未だに新型コロナにいつまでも翻弄される世界。
オリンピックの歓喜とコロナの感染爆発の恐怖ニュースがごちゃ混ぜだった凄い違和感のある暑かった夏も遠い昔の様に終わり、今年も冬が来た。
そしてまた違う変異種の発生に毎日毎日またまた世界中大騒ぎである。
最後の投稿からかなり経ってしまったけど、またしてもいろんな事があった。
この土地に帰ってきて、ほんとにろくな事が起こらない。今の生活環境が悪いのかもしれないけど…。
最後に投稿してからの続きで書こうと思う。
近場で行こうと予約していた小さな心療内科は結局いってはいない。
最初からじぶんの事を話すのがとても面倒くさくて行こうと思えなくなったから。
という理由。
あとは私の事はここでは何もできないとおもった。
最近ずっとだけど、とにかくなにごとにも執着や興味がない。感情の鈍麻がひどい。
脳みそが眠ってる。
多分眠らせておかないと、考えたら死にたくなり、ほんとに死んでしまうかもしれないからかな。
東京で診断された病気の症状はじぶんでもわかるほど悪化している。
わかってはいても1人での治療はできない。
心が鈍麻していても、この痛みさえ伴う過敏な感覚と人間のみっともなさへの憂鬱だけは変わらない。
次から次へと心がえぐられることしかおきないのは毎度ながら不思議でたまらない。
悲観するどころか、その謎にはまりそうである。
9月末までにコロナワクチンは打ち終わったけど、これも酷い目にあった。
1回目の接種後3日目くらいの朝、シーツが血まみれである。
誰かが侵入してきて刺されたのかと本気で思ったけれど、よくみたら子宮からの不正出血だった。
ただちにいつもの主治医のところにいった。
すぐに婦人科と連携をとってもらった。
院内では全身状態の悪さと出血が止まらないので点滴をぶら下げながらの車椅子移動で、あらゆる検査をした。
不正出血など産まれて初めてだ。
月経もほぼ毎月くるいなく来るし。
それでも病院も厚労省もワクチンの副反応とは決して認めない。
調べてみたらその頃、韓国の女性が1人同じ不正出血から亡くなっていた。
韓国あたりはかなり前から月経異常や不正出血を問題視していた。
それでも大きなこの病院で、わたしが初めてだ。と婦人科の医師は言った。因果関係どころかコロナのワクチンが怖くて精神的にストレスがあって不正出血したとおもう。
だって。
アホだ。信じ難い位にとてつもなく。
こんな事が怖い?!不安でストレス?!
わたしの人生でこんな事など全く匹敵するような生き方してないんだけど。
いやいやいや、、、むしろ肺を患ってるし、免疫異常の難病だし、早く打ちたくて必死に300回では足らないくらいのワクチン予約電話をしたくらいなんだけど、、、。
そして数日後、国内でも亡くなったかたがいた。
厚労省の担当のかたには起こるかもしれない副反応に入れて欲しい。と話した。
任意接種だから責めることはない。
自己責任の決断なのだから、本人がどうなっても仕方ない。ただ、事例があがっている情報を提供する義務だけはあるはず。
とはなした。
ワクチンでの体調不良はまともな月経が再開されるまでの約2ヶ月間続いた。
3回目のことはもう考えたくない。
体調も落ち着いた秋ぐちに、もういい加減、いつまでも住所不定はやめよう。と思った。
色んな手続きや更新(病気のばっかり)が済んだので都市部に引っ越すことにした。
事前にネットでかなり物件を絞りこんで不動産屋さんとはメールや電話でやりとりをし、当日は往復で300キロ近いから、1日で内見→契約まで出来るようにした。
当たり前だけどもちろん家具家電のない車に詰め込む量しか私物のない同じ生活をするので長期契約のマンスリーマンションだ。
ここはきっと良い。と思った物件はやはり良くて、管理会社の対応もよかった。
なので即決で話をすすめて一旦戻った。
引越しの日までの予定を考えるとその日から1ヶ月ちょっと。
一気に忙しくなったけれど、これでやっとしばらくぶりのちゃんとした住所登録ができる。
ここはわたしの終の住処になるとおもう。
新しい土地では東京並によさそうな精神科もあったので連絡してそこで決めた。
初診日も予約した。その為には、話すと瀕死になるいつもの精神科に仕方なく紹介状をお願いしに行った。
また最後まで嫌な思いはしたけど、これで本当にこの殺人病院とは、おさらばになる。
次の所でわたしは1からまた生きてきた自分を話し、東京で診断を受けた結果を踏まえ、そしてカウンセリング等たくさんの検査をするのだろう。
ほぼ何の病気かわかってはいるが、1番はやはりキツかった薬の副作用が心配だ。
ひとりでは乗り越えることができない。
それを含めて新しい引越し先で訪問介助と、看護のかたを引き継いでもらった。
いい事業所を見つけてもらえると助かるけれど、なるべくは負担にならないのがよい。
そうして膨大な届出や変更をなんとか一つづつやり過ごしながらいたけれど、11月も終わる頃に、またもや手に余すような厳しい試練がやってきた。
今は書くことが困難だ。精神的にも肉体的にも今までの限界をかなりオーバーした。
脳みそも現実に全くついていけてない。
年が明けて落ち着いたらゆっくり書いて行きたいとおもいます。
わたしは今年の年末年始もそんな季節感もお屠蘇気分もなく終わるだろうけれど、皆さまよいお年をお迎えください。