ジョン・ビョンウク牧師のことをこの欄に書いた後、或る日本の牧師先生で、サミル教会とタイアップしながら熱心に宣教を進めていた方から、この件について問い合わせを受けたりした。日本で日本語の情報だけに接していたのではさっぱり分からないが、今月初めの彼の「公式謝罪」の後、韓国ではこの問題が益々ホットに論じられている。飛び交う言論は珠玉混淆だが、私の目に入ったものとしては、国民日報の李テヒョン記者の「ジョン・ビョンウク牧師へ」というコラムが注目に値する。

http://missionlife.kukinews.com/article/view.asp?gCode=mis&arcid=0004294898&code=23111111

以下、そのさわりの部分を抄訳して紹介する(下線は坂本)。

 

……ジョン牧師に関連する話に接しながら、この時代に牧会者や教会指導者になるということは、本当に難しいことだと切に感じた。GPS(訳注:Greed=貪欲、Power=権力、Success=成功)を捨ててHIS(訳注:Humility=謙遜、Integrity=正直、Simplicity=単純)を備えていない限り、教会指導者たちのゆえのあらゆる否定的な話は、彼らの肯定的な働きを隠してしまうことだろう。       

牧会の働きの中にも、貪欲と権力、成功の罠は、随所に敷設されている。ブンダンウリ教会の李チャンス牧師(訳注:サラン教会の故玉漢欽牧師のもとで副牧師として長年牧会訓練をした後独立し、現在はソウル郊外のブンダンで非常に健康な教会形成をしている)は、「牧会とは境界線を引くこと」だと言った。GPSHISの境界線を引くこと、それは決して容易なことではない。だから牧会者の幸福とは、李牧師が言った通り「薄氷の上を歩む幸福」なのだ。

ジョン牧師は韓国教会のどの牧会者よりも多くの‘賛辞’を受けた。彼の卓越した人格的能力、献身、努力などは、彼を韓国教会に聳え立つ存在にした。‘百折不屈クリスチャン’を強調したジョン牧師も、境界線を引けなかった・・・

 

私は、ジョン牧師とその働きが、これで全部終わったとは見ていない・・・いつの日か(それがいつになるかは分からないが)、ジョン牧師が再び走ることを願う。再び‘牧師’となることを望む。以前と同じ牧師ではなく、私たちが全く想像できない、新しい姿の牧師となることを望む。この間、サミル教会とジョン牧師が韓国教会に与えた清涼感と新鮮さ、そしてすさまじい喪失感を乗り越えることを、新しい牧会を、いつかまた繰り広げることを願う。GPSではなく、HISの生き様と牧会を実践する牧師として戻ることを願う。すぐに戻るのではなく、充分な社会的合意の浄化時間が過ぎた後に。個人と教会のタイムスケジュールではなく、神様の時に。そしてジョン牧師を見る全ての人々が頷く時間に。

それまでの間、罪に定めるよりは憐れむ心で彼を待つような、成熟した姿が、聖徒たちには必要ではなかろうか…もしかすると私たちの誤りの中の一つは、ジョン牧師の能力と優秀さに、あまりに陶していたところにあるのではないか。彼もまた壊れやすい素きの土器のような人に過ぎないのに。

 ジョン牧師の謝罪と辞任が時間稼ぎの手段になってはいけない。所謂‘波乗り’(訳注:経済用語で、株価下落時に当初の買い入れ額より低い単価で大量に買い入れて全体の平均単価を下げ、損害を抑える手法を言う。英語でScale trading)になってしまっては、回復し得る貴重な機会を自ら剥奪することになる…

 

 これを書いた李ミョング記者は知人だが、一読して、その誠実な人柄が反映された良質なコラムだと私は思った。ジョン牧師一人を責めるのではなく、彼の能力の高さに陶酔し、彼をスターに祭り上げていた韓国教会にも反省を促している点なども、時宜を得た指摘だと思う。但し、今後のジョン牧師の回復過程における韓国教会の責任についての言及は、抽象的過ぎて物足りない感もある。

 その点について、或る程度言及したコラムとしては、趙ソンドン教授(実践神学大学院・牧会社会学)の「ジョン・ビョンウク牧師の‘謝罪’に触れて」がある。

http://news.kukinews.com/article/view.asp?page=1&gCode=kmi&arcid=0004285686&cp=nv

 以下、さわりの部分を抄訳する(下線は坂本)。

 

・・・ジョン・ビョンウク牧師が、遅きに失した感はあるが、それでもこのように率直に共同体の前に自分が罪を犯したことを告白して謝罪したことは、私たちが注目し、認めてやるべき部分だ。特にこのような過程でメンターとなって彼を顧みてやった人々がいて、彼がこのような決定をくだすまで彼に助言をしてやった専門家グループや、韓国教会にあって重要な役割をする諸団体があったということは、それでも韓国教会がまだ自浄能力を持っていることを示す部分だと思う
 このような過程を見ながら感じることは、ジョン・ビョンウク牧師だったからこそそのような配慮を受けたのではないかということだ。彼が有名牧師であり、著述や説教を通して多くの人々に影響を与える人だったから、彼の躓きが及ぼす波が憂慮されて、そのように人々が進んで彼に助けを与えたのではないかということだ。韓国教会が本当に公同の教会だったなら、相当オープンな方式で彼に助けと忠告を与えたことだろう。それなのに、公式的な諸機関が動いたという話よりは、非公式的なチャンネルがそのような役割をしたという声を聞くところからして、韓国教会が、或いは彼が属する教団が、本当に公同の教会なのかと問わざるを得ないのである
 ・・・今やジョン・ビョンウク牧師の事件は新しい局面を迎えた。罪を告白し、(堂会=日本の普通の教会の役員会=には辞任が認められなかったが)教会には戻らないと宣言した彼を、教会は如何に処理するのか、そして彼がどのように回復して、再び聖徒として、そして働き人として立つようになるのか、これらの全てのことが、これからの韓国教会の新しい基準となることだろう。福音のパワーが、正にその場で、これら全てのことを担い得る力と尺度にならんことを、切に願う。 

 隣国の神学校教授の手になるこのような文章を読むと、昨今の日本のバイブルカルトの問題をめぐって、このような発言を堂々となさって聖書的な影響力を発揮しようとした神学校教授が、果してこの国にはいただろうか、と思わざるを得ない。却って、日本を代表すると言われる牧師たちの何人もが、彼ら犯罪者を庇って被害者たちを更に苦しめる側についたし、それと堂々と対決しようとする先生方も、非常に少数だったという事実を、悔しい気持ちで想起せざるを得ない。韓国においては、教会の自浄機能というものも、恐らくこの国よりはずっと強く働いているのだろうと思う。

 いや、かく言う私自身も、もしもサラン教会に身を置くことがなかったら、今でも「GPS」を無意識の裡に追及して、必死に働く牧師だったことだろう。その恐ろしさに全く無自覚なまま、信徒たちをも「成功志向」に駆り立てる牧会を、懸命にやっていた可能性が高い。そして、信徒やスタッフたちに対して「主が立てた牧師を通して主を見なさい。その権威に不従順であってはならない」などと教えていたかも知れない。自分の思い通りにならない信徒や部外者には様々なレッテルを張って、居丈高に振る舞ったかも知れない。そのくせ、韓国のメガチャーチのように巨大な影響力を持てないことに、内心で劣等感を覚え続けながら、彼らに対しては卑屈に振る舞う者だった可能性もある。
 昨日、東京サラン教会の若いリーダーたちとミーティングをした時も、彼女たちが異口同音に言っていたことが、坂本牧師がそのような牧師にならないように、末永く祈り励まし助けあっていこうということだった。妻も嬉しそうにそれを聞きながら、その話に加わっていたが、私も、そのような彼女たちからどれほど励まされ、愛を受け取り、感謝しているか知れない。

GPS」と「HIS」の境界線を引く、というのは、思うに教会のミニストリーにおける話だけではなく、社会のどの現場で生きる人にとっても、日々問われる重要なテーマなのだろう。田辺三菱試験データ改竄事件を起こした田辺三菱製薬の子会社「バイファ」の前身が、あの「みどり十字」(非加熱製剤でHIVを起こした会社)だったこと、そして「みどり十字」出身の社長や開発リーダーらが開発を急いだり強権的であったりする中で、「バイファ」の直接雇用従業員がその事件を起こしてしまったのだということを、先日或るクリスチャンの知人に教えて頂いたが、http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20100420/222319/

人は、組織に埋没し、その中で「GPS」を追及する生き方をしていれば、いつしか超えてはならない境界線を越えてしまう(或いは、誰かにそれを「超えさせてしまう」)ものなのであろう。
 そして、ひとたびそのような状態に陥るなら、目上の者に盲従して、組織の悪を隠蔽しながらでも、自分が正しいことをやっていると錯覚できるものなのだろう。
 神ならざる地上の権威に盲従し、自己をそれに同一化させてしまうことで、神の前での「HIS」を喪失してしまった姿がそこにはある。

 日本の現政権指導部が、外交であれほど卑屈かつ無能無責任でありながら、対内的には、例えばTPPに対して批判的・懐疑的な自国の人々に対して「精神が鎖国だ」(仙谷官房長官)などという乱暴極まりない言葉遣いをして恥じないのも、それこそ彼らの精神が、何か巨大な地上の権威に依存しきっているがゆえの倨傲だと私は思う。 

 しかしながら、今この時点で私が違和感を覚えるのは、現政権の対中外交の「弱腰」を批判して、政権批判の世論を誘導する大手マスコミが、ことTPPの問題になると、あの官房長官と不思議なほど同じ論調になることだ。

 仮にこのまま政権支持率が下がり続けて、与党が自滅して新政権ができても、それ自体が日本の希望であるかのように思うことはできない。

 日本の希望は、「GPS」と「HIS」の間に境界線を引きながら自分の持ち場を守る、キリストの弟子たちにこそあるのだ。私は、教会に集う兄弟姉妹たちと共に、その道を歩む者でありたい。