2019年12月

『入院する&2019が終わる』

今年が終わる前になんとか投稿したい。

あけましておめでとうございます。

は嫌なのだ。

おめでとう。を言いたくないだけ。

と自己満足の為だけで焦っております。

いつも通り1ヶ月くらいかけて書いて終わりました


で、本題。書き始めから


毎年恒例行事みたいだけどいま入院している。(12月はじめ。)

身体がもう役に立たないんだけど。

なんの用事足しも出来ない。ふらつきと身体の色んな痛みで動けない。


また去年の気胸がわかったときみたく時折むせ返って話してられない感じに最近なっていたので、年末になってからまたあれ(ドレナージ手術)をバタバタやられる前に、以前からUCの主治医に外科の執刀した人が転院した病院に一回診てもらおうと言われてたのにまだ面倒くさくて行ってないから一番体調が悪い時に時間外だけど行ってみた。

で、まずはそれだけが具合悪い訳じゃないからいつものかかりつけの病院に行った。


当番医にどうなされましたか。と最初聞かれても

何て説明したらいいのかわかりません。

といった。

主治医はここの副院長だから、主治医の名前くらいはみんなわかるので、

主治医にはここは大きい病院で救急指定病院だから風邪でもなんでもおかしい時は君はここに来て。

って言われてるから

身体がとてもおかしいから来ました。

と言った(小学生の方がちゃんと話すね)


その日の当番医は知らない人だったけど、わたしのIDで全記録が分かるのでPCを見ながらまた気胸おこしたかなとか言ってる。

で、病棟医師も来てエックス線だけじゃなくCTもとってみて。とか指示されてた。

あと熱が微妙に高いくらい。

385分過ぎないと熱あるのかなという自覚がわたしはない。

あとはずっと左側の上腕、背中、胸が痛い。


気胸だけじゃなく全部がおかしいんだけど。

って言ったら、そのまま検査とかするから泊まることにした。

気胸ならすぐに処置しないとダメだけど検査しても術後毎回ここで確認してもらってる大きさ(膨らみきれないけど漏れてはいない)で変わらないという。

とりあえずあのアホかと思うほど苦しい手術はしないで済みそうで良かった。


次の日の朝から身体のいろんな不具合を、診てほしい科全部に受診してもらう事にした。


朝になってまだ外来診察が始まってないときに主治医の先生が病室に来てくれた。

(退院する日まで毎朝きてくれた。)

担当した時間外の先生(こいつはその日だけ)と病棟担当の先生(こいつは来た日に最初に診ちゃったから病棟主治医になったので毎日朝晩くる)は話したらなんかムカつくな。という感じの嫌なオーラを感じていたから、最初に主治医が来た時は気持ちが張り詰めていたのか、目を見た瞬間なみだがでてきた。

全身から優しいがでてる。

そして心の底から患者のことを想っている目だった。

ほんとうの医者なんだな。とおもった。

でかい病院だから外来の棟からわたしの病室にくるだけでも面倒だし時間もかかるのに

あとは今思うとここ数ヶ月のわたしの状態は一人ではきっと抱えきれるものじゃなかったのも気になってくれたんだと思う。



ただ涙だけを流し続けて泣いてるわたしに、

どれー!ちょっと色々診てからだけど、何か悪いとかならほんとにまずいけどさ、ただちょっと疲れちゃってるのかも知れない!まず身体休ませてあげよう!ちょっとだけ待っててね、外来始まるから終わったらまたくるからね!

と言って外来に戻っていった。

わたしの精神病(被虐待児の事も)、身体の癖、身寄りがない事、娘ちゃんが色々大変、わたしは人に自分のことを周知しないからいつも一人でくるし、去年のやっかいな手術でさえも別に誰かの承諾も同意もないから勝手にしていいよ。という人だ。

そんな細いこと全部を知っているからこそ安心する。

しつこいけどとても良い先生だ。


夜の、態度が医者だからオレはエライんだぞ!みたいな当番医と、偽善者丸出しでお前の心配などしてない。が丸わかりの作り笑顔全開の担当医が嫌で、話すのも面倒なくらいわたしの心が全力で拒否るのを感じたから、症状とか具合を話しかけてきても

ここの病院ほんといつもやな感じ。

だから副院長しか信じてないんだけど。

とか言ってた。結構我ながらお前こそやな感じだよって患者だった。



ちなみに言えば看護師もきらい。

病棟の看護師はそれを倍増するくらい嫌い。

外来にいる主治医付きのいつもの看護師さんしか用事とか話しとか相談はしない。

わたしが運が悪いのか看護師でいい人をほぼ見たことがない。

色んな病院、色んな科にかかってきたけど、こんなにEQの低そうな人ばかりで、看護師という職業はそうゆう人じゃないと出来ないのではないかとさえ思えてきてる。

わたしはあんま会話が成り立たない(続かない)ので他の患者さんの接し方とかをやたらと観察してしまう。

患者よりお前の方が情緒不安定だよ。

とかおもう。

優しいどころか物言いが怖い話し方や太々しい態度だな。

とかおもう。

ナースコールで呼びつけてなんだよ?面倒くせえな。と顔に書いてますよ。

とかおもう。

とりあえずまとめてあげると、そんなに嫌なら辞めたらいいのに。

こちらが迷惑だから。

中には感じの良い看護師さんも米粒くらいはいるけど、人格の問題だからその人は別に看護師だからじゃなくて、専業主婦でもコンビニ店員や事務員でも良い人だろう。

まぁまぁとにかく病院で働く人間はほぼ嫌いだ。

格好や肩書きで世話してやってる感もあるのか自分凄い人。みたく勘違いしてるのがやだ。

凄い人はお金とかにも困ってないだろうからそんなイヤイヤ働かないと思います。

そして病気なのに患者さんが看護師の機嫌の良い悪いがはっきりしてるから気を遣うので大変だから辞めてあげて。


そして担当医になった医者は、副院長が朝から慌てて来てくれたりしていたので最初コイツはわたしは大したことない患者だろう。とっとと帰ればいい。みたいな態度に感じていたが副院長が、しばらく入院してさぁ、休んで身体安静にしよう。と言われてるのがバツが悪かったのか急にわたしに口調も接し方も優しくなった。

副院長の顔色を見るばかな医者

患者の顔色を見やがれ。

悪口おわり。


わたしはこの1年書いた通り厳しいことがたくさんあった。正確に言うと去年の真夏に娘ちゃんの難病が発覚し、その合併症の影響で花の高校修学旅行直前まで入院して行けるんだからわからない不安定な毎日、まだまだ受け入れられない娘ちゃんの難病に落ち込む隙間もないほどバタバタした後のまさかの年末にじぶんが肺手術からだけど。


もう今年も終わるみたいだけど1ヶ月くらいしか経ってないような感覚だ。

娘ちゃんの事では本当に世の中への怒り、悲しみ、悔しさ、やり切れなさ

そしてわたしなかんかが親という娘ちゃんへの申し訳なさと自分の無力さで心が死んだ


身体がぼろぼろで済むならそれでいい。

あと2ヶ月ちょっとだけだから娘ちゃんと一緒に暮らす最後の時間を大切にしたい。

だけど心が壊滅的におかしい。

感覚もなにもかも。


きっとそろそろ書くことが出来なくなるし書く内容も全てが終わってしまう時期が近づいてるとおもうから話そうと思う。

今回もめちゃくちゃ長い日数をかけて書いてる。

今はもう退院はしている。


別に正直に書いてわざわざ身バレをしたい人などいないと思うが、このブログの形?を作ってくれた人が気を遣ってくれて全く所縁もないところを住んでる地域にしてくれた。

でもまぁきっとわからないと思うし芸能人じゃないのでわかったからなんだと思うのでほんとに住んでる所を書く。


わたしがずっと今まで生まれ育ってるのはとんでもない所だ。

北海道だ。

子供のころは朝平気でいつもマイナス30度になっていた。

今はほんとに温暖化なのかあったかくなってるけど真冬はマイナス20度越えはざらにある。

雪もひどい。山形とか青森の豪雪まではいかない。あったかいからそこら辺の地域は雪の方が辛いだろう。

こっちは寒いので雪質も湿り雪ばかりじゃない。

北海道は地域によって全然違うがわたしのところは寒いし大雪も降るところ。

積もらずあんま寒くないよ。

ってところもたくさんある。

ここは一晩で起きたら外の景色が全く変わって雪が50センチ以上とか降り積もってあっても特に驚かない。

玄関のドアが積もり過ぎてあかないこともあった。

古いアパートに住んだときは寒くて中にいても外からでもカギが開かないこともあった。

鍵を火で炙って熱くしてからまわすのに外出する時はライターは持っとく。

とか冷えこみが酷そうなときは鍵をかけない。とか工夫してた。

あと寒いと壊れやすいんだけど、ストーブが壊れることも良くある。寒いほど必要なのに寒すぎると壊れる。これはつらい。

そんな時は身寄りがないし、建築屋の時とかは帰宅が遅くなってたから一人でラブホに泊まったこともある。

凍れて車のドアも開かないとかもある。

ゴム(モール)が凍りついてひっつく。

そんなときはどっかのドアが開いたら潜り込んで運転席に行くとか。


そのくせ夏は35度とかにもなる。

大地が広大過ぎて本当に地域によって気候も何もかも違う。

そりゃ3つの海が全部あるしね。

日本海側の冬はほとんど吹雪の日で生きてるのが不思議だなと思えるような人々がいる。

内陸の寒さに耐えるにはロシアや北欧の人とかならイケるだろう。

網走監獄が有名なのは、昔とんでもない悪人を収容するにはここを選ばれるのは当たり前な場所だったろうな。

とおもう。

アンビリーバボでやってた昔のヒグマの話しとかも今もそれほど変わらず近隣で生息してるし、鹿なんか全国どこにでもいるわ。

とか思うだろうけど、こっちのはせんべいなどあげない。普通に野生だから突進してきて車が廃車になったりする。特にまれな話ではない。

車屋の経理をしてたとき鹿とぶつかって廃車になったお客様がいてとても気の毒だった。

保険の適用に相手とどっちが悪いかの割合もくそもない。

と悲しい顔をしていた。

あと、きつねは市街地でもどこにでもいる。

エキノコックスに注意をすれば良いだけ。

こっちに無くていいね。

と言われるのはゴキブリだ。

でも学生のとき飲食店でバイトしてたらちっこいゴキブリはいたけどあれは違うのだろうか。


……というアホみたいな場所にわたしは住んでいる。


まぁまぁ元気で若い時なら、なんとかこの人間が住むところじゃねーだろ。って土地でも暮らしていた。

ただ身体が衰弱するにつれて今はかなり生きて行くには難しい所にはなってる。

ヘルパーさんに雪はねやタイヤ交換など雪国ならではの辛い事はしてもらえる。


雪道の運転はトラックも乗っていたから特にアイスバーンでもホワイトアウトでも不安はないけれど、たかが数センチ車の上に積もった日にスノーブラシを片手で払う事はできない。

市の除雪が追いつかない時は中道は後回しにされる。

うちは中道に家があるから路面の状態ではどんだけ慣れていてもあずったり、うまる。

道具がなんもない時は専用のヘルパーや無ければ剣先スコップをタイヤにかまして脱出したりする。

あと牽引ロープくらいは積んでる。

バッテリーがあがってしまうのはとても困るけど近くにいた人の車でリードしてもらったり助け合い精神がある。

埋まった時も外からタイヤの空回る音、アクセスをふかす音がなかなか止まないと気の毒だから近所さんが誰かもわからなくても押しに来てくれたりする。

わたしも若いときはスポーツカーとかだったし車高が低いのでたまに気をつけても埋まったら何人かで助けてくれた。


雪国の人はみんなそれが当たり前だ。

今のわたしはそれももうできないけど。

一昨日くらいにシャープの字を消すのに少し消しゴムを使っただけで体力なくて具合悪くなったのにはとってもがっかりした。もうボールペンでは筆圧が強くなるので疲れてしまうからシャーペンで書くことが多い。

それくらいこの一年、急速な速さで体力の消耗が激しい。

ほとんどうちで寝ているけど何もしなくても動悸や息切れできつい。

動悸は背中まで感じて脈打つ程ひどい。



あとまたここの土地の話しに脱線するけど、一応たまにメディアとか見て憤慨するから訂正しときたい。

あのね。

バカにするほどなまりないんだけど。

特にわたしの住んでるところは標準語にかなり近いんだよね。

昔はどうかわからないのと浜の人は浜言葉があるから地域によっては全国でも知らないなまりがあるくらい。

だけどばかにしてるのかよ。

と思うようなテレビでわざと大げさに使うやつは誰も使わない。

そだねーは使う。

これは標準語だと最近まで思ってた。

それと、ワヤだわ。も標準語だと思ってた。


まぁ、あとの

したっけ、うまいっしょ、だべさとかを大量に使うのは大概にしといた方がいいと思う。

使いたいなら本当にそれを言ってるのかリサーチをしに来い。

っていう位使ってもいないし、イントネーションや目を剥きながら使うのは何それ。と思うくらい大げさだ。

あ、ゴミを投げるは言う。捨てるじゃない。

本州を内地とも言うのも本当だ。

後はとにかく面積が広すぎてずっとここにいるけどわたしもわからない事があるかな。

一応100箇所以上ある道の駅スタンプラリーは2年かけて完全制覇した事があるのとクルマが男並みに好きなので結構みんなが知らないところに行った事や通った事ないところは行ってるかもしれない。

北海道は異国の地のようなものだ。

もし何か質問があればお気軽にコメントをどうぞ。

そう。そうなんですよ。

今年の1月に肺の退院後すぐに娘ちゃんの足がおかしくなって病変が早すぎるからおぶって病院に連れてったのも極寒吹雪のときとかだったのだ。

肺に冷たい空気を吸い込むのも体力がすごくなくなってるのもあるし、冬は色々と今の身体に負担がかかるから退院後は最低でも1カ月は安静に。

とか言われたころ毎日娘ちゃんの事で動き回ってたり、内容も衝撃的なことだったしで、そこからも身体も心もバカになってる。



で、また話しをかえよ。

入院中いろんなことがあった。

わかったこと、考えさせられることも。

私の身体は今更驚きもされないが165センチ以上身長があるが体重は35ないくらいだ。

でも拒食症ではないので毎月完璧な周期で月経も来る。


ただ。

今までと今回入院して出た検査結果で変わってきていること。

全身状態がわるい(知ってるけど)

これは多分気づいてくれないと思うし何が悪くて具合悪いんだよ。と、一緒に考えてもくれない医者が多いと思うが、私の主治医はなんでも時間惜しまず付き合ってくれる。

なんせ専門外の気胸のレントゲンの画像をこれはなんなんだー?骨か?ここがだめなのかー?とかわたしと一緒に見て考えたりするような人。

とても楽しい。

で、今回わたしは全身の何が悪いのかわからない病。について考えてくれた。


まず手術した肺は左だけど肺じゃなく全部痛い。あの手術後で自分の身体がなんか全部変わってる感じは年明けからはあった。

例えるならば身体のバランスが天地がひっくり返ってるくらい不思議な感じ。別人。

あと舌痛症の苦しみは誰にもわからないだろう。

人によって違うんだろうけど、1日も大丈夫な日はない。

朝からMAXできつい日、徐々に時間とともにきつい日、食べるとダメは必ず同じ。

食べないと死ぬから食べる。

という食に対しての人としての価値観が皆さんと大幅に違う。

めちゃくちゃQOLが低いにも程がある。

わたしはいつから、あ、美味しい。

という言葉を言わなくなったのだろう。

今は舌や口腔内になるべく刺激を与えたくないので沢山噛むものはだめだ。

甘いものでもそのあと耐え難い苦みに味変するし、これはすぐやな感じになるかな。

ってのが、あれ?そうでもない。とかで、食べ物はどうなるのか見当がつかないロシアンルーレットのように食べてる。

なのでのどごしがいいもの。がほとんど。

すぐに飲み込まれるのを食べてる。

飲み物はあったかいものしか飲まなかったけど、それほど熱いものじゃなくてもはとても刺激するのでそれもダメになった。

そんなんだから食べる量も少なくなるし、栄養的にも良くないものだろうからまた体力が減るし体重も減る

食べたくないから食べないってのもあるけど。

わたしにとって食べる行為は傷口に塩を塗りたくって下さいね。ということに近い。


耳鼻科に今年の初めころ行って舌痛症だからそのうち治ると言われたのは書いた。

今回はしらみ潰し作戦でここの病院に入ってる口腔外科に診てもらった。

ここで2年前に親知らずを抜くだけ。という入院をしている。

で、そこら辺が関係あるのかとか、なんかわからないけど、今年ずっと調べてたときに抗生物質の投与や抵抗力が弱っている時に口腔内でカンジタ菌とかが悪さすることもあるってのを見たから細菌の検査もしてもらった。

所見では口腔内の異常は全くないと言われてしまったので気休めにどうぞ。

と、その間うがい薬をくれた。

……ばかにすんな。

1週間で検査の結果は出たけど口腔内はカンジタとかそうゆう真菌的なのはない。といわれて終わった。


治せないものはもう諦めてるし嘆いてもいない。

治るものは治したいんだよ。

と最初入院した日に担当医には伝えた。

でも、口腔外科の先生はどこの耳鼻科の先生に言われたのかわからないけど、これも治らないよ。

だって。

そりゃ精神薬飲んで治る人いるから。とか言われたけどまぁ治ってはいない。

てか舌痛症になる前からかなりきつい精神薬を長年飲んでる身分で治るわけはないね。

精神的なストレスとかがかなり関係するらしいけど、舌がおかしいだけでもそれがストレス過ぎて何のストレスを発散すれば良いのかわからないし、やけ酒とかやけ食いとかどっか行くとかなんも出来ないんだけど。

で、最後にうまくこれと付き合って暮らしていくしかないですね。

乾燥すると辛いからなるべく口渇に気をつけてね。

だってさ。


そうゆう結果も親愛なるUCの主治医に話した。

そしたらまた考えてくれて、少しでも楽にしてあげないとなぁと舌に塗る薬を出してくれた。

口の中だからとれやすいけどマシになればね。って言ってくれた。


あとはわたしの血液検査で炎症値も白血球の数値だけじゃなくいろんな項目から出るけど、これだけが高い。とかもあって、それは痛みに対して高く出てるのかな。というやつらしい。

感染系とかなんかの病気の炎症のじゃないやつ。

それを考えて、多分、閾値(生物学では、いきちと読む)が下がったんだろうね。

痛みの閾値。

前はもっと上だったから痛みとして感じないものが、今いろんなところが敏感で痛みにもすごく身体が反応するんだと思う。

ずっと体調が悪い中ストレスフルで我慢してきて年末にあの手術をし、予後が悪かったのも全部良くないんだろう。

身体を鈍感にする。

ってのを治療ということになるのかな。


で、入院中鎮痛剤を14回出された。

身体を麻痺させる。みたいで嫌な治療だ。

もちろんUCに悪さしない程度の鎮痛剤だから効いてんだかなんだか未だにわからない。

ただ胃に負担もかかるから胃薬と一緒に飲んでる。

ほかの科というと整形外科にも行った。

アスペルガーとの闘いでかなり右手が負傷したから。

やっぱり治ってないから貼り薬とかくれた。

こっちの痛みは我慢できる。


あとは主治医に血圧がかなり低いからふらふらは当たり前だけど、それも良くない。

と言われて、

きついと思うけど食べよう。検査で脱水も少しあるから水分も一緒に頑張って栄養をとって欲しい。

と言われた。


どうしたら閾値とやらを上げることが出来るのか病室に戻ってpadで閾値を上げる、と入れて調べた。

調べない方が良かった。

なんかそうゆう段階の人なの?

って感じなんだけど。


末期の癌患者さんの緩和ケアとか出たりする。

言われてるけどさ。

わたしは何も治療ないとか、なんかあってもお腹は手術も出来ないよ。とか。


ざっと見てやる気ゼロ人間になったからpadもポポイのポーイだ。


休むが目的の入院。

身体がふらふらで体温も血圧も痛みも安定してマシになるまで居てね。

と言ってくれたけど、主治医は娘っ子ともう少ししか一緒にいれないから早く帰りたいだろうし、頑張れ!って言ってくれた。


わたしはすぐに帰りたかった。

ここにいても治療とかないし、大部屋のうるささで眠れもできない。

気持ちが滅入ってストレスが溜まっていっただけ。

あと看護師のバカが気が利かないから同室の人が夜中喚いたり痛い痛いと唸ったりするのに見回りにこない。

この人もコール押して呼べよ。とか思うけど呼ばないし。

夜中の2時くらいまで考えてその人のベッドに行ってカーテンを開けてナースコール押しますか?と聞いた。

でも頭がどっかおかしくなってるのかトイレに行って呼ぶ。とか言う。

そんなふらふらで行けないですよ?と言っても行ったらそこで呼ぶ。ときかない。

じゃあ仕方ないので、付き添いますか?と言ったらお願いします。と言う

え。とか思うけどお互いふらふら人間でわたしより倍くらい大きい人の腕を掴んで連れて行った。

途中の廊下で看護師のバカが気付いて大騒ぎしてた。

わたしには珍しくごめんなさいねー。とか謝ってた。

とりあえず

身体の不調は沢山の検査で納得した。

なんもする事ない身体。大病が見つかったわけでもないけど、不調も治らない。

それがわかったらもう用事が済んだ。みたくなったし。

同室の人がとても厄介なのと

それに年末間近まではいたくないしね。

帰ったら帰ったでまた何もできないけど、買い物とかヨーカドーのネットスーパーを使うつもりだからそうゆう注文のとか、灯油をタンクもポリも満タンに頼んだりしないと。とか雑用を考えたらおちおち呑気に居られない。

今年は家で年末年始を横になってると思うが過ごせるだけ良かった事にしよう。

娘ちゃんと暮らす最後なのだ。


私の身体はいつ心不全になるかもわからないし、これはそろそろ他人様に迷惑がかかりそうだなと、自分教のため勝手に私自身が許可した安楽死をするかもしれない。


来年の4月以降(娘ちゃんの入社式)が済むまではなんとかがんばるけど。

娘ちゃんには日頃から死の教育をしていたので大体は受け入れられるだろう。

最初の一年くらいは悲しいとかあっても乗り越えていける環境と精神を身につけといてもらってると信じている。


次に投稿出来るのかわからないけど、ちゃんと娘ちゃんは送り出すつもりだからまた書けたらいいな。

前に井上尚弥の決勝を観るまでは死ねない。

が目標だったけど、今はわたしは、るろ剣が好きだったので(正確に言うと駒形由美)それが最近来年の夏だか秋にまた同じキャストで続編の映画をするからみたい。

駒形由美は前回死んでるから出ないけど内容と迫力は面白いのでそんなに思い入れはないが出来れば観たい程度。


あと最近AIの分身ロボットの特集をみた。

首から上が大丈夫な人にとって生きる楽しみ生きる希望が湧き上がるものだ。

絶望の中、人に迷惑しかかけてない無価値な人間だと嘆いて居た人がこの身体でももう一個欲しい!忙しくて楽しい!まだまだ生きてたい!と言ってる。

どうか行政はそのテクノロジーの発展に金をかけてくれ。

金儲けにつながるIRや東京五輪のことばっか考えてんな。


それでは今日は生きてます。

また生きてて書けるときに。

みなさん良いお年を。


『そんでまた独りになる』

アスペルガー馬鹿は実家に帰った。

わたしは結局最後の最後までそいつの身の周りのことをした。

引越し業者とも向こうは病気だとわからないのでこいつが話すとイチャモンをつけてるクレーマー扱いになって揉める。

強いこだわりで、どうしてそうなるのか、意味がわからない、辻褄が合わない。などなど

納得出来ないことを何度もしつこく聞くので仕方がない。

あなた(営業のひと)とは全く話にならない!と、その引越し業者の苦情センターにまで電話をしたが、その担当の人さえ何度もやりとりしたのち最後は居留守を使われて、折り返してください。と伝えても連絡すら来なくなっていた。

側で見ていて本人はそれだけで疲れ果ててげっそりして寝込みだしたのでやめさせた。

そしてわたしが違うところの業者をしらみつぶしに連絡し、最安でこの馬鹿にも良心的なやり方をしてもらえる業者に決め、その内容を本人に説明し、納得させてから手配と段取りをした。

それからやっと引越しが本格的に始まった。

ゴミ屋敷の大量のゴミだか必要だかわからないものの仕分けから始まり引越し業者さんが持ってきた段ボールで荷造りするまで全部だ。

ばかは重度のADHDの特徴で整理片付けが全く出来ないから。

そして身体が薬の副作用で全然動けないから。

幼稚園児の方がきっとかなり作業も進んでお役に立つと思う。

だけど、これまたアスペルガー全開で、口だけは健康だから威張り腐りながらこれはそうゆう風にするのやめて。いま何触ったの?明らかに生ゴミだというのでも勝手に捨てないで!俺がわかないことしないでよ!ちゃんと見せてからにして!

とか言うんだけど。

台所の賞味期限が何年も過ぎた調味料ひとつ、溶けて袋に引っ付いた小さな飴玉一個全てである。

最初に途方に暮れて泣きながら、

出来ないのでお願いします

と自分の引越しを他人にやってもらってる身分で何故にそんな偉そうに出来るのかほんとうに腹が立つ病気だ。

業者と決めた最低の金額内での荷物は、大の段ボールでは40箱だ。ほかにマットレスや大物がある。

引越しの荷造りを最低になんとかしても多分ファミリー用くらいのボリュームだろう。

あとは最終日の受診のとき今までかかっていた病院で次のところの紹介状も抜かりなく出してもらった。

発達障害の専門医、認定医の先生じゃないと今後色んな申請を出すのに効力を持たないからダメだとアスペルガー馬鹿は散々騒いでいたので、話すときはわたしと主治医の先生と考えて、なかなか予約は取りづらいけど、ちょうど主治医の先生が医科大学時代の先輩に当たる人の机下宛に一応二つの病院に出してもらえた。

他、この土地での役所関係、住処の退去の手続き、実家なので早く着く分にはいいから帰る日直前から向こうに行くように郵便の住所変更さえ全部やった。


そして何度かまた荷造り中わたしが我慢できないほどのレベルで威張ると格闘が始まる。

そしてその都度泣いて、

ごめんなさい。

俺は本当にどうしようもない

とか言ってやがる。

その繰り返し。

で、そんなこんなでやっとこわたしがやることがほとんど終わった。

最後は身体がぼろぼろになった。

ヒビがまだ治ってなかった中でぶん殴ったり、力仕事をしたので右手もまた悪化した。

ミシッて音を聞いた時あーあ

と思ったけど、こいつをこの土地から抹消するには犠牲は付き物だと学んでいるのでよい。

引っ越し業者さんの当日の朝でもまだ荷造りが終わってなかった。

この場に及んでまで明らかな布切れやスーパーのビニール袋、紙袋などのゴミも段ボールに入れて持って帰ろうとする有り様だ。

40箱で出してもらった見積もり金額なのに49箱になった。

もし多くなりそうならお知らせください。

と言われているのはわたしだ。

わたしがやり取りしているから恥ずかしい事をしないでほしいけどそんなのが通じないのがアスペルガーである。

絶対40でおさまらないとわかったとき、引っ越し屋さんに電話してオーバーしそうだから一個の単価聞くわ。といったら何個になったかわからないで済むかもしれないからしないで。とか言う。

わたしはそうゆうズル賢いのが嫌いなんだけど。

そして引っ越し屋さんは予定時間通りに来てくれた。

めちゃくちゃ重たいものしかない。

謎の石とか読みもしない無駄なゴツい本。もしくは精密機器ばかり。

終いには作業で引いていたサブロクくらいの薄いベニヤ板三枚も持って帰るときかない。


それをこんなにも丁寧に?とおもうほどちゃんとしてくれた。

そして一個一個に番号シールを貼っていったので個数オーバーはわかってもらえるぽい。

電話で前もって伝えなきゃだめだからそれだけで本当にとても恥ずかしい。

それなのに、全部積荷して清算するときに、最初に決めたのを変えれませんから。と嫌な顔ひとつせずに金額はそのままでやってくれた。

とても申し訳無い気持ちとなんだか無性に男の人1人と女の人1人がプロの仕事をしている姿に感動してしまった。

毎日朝から通い詰めて引っ越しの事をしていたのでこのアスペルガー馬鹿くらいしか最近話してなかったからか普通の人と話すとこんな感じだっけ?みたくなって、その逞しさと優しさとかで胸がいっぱいになり泣きそうになった。

わたしは朝8時から来て何も飲まず食わずにやり続けて、トイレにも1度も行かないでなんとか18時前に引っ越しは終わった。

そして寝袋で一晩こいつは寝る。

なので夜ご飯と朝ごはんをコンビニに買いに付き合って、また家に送り届けた。

で、わたしは意識が朦朧としながら自分の家に帰った。

帰っても食道が塞がったみたいに固形物は何にも喉に入らないのですぐに横になった。


今振り返ってみて、この2ヶ月がピークできっとかなりわたしは辛かった。

自分の引っ越しを人にやってもらってるくせに口調もキツく、文句を言われて感覚もどんどん麻痺してたし、体も朝起きたら毎日の疲労で浮腫みが辛かったし、右手も不自由、身体は元々病気。そんなのがやってるんだから。

じぶんではもう『やるしか道はない。』しかなくて限界なんか言ってられない。と、やっていたんだと思う。


そんなこんなで疲れすぎなのかほぼその夜は眠れずに次の日の朝8時前にまた家に行き、簡単な後始末と帰る荷造りをし、ここから消える瞬間(空港に送る)まで面倒をみた。

2週ごと往復8時間かけての通院から始まったこいつのと最終戦争は丸5ヶ月で終わりになった。


帰ったあとも必要書類を預かって年金の減免措置の手続き(書式は本人の名前が自筆で横に印鑑を押してあれば好きに書いた委任状があれば良いというから)を役所に代理で行って申請してからまた郵送で送り返したり。

本当にこいつのことは散々やった。


そうして知り合ってからの3年があっけなく終わった。

いまはそいつの痕跡は跡形もなくわたしの生活から無くなった。

あ、居たんだなと思い出せるのは身体中に出来た青あざや切り傷の跡。

右手は肘下から痛みが酷くほとんどもう力が入らなくなった。

体調があまりにも悪いからいつでも入院できる為用のキャスターも部屋にあったが玄関にまで移動してる。


こいつは、飛ぶ鳥跡をとっても濁す。

という男なので最後は地域の曜日に間に合わなかったんだ

ごめん。悪いけど〇〇ちゃんの地域の時に出してください。

と、人の車に古新聞古雑誌の回収系、段ボールの残骸やゴミを散々置いて行った。

最低である。


だけど、片付けをしている時に見つけたもの。

わたしが毎日通っているカフェに3年前こいつは突然話しかけてきた。

ちょうど3年前の年末だった、レシートを見てこの時間に来る人なのかと3日同じ時間に通ってわたしがいたら話しかけてみよう。とやってきたのがはじまりだ。

その頃のわたしは難病の薬が半年くらい飲んでて効いてたしこれから先の事をいつ何時、何が起こっても良いように整理しなくてはならない。

と、全てを終え全てを無くしてひと段落がついた時だった。

みんなが年の瀬で慌ただしくしている時も無心にカフェで本を読んでいた。来る日も来る日も何も考えずに本を読んでいた。

なので周りに誰かが居たとか全く見覚えも無かったけど、そんな不気味なわたしに話しかけてきたのだ。

その時の4日分の同じ時間帯が印字されたカフェのレシートを見つけた。

わたしにまつわるものはこれも捨てられないこだわりなのか何でもとってある。

一緒に食べたお菓子やパンの袋とかお店のカードとか何でも。

ちょっと気持ち悪いかもだけど、わたしのたまたま抜けた髪も絶対にとって大事にしていた。

わからないけど沢山の涙が出てきた。

止まらなかった。

何泣きなんだろうか。

わたしを勝手に見つけたくせにこんな感じになってお前は帰るのか。という怒りなんだろうか?

それの終わりが自分の身体がもうどうにもならないくらいに不調になったからなんだろうか。

もうよくわからん。

これも時が解決して行くんだろう。


お次は娘ちゃん。

娘ちゃんの問題もアスペルガーばかと同じ時期だ。

7月くらいから就活をひたすら頑張り続けてきた。

これまた地獄の日が何度もあった。

娘ちゃんは超がつくほど真面目で外では絶対に嫌な顔とかしない。

その分イライラや理不尽な世の中に体当たりでほぼほぼ毎日わたしにぶつけて来るけど、それにも向き合って行く。

わたしはブラック化した娘ちゃんに、

そんな程度何ともないよ。ストレスは難病にも良くない!全部ぶつけてー!って風を装って向き合う。

口調もキツイし顔も怖いし話しかけても無視も平気でされる。

本音はかなり精神的にやられたけど。

ハゲそうなくらい参ったけど。

恥ずかしいが夜中泣いたこともあるけど。

まぁ仕方ない。

親になった人しかわからないと思うが、子供に死にたい。と泣き叫ばれたときはかなり凹んだのだ。

学校の帰り道、どうやって死ねるのかな?

交差点があるたびにだれか轢いてくれないだろうか。

ばかり考えて帰ってきた。

と家に入るなり床に倒れて大泣きして言われた。

一応娘ちゃんはわかっている。

わたしに向かって

「せっかく産んでもらった親にそんなことを言うのはめっちゃ親は辛いと思うし酷いことなのわかってるんだ。でも言った方が良いと思って。」

と言われた。

わたしは、

「うん!言って言って!いつも帰ってきて暗い顔してなんかあったのかな?

とか今何考えてるのかな?とかわからないより全然良いんだー!」

娘ちゃんは、

「そんなこと普通の親は言わないと思うし、親なら、そんな死にたいなんて言わないでよ!絶対大丈夫だから!

とか言うと思うんだけど、〇〇ちゃんの最初の反応で、あ、言った方が良い。って思ったんだ。」

と言う。

そう。わたしは死にたくなることは誰でもあるしその理由が薄かろうが濃かろうが人間は死にたい時は死にたい。

なので、娘ちゃんに言われた時、親のくせに、

「わかるー‼︎

死にたくなる時めっちゃあるよね!」


と前のめりで肯定している。

「そりゃ親だから娘ちゃんにそれを言われたら辛ってなるけど全然みんなたまに死にたいし。とてもわかるので大丈夫ー。

あと産んでくれたのにとか言ってたけどわたしが好きで勝手に産んだんだし。

娘ちゃんが死にたいと思うような人生になったんならかえって申し訳ない‼︎

だよー。

だから、死ぬ時言って!産んで申し訳ないー!って一緒に死ぬからね!」

とウキウキで話してたら、なんだか娘ちゃんは苦笑いして、くだらなくなった!すっきりしたよ。とお元気になっていった。


変な親だと思うけどわたしにはそうゆうことなんだ。わたしはなんにもこんなに大きくなった娘ちゃんに役に立つことなんかないんだもん。

そんな事しか出来ないんだ。

もう社会からも離れて知人ともわざと距離を取ってる。誰かに相談とかしたくないし、誰かいたとしても話すとなぜだか余計に弱るし。

それ以前に舌痛症が最悪過ぎてもはや普通に話すのも嫌なのだ。


学校や企業に対してもわたし自身ムカつく事があった。

そうゆうのは黙ってられないので、これまた猛突進して全滅させないとダメなのでとても疲れた。

どこからのとか、どいつのとか、もうめちゃくちゃになってごちゃ混ぜなので判明出来ないほどメンタルも身体もボロクソになった。


それも今は全部終わった。

娘ちゃんのこだわりでここがいいと納得できるところに就職が決まった。

そして決まったのですぐに自動車学校の手続きをして免許を取りに行っている。

早くしないと地元を離れての職場なので間に合わない。

これはわたしはお金を払う事しか出来ないので己の力で引き続きひたすら頑張って取っておくれ。

とりあえず担当の教官?みたいなのは娘ちゃんは自分の子供と同じ歳くらいだからか話しやすくとても優しい良い先生らしい。

ビビリの娘ちゃんなのでここは直線で飛ばしていいよーと言われても未だに最高速度は37キロしか出ないぽい。可愛い。


ばかの引越しが終わってこの地から去ったらすぐにまたわたしと娘ちゃん2件分の荷造りがある。

ちょいちょいとかなり捨ててはきてたけど、まだ使うもの、持って行きたいか本人に確認するものなどがある。

就活中の娘ちゃんは、

俺に触ると怪我するぜ?

みたくとても目がつり上がっているようになっていたので簡単な日常生活の聞きたいことも安易に話しかける事も出来なかった。

バイトも人員の中では上らしく娘ちゃんは新しく入る人のトレーナーとやの身分で、店長に言ってもあまり休ませてもらえなかったり、イライラが超マックスであった。

キレ過ぎて突然店長に電話してそんなやり方するならやめる。と言ってみたりしてた。

それもなんとか落ちついて自学優先で日曜日の出れる時とかでいいから。と言ってもらえたりして、今となったら嘘のようにまたぽわーんとした柔らかな雰囲気が戻ってきたのでなんとかわたしも娘ちゃんに怯えることなく暮らせるようになった。

また以前みたくベッタリくっついて今日なんの映画観るー?と楽しそうだ。

わたしのベットにまで来てずっと喋って離れないとか。

かなり平和になった。

そしてお友達と溜まりに溜まった遊ぶ約束を入れ込み出して満喫している。

それもそれで心配だ。娘ちゃんは恐ろしく極端である。


あとはもう少しわたしの身体が復活したら一気に引越しの準備を進める。

娘ちゃんには普通親が実家で結婚するくらいまでは持ってるであろう。というような幼少期からの自分のものもわたしがどうなるか分からないから全部持って行ってもらう。


わたしは……


わたしはどこに行くのか決まってない。

まず娘ちゃんの事で精一杯だ。

新しい土地での病院は難病の方のは今のわたしと一緒の主治医がイチ推しのIBDセンター長が主治医に決まっているし、最近受診した時も

「もう用意は出来ているからね。あとは最後2月に簡単な検査結果を添付したら完成!」

らしい。

もう一個の訳の分からん10年くらいは見なきゃならないPR3-ANCAのやつの医大の病院も難病と同じ病院に紹介状を1月にもらう事が随分前に決まっているから安心である。

あとは心配なので初診だけはご挨拶がてら同行するつもり。これは3月の初めころになるかな

娘ちゃんの住む場所は決まったので全部綺麗に終わらせる事はできる。

事務的なこと、今後は生命保険とか私名義のものを自分に変えてそれの口座変更や色んな支払いの引き落としを自分名義にしないとならないからそれの手続き。

流れは出来ている。時期も工程は出来ている。


そのあと最後にさぁ!自分はどうするかな。

となる。

難病の主治医はもう娘ちゃんがそばにいてもはっきり話すようになった。

わたしは相変わらず死がとても近いとおもうけどあと娘ちゃんと暮らす3ヶ月はなんとかイケるとおもう。

娘ちゃんは大丈夫だ。減薬もしてしばらく落ちついたら断薬の期間も視野に入れて紹介状には書いてるから。と言われた。

わたしはまだ一度も減薬どころかそのまま活動期で飲む容量のまま。

肺も気胸のまま。

この季節になるともう1年になるんだな

と最近ふと思う。

クリスマスに息が出来なくなった。

手術のときも入院生活も未だに鮮明に覚えている。

いつまたくるかわからないあの呼吸困難のやつ。

そっかー食べ物の味もわからなくなったのも一年経つ。

味がないだけなら全然いいんだけど舌先や舌全部のビリビリ、口の中全部が金属ぽい感じ、唇までの痺れにはほんとうにこれを毎日我慢していられたことは普通の人間ではないとおもえるわ。

あとは今年こそ大晦日にガキの使いをみたい。てか、娘ちゃんとの2人暮らし最後の年末年始はのんびり過ごしていたい。


WBSSの井上の試合は願い通り観れた。

一応全試合コンプリートしている。

バンタム級のWBOのベルトを狙ってるみたいだからそれもなんとか観たいけどいつかわからないしとりあえず今のところ満足した。

そのほかは思い残す事がないようにしていこう。


この歳であと23ヶ月後のわたしは一体どこに暮らして一体どうなってるんだろか?

と生活している人きっといないだろう。

一応2月だか3月に入居できる市住の申し込みも布石的にしてきたけど人気のないところはゼロとかもいっぱいあるがわたしが入りたい所は新しいし久々の単身可の物件だから倍率100倍位だ。

きっとダメだね。まぁ独りだからどうにでもなる。

自分のことはなんとでもなる。

ほかの土地に行くなら今の街で沢山の手続きがあるからそのままの住所があるうちにしないとならない。

今の家は娘ちゃんがいるうちだけの2月いっぱいになると思うので、出てそれらをやるかもしれないから最悪は車中泊生活が短期間であるかもしんない。

とんでもない人生だ。

それでも今のところまだ生きているから考えておかないならない。

みんなそうだろうけど、わたしにとっても生きることは地獄だ。

「死にたいまま生きている」

という人もいると思うが、わたしは

「なるべくなら生きたいが死ぬだろう」

だ。

親兄弟ともあれきりだな。

クソジジイは肺の手術の前の日に叔母が教えてやって来たけど大げんかになった以来だ。

姉と母親は何年会ってないのか数えられないや。



今の娘ちゃんは学校帰りそのまま自学、日曜はバイトか遊びで朝から出て夜遅くまでいないからあまり顔を合わさない。

だけど一緒になる時間帯はなんとか娘ちゃんが離れて行く日までわたしはとてもお元気です!って感じでいなくてはならないし、その残された時間を大切にしたい。


7月初めに勃発した嫌なことも春ころにはなんとか目処もついて関わることも一生なくなると願って暮らしている。

それはその直前に一気にカタがつくのでまだ不安なのは仕方ないけど今は考えてもしょうがない。


そのあとはしらない。

のたれ死んだらそれはそれまで。

今の近況というか書くことができるのはこのへんです。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント