110348kayanezumi


わたしの安っぽちいスマホで撮った画像ですので、画質の悪いこと、ご了承願います。
これは多分カヤネズミだと思います。葦などが繁る所や農地で見られる小さな小さなネズミです。なかなか姿を現さないので、目にする機会の少ないネズミでもあります。その貴重なネズミが、あろうことか私の住むマンションの自転車置場に現れたのです。その理由がちょっと悲しいのですが、近所の野良猫に追われてきたのです。このノラに、多分何度も咥えられては離すを繰り返されたのでしょう。ネズミはもう逃げる気力も失せた様子で、猫が口から離すとヨタヨタと歩いて、私の目の前でもう観念したように目をつぶって蹲ってしまったのです。

小さいので、ハタネズミかカヤネズミだろうとすぐに分かり、助けなければと一瞬思ったのですが、人がそばに来ればいつもはすぐに逃げる猫は、私がそこにいるにもかかわらず獲物への執念が勝ったのか、その場を離れようとはしません。猫を強く追い払っても、私がこの場を離れればすぐにまた戻ってきて、このネズミを我が物にするでしょう。そこまで考えた末、まことに可哀相ではありますが、私はネズミの救出を諦めました。
猫に特有の獲物をもてあそぶことを繰り返すことなく、ネズミの命を無駄にするなよと願いつつ、私はその場を後にしました。

松の内が明けてしまいましたので、新年のご挨拶はひかえさせていただきます。

いつも本ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
本年も宜しくお願いします。

年が明けると、昔風の数えならば、また一つ齢をとったことになります。そう思えば正月はさほどめでたくもなく、さりとて何かを悲観しても仕方なく、いつもどおり坦々と過ごすことにしています。
それにつけても暮れに目撃した上のカヤネズミのことが、まるでフラッシュバックするように、どのタイミングといわずチラッチラッと脳裏に浮かぶこの頃です。

人間を含めて生き物の生き死にって何だろうと思うのは、やはりいつまでも若くはない年齢のせいでしょうか。
昨年、自分の母と連れ合いの母を相ついで亡くし、人の生き死には順番だから、とすると次は自分たちの世代にお鉢が回って来るのかなと、あまり実感もなく考えたものです。でも、日ごとに薄くなる己の髪の毛だとか、皺の目立つ手の甲などを見るにつけ、間違いなく年齢を重ねていることを改めて実感せざるを得ないこの頃なのです。
いえ、そのことは生きてゆく上で自然なことなので、仕方のないことと割り切れば済むことなのですが、天寿を全うすることなく(そうでなくともネズミの命は1〜2年でしょうから)、猫の餌食になってしまったであろうあのカヤネズミの諦観に満ちた表情は、やはり少しショッキングではありました。と同時に、ショックと感じたり悲しい思いが募らざるをえない己の未熟さ・他愛なさにも少々な情けない気ががしなくもありません。

ネズミは哺乳類の中では、おそらく食物連鎖の最下層に位置づけられるのではないでしょうか。フクロウ類やチュウヒなどの冬の鷹の主食はこのネズミたちでしょうし、逆にこのネズミたちの数の増減がそれら猛禽類の生き死にやその年の数の多寡を握っていると言っても過言ではないでしょう。
昨秋、大きな台風が次々と訪れ、川が氾濫しては大きな被害をもたらしたことは記憶に新しいところですが、河川敷が水没したということは、そこに多く棲息するネズミも相当数やられてしまったと推測されます。よって主に河川敷などを住みかとするコミミズクなどは、この冬かなりの影響を被っていると思われます。
いずれにせよ、河川敷などに棲息するネズミは天敵が多く、生きてゆくことが想像以上に大変であろうことは、毎冬のようにそれらのネズミを狩る猛禽類の姿を見続けてきた者には、容易に想像がつくのです。

転じて、人の命はどうなのかなとつい考えてしまうのも、先のカヤネズミのせい(お陰?)なのかも知れません。
いったいどのくらいの人が、所謂天寿を全うできているのでしょう。事故であっけなく逝ってしまうこともあるでしょう。他国ならば戦火に命を落とす若者が、平和ボケの日本では想像もつかないけれど、確実に毎日いるのです。巻き添えを食って命を落とす婦女子も数多くいます。死なないまでも、戦火を逃れて難民となった何百万という人々の明日をも知れない苦しいだけの日常。
いえ、国内であっても無念を禁じ得ない人々も多くいます。毎年のように続く水害で命や日常を奪われた人々。もちろんもう9年近い歳月が流れているのに、いまだに津波に流されたまま発見されない命。遺族の悲嘆。
メルトダウンした福島第一原子力発電所から今でも毎日あふれ続ける汚染水。放射能汚染から、故郷を捨てざるを得ない人々。追い出された人々。戻れない人々。人のいない帰還困難地域を闊歩するイノシシ・サルなどの獣の悲しい姿。

やはり人は、もちろん、例えばかつて次々と原発が建てられ、その効率性や安全神話をどこかで疑いつつも、つい見過ごしてきた私を含めてということですが、不完全で未熟で罪深い生き物なのです。
米国の大統領も日本の首相も、ロシアや中國や北朝鮮の指導者も、何百年もの間イランやシリアやトルコやイスラエルの混沌を解決できない歴代の指導者も、まして例に挙げるのも憚られるようなISやアルカイダを先導する者など、おしなべて皆が皆不完全で未熟で罪深いことこの上ないのですが、そんなことを書き連ねている自分だって五十歩百歩、まったくもってダメな生き物と思わざるをえません。

この思いは、格別自虐的になっているわけでもないのです。
原発が危険であることを承知で見過ごしてきたこと。地球温暖化が様々な災害を引き起こす大きな要因になっていることはもはや間違いのないことなのに、あらゆるバッシングに堪えながら問題提議する十代の女の子に勝る大国の指導者はいないという現実。テレビのニュースや新聞報道でそのことを知り、けれども遠くから「そりゃ、まずいんじゃないの?」と独り言つ以外に行動しない、それを糾弾することもなく、指をくわえて見ている己の姿。

そうしている間にも、世界では、そうした理不尽な理由で寿命を全うできないまま落とす命がたくさんあります。それもいつもいつも現在進行的に。

30代の若さで、すでに原発一基分の電力を「再生可能エネルギー」の開発で生み出した民間会社を経営している例があるといいます。東日本大震災の発生の3ヶ月後に会社を立ち上げた「自然電力」という会社です。
この例を知ったとき、世界はまだ捨てたものじゃないかも知れないと思いました。絶望するのは簡単ですが、己に唾棄すのも簡単ですが、それだけでは何も解決しません。反省だけならサルでもできます。

こんな優秀で意志と目標を持った若者がいるという事実に、なんだかとても励まされました。
楽観も予断も許されない国内外の情勢ですが、あるいは今が人類が滅んでゆくか踏みとどまるかの分岐点のような時代ですが、己にできることはないか、現状を嘆きつつも一方で探ってゆかねばならないと思います。


およそ年始に相応しくない話題となりましたが、そろそろ「待ったなし」の期限が迫っているという危機感を共有したくて書き連ねてみました。
命を落としてしまったであろうカヤネズミは、結果多くの思いを私に残してくれたのでした。感謝。