この前(いつだよ)また今年の誕生日がきた。


ある年から誕生日という名前をかえている。

娘ちゃんの難病が確定してから役所に届けた日。申請日にした。

いま。わたしはとても自由な毎日を過ごしている。もちろん自由はとても不自由なのは変わらないけど。


かなり前の記事で

『不要なもの必要なもの』

というのを書いた。

以下抜粋。


「わたしに必要なものは他の人には不要である。わたしに不要なものは他の人は必要だったりする。

みんなひとりひとり違うんだろう。


わたしには親兄弟はいなくていい人なのだ。

わたしには結婚して自分の家族もいらない人なのだ。

わたしには一軒家に住む事も必要ないことなのだ。


他の人はそれらが全部必要だったとしても、その人はその人。って事でわたしとは違うだけ。


唯一わたしの生きてきた道を知ってる人。が


 誰よりも苦しんだ人が

 誰よりも幸福になる


 誰よりも悲しんだ人が

 喜びを感じることができる


 誰よりも泣いた人が

 本当の人生を知る


と、言ってくれた事があります。

そうであって欲しいとおもう。」


と、書いた。

いま誰もわたしの居場所を知らない

(娘ちゃんにはふわっと教えてる)

少しだけそれより多く情報を知っているのは唯一の代人、わたしの弁護士さんだ。

公正証書にかなり死後事務を詳しく書いて遺しているので、生きてるあいだの連絡事項は必要最低限のことでいい。

あとは誰もわたしがどうしているのか知らない。

でもその事が何故か妙に心地よい。


いまのわたしには何もない。

人は本当に必要なものなどほとんどないのだな。

としみじみ思う。

いまは長年住んだ家も引き払っている。その時に家具も家電も全て処分した。

一軒家を持つどころか住所不定である。

最低限の重要書類と、最低限の貴重品と最低限の服飾品のみをわたしは持っている。

昔の想い出のものなどもあるわけがない。

娘ちゃんに関わるものは思い出のものや大事なものは本人にもう渡してあるからわたしのもとには何もない。

娘ちゃんから今までもらったゴミにも見えるほど小さいときからの大量のお手紙も今は手元になく弁護士事務所のわたし用の物の中に入れてもらって火葬するとき棺に入れてもらうことにしてる。

最後の手紙は入社式に読んでくれたもの。

それだけ持っていようか迷ったがそれも中に入れてもらった。

車はステーションワゴンに乗っているが、後ろをフラットにしたら余裕で全部入る程度の荷物だ。

だからと言って車中泊生活ではないけどね。


娘ちゃんは離れてからひとりで難病の病院も定期的に行っている。

とても素晴らしい主治医を紹介してもらったから、もうわたしが偽医者のように口出したり博士号を取る勢いでいろんな文献や薬科を調べるような事もない。

こっちで一緒だったわたしの主治医も凄いと思うけど、かなり精密にしっかりと診てくれているし、ちょっとした検査も抜かりなくする。

話し方は穏やかな中でもしっかりとブレず、説明も簡潔に話してくれてこちらの話しも時間を惜しみなく聞いてくれるので娘ちゃんの性格にも合いそうで信用できるかんじだ。

娘ちゃんは頑張ってる。

もう立派な社会人になっている。

仕事は朝の7時から夜24時を回る事がほとんどだ。

途中、中抜けの時間があるけど足りるわけがない。休みも次はいつなのか分からないけど週に1日は一応ある。

そんな生活の中辛いけどやりがいと楽しみや自分へのご褒美を見つけて充実している。

いまの時期は社員みなさんがそんな事になってるから仕方がないんだ!と言って頑張っている。

たまに社会の矛盾やイライラに闇LINEが入って機関銃のように捲し立てて、恐ろしい言葉づかいで来るけどすっきりしてすぐにケロっとしてる。

本当に精神病の部分がないことが救いだ。


わたしのことに心配はさせてない。

わたしについては何も変わらないよ。

と、現状や心の内を話してはいない。


そんな娘ちゃんにわたしは一つしか言うことはない。

いつもLINEに書いてるけど、身体に無理だけはしないで欲しい。

それだけ。

わたし達の難病は再発すると厄介だ。

無理をしてないと思ってやっていても症状として出る前に既に奥深くでは燻っているようなもの。

先も読めないし長期戦になると体力の消耗とともに心も持ってかれる。

安倍晋三があれだけの地位を離れなくてはならないほど、そして離れるととんでもなく世間から酷い目に遭うこと、世の中がひっくり返る程たいへんな事態になるのもわかってるけどそのくらい身体は無理になる。それほど地獄的に苦しい。

いろんな人。医師や政治家、一般人が辛さを知らないから好きにメディアで安倍総理のことを言うのは自由だけど、自分が言われている様ですんませんね。とか言いたくなる。

わたしなんかの一庶民ですらどんだけ偏見と差別、屈辱を味わったか、もう覚えきれてない。

細いのがきれいだと勘違いしてるの?骸骨みたいだよ。

とか。

食べたいくせに我慢してるとかみっともなくない?

とか。

それすぐ死ぬってやつでしょ?

とか。

誰にも迷惑かけてないつもりなんだけどね。

大人しく生きてるんだけどね。

わたしと外食したいと思ってくれるのはありがたいけど、行けないとなると大体文句を言いたいみたいだ。

なんでも食べなよ!食べても大丈夫だって!食べないから弱っていくんだ!そんなに細いからだめなんだよ!どうにかしないと!



ばかだ。

どうにか出来るなら誰よりも1等賞でとっくに頑張ってるわ。



同じ難病でも人それぞれ症状が違うしステージが同じでもうまくコントロール出来る人と出来ない人がいる。

母体の病気より合併症や副作用の方で酷い目にあったりそのせいで予後不詳なおかしな身体になったりする。


話が変わるけど、最後に投稿してからこの長いあいだに判ったことがある。

つい何週間か前?いや何ヶ月か前か?に唯一やり取りをしている叔母から連絡がきた。

叔母とは年に12度話す事がある。

家庭菜園をしていて野菜を取りにこれる?

という感じ。

叔母はわたしが食べれないのとかわからないし説明も面倒なので、いただくことにしてる。

変わりに珍しいお菓子を持って行くと喜んでくれるからそれで良い。

野菜は申し訳ないがいつも野菜好きの知人にそのままもらってもらう。


今年は叔母がわたしの父親が一緒に野菜作ってるんだよ。と話してきた。叔母は父親からわたしに実った野菜を渡してやってくれ。

と言伝がきたから連絡してきた。

もう今は父親と電話ですら話すことはない。

最後は数年前、よりによって肺の大きな手術の前の日にわたしが産まれた時から理不尽でしか生きて来なかった幼少期の事をはぐらかしたり知らない事が多すぎる父親に的外れなことをグダグタ言われたので

「出てけばか。」と大げんかをした以来だ。

今更わたしからは言わないのに、こいつ(親父)は

「おまえはほんとに何の連絡もしないで好き勝手にやってるからこんな目に遭うんだ。」

とバチが当たった的な事を言い出して喧嘩を売ってくる。

術前なんて怖くて安定剤や眠剤を飲む人もいるほどなのにこいつのおかげでただムカついて手術のことも忘れるくらいだった。

そう、ほんとそれ以来関わってはいない。

覚えているのは、病室に来た時になんとも言えない顔をしながら手ぶらで、お見舞いとか持ってきてないぞ?病院代も自分で払えるんだろ?

だ。

叔母が気を利かせて話してしまったとはいえほんとにこいつは何故に来たのか死ぬまでの疑問の一つになるだろう。


話は脱線したけど、そして叔母から父親の作った野菜をもらった。

その時に叔母は姉の事を何か言いたげな感じなのがすぐにわかった。

でもわたしは聞かない。顔色ひとつ変えないでありがとうございます!とだけ言って帰る。


母親の方は施設で未だわたしとは親子の関係性もちゃんとわかってないのかも知れず相変わらず5歳くらいの知能で過ごしているだろう。

わたしが元々身元引き受け人と保証人だったのを病気の悪化で去年から姉に変更してもらう話になっている。

施設長にその段取りは進んでいるのか心配になった。姉が何故か引っかかるから。

叔母のところからの帰り、その日のうちに施設長に連絡をしてみた。

問題なく保証人の変更はできるけれどなかなか忙しくて姉とやり取りが出来ていないという。

姉に何か変わった事はないのかを聞いてみた。

施設長は知っていると思ったのか、お姉さんのほうはもう落ち着いたと思いますよ!と言う。

落ち着いた?

何が落ち着いたのか聞いた。

突然だけど、姉は結婚をしていた。

最近のことではないと言われた。わたしよりも歳下で姉からだと10くらい下になるらしい、そして施設長は「もう何年も経ってますよね?」

だって。


父親と叔母は相変わらずわたしには何も教えてはくれないし、姉の幸せを守っているんだと思う。姉とは仲良くしてるから尚更言わない。

父親は何度も家族として新しい旦那さんと会っているようだ。


聞いてもあんまり驚かなかった。

とっくにわたしは親兄弟など自分にいないと脳内変換されているんだろう。


最後の最後までわたしはこの家族の一員にはなれなかった。


そうして今のわたしがどうしているのか身体はどうなのか、出て行ってるのも、どこに行ったのかも何も知らないままこの生まれ育った街をわたしはでた。

この土地を出る日。

もう2度とあの人達と会う事はないんだな。と思った。

いつかわたしが死んでも、全てきれいに処理されて何ひとつ形あるものもない状態から、「死にましたよ。」と弁護士さんが伝えてくれる仕組みにしている。


この土地を出るにあたり、難病の主治医とこれから秋は季節の変わり目で一番気をつけないとならないし、市内でコロナがちらほらでてきてたのと、秋冬のコロナとインフルの流行にこの土地の医療体制は脆弱過ぎて地獄絵図になりそうだ。って話をした。

とっとと逃げよう。

主治医はわたしから言うより先に春まで来なくても良いように薬の配分を考えて出してくれた。

もちろん肺の再発と難病の悪化、再燃があれば話が別だからすぐきてね。と言われておわり。

最後に行った頃にはわたしが話したい事、残したい事、希望を全て完了しているので今は気が楽だ。

ポルストと同様の権限になるだろうDNARもすぐにサインしていた。主治医側とわたしが持っている。

今更、こんなのまだまだ考えなくても!など甘い事などわたしにはもう主治医は言わない。

道内にいるのかもわからない。なんせ寒いのはいやだ。

それも言っていたので、最後の受診日に何かあったら的なお手紙を用意するから!

と言ってくれた。

道外でも良いように慶応医大にする。と言われた。

あーやっぱりね。

わたしも最初の頃はこの病気に新薬や治験に特化した慶応に一度診てもらおうとは考えた事を思い出した。

いまは安倍の病院。みたくなってる。

安倍さんは誰に診てもらってんのー?

と聞いたら、何ちゃら?の特別な扱いでその教授とかだよ。いくらお金かかるかわからん所だよー笑。だって。

そりゃ日本国にとって重要人物だもね。

で⁇

わたしは誰宛にしてくれんのー!って聞いた。

いっぱい知ってる先生いるから、どうするー?って聞いてきたので、それしか言葉知らないのかよ。と得意の「良い人」って言ったら、主治医は笑いながら少し考えてパソコンで打ち始めた。

この人も凄いから!どんだけすごい人数診てることかー!

だって。主治医とも仲良しみたいだしわたしと合う合わないは誰になってもわからないからいいや。

しばらく会わないので最後は主治医と2人で記念撮影した。

精神科の病院の薬はヘルパーさんに別口契約でお願いして、毎月取りに行ってわたしが指定する所に送ってもらう事になってる。

あと、弁護士の方もきっちり話しも内容も固まっている。


いま、わたしは色んなことを考えている。

最初の方に


 誰よりも苦しんだ人が

 誰よりも幸福になる


 誰よりも悲しんだ人が

 喜びを感じることができる


 誰よりも泣いた人が

 本当の人生を知る


になると良いね。など書いたが今は少し違っている。

確かにひどい人生だったかもしれない。

この歳で家もなく、あえて人と濃密な関わりをな持たず、物もなく浮浪者とあまり変わらない。

でも。

最後は幸せになる。

がおかしいと思うようになった。

今まで通りが相応しいとおもうのだ。

最後に変わるのはなんだか不自然である。

安っぽい恋愛ドラマみたく無理矢理ハッピーエンドにした感じだ。


ただ、本当の人生を知る。

はわかった気がする。だからこそ尚更そう思える。

わたしのこの

『いま。』これこそがわたしの人生らしいし結構気に入っている。



わたしは本当のじぶんのことがまた少し分かるようになった。

わたしはとても人間的に性根が腐っている。

記事に付き合った人のお母さんから嫌な思いしたときに反撃した話しでわたしほんとは真っ黒なんです。という一文を書いた事があったけど、そうゆうのじゃなく、日常的に病気だからって理由じゃ通用しないほど心が真っ黒だ。誰のせいにもしてない。持ち合わせたもの。多分ひどくたちが悪いし悪どいと思う。

人を傷付けることはしないけど、感情をおいてる場所が人とずれまくって違うのかな。

罪の意識はない。

猟奇的な快感で。とかでもない。

外出して手を洗うかのように普通のことをしているような気持ちでしかない。


人によっては不幸な事ばかりの人生だと、前世の因縁やら人の業などと言われたら、どうしてわたしが!

とか思うんだろうけど、ここまできたらそれの方が良いなと思う。

わたしの次の人は幸せでいてほしい。

その宿命やら因縁や業とやらは死ぬまでの間にわたしで片付いておきたい。