もっと早く書いてるつもりでいたけど、そして書きたかったけどなかなかできない。

ほんの少しづつでも書きたいとおもう。

いまも、わたしは到底抜け出す事など出来ない暗闇の中にいる。



最後の投稿のつづき。



まず娘ちゃんのことをすこしづつ。


娘ちゃんは、人知れず苦しみ抜いて難病も悪化し精神の崩壊までいった。


それを知らされたのは娘ちゃんの主治医から直接電話がきたから。

辛いことがあれば爆弾投下のように愚痴を吐き出す娘ちゃんからの連絡も、いつだろうか……ある時からなくなったな……と思い起こしていた。



わたしは頭が真っ白になった。

体はボロボロで、毎日死体が歩くように会社に行っていた彼女は、意を決して昨年の11月の初め、上司に労働時間をせめて定時にして欲しい。そしていつ休みがあるかも前の日にわかる現状は薬も取りに行けずキツイので、ちゃんと休みがある部署に変えて欲しいとお願いしたけど、繁忙期や人員不足の為に、

ちよっとだけ時間ください。

と、すぐに対応してもらえず、そのままいたらしい。

彼女がそこまで言うのは死を感じるほど厳しい状態になっている時だ。

仕事は休憩の時さえ無駄口一切なく真面目すぎて心配。と周りの人には思われていたくらいだから。


辛かったとおもう

身体も心もキツいこと、難病が悪化して内科治療の最後の砦まで行ってしまったのに、なくなった薬さえ取りに行くこともできず、そのまま涼しい顔で普通に最後の日まで働きぬいた。


主治医と薬剤師から連絡がきたあとすぐに娘ちゃんと話すともうすでに手遅れだった。


わたしに怒りを露わにする彼女。

どうしてそっちに心配するような電話をするわけ?

ガキじゃあるまいし、もう大人なんだけど!みんなで責めて、そんなにわたしが悪いの?ねぇ、わたしが悪いの?

と何度も詰られた。


その日2時間くらい話した。

初めて娘を本気で叱った。

自分がもうわからなくなっている彼女にはどうしてでも、嫌われてでも、殴ってでもわかって欲しかった。


そして娘ちゃんはやっと事の大きさ、自分がもうどの程度精神的にも分からない程に悪い事かも。

なんにも感じない。辛い気持ちすらない。そんな限界まで来てることに涙して『休職』という言葉に一気に気が抜けたようだ。

そうして次の日会社に行って休職願いを出し病院に行ってくれた。


主治医は始めたステロイド治療も急に断薬しちゃったし、この精神状態では出せない。

と言われて、休職でどれだけ心身が癒されるかを先ずはみるしかない……

と言われた。


そうしてわたしは休職して一ヶ月の間、毎日朝晩と娘ちゃんの状態の確認連絡をした。

波が激しく、最初の方は全く話さない時が多かったけれど、うん。だけでも少しづつ会話をしてくれたり、普通に5分くらい話せるようになっていった。


もちろん難病も心配だけど、内科的なものより精神のほうがどれだけの傷や痛みを感じているのかのほうがとても心配だった。

なんとか精神科の門は叩きたくはない……


感情を全て無くしてしまった彼女には、ほんの数ミリリットル程度、少しづつ、ぬるま湯をかけるように心を温めて行くしかなかった。


そんな中でも社会は容赦しない。


主治医の指示通り1ヶ月近く様子をみて、ステロイド治療なくともなんとか悪化は避けられてこのまましばらく検査を続けながら難病のいつもの薬を服薬してまだしばらく休みましょう……。と話がついたので、わたしは1人で会社側と直にあってその現状や今後について話し合いに行った。


悪化したのはお願いしたにも関わらず、1ヶ月近く放置されたのが1番だったのに、ここまで全てを崩した娘ちゃんに、

1ヶ月経っても休養がこれ以上必要で仕事復帰ができないのなら、社宅も完全に出て欲しい。と言われた。


病人に年末に荷造りと掃除をし引越ししろ。


だ。


労災や訴訟でもおこされたら怖いとでも勘違いしているのか、たかが傷病手当の申請用紙さえ最初から出ししぶられていたのを思い出す。


そんな会社聞いたことがない。

誤魔化されながら、わたしはストレスをひどく受けながらもやっともらったのだ。


そんな状態で出て行けと??


わたしは娘ちゃんのいる土地にその頃ちょうど1週間前にまたマンスリーで契約し、そこでやっと住民登録をしたばかりなのだった。


会社の上の人間たちとはずっと話が平行線だ……


わたしが住み始めた所はまた病院の個室のような1人用のマンションだ。

そこに家具家電がまたすべてそろっている。

そんな生活なので、娘ちゃんの社宅の中の私物(家具家電、沢山の自分のもの)など到底入らない。

そして、うちには実家頼る親族も居ない。


だから、なんとか社宅をすぐに出ることはなんとかして欲しい……。と言った。


で、結論


例外はない。

という。


話にならない。

会社は使い物にならなければ使い捨てになる。

そんなの当たり前に知っているが、そもそもここまで身体を壊したのは、言っても働かせて仕事をらし続けたからなんだけども…………

それで真冬の北海道で追い出しの刑になるなんて、絶句しかない。


無駄に広すぎる応接室で、取締役員付き入りの向こう側2わたし1、の21で話をしていたが時間だけが過ぎていく。


そうして、最後の処刑台に連れていかれた……


グループの総取締役の社長がちょうど数日前に急逝した(娘ちゃんは1ヶ月休職していたから耳にも入ってない……)らしく、その奥様(総取締役専務)の部屋に……


そこでは、今までわたしに脅しに近い事を言っていたり、丁寧な口調から急に心臓を1突きするような冷徹な言葉地獄を繰り出してた1人のお偉いさんもガチガチに緊張している。



そこで言われたこと……


「あなたは母親じゃないんですか?

わたしは人の母親でもあるからその目線でもお話致しましょうね。

娘さんが心配じゃないんですか?

何かあったら遅いのよ。

休職中なのを知ってるのに社宅内で最悪な事態(娘ちゃん自殺)になれば、会社もそりゃ迷惑ですよ。」


「今、神田沙也加さんの見てます?

(その頃そのニュースばっか。因みにこの人と30分くらい話した間に4、5回神田沙也加の名前でた。)


誰があんな事になると思いましたか?

ひとは分からないのよ!

あなたそれを放置するの?人殺しなの?」




あー、、、、、、、、、

いま、わたしが即死しそうだ。

こんな所にいた娘ちゃんがいたたまれない。


とりあえず1月中頃から書いてますが2行とかしか書けないときもあり、一旦今回はここで区切ります……