あっという間に4月になっている。

と、いうかもう終わりも近いんだ。

春とか、淡い感じとは無縁すぎる毎日を送っていたなとつくづく思います。



2月の娘ちゃんの検査。

前処置から娘ちゃんのお家に一緒にいて、なんとかお腹は綺麗になった。

そこから私が乗せて病院にいった。

着いてほどなくして主治医が内視鏡検査をしてくれた。

今回は中まで入ってそばで一緒には居れない。

待合室で、終わるまでこころが壊れてしまうほど不安になった。

緊急時麻酔もあるから。その扉に出入りがある度に何かあったんじゃないのか。

と長い苦しい時間を過ごした。


そして、無事に終わり、麻酔をかける事なく娘ちゃんが歩いてこっちに向かってきた時はこころからホッとした。

頑張ったね。

娘ちゃんは、全然平気だった!よかった!

と安堵でいっぱいだ。


あとは今日は検査の所見だけの説明。

あまり良くなかった。

今の服薬では改善は難しい。らしい。

新しく外部からの投薬治療が追加になった。

これで、ある程度よくなるといいな。

あとは組織を病理に回す。

癌ではほぼ無いだろうとは言われたけど、とりあえずは2週間後にそれはわかる。

結果、癌化してる箇所はなくホッとした。


一気にその日は2人とも疲れが出た。

こんな思いをさせてるのをやはり自分のせいだと責めてしまう。


食べるもの、したいこと。色んなことを、この歳頃の子では考えられないくらい奪っている。

それでも、娘ちゃんはとても快活で、楽しいことをすぐに見つけ、色んな友人とも遊び、仕事と私生活をとても楽しんでいる。


それなのにこんな風に不憫に思ってしまうのは間違いなのだろうか。

可哀想な子。にしてしまうのは失礼なのかもしれない。

親として色んな葛藤と暮らす。

わたしが居なくなれば天涯孤独の娘ちゃん。


わたしには娘ちゃんがいた。

溢れかえるオーラとエネルギーをいつも眩しいくらいに出してわたしと居てくれる。

いつも、好き!大好き!って言ってくれる。

大切なものがとても大きいとこんなにも心が辛いんだなぁ。

いつかわたしの命が尽きる時、その大切な人が苦しみと悲しみに打ちひしがれる時に誰が助けてくれるのだろう。

娘ちゃんはどうなるんだろう。


一日でも長く生きていてあげなくてはならない。

それなのに今月の初め、

わたしは自宅で身体が動くことができず、意識も飛ぶ。色んな痛みと痺れる感覚。

そんなのをひたすらに辛抱していた。

ただただ丸まって辛抱していた。

前日の夜から、明けて夕方までずっと。

そんな悪いタイミングで、わたしと連絡がつかない事に娘ちゃんは慌ててしまい、マンションの管理会社に連絡もし、訪れてきてやっとわたしも事態を飲み込めた。

絶対にオカシイ。と、娘ちゃんも仕事を切り上げてわたしの元に駆け付けてくれた。


丸まっているわたしを見てそばで涙をしずかに流す娘ちゃん。

よかった。って

ごめんね。と言っても、よかった。って。

こんな思いをさせてしまったのは本当に申し訳なくて。不甲斐なさに自分が心底嫌になる。


自分はなにもない。

なんの欲もない。

ただ生きていることをする。

それを一日でも長く……


辛いことはたくさんある。

身体の不自由、心無い人からの中傷。

ひとはとても、傲慢で、醜くて、とても心が疲弊する。

わたしは人と関わることがもう難しくなっているのだから。


毎日同じ一種類のものを食べ。

同じものを飲む。

その味も分からない。

それよりも食べることで口中が痛く気持ち悪い。

仕方なく。食べる。をする。

毎回検査で身体が脱水状態なのを指摘されるけど、限界に頑張って水分を摂ってるつもりだ。

生き地獄を過ごす毎日。


感情などほとんど残ってないだろう。

楽しい、嬉しい、

そんな気持ちになる事はもうない。


ただ一日でも長く生きていればよい。