ラスコー洞窟壁画は誰が描いたのか?
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先日、ラスコーの洞窟壁画は誰が描いたのかという話になりました。まずは、洞窟壁画について思っていることを書きます。洞窟壁画が発見された時、壁画があまりにも素晴らしすぎたので、学界からは捏造だと疑われたといいます。ということは、洞窟壁画を芸術だと考えたのでしょうか。私は、洞窟壁画は芸術ではなく記録画だと思っています。人は自己表現する前に、今を記録したいという欲求があるように思うからです。芸術という高められた精神活動というよりは、獲物として得た動物を記録したいという欲求から描かれたと考えます。人の本能には、形態を記憶できるという能力があるのです。描かれたものに植物はありません。食料を得た感動は植物より、動物が強いからだと思います。一般的に洞窟壁画は描いた動物が手に入るように、呪術的行為として描いたといわれます。描かれた動物の持つ力や生命力に対して敬意を表し自分たちに助力することを願って描いたという人もいます。それは、あくまでも現代人の想像でしかありません。光が届かない洞窟で何を思って描いたのか、当たり前ですが旧石器人の気持ちを理解することはできないのです。

絵を描くためには支持体と顔料、メディウムが必要になります。紙に茶色の泥水で描いても乾燥したら泥は粉となり落ちてしまいます。顔料を定着させるメディウムが必要になります。洞窟壁画では黒い線が魅力的に描かれています。黒は煤(顔料)と動物の油などの油成分(メディウム)を混ぜ合わせたもの(絵具)で描かれたはずです。その他の色も様々な土成系顔料と油成分を混ぜ合わせたものに違いありません。それにしても鮮やかな色彩です。光が届かない洞窟だからこそ変色せず残ったのです。描くときは、植物の茎、木の枝、手などを使ったはずです。手を描いた壁画では炭を口に含み,唾液と混ぜ,それを壁面に吹き付けるという技法も使われています。時代や描かれた場所により道具も進化したものと思われます。

では、誰が描いたのかということです。私は、集団の中で好奇心(記録心)がある者、狩りに参加した若い男が記録として描いたと思います。始めは壁面に定着することはなかったはずです。顔料を定着させるようメディウムを工夫する、描くための道具を改良する等、様々な要素が加わったものだと思います。誰が描いたのか、一人の力ではなく、私は若い男の集団がリーダーを中心に描いたと考えます。そして受け継がれていったのです。壁画は始めは記録として描かれたものだと考えますが、それにしてもあの暗闇の中で描くとは並大抵のことではありません。記録として描いた壁画が別の意味を持つために、何かしらの力が働いたような気がします。「想像」と「創造」、ヒトにしかない能力です。旧石器人も「想像」と「創造」をしていたはずです。