2006年12月23日

黄金山アタック「シレンシオ」

22日夜、劇×魂B.E.a.T. シリーズ顕金山アタック「シレンシオ」を観に行きました。
シレンシオ
 きのう、南区民文化センターアーツマネジメント活性化事業劇×魂B.E.a.T. シリーズの第4弾、黄金山アタックの「シレンシオ」を観に行きました。写真は当日パンフレット。21日、22日の2回公演。
作・演出=藤井友紀
キャスト: リョウ=村田遼太郎  オジサン・ヨーコ=吉本武史 医者・役者1・スズキ=新名基浩 
あらし=タムラ・ド・ヒサシィ

 黄金山アタックを主宰する藤井友紀さんの作品を観るのは2回目です。初めて観たのは「禁じられたメキシカン」シリーズのうちの1作でしたが、「アメリカの犯罪者がメキシコに逃げすぎて、メキシコに関するものがすべて禁止となってしまったニッポン」という設定でも分かるように、荒唐無稽かつ抱腹絶倒の世界と言えばその40%ぐらいは当たっているだろうと思います。
 「シレンシオ」もそれと同じように「この芝居のストーリーは…」と簡単にはまとめられない藤井流の世界。かと言ってめちゃくちゃなのではありません。中心になっているのは「オジチャン」と20歳の甥「リョウ」の関係。倒れて手術を受け、車椅子の生活になったオジチャンをリョウは受け入れられず、思い出や空想の中にかつての激しさを求めていく。ウソかマコトかわからないオジチャンの獣のような性体験やドラッグ漬け、それにそそのかされるようにしてオトナになっていくリョウ。リョウは現実では芝居の小道具係をしているらしいのですが、妄想の中では演出家となって女優のヨーコを恋人にし、子供も産ませてしまいます。妄想(どこまでが現実でどこからが空想の世界なのか定かではありませんが)の中で繰り広げられるオジチャンと猫女との愛欲、リョウとヨーコとの破滅的な恋愛、それに加えてリョウの喉のアラシを診察する奇妙な医者の求愛行動。
 ストーリーも、男女を1人で演じ分ける役者も、すべてが絡まり合いながらアラシのように進んでいきます。リョウの喉のアラシを表現するのがダンスのタムラ・ド・ヒサシィさん。緩やかに優しく、時には荒れ狂って激しく、白く塗られた半裸で踊ります。その踊りはこの舞台全体の表現そのものでもあるのでしょう。
 もはや「激しく」なくなってしまったオジチャンの現実を受け入れたとき、この芝居でたぶん1度だけのセリフ「シレンシオ」をリョウがオジチャンに投げかけます。「シレンシオsilensio」はスペイン語で静寂とか黙祷という意味だそうです。

 この粗筋では、まとまりのない印象を与えるだけかもしれませんが、じつはとても言葉の充実した芝居です。セリフには、抽象的な言葉から現代の俗語や洒落までさまざまな言葉が溢れています。だから「抱腹絶倒」の部分も、ドタバタではなくて言葉でしっかり笑える芝居なのです。描かれている男女も恋愛も性愛も、表面的には呆れるほどのステレオタイプ、薄っぺらいまでに通俗的、と言ってもいいかもしれません。しかし、それをたくさんの言葉を駆使して表現しているところに藤井さんの持っているものの層の厚さと広がりがあります。ところが、奥にあるものや深層を表に出すということ自体が作者にとっては「猥褻」。舞台で男女の絡みを演じることよりも恥ずかしいことなのかもしれません。吐き出したいことがあまりにたくさんあって、常日頃の感覚と人生観のコラージュで舞台を作り上げるのがいちばん相応しい。面白く、楽しく、賑やかに、ストレス解消が出来そうでいながら、観ることで逆に溜まりそうな芝居。そんなものを提供してもらったような気がするのです。時折バックに流れるモーツァルトのレクイエムもまた、ミスマッチ的な装飾か、はたまた深い意図のあるものだったか…。音響プランは藤井さん自身だそうです。

 「めちゃくちゃではない」と書いたとおり、よく計算された展開を達者な役者たちがフル回転して演じた舞台でした。若者らしい苦渋を素直に表現した村田遼太郎さん。大きな体躯でオジチャンとヨーコ(妙に女っぽく可愛らしく)を演じ分けた吉本武史さん。吉本さんは劇×魂B.E.a.T. シリーズの1回目「ソラチズ」の熱演で観客を唸らせた役者さんです。医者や役者などをコロコロと(まさにこの言葉が似合うと思うのですが)演じて笑いをさらった新名基浩さん。11月の「ハムレット」で演じたポローニアスよりは今回のほうがこの人本来の演技なのかもしれません。表情のある踊りが観客を癒したり、狂わせたりしてくれたタムラ・ド・ヒサシィさんも魅力的でした。たまにはこういうタイプの芝居を観るのも楽しいものです。
 村田さんは我が家の次男と何となく似ていて、その人物像につい入り込んで観てしまいました。

 この記事を書くにあたってシレンシオ◎ブログを参考にしました。
 
 
 
Posted by hyo_gensya2005 at 23:57│Comments(7)TrackBack(1)演劇 

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★黄金山アタック「シレンシオ」(2006/12/21-22)【ひろしば(広島演劇ひろば)】at 2006年12月29日 23:10
この記事へのコメント
オモシロソーなお芝居ですね!!
今度、是非教えてくださいね!!
Posted by うっち at 2006年12月24日 22:29
はいはい、舞台公演が観てみたいとおっしゃっていましたよね。初めてご覧になるには、こういう感じのお芝居は強烈?すぎるかもしれません。(“入り口”はどこでも構いませんけどね)来年は是非いっしょに何か観に行きましょう!
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年12月25日 00:36
まるちさんのあらすじを読んでいるととても現実と妄想の入り混じった、まさに最近ドラマや映画で手がけられている世界を描いた舞台なのかなあって思います。
このお芝居を見てどんな気持ちになりました?
私もお芝居やダンスや音楽などの公演を見に行くと思わぬ気持ちの引き出しが開いてしまったりします。
まるちさんは今回のお芝居からどんな引き出しが開いたのかなあってところが一番気になりました〜(^^♪
Posted by るぴ at 2006年12月25日 11:15
こういう芝居を言葉で伝えるのは難しいものですね。るぴさんの想像していらっしゃるものとは少し違うかもしれないなあ、という気がします。
「引き出し」ですか?こういう芝居は私にとって直接「入り込める」芝居ではないのですね。だから冷静に見ている部分が多くて、「思わぬ引き出しが開く」という感じはありませんでした。いちばんの収穫は言葉の豊富さでしょうか。役者が飛び回る「浅薄な非日常」とのアンバランスな面白さ…。言葉について「思わぬ」啓発があったと言えば、今回のるぴさんへの答えになるかもしれません。
「引き出しが開く」が「琴線に触れる」という意味だとしたら、私の場合は、また違う種類の舞台を観るときだと思います。
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年12月26日 00:36
まるちさん! ご丁寧に受け答えありがとうございます(^^)
まるちさんにとって入り込める内容のお芝居とはまた違ったんですね。
確かに。私もそういう作品のときは結構冷静に内容や舞台を捉えています。
NODAMAPのような作風なのかなって思っていたんですけど、妄想世界を取り入れた物語が最近流行っているから、どっちかというとその系統なんですかね?

言葉の豊富さ・・それは私も体感するのは大好きです。
でも台詞量が多いのは役者としては痛いなあ〜(;▽;)
Posted by るぴ at 2006年12月26日 16:45
おつかれさまです!
「シレンシオ」の記事を作ったので、リンク&トラックバックさせてもらいました。
ぜひお立ち寄りください。
Posted by トム(snail-house) at 2006年12月29日 23:22
トムさん、いつもありがとうございます。
勝手な解釈と感想を書いていて、ほかの方が読まれてどう思われるのかなあと思いますが、一観客の声として受け止めて頂ければありがたいです。
今年はいろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
Posted by ひょうげん舎まるち at 2006年12月30日 01:07