神仏と人間

2017年12月11日

優しさ

人間はわがまま、利己主義、現実主義です。

要するに身勝手な生き物なのです。

人間は一種類ではありません。

様々なタイプの人間が存在します。

自分の基準で「これが正しい」と思うことが全ての人に当てはまるものではないのです。

自分とはタイプの違う人間を認めることが出来ますか。

自分とはタイプの違う人間の素晴らしさを素直に認めることが出来ますか。

それが「優しさ」に繋がるのです。

この優しさは、他の生き物にはないものなのです。

そして優しさは本来見返りを求めないものなのです。

基本的に人間はわがままですが、時として世のため人のため(ボランティアなど)に触れようとします。

それは優しさに触れたいという気持ちの表れなのです。

ただ、そういう気持ちがあったとしても、それに相反する気持ちとして他人より優位でありたい、また現実の生活も維持したい、要するに自分を捨てきれない部分があります。

人間はわがままで利己主義で現実主義、そう言っても「自分は違う」と思うのが人間です。

自分がわがままで利己主義で現実主義だとは誰も思っていないのです。

ただ他人から見れば、そうであったとしてもです。

どうすればわがままでなくなるのでしょうか。

それは一人で改善できるものではありません。

なぜなら、自分が思っているほど自分は自分を知らないからです。

誰かに教えてもらわなければ知り得ない自分というものがあるのです。

しかしどんなに仲が良くても、他人からの指摘を素直に聞き入れられる人は少ないのです。

だからこそ、一人でどうにかしようとするのですが、結局それでは限界があり、また回り道になってしまいます。

信頼できる人間、師弟関係のようなものを必要とします。

自分が信頼できる人間に絶対服従できるかどうかなのです。

ただ残念ながらそういう師が身近にいるとは限らないのも現実です。

しかし出会いとは自分から得ていくものです。

多くの人に会い、話をする事で、師との出会いもあるかもしれませんし、また話を聞くことで気付く事もあるでしょう。

真実への扉は・・・本家にある


huujin1214 at 18:43│Comments(0)

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