記憶障害がひどすぎる。走り慣れた道までわからなくなって来たこの頃だ。
あと、言葉がたどたどしい。物の名前や単語が思いだせない。
言語障害もおきると言われたっけ?
そんな感じだから意味不明な事を書くかもしれないけど、これもまた現実である。
最後の投稿から数日後、なんか変だなぁーと思ったら帯状疱疹になった。
最初かぶれた?とかとおもったら違うし。
これ。とんでもなく痛いんだけど。
神経の痛みだから鎮痛剤は効かないと言われて神経ブロック注射を打つ。それか耐えられない人はペインクリニックとかに結構入院してる。
原因は過労とストレスからくる抵抗力低下でなる。と言われたけど、ここに来て今更どれのストレスなのか考えると笑える。
表面的なのは1ヶ月くらいみたら治るとか言われたけど、この飲み薬がとんでもなく副作用がきつい。注意欄に意識障害がある。(かもしれないではない)ほんとに朦朧とするし日々記憶すら曖昧だ。
なので当たり前だけどいろんなことがうまく出来ないし、転倒したり火傷したり物が壊れたり。と、いらん事が異常に増えた。
家で絶対安静に。と言われたけど、身体のことじゃなく、いらん事ばっかりになるからなのかなと思えたので従っとこう。
ただ最低限の飲食物は必要だ。
でも、転倒して足の甲が腫れ上がり、サンダルさえも履けない時は絶望した。
さすがに今の時代、子どもじゃあるまいし裸足で外を歩くには一応まだ出来ないという理性があるみたいだ。
相変わらず人の助け。とやらはいらない。
また得意のとにかくなんらかで凌ぐ。を、ただひたすらする。
肺もだし、高校生の時膝下から切断するかもしれなかったのも左。これまたおんなじ左だから身体は左右どちらかが人は弱いとか医学的にあるのだろうか。
いや。わたしの身体は内外ともに全身おかしいな……。
脳死の時のドナー提供には眼球以外で登録してるけど、まともに使い物になる臓器はあるんだろか?なんだか申し訳ないね。
輸血用に血液は全部抜いて良いよ?くらいしか言えない。
帯状疱疹は左の胸あたりから後ろにまわって背中の中央近くまで疱疹がでた。
今までひとりでずっといて、あんま困ったことってないけど、今回しょうもない事で困った。
手の届かない背中に塗り薬を塗ることができないのだ。1日2回行うから頻度がある面倒な困りごとだ。
でもって。
アタマが回らないからヘラとかスプーンを使うと良い。を治る頃知った。
あら、そーだね。
と思った。
後から帯状疱疹なのになんで入院してなかったの?は数人に言われたけど、華道に使う剣山みたいな針でブスブスずっと刺されてるみたいにとんでもなく痛かったけど、通院で良いと言われたからそこまでじゃないのかな。
痛いのは神経の痛みだから数年持ち越す人も多いらしく、それを知ってるひとは帯状疱疹のワクチンさえあるのも聞いてそこまでコイツはかかりたくない厄介なやつなんだな。
と改めて思った。
とりあえず最近治ったぽい。
しばらくの間衣類が触るのも痛いからとりあえず毎日左を上に横向きで寝てたら少しの時間でも起きると右耳が死んでるんでないかと思うほど感覚も消えて痛かった。
あと、いつもデカイ病院しか行かないから採血ならそれだけをする採血室のプロの人。とかで、点滴とかは入院の時くらいしか普通の看護師はわたしに注射をすることがなかったけど、普通の看護師でも大勢の人の回数をこなしてたり入院してるくらい重篤なかただろうから、わたしみたいな全然血管出ない人はよくいるんだろう。
だけど、行った先の皮膚科の看護師は最後まで一度しか注射を成功しなくて両腕がヤク中の人みたくなった。
こんなに平均的に一般の病院は注射がヘタクソなの?
この病院のたぶん全看護師にあたったと思うんだけど1人まぐれで一回1発目で成功だった。
痛いし、あざが気持ち悪い色の時がたまにあるからこっちがムカつく立場だと思っていたけど、最近知り合いの看護師に、あら!看護師さん泣かせなのね!って言われたんだけど、何それ。
焦るとか緊張するとかの意味なんだろうけどこっちが泣く方なんだけどなんだよ。
北海道はニュースでも出てるくらい日本一暑い日があったり、猛暑が続いていて、陽当たり一番の真南向きの角部屋でエアコンのないこのウィークリーマンションは安静に寝たきりのひとにとっては地獄でしかない。
とにかくえらい目にあってる。
今日もわたしのいる地域は37℃。
1ヶ月は35℃くらいをバカみたくずっーとやってる。
こんなに人口少ないのに数人熱中症で死んでる。
冬は極寒のマイナス35℃で小さいころ凍死してるおじさんを道の端っこで発見したことあったなぁ…。
…とりあえずいまは多少の後遺症が残ってまた違う治療が必要か考え中だ。
脳みそバカのビョーキの方はなんだかもっと悪化した気がする。
6月初めに受診した時の難病の主治医とは専門外のビョーキだけど今後のことについて1時間くらい話した。
結論はお互い悩み、考え過ぎるくらい考えて、とりあえず東京でこれを飲んどけ。と言われた薬を飲んでみてまたやっぱりダメなら……。とかになった。
主治医のそうした理由。
突然死んだら色々とたいへんだから。
だ。
それはそうだ。こちらも同意見である。
あ。
ここの久々の外来でうけた検査で相変わらず肺はもうもとには戻らない。
あとは血液の数値が微妙にわるい。
肝臓がどんどんダメになってる。いつも基準値からはみ出てるけどどんどんはみ出ている。
7月中ごろ大事な書類の手続きで全く意思の疎通が出来ない、いきつけの精神科の医者の受診を久々にしたけど、もっと死にたくなるくらいぼろぼろに言われて精神をやっつけられるという目に遭った。
そんな奴だとわかっていたけど、久々だったからか結構ガチ目に心が粉砕した。
そんな精神科病院がここ以外にあれば知りたい。
この書類の為だ。と思ってやっつけられた日と2晩くらいもがき苦しむ。をこれまた堪えた。
これでここの病院はもう行かない。
コイツとの付き合いは7年チョイで幕を閉じそうだ。
脳の方の問題のやつは本格的に向き合うならば難病の一番信頼している主治医がうちにしろよー!と前から言われてたから、ここの精神科に回してもらおうとも考えていたけど主治医になるであろう、ってやつが肺の手術の時に会って話したらろくでもないことになってコイツを受け付けられなくなったしな。
そんなんで、じぶんと相性があった精神科医は15のときから1人もいなかったし、とりあえず今度のは、ぼろくそにやっつけてこないやつ。
というを最低限を目標の目安にしといた。
行ってみないとわからないし、紹介状なしでも大丈夫なのはほぼ個人病院と限られてるから、今住んでるウィークリーから近所で、受診のシステムが面倒くさくないところを探してそこで手を打った。
1番早い予約はお盆前だった。
多分こんなにクセのある面倒くさい症状ばっかり抱えてるやつが来るとは思ってないだろし、向こうも気の毒だと思っておこう。
どんな話しになるのかは憂鬱だけど、いつもの変わりないくすりしか飲まないか、ちゃんと脳みそバカの病気を抑える薬も飲んで操り人形になるかだな。
何の投薬もしないで生きづらい苦しみや全身の痛みと付き合うとほぼ決めてはいたけどここにきて結構やらかしてるから1人だけの問題じゃ済まなくなると大変なので両方で考えている。
どっちを選んでも地獄的だけど。
選択が地獄しかないのもあるんだろうか?
これも合わせて知りたい。
ここまで書いてこんなにコントのように思いもしない嫌な出来事ばかりおこるものだろうか……。
期間にして2ヶ月も経っとらんのだけども。
話を変えよう。
最近心の変化というか、わたし。という『ひと』の在り方。みたいな事を考えさせられている。
娘ちゃんがとうとう二十歳になった。
なる前の日と、当日。毎年の誕生日とはこんなにも違うものなのかと思った。
何がなんでもこの日を迎えるまでは死ねない。を言い続けてきすぎた。
それを成し遂げる事はじぶんにとっては、かなり難しく、とにかく必死だった事のようなのだ。
誕生日を過ぎたいま。
この。もういつでも死ねるーーーー!
みたいな開放感はなんなんだ。
すると前にもまして今の一瞬でも何故に生きてるのかが本気で不思議でたまらない病になっている。
未だにわたしの居場所を知っている人は娘ちゃんと毎月お茶のお誘いをずっとしてくれている友人一名のみだ。
ほんとに本人は全身苦痛だらけでお先も真っ暗で何故に生きている必要があるんだろうか。とてつもなく疑問なのだ。
思いつくのは娘ちゃんがイライラが止まらなくて職場ではとてもちゃんたしたひと。を通しているからか、たまに愚痴の大爆弾を吐き出してくる時いないとならない。という感じだ。
わたしの方から娘ちゃんにとって重要な話で連絡しても何日もLINEの既読がつかない。
とても自分の都合のよい仕組みになっている。
幸にして、娘ちゃんは職場のひとにとても可愛がってもらえて何かあってもすぐにかけつけてもらえるような感じである。職域でのコロナのワクチンも接種済みだ。
プライベートでもとても今のこの若い時代を楽しんでいる。
それはわたしにしてもとても有難いし嬉しい事だ。
わたしは……。
まだ居場所を見つけられていない。
コロナ禍で特定疾患の難病の更新は去年は更新なしでそのまま使える。だったけど、今年の通知は年末まで今の受給者証は使えて、更新の手続きのお知らせはだいたい9月に入ってから郵送でのやり取りのようだ。
あーーーーーーーーーー!
これがまたくる。ほんとに面倒でしかない。
郵送でとか言っても必要書類を揃えたりするのに外出するんだけど。
それが年末っていったら寒いわ雪だわで、延長のカタチをとってあげたよ良かったね。ぐらいで国は思ってんだか知らんけどこっちにしたらいらんことするな。って感じなんだよ。
先がほんとに見通せないのだ。
見えない鎖にいつまでも繋がれている。
そんなことを考えるとか地獄絵図の暑さに苦しむ。をするだけの毎日で他に何もなく、どこからかそんなに生き延びたいの?とか聴こえてきそうで笑えてくる。
今日は原爆投下された日。
静かに黙祷した。
そして北海道の七夕は1ヶ月遅れの明日8月7日だ。
願い事は決まっている。