image 最近新聞雑誌を見ているときになることは、やたらとカタカナ語が蔓延していること、そして奇妙な文字遣いが多いこと。とても気になる。

 折しも総選挙、不断は滅多に見ないニュース番組なのだけど、昨日かなぁ丁度「みんなの党」の渡辺喜美氏が登場していて「アジェンダ」という。どうも「政権公約」と言うことのようなのだけど、何故「アジェンダ」と言うのだろう。

 カタカナ語は大抵の場合英語をカタカナ表記して使っているようなのだけど、何故日本語を使わずに出来損ないの英語みたいな表現を使うのか。

 思いつくままに書き連ねてみるけど、マニフェスト/コンプライアンス/ジェンダー/アドボカシー/シナジー/コンセンサス/パラダイム/モチベーションetc。すっとその意味が皆さんわかるのかしら。

 政党などの公約をマニフェストというのは民主党以来のはやりだけど、公約なり政権公約と言えば「ああそうか」と思うけど、何故マニフェスト?

 企業何ぞも「当社はコンプライアンス重視の姿勢で…」などと言うが、これだって「当社は法令を遵守し…」と言えば万人が理解できるじゃないか。

 私もNGO活動に深く関わっていたことがあるけど、「アドボカシー」なんて言葉が出てきて「何じゃそりゃ」と思ったもの。何度聞いても何を言いたいのかよくわからないのですよ。(単なる無知なのだけど、皆さん判ります?)

 確かに日本語に訳しにくい外来語というのは確かにあって、「ボランティア」と言う言葉は日本語で表現しにくいなぁ、と思う。カタカナ語の使用が絶対悪い、などという気は毛頭ないのだけど、日本語を話しているときにカタカナ語を濫用するのはいただけない。

 英語ぐらい知ってて当然!と無意識に思うのだろうけど、マスコミであれ政治家であれ、より多く
の人たちに理解を求めよう、という立場にあるのなら、なるべく誰もが理解できる日本語をキチンと使うことを心がけるべきじゃないかなぁ。

 戦前の日本語じゃないけど、やたらと難しい漢語を濫用したり、今のように出来損ないの外来語を濫用するというのは、聞き手を「煙に巻く」というような感じがして非常に不快なのね。
 専門用語でもそうだけど、「俺はこんな言葉も知ってるんだぜ?」というような変な優越感があるような…。

 所詮カタカナ語はある種の「符丁」に過ぎず、この符丁は符丁であるが故に「その意味を知らないと」理解することができない。格好付けて「マニフェスト」なんて言わなくても「政権公約」と言えば、大抵の日本人はそれで済むことだし、両者には何の違いもないはず。なのに何故マニフェストなのだろう。

 個人の趣味をとやかく言う気はないけど、マスコミや政治家の方々には気をつけて貰いたいもの。

(変な文字遣い)
 ついでじゃないけど変な文字遣いについて。漢字と平仮名の変な交ぜ書き、これも気になる。「死骸→死がい」「晩餐会→晩さん会」みたいな。常用漢字だか何だかあるようだけど、新聞雑誌などが変にそんなものに義理立てすることはあるまいに。
 
 漢字なんて言うのは、「読めるけど書けない」漢字、「読めて書ける」漢字があるのは当然で、「読めるだけ」漢字が多いのが普通であり、それで構わないのです。

 これも戦前の難解漢字濫用の反動作用なのだと思うけど、どの漢字を使うか、などというのは個人の自由なのであって、使う人がそれぞれに判断し使えばそれでよいこと。国何ぞが口を出す筋合いではあるまいに。

 多くに人に理解できない難解漢字を使っても結構、だけどそんな文字遣いをすれば「消費者」離れを起こして、その文章が読まれなくなるだけのこと。それこそ自然淘汰されてしまうだろう。

 マスコミでも何でも、バカじゃないから、漢字の使用制限なんぞ撤廃したところで、ほどほどな漢字使いに止まるのは当然のこと。「晩さん会」なんて奇妙奇天烈な文字遣いで日本語を崩壊させるのは止めて欲しいなぁ。

 戦後の一時期には「日本語のアルファベット表示化」だの「フランス語公用語化」などという議論もあったそうな。「日本人が遅れているのは漢字が難しいから」などという論もあったやに聞く。

 日本語を平仮名でも、カタカナでも、アルファベットでも良いから書いて読んでご覧なさい。読みにくいことおびただしい。良かったよ、アルファベットなんかにならなくて。

 翻って中国。学生の頃中国語を少しばかりやったけど、当時の先生が「これからは中国語はピンイン表記(ローマ字による発音表記)になる」と言っていたが、そんな馬鹿な!と思ったもの。漢字を捨てピンインにするということは、李白杜甫と訣別するということじゃないか、って。
 尤も今に至るもピンイン表記が普及しているとは見えないけど、簡体字などという本来の漢字とは似ても似つかぬものにしたことで、中国人は事実上李白杜甫と訣別しちゃったようだけど。

 日本語が絶対だ、普遍であるべきだ、などとは言わないけれど、変化はゆっくりとでいい。カタカナ語の濫用、変な文字遣い、慎みたいものです。
(平成24年11月22日)