と、いうより元旦だけは無理矢理穏やかにした。
一年の計は元旦にあり。
を何故か信じたっぽい。
それも束の間。本格的にもう限界だ。おわりにしてくれ。と思ったのは1月4日だった。
この日娘ちゃんの難病の通院日だ。
親離れ、子離れをして行く為に今はひとりで病院にいっている。
そうやって主治医との関係性もじぶんでうまくやっていけるようになってほしい。
そういった話しを娘ちゃんの主治医と話して以来はわたしも娘ちゃんの成長に邪魔しない。
失敗を知らずにいたら自分で考えて生き抜く。という人生において必要な過程が出来なくなるから。と、なんとか頑張って子離れ中だ。
それでも、常時待合から進行具合は連絡がくる。
そして。検査結果がある程度揃って診察になるのだが、そこからが今回はお互いに冷静な会話ではなかった。
主治医から内視鏡の提案をされたらしい。
これは患者がいやなら強制ではない。
大腸癌ですよ。手術しない選択はないですよ。と言われても、患者がしたくない。と言うとしないで通る。
だけど、娘ちゃんは泣きながらなんにも有無なんかいう事なんかできなかったよ。強制だよ。と言った。
娘ちゃんは、難病の認定を受ける際に内視鏡を入れたのが最初で最後だ。
当時高校生だったから、もうかなりの年月が経っている。
今の主治医が内視鏡をしてないのもほんとはおかしいくらいなのはわかる。
だけど、娘ちゃんは検査に対してとても辛い経験からトラウマになってる。
その当時、2か月くらいまともに食べることもままなならない程お腹の具合が悪く、かかりつけで出されていた薬も全く効かなくて、わたしと同じ病院で紹介状を書くと言われその日に行った。
ろくにものが入ってないのもあり、そのまま2、3度下からの下剤を入れただけで全大腸が見れる程だった。
痛みに身動きもせず、ただひたすら涙を浮かべてたえる娘ちゃん。
同席を認めていただけ、ずっと声かけと手を握るだけしかできない自分だった。
内視鏡は緊急だったので、他の医師だったが、主治医は同じにしていたので結果説明は、ほんとにひどい状態だったのをわたしの主治医から説明を受け、そのまま申請手続きができた。一度で見れたからよかったと思っていたけど、娘ちゃんは違っていた。
あの苦しみと痛みが今も彼女を苦しめている。
この病気になったとかより、それをする事が嫌なの。心の問題なの。と言われた。
次の日改めて娘ちゃんの家に出向いた。
しばらくの沈黙。
少しづつわたしが話し始めていった。
ただ涙をずっと流し続ける娘ちゃん。
とてもキツイひとときだ。話なんかわたしもしてるような心の余裕なんかないけど、話す。
穏やかに。
逃げ道をたくさん用意して。
それから娘ちゃんはわたしに抱きついてずっと涙を流し続けた。
わたしの言葉で少しづつ気持ちも落ち着いて、色々話すことも出来、多少の整理がついたみたいだ。(ほぼなげやり)
苦しむのはわたしだけで良いのに。
娘ちゃんが苦しむ。
それはどんな親でも本当に死にたいくらい心が引きちぎられる痛みだ。
それが、遺伝的な要素あり。という、わたしが原因の一つでもあるなら…尚更。
わたしは最近ほんとうに死にたくなる。
そうして傷のない痛み程、果てなく自身を蝕んでいく。想像出来ないほどに壊れていく。
時間差でやられていくのはわかっていたけど、次の週からわたしは壊れていった。
あと、主治医引退までのラスト2回くらいになるだろう。と思うわたしの通院日。
まだ主治医は3月いっぱいでの任期後どうなるのかわからない。
ほんとにギリギリになるだろう。
わたしは行方さえわからず、娘ちゃんにさえ手を差し伸べる事もなかった親兄弟達の生き死によりも、この心から尊敬し、信頼している主治医との関わりが静かに終わりに向かっている。
いつも通りの手順で検査を終えて診察待ち。
周り見るもの、いつもの外来の感じ、様々なシーンが、当たり前だったことが、改めて、もうここには来ないのかな。と心が落ちる時間になっていた。
診察になり、またたくさん話した。今の体調は数字的にかなり良くない事が新しくわかってしまい、ストレスからかな。とかというのもあったし、細菌感染でか白血球も高く、あとは謎な脱水もあって治療レベルになってる。
今からこれじゃ先が思いやられてしまう。
ちょっと強い抗生剤が出る事で、今回また肝機能が良くない数値が出た理由にキツイ薬の多剤服用も考えられたから結構飲みたくないな、という思いがしんどい。
娘ちゃんの今回の件も弱音を吐いた。
主治医は、まぁ…そうだな。したくないならしない。で通ることだけど、〇〇くん(娘ちゃんの主治医。後輩になるこの人を紹介した)もそろそろ見ないとなーってなるよ。
時期的に癌化してる所あるかもしれないし、余計にねー。とか言っていた。
どんどん私生活でも壊れていってるじぶん。
睡眠は毎日1時間半が夜の就寝から起床までの一番長い時間だ。
それをかれこれ1か月以上はやっている。
じぶんに余す。
そしてこの先に待ち受けている娘ちゃんのことにも心を保つことが出来るのか。という不安に押しつぶされていく。
もし、万が一、癌がみつかったら…若いから早いだろう。
そんな嫌なイメージをもつとよくないのにね。
人として最低限の生活などしていない。
眠る事。食べる事も酷い舌痛症(なったひとしかわからない地獄)で少量をなんとか食べる。全身の痛みと怠さで出かける事が通院以外ほぼない。顔の神経が敏感なので目がよく見えないのもあるけどちょっとした刺激で電気が流れる痛みが走るのでTVとかも連続して観ることができない。耳から入ってくる音(エコモードにしてるストーブが点くときの小さなパチって音)でも電気が流れる。
起きて意識がある時はただひたすら苦痛に耐える、という生活。
ただ娘を案じ、悩み苦しむ日々。
我慢できるひといるかな。
何ごともない穏やか風を装って、
これを死ぬまでかもしれないで生き続けることってみんな頑張ってするんだろうか。
もちろん社会とは断絶された環境下。
人と関わる事が出来ない。最低連絡事項(マンション内の不具合で不動産屋に電話とか)をするだけでもとても後から身体に負担がくるから。
死んでるみたいに生きている。人から見える人だから生きてる人。
そんな人。
娘ちゃんは2月初めの通院日に日程や検査のやり方などを組み、するなら早めだね。までを今の所話している。
あと少しだ。投稿できるうちにしておこうと思った。
あまりにも辛すぎる・・
言語に絶する・・
そして無力な私も
泣いている・・