どーも!えんたく(@Entaku98)です!

家族が遊びに来ていろいろ話したので、その時のことを書いていこうと思います。

事の発端はある日突然、電話がかかってきたことに始まる


祖父の弟が病気で倒れて危篤だから名古屋に様子を見に行く。そのついでにお前のところ(高知)に行くというのだ。

「ついで」という言葉がここまで「ついで」じゃない!怖えぇ!とこれほどまでに思ったことはない。

僕は、大学生になって一人暮らしをするようになってから家族と距離を置くようにし始めた。

なぜなら、親はああしろ、こうしろと子を思ってやかましくものをいう

それが僕にとっては自分の価値観を信じてもらえず、また、家族の価値観を刷り込まれるような気がして嫌だったのだ。

僕には僕の考えがある。

それを深めて、形にしたいと思って、大学時代は埼玉県の大学を選び、福島県の実家からは離れることを選んだ。

さらに様々な価値観の人に触れ、いろんなことをやってみたい!といろんなことをして、実家に帰るのは盆、暮れ正月の数日間だけにした。

参考↓

大学生の頃にインターネットビジネスで年収1億の社長に36万払って学んでいた話

人生は出会いとやることで変わると思った話

電話も極力せず、家族の誕生日にだけ電話をするようにしていた。

ついでとは言いつつ高知へやってきた


僕は仕事があり合流するのが遅れたが18時ごろ、仕事の帰りに偶然見慣れた車を駐車場で見かける

会津ナンバーで、スバルのレヴォーグに乗っていて高知にいるなんて、ほぼ特定できたようなものだ。

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(画像元:スバル)

祖父は車が好きで80歳近くにもなるのに車の運転を楽しむ。

ただ、高知の山奥では車体が長くて少し車高の低いレヴォーグは不向きな気がしてならない

山道を登るだけで苦労しそうだ。

しかも16時ごろには高知へ着いたが、特にすることも、散策するでもなく、車で相撲を見ていたのだという。

2時間も相撲を見ている辺り相当な相撲好きだと思う。2時間もあるならそこら辺を走っていろいろ見たらいいのにと思ったが口に出さないことにした

ご飯へ


高知の田舎では晩御飯をどこで食べるか迷うものだ。

スーパーで何か買っていこうか?となったが、行ったことはないけど美味しいと評判のイタリアンのお店を予約して行くことにした。

参考:嶺北のディナーはここで決まり!土佐町のオンベリーコへ行ってきたよ

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うちの家族は食に少しうるさい。

参照:自分のことを知れる気がしたら家族紹介を書いてみた

昨日は家族の中でも祖父と叔父と僕の男3人だったんだけど、祖父、叔父は食べながら語る語る。特に叔父。

僕はうめぇ!っていうぐらいだったんだけど、うんちくが入る。

例えばシーザーサラダ。
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僕は普通に美味い美味いと言いながら食べたんだけど、叔父がいろいろ語る。

「シーザーサラダってのはパンチェッタ(燻す前の生ベーコン)を薄く切ってカリカリに炒めたのがのってるてるやつで、チーズベースのドレッシングとクルトンが乗ってるサラダのことを言うんだよ。お、このパンチェッタいい具合だ。美味いぞ。お前も食ってみろ。んーでもこのバルサミコ酢だか、ワインビネガーが少し入ってるのは俺はそんな好みじゃないんだよなぁ…」

てな具合。

正直、知るか!と思った。

さすがに少し食べただけで料理の感想が具体的にポンポンと出る。さすがである。

祖父は美味い!と言って食べた後、料理に使われた皿をそれぞれじっくりと見ていた。

さすがは元帝国ホテルのコック。ある種の職業病だろうか

80歳近くになっても料理における探究心はなくならない。

非常に見習うべき姿勢である。

パスタなどを食べた後、祖父が土佐あかうしを食べたいというので、あかうしのステーキ(イタリアンアレンジだけどなんていう料理名だったか忘れた。ってかイタリアン料理って名前言いにくいの多いよね)をオーダー。

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叔父が最初にとって食べ始める。

「お、このレアとミディアムレアぐらいの焼き加減いいなぁ…レアは美味いんだけどナイフで切るとき綺麗に切りにくくてなぁ…それより少し焼いてミディアムレアに近い焼き加減にすることによって…以下略。

祖父は一口食べるなり、「美味い!この肉はヒレで一番いいところだな」と即座に回答。

メニュー表にどこの部位とか書いてないのに1口でわかるってどういうこと?

よくわかりません。

叔父のうんちくを聞いていて思うこと


叔父(50歳)が生きてきた世代…今20代ぐらいの子供がいる世代は大学生の頃、世がバブルだったという。

その時代は今では考えられないほど、外国からのものが急に押し寄せた時代でもあり、イタリア料理などの料理やブランド物の服、車なども押し寄せた時代だった。

その時代ではそれらを知っていてうんちくを語れることが粋とされ、それが語れない奴は相手にされない(この相手にされないはおそらく女性に)時代だったんだとか。

だから必死にバイトで稼いだ金もそれら外国のものを知るために使いまくっていたという。

まさに「戦いや競争」である。

あいつより俺は知ってる!という競争が常にあった

ところが今の時代、ネットで検索すればだいたいの情報は手に入る

それであるがゆえ、調べればわかるようなことを、わざわざうんちくのように語る奴はあまり歓迎されない。

それぐらい価値観というか、良いとされてきたものが変わってきている

叔父の話を聞きながらそんなことを思った。

祖父や叔父の話を聞いたりしながらその後も料理を美味しくいただいた。

帰り際、祖父が店のオーナーと「本来イタリアン料理とかフランス料理って家庭料理なんだよね。でもルイ14世の頃からおかしくなり始めて、日本に来てもっとおかしくなった。みんなアレンジを加えまくってるよね」みたいなトークを始める。

さすが生粋の料理人である

家に到着


家に着いてから家の中を一回りした後、「灰皿あるか?」と聞かれる。

僕はタバコは好きになれないし、吸おうとも思わないのだけれど、前に住んでいた人の灰皿があったのでそれを差し出す。

僕は子供の頃からタバコを吸っている環境にいるのが、嫌で嫌でたまらなかった

部屋に漂った煙をこっちにこないように必死に吹いて遠のけていた記憶が蘇る

その頃のおかげか、僕は肺活量が強くなってBBQなどの火起こしが得意になった。

まぁそんなことはどうでもいいのだが。

祖父や叔父の世代の人たちはタバコを吸うのがカッコイイと思っていたり、周りが吸っているからみたいな感じで吸い始めたのだと思う

僕らの世代(現在20代)にも親の世代のようにかっこいいと思ってタバコを吸っている人もいるかもしれないけど、少数派だと思う。

むしろ最近では禁煙ブームというかタバコを吸わないのが良しとされる風潮が増えてきた

非常に喜ばしいことである。

そういったことからしても価値観は変わってきていると感じる。

タバコを吸い終わった後、眠いと言ってその日は床に着いた。

名古屋から2人で高知まで来たのだ。運転に疲れて当然な話である。
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翌朝、今後の展望の話をすることに

きましたよ。説教タイム。

今後どうしたいのかの展望の話をしているのになぜか、家族の価値観を押し付けられるパターン。

僕はこれが嫌だったから、家族にはどういう風にしたいかを細かく話さずに親や世間が理解できそうなを例いくつか出し、「こんな感じ」とお茶を濁す感じを貫いてきた

例えば僕は親にはただ「農業がしたい」「それを今ある方法とは少し違う感じで売っていく」とだけ言ってある。

僕自身、細かい方向性が迷子な部分があるのでとりあえずの方向性しか言えないのだ。

まずは叔父からのお話


叔父はバブルをもろに経験してきた世代で、いわゆる戦って勝つ的な思考があったりする

いずれかは何処かと勝負して勝ち抜いていかなければならない。

そんな感じのことを言われた。

確かに戦って勝つことは必要なのかもしれない。

けれでも僕は戦わずして勝つ(いわゆるブルーオーシャンで生きていく)的な思考や、楽しんで仕事をしていく、仕事と遊びが近い感覚がいいと思っている

それこそ、戦って勝たなくてはならない!みたいな思考では勝てない人や向いていない仕事を選んでしまった人は、辛く、下手したらうつ病などになってしまうかもしれない

第一、その思考では仕事は戦いできついものという、仕事=辛いものみたいな公式が出来上がる

だからこそ、僕は自分が本気でやりたいと思うことを探し続けている。

祖父からのお話。


祖父の世代は第二次世界大戦を経験し、焼け野原になった東京から「さあやっていくぞ!」みたいな、ある種の開拓精神を持っている人が多いように思う。

だからこそ、「何をしていこうか」みたいなことを考え続けてきた。

祖父たちの世代は何もないところからどうするか?を考え、今20代の僕らのような世代はありとあらゆるものは大体揃ってる。ではどうするか?みたいな、少し状況が違うけれども「何をしていこうか?」を考える世代としては同じなのかもしれない。

60年に一度、乱世になるなんて話があるけれども、世の中が大きく変わっているという意味においては同じようなものなのかと思う。なので祖父たちの世代とは話が合う。

叔父の世代(バブル世代)は名前の知れた会社(公務員)に入れば一生安定して生きて行ける。みたいな価値観があり、

お金があって、ものを買えるのが幸せであり、それをよしとする

感覚的に親の世代(バブル世代)とは価値観が合わないように感じるのだ。

祖父の価値観


乱世を生き抜いてきた祖父の価値観は「自分の興味の持ったこと、好きなことをするのが一番。才能を活かすのが大切」ということだった。

いろんなことをしようとしたと祖父は語る。

いろんなことに手を出したり、かじったりした。その中で自分が向いていないと思ったもの、面白くないものはすぐに辞め、また興味の持ったものに飛びついてやってみる。

その中でコックをして、料理の世界は面白いと思って、今も続けてるし、肉に関しても面白いからその世界のことを続けてこれた。

人と関わったりするのが好きだから営業の世界でもうまくいったし、ペンションもうまくいった。わしは自分の人生で持っている才能をフルに使って活かしてこれたから満足だよ。いつ死んでもいい。

そう語る祖父を羨ましいと思うし、素晴らしいと思った。

いつ死んでもいいという境地にたどり着くこと。僕もそういう生き方がしたい。

祖父たちが帰ったのを見送って思うこと


自宅付近の広場に停めておいた山道に不向きのレヴォーグをなんとか反転させて帰っていった祖父たちをゆっくり見送った後、家に戻って考える。

さて、僕はどうしようかなと。

これからの時代はインターネットによって、今までとは違う様々な価値観が現れてくる。

すでにどこでも場所を選ばず、インターネットが使える環境であればどこでも仕事ができるということが一般的になっているけど、まだ親や祖父の世代には理解されないことが多い。

勤め人じゃないの?みたいな。

これからの時代の変化を見つつ、様々な価値観を受け入れていく人で僕はありたい。

今までの価値観によって今の世の中はでき、これからも新たな価値観が出てきて、その人たちが世の中を変えていく。

そんな様々な価値観を受け入れていくことが人としての幅や可能性を広げてくれる

そう信じていきたい。

おまけ

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福島から名古屋、そして「ついでに」高知まで来た祖父たちの移動距離は約1000キロ。

どの辺がついでだ!名古屋から400キロ以上あるじゃないか!

そして祖父がお土産だ!ってワインをくれたんだけど、アルコール飲まないのよく知ってるはずなんだけどなぁ…誰かにあげろってことだな。

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