから制限されてる事が出来なくても成績に関わるなどは絶対にありませんから。ってことなら、友人には特に言いたくない。という思いが強い。

と娘ちゃんは言いました。

食べ物がほとんどの物を食べれなくなることについては、これだけ長く腹痛い!と学校でも言ってたし、初めて休んでいろんな検査をした。ってのをうまく使って、普通の人よりも極度に腸が弱いひとなのがわかった。

って事にする。だから消化の良いものしかしばらくは食べたらだめだと言われた。

にする。

そしたらそのうち卒業の時期になってもうどうでもよくなるしー!

という結論。


とりあえずはそれで様子見よう。

難病は友人には隠していく。それでいい……

そしていまは心配なさそうだけど、いつなんらかのきっかけで心が折れるかわからない。

そばにいる間はその辺の変化を見逃してはならないと、強く思う。


難病は、免疫の異常とか遺伝とか生活環境の変化とかいろんなことを言われてる。


わたしがそうなんだから、遺伝的要素はかなりあると思う。それはわたしが何とか出来た訳じゃないが本当に申し訳ないと思っては、日々わたしは苦しんだ。

娘ちゃんのこれからの沢山の夢や希望を半分くらい奪ったという思いが募る。


わたし達は食べもので胃腸に負担をかけるようなものを食べてきてはいない。

揚げ物もお互い好まなかったし、香辛料も好きではない。娘ちゃんに至ってはコショウさえ生きてて12度くらいしか口にしてないとおもう。カレーも好きじゃない。

油っぽいのやインスタント食品などの消化の良くないものも食べてない。

ずっと小さい頃からそうだったのだからきっと食事や生活習慣は関係なさそう。

考えてもキリがないが、なにが悪かったんだ。

と取り留めもなくこの頃はじぶんを追い詰めていた。


それなのにある日娘ちゃんは学校から帰ってきてとても真剣な顔をしてわたしに話してきた。


今日、友達にお菓子あげるーとか言われて、まだダメなんだーとか言った話しからどんどん膨らんで、何ならいいの?どれがダメなの?とか質問ぜめにあったんだよね。

で、ほとんどダメーって笑って言ったんだ。

そしたらえー?テスト終わったらびくドン(びっくりドンキー)行こうって誘おうと思ったのにそれもまさかダメとか?

って言われて、うんダメなやつかなー

って言ったんだよね。

そしたら、怒るよー!マジかー。すごい楽しみだったのにー!

てかさ、このままだったらまずくない?

就職したら、飲み会とか色々あるよ?友達同士で遊びに行って好きなものを選んで食べるとかじゃないし、お酒とかも飲むようになるじゃん。

って言われた。


なんつう心無いガキがいるのだ。

もともとそのお友達については娘ちゃんからよく家に帰って来てからムカついたシリーズを聞かされてはいたけど、そこまで今言って何になるんだよ。ほんと自分の事だけしか考えないバカだな

と悲しくなる。


でも娘ちゃんは何か違うところに真剣になってる。

言われた時はだから何だよ?ってムカついたけど、〇〇ちゃんに(わたし)酷いこと言ったの思い出した。

病気のこと教えてくれたとき、まじかぁじぶんなら死にたくなるー!ムリー!

って言った。

本当にごめんなさい。

絶対に人に言ってはダメなことした。

それが一番今日思い出して辛かった。

早く帰って謝りたかった。


と言われました。

泣くレベルだけど泣いてはダメなやつだ。


なーに言ってんのー!そんなの気にしてる訳ないじゃん!

そんなことより今まで生きてきてとんでもなくキッツイこと言うなオマエってのがあるわー!

と言った。

でも、なんかそうゆう人の気持ちを考えられる人で嬉しい。そのままのキミでいて。

と娘ちゃんに言った。

娘ちゃんはやっとこわばった顔がほころんで、いつも骨が折れそうになる、わたしの身体にギューッをしてきた。


最近の話になるけど、中学校から仲良しの友達が2人いて、高校はバラバラになったけど未だに3人よく遊ぶ。

そして食べ歩き的な話やお泊まり会とかしよーとか言われたんだ。と言って、これはこの2人には言わないともうダメだな

これまでもかなりじぶんに遊んだ時に食べるところを合わせてもらってたし。

ってのもあったからさ、おはなししちゃった。と言ってきた。

学校の友達には頑なに言わない。と決めていたが、じぶんの病気だからじぶんで教える人教えたくない人は自由にするといい。とは言っていた。


で、2人に言ったら、じぶんが言ったことと同じようなの言われたよ。

嘘~!一生治らないの?一生ダメなの?

まじで自分だったら死んだ方がまし。


って言ってたー笑

やっぱじぶんが嫌なことしたらちゃんとかえってくるね!



じゃないよ……


娘ちゃん。えらい。ちゃんと自分の病気と向き合って、受け入れてえらい。


でもね、心無い言葉が辛かったり食べたいのが食べれなくて辛かったりしたらおもっきしギャンギャン泣いて!このヤローとかふざけるなーとか、なんで自分がこんな目に遭わないとならないんだよ!でもなんでも言っていいからね!

その時は一人で向き合わないで。

ちゃんと側にいるから。と言った。



そして、話は戻って足のこと。

安静にしていたらすぐに良くなる。

と言った。でも、病院でも結節性紅斑はUCの活動期の時になり、腸が落ち着くとそれも良くなる。ってなってるけど。

と、その先生には受診のときに言った。

でも、その人はUCの体質を持っているなら活動期関係ないで時間経ってから出ることもあるからといわれ、安静に。だけを言われて帰ったのだ。

その日は金曜に行って、ちょうど次の日からは祝日がある三連休だった。

その間にかなり良くなってるとおもいますよ。

と言われた。


娘ちゃんは安静にした。

痛みや腫れは全く治らない。

辛かったら冷やしてくださいね。だけしか言われてない。


そして月曜になった。

最初の頃よりもかなり痛みも腫れも悪化している。

結節性紅斑をわたしは家に帰ってからもしつこいほど違う!と言い張って娘ちゃんは呆れていた。

どんだけ調べたり画像みても違う。

そして寛解のいま、これにはかからない。が強く引っかかっていた。

今日は主治医が外来日だ。

朝イチに娘ちゃんを連れていった。


主治医は結節性と言った依頼医ナンチャラと名前が書いてるカルテみたいな紙と娘ちゃんの足を交互に見ている。


うーーん。


これは、結節性にも見えるけどそれじゃないなー。ちゃんと調べないとだめだ。今本当にお腹なんともないんだよね?

それなら結節性はないな違うなぁ

まず皮膚科にいこう!もちろん血液検査先にして来てねー!

だった。


依頼医は主治医の先生と違ったことをしてはいけないのか。勝手に検査やじぶんの考えで投薬もしないのか?

主治医はこの病院の副院長でもある。

そんなにこの先生が怖いのか?娘ちゃんの痛みや辛さより自分の保身か?白い巨塔かよ?

と、マグマのような怒りが沸き起こる。

依頼医の名前は覚えた。こいつにはどの先生が居なくても診てもらわないと決めた日だ。


とりあえず表面は笑顔でじゃー行ってみよーと車椅子を押して検査、皮膚科の受診に向かった。


一通り終わったら朝イチに来て昼の2時頃だ。

また主治医の先生のところに戻り結果を聞いた。

主治医は皮膚科の先生ともピッチ?つうの?電話でやりとりしながらはなしてくれた。


皮膚科に行った時に先生は足を見て一発で、これは結節性紅斑じゃないです。

蜂窩織炎ですよ?

とは向こうで言われては来ていた。

それについての内容も丁寧に教えてくれた。


それを踏まえて、主治医の先生と一緒に相談。って事になったのだ。

主治医は、いやいやー結節性の悪化だったらステロイド出すところだったよ

そんなもん出したら大変だった!治りもしない。

と、言い訳もせず、ちゃんと状態も隠さずに教えてくれた。

とりあえずね蜂窩織炎は軽かったら抗生物質の飲み薬で治るんだけど、血液検査の中でCRPがもう異常に高い。これは重症なんだ

ごめんね。ひどくなっちゃったから、入院して時間を測って点滴の抗生剤を投与しないと治らないなぁ


らしい。


これはUCに全く関係ない。誰にでもおこる。

うちはUCだからとすぐに合併症に結びつけられた。そしてまた途方に暮れた顔を娘ちゃんにさせてしまった


入院かぁ。どんなんだろう。やだなぁ

と、少しないてる。


入院期間もよくわからない。


それでも娘ちゃんは

最初結節性とか言われて違ったけど、色んな病気とかになりやすいのに学校で無理しちゃったのじぶんだから仕方ないや。

と言った。


主治医は皮膚科の先生と話しながら、このまま本人入院してもらいますね。どっちかなーUC関係ないから皮膚科で診てもらうかな!

病棟の方の連絡もお願いしますねー

って話して終わった。


入院中は先生も時々見に行くよ!と言ってくれた。一応抗生剤強いからお腹に悪さしたら困るからこっちの受診もたまにするからね!と娘ちゃんに言っていた。


どのくらいかわからないけど1週間とかではないぽい。

娘ちゃんはじぶんの荷物はじぶんで必要なのを用意したいと一旦帰宅することをお願いした。

夕方6時までには入ってね!その時間から投薬するから!と言われ、慌てて帰りました。


そして娘ちゃんの初めての入院生活が始まった。



蜂窩織炎を調べた。

腫れはもちろん酷いが何よりかなりの痛みを伴うらしい。字のごとく蜂の巣のように皮膚の深層部で広がっていく。そんなやつ。

娘ちゃんに痛いの?とこの何日も聞いたら、めっちゃ痛いよ?

と言った。娘ちゃんが痛いと思うレベルは多分尋常じゃないやつだ


子が痛い、辛い、苦しい。を見るのは親も地獄だ。出来れば見なかった事にしたいだろう。

でも、わたしには、いや、親にはそれを真正面から受け止めて痛み分けをしてもらわないとならない。


通常の入院手続きのほか、娘ちゃんは病院食のこともある。潰瘍食になる。

娘ちゃん。がんばれ……



そして毎日朝の6時に1回目、最後は9時?に点滴をする。

小さいから一時間くらいで終わる。

娘ちゃんはじぶんが想像していたよりも入院生活はさほど悪くないらしい。

マイペースでせっつかれるのが苦手な子だ。

なのでベットの上はじぶんの住処で好きな事をしては、あとはぐうたらぐうたらしているのがとても楽しいらしい。


わたしは毎日病院に行った。

状態を見たいのと、娘ちゃんの楽しみの一つ売店に行く。があるからだ。

車椅子を押して二箇所ある売店に行く。

一つの売店で大好きなものを見つけた。

曜日でやってくるパンがある。毎日色んなパン屋さんのが置いてあるがその中の一つをとても気に入って絶対に買っていた。


そしてこの頃から徐々にだけどわたしの左側の身体の痛みがでていた。



皮膚科の先生はわからないけど多分腕のいい先生に思えた。信頼できた。

ただ、とても困ったことがあったのだ。

娘ちゃんが入院した日から一カ月もないくらいで修学旅行が控えていた。

それまでには治るとは言われていたけれど、問題は足。ということ。入院してずっと体力もなくなっている。ということ。

学校の担任の先生はお見舞いにも来てくれた。暇でしょーと、遊び道具や娘ちゃんは学校の生徒はあんまり行かない図書館によく行ってたので図書館の人が覚えていてくれてこんなのを借りてますよーとかも調べてくれてその作者の本を数冊持ってきてくれていた。

こんな事になったのは無理させて、気付いてあげれなかったのをまだ担任の先生は気にしてくれていた。

あれだけ難病の知識を教えてもらったのに。と後悔してくれている。

その気持ちだけで本当に有難い


タイムリミットつきの入院。

蜂窩織炎は日に日に良くなってきていた。

皮膚科の先生はあと最低でも何日点滴投薬が必要で、そしてまた血中の炎症度を見ましょう。とかだ。

焦る。

学校側にはキャンセルするなら何日前までにとかも言われるし、足が良くなってもみんなと同じって訳にはいかない。

皮膚科の先生も入院もしていたし体力もない。ましてや足だからね

こちら側では蜂窩織炎の終息はお伝え出来ても娘さんの問題ですよね

と親身になって考えてくれた。


これは、もう今まで通り、本人がしたいようにさせる。

そう決めた。

リスクだけ言う。

あとはじぶんがそれでも行きたいかどうかは自由にしていい。キャンセル料金もなんにも考えなくていい。にした。


リスクはまずは足だ。

これは担任の先生とも交えて病室で話した。

ただでさえ体力もある元気な子もとても修学旅行は遊びに夢中になってヘトヘトで帰りますからね

ディズニーも予定に入っていたので、ここも、順番待ちのアトラクションを手分けして決めて走る走る

都内や京都だってひたすら寺登りもするし、大阪もなぜかユニバまで行く。


あともう一つは食事だ。

ホテルから担任の先生は滞在期間の全ホテルで出される予定のメニューと食材のリストを取り寄せてくれました。

それをご覧になってみて、ダメなものを印をつけるなど出来るかなと思いました。と。

あとは自由行動が多いので、本人に任せるのと、きっと食事が足りないと思うからコンビニが近くにあるところを集合場所とかに変更したりしましょう。そしたらおにぎりやパンなど食べれそうなものの補給を常にできますよね?

と言ってくれました。


娘ちゃんは考える。

どんだけじぶんはその時体力ないのかわからない。

でも旅行先で倒れたり悪化したりUCの再発になった場合などはわたしが迎えにいく。

学校には迷惑はかけません。

ということにした。


そして結論は娘ちゃんは修学旅行に行く!


そうだ。そう!良かった。

なんか心がほっとした。

高校の修学旅行は行った行かないでは大人になっても話題になるくらい一大イベントだ。


行ってどっかおかしくなっても仕方ない。行って出来ることだけしたっていいじゃないか。行った。という事に意味がある。


そうして修学旅行の2週間もない時に退院しました。

体力をその間無理ない範囲でつけて、準備もギリギリ終わった。


旅行先々で沢山LINEで報告もくれるし、楽しい楽しい!と言っている。

写メもたくさんくる。

本当に良かった


食べ物も新幹線ではお弁当で、食べれないおかずばかりだけど、みんなが食べれるのと交換してくれたりしている。有難い。

ただ。

一枚だけどうしても目の奥深くから抜けない写真があった。

原宿の定番のクレープ。

四人の仲良しグループの行動でクレープを四つ並べて写しただけの写メがきた。

みんなのはいわゆるインスタ映えするようなクリームやらソースやら盛り盛りのクレープだ。

その中でひとつだけ紙に包んでいる皮生地しかないのがある。

皮にはうっすらとキャラメルのソースみたいなのを塗ってもらっているから美味しかったらしいが見た目はただの皮をまるめて中身が空っぽ。そう、娘ちゃんのだ。


この写メはきっと一生忘れない。

涙も出ない。

色んな感情が渦を巻いて飲み込まれそうになる。

そうだね。

この先わたしは商売にまでしたほどお酒も飲めた。美味しいものもたくさん食べた。

大人になってからじゃ行けない場所のもの、地域のお店でも食べたかったものは、そのあとお腹にくるときもあったけど普通の人より仕事柄かなりいいものを食べてこられた。


娘ちゃんは全部がこれからだった。

あまりにも若すぎる時から制限のある生活だ。

一生お酒の味も知らずにおわる。

UCはアルコールはもちろんダメだ。炭酸飲料もダメ。

飲みものはりんごジュースや番茶。とか書いてるようなやつだ。


今だけを考えるしかない。

がわたしに今まで以上に定着したのもそのおかげかもしれない。


人は今しか生きている事実はない。

人の一瞬先に巻き起こる事など何ひとつ決まってはいない。




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