コネで入ったのに待遇がよかった



勤務時間は大体8時~17時の公務員仕様で残業もほとんどなし。
休みは冬季以外は2週間で3日休み。冬季は週休2日。

何の知識もないのに大卒の初任給でいろいろな手当てを含めると月21万。

このまま行っても伸びそうな会社で、かなり年上の先輩は年収2000万ぐらいだと言っていた。
先輩が退職した後はそのお客さんを引き継げるという話もあった。

それでも僕は自然栽培の勉強したくって肥料の会社を辞めた

そんな感じの話。

社長と出会ったのは大学4年生の時

大学4年生の時、就活を4年生の初めの頃だけやって面接で落とされまくって、就活にやる気がなくなり畑を借りていたから農作業ばっかりやっていた時に、知り合いを通じて長野県で肥料の販売をしている会社の社長を紹介された。

社長には農業にやる気があるなら試にうちに来てみないか?と誘われ、
親が就職しろってうるさいし、本格的な農業の勉強ができると思って誘いに乗ることにした。


肥料の会社で主にやっていた5つのこと

キャベツ

・肥料や農薬の配達

一番やっていたことがこれ。

先輩の運転するトラックに乗り、肥料や農薬をお客さんへ配達する。
1つの配達先へ1度に肥料の袋を何百袋も(一つの袋がだいたい20キロ)を倉庫へ運び込んだりする。

体力的にかなりキツイけど慣れたら結構大丈夫だったりする。腰痛の先輩が何人かいた。


・培土(苗作り用の土)のブレンドと袋詰め

配達へ行かない時は大体これをやっていた。少量の肥料とピートモス(土みたいなもの)などを混ぜたりしていた。月によって肥料の量を変えていた(気温が高いと肥料の効きがいい為)


・液肥(即効性のある液体状の肥料のようなもの)の試験

新しい液肥の開発に力を入れていた為、栽培試験やデータ取りをしていた。これをやっている時に液肥の窒素分が多いと虫に食われやすく、農薬が必要になってくることを実感した

・肥料や農薬の営業(新規顧客の開拓)

畑で作業している農家さんに話を聞きに行き、現状で困っていることがないか聞いたり欲しいものがないかを聞いたりする。大体農薬の売込みだったりするので嫌いだった

・お店に来たお客さんへ肥料の販売とアドバイス(農薬、肥料、液肥をすすめる)

培土を買いに来たお客さんに追加で肥料を販売したり、農薬を売ったりする。上の営業と同じようなことをするのであまり好きではなかった。


苦手だった運転系の免許2つ取る必要があった
 

トラック

僕は運転が苦手で会社の先輩にボロクソに言われるほどトラックなどの運転が苦手だった。また先輩にいろいろ言われたこともトラウマとなった。

そんな中、肥料の会社で必要な免許が2つあった。

1つ目が中型免許。

先輩たちはわざわざとる必要がなかったけど、僕らぐらいの世代以降は普通では2トン未満までしか運転することができない為、わざわざ限定解除する必要があった

2つ目がフォークリフト。

肥料を移動させたりトラックへ乗せる時にフォークリフトを良く使った。これの運転も下手くそだったため肥料に穴をあけたりしてボロクソに言われてトラウマだった


いくつもの知りたくない現実を知る

農業の現場に近いからこそいろんな現実を知った。
その中から大きくわけて2つ紹介したい。


1つ目、野菜が出来てもそれが全ていい値段では買い取ってもらえないこと

せっかく大切に育てたのに作物が取れすぎると
出荷調整が必要になり、畑の野菜を箱代にもならないと言って
潰す(収穫しないでそのまま畑にトラクターですき込んだりすること)

ひどい時は畑の30%潰してほしいとJAに言われたりした。(農業をやっている人が大半の地区だったので村内放送でそういう趣旨の放送が流れた)

僕が務めていた年は気候も良く、みんなが豊作で良く採れたため、『豊作貧乏』という状態が起きていた。

豊作貧乏とは
豊作の場合、市場に出回る農作物が増えるため供給が増えるけど需要はそれほど変わらないため価格が下落して、かえって農家の経済が窮迫すること。

2つ目、JAS有機でも使っていい農薬があって、その基準が広くなった事


JAS有機とは


有機JASマーク

有機食品のJAS規格に適合した生産が行われていることを登録認定機関が検査し、その結果、認定された事業者のみが有機JASマークを貼ることができます。 

この「有機JASマーク」がない農産物と農産物加工食品に、「有機」、「オーガニック」などの名称の表示や、これと紛らわしい表示を付すことは法律で禁止されています。

また、有機JASマークは、太陽と雲と植物をイメージしたマークです。農薬や化学肥料などの化学物質に頼らないで、自然界の力で生産された食品を表しており、農産物、加工食品、飼料及び畜産物に付けられています。

(引用:農林水産省HP http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/yuuki.html)

そんなJAS有機でも使っていい農薬があること、そして僕が肥料の会社にいた時に使っていいと認可された農薬が増えたこと。結局売るための表記であって、安全を歌うものではないという気がした。

JAS有機でも農薬を使っていいこと、その基準が緩くなっていることは自然栽培の研修をしている時にJAS有機の承認をしている組織の代表の人からも聞いたので間違いないと思う。


僕は農薬が感情的に嫌なんですよね。
いくら化学合成でない農薬だから大丈夫と言われてもなんか嫌なんです。

学者や研究者ではないので残留農薬が何ppm(ppb)以下だから安全だと言われても、全然ピンとこないんです。ピンとこないものは信じることはむずかしいですよね。

化学合成でないものでも人体にとっては毒となるものなんて世の中にはありますし。

それに、農薬を使わなくても野菜を育てている方を何人も知っていたのでそういう栽培をしたくなってきたのです。

僕が有機栽培を通り越して肥料も農薬も使わない自然栽培に興味を持ったのはこの為です。

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やっていることが嫌になって辞めたいと思い始める

悩む

元から農薬を売るのが嫌だったのと、
苦手なトラックの運転をしなければならないこと、
自然栽培を勉強したいという強い思い。

それが日増しに強くなってなっていき、ストレスとなっていった。

周りから見れば好きな業界、好きな世界に入って待遇は良いのになぜ辞めたいと思うんだろうと思うかもしれない。でも、僕には求めているものがあった。


農薬を使わないで環境などに負荷をかけない、
食べる人が健康になるような野菜を育てたい。



お金を稼ぐためだけの農業ではなく、本当に人のためになるような野菜を育てたい

自分がやることに少しの疑いも持ちたくない。
100%自分の気持ちが乗った仕事をしたい。

そんな思いから肥料の会社を辞めたいと思った。

辞めるために2つの試練(自分の本気度が試される)にぶつかる


1つ目は家族の猛烈な反対


辞表を書いて会社に提出しようとしていた前日に家族に会社を辞めると電話をした。

そしたらちょっと待てと言って、家族全員(妹以外)で僕がいるアパートへ来た
福島から長野なのでかなりの移動距離。

家族が会社を辞めるのに反対するのは普通だと思うけど
直接来るには理由がある。

僕が社長のコネで入社しているため、
社長に会いたいと言って家族全員で社長に前に会っていたという経緯がある。

社長が素晴らしい人で、この人なら安心して任せられると家族は言っていた。

家族に嫌になった経緯、これからどうしていくかについてしっかりと説明した。
そしたら『気が狂ったのではなく、ちゃんとした理由があるならそうしなさい』
と渋々ながら認めてくれた。



2つ目は職場の人の説得と反対



家族を説得した次の日、辞表を持って出社。

半年近くかかわった人たちのことが脳裏に浮かぶ。

出すとどうなるのか。怒鳴られるのか、驚かれるのか、
そして辞表を出した後どうなるのかわからない。

正直辞表を提出するか迷った。
昨日福島から長野まで飛んできた家族を説得したのにだ。

心が締め付けられそうな心境だった。優しく指導してくれた先輩。
ボロクソ言ってくるけど僕のことを考えてくれているのは間違いなかった。

そして恐る恐る支店長に辞表を提出。

今月末で辞めさせていただきたいです

そして、支店長の第一声は…


















は?お前何言ってんの?


だった。


正直支店長には寝耳に水だったと思う。
なんせ一回も辞めたいという相談をしていないからだ

お前正気か?と聞かれて『正気です。辞めさせていただきたいです』と答えた。

支店長に辞めたいと思ったなら辞めたいという相談をしろといわれた。
今考えれば当然のことだと思う。

でもその時の僕は辞めたいという事を相談するのが怖かった。
怒鳴られる気がしたし、反対されて自分の意見をつぶされる気がしたからだ。

そして本社の支店長(社長の右腕)に連絡がいった。
とりあえず本社に来なさいとのことなので本社へ。

車で大体1時間ぐらいで本社についた。

本社の人にもおどかれた。
従業員10人ぐらいの会社なのでお互いのことはよく知っている状態というのもあるかもしれない。

本社の支店長と面談。


このまま会社を辞めたらきっと君は嫌なことがあったら逃げ出して何事も続かない男になるだろう。だからまずは3年一緒に頑張っていこうじゃないか。

大学生の時アルバイトを10種類近くやったけどどれも
半年以上続いたものがなかったのを思い出す。

内心ここで辞めたら辞め癖というか逃げ癖がついて逃げてばっかりの人生になるかもしれないと思って心がグラッと揺らいだ。

たぶんあそこで頑張ると言っていたら何か違うと思いながらも給料が入ってくるからとか言って自分に言い訳をして今も仕事を続けている気がする。


本社の支店長は社長とずっと長く肥料の会社を大きくしてきた人で、
辞めようとしている人と最後に面談をしているらしく、数多くの人を見送ってきた経験があるからか非常にやさしく話を聞いてくれて、優しく語りかけてくれる。

泣きながら話を何時間したんだろう。
かなりの時間が経っていた。

それでも辞めようという意思は変わらず、本社から支店に帰る。


営業で回っていた社長が支店に来るとのことで支店で社長と面談。

社長はサバサバしていた。
辞めたい理由を伝えたら納得してくれた。


務めていた肥料の会社は農薬の使用量を減らして
健康的な野菜を育てることをサポートする肥料の会社だったこともあるのかもしれない。


そして荷物をまとめて会社を出る前に、支店長と面談。

お前は営業成績もあげられないお荷物なんだよ。このまま辞めたらクビになるのと同じだと思え。お前みたいなやつなんかどこに行ってもつかえねぇ奴だよ。

泣きそうになるのをグッとこらえた。

悔しいけど言い返すことができなかった。
だってそれは紛れもない事実だったから。

ただ肥料を運んで、言われたことをやるだけ。
営業に行ってもお得意さんのところに行って会社の名前で営業成績を上げるだけ。給料泥棒と言われても仕方のない状態。

それ以外にもいろいろ言われたけどよく覚えていない。

半分泣いていたかもしれないけど辞表を提出して荷物を持って

今までお世話になりました!
と言って会社を出た。


支店長にボロクソに言われたことが頭の中で何度も繰り返されて車の中で悔しくて号泣した。

そして車を走らせたときにランダム再生で流れ始めたMr.Childrenの『終わりなき旅』を泣きながら歌って家に帰ったのを覚えている




自分の道を進むのには困難が必ず立ちはだかるけど越えるべきもの

 
自然栽培の世界に入ってからも安月給で重労働だったり洗脳されそうになったりと大変だったけど続けていられるのは会社を辞める時に会社の先輩方に言われた心に突き刺さる皮肉と苦言があったからかもしれない。絶対見返してやるという想いかな。
 
今でもあの頃のことを思い出すと胸が苦しくなる。

就職する時、家族に言われて就職した部分が少なからずあったので、親がどうとか世間がどうとかの声に従うのではなく、自分の心が求めるものを追及するほうが個人的にいいと思います。

今の時代、世間の声などにしたがっていけば生きて行けると思いますが自分の心は死ぬ気がします。勉強になりますけど生きてて楽しくなかったんですよね。やりたいことでないことをするのは。

困難にぶつかることなんてたくさんあるし、苦しい思いもいっぱいするかもしれない。会社を辞めた後自分がどうなるかわからなかった。けれども今、安定はしてないけど自分の好きな道を歩めているので生きているのが楽しいです。

あの時仕事を辞めて自然栽培の世界に入って良かったと思えるよう、これからもがんばって自分の道を進んでいきます

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