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村上春樹さんの小説「1Q84」 に参加中!
『1Q84』は三人称で書かれている。村上春樹は、「この大きな小説で新しい表現方法を試したかった」そうだ。「結果として世界が広がったと感じるし、それは嬉しかった」と言っている。

 また言語について、こんなことも言っている。
 言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な「客観的言語」と、言語で説明のつかない「私的言語」とによって成立していると、ウィトゲンシュタインが定義している。
ある時、私的言語を客観的言語とうまく交流させることで、小説の言語はより強い力を持ち、物語は立体的になると気がついた。プロ野球のセ・パ交流戦のように(笑)。
 セ・パ交流戦によって、ゲームはより強い力を持ち、ペナントレースが立体的になっているかは分からない。しかし、ここでプロ野球を例に挙げたのには重要な意味があるはずだ(笑)。
 なぜなら、それは村上春樹が小説を書くきっかけだからである。村上春樹は『やがて哀しき外国語』(講談社文庫1997年)でこう書いている。
 それから僕は29になって、とつぜん小説を書こうと思った。僕は説明する。ある春の昼下がりに神宮球場にヤクルト=広島戦を見に行ったこと。外野席に寝ころんでビールを飲んでいて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思ったこと。そのようにして僕が小説を書くようになったことを。
もし、あの午後に球場にいかなかったら、僕は小説を書くこともなく終わっていたかもしれない。そしてまあとくに文句もない人生を送っていたかもしれない。でも何はともあれ僕はあの春の午後の神宮球場に行って人けのない外野席に――あの当時の神宮はほんとうにすいていた――寝ころびながら、デイヴ・ヒルトンがレフト線に綺麗な二塁打を打つのを見て、それで『風の歌を聴け』という最初の小説を書くことになったのだ。それはあるいは、僕の人生の中では唯一の「エクストラオーディナリーな(尋常ならざる)」出来事だったのかもしれない。
 この時の神宮球場より、交流戦の方が、強い力を持ち立体的かも知れない。