2009年11月30日
祖父からのはがき
今、少しずつ家の中を整理している。長い間生きていると、知らないうちに色んなものがたまるものだ。母は私が2〜3歳のとき、ひっくり返った字でジャポニカ学習帳に記した日記をいまだに大切に保管している。子どもの発想というのは、いつの時代も無邪気で面白いものなのだろう、母は大掃除のたびに読み返しては涙を流して笑っている。
その日記が入っているダンボール箱の中には、父が小学生だった頃にもらった表彰状のようなものが入っていた。
父方の祖父は昭和19年9月に戦死した、ということになっている。戦地に赴いたのではなく、配属された舞鶴の軍需工場で機械に巻き込まれたのだそうだ。父はその時、9歳だった。祖母はその後、京都市内から実家のある丹波に帰り、慣れない百姓をして4人の子どもを育て上げた。家族は食べるのに大変苦労したらしい。
ある日、父は当時のことを教えてくれた。
「ワシのちさい時は、食べるもんがイモしかなくて、弁当もイモやった。一升瓶でつぶして、弁当箱に入れてたんや」
あの時代、そのような家庭は珍しくなかっただろうが、小学校は当時、少年だった父の苦労をねぎらい、件の表彰状のようなものを渡してくれた。父親を亡くし貧しい暮らしをしても、少年らしい明朗さと素直さを失わなかったことが評価されたらしい。
その日記や表彰状とともに、祖父が舞鶴から書いてよこしたハガキも私たちの掃除の手を止める。祖母は、「検閲済み」の判が押された祖父からのハガキを死ぬまで大切に持っていた。「見送りありがとう」とか「子どもたちは元気か」とか、そういったことしか書かれていないが、ハガキいっぱいに書き込まれた言葉には家族への思いが詰まっていた。
先日、テレビ番組を見ながら祖父を思った。その番組には編み機の開発者が出演していた。彼は戦時中、編み物業界に入ったが、きっかけは、軍手が原因の事故が多く、それをどうにか改善したかったから、と言っていた。なんでも、昔の軍手は手首部分が今のようなゴム仕様になってなかったため外しにくく、軍手を巻き込まれたら、もろとも機械に巻き込まれることが多かったそうだ。その番組を見ながら、祖父もそうなったのだろうな、とぼんやりと思った。
祖父を思うとき、ものすごいおじいちゃんを想像してしまう。唯一残されている写真は、どういうわけか新聞記事の切り抜きなのだが、そこに写る祖父の顔は、頬がこけるほどやせ細っており、実年齢よりも老けて見える。だから「おじいちゃん」と呼ぶのも違和感はない。が、よくよく考えてみると、私もあと数年で祖父の年齢になる。
その日記が入っているダンボール箱の中には、父が小学生だった頃にもらった表彰状のようなものが入っていた。
父方の祖父は昭和19年9月に戦死した、ということになっている。戦地に赴いたのではなく、配属された舞鶴の軍需工場で機械に巻き込まれたのだそうだ。父はその時、9歳だった。祖母はその後、京都市内から実家のある丹波に帰り、慣れない百姓をして4人の子どもを育て上げた。家族は食べるのに大変苦労したらしい。
ある日、父は当時のことを教えてくれた。
「ワシのちさい時は、食べるもんがイモしかなくて、弁当もイモやった。一升瓶でつぶして、弁当箱に入れてたんや」
あの時代、そのような家庭は珍しくなかっただろうが、小学校は当時、少年だった父の苦労をねぎらい、件の表彰状のようなものを渡してくれた。父親を亡くし貧しい暮らしをしても、少年らしい明朗さと素直さを失わなかったことが評価されたらしい。
その日記や表彰状とともに、祖父が舞鶴から書いてよこしたハガキも私たちの掃除の手を止める。祖母は、「検閲済み」の判が押された祖父からのハガキを死ぬまで大切に持っていた。「見送りありがとう」とか「子どもたちは元気か」とか、そういったことしか書かれていないが、ハガキいっぱいに書き込まれた言葉には家族への思いが詰まっていた。
先日、テレビ番組を見ながら祖父を思った。その番組には編み機の開発者が出演していた。彼は戦時中、編み物業界に入ったが、きっかけは、軍手が原因の事故が多く、それをどうにか改善したかったから、と言っていた。なんでも、昔の軍手は手首部分が今のようなゴム仕様になってなかったため外しにくく、軍手を巻き込まれたら、もろとも機械に巻き込まれることが多かったそうだ。その番組を見ながら、祖父もそうなったのだろうな、とぼんやりと思った。
祖父を思うとき、ものすごいおじいちゃんを想像してしまう。唯一残されている写真は、どういうわけか新聞記事の切り抜きなのだが、そこに写る祖父の顔は、頬がこけるほどやせ細っており、実年齢よりも老けて見える。だから「おじいちゃん」と呼ぶのも違和感はない。が、よくよく考えてみると、私もあと数年で祖父の年齢になる。
2009年11月26日
ナラ枯れ
近頃、関西では「ナラ枯れ」という言葉をよく聞く。カシノナガキクイムシという昆虫によってブナ科の樹木が枯れてしまう現象だ。関東では被害が目立たないため、あまり知られていないようだが、関西以西での被害は深刻で、ブナ科の樹種が一斉に枯れてしまった山もあるという。
T先生によると、約30年前、南太平洋でこうした現象が見られたという。当時は「そんなことがあるのだろうか」と半信半疑だったそうだが、今、その現象は日本海側を北上している。夏の終わりに訪れた琵琶湖々畔の山も、枯れた木々が紅葉したかのように見えた。

夏の終わりに見た琵琶湖々畔の山々。
枯れた木々が紅葉しているように見える
先日訪れた芦生の森にもこの被害は見られた。枯れた木の根元には、木屑らしきものが積もっている。これは「フラス」と呼ばれるもので、木屑と糞の混合物なのだそう。成虫が幹に穴を掘って進入するときに出るもので、仲間を誘引する効果があることが知られている。被害拡大の防止策として、カシノナガキクイムシが空けた穴に爪楊枝を刺し込む方法があるようだが、別の穴を掘って出るだろうから、あまり効果はない、とT先生は言う。

木屑が積もった木の根元。
この木ももうすぐ枯れてしまうだろう
芦生はこの十数年で、森が様変わりしたそうだ。トチの大木が多く見られる谷を歩きながら、Fさんは言う。
「この辺りには、ネマガリタケが鬱蒼と茂ってたんですよ。シカが食べ尽くしてしまったんでしょうね」
シカもお腹が空いてるのでしょうね、なんて話しながら歩く。テンナンショウの葉にも歯型がついており、シカが食べないオオバアサガラばかりが河原に茂っていた。

人の足のような木が何本もあった。
クマに傷つけられ、幹の中央が腐って穴が開いてしまったのだそう

芦生の固有種・アシウテンナンショウ。
花(この時期は実を結んでいた)が葉より低い位置で咲くのが特徴
T先生によると、約30年前、南太平洋でこうした現象が見られたという。当時は「そんなことがあるのだろうか」と半信半疑だったそうだが、今、その現象は日本海側を北上している。夏の終わりに訪れた琵琶湖々畔の山も、枯れた木々が紅葉したかのように見えた。

夏の終わりに見た琵琶湖々畔の山々。
枯れた木々が紅葉しているように見える
先日訪れた芦生の森にもこの被害は見られた。枯れた木の根元には、木屑らしきものが積もっている。これは「フラス」と呼ばれるもので、木屑と糞の混合物なのだそう。成虫が幹に穴を掘って進入するときに出るもので、仲間を誘引する効果があることが知られている。被害拡大の防止策として、カシノナガキクイムシが空けた穴に爪楊枝を刺し込む方法があるようだが、別の穴を掘って出るだろうから、あまり効果はない、とT先生は言う。

木屑が積もった木の根元。
この木ももうすぐ枯れてしまうだろう
芦生はこの十数年で、森が様変わりしたそうだ。トチの大木が多く見られる谷を歩きながら、Fさんは言う。
「この辺りには、ネマガリタケが鬱蒼と茂ってたんですよ。シカが食べ尽くしてしまったんでしょうね」
シカもお腹が空いてるのでしょうね、なんて話しながら歩く。テンナンショウの葉にも歯型がついており、シカが食べないオオバアサガラばかりが河原に茂っていた。

人の足のような木が何本もあった。
クマに傷つけられ、幹の中央が腐って穴が開いてしまったのだそう

芦生の固有種・アシウテンナンショウ。
花(この時期は実を結んでいた)が葉より低い位置で咲くのが特徴
2009年11月01日
秋の芦生原始林
芦生は京都府北部、福井県との県境にある。市民大学の実習では、JR園部駅からバスで芦生に向かうのがいつものルートだ。この日も園部駅に集合し、1時間余りの道のりをバスで走った。やや肌寒さを感じたが、しばらくは紅葉はほとんど見られなかった。が、分水嶺の神楽坂のトンネルを抜けると、山腹に色づいた葉が見られるようになり、トンネルを境に気候が変わったことを実感した。

色づく広葉樹林の中に芦生杉がちらほら
芦生の森の中も晩秋の様相で、オニグルミもトチの実も落ちていることは落ちているが、殻だけで中身はほとんど空っぽだ。げっ歯類やツキノワグマが食べてしまったのだろう。ただ、サルナシは残っていた。

オニグルミの実。穴は、げっ歯類が中身を食べた跡

ケケンポナシ。この時期肉厚になる果実の成る軸は甘くておいしい

サルナシ。サクランボぐらいの大きさ
サルナシは、ナシといってもキウィの原種で、熟して柔らかくなると甘みが増す。芦生の森では採取することが禁じられているので、W先生があらかじめ買っておいたサルナシを分けてくれた。参加者の大半は、サルナシを見たことがない。「食べれるよ、甘いよ」と言われても、皮をむくのか、そのままかじっていいものか、まったく分からないらしい。
「先生、どうやって食べるんですか?」。受講生の1人が訊ねる。するとW先生、「口を開けて・・・」。
W先生は万事この調子である。
あるときは、「ウルシに触れると火傷したみたいに、真っ赤にタダレて大変なんです。ひどいときには治るまでに1ヶ月くらいかかります」と注意を促しながら、ウルシにまつわるエピソードを披露してくれた。
W先生がまだ、大学で教鞭を取っていた頃のことである。東京での仕事を終え、新幹線で京都へ向かっていた。隣にはサラリーマン風の男性が座っており、週刊誌を読んでいた。先生がチラッと雑誌を見ると、彼が開いていたのは女性のヌードが載ったグラビアページ。先生はそれに釘付けになってしまった。「とっても気になって、気になって・・・」と先生。それで、横目でチラチラ見ていたら、隣の男性は「そんなに見たかったらあげますよ」と言わんばかりに、名古屋で下車する際、その雑誌を席に置いていってくれたという。先生は、彼の厚意に感謝しつつ、件のページをめくった。
「あぁ、やっぱり、と思いました。モデルの女性がね、ウルシの葉の上で裸で寝転んでいるんですよ。撮影の後、彼女はどうなったんだろう、と思うとね、気になって気になって・・・」
そんなW先生、長年芦生を調査してきたとあって、芦生には詳しい。この日も森を歩きながら、芦生の生態系はもちろん、そこで暮らした人々についても説明してくれた。芦生には、石垣や棚田の跡などを人の営みの痕跡が残る場所がいくつかある。トロッコ道沿いにある灰野もその一つだ。
「資料によると灰野には、8軒の宿があったそうです。宿泊した人はいると聞いてますが――、帰って来た人は1人もいない」
こんな感じで、薄ら気味悪いことをシレッと言ってのける。しかも、どこまでが本当なのか分からない。が、そんなユルい空気感が受講生の方々にはいいのかもしれない。

沢に近い湿った場所でよく見られるサワフタギ

色づく広葉樹林の中に芦生杉がちらほら
芦生の森の中も晩秋の様相で、オニグルミもトチの実も落ちていることは落ちているが、殻だけで中身はほとんど空っぽだ。げっ歯類やツキノワグマが食べてしまったのだろう。ただ、サルナシは残っていた。

オニグルミの実。穴は、げっ歯類が中身を食べた跡

ケケンポナシ。この時期肉厚になる果実の成る軸は甘くておいしい

サルナシ。サクランボぐらいの大きさ
サルナシは、ナシといってもキウィの原種で、熟して柔らかくなると甘みが増す。芦生の森では採取することが禁じられているので、W先生があらかじめ買っておいたサルナシを分けてくれた。参加者の大半は、サルナシを見たことがない。「食べれるよ、甘いよ」と言われても、皮をむくのか、そのままかじっていいものか、まったく分からないらしい。
「先生、どうやって食べるんですか?」。受講生の1人が訊ねる。するとW先生、「口を開けて・・・」。
W先生は万事この調子である。
あるときは、「ウルシに触れると火傷したみたいに、真っ赤にタダレて大変なんです。ひどいときには治るまでに1ヶ月くらいかかります」と注意を促しながら、ウルシにまつわるエピソードを披露してくれた。
W先生がまだ、大学で教鞭を取っていた頃のことである。東京での仕事を終え、新幹線で京都へ向かっていた。隣にはサラリーマン風の男性が座っており、週刊誌を読んでいた。先生がチラッと雑誌を見ると、彼が開いていたのは女性のヌードが載ったグラビアページ。先生はそれに釘付けになってしまった。「とっても気になって、気になって・・・」と先生。それで、横目でチラチラ見ていたら、隣の男性は「そんなに見たかったらあげますよ」と言わんばかりに、名古屋で下車する際、その雑誌を席に置いていってくれたという。先生は、彼の厚意に感謝しつつ、件のページをめくった。
「あぁ、やっぱり、と思いました。モデルの女性がね、ウルシの葉の上で裸で寝転んでいるんですよ。撮影の後、彼女はどうなったんだろう、と思うとね、気になって気になって・・・」
そんなW先生、長年芦生を調査してきたとあって、芦生には詳しい。この日も森を歩きながら、芦生の生態系はもちろん、そこで暮らした人々についても説明してくれた。芦生には、石垣や棚田の跡などを人の営みの痕跡が残る場所がいくつかある。トロッコ道沿いにある灰野もその一つだ。
「資料によると灰野には、8軒の宿があったそうです。宿泊した人はいると聞いてますが――、帰って来た人は1人もいない」
こんな感じで、薄ら気味悪いことをシレッと言ってのける。しかも、どこまでが本当なのか分からない。が、そんなユルい空気感が受講生の方々にはいいのかもしれない。

沢に近い湿った場所でよく見られるサワフタギ
2009年09月08日
琵琶湖でいかだ遊び
滋賀県の湖西に「馬ヶ瀬国有林」と呼ばれる森がある。「NPO法人自然と緑」は、この森で植林や間伐などの森林整備をしながら様々な活動をしている。年に3回開催される「森の小楽校(通称:森小)」はその1つだ。これは小学生が森や琵琶湖で自然の中で遊ぶ、1泊2日の自然体験プログラムである。
夏休み最後の週末、「森小」が行われ、私たちは小学生22名を連れて、森と湖に出かけた。前回は、子どもたちに馬ヶ瀬のスギを間伐し、樹皮を剥いてもらった。今回は、そのスギ材でつくった筏を琵琶湖に浮かべて遊ぼう、というのがメインイベントである。
初日は台風の影響でやや寒かったが、子どもたちにとってそんなことは、筏遊びの魅力には比べたらどうってことないらしい。筏に乗っては落ち、落ちては乗って、ということを延々繰り返していた。ことさら左様に単純な遊びなのだが、それがたまらなく楽しいらしい。

「そろそろ休憩をしようか」
「いやー」
「15分だけやから」
「いややー」
「唇、色変わってるやん!」
「変わってへんっ」
歯をガチガチと鳴らしていても、水から出ようとしない。

一方、箱眼鏡を手に入れた子どもたちは魚取りに没頭していた。時間が経つにつれ、網を片手に箱眼鏡で水中を見る格好もさまになってきた。その姿はまるで熟練漁師である。無駄口を叩くことなく、ひたすら水中を見ながら網でゴソゴソし、根気よく漁をしたおかげで、ヨシノボリに似た小さな魚が2匹取れた。


子どもたちには、楽しいことを続けるだけの根気と集中力と体力があり、そこにあるものを楽しむ才能がある。ゲームもテレビもない2日間だったが、自然の中に放り込めば、たちまち遊びを発明し、ルールをつくり、自分たちで定めた秩序を保った。
とはいえ、子どもは子どもだ。
「スタッフー(私はこう呼ばれていた)、荷物がリュックに入らへんー」
「スタッフー、靴とってー」
「パンツがねぇーっ」
アレコレと手がかかるのだ。でも、遊びのためなら体を壊してもいい、と思えるほどの情熱が持てるのって羨ましいな、と思ったりもした。

さて、2日目の午前中、スタッフが森の中で子育て中のムカデを見つけた。見たくはないが、見ておいたほうがいいだろうと思い、ムカデのいる場所に案内してもらった。ムカデのおかあさんは、朽ちかけた木の皮の中で白い赤ちゃんをお腹にいっぱい抱えていた。その写真を見たい方はこちらをご覧ください。
夏休み最後の週末、「森小」が行われ、私たちは小学生22名を連れて、森と湖に出かけた。前回は、子どもたちに馬ヶ瀬のスギを間伐し、樹皮を剥いてもらった。今回は、そのスギ材でつくった筏を琵琶湖に浮かべて遊ぼう、というのがメインイベントである。
初日は台風の影響でやや寒かったが、子どもたちにとってそんなことは、筏遊びの魅力には比べたらどうってことないらしい。筏に乗っては落ち、落ちては乗って、ということを延々繰り返していた。ことさら左様に単純な遊びなのだが、それがたまらなく楽しいらしい。

「そろそろ休憩をしようか」
「いやー」
「15分だけやから」
「いややー」
「唇、色変わってるやん!」
「変わってへんっ」
歯をガチガチと鳴らしていても、水から出ようとしない。

一方、箱眼鏡を手に入れた子どもたちは魚取りに没頭していた。時間が経つにつれ、網を片手に箱眼鏡で水中を見る格好もさまになってきた。その姿はまるで熟練漁師である。無駄口を叩くことなく、ひたすら水中を見ながら網でゴソゴソし、根気よく漁をしたおかげで、ヨシノボリに似た小さな魚が2匹取れた。


子どもたちには、楽しいことを続けるだけの根気と集中力と体力があり、そこにあるものを楽しむ才能がある。ゲームもテレビもない2日間だったが、自然の中に放り込めば、たちまち遊びを発明し、ルールをつくり、自分たちで定めた秩序を保った。
とはいえ、子どもは子どもだ。
「スタッフー(私はこう呼ばれていた)、荷物がリュックに入らへんー」
「スタッフー、靴とってー」
「パンツがねぇーっ」
アレコレと手がかかるのだ。でも、遊びのためなら体を壊してもいい、と思えるほどの情熱が持てるのって羨ましいな、と思ったりもした。

さて、2日目の午前中、スタッフが森の中で子育て中のムカデを見つけた。見たくはないが、見ておいたほうがいいだろうと思い、ムカデのいる場所に案内してもらった。ムカデのおかあさんは、朽ちかけた木の皮の中で白い赤ちゃんをお腹にいっぱい抱えていた。その写真を見たい方はこちらをご覧ください。
2009年07月15日
玄関にサナギがいます
玄関の階段にチョウのサナギを発見しました。庭に小さな山椒の木があるので、ここで孵化したアゲハの子だと思います。

またなんで、こんな目立つところに・・・
うちの山椒の木はヒョロリとしていて、葉もそれほど多くありません。アゲハの卵や幼虫を見つけるたびに、葉を食べ尽くして飢え死にしてしまうんじゃないかととても心配になります。実際、幼虫が育つと山椒の木は丸裸になるので、サナギまで成長できるのはほんの一握りだと思います。そう思うと、アゲハの生存競争の厳しさを思わずにはいられません。
どこか、幼虫を引き取ってくれそうな柑橘系の木があるといいのですが、なにしろこの辺りは住宅街なので、そんな気の効いた木はそうそう生えているものではありません。近所でキュウリを栽培されている方が「今年はチョウが少なかったから、キュウリがたくさん成らなかった」と嘆いていましたが、うちの山椒の木のような事情は、もはやうちだけの問題ではないのかもしれません。
そんなわけで、わが家の山椒の木はアゲハの命をつなぐ木になってしまいました。ここ数年は、木の芽はスーパーで買ってます。

ちょっとつかえると、モゾモゾッと動きました
ちなみに、アゲハをはじめ、チョウは卵を産む際、前脚で葉などを叩く「ドラミング」と呼ばれる行動をとることをご存知ですか? チョウの前脚には科学物質を感じ分ける神経があり、ドラミングをすることで、その植物が孵化した幼虫が食べることができるかどうかを判断するのだそうです。ドラミングをするのはほんの数回程度なので、まだ見たことはないのですが、どんな風に前脚を動かすのか、ちょっと見てみたい気がします。

またなんで、こんな目立つところに・・・
うちの山椒の木はヒョロリとしていて、葉もそれほど多くありません。アゲハの卵や幼虫を見つけるたびに、葉を食べ尽くして飢え死にしてしまうんじゃないかととても心配になります。実際、幼虫が育つと山椒の木は丸裸になるので、サナギまで成長できるのはほんの一握りだと思います。そう思うと、アゲハの生存競争の厳しさを思わずにはいられません。
どこか、幼虫を引き取ってくれそうな柑橘系の木があるといいのですが、なにしろこの辺りは住宅街なので、そんな気の効いた木はそうそう生えているものではありません。近所でキュウリを栽培されている方が「今年はチョウが少なかったから、キュウリがたくさん成らなかった」と嘆いていましたが、うちの山椒の木のような事情は、もはやうちだけの問題ではないのかもしれません。
そんなわけで、わが家の山椒の木はアゲハの命をつなぐ木になってしまいました。ここ数年は、木の芽はスーパーで買ってます。

ちょっとつかえると、モゾモゾッと動きました
ちなみに、アゲハをはじめ、チョウは卵を産む際、前脚で葉などを叩く「ドラミング」と呼ばれる行動をとることをご存知ですか? チョウの前脚には科学物質を感じ分ける神経があり、ドラミングをすることで、その植物が孵化した幼虫が食べることができるかどうかを判断するのだそうです。ドラミングをするのはほんの数回程度なので、まだ見たことはないのですが、どんな風に前脚を動かすのか、ちょっと見てみたい気がします。
2009年07月11日
足るを知る ―ラオスにて―
ルアンパバンは、町全体がユネスコ世界遺産に登録されている。かつてこの国は、フランスのインドシナ領だった。白い壁に赤い瓦屋根、テラスが印象的なフランスとラオス様式の融合建築は、当時の名残である。他の地域にもこうした建築物は残っているが、これほどまとまって残っているのは、ルアンパバンだけだという。しかもその建物は今でも、住居やレストラン、ホテルとして使われている。京都の町家と同じように愛され、使われているのだ。
京都の町を歩きながら外国人が目を輝かせるのと同様に、ルアンパバンも私たちの目にはとても新鮮に映る。ヤシの木がよく似合う場所なのに、建物やその洗練された雰囲気はヨーロッパの山間部の避暑地のようでもある。散策するだけでも楽しいが、朝早起きして、僧侶たちの早朝托鉢を見た後、マーケットに行くのもいい。路地には、いかにも新鮮そうな地野菜や果物、メコン川で獲れた魚、巨大トカゲ(!)のほか、バナナの皮で包んだお惣菜などが並んでいる。一巡すると、ぼんやりと、地元の人たちの食卓が見えてくる。

早朝マーケットの野菜屋さん。ジャガイモは白く、フルーツのように生で食べる

唐辛子やスパイスも売られている
マーケットには地元で獲れたものが並び、日本では特別素晴らしいことのように言われている「地産地消」が当たり前のように営まれていた。ラオスは最貧国に分類されているそうだが、マーケットを見る限りでは、ラオスの人々の食生活はそれほど貧しいとは思えなかった。聞けば、国民の約8割が農民で、穀物自給率は120%以上(ちなみに日本は約30%)。それができる地力は、この国の財産ではないだろうか。
また、ルアンパバン周辺には、様々な物づくりを営む村が点在している。焼き物の村では、周辺で取れる赤っぽい土で壺や皿などをつくり、織物の村ではテーブルクロスやショールなどにする布を織っていた。そのほか、付近で収穫される米を使って焼酎をつくる村もあれば、「和紙の木」と呼ばれる木の皮を漉いてつくった和紙で、ランタンや帳面などをつくっている村もある。

織物の村にて。この日はピーマイラオ(ラオスのお正月)。
お休みのところをちょっと座ってもらいました

織物の村にいた少年。かわいいので撮らせていただきました

ラオスの焼酎。赤い焼酎は赤米が使われている。
お味は甘く、どぶろくのよう。
最貧国とされている山間部の小さな国は、手が届く場所にあるものだけを使って、生活していたように見え、少なくともわたしたちよりは、「足るを知る」を心得ているような気がした。
余談ですが、早朝マーケットで買い物をしていると、漫才師の「ますだおかだ」の岡田がいました。「撮影中やねん」と足早にその場を去っていきました。「チュー! ギュー!」を生で見れなかったのが、心残りです。

僧侶の絵が描かれたラオス和紙の袋の中には、コーヒーやお茶が入っている

朝6時前から早朝托鉢がはじまる。
多くの信徒が、約300人の僧侶に供養を捧げる
京都の町を歩きながら外国人が目を輝かせるのと同様に、ルアンパバンも私たちの目にはとても新鮮に映る。ヤシの木がよく似合う場所なのに、建物やその洗練された雰囲気はヨーロッパの山間部の避暑地のようでもある。散策するだけでも楽しいが、朝早起きして、僧侶たちの早朝托鉢を見た後、マーケットに行くのもいい。路地には、いかにも新鮮そうな地野菜や果物、メコン川で獲れた魚、巨大トカゲ(!)のほか、バナナの皮で包んだお惣菜などが並んでいる。一巡すると、ぼんやりと、地元の人たちの食卓が見えてくる。

早朝マーケットの野菜屋さん。ジャガイモは白く、フルーツのように生で食べる

唐辛子やスパイスも売られている
マーケットには地元で獲れたものが並び、日本では特別素晴らしいことのように言われている「地産地消」が当たり前のように営まれていた。ラオスは最貧国に分類されているそうだが、マーケットを見る限りでは、ラオスの人々の食生活はそれほど貧しいとは思えなかった。聞けば、国民の約8割が農民で、穀物自給率は120%以上(ちなみに日本は約30%)。それができる地力は、この国の財産ではないだろうか。
また、ルアンパバン周辺には、様々な物づくりを営む村が点在している。焼き物の村では、周辺で取れる赤っぽい土で壺や皿などをつくり、織物の村ではテーブルクロスやショールなどにする布を織っていた。そのほか、付近で収穫される米を使って焼酎をつくる村もあれば、「和紙の木」と呼ばれる木の皮を漉いてつくった和紙で、ランタンや帳面などをつくっている村もある。

織物の村にて。この日はピーマイラオ(ラオスのお正月)。
お休みのところをちょっと座ってもらいました

織物の村にいた少年。かわいいので撮らせていただきました

ラオスの焼酎。赤い焼酎は赤米が使われている。
お味は甘く、どぶろくのよう。
最貧国とされている山間部の小さな国は、手が届く場所にあるものだけを使って、生活していたように見え、少なくともわたしたちよりは、「足るを知る」を心得ているような気がした。
余談ですが、早朝マーケットで買い物をしていると、漫才師の「ますだおかだ」の岡田がいました。「撮影中やねん」と足早にその場を去っていきました。「チュー! ギュー!」を生で見れなかったのが、心残りです。

僧侶の絵が描かれたラオス和紙の袋の中には、コーヒーやお茶が入っている

朝6時前から早朝托鉢がはじまる。
多くの信徒が、約300人の僧侶に供養を捧げる
2009年06月30日
ルアンパバンの大晦日イブ
4月16日は、ラオスの元日にあたる。普段、ラオスでは西暦を使っているが、正月だけは仏陀が誕生した年を元年とする仏歴が使われており、元日前後は町を上げてのお祭り騒ぎになる。特に、かつてランサン王国(1353〜1975)の王都として栄え、約80もの上座部仏教寺院を有する世界遺産の町・ルアンパバンでの祭りはすごいらしい。そう聞いて、わくわくして4月13日にラオス入りした。

プーシーの丘から見たルアンパバンの町

船はメコン川流域に住む人々の交通手段になっている

ホテルの隣にある焼き物の村では、少年がゾウやフクロウ、ツボなどをつくっていた
この日は、大晦日のイブに当たるが、町はすっかり正月気分だ。以前、この町を訪れたことのあるKさんは、メインストリートに現れるナイトマーケットの店の多さに「前はもっと少なかったのにね、やっぱりお正月だね」と驚いていた。
夕暮れが近づくと各店の店主が、赤や青のテントの下に商品を並べ始めた。刺繍やアップリケを施したタペストリーやスリッパ、ラオス和紙の袋に入ったラオスティーやラオスコーヒー、シルバーアクセサリーなどが、等間隔で丁寧に並べられていく。あと5時間もすれば撤退しなければならないのに、時間をかけてディスプレイしている。ひょっとすると営業時間内に並べ終えることができないんじゃなかろうか、と心配してしまうほど念入りだ。ともすると、売るためではなく、ディスプレイするためにディスプレイしているかのようにも見える。しかしその丁寧さに、この国の人たちがいかに物を大切にしているかが伝わってきた。

ナイトマーケットの果物屋さん

ちょうちんも売られていた
それに、ラオスの人々は物を売るのが苦手らしく、強引に売ろうとはしない。目が合っても「サバイディー(挨拶の言葉)」と言うだけだ。レストランにチップを置いて出ると、スタッフが忘れ物だと思って追いかけてきた、というKさんのエピソードもほほえましく、ラオスがさらに好きになった。



ホテルの隣にある焼き物の村では、少年がゾウやフクロウ、ツボなどをつくっていた
この日は、大晦日のイブに当たるが、町はすっかり正月気分だ。以前、この町を訪れたことのあるKさんは、メインストリートに現れるナイトマーケットの店の多さに「前はもっと少なかったのにね、やっぱりお正月だね」と驚いていた。
夕暮れが近づくと各店の店主が、赤や青のテントの下に商品を並べ始めた。刺繍やアップリケを施したタペストリーやスリッパ、ラオス和紙の袋に入ったラオスティーやラオスコーヒー、シルバーアクセサリーなどが、等間隔で丁寧に並べられていく。あと5時間もすれば撤退しなければならないのに、時間をかけてディスプレイしている。ひょっとすると営業時間内に並べ終えることができないんじゃなかろうか、と心配してしまうほど念入りだ。ともすると、売るためではなく、ディスプレイするためにディスプレイしているかのようにも見える。しかしその丁寧さに、この国の人たちがいかに物を大切にしているかが伝わってきた。


それに、ラオスの人々は物を売るのが苦手らしく、強引に売ろうとはしない。目が合っても「サバイディー(挨拶の言葉)」と言うだけだ。レストランにチップを置いて出ると、スタッフが忘れ物だと思って追いかけてきた、というKさんのエピソードもほほえましく、ラオスがさらに好きになった。
2009年06月12日
40年前
先日、母はわたしが生まれる夢を見たそうだ。てのひらに納まるほど小さかったが、立派に首がすわっていたので驚いたという。
40年前の朝、陣痛がはじまった。母は2歳になったばかりの兄の面倒を見てもらうために、丹波に住む父方の祖母に電話をした。予定日より2週間も早かったため、祖母もさぞ驚いたことだろう。大急ぎで荷物をまとめて国鉄に飛び乗り、半日がかりでわが家に着いた。
母は陣痛のお腹を抱えて、祖母と一緒にクジラの肉を食べた後、スーツケースを持って病院に向かった。そしてその夜、家族が誰もいない病院で1人でわたしを生んだ。当時、鉄道会社の踏切番だった父はその時、旅客の命を預かっていた。
それから40年が経ち、私を取り巻く環境も人も変わった。兄は42歳になり、黒電話はファックス付のプッシュホンになった。国鉄はJRに変わり、クジラ肉は食卓に並ばなくなり、踏切番という仕事はなくなり、父と祖母は鬼籍に入った。そして学生時代の同級生や職場で知り合った友人は次々に結婚した。
そのうちの1人は、10年前に出産したが母親に立ち会ってもらえなかった、と愚痴をこぼした。彼女は、わざわざ電車に乗って実家の近くにある病院に通っていたそうだが、出産当日、彼女の母親は、なんと、ハワイにいたそうだ。
「だって、このあたりしかまとまった休み、取れへんし・・・。大丈夫! 予定日までには帰ってくるから」
母親があまりにもウキウキしていたので怒る気にもなれなかった、と彼女は述懐する。そして案の定、彼女は母親のハワイ旅行中に初産を迎えた。
近頃の母親は能天気なのだろうか。先日、結婚した友人の母親のエピソードもおもしろい。結婚式当日の朝、彼女は母親に挨拶しようとしたが、当の母親はそれどころではなかったらしい。
「新聞を見ながら『日経株価がどうのこうの』言うて、感動もへったくれもあらへんわ」
そして式が終わると、母親はとっとと帰ったそうだ。
この2人の母親は、娘の結婚や出産にまったく関心がなく、ともすると図太い性格に思えるが、このあっけらかんとしたたくましさは、男性にはないものだろう。おそらくこの先、この母親たちはどんなことが起ころうと中庸でいられるに違いない。その安定感には憧れすら感じてしまう。そしてそれは、子育てという人生最大の仕事を終えた女性だけが手に入れることのできる特権といえるかもしれない(もっとも、株価にはセンシティブだけど)。
40年前の朝、陣痛がはじまった。母は2歳になったばかりの兄の面倒を見てもらうために、丹波に住む父方の祖母に電話をした。予定日より2週間も早かったため、祖母もさぞ驚いたことだろう。大急ぎで荷物をまとめて国鉄に飛び乗り、半日がかりでわが家に着いた。
母は陣痛のお腹を抱えて、祖母と一緒にクジラの肉を食べた後、スーツケースを持って病院に向かった。そしてその夜、家族が誰もいない病院で1人でわたしを生んだ。当時、鉄道会社の踏切番だった父はその時、旅客の命を預かっていた。
それから40年が経ち、私を取り巻く環境も人も変わった。兄は42歳になり、黒電話はファックス付のプッシュホンになった。国鉄はJRに変わり、クジラ肉は食卓に並ばなくなり、踏切番という仕事はなくなり、父と祖母は鬼籍に入った。そして学生時代の同級生や職場で知り合った友人は次々に結婚した。
そのうちの1人は、10年前に出産したが母親に立ち会ってもらえなかった、と愚痴をこぼした。彼女は、わざわざ電車に乗って実家の近くにある病院に通っていたそうだが、出産当日、彼女の母親は、なんと、ハワイにいたそうだ。
「だって、このあたりしかまとまった休み、取れへんし・・・。大丈夫! 予定日までには帰ってくるから」
母親があまりにもウキウキしていたので怒る気にもなれなかった、と彼女は述懐する。そして案の定、彼女は母親のハワイ旅行中に初産を迎えた。
近頃の母親は能天気なのだろうか。先日、結婚した友人の母親のエピソードもおもしろい。結婚式当日の朝、彼女は母親に挨拶しようとしたが、当の母親はそれどころではなかったらしい。
「新聞を見ながら『日経株価がどうのこうの』言うて、感動もへったくれもあらへんわ」
そして式が終わると、母親はとっとと帰ったそうだ。
この2人の母親は、娘の結婚や出産にまったく関心がなく、ともすると図太い性格に思えるが、このあっけらかんとしたたくましさは、男性にはないものだろう。おそらくこの先、この母親たちはどんなことが起ころうと中庸でいられるに違いない。その安定感には憧れすら感じてしまう。そしてそれは、子育てという人生最大の仕事を終えた女性だけが手に入れることのできる特権といえるかもしれない(もっとも、株価にはセンシティブだけど)。
2009年05月31日
カレーを美味しくする儀式
滋賀県の琵琶湖の西側にある比良山系の麓の森で、2泊3日のキャンプをした。メンバーは小学6年生から中学3年生まで約20名と、高校生以上のスタッフ約10名。計30名にもなる大所帯だ。

献立は、各班ごとに決めて作ってもらうことになっている。野菜は全班同じものを使うが、肉類と調味料はじゃんけんで勝った班から選ぶことができる。
初日の野菜は、タマネギ、ニンジン、キャベツ、ジャガイモ。豚肉、鶏肉、牛肉といったたんぱく質と、スパイスとトマト缶、牛乳は争奪戦の対象となる。スパイス、トマト缶にありつけなかった班は、常備されている味噌や醤油、みりんなどで味付けをしなければならない。つまり、創造力が試されるというわけだ。
「いーんじゃーんでほーい」
“勝ったもん順”で、次々と食材を選びとっていくため、負けてしまった中3男子5人グループはトマト缶もスパイスも勝ち取ることができなかった。が、何度もこのキャンプに参加しているとあって手馴れたものだ。早々に味噌汁とカツオ節を混ぜたご飯、と献立を決め、どの班よりも早く食べ始めた。
鶏肉と牛乳を勝ち取った男女混合班は、クリームシチューを作ることにした。さぁ、作るぞ、という段階になって小麦粉がないことが判明したが、ここで献立を変えないのがいいところ。よもぎ団子つくりに使った米粉の残りを活用して、見た目も味も「家庭科の授業でやった」というクリームシチューと遜色ないものに仕上げてしまった。

米粉を使ったクリームシチュー
中3男子と小6男子の混合班は、十数種類のカレーのスパイスを手に入れ、本格派カレーに挑戦だ。しかし、第一ステップであるスパイスを炒める段階で、スパイスを真っ黒に焦がしてしまい、滑り出しから暗雲が漂う。さらには大人スタッフに、やれ野菜が大きすぎる、やれ火が通りにくい、と指摘され「オレたち、もうカレーを食べられへんのちゃうか」と不安を感じたのだろう、表情に陰りが見え始める。
紆余曲折を経てようやく火が通ったかと思うと、今度は「水が多すぎる」とダメ出しされ、一同しょぼん。そこで、改善策としてとろみをつけることになり、かたくり粉を入れると、小6男子2人が「うわー!すげー!」。何がすごいのかよくわからないが、とにかくすごいというのは、よく分かる。彼らのテンションが一気に急上昇した。
カレー作りも佳境に入り、いよいよ仕上げの段階に入った。と、もう待ちきれない!とばかりに、小6男子3人が皿を持って鍋の周りをぐるぐる回りだした。
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」

カレーの儀式。まわるごとにテンションが上がっていく
そのテンションのまま、待ちに待ったカレーが完成した。溶けたキャベツのせいで、グリーンカレーのように見える。さて、気になるお味の方だが、本格派のインドカレーそのもの。スパイスのバランスもちょうどよく、まさに出色の出来である。
「オレらが、カレーが美味しくなる儀式したからやで!」
「カレーカレーヘイヘイヘイが、その儀式やったん?」
「うん!」
やっぱり子どもって素晴らしい。

こんなん、できました

献立は、各班ごとに決めて作ってもらうことになっている。野菜は全班同じものを使うが、肉類と調味料はじゃんけんで勝った班から選ぶことができる。
初日の野菜は、タマネギ、ニンジン、キャベツ、ジャガイモ。豚肉、鶏肉、牛肉といったたんぱく質と、スパイスとトマト缶、牛乳は争奪戦の対象となる。スパイス、トマト缶にありつけなかった班は、常備されている味噌や醤油、みりんなどで味付けをしなければならない。つまり、創造力が試されるというわけだ。
「いーんじゃーんでほーい」
“勝ったもん順”で、次々と食材を選びとっていくため、負けてしまった中3男子5人グループはトマト缶もスパイスも勝ち取ることができなかった。が、何度もこのキャンプに参加しているとあって手馴れたものだ。早々に味噌汁とカツオ節を混ぜたご飯、と献立を決め、どの班よりも早く食べ始めた。
鶏肉と牛乳を勝ち取った男女混合班は、クリームシチューを作ることにした。さぁ、作るぞ、という段階になって小麦粉がないことが判明したが、ここで献立を変えないのがいいところ。よもぎ団子つくりに使った米粉の残りを活用して、見た目も味も「家庭科の授業でやった」というクリームシチューと遜色ないものに仕上げてしまった。

米粉を使ったクリームシチュー
中3男子と小6男子の混合班は、十数種類のカレーのスパイスを手に入れ、本格派カレーに挑戦だ。しかし、第一ステップであるスパイスを炒める段階で、スパイスを真っ黒に焦がしてしまい、滑り出しから暗雲が漂う。さらには大人スタッフに、やれ野菜が大きすぎる、やれ火が通りにくい、と指摘され「オレたち、もうカレーを食べられへんのちゃうか」と不安を感じたのだろう、表情に陰りが見え始める。
紆余曲折を経てようやく火が通ったかと思うと、今度は「水が多すぎる」とダメ出しされ、一同しょぼん。そこで、改善策としてとろみをつけることになり、かたくり粉を入れると、小6男子2人が「うわー!すげー!」。何がすごいのかよくわからないが、とにかくすごいというのは、よく分かる。彼らのテンションが一気に急上昇した。
カレー作りも佳境に入り、いよいよ仕上げの段階に入った。と、もう待ちきれない!とばかりに、小6男子3人が皿を持って鍋の周りをぐるぐる回りだした。
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」
「カレー、カレー、カレー!ヘイヘイヘイッ!」

カレーの儀式。まわるごとにテンションが上がっていく
そのテンションのまま、待ちに待ったカレーが完成した。溶けたキャベツのせいで、グリーンカレーのように見える。さて、気になるお味の方だが、本格派のインドカレーそのもの。スパイスのバランスもちょうどよく、まさに出色の出来である。
「オレらが、カレーが美味しくなる儀式したからやで!」
「カレーカレーヘイヘイヘイが、その儀式やったん?」
「うん!」
やっぱり子どもって素晴らしい。

こんなん、できました
2009年05月16日
カンボジア・シェムリアップ
この春、初めてユーラシア大陸を踏んだ。最初の第一歩は、ベトナムのホーチミンだったが、飛行機の乗り継ぎで空港内をウロウロしただけだったから、大陸の土を踏んだのは、カンボジアのシェムリアップということになる。
シェムリアップは、世界遺産に登録されているアンコール遺跡群で有名な町である。世界から観光客が押し寄せるとあって、中心部にはリゾートホテルが建ち並び、気の利いたレストランも点在している。とはいえ、まったくの観光地というわけではないのが面白いところだ。ホテルの間に現地の人々が利用する雑貨屋や駄菓子屋があり、道端にはみずみずしいフルーツを売る人もいる。

アンコールワットの夜明け。春分・秋分の日には中央塔の真後ろから日が昇る
市街地はそれほど広くなく、トゥクトゥクと呼ばれるバイク型タクシーで、赤土が剥き出しになった道を砂埃を巻き上げながら走れば、すぐに田園地帯に行くことができる。道端では首に紐をつけた牛が草を食み、その横ではニワトリが何かをついばんでいる。野良犬も家がないことを憂うわけでもなく、のんびりと、時には溌剌と赤土の上を歩いている。
その向こうに広がる平野は、田植え前の水田だ。訪れた時期は乾季にあたるため、何も栽培されていなかったが、もう少しすれば、牛が耕運機を引く姿があちこちで見られ、雨期を迎えると、緑の絨毯を敷いたような美しい風景に衣替えするのだろう。

カンボジアのバイク型タクシー・トゥクトゥク

そんな田園地帯でよく見かけるのが、高床式の建物だ。これは伝統的なカンボジアの住居の様式で、現地ガイドのボラさんの家も高床式だという。床下は涼むのにはいい場所で、ハンモックがぶら下がっている。時々、子どもがハンモックで昼寝をしているのを見かけたが、ハンモックを使いこなせるとは、なんてカッコいいんだろう。しかも、よく働く。年端のいかない子どもたちが、家の手伝いや商売をしたりしているのだ。


そうして子どもたちは、生きる術を身につけていくのだろう。色々と問題はあるかもしれないが、みんな生き生きとしていて、いかにも子どもらしい。そんな姿を見るだけで、この国の豊かさが感じられ、このまま欧米かぶれすることなくカンボジアらしい国でいてほしいな、と思った。
シェムリアップは、世界遺産に登録されているアンコール遺跡群で有名な町である。世界から観光客が押し寄せるとあって、中心部にはリゾートホテルが建ち並び、気の利いたレストランも点在している。とはいえ、まったくの観光地というわけではないのが面白いところだ。ホテルの間に現地の人々が利用する雑貨屋や駄菓子屋があり、道端にはみずみずしいフルーツを売る人もいる。

アンコールワットの夜明け。春分・秋分の日には中央塔の真後ろから日が昇る
市街地はそれほど広くなく、トゥクトゥクと呼ばれるバイク型タクシーで、赤土が剥き出しになった道を砂埃を巻き上げながら走れば、すぐに田園地帯に行くことができる。道端では首に紐をつけた牛が草を食み、その横ではニワトリが何かをついばんでいる。野良犬も家がないことを憂うわけでもなく、のんびりと、時には溌剌と赤土の上を歩いている。
その向こうに広がる平野は、田植え前の水田だ。訪れた時期は乾季にあたるため、何も栽培されていなかったが、もう少しすれば、牛が耕運機を引く姿があちこちで見られ、雨期を迎えると、緑の絨毯を敷いたような美しい風景に衣替えするのだろう。

カンボジアのバイク型タクシー・トゥクトゥク

そんな田園地帯でよく見かけるのが、高床式の建物だ。これは伝統的なカンボジアの住居の様式で、現地ガイドのボラさんの家も高床式だという。床下は涼むのにはいい場所で、ハンモックがぶら下がっている。時々、子どもがハンモックで昼寝をしているのを見かけたが、ハンモックを使いこなせるとは、なんてカッコいいんだろう。しかも、よく働く。年端のいかない子どもたちが、家の手伝いや商売をしたりしているのだ。


そうして子どもたちは、生きる術を身につけていくのだろう。色々と問題はあるかもしれないが、みんな生き生きとしていて、いかにも子どもらしい。そんな姿を見るだけで、この国の豊かさが感じられ、このまま欧米かぶれすることなくカンボジアらしい国でいてほしいな、と思った。
