2006年10月01日

研修科発表会「天保十二年のシェイクスピア」

文学座付属演劇研究所研修科発表会「天保十二年のシェイクスピア」天保十二年のシイェイクスピアちらし

黒子1
黒子2


 9月30日(土)長男の所属する文学座付属演劇研究所の研修生の発表会を観に行きました。8月の「二号」からまだ1か月半ほどしか経っていないというのに、上演するのは井上ひさし作「天保十二年のシェイクスピア」という大芝居です。

演出・松本祐子  演出助手・多和田真太良       音楽・熊野大輔、松本英明 殺陣指導・渥美 博    衣装・五戸真理枝   道具・酒井良典
協力・文学座演出部  演奏・大森暢子(ピアノ)    松本英明(筝)
9月29日18:00〜  30日13:00〜・18:00〜      10月1日13:00〜 
文学座アトリエ  入場無料

 ただでさえ広いとは言えないアトリエに花道の付いた舞台を組み、舞台の後ろには2mほどの高さの通路が設けられていて、大掛かりなものになっていました。めいっぱいの舞台設営のため客席は120席ほどと少なく、もっとたくさんの人に観てもらえたらいいのに、と何だかもったいないような気がしたほどです。写真上は宣伝用のチラシです。イラストは広島出身の演技部研修生、藤側宏大さん。舞台背景の竹林、博打打ちの背中を飾った刺青も彼の手によるものだそうです。

 物語は、下総国清滝村で2軒の旅籠を経営する(ぶり)の十兵衛が、財産を3人の娘たちに譲って隠居しようとするところから始まります。2軒の旅籠は口のうまい2人の姉たちに分け与えられますが、すぐに縄張り争いが激化。姉たちは父をないがしろにし、しかも弱気な亭主たちを見限ってそれぞれの愛人に殺させ、罪を敵対する姉妹に擦り付けようとします。
 そんな状況をうまく利用して、「漁夫の利」を得ていくのが佐渡の三世次(みよじ)でした。三世次は抱え百姓の出で、せむしと火傷跡のある醜い男ながら稀な策略家。「お前が清滝村を制する」という不思議な老婆の予言に裏打ちされながら、次々と邪魔者を取り除いていきます。しかし三世次が執着し、命取りになったのは十兵衛の三女・お光とその双子の姉妹・おさちへの恋情でした。どちらからも愛されることなく、お光は三世次自身が手にかけます。おさちを、夫で代官の土井茂平太から奪い取り、代官の地位まで得たにもかかわらず、おさちは「あなたの心は醜い」と言い残して自害してしまいます。代官の悪政に怒った百姓たちは竹槍で三世次を突き殺し、幕となります。

 ここに書いたのは「メインストーリー」とでもいうようなもので、ほかに十兵衛の長女の息子・きじるしの王次の復讐や許婚・お冬の発狂、吉原の遊女浮舟太夫と桶職人・佐吉の悲恋、十兵衛の次女を嫉妬心から殺してしまう尾瀬の幕兵衛の悲劇などがサブストーリーとして絡んできます。
 明らかにシェークスピアの「リヤ王」から始まった芝居は、いつのまにか「ハムレット」になったり、「マクベス」「ロミオとジュリエット」「リチャード3世」「ジュリアス・シーザー」などたくさんの戯曲を転々とします。シェークスピアの作品を知っていれば知っているほど楽しめる芝居に違いありません。ある意味では、この芝居は井上ひさしの「お遊び」の世界でしょう。
 井上ひさしという人はすごい人だ、と改めて思います。例えば「父と暮せば」や「紙屋町さくらホテル」「太鼓たたいて笛ふいて」といった作品群で戦争を憎み、平和を追求する強い意志を示しながら、「天保十二年…」のような作品で人間の欲望と本能そのものを描き出して見せる。生真面目な人なら、その落差についていけないかもしれません。あれだけ「生」を描くことに熱心な作家が次々と登場人物を殺す。逆に言えば、シェークスピアの作品はそれほど欲と色と残酷さを描いたものだったのだ、ということに気付かされます。
 「天保十二年の…」もいわば大人向けの芝居で、最初から最後まで富への欲望と男女の性愛とに彩られています。男女の絡みそのものもエロチックですが、それ以上に、セリフは残酷なまでにエロチックに書かれています。それを文字通りカラダで、またセリフで体現しようとする若い役者さんたちは大変だったと思います。それに加えて、井上芝居には欠かせない歌や踊り。今回は演出家・松本祐子さんの思い入れで、すべて新譜として誂えられたということで、歌の稽古は難しかったと聞きましたが、なかなか迫力のある出来で見応えがありました。

 速い展開ときびきびとした演出は3時間半近くを飽きさせることなく、観客に見せてくれました。障子を通してのヌードのシルエット、仕置きにあった三世次が口から次々と吐き出す小判、酒樽に顔を浸けられた土井茂兵太が溺死する仕掛け、幕切れに舞台を覆いつくした真紅の花びら(なのか、血に染まった雪なのか)など演出の面白さも堪能しました。
 前半、演出の一部として使われたのが歌舞伎の「附け打ち」。2本の附け木を板の上で叩いて、見得を切ったり、花道を走って入ったりする場面などに効果音として出されるものです。今回は、黒子として登場した演出部の長男が担当しました。しっかり芝居を見すえて、ちょうどよいタイミングで音を入れなければならないので大変です。黒子とはいえ下手側に姿を見せて叩くので、これにもそれなりの「演技」が必要でしょう。ある場面では、いま附け打ちをしていたと思った長男が、次の瞬間には旅籠前に町人として出てきて踊って歌っていたので驚きました。家族としては、意外な登場をひそかに楽しみました。黒子は他にも何人かいて、道具の出し入れや転換に活躍していました。
 写真下2枚は終演後の「黒子」です。「本物」の黒子の衣装を揃えると3万円ぐらいかかるそうなので、この衣装は手持ちのものなど寄せ集めで。今回の足元は雪駄ではなく、地下足袋。近づいてみてみると、連絡用のイヤホンやマイク、ストップウォッチなども携帯しています。裏方さんは大変そうですが、この笑顔は「芝居は楽しい」と語っているようです。
 観客となったほうも、やっぱり芝居は楽しい、と思えた舞台でした。
 
Posted by hyo_gensya2005 at 18:42│Comments(6)TrackBack(0) 演劇 | 家族

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この記事へのコメント
『天保十二年のシェークスピア』凄かったです。
家で、蜷川演出のDVDを観ましたが、あの豪華絢爛たる
出演者の演技に決して劣っていない!研修科生の頑張りに
文学座ファンとして、誇らしい気持ちです。
「芝居は楽しい」本当にその一言に尽きた時間を過ごせて
頂いた幸せもんの私でした。
Posted by ベル at 2006年10月03日 23:24
ベルさんの充実した「文学座」ブログ、時々拝見しています。
ちょうど今夜、息子からいろいろな裏話を聞いたばかり。
竹槍の竹は1本1200円だったとか、槍の先はウレタンで作ったとか、棺桶はポリバケツにベニヤを貼った、お光の櫛は投げると割れるので木に歯を描いて、最後の赤い雪?は赤い紙テープを三角に切って(ヒラヒラとゆっくり舞い落とすため)…etc.etc.道具の工夫も間近に見せて貰いたかったと思ったほどです。舞台を造ることも「ワクワク」ですね。
広島で公演してくれないかなあ、なんて思います。
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年10月04日 01:36
シェイクスピア演劇は大学を卒業してから数年間は東京まで見に行ったものですが…最後に見たのは築地本願寺での「リア王」でした。井上やすしさんのも面白そうですね
Posted by ゆか at 2006年10月10日 23:59
ゆかさん、いらっしゃい!
演劇に興味がおありですか?築地本願寺の「リア王」というのはどんな舞台だったのでしょう。お寺を使った演劇というのも時々ありますね。広さとか響きとかが演劇に向いているのでしょうか。
忙しい毎日でしょうが、いつかまたお芝居を覗いてみてください。きっと新しい発見がありますよ。
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年10月12日 02:45
お久しぶりです。『築地本願寺のリア王』は蜷川幸雄(漢字合ってる?)さん演出でした。あとシェイクスピアシアターのも時々見に行ってました。
Posted by ゆか at 2006年10月19日 19:54
観に行ける機会があるのは幸せなこと!広島に来る公演をできるだけ観たいと思っています。
長男の演出する芝居を観に行くのはいつになるかな?
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年10月19日 23:25