解明されていないメカニズム

近年、インターネットやテレビを通して【ゲシュタルト崩壊】という現象が知られるようになった。同じ文字を繰り返し見たり聞いたりしているうちに、形がわからなくなってくる。それがゲシュタルト崩壊である。単純な構造のアルファベットよりも、複雑なひらがなや漢字はゲシュタルト崩壊が起こりやすいため、経験したことがある人も多いのでないだろうか。ゲシュタルトは、ドイツ語で【構造】を意味し、それ以上、バラバラにすると意味をなさないもののことを示す。人間には物事や現象を素材バラバラではなく、近くあるもの、同類のものなど、ある条件に基づいて一つのまとまった集合体として認識する知覚が備わっている。しかし、あまりにも集中力が高まると、この【構造=ゲシュタルト】が崩壊することがある。今までは普通にとらえることができていた集合体の全体像が急に把握できなくなり、それを構成している個々ばかりに目がいくようになってしまう。

 


 

ゲシュタルト崩壊は1947年、ドイツの神経科医ファウストによって失認の一症候として報告された。失認とは、視覚、聴覚、触覚に異常がないのに対象を認識できない障害のことだ。しかし、そのメカニズムは未だにはっきりとは解明できていない謎の現象なのである。ちなみに、ゲシュタルト崩壊と似た現象に【ジャメビュ】がある。【デジャビュ=既視感】の反対語で【未視感】を意味し、日常的に体験したり見慣れているはずの物事を一瞬、初めて見たり体験するかのように感じることをいう。こちらのメカニズムは謎のままだ。脳の仕組みとは、まだまだ未知の世界なのである。とはいえ、身近で起こる文字のゲシュタルト崩壊程度なら、文字を見直せばすぐに正常に戻ることができるので、深刻な問題になりにくい。危険なのは、分からなくなるのが【字】でなく【自分自身】である場合だ。

人間は、生まれてから時間をかけてコツコツ経験を積み、人格が形成されていく。ところが人格のゲシュタルト崩壊が起こると、これまで築いてきた人格を一瞬でも見失ってしまうことになる。今まではちゃんと理解していた自分自身に疑念が起こるのだ。

「私はこんな顔だったけ?」「私はこんな声だったけ?」

すぐに自分を再認識できればいいが、もし長時間再認識できない環境が続いたら、脳の混乱が収まらなくなり、ついに「わたしは誰?」と、自我が崩壊してしまう可能性もおおいにあるのだ。では、人格のゲシュタルト崩壊を意図的に他人に利用するとどうなるだろうか?恐ろしいことに【洗脳】へと繋がるのである。実際、ナチスドイツでは、洗脳を目的とした心理実験が行われていた可能性が指摘されている。ユダヤ人捕虜を鏡の前に立たせ「お前は誰だ?」と延々鏡に向かって質問させる実験を行ったというのだ。すると、10日程度が経過した頃、被験者の判断力が鈍くなり、物事が正確に把握できなくなった。さらに3カ月経った頃にはすっかり自我が崩壊し、自分が誰だか分からなくなっていたという。ただ、この実験については、ドイツの戦争犯罪を追及するための「ニュルンベルク裁判」の記録には登場しておらず、実際にあったかどうかは定かではない。しかし、ナチスドイツは洗脳実践していたたため、この実験が不気味なリアルさを印象付けるのも無理はない。なお、実験に鏡が使用されたというのも、リアルさを際立たせている。視覚的とはいえ、自分という存在を複数に増やせる唯一のアイデアである鏡は、ゲシュタルト崩壊を招くにはうってつけだ。そのせいか、鏡には昔から不気味な言い伝えが多い。「深夜に三面鏡を見ると、いくつも映る自分の顔の中に、死んだ顔が映る。」という言い伝えは、鏡の見過ぎによる自我の崩壊を警告しているのかもしれない。

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洗脳の王道手口

このように、ゲシュタルト崩壊は悪用すれば非常に危険な結果を招く。そして現代でも、これを利用した洗脳が、カルト集団や自己啓発セミナーで頻繁に行われているのだ。方法は次の通り。洗脳対象が見つかると、まず閉ざされた環境でお経を一日中聞かせたり、同じ挨拶や標語を、くたくたになるまで何度も言わせたりする。すると、対象者は内容がわからなくなり、ただ「聞くだけ、言うだけ」の状態になってくる。これが「思考の停止」である。そこから、今までの生活や仕事についてひとつひとつ繰り返し「あなたはそれでよかったのか?」と問いかける。これはその人の存在の「部分」を浮き上がらせ「全体」を見えなくするためだ。自己のゲシュタルト崩壊を起こすように、巧みに誘導するわけである。そしてついに対象者がアイデンティティをなくし、自分の意見を失ったら、新たな思想を植え込み、洗脳が完了するのである。これらは【否定型】という洗脳スタンダードなテクニックであり、社会的に成功していたり地位や名声に恵まれていたりする人ほどかかりやすいという。人間、一度価値観を壊されてしまうと弱いもので、崩壊した自我の確立を急ぐあまり、すぐに手を差し伸べてくれる人を頼ってしまうのだ。これを巧みに利用したのが、「オウム真理教」である。高学歴の社会的エリートを洗脳によって熱心な信者にしたてあげ、人の命を奪うほどの犯罪に加担させたのだ。つまり、他人の人格を変え意のままに操ることは可能だということだ。ナチスドイツが行ったという「鏡の実験」は、都市伝説としてではあるが、今でも「本当に気が狂うので試してはいけない実験」として話題に上がることがあるが。また、江戸川乱歩の小説【鏡地獄】では、鏡の球体の中に自ら入った男が「たくさんの自分」に混乱し最終的に発狂するという、ゲシュタルト崩壊を思わせる結末を迎えている。小説や都市伝説で済めばいいが、鏡を使ったゲシュタルト崩壊は「開けてはならないパンドラの箱」のようなものだ。勉強に熱中し、漢字が少しバラバラに見えて戸惑うくらいの影響でとどめておきたいものである。

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最後に、我々は、ある事象を全体像として捉えて判断している。そして何度も同じ事象を繰り返し認識することで、物事の本質的な盲点を見過ごし、一体何を認識しているのか無意識的にわからなくなっているのがまさにゲシュタルト崩壊ではないだろうか。それが結果として洗脳という形で無意識に己の自我を侵食しているのかもしれない。そうならないためには常に物事に対して哲学することであり、【シンプルなこと】について誰でも当たり前の共通認識として持っていることについて疑問を持ち続けることではないだろうか。例えば、どうしてこの人は批判するのか?どうして私に関心を抱くのか?要する対象そのものにゲシュタルト崩壊を投げかけることが洗脳されない一つの防御策になる。