いろんなものが出て来たけど、やはり本当に必要なものなどほんの少しだった。
そうやってじぶんの身辺を整理している時がいちばん落ち着くし、とてもはつらつとしているみたいだ。
いつもより体力も使えるし、動くのも辛くない。
これで、どこの場所でも、いつなにかあっても誰かが困るな。と思われることはないだろう。
気持ちが違うのだ。
身の回りが綺麗になることがとても爽快である。
その間、久々に長年の友人とも会うことができた。
6〜7年くらいぶりだった。
もう2度と会うことは出来ないと思っていたから、とても嬉しく、有意義な時間。
会わなくても通じ合うひと。
そんなひとだけど、やはり顔をみて話をすること。
それは貴重なひと時になった。
また地元に帰り、7月の初めに、いつもの離れた土地まで難病の通院に向かった。
信頼していた先生が異動してからなので、初めて入る病院だったけど、いつもの変わらない主治医の姿を見てとても安心した。
病院の勝手はやはり違うことだらけで、うまく事がすすまないのもあったけど、とりあえず主治医がここに居る限りわたしは通うだろう。
このひとしか信頼できる医者はいない。
最近は注意力が極端に欠けていて脳のほうの進行が早い。
言語障害にあたるのもかなり増えてきている。
娘ちゃんは慣れているから、間違えて言った言葉でも、このことだろう。
と、訂正もせずに理解してくれる。
運転も本当はしてはいけないのだろう。
飲んでる何種類もの中に注意書きがあるし。
効かないが眠剤も服用している。
それは当たり前だけど、眠剤は飲んだら運転はしていない。
離れた土地まで2〜3ヶ月に一度程度とはいえ、やはり体の負担は大きい。
それでも通う。
そして帰ってきたその夜突然寒気がきた。
久々の感覚…
わたしは大きな病気ばかりするけれど、風邪もインフルエンザも子供の時以来かかっていない。
ひどい悪寒…。
風邪を引く。
ということがあまりピンと来なかったので疲れたのだと思っていた。
一晩中苦しんだ。
いくら保冷剤で冷やしても楽にならず、解熱剤も効かない。
呼吸があまりにも苦しいし、酸素飽和度も95はずっと切っていたので、明け方に#7119に連絡した。
症状を息切れが酷くてうまく説明出来なかったが、すぐに消防に繋いでくれた。
そして久々の救急車……。
身体が思うように動かないから、鍵と保険証セット、常備薬を握りしめて待つしか用意出来ない。
入ってきてくれて質問を色々してくるけど、元々理解能力に欠けているのに無理だよ。
名前も必死に言ってもちゃんと聞き取ってもらえず間違うし。
発音なのか声が出てないのかほんとに何度も言わされるのは苦しい。
保険証セットを押し付けて中身を見てもらうのが早かった。
搬送先はその日の当番医を言われたが、こっちでセカンドに抑えている難病の病院(救急受け入れるところだから)にお願いした。
搬送後目まぐるしく人がわたしの身体にいろんなことをしている。
もちろん最初に、イン、コロ検査から。
その間採血と点滴の指示があってやってるけど、血管が全く出ないらしい。
救急部署の看護師すら同じ場所に4回、違うところに1回、6回目でこんなところからか。という場所からライン取りができた。2人看護師も変わった。1人は正直に
したくない血管だなーと見て思いました。
と言われた。
間も無くセカンドで来たこともあるし、娘ちゃんの通っているところだからすぐに難病の担当医でもあり、ここの副院長でもあるひとがやってきて的確に辺りに指示をだした。
脱水で血管も塞がる?のか輸液全開何本でもやって。と数時間の間に500ミリ3本以上。
心電図他装置付け、レントゲン、CT、とごちゃごちゃになっていた。
身動きはもうその頃はほぼ出来なかった。解熱剤の点滴、胸部痛の痛み止めの点滴、いろんなのがぶら下がってそれをぼーっと眺めていた。
そして
コロナ陽性
との事。
じぶんのここ数日の(今のは潜伏期間3日前後が多いと聞いた)ことを考えてもそれ以前を考えてもわたしの生活の仕方でかかるとは何という感染力なのかと感心するくらいだ。
搬送先ではベッドがいっぱいで、若い医師が色んなところに連絡していた。
そして、わたしの難病も診れる病院で隔離病室もしっかり完備されている所を探してくれた。
点滴もぶら下がったまま最初の病院の救急車に乗り入院先の病院に移送された。
1日で救急車を2回乗ったのは産まれてはじめてだ。
そこに着いてもすぐにまたCTやら色んな検査をして新しい点滴も追加していた。
この時点でもう夕方だった。
コロナ。
じぶんが罹患したら死ぬだろう。
ずっと思っていたから、朦朧としながらも、あれはどうなってるか。うちの中は入られても恥ずかしくないかな。
そんなことを断片的に考えていた。
死に対する恐怖はやはりない。
しばらくすると入院の説明や手続きなどを聞けるようになり、やっと娘ちゃんにも連絡をした。
ビックリさせてしまったけど、とりあえず大丈夫だから。と。
物が何もなくいつまで入院するのかわからないことにとても困り果てた。
娘ちゃんに部屋に入ってものを用意してもらうようなことは出来ないな。
一晩うなりにうなって朝まで苦しんだから、そこいら中にウィルスが漂っていそうだ。
介護のヘルパーさんに相談をした。
社内で上のひとと色々話してくれてどうしたら良いかを考えてくれた。
あとは、弁護士にLINEでコロナに罹患し入院したこと、した病院名、万が一のことがあったら予定通りよろしくお願いします。
と打った。
高熱と胸痛でつらい。
コロナはこんなんなのだ。
としみじみと味わっていた。
結局、人に感染するだろうという期間の5日は過ぎたが熱は高いまま。
症状も人それぞれだろうし、ひたすらに向き合ってくしかない。
隔離病室なので、広い部屋にシャワーも洗面所もあり、ちょっとしたホテルみたいな所だった。
基本バイタルチェック以外の要件はナースコール越しでの会話になると言われた。
かなり流行っている地域とはいえ一体どこでうつったんだろう。
ふと考えてしまう。
そして、発症してから3日くらいがウィルス量がすごいから人にうつしてしまう。
それは、一晩ひとりでうなり、明け方救急車だったから、病院関係者としか会ってない。
それでも潜伏期間の発症の日や前の日。
その時に会った人が大丈夫なのかと気が気じゃなかった。
マスクはしていたとはいえ2人だけ至近距離で会ってる。
娘ちゃんと、長年姉のように慕っているひと。
このかたは、介護の施設での勤務だからすぐに話した。
その後すぐとそれから3日間抗原検査をしてもらったが、陰性だったと聞いて安心した。
娘ちゃんも検査はしてないが、何の症状も出ていない。
ほんとうにほっとした。
かかるより、うつすほうがこんなにも精神的に良くないのだ、と思った。
結局、10日くらい入院して、熱は下がり切らなかったがリハビリも少しづつ組み込んでいたし、人にうつすことはない。と退院して自宅療養になった。
今は罹患していた時の症状はないが、後遺症がすぐに出てきたので、これがどのくらいなのか、また違う症状が出るのかは不安だけど、考えてもどうすることもできない。
後遺症のなかで面白いのが、世の中から匂いがなくなったこと。
なんの匂いもないのが不思議でたまらない。
この程度ならとくにイヤでもないし困ることはない。
体力もかなり落ちているので、退院して1週間以上経ったけど、まだまともに生活はできない。
そして。分けて書いているので、その数日後…。
徐々に回復していくものと思ったのに、だんだんと後遺症が出て来た。
あたまが常にぼーっとしているけど、たまに襲う頭痛。
頭を動かすとめがまわる。
壁、床見ているものが、ぐるぐると回っている。
家の中ではほぼ横になってしまう。
身の回りのことも億劫で何も出来ない。
なかなか危ない。
だるさもどんどん増すばかり。
そして、入院していたところに相談すると、入院の支度をして外来診察します。
と言われ、また振り出しにもどった。
身支度、入院準備でフラフラになってなんとか病院についたけど、そこでチカラつき、やはり入院。
また大量の点滴を一晩中。
バイタルも血液検査の数値も悪いし、後遺症は本当に厄介だ…。
目眩とぼーっとするのがおさまらないと退院にはならないようだ。
めがまわる時の状況を言うと担当医は渋い顔をしてよくないな…。と言っていた。
長い名前の病名を言われたけど覚えられず、それ専門の治療が必要になるかもしれない。と言っていた。
他の全体的症状については治療というものもないし、どうすることも出来なくてまた途方に暮れる。
唯一。
娘ちゃんが今とても幸せにやってくれてるのが救いだ。
彼が娘ちゃんのことを本当に大切にしてくれてるのが有り余る程にわかる。
このままうまく行くといいな。
2人のやりとりを見ているととても心が穏やかになる。
娘ちゃんは全く今まで異性にあまり興味もなく冷めた感じの子だったが、今は彼を信頼している。
それまでの間の彼の言動が本当に頼もしく、娘ちゃんだけをしっかり支えて見てくれているのが徐々に心を動かされたんだろう。
娘ちゃんの気まぐれやワガママな悪い部分も全部受け止めてくれている彼にとても感謝している。
そして、今日は娘ちゃんのお誕生日だ。
この投稿時間のあと30分くらいでこの世に産まれてきてくれた。
いまわたしの存在理由もなにかもかも娘ちゃんのおかげで生かされている。
ちょっとツラいことを抱えすぎる人生だけど、産まれてきてくれてありがとう。
これからの幸せを1番に願っているよ。
今日も明日も予定いっぱいでみんなから祝福されている娘ちゃん。
持ち前の愛くるしさでみんな娘ちゃんが大好きだよ!