なんとか年内に一つ投稿しておきたい。と思いながら12/15に書き始めた。
娘ちゃんは、まだ今の所、新しい職場で頑張って働いている。その日一回は必ず理不尽なことや面倒なことがあって長文での文句や、もう帰りたい!とメッセージがくるけど、結局いつも終わりまでいる。
北海道での冬の通勤は激しく厳しい。
毎日違う場所に行くので多種多様の交通機関を乗り継ぐときには、運休や遅延で到着が読めず、夏場より早くに出て寒さや吹雪と戦いながら職場に着いている。
夏場でも歩く事すら困難なわたしには全くもって無理な事だ。想像すらできない。
それだけで娘ちゃんには尊敬の眼差しである。
とりあえずはあまりにも過酷だったら、一冬超えて考える。と計画しているようではあるが、とにかくどうぞご無事で…。
と思うのみ。
わたしは、今もつらい。今後もつらい。
前回は文字にさえ出来ず心が壊れたことがある。
このガラクタのような身体を一緒になって考え、医師がする枠からも出てるような位に戦ってきてくれた主治医が来春に退職する。
半年も前から言っておいた方が精神的にいいのではないか。との配慮で教えてくれたが、まさに晴天の霹靂。
心の準備?などない。
3月に入ってじゃないと本人すら、身がどう振替られるか全くわからない。
定年にもなるので院長職はなくなる。そうなると、この病院にもいるわけない。
しかはっきりしてることはないのだ。
もう今後、第一線で、患者と向き合う仕事にはならない方が強い。
こんな時は本音がでる。
わたしはどうなるの?と言った。
「わたし」はじぶんじゃなきゃ駄目だ。を知っている主治医はその言葉に弱る。
最初は、イヤァ俺も40年やってきて、少し休みたいんだよなー笑!
〇〇さん(主治医専属クラーク)も20年一緒だよー!ほんと古女房のようなものよー笑!
笑。ではない。何も笑えない。
心の中の整理というか、一体何を言われているのかわからない。
親が死んだ時ってこんな感じになるのかな。生きていても一線で診ないような存在の人になるなら2度と会うことはない。
それは死んだ人と同じだな。と思った。
親戚でもないし、なんの縁もない。
一生会うことはないんだ。
どうなるかはわからないが春以降の考えられる方向性を話した。
このまま、俺と同じやり方をしてくれ。と、同じ病院のセンター長を主治医に変えて引き継ぎは出来るよ?とか。
その人は入院のときに病棟担当医だったから面識はあるけど、わたしは知らない人とは話すことをしないから、はい。大丈夫です。程度しか会話(?)をしてない。
今までの主治医の代わりになる人など、当たり前だけど、世界中でみてもいない。
何も言わなくても、わたし。をわかってる。治療を始めてからこの人にしか診てもらってもいないし。
診察後クラークさんとしばらく話した。
クラークさんは診察の時ちょっと席を離してるときに、主治医が、多分俺がいなくなったら辞めると思うよ。と言っていたので、余計にこのかたともお別れなのだと考えると、とてもキツイ。
精神面でのストレスは急速に身体を蝕んでいく。
通っている精神科でももうわたしの治療は困難になっているんだろう。とわかる。
とても時間を割いて話をしてくれるけど、何一つ頭にも心にも入ってはこない。身体の痛みをなんとかしたい。それだけでも苦痛から逃れたい。
そんなのに効きそうな処方薬をもらったり、診察とセットになっているカウンセリングのかたにアドバイスをいただいたり。とかしている。
抗ドパミン薬、抗不安薬、向精神薬、神経系の痛みに効く薬、強い睡眠薬、それらを組み合わせて朝昼晩寝る前に飲んでいる。
もちろん難病のも欠かさずにいるから、毎日薬を飲むだけで嚥下障害が起きるくらいだ。
それでも連続睡眠は2時間半程度。
痛みは少し離れた小さな音にまで身体に届いて電気が流れるような痛み。
いまのわたしは肉体だけはとても敏感で色んな体調不良を起こすほど人間らしい身体だ。
だけど、心は切り離されて遠くにある。
ありとあらゆる人間を拒絶して生きている。
人間のかたちをした人間。
☆今日やっとこ2時間くらいかけて5〜6年前の分(350記事くらい)の過去と今がそぐわないのを非公開にした。
年を越す前にしたかった事がひとつ出来た。