
いんとくようほう
夫有陰徳者 必有陽報
それ いんとくあるもの かならず ようほうあり
淮南子「人間訓」
人知れず、見返りを求めず、善い行いをしていれば
後に必ず報われる、ということ
淮南子では、
陰徳陽報の一節に到るまでに、
このような説明があります。
聖王布徳施恵 非求其報於百姓也
優れた王様が徳のある政治をして
恵みを施すのは、
百姓たちから
その報いを求めるためではないし、
郊望てい(示偏に帝)嘗、非求福於鬼神也。
自然や祖先を敬い祀るのは、
なにも神様に福を求めるためだけではない。
山は
その高さがゆえに雲が起こり、
水は
その深さゆえに蛟龍を生む。
そして君子は
その道を行なうことで、福禄をもたらす・・・
このような流れになっています。
なるほど、
成果や見返りを意図したわけではなく、
それぞれその器量に応じた行いをした結果、もたらされたもの、
ということでしょうかね。
ちなみに、
淮南子のほか、「呂氏春秋」、「説苑」などにも、
陰徳陽報のエピソードが著されています。
どちらも、
罪を犯した者、マナー違反した者を、
王が許してやったところ、
後の戦で、
その者たちが大活躍した、
というようなお話のようです。
こちらはちょっと俗っぽくなってしまいますが、
命を懸けた戦いの時代ですから、
なお一層、
陰徳陽報という言葉が身に沁みたのかもしれませんね・・