2021.3月末


昨年1月より世界中を大パニックに陥れた新型コロナウィルスが出始めてからかなり経っている。

当初、未曾有。という言葉を良く使っていたがもう殆ど耳にしないね。


今のわたしはひとり未曾有だ。

新型コロナよりも1人でとんでもないことになっている。

2020.11末頃。

難病がわかってからひたすらストイックに食べたいものも食べず寛解を維持してきたけれど……

ここにきて


『再燃』のもよう。


嫌な予感していたんだけどね

今まで多少腸が腫れてる感覚や痛みはあったけど、すぐおさまっていたのに今回はそれじゃ済まなくなりました。

久々の感覚に一気に血の気が引き、心の奥底から何かわからないものが、焦り、湧き出して流れ出て行く。

わたしはもう再発をしたら体力がもたずにダメなひとになる。

と言われたけど⁇

投薬中の発症はどこまでの酷さで先行きがどうなるのか未経験なのでわからない。

ただひたすらボーゼン。魂の抜けがら状態だ。


難病のくすりを飲み始めて、食事も180度変わり、衰弱しながらもなんとか寛解を維持して来た。

それからの再燃は未知の世界で途方に暮れた。

もう内科的治療(薬の変更など)

で済まなくなって行くのだろうか。

焦る。

いまもう少しだけわたしは死ねない。


その頃、わたしの主治医はテレビに出るほどその地域は最悪なコロナの巨大クラスターの事態となっていた。

感染機関病院のなかで一番先に受け入れる病院の院長だから、大変なその状況に毎日毎日心が痛んだ。


知り合いは大丈夫だろうか。クラスターが発生した所で勤務している友人やその家族、全ての人が心配になったのと、主治医もコロナになると危ないのを知っているから、余計にお腹の悪さと相まって全く眠れなくなった。


戦場となってからしばらく経ち多少見通しがついているかなと思う頃、年末近くに病院に連絡をした。

そして主治医と自分の状態を細かく話す。

すでに1か月は経っていたが、展開も読めず、せっかくもらってきた紹介状の病院にもコロナの蔓延でどうしても都心部に行く気になれず、活動期に服用する最大量に増やして薬を飲み続けている。と話した。

主治医は、

それでいい。とりあえず年明けまでなんとかなるか?と言い、わたしは大丈夫だよ。と答えた。

このまま年明けにまた状態を見て考えてみよう。

と言われ、そうする事にした。

主治医の方も心配だったが、話した時いつもと変わらず、あったかい包み込まれるような口調に安心した。


そっち。酷かったね。全国テレビでも報道されてたから出てたの観たよ?

見たことないピリピリした顔してインタビューされてたから心配だった。

と言うと、

あー!ピリピリして話さないとカット!って言われるんだよ!笑

といつもの屈託なく笑いながら喋る主治医だった。

お嬢はそっちにいて正解だ。よかったな!

と言われたけど複雑な気持ちになった。



とりあえず8歳からこの症状と付き合っていたから辿る経路はわかる。

でも難病だとわかってから薬は一度も欠かさずにずっと飲んできて、ぴたりと止まっていたからそれを飲んでしても症状が出たことにわたしのこころは到底対応できなかった。


原因はわかっている。

地元から1,200キロ離れた所までフェリーを使ってひとりで運転してきた。

その疲労は思ったよりも厳しかった。

体力がどんどん失っていき食べても食べても追いつかないくらい憔悴していた。

34キロくらいはあった体重も32キロを切っていたし。

そして、1番はこころがだめになっていた。

春に戻るまではこの知らない土地でわたしはコロナにかかることは絶対に出来ない。

左肺はもう完全に治らないのはわかっているから何としてもでもじぶんで守るしかない。

いつでも死ぬ準備は出来ているがしつこいけど死因がコロナではダメなんだよ

それがまた全国的な感染拡大になってる。

コロナがこんなにも自分の邪魔なるとは思わなかった。

細心の注意をして出る。

ではなくなっていた。

新しい土地に来て、週に一度、車で行ってもせいぜい滞在時間30分程度の食料品の買い物だけをしていたが、それも2週に一度になり、それから月に一度そして今現在行くことはない。

昨年1229日と明けて15日に行ったきり、その後緊急事態宣言が出た後は一度も行っていない。

外にでたのは今年、今までで片手でたりる。

ただバッテリーが上がってないか徒歩2分の駐車場に行ってエンジンをかけて少し辺りを走る。

あとはついでにポツンとあるポストに投函してくるくらい。

それだけ。


テレビはコロナの変異種の脅威や後遺症、ワクチンの話ばかりだ。


そんなんで。


一歩も外に出ることができなくなった

人と会うのは1週間に一度、ネットスーパーの宅配の人のみの1分くらい。

動いてる人間を見るのもその日のみ。


20202021の年末年始は今年も1人だった。

今日、昨日過ごしたことと同じように何ごともなく過ぎて行った。

相変わらず親兄弟はわたしがどこで何をしているのかも知らずに生きている。

誰かが死ねば役所からか、なんらかの手続きが必要だ。と連絡が来てわかるだろう。

わたしが死ぬと弁護士の権限を行使するので親兄弟に連絡が届くのはかなり経ってからになるけど。



あとの数回の外出は


実は病院だ。



ずっといままで自分はまともではない。

そんなことはとっくにわかっていたけれど。


パニ症から始まり精神疾患であろうあらゆる現象や生きづらさがあった。

それがこの土地にきて顕著に現れてきた。

何かが、ちがう。


いつもあったけど、もっと違うなにか


以前にも増して身体がまったく動かなくなった。

何ひとつできない。全てが崩壊している。


そして、こちらに来て家を貸してもらっている友人が堪りかねて病院に連れて行ってくれた。


そしていろんな検査をした。

初日でほぼわかったようだけど、毎週同じ曜日に友人はわたしをその病院に連れて行ってくれた。


わたしはわたしの身体のことは必ず聞く。

自分が自分を守るしかないから。知らないと計画が立てられず大変だから。


そして、医者は、

ほんとは患者さんには言わない。薬を飲ませて通ってもらう様になるね。までしか言わないんですが。


と前置きし、わたしは精神(心)の病気ではなかった。

統計でいうと軽症も合わせて0.40.6%しかいない治らない脳の病気だった。


脳の信号が誤作動を起こすんだろう。

原因がわかっていない。治療薬もない。

はいはい。またでた。

稀有なやつね。一生お付き合いするやつ。


どれだけ普通の病気と縁がないんだよ。

相変わらず風邪も20年は引いてないし、食当たりとか、難病とは関係ない腹痛もそのくらいないんだけど。インフルエンザもかかった記憶すらない。


この病気について結構詳しく教えてくれた。

亡くなった人の統計では平均寿命より30年以上早く死ぬ。

突然死がある。

なんかいろいろ書いて説明受けたけどまぁ、ろくたらな病気じゃないわ。


その前に死んでそうだし。

ただ今年は生きていたいんだ。


娘ちゃんは素晴らしい功績を着実と残している。

その職種で一番の企業で、グループ自体も規模が大きい。


その中でもう少しでくる41日。

娘ちゃんは今年度の新入社員の入社式で新入さんに向けた、挨拶の言葉をのべる。

上役さんから、あらゆる社員の方々が集まっている所で

そんな大役を任されたぽい。

忙しい中原稿を書きチェックをいれてもらっていた。

そして新人さんの指導をしていくのだろう。



そんな中でもじぶんがどうなるかわからない病と共に頑張っている。

定期的な病院の日の検査結果は全て送ってもらっているが、気休めでもいい状態だね。とは言えない。


それでも心が健康だからほんとうに救い。

たまに仕事のボリュームに癇癪をおこすけどそれもなんだか嬉しい。


もう少しで成人式の前撮りの日程をくんでいる。

最後のわたしの勤めになるだろう。


好きなところを選んでいいよ。

お金はわたしが出すからどこでも構わないからね。

というととても楽しみにしていた。


それが終わるのを見届けたい。

ほんとうの成人式はまだわたしが生きていてもお友達と一緒なのかもしれないしその辺は敢えて話していない。



わたしの未来は相変わらずだ。

地元に戻ったら主治医と今後のことを話していかなくてはならない。


これくらいしかまだはっきりとわからない。またすぐに投稿できたらいいな。

ここはわたしの吐き出し場所。