27日14:00開演(公演は10月25日〜27日4公演) 広島市南区民文化センタースタジオ
原作=ウィリアム・シェークスピア
翻案・演出=みつふじひろあき
主催=Maneki猫Club
出演=高野由美子 永野光恵 藤岡真由子 三浦雨々 越智良江 橋村基子(以上ジュリエット)
新原英人 里崎亮 森新太郎 久保幸路 藤原正弘 佐藤方俊(以上ロミオ)
藤光博明
写真はパンフレット
シェークスピアの
「ロミオとジュリエット」を6人のロミオと6人のジュリエットで演じるという斬新な舞台でした。スタジオの狭い舞台中央に陣取るのはキャピュレット家のバルコニー。その両側の城壁には鉄パイプ状の足場が設けられて、上り下りを助けています。そのつくりはどうしても「蜷川ロミ・ジュリ」の大舞台を連想させますが、中身はかなり違います。
“ロック”なモンタギュー家と“演歌”なキャピュレット家に象徴されるように、シェークスピア本来の「骨」をチョコレートやきな粉でくるんで賑やかに舞台に載せたものと感じました。例えばヴェローナの都の支配者エスカラスはミニスカの婦警(ポリス=
橋村基子さん)だったり、ロミオとジュリエットの仲を取り持つ修道僧ロレンスは、かの森進一おふくろさん騒動で有名になった怪僧カワウチ先生(コーチャンこと川内康範=
久保幸路さん、久保さん自身がコーチャン?)だったりするところは一番甘いチョコレートだったかもしれません。
しかし実は、本当に表現したかったのは「骨」であるシェークスピアの台詞そのもの(それに近いもの)だったのではないか―そんな気がします。役者たちは戯曲の要求に応えるように、ちりばめられた硬質な台詞に対してよく健闘ていたと思います。なぜなら一番心に残ったのは、それぞれの役者の声と言い回し、役を兼ねた時の変化に富んだ表現だったからです。ジュリエット1(
高野由美子さん)の、ふつうなら最もジュリエットらしくない低めの声と深みのある表現(この芝居のジュリエットは行かず後家で年増ということになっているので“らしい”のかもしれませんが)、乳母や妖怪になったときの
三浦雨々さんの自在な声の色、最後まで個性的なテンポを崩さなかったジュリエット5(
越智良江さん)の台詞回し(こう並べてみると男性陣の個性はいまひとつだったといえるでしょうか)。こういう良さの方がチョコレートよりもきな粉よりもおいしかったと言えます。
「ロミオVSジュリエット」の
VSは舞台における様々な闘いを意味している(パンフレット、演出ごあいさつ=みつふじひろあき)ということですが、この
VSにシェークスピアを加えると、結局勝者はシェークスピアだったのではないかとも思います。それなら「チョコレートやきな粉」は不必要だったか?不必要とは言えないまでも、甘さの質と程度にはまだ研究の余地があると言えそうです。
Maneki猫Clubは昨年の
「ハムレット」の演出・高野由美子さん(愛称ネコさん)が「もっと芝居がしたい!」というメンバーたちを中心に人を招いて作ったユニットということです。そのため出演者の多くが高野「ハムレット」の経験者でしたが、役者さんたちがずいぶん成長していて、頼もしく思いました。
一人一人がしっかりと演じていて、台詞のコロス(合唱隊、舞唱隊)的な掛け合い、受け渡しもなかなか迫力がありました。見せ場やタイミングをきちんと構築できたのはユニットのまとまりと演出の力だと思います。
Posted by hyo_gensya2005 at 23:58│
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