しない・させない・させられない

アメリカ合衆国50州・MLB30球場を制覇した旅行記と,旅・星・四季のエッセイ,読書・映画・音楽の感想。

"I won't do or be made to do what I don't want to. I won't make you do what you don't want to."
Traveling US and Japan, watching beautiful stars and reading books on listening classical music make my life.

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●映画「ロッキー」の銅像に会いたい。●
☆9日目 8月4日(木)
 今日はフィラデルフィアでレンタカーを返却して,いよいよ公共交通機関を利用した観光を開始する。この旅の第2部がはじまるのだ。
 ランカスターからフィラデルフィアまでは西に80マイル,約130キロだから,名古屋から京都くらいの距離である。朝日の美しい国道30を走り,途中でインターステイツ70に乗り換えて,約2時間で到着する。

 早朝にフィラデルフィアまで行ってそのままレンタカーを返却する予定であったが,最も心配だったのは,レンタカーを返却したあとで,カバンを転がしてフィラデルフィアの地下鉄にはじめて乗って今日宿泊するホテルまで行くことであった。
 本当にアメリカの大都市を旅するのは嫌いである。さまざまな心配事が多すぎるのだ。
 そうした心配は別として,私は,フィラデルフィアという都会にずっとあこがれを抱いていた。その最大の理由は,映画「ロッキー」で主役を演じたロッキー・バルボアの銅像と一緒に写真を撮りたいということであった。
 もうひとつの理由は,フィラデルフィアでベースボールをみることであった。これは私のMLB全30球場制覇のためであって,フィラデルフィア・フィリーズというチームには何の思い入れもなかった。
 そして最後の理由は,フィラデルフィアの歴史的地区を訪れてみたかったことである。
 私は,この旅では,ぜひ,ボルチモアとフィラデルフィアに行ってみようと思っていた。それは,今から35年も前にニューヨーク,ワシントンDC,ボストンをひとり旅をしたときには行くことができなかった場所だったこと,そして,今回の機会を逃すと,次にわざわざまた行くのが大変だからであった。

 すでに書いたが,もともとこの旅はマイアミから出発してフィラデルフィアから帰国するつもりであった。そこで,ワシントンDCとボルチモアを先に観光して,旅の最後にフィラデルフィアに行くつもりであった。しかし,ベースボールのゲームが開催されている日程を調べていて,困ってしまった。そうした日程ではゲームが開催されていないのだった。
 そこで,はじめにボルチモアへ行って,その次にフィラデルフィアに行って,再びワシントンDCに戻り,改めて再びフィラデルフィアに行くという無駄な行程をしいる必要に迫られたのだった。
 したがって,今日行くフィラデルフィアではベースボールのデーゲームを見るだけで1泊したのち,明日の朝にはワシントンDCに行き,数日後に再びフィラデルフィアに戻って,そのときにフィラデルフィアの市内観光をしようと思っていた。
 だから,念願のロッキーの銅像と写真を撮るのも,2度目のフィラデルフィアでかなえるつもりであったのだが,フィラデルフィアの市内観光というのは地下鉄を使えばおもな見どころには非常に便利に行けるのに,ロッキーの銅像のあるフィラデルフィア美術館だけが地下鉄沿線にないという問題があった。
 そこで,今日ランカスターを出発する時間を早めて,とにかく少しでも早くフィラデルフィアに着いて,レンタカーを返却するまえにロッキーの銅像のあるあたりまで車で行ってみようと昨日考えたというわけであった。

 夜明けの国道30を快調に進んでいったが,フィラデルフィアのダウンタウンに近づくにつれて渋滞に巻き込まれるようになった。それもたいしたことはなく,レンタカーを返却する予定時刻の1時間以上まえに,私は,フィラデルフィアに到着することができたのだった。

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 私はカメラを持って,春になれば満開の梅や桜,そして秋になれば紅葉の写真を撮りに行きます。また,旅行に出かけるときには当然カメラを持っていきます。
 しかし,現在では,普通の画角の写真はスマホで十分なので,カメラを使うときは,超広角だとか連射をするときとか,星を写すときとか,そうした用途に限られるようになりました。
 そんなわけで,カメラ業界も売れ行きが悪くて大変なのですが,そのために,販売する機種を高級品に特化しようとしています。しかし残念なのは「高級=大きく重い」ということです。

 プロならともかくも,私は重いカメラをもって旅行をしたいとは思いません。私が欲しいのは,シャッターチャンスを逃がさず,露出補正と連射の設定が簡単にできる小さいカメラです。
 観光地に行くと,写真を趣味としている人が必ずといってよいほど三脚をもっているのに出会います。また,重い機材をリュックに背負って,まるで全財産を持ち歩いているようなおじさんやらおばさんもいます。また,新製品が発売されると,すぐに「買いだ買いだ」と騒いでいる人もたくさんいます。
 趣味というのはひとそれぞれですが,私にはそれが理解できません。

 私が現在使っているのは次のものです。
 まず,海外旅行にも持っていくのはなるべく小さいほうがいいので「ニコン1 J3」に10ミリから100ミリのズームレンズと6.7ミリから13ミリのズームレンズです。35ミリサイズに変換すると,この組み合わせで18ミリから270ミリまで写せます。
 私が本当に欲しいのは,18ミリから85ミリくらいまでの50ミリまたぎのズームレンズなのですが,さまざまなメーカーから非常に多くの製品が出ているのに,多くの人が望むこうしたものがどこのメーカーにもないのです。開発するのが難しいのだそうです。
 また,普段は「ニコンD5300」という一眼レフに,様々なレンズをつけ代えて使っています。私にはこのカメラが大きさといい性能といい最も使いやすいカメラです。これより大きいとだめです

 星の写真を写すときに使っているのは「ニコンD5100」のローパスフィルターを取り払った改造カメラにIRフィルターを併用したものと「キヤノンEOSX8i」のIRカットフィルターを天体写真用に換装した改造カメラです。
 何事もいい加減な私でも,実はこうした秘密兵器を使っているのです。私は趣味といっても一部のマニアのように本格的に打ち込んでやっているわけではないのですが,それでもお星さまの写真は,こうした改造をしないとうまく写せないのです。

 このように,ニコンとキヤノンのカメラをともに使っているわけですが,世間ではライバルといわれる2つの会社のカメラをともに使ってみると,いろいろ本当のことがわかって興味深いものです。
 巷でいろいろと書き込まれていることの多くは,どちらか一方のメーカーの製品を使っている人がああだこうだと書き込んでることが多いのですが,その両方を使ってみてはじめてその優劣がわかるものだなあというのが私の実感です。私は,ニコンとキヤノン両方のカメラともレンズはニコンのものを使っています。それはキヤノンにはAPSサイズの魚眼レンズがないといったようにレンズには不便な面があるからです。キヤノンのカメラには,アダプターでニコンのレンズをつけることができますが,その逆はできません。

 ここで,この2つの会社のカメラの優劣について少し書いておきましょう。
 まず,カメラの出来と使い勝手は,ニコンのほうが圧倒的に優れています。特にカメラの出来はニコンのもののほうがいかにも製造にお金がかかっていると実感します。これこそが,ニコンが商売が下手といわれる所以でもあります。また,暗闇で操作したときにキヤノンのカメラはボタンが押しにくく混乱します。プレビュー画面や写した写真を液晶画面で拡大するのも圧倒的にニコンのほうが便利です。それに,先ほど書いたように,レンズは,APSサイズのカメラで星を写すには,ニコンのほうが種類が豊富です。APSサイズに特化した魚眼レンズや広角レンズ,そして,85ミリのマクロレンズなどはニコンにしかないのです。また,キヤノンのカメラにはシューカバーすらついていませんし,純正品もありません(ユーエヌという会社から専用品が発売されています)。バッテリーの持ちもニコンのほうがずっと優れています。
 このように,ニコンの製品のほうがずっと手が込んでいるし優位なのですが,カメラの作りが単純なだけキヤノンのカメラは改造がしやすいのです。実際に写真を写してみると,キヤノンのカメラは露出をバルブにしたときに露光時間が液晶ディスプレイに表示されるのに,ニコンのカメラにはそういった機能がないというような,そうしたちょっとした不便なことが結構あります。また,天体を写したときには,出来上がった写真もキヤノンのほうがきれいなのです。
 こうしたことから,多くの天体ファンの使うカメラがデジタルになったときにニコンからキヤノンに移行した理由がわかります。結果がすべてなのですから。そうしたちょっとしたことが,この二つの会社のカメラの売れ行きそのものを表しているのでしょう。
 いずれにせよ,これもまたいつも書いているように,走る道路もないのに日本で高級車を買っても意味がないように,カメラも,改造しないと星の写真も満足に写せなかったり,使いにくいところが改良されていないのなら,大きくて重くて高価なカメラを買っても使う機会がないから意味がないのです。

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●アーミッシュの人たちの信仰●
 2006年10月,アーミッシュではないチャールズ・カール・ロバーツ四世という男性がペンシルベニアのアーミッシュスクールに押し入り,生徒5人を射殺,5人に重傷を負わせて自殺をした事件が発生した。
 アーミッシュのコミュニティでこのような犯罪が外部者によって発生したことは大きな衝撃を与えたが,それに対して,アーミッシュが犯人を赦すと明言し,それを態度で示したことがさらに社会に衝撃を与えたのだった。
 事件が発生したその日,アーミッシュの一部の人たちは犯人の妻のエイミーと子供たちを訪ねて「あなたたちには何も悪い感情を持っていませんから,私たちはあなたを赦します。」と伝えたというのだ。さらに,被害者の遺族も事件の2日後に「犯人の家族に怒りの気持ちはありますか」と訊ねられた際に「いいえ」と答えたという。
 「どうしたら赦せるんですか?」
 「神のお導きです。」
 殺された何人かの子の親たちはロバーツ家の人たちを娘の葬儀に招待した。さらに人々を驚かせたのはロバーツの埋葬の参列者の半分以上がアーミッシュだったことである。

 このような苦しみを味わいながらも,それでも加害者を赦すという彼らの赦しのルーツは「基本的なキリスト教の赦し」にあるのだという。
 アーミッシュの母体となっている再洗礼派は「弟子の道」を重んじる教派で,キリスト者の生活で重要なことは「イエスに従う」,つまり「倣う」ことだと考えている。アーミッシュの中で正しい生活への鍵として強調されているのは「神との関係以上に他者との関係」なのである。
 アメリカ文化では個人主義が非常に根強い。それに対して,アーミッシュは中心的価値をコミュニティにおいている。彼らの価値観は「自己否定,従順,受容,慎ましさ」である。アーミッシュは「赦されるためには赦さなければならない」という確固たる信念を抱いているのだ。
 「主の祈りを唱えるとき,私たちは人を赦すように私たちのこともお赦し下さいと父なる神に祈る。人を赦さない者が赦されることはない。…人を赦すのを拒むものは自ら愛と慈悲のおよばないところへ行く。我々が日々犯す罪を神に赦してほしいなら我々も赦し,受けいれ,愛さねばならない。」
 これがアーミッシュの人たちの信仰なのだ。

 私がアーミッシュビレッジに行って学んだのはこうしたことであった。
 彼らは見世物ではないが,しかし,多くの人は好奇心からそれを知りたいと思うし,そこにはそれを利用したお金儲けのビジネスが存在しているから,現在,こうした形でこの村が維持されているのであろう。
 私は,若いころは自分の育った環境や学校で学んだこと,そして,自分より年上の人たちの生きざまからしか,人生や社会を知ることができなかった。そして,そこからは得たことも多かったが反発したことのほうがむしろ多かった。
 しかし,こうして年を重ねていくと,自分で自ら様々なことを経験することが最も大切だと思うようになった。そうした経験から何を考えるかは人それぞれ自由であるが,本で読んだ知識だけ,あるいは,社会常識だけで,体験に基づいた自分の考えでもないくせに偉そうに他人に意見を言い,その結果,他人を不幸にするだけの輩が最も哀れであり悪人である。
 このことを私は痛いほど経験し,確信した。

 アーミッシュビレッジを車で走っていたとき,道路際をアーミッシュの女性がふたり歩いていた。彼女たちは車に乗せてもらって近くまで来て,そこからある店に買い物に行く途中のようであった。私はアーミッシュの人も車に乗っていいのだろうかと思ったが,実は,アーミッシュの人は自分では運転はしないが一般の人の車に乗せてもらうのは問題がないのだそうだ。
 彼女たちがすごい距離を結構な速足で歩くのにびっくりした。そしてまた,彼女たちの履いていたのがクロックスであったのにも驚いた。

 私は,この日の午後はこうしてアーミッシュビレッジを興味本位で観光して,車で宿泊先のモーテルに戻ることにした。宿泊先に戻る途中で,私は俗世界に舞い戻って,近くの「Chick-Fil-A」で食事をした。
 「Chick-fil-A」というのはジョージア州カレッジパークに本社を置くアメリカで2番目に大きなチキン・ファストフード・チェーンで,私のお気に入りである。アメリカには1,300店以上を展開していて,創業者兼会長のS・トルエット・キャシー(S. Truett Cathy) が熱心な南部バプテスト連盟の信者であるために全店舗が日曜日に休業する点が他のファストフード・チェーンと異なっている。ここのチキンバーガーはきわめて美味であり,日本でいえば,モスバーガーのような高級感がある。
 なお,「Chick-fil-A」は日本未上陸であるので,どなたかフランチャイズ権を得てください。絶対に人気になると思います。

◇◇◇ Thank you for coming 180,000+ blog visitors. ◇◇◇

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●アーミッシュの人たちの暮らしぶり●
 私の参加したツアーの駐車場の隣にはドライブインのような建物があった。なかに入るとお土産物屋さんとレストランがあった。
 ここのレストランは日本のテレビ番組で紹介されたことがある。見ず知らずの人と相席になってアーミッシュ伝統の食事を味わうというものだが,こういうところに溶け込むのは,男ひとりではたいへんだ。こういうときは女性がうらやましい。
 ということで,ここで夕食をと思ったが断念した。

 この建物の隣の離れにはアーミッシュの暮らしぶりがわかる博物館というよりも邸宅があった。ここもまた,アメリカでよくあるガイドツアーである。私も参加することにしたが,ツアーが始まるまでの時間はこの売店で時間をつぶした。
 売店ではアーミッシュの人たちが作った石鹸やはちみつ,キルトの鍋掴みなどが販売されていた。何度も書くようだが,敬虔なアーミッシュとこの観光施設との関係がいまひとつわからない。
 若いころに北海道函館のトラピスチヌ修道院に行ったときも同じようなことを私は思った。修道僧というのは名ばかりで,実はクッキー工場で働く工員さんではないのかと…。私が思うよりも,宗教というのを利用して,もっと「したたかに」生きているのではなかろうかと…。

 やがて,ひとつ前のツアーが終わって,観光客が出てきた。それに連れて次のツアーがはじまるので,我々は建物に入った。
 まずは,アーミッシュの学校が再現された部屋である。ガイドさんは一般人らしい。余計な知識は人間を傲慢にするものであるとして,アーミッシュの子どもたちは8年生までで学校教育を終了し,それ以上の(学校)教育は受けないという。
 続きの部屋からは,一般の家庭が再現されていた。電気製品は大きな空圧機があって一般の電気製品を購入して電気の部分を改造し,その空圧機にパイプでつないで空圧で動かしているそうである。また,オイルランプを使用し,最近ではプロパンガスも使用されている。
 家具は手作りである。部屋はいたって質素で,必要な家具しか置いていないが家具は手作りということである。また,寝室にあるのはベッドと椅子だけだった。

 服装はアーミッシュ独特のもので手縫いである。子供の男女,結婚する前の男女,結婚してからの男女,普段着と教会用とひとり2スタイルしかないということだ。ボタンやチャックは使用禁止であり,大人の女性の服は縫うのもいけない個所があるらしく,その箇所はピンのままだったりする。
 いたってシンプルで,男性は無地のシャツに黒っぽいベスト,そしてズボンをはき黒いつばのついた帽子をかぶっている。そして,あご髭を生やしている。ただし,結婚するまでは髭は剃ることになっているから,未婚か既婚かは一目瞭然である。
 女性は足首までの長い無地のワンピース,黒い靴下,そして平たい靴で髪の毛は束ねて白いキャップを被っている。また,アクセサリ類は一切つけず,男女ともベルトの代わりにサスペンダー,ボタンの代わりにカギホックを使用する。
 白い服装は死を迎えた時だけ着用し,結婚式も白は着ない。

 家の外に出ると,独特な洗濯物の干し方が再現されていた。木に結ばれた滑車に紐をとおして,日本のこいのぼりのようにしてつるすわけだ。また,家には電話ももちろん携帯電話もないが,外には公衆電話があって,連絡を取る必要があれば,それを使用するということである。
 とはいえ,アーミッシュの人たちは一般と隔離されているわけでなく,家具の製造販売をしたり建設業や農場などを営んで普通に収入を得たり,一般の人と混ざって仕事をしている。
 私もほかの町を旅していると,結構アーミッシュの人たちを見かけるし,そうした人と話をしていていも,当然,一般の人とかわるところもない。そうしたことを知らなかった頃は,え~本当にアーミッシュの人? と思ったこともあったが,実際は一般の人と何らかわらない。しかし,日本からの留学生がこうしたアーミッシュの家にお世話になることもあるのだが,生活をするとなると,習慣がまったく違うからそれはそれで大変であろう。

 アーミッシュの人たちは「従順」「謙虚」「質素」を生き方の基本としている。貴族の特権を認めず,教会,教義,儀式や聖物といったものに囚われず,専任の牧師も必要としない。徹底した平和主義と無抵抗主義から軍役も拒否する。また,アーミッシュの3原則は「No make up, No jewely, No divorce」(化粧なし,アクセサリーなし,離婚なし)だが,死別の場合のみひっそりと再婚できるそうだ。
 鏡を見ること,派手な色の服や流行の服を着たり美容院へ行ったり,写真を撮ったりすることは虚栄心の現れとして禁止されているし,楽器を弾いたり独唱したり自分の名前を入れて出版したり自己の栄光を求めてよい説教をしようと下準備をしたりすることもない。
 彼らの社会では,2週間に1回の割合で集まり食事をもちよってパーティーのような行事をするといったように,コミュニティが充実しているという。

 この国で「忍耐」が美徳とされるのは,農耕民族だからです。春に種を蒔いても秋に実らなければ食料は手に入らないわけで,そのときは耐えるしかないのです。そこで,ひたすら五穀豊穣を祈り,秋に実ればそれを感謝してお祭りをします。一方,狩猟民族は,食料が手に入らないければ狩りに出ます。耐えていても仕方がなく,行動に移さなければ何も得られません。
 「根性」は「苦難に屈しない精神」と曲解されていて,根性があればどんな問題でも解決できるという精神論として使われます。しかし,もともとは仏教用語の機根に由来する言葉で「その人間が持って生まれた性質」であり,衆生が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことです。この言葉が曲解されたのは1964年に行われた東京オリンピックの女子バレーボール日本代表チームに特訓を課して金メダルに導いた指導者大松博文の発言がきっかけといわれています。「お客様は神様です」といった歌手三波春夫の言葉が曲解されて,この国の客は「神様」だと思っているから傲慢で,それでも店員が絶えて客対応をする姿と同じです。
 「努力」は「何かを成すために力を尽くすこと」で,そんなことは何か目標を達成するためには当たり前の行為であって,そんな姿を他人に自慢したり,あるいは他人に強いたり,あえて強調することでもないのです。しかも,一般に「君は努力が足りないよ」と言う,そんな上から目線の人こそ,もっともそれとは縁遠い場合が多いのです。
 このように,こうした言葉は,時としていじめになったり,精神論につながるものだから危険なのです。それは地震などで被災した人に対して「頑張れ」というのと同じです。
 さらに,こういうことと無縁の人こそ,こうした言葉を相手に強調することが多いのです。自分の愚かさや弱さを覆い隠すため,さらには,他人に攻勢に出るためにこの言葉を多用する愚かな上司も見かけられます。そこには相手を思いやるという,最も大切な「心」自体が存在しません。

 それよりも,私は「夢と勇気と知恵」のほうを推奨します。
 何事も動機付けがないと始まらないのです。つまり「夢」がもっとも大切なのです。
 その「夢」を実現するには「勇気」が必要です。だれしも新たな一歩を踏み出すことは不安なのですが,そこには「勇気」が要ります。
 そして,そうした一歩を踏み出したときに,おそらくはなにがしかの想定外の困難に出会いますが,それを乗り越えるためには「知恵」が必要です。「知恵」を身につけるには「知識」も「経験」も「決断」も,そうした何もかもが必要ですが,これこそが「生きていく力」ということなのです。そうしたことを考えても,この国の親や教師は「大人になりきれない大人が大人になりたい子ども大人にしない」教育をしているということがわかるでしょう。
 生きることに正解はありません。「ドリル」をやってあらかじめ存在する正解と同じものを見つけるような訓練を「勉強」と称すること自体,教育ではないのです。英語には「Growing Pains」という言葉があります。こうした「Growing Pains」を乗り越えるためにお互いが知恵を出し合うことこそが教育なのです。

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 直木三十五賞を受賞した恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を読みました。
 私はこのごろ小説を読むのが面倒になってしまって,しばらく本を読んでいかなったのですが,この小説がピアノコンクールを題材したものであるということだけで読んでみたくなりました。しかし,本を手に取ったとき,そのページの多さにまず閉口しました。そして,読み終えることができるのかなあ? と疑問になりました。
 実際はそんな心配は無用で,2時間ほどで読破できました。それは,非常に面白い小説で,最後まで退屈することもなく読み進めたことと,登場人物が多くなるとわけがわからなくなる私でも迷うことなく,出てくる人物にそれぞれ魅力あふれる個性があったことでこんがらがることなく無事最後までたどりつけたからです。

 この小説は予想にたがわず,ピアノコンクールに挑戦した人たちの人間模様とその裏側を非常に興味深く描いたもので,登場人物ごとのドラマが展開されるので,おそらく,恩田陸さんはそれぞれの人間の個性を創作してしまえばこの長い小説もわけなく書くことができたのでしょう。
 ピアノコンクールに挑戦した人たちというのは,音楽の神が宿った人たちです。それは,クラシック音楽大好きの私には興味深々の話題なのですが,私は実際のコンサートに出かけるたびに,ステージの上で多くの観客を前に,毎回演奏をするということができる,つまり,そんな緊張が強いられる仕事がいつもできるという人が私には信じられません。ある人にいわせると,人前で演奏することに快感を覚える人だから演奏家になるのであって,それは凡人とは全く違う精神の持ち主であるということです。しかし,たとえそうであっても,コンクールというのはまた別ものでしょう。

 この小説は読み進むにすれて,音楽を通した精神世界がどんどんと広く雄大になっていっていきます。
 私は,昔「タウゼロ」というSF小説を読んだときのことを思い出しました。
 「タウゼロ」というSF小説は,宇宙船が宇宙創成を越えたところまで旅をするという壮大なものです。そのあまりのスケールの大きさに私はすっかり参ってしまいました。そして,「これはないぜ」と思いました。宇宙の広さを越えた小説なんてルール違反です。しかし,宇宙創成を語らずとも,音楽という時間芸術で,人間のもつ実際の空間を越えてしまうことができるのです。私はそのことに気づいて感動しました。

 ところで,村上春樹さんはその知名度とファンの多さから神格化されているので批判することすら許されない雰囲気なのですが,私のまわりにいる人たちの多くは嫌いだとこっそりいいます。私は「1Q84」を読んだときに,この程度の内容の作品にしてはあまりに小説が長いことに嫌気がさしました。そして,もうひとつ嫌気がさしたのは,村上春樹さんの小説にもまた,クラシック音楽がよく出てきて,その話題が,読んでるいる人に「お前はこんな作品も知らないのか」と自慢されているようで鼻につくことです。たかだかヤナーチェクごときなのに。
 実は,この「蜜蜂と遠雷」もまた,本選で演奏されるとこの小説で想定されている作品がプロコフィエフの第2番コンチェルト(第3番はよく聴くけれど…)とかバルトークの第3番コンチェルトというのは,私にはついていけません(この2曲は小説の冒頭にピアノコンクール課題曲として書かれてあるもののうち最もマイナーなものです!)。コンサートに頻繁に出かける私であってもほとんど聴いたことがない曲です。だから,私には小説を読んでいても頭のなかに音楽が鳴らないのです。

 多くの人も私と同じように,この小説の文章に酔って,音楽が聞こえてくると錯覚しているのですが,実際には曲が思い浮かんではいないと思います。穿って考えれば,それこそが恩田睦さんの狙いなのかもしれません。つまり,実際の曲がマイナーなものだからこそ,先入観がなく,文章が生きるわけです。だから,音楽の美しさを越えて,文章が際立つのです。それが罠です。しかし,私は音楽の美しさは言葉では置き換えれないものだ(だからこそ音楽なのだ)と思っているから,こうして音楽を言葉で表現されると素直には感動できなくなるのです。
 それともうひとつは,やはりこの小説少しばかり長すぎます。音楽を言葉で語る部分が。
 私が気になったのは,こうしたことだけでした。

 ともあれ,退屈しない小説でした。ただ,私の失態は,読む前に最後のページに書かれてあった「ピアノコンクール審査結果」のページを何気なく読んでしまったこと! これでは,推理小説を読む前に犯人を知ってしまったようなものです。これからお読みになる方は,くれぐれもご用心を。
 この人間描写のわかりやすい小説はおそらく近いうちに映画化かテレビドラマ化されることでしょう。
 では,私は,これを機会に,プロコフィエフの第2番コンチェルトとバルトークの第3番コンチェルトを改めて聴き込んでみるとしましょう。

◇◇◇
「夏の夜の夢」-マエストロ・サヴァリッシュの永遠の音楽

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●アーミッシュの農家を見学した。●
 私は,まず,アーミッシュビレッジを車で1周した。その後,アーミッシュビレッジをバギーに乗って見学するツアーがいくつかあったので,そのひとつに参加しようと,ツアーを行っている営業所の駐車場に行って車を停めて,いくつかあるツアーから適当なものを選んで参加することにした。
 時間もだんだんと遅くなってきたので,まだツアーをやっているのか不安だったが,終了はしていないようだった。様々なツアーの出発時間もそれぞれだったし,多くの観光客でごった返していて忙しくてスタッフに聞くこともできなかったので,ともかく,出発間際のツアーに飛び乗った。
 このツアー,先に参加料を支払うのだが,私の場合,間に合わないので,あとでいい,ということで,もうほかの観光客が乗り込んだバギーの客席の空いた場所に入り込んだ。

 こうした観光ツアーは当然参加者もみんなよそ者だから,国籍を問わず,見知らぬ同士である。そして,こうしたとき,私のような日本人の個人旅行者などほとんどいないから,彼らにとれば興味の的でもあるのではじめに話かけられるし,また,家族連れだからとても友好的ですぐに打ち解けることができる。
 私は,ここでずいぶんと写真も写した。しかし,残念なことにアーミッシュについては好奇心だけで,ほとんど知識がないので,写した写真をもとに詳しく説明を書くことができないのが残念である。そこで,わずか半日くらいでなにがわかるか,といわれればそれだけであるが,帰国後に調べたことも含めて,私の感想を書いておくことにする。
 とはいっても,こうしたツアーに参加した人がすでに書いているブログを読んでみてもどれも結構いい加減で,どれが正しいのかさっぱりわからない。そうした内容も参考にしたが,記述のなかに宗教上の微妙なことがあれば,それは私にはまったく他意はないのでお許し願いたい。

 私の参加したツアーもまた,アーミッシュビレッジに好奇心で訪れた観光客相手の金儲けであって,アーミッシュではない一般人が経営していて,アーミッシュの人たちのなかにもそれはそれでお金儲けができるから契約して,家や農場を見学させてもらっているといったもののようであった。
 だから,当然,アーミッシュの農場の見学後は,アーミッシュの人たちが飲み物やら土産を売ってくる。まあ,それはそれで,ウィンウィンの関係だから問題はないのだが,そんなわけで,そこで私が体験したものが「本物のアーミッシュ」なのかどうかはわからない。
 いずれにせよ,私の参加したツアーは広い農家に行って,そこでバギーから降りて,アーミッシュの農家で飼育している豚やニワトリやウシなどの飼育について説明を聞きながら見学するというものであった。

 アーミッシュはバースコントロールが禁止されているので,1家庭で平均8人から10人の子供を産み育てているのだという。この家もまた,小さな子供から働き盛りの人たちまで多くいて,子どもたちも仕事の手伝いをしていた。私には子どもたちの遊び道具などが興味深かった。
 17世紀末にアーミシュを始めたプロテスタントのメノー派に属するスイス人ジャコブ・アーマン(Jacob Amman)は,洗礼は大人になってから自からの判断で受けるべきと主張し,幼児洗礼に反対した。このことを「アナパプチスト」という。
 アーミッシュは18歳(16歳とかかれたものもある)になると半年間だけ自由な生活ができて,その間は携帯電話を使ったり車の免許をとったり普通の服を着たりすることが出来る。そして,その間にアーミッシュに戻るか一般人になるか選択をする。ほとんどの人,特に女の子はアーミッシュの生活に戻ることを選ぶのだそうで,特に近年は洗礼を受ける者が増える傾向にあって,現在では全体の95%に達しているとのことである。
 今の時代は「ローラーコースター人生」と呼ばれ,浮き沈みも激しく,下手をすればどこまでどん底があるかわからない。また,生涯必死に働いたところで定年後に安定した生活が保障されるわけでもない。自分がどういう老後を迎えてどういう風に死んでいくかも予想がつかない。それに比べて,アーミッシュだったら,死ぬ日まで,いや死んだ後まで自分がどういう風になるかわかるし,貧困でもなく,家族や一生付き合ってきた知人に囲まれた平和な生き方ができるわけだから,そっちの方がいいと思う気持ちが強いのかもしれない,という解釈がなされている。

 私が若いころは「スポコン」ものといって,スポーツを題材とした根性ドラマやアニメが人気でした。「柔道一直線」とか「巨人の星」とか。それは,スポーツというよりも,日本人お得意の「根性!根性!根性!」という掛け声のもとで行われた訓練でした。
 それでは「根性」って何なのでしょう?
 旅先の土産物売り場に盾があって,そこに書かれていた言葉は「根性」と並んで「忍耐」とか「努力」とかだったので,その意味など知らずとも,そうした言葉が美しいものとして存在していました。
 当時の「ブカツ」はとてもい加減なもので,トレーニングと称した「うさぎ跳び」とか,野球部の「1,000本ノック」とか,要するに,くたくたになるまで何かを強いてそれを「頑張る」という,そういう意味合いしかもっていないことに「耐える」ことこそが美徳とされました。そして,それに耐えられない人は「落伍者」というレッテルを押されたり,あるいは「体罰」を受けました。
 それが「スポコン」でした。 

 そうすることで,一体何がしたかったというのでしょうか?
 日本人は意味もなくそういうの大好きなんです。私にはわけがわかりませんが。しかし,今もそうです。いるんです,その残党が。
 私の若いころにそうした「努力・忍耐・根性」で「ブカツ」をやっていた人たちも歳をとりました。私と同年代でそのような「ブカツ」に打ち込んでいた人たちの多くは,現在,体を壊しています。若くして死んじゃった人も一人や二人ではありません。つまり,そうした「ブカツ」は不健康なだけだったのです。
 私自身は「努力」なんてしたことないし,「忍耐」もないし,まして「根性」などもち合わせていなかったので,高校では学校になかった「将棋部」を作り,たいして練習もしなかったのだけれど,当時は「将棋部」などほとんどの高校にはなかったので,いきなり全国大会に出場して,しかも全国優勝を成したので,私は卒業アルバムにその優勝旗とともに収まっています。

 さすがに現在はスポーツ医学などが発達したので,運動はむちゃくちゃやればいいわけではないということがわかり,スポーツには合理性が生れました。こうしてスポーツは近代化したのです。
 しかし,未だ,かつての時代のままの「スポコン」を背負っているバカげたことが学校では行われています。それが「勉強」という名の「ドリルこっご」です。そんなもの,あらかじめ作られた答えと同じものが書けるように何度も何度も訓練しているだけなのです。そこには創造性もなければ自主性もない。しかも,何も身につかない。そんなことを1,000年やったところで,理数系の専門書が理解できるようにもならなければ,古典も読めず,まして英語も話せません。そういう目的に向かって歩いていないからです。そのように何も得るものがないのにも関わらず,それを「勉強」と称してその「勉強時間」と称する時間が多ければ多いほどいいなどと考える教師がいて,その時間の多さを強調します。そこには,現代社会で最も重要な合理性も効率もありません。
 実際は,そんなものを「勉強」などと呼ぶこと自体が「学問」に対して失礼なのですが,その実態は「うさぎ跳び」や「1,000本ノック」となんら変わるものではないし,それどころか,将来社会に出たときに,長い時間働けばいい,という日本の悪しき長時間労働の根源となっているだけなのです。

 その頂点に鎮座しているのが,この国の従来の「受験」です。
 「受験」などあくまでゲームであってその目的は点を取ることだけなのです。あんなものは人が生きていく力も測れなければ,この先本当の学問や研究をする能力が測れるものでもありません。問題を作成した人の考えた「正解」と同じものが選べる才能がどれだけあるかを調べているだけなのです。つまり,洗脳です。ならば「点が取れる=正解と称するものと同じものが選べる」ということを身につける戦術を立てて,合理的かつ効率的に「短時間で」その技術を習得できればいいだけのことなのです。
 このように,そうした「ドリルごっこ」を「勉強」などという言葉で呼ぶこと自体「学問」を愚弄しているのですが,どうしてスポーツは「スポコン」を脱して近代化したのに,「ドリルごっこ」は昔と変わらず,というよりもさらに劣化しているのだろうと,いつも疑問に思っています。それは,おそらくそうした作業をそうすることで「努力・忍耐・根性」が養われるとでも勘違いしているからなのでしょう。しかし,そんなことに時間を費やしても何も得るものはありませんし,本物の能力を1日でも早く身につけなければ生き残れない現代において,そんなママゴト遊びに貴重な時間を浪費しているような暇などないのですが。

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●アーミッシュの乗用車は「バギー」●
 ホテルの前の州道30をそのまま東に向かって走っていくとフィラデルフィアへ続くのだが,その道路とその1本北側の道路のあたりがアーミッシュビレッジの中心であったので,私は,まず,車でそのあたりを走ってみることにした。すると,1番目や2番目の写真のように,道路の端をアーミッシュの運転するバギーを頻繁に見かけた。
 バギーというのは18世紀から19世紀の西洋の乗り物,つまり,馬車である。そして,アーミッシュの人たちは今もこのバギーを乗り物としている。
 後ろから見るとわからないが,追い抜いてからバックミラーで確認してみると,この乗り物を運転しているのが妙齢の女性だったりして,私はかなりびっくりした。
 アーミッシュは電気を使わない。しかし,さすがにこのバギーは一般道を通行するということで,やむをえず方向指示器がついていて,それを作動するためのバッテリーを積んでいる。
 なお,アーミッシュの人たちは自転車も乗らない。その代り,子どもたちは,我々が遊びで乗るキックボードのような乗り物を使っている。

 私は,アーミッシュビレッジはもっとのどかで広大な大地に広がる田舎を想像していたが,実際は写真のように車が頻繁に通る州道に面していた。だから,バギーがこの道を走るのは,日本で車道を自転車が走っているのと同様にかなり危ない。であっても,アメリカという国の懐の深さは,こうした乗り物を受け入れることであり,特別な道路標識も設置されていることである。
 おそらくせこい日本でこういう乗り物に乗ろうとすれば,表立っては禁止しないで,やたらとさまざまな規則を作って嫌がらせをし,締め出していくことであろう。
 ここらあたりの道路には,先に書いたように,バギーが通行しているから注意という道路標識があるし日本のように無節操なドライバーが自転車の横をものすごいスピードで走るということは皆無で,バギーに気を使って運転をしているのだが,それでもやはり,たびたび事故が起きているのだそうだ。

 これもいつも書いていることだが,人の写した写真だけを見て実際には行ったこともないのに,なんだかんだと感想をかいているブログが数多くある。たとえば,アーミッシュビレッジについても「のどかな田畑の一面に広がる台地にアーミッシュの人たちが住み,敬虔な生活を営んでる。訪れてみたいものですね。」といった記述がみられるが,それは間違いである。旅は,その土地に行ってみなければ,その事実は絶対にわからない。
 私が最もきらいなブログは,自分で行動もしないのに調べたものを羅列して,それだけならともかく,適当な感想を書いて,その文末を「~ね。」で結んだものである。たとえば「○○について調べてみました。」ではじまって,「がんばってくれるといいですね。」「一度は行ってみたいものですね。」といったもので終わる類である。オマエは何者か? そんな同意を求められても困るよね。

 また,ここには3番目の写真のようなバギーも走っていたが,これはアーミッシュの乗るバギーではなく,観光用の馬車である。
 アーミッシュビレッジもまた,ソルトレイクシティに住んでいる人がすべてモルモン教徒の人ではないように,住んでいるすべての人がアーミッシュではない。アーミッシュなのかそうでないのかは,このアーミッシュビレッジに建っている家が,電線が引かれているかそうでないか,あるいは,洗濯物の干し方などを見れば判断ができる。
 ここには,私のように,興味半分で観光で訪れる人がたくさんいるから,当然,そうした観光客を対象とした一般の人が経営する観光施設がたくさんある。そしてまた,アーミッシュといえども,純粋なひともいれば,そうした観光に一枚絡んで,それで生業を建てている人もいるわけだ。
 私はたった半日ここに滞在しただけだからこれ以上の本当のところはよくわからない。それは,何度訪れても本当のところはわからない京都の寺院も同じであるが。しかし,ある意味,観光というのは,他人の家に土足で踏み入ったり,窓から家の中を覗き見ることのようである。

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●アーミッシュビレッジはどこだろう?●
 ランカスターは古都の魅力満載の町であった。こんな素晴らしい街だとは知らなかった。ダウンタウンを走りながら,この街をゆっくりと散策したいものだと思った。
 アメリカの小都市の多くは,このように,日本でいうところの小京都のようなところが多く,しかも,日本とは違って,街が無計画に破壊されておらず,そのままの形で残っている。
 日本の街は,高山とか萩のように,景観を保存するとなると,やりすぎのように規制をかけて人工的な映画のセットのようになるし,保存しないとなると,今度は,周りの雰囲気との調和などまったく無関係に無節操に家が新築されていく。
 私は,これは日本の住宅業界がもっとも問題だと思っている。家のデザインがなっていない。家を建てるときにはそれぞれの家は非常に凝っているのにまったく周囲と調和していないし,古くなると朽ちていくだけ。
 しかし,日本人は近視眼的で自分のことしか考えていないしせこいから,こうした家を建てたら周囲と調和しないとか,隣の家とバランスが取れないとか,そういう配慮などまっだくない。

 ところで,私は,ランカスターに行けばアーミッシュの人たちがたくさん住んでいる場所は容易にわかると思っていたが,いざ到着してみたら,どこへ行けばいいのかさっぱりわからなくなった。
 当然,案内板などない。
 カーナビで調べても,さっぱり要領をえなかった。かろうじて「アーミッシュ○○」と書かれたものが見つかったのでそれを目的地にしてずいぶんとランカスターの郊外まで走っていったら,そこはそういう名前の単なるスーパーマーケットで,時間の無駄をした。
 この日の午後,私はアーミッシュビレッジの観光をするつもりであったが,このようにして時間がどんどんと経過して,私は焦ってきた。
 明日は早朝にフィラデルフィアへ行ってレンタカーを返さなければならないから今日しか時間がなかったが,アーミッシュビレッジの観光は無理だなとあきらめた。
 そこで,私は今日予約したホテルへ行ってチェックインをすることにした。こうして,予約をしておいたモーテル「レッドカーペットイン」に到着した。

 このモーテルはランカスターの郊外の州道30沿いにあって,写真で見ると豪華だが,かび臭く部屋の暗いしけた古いホテルであった。チェックインをするとき,フロントのおばさんに,こういった宗教的なことを聞くことが無礼なのかどうか判断がつかなかったけれど,このあたりのどこにアーミッシュの人たちが住んでいるのか,と聞くことにした。すると,なんの問題もなく,単なる観光地を紹介するように,親切にどこがそうなのかを丁寧に教えてくれて,観光案内の地図までもらうことができた。
 いつものように,なんという幸運だろうか! アーミッシュの人たちが住んでいるのは,まさに私が今日宿泊するこのモーテルのあたりであった。こんなことなら,さっさとこのモーテルにチェックインすればよかったわけだ。

 私は,部屋に荷物を入れて,さっそく車で付近を走ってみることにした。すると,道路には「バギー注意」という道路標示はあるし,バギーに乗ったアーミッシュの人たちをたくさん見かけるではないか。私の宿泊するモーテルのあった場所こそアーミッシュビレッジであった。

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 「太郎君がお饅頭を2個もってきました。花子さんがお饅頭を3個もってきました。お饅頭は全部で何個あるでしょうか?」という問題に対して「2+3=5」という計算をするのが「算数」。このように,実際のできごとを数字で抽象化して計算をすることで答えをだす,これを一般化して「a+b=c」という公式にするのが自然科学です。この公式によって,お饅頭が20個であろうと20,000個であろうと,同じように計算できます。つまり,自然科学は,物事を数字や式で抽象化することで,数学の力を借りて未来を予言,いや,正確に予測できるというものです。
 お饅頭の個数なら足し算でよいのですが,それが核融合やら核分裂となるとそうはいきません。「質量欠損」のような問題があって単純に「a+b=c」にはならないのです。そこで,何らかの概念やら原理やらを持ち込むことによって未来を正確に予測できるようにするのですが,そうした概念やら原理,つまり「理論」を考えて,その「理論」が正しいということを実験で検証するという手順が加わるわけです。これが「物理学」です。そうした正しいとされる「理論」を使うことで,未来を正確に予測できることになるわけです。

 しかし,誤解してはいけないのは,正しい「理論」は,現実の事象をその理論に抽象的に置き換えれば未来を正確に予測できる,ということをしているに過ぎないわけで,自然を解明したわけではない,世の中の仕組みが語られたわけではないということです。つまり,物理学は仕組みについては何も語ってはいないです。
 自動販売機に130円入れてボタンを押せば缶コーヒーが出てくるという予測ができるだけで,自動販売機の仕組みを語っているわけではないということです。
 例えば,原子が陽子と中性子と電子から成っていて,陽子の個数で元素の種類が決まる,というのも,そういうモデルに抽象化して考えれば化学反応の説明がつく,というだけで,実際に太陽のまわりをぐるぐると惑星がまわっているように原子核のまわりを電子がくるぐる回っているわけではないです。同様に,量子力学では素粒子には粒子と波の二面性があるというのも,そういった記述すれば現実に起きる様々な事象が数学として説明ができるといっているだけで,現実に素粒子が「粒子」であったり「波」であったりするわけではなく,あくまで抽象化した概念に過ぎないわけです。つまり,物理学は何も語ってはいないです。

 現在,「ダークマター」と「ダークエネルギー」が宇宙全体の95%を占めているといわれています。逆にいえば,現在までに人間の構築した物理学の記述でははたった5%のことしか説明がつかないということです。発見された「宇宙の加速膨張」を説明をするにはこうした「ダークマター」と「ダークエネルギー」と名づけられた新たな概念が必要だというわけです。
 この「ダークマター」だとか「ダークエネルギー」という言葉が独り歩きをして,聞くほうはそういう名前のイメージから,いかにも未知の物質があるように思えたり,エネルギーが何もないところから生れ出てくるような感じがするわけですが,それはそうした名前をつけた物理学者のトリックにすぎません。
 あくまで,現代の物理学の理論に実際の事象を当てはまるためには,新たな「マター=物質」のような抽象概念と新たな「エネルギー」のような抽象概念が必要だ,といっているだけです。要するに,新たな「何ものか」を導入しなければ人間がこれまでに作り上げてきた物理学では説明ができない,ということなのです。
 また近頃,ハンガリー・エトヴェシュ・ロラーンド大学のGábor Ráczさんたちがコンピュータシミュレーションで時間の経過に伴う宇宙の構造の変化を研究し,「ダークエネルギー」の存在がなくても宇宙の加速膨張が説明できる可能性を示しています。

 これまでも,従来は正しいと思われれていた理論が誤りだったという失敗は歴史が物語っています。ならば,現在「正しい」と思われている理論も本当に正しいのでしょうか?
 ほんの数年前までは,地球外生命などSFマニア以外は存在しない,人類は宇宙に唯一のものだと思われていたのですが,現在では,地球外生命は存在するというほうが大勢になりました。こうした考え方の変化は,宇宙の中心が地球だと信じられていた時代から共通する人間中心主義の崩壊と同じものです。私も,宇宙には地球のような天体など珍しくもないから,いくらでも地球以外に生命など存在すると思っています。
 しかし,宇宙がはじまったのが138億年前で将来はどんどんと宇宙が膨張してくといわれている現在の理論は,本当に正しいのでしょうか? この宇宙のなかで人類が発生してそして滅びる期間など,宇宙全体の歴史のなかではほんの一瞬の出来事でしかなのでしょう。そのたかだかほんの瞬間のなかに生きる人類の知りえる時間と空間の範囲で測定されたデータから作り上げた理論など,おそらくは人類の知りえる範囲だけで成り立つ近似に過ぎないのではないか,と私は思います。
 この有史以来争いばかりをしている愚かな人類などに宇宙をつかさどる理論など分かりようがないのではないか,神はそんな能力を人類には授けていないというのが,私の考えです。

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●美しいランカスターの町●
 ゲティスバーグを出発して,私はついにランカスターに向かうことになった。今日の宿泊先はランカスターのモーテルである。
 ランカスター(Lancaster) は人口約6万人,ペンシルベニア州の南部中央に位置し「赤バラの市」(the Red Rose City」として知られている。1734年にジェイムズ・ハミルトンによって作られた計画都市で,町の名前はイギリスの都市ランカスターに因み,ジョン・ライトによって名付けられた。市のシンボルである赤薔薇はランカスター家のものである。
 また,1821年,ランカスターに移住してきていたドイツ人によって,クリスマスにクリスマスツリーを飾る習慣がはじまったという。
 1795年に造られたフィラデルフィア とランカスター間の道路はアメリカで最初の長距離舗装道路だそうで,おそらく,私がこの後,ランカスターからフィラデルフィアに向かって走った道路がそれであろう。 

 市の東部には「アーミッシュ」が集中して住んでいて,馬に曳かせたバギーを頻繁に見ることができると書かれてあった。そこで「アーミッシュ」について調べてみると,次のように書かれてあった。
  ・・・・・・
 「アーミッシュ」(Amish)とはペンシルベニア州の中西部やカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民の宗教集団のことである。彼らは今でも移民当時の生活様式を保持していて,農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られている。原郷はスイス,アルザス,シュワーベンなどで,20万人以上いるとされている。
 アーミッシュとメノナイトはルター派とツヴィングリ派の新教再組織から分かれてスイスのチューリッヒで生まれた一派で,のちにドイツに移住した。キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で,創始者のメノ・シモンズの名前をとってメノナイトといわれ,メノナイトの一員ヤコブ・アマンは教会の純粋さを保つためにほかのグループから離れて暮らす保守的な派を作った。アマンという名前からこの派の人たちのことをアーミッシュという。
 アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず,電話も家庭内にはない。現代の技術による機器を生活に導入することを拒み,近代以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い,自給自足の生活を営んでいる
 周辺に住む一般人が,アーミッシュのキルトや蜂蜜などを販売したり,アーミッシュのバギーを用いて観光客を有料で乗せたりして観光に利用しているということである。
  ・・・・・・

 私がフィラデルフィアに向かう途中でランカスターに行きたかったのは,このアーミッシュを見たかった,というのが理由であった。とにかく,読んだ知識では本当のところはわからないからである。
 敬虔に暮らしている人たちを見たいという好奇心は不遜かもしれないが,ここは,一応,観光地なのである。また,実際,どういうふうになっているのか行ってみないとよくわからないから,足を運ぶことにしたのである。
 アーミッシュの人たちがランカスターの東部に住んでるということだけで,ランカスターのどこに行けばよいのかさえ知らなかった。行けば何とかなる,と思っていたが,それはかなり甘い話であった。

 ゲティスバーグからランカスターまではのどかな州道30を60マイル,つまり96キロほど走るだけであった。
 やがて,ランカスターの街並みが見えてきたが,そこは想像以上に大きな美しい小京都のような町であった。
 なお今日の一番下の写真の道路のセンターラインが白色だと思われるだろうが,これはセンターラインではない。この道路は一方通行の2車線道路で,写真では見にくいが道路の左端はちゃんとイエローラインになっているのだ。

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●南北戦争の転換点●
 当初,南軍がこの地域に部隊を送り込んだのはゲティスバーグを偵察する目的であったとされるが,地理的要因から部隊間の衝突が頻繁に起こるようになったため,両軍は援軍をゲティスバーグに集結させざるをえなくなった。そして運命の7月1日午前5時を迎えることとなったのである。
 南軍の歩兵が北軍の騎兵を射撃したのがゲティスバーグの戦いの始まりとされる。
 小競り合いが次第に大規模な戦いに発展した。部隊の集結が不完全であった北軍は援軍を待つ間,南軍の歩兵隊の前進をくい止めることに成功したが,この間に両陣営に大多数の援軍が派遣され続けた。
 ゲティスバーグの北と西の尾根の攻防戦では南軍側が優勢であったが,やがて北軍は徐々に勢力を盛り返し,均衡を保つことに成功。南軍のリー将軍は北軍の陣地の構築が終わる前に攻撃をかけるべきだと配下のリチャード・イーウェル将軍に命令を出したが,イーウェルは南軍の損害を過大に評価しこの日の攻撃を中止してしまった。

 2日の早朝,南軍は攻撃を再開することを目標としていたものの手間取り,結局午後4時ごろになって攻撃態勢を整えた。この遅延は北軍の有利に結びつくはずだったが,ダニエル・シックルズ将軍は守備軍を配置換えし最前線に移動させるというよくわからない行動に出て,北軍はまたもや戦況不利となったのだった。
 南軍の攻撃は熾烈を極めた。ここで起きた「リトル・ラウンド・トップの戦い」はゲティスバーグの戦いの中でもっとも激しかったといわれている。しかし,4時間にわたる熾烈な戦闘は北軍のミード将軍の巧みな戦闘指揮により,南軍は陣地の突破に失敗した。

 3日目は南軍が攻撃準備を完了する前に北軍による砲撃が開始された。
 午後1時,野砲による南北戦争最大規模の砲撃が開始された。大規模な砲撃ではあったが南軍は弾薬不足で北軍に大きな損害を与えるまでに至らなかった。
 午後3時,12,500人の南軍歩兵が姿を現して北軍前線への前進を開始した。これが世にいう「ピケットの突撃」である。北軍の前線は一時的に動揺し防御用の低い石壁が部分的には破られたが,南軍の攻撃は最終的には撃退された。
 被った損害は両軍とも同程度だったものの人的資源に劣る南軍にとっては非常に大きい損失となった。
 結局,このゲティスバークの戦いで北軍は南軍の侵攻を食い止め,南部に追い返す事に成功するという戦果を上げたのだった。

 ここの博物館にあるサイクロラマは,そうした状況をリアルに描いているものである。ナレーションと優れた演出効果によって,この戦争の悲惨さが見事に再現されていた。

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●精神的な豊かさがこの国にはある。●
 広い駐車場に車を停めて博物館に入って,入場料を払った。
 ここもまた,カンザスシティの第1次大戦博物館,テキサス州サンアントニオの太平洋戦争博物館と同様,大きくきれいな建物であった。
 私は,アメリカのこうした博物館に来るたびに,日本とは全く規模が違い,内容が充実し,しかも,立派で,そして,ものすごく多くの観光客がいることに驚く。
 日本とは全くお金のかけ方が異なるのだ。そしてまた,こうしたまじめな展示に多くの人が関心を持っていることも,この国の人の歴史に対するリスペクトにも感動する。
 日本では,国の規模や豊かさをすぐに経済指標ではかろうとし,金儲けしか興味がないが,それとは全く異質な精神的な豊かさを最もリスペクトする世界がここにはある。
 博物館は,ゲティスバーグの戦いに関連した展示と,サイクロラマがあって,その見事さに驚いた。
 展示は,南北戦争と戦争前後のアメリカの情勢を時系列で紹介していた。ゲティスバーグの戦いとその後の南軍の降伏までを,写真や解説パネル,そして,戦場で実際に使われた銃や軍服などの展示によってわかりやすく解説されていて,興味が尽きることはなかった。

 ゲティスバーグの戦いが起きる前の状況は次のようであった。
 チャンセラーズヴィルの戦いが南軍の勝利に終わったことで勢いに乗った南軍のリー将軍は,北部への更なる攻撃を企図し,ボルティモアやフィラデルフィアを攻略すれば北部の継戦意欲を失わせることができると考えたのである。
 同じ時期,北軍は司令官をジョセフ・フッカーからジョージ・ミードに変更するという,指揮系統の変更に追われていた。チャンセラーズヴィルの戦いで敗北したフッカーが,リンカーンにより更迭されたのである。
 ゲティスバーグは鉄道や主要道路が集まる交差点で,そこを確保できれば戦争を有利に進められるという補給と部隊増強の要所だった。しかし,南軍,北軍ともに,ここに部隊を送り込むと必然的に大規模な衝突が避けられないことから,それまで積極的に進軍しようとはしなかった。

 ゲティスバーグの戦いは小競り合いから発展し,6月3日に最初の衝突が起こると,リー将軍はただちに戦場に兵を派遣し,騎兵を町の北西にある丘陵の尾根に配置した。だが,本格的な戦闘が始まったのは,7月1日午前5時からであった。
 ゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg)は,南北戦争において事実上の決戦となった戦いであった。

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 春休みは街に大学生があふれていました。大学に入って1年過ぎた人たちにとれば,はじめて自由な長い休みが取れる時期なのでしょう。そしてまた,充実した大学生活を過ごしている学生には,自分探しをする最も貴重な時間でしょう。
 私は「人生は40年が2度あってはじめの40年は,2度目の40年の本当の人生の練習だ」と書きましたが,2度ある人生の1度目の20歳を迎える彼らを見ていると,私はいろんなことを感じます。
 若さと可能性を「ドリル教育」で無駄にされた6年間の中等教育をやっと脱出して,自分の時間を自分で使えるようになった今,自分の力で飛び立てるだけの羽根が育っていない学生にとれば,それは逆にかなりの試練です。なかには,高等学校の「ブカツ」から抜け出せず大学に入っても高等学校と同じような部活動に参加して時間をつぶしている学生もいます。その部活動が一流で,目的をもってさらに高みをめざしているのならともかくも,そうして単に友達とつるむこと以外に,彼らにはすることがないのです。私が情けないと感じるのは,そうした学生が何人も集まったグループで遊びほうけている姿です。もっと行くところや経験することがあるだろうにと思ってしまいます。

 このように,貴重な春休みを大学生がどう過ごしているかということを見ていると,その学生の将来の姿が想像できます。
 大学に合格した時点で「ギャップイヤー」を選択するのが今の学生にはベストだと私は思うのですが,日本のいくつかの私立大学は,教育機関というよりも金儲けのためのビジネスにすぎないから,「ギャップイヤー」を取るために休学しても学費を払う必要があるとか,わけのわからないことをいって物議をかもしています。
 「ギャップイヤー」までのことができずとも,海外に出かけて,なんらかの体験をしたり,ボランティア活動をしたりしている行動的な大学生も数多くいます。そうした学生に旅先でよく出会いますが,彼らの将来もまたたくましいものです。しかし,その一方で,グループでディズニーランドやらUSJで遊びほうけている大学生もいます。パチンコ屋の店先で開店を待って並んでいる大学生もいます。
 私には,その歴然とした差が,見ていて面白いのです。
 いずれにせよ,大学生になっても自分探しをしないで,自分が何ものかもわからなければ,この先の人生は人のいうママ,商業主義にのせられて雑誌の広告を信じ単に社会の経済活動の消費者としてお金を散財し,また,卒業後も会社の残業と家のローンと子育てと親の介護で一生が終わるのは目に見えています。大学で3年が過ぎて,何も人より秀でたものがないのに,また,就職活動で同じようにリクルートスーツを着て会社訪問をしたところで,単なる人数合わせで就職するだけでしょう。会社が傾けば真っ先にリストラされます。

 少し話題を変えます。
 これは精神的な話ですが,男性の場合,男であるという自覚が先にあって,もって生まれた男という肉体が存在する人と,その反対の場合があります。そして,そのどちらなのかを自分が認識している人としていない人がいます。つまり,4つのタイプがあるわけです。
 簡単にいうと,男であるという自覚が先にあってそのことを自分で認識している人が「マッチョ」と呼ばれる人です。つまり,「俺は男だぞ!」という男の魅力で売っているわけです。その一方,認識してない人は風俗大好き人間になります。自分が男であることに理性が働かないから危険です。また,その反対に,男であるという自覚が乏しくてそれを認識していない人は「オタク」になるわけです。よく言われる草食系です。そして,おそらく一番賢く生きることができるのは,生まれたときから男であることを理性が覆い隠していて,そのことを認識している人でしょう。つまり,それが知性で売っている男です。
 同じように,女性の場合は,女という自覚が先にあってそのことを自分で認識している人は,自分が女であるということをよい意味で武器として生きていので,社会では最も魅力的な女性と位置付けられ,比較的楽に生きられます。つまり,女というものを武器として売っているわけです。その一方でそれを認識していない女性は,最も危うい生き方をしています。その反対に,女であるという自覚が乏しいのにそれを認識していない人は,アニメオタクとかコスプレオタクのようになります。認識している人は,男と張り合う生き方を選びます。こうした人たちは能力的にすぐれていればよきリーダーとなるのですが,よほど能力がないと生きるのが大変です。
 そしてまた,男性・女性に限らず,ひとりで生きられる人と,群れていないと生きられない人がいますが,自分が何ものであるのかを認識していない人たちが群れて生きるタイプです。

 そんなことを予備知識として,街を闊歩している若い人たちの将来の姿を想像するのは私のような年寄りには楽しいものです。今の若い人は,私が若いころに比べて,この先,老人ばかりのこの国で生きていくのは非常に困難なことになるでしょうが,彼らが40年経ったとき,彼らもまた「精神年齢は(実年齢-40)歳」とかいいながら幸せに暮らせる国であってほしいものです。しかし…。

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 「病気はお医者さんにお任せし寿命は神様にお任せし」と書きましたが,もうひとつ私が心がけているのは「自分の住処は地球上」ということです。家族がいるから一応定住はしていますが,もし,私が天涯孤独だったら「住所不定」になっていたかもしれません。私の理想の生き方は,車1台で引っ越しできる程度の持ち物だけを所有し小さな部屋を借りて,自由に動きまわることです。もし,立派な家を建てるほどの財産があったら,私の理想はホテル住まいです。
 自分が寝起きする場所は,所詮,仮の住まいにすぎず,定住するための家を手に入れる必要などないということなのです。そのほうが何をするにもどこへ行くにも便利です。特に,現在のようにネット環境さえあれば,本もいらず,連絡方法もいくらでもあるわけだから,昔の価値観にとらわれて自分を所有物で束縛する必要などないのです。
 先日,私の住む家の近くで火事が2件ありました。いずれも放火ではなくなんらかの理由による過失だったのですが,こんなとき,隣に住んでいて飛び火でもしたら,それが持ち家やマンションだったら悲惨です。火事に限らず,これだけ地震や水害がある日本では,家を買うというのは最もリスクの高いことなのです。
 地球を住処とし,家など手に入れず,身軽に地球上を飛び回っていることのほうが,ずっとスマートな生き方です。

 話は変わります。
 このところ,売れなくなった週刊誌のあるものは,えげつない記事ばかりになりました。とても情けない話です。また,新聞社系の週刊誌は,未だに大学合格者などというものを掲載しています。そして,これもまた頭の古い高校の教師が少なからずいて,未だに大学名などに価値をもって今でも30年前の進学指導をしています。彼らは世の中の変化を知らず,見たこともないから,現在の世界を生徒には語れません。単に大学入試の問題集の答え合わせをするだけが彼らのできる「授業」なのです。
 一体全体「有名」といわれる大学に何の目的もなく入学して,その先,どうなるというのでしょうか。
 卒業後,自分で起業をするとか,あるいは,何かの研究をしたいというような目的があって大学を選ぶのなら,それは非常に意義のあることでしょう。しかし,大学名を後ろ盾にして大きな組織に入ってやがては管理職になる,などという旧時代的な生き方は,今の時代,もっとも価値の低いものです。官僚や大会社の重役などはその最たる姿です。そこには自己はなく,あるのはポストだけで,そのポストに「責任者」という重しをつけて座らされるに過ぎないからです。江戸時代の殿様や家老みたいなものです。江戸時代なら責任の取り方は切腹でしたが,今はテレビの前でごめんなさいといって頭を下げるのが仕事です。そうした職に就くことが「有名」といわれる大学を卒業したエリートのなれの果てです。

 戦のない江戸時代になって,平安時代に文化人である貴族の用心棒として生まれた武士が権力を握ったがために,本来の仕事とは異なる「官僚」となり,自らの立場を正当化するために「士」を最も高い身分とした社会を作ったわけですが,この国には今でもその名残りがあるのです。そして,この国は江戸時代が終わるまで封建社会だったので,仕事で身分が決まる,つまり,仕事が人生のすべてだったのです。それは,江戸時代から続く職業であるお相撲さんが,土俵から降りてもその姿形でお相撲さんであり続けるのと同じことです。
 多くの人が会社に雇われるようになった現代では,人は会社と契約し時間を差し出した代償としてお金を得ます。つまり勤務時間だけが仕事であってそれ以外の時間は個人のものです。であるはずなのに,そうした認識をもたず,今でも「仕事だけが人生」になってしまうのです。この国の抱える時間外労働やらブラック企業やらの問題は,そこに根差したものなので,奥が深いのです。
 今でも「仕事だけが人生」である人は,仕事以外にすることがないのです。だから,定年になってもその後も再雇用されてずっと会社に居座ったり,あるいは,やりたいことがみつからず暇を持て余すのです。そして,人生辛抱が大切だとか耐えることが美徳だとか強がって,楽しんでいる人をやっかみながら,自分は何の楽しみもなく死んでいくのです。
 そうした生き方の根源は,学生時代から長時間労働の予備軍である「ブカツ」であって,本来は文化を継承するための人材を育てるのが役割であるはずの教師もまたそうした「ブカツ」に熱中し,彼らが新たな「仕事だけが人生」である人材を育てていくのです。

 私はこのごろ,どうやら,そういう生き方をしている人たちは「知らぬが花」だからそんな生き方ができるのだ,と気づきました。つまり,本当のことを知らないから,そんな生き方に疑問すらもたないということなのです。
 しかし実際は,そうした「仕事だけが人生」という価値観から早々と卒業して,組織での出世争いやら権力闘争やらパワハラ風を吹かすだけで能力のない上司やらから一線を画して,日々,自然を友として楽しんだり,ハワイに別荘を建ててのんびりと暮らしたり,毎月のようにウィーンやザルツブルクに出かけて音楽を楽しんだりという「人が人である文化的な生き方」を思う存分楽しんでいる人たちが少なからずいるみたいなのです。
 そういうことができる人は,何も金持ちだからということではありません。金銭的な量ではなく,お金の使い方の質の問題なのです。高額な団体旅行ツアーに参加して観光地にバスで乗り込み分刻みで軍隊のように行動して使いもしないブランド品のお土産を買いこんでワーッと帰っていくとか,天災の多いこの国では最もリスクの高い「持ち家を買う」ということに多額の住宅ローンを抱え,さらに,ドリルをやって順位競争をするだけで何も身につかない子供の教育に意味のないお金を使い,走れもしない日本の道路なのに高額な車を買ったりして,死ぬまでお金で苦労をする,そんな,お国が民からお金を搾り取ろうとする国策の罠にはまってお金を散財するから余裕がなくなるのです。
 私は,自分が宇宙を眺め地球を飛び回るようになって以来,「仕事だけが人生」そんな人たちを横目に,気ままに飛行機に乗って海外に出かけ,カフェで今聴いてきたコンサートの感想をのんびりと語り合っているような人たちにずいぶん出会いました。そして,そうした人たちは日々充実した文化的な時間を楽しく過ごしているのです。
 「精神年齢は(実年齢ー40)歳で」生きる,ということを実現するには,こういうことを少しでもはやく「知る」ことがその秘訣なのです。では私も文化的な時間を過ごすために気ままに旅に出るとしましょう。

◇◇◇
2016年がやってきた-精神年齢は(実年齢-40)歳で。
2017年の春が来た-続・精神年齢は(実年齢-40)歳で。①

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 4月8日に放送されたNHKBSプレミアム「ぐっさんのニッポン高速道路トラック旅!」は,ぐっさんのトラック旅第4弾で,九州の佐世保から北海道の釧路まで列島横断2,300キロだそうです。今回も,ぐっさんが入れ替わりのゲストとトラック運転手とともに,トラックで日本の高速道を縦断する,という番組でした。
 日本横断なので第1弾と似ているのですが,今回は九州道,中国道と通って,その先は日本海側に沿って走るというのが趣向でした。私は,何も冬の日本海側を走ることもないでしょう,と思ったのですが,そこが冬の景色を見せるためのねらいだったのでしょう。しかし,日本海側はまだ高速道路は全線が開通していないので,途中からまた東北道を走り,フェリーで北海道に渡りました。

 私は,これまでに,九州道も中国道も端から端まで走ったことがあります。
 私がはじめて九州道を走ったときはまだ高速道路が九州にできたばかりのころだったので,九州では高速道路を走りなれていない車が流入時に一旦停車をしてしまっていたりと,おかしな思い出がずいぶんとあります。しかし,さすがに,北陸道の富山から北だけは走ったことがありません。新潟県の親不知・子不知にはいつか行きたいなあと思っていたので,その景色だけは興味をもちました。
 それにしても,今回見ていて思ったのは,日本では高速道路といいながら,片側1車線のところが非常に多いということです。アメリカでは片側2車線以上でないとインターステイツとは呼ばないのですが,それとは大違いです。しかも,将来片側2車線にするために,現在は,将来の片側2車線となる片方の道路を相互通行としているだけなので,非常に車幅もせまく走りにくく危険で,事故が多発しています。そんなありそうもない将来のことを考えるよりも,もう1メートルでも広く余裕をもって作れば,中央の分離帯に余裕ができるのでずいぶんと安全になると思うのに,こういった余裕がないのが,さすがにせこい日本です。

 しかし,いつも書いているように,結局のところ,日本の「よさ」というのはグルメしかありませんから,番組をグルメ中心ににしてしまうか,それとも,地元の人との交流にしてしまうか,などに絞らないと,たった1時間30分の番組が中途半端に終わります。しかし,地元の人との交流やトラックドライバーの人間模様なら,トラックを使ってヒッチハイクをするという民放の番組のほうがずっとすぐれています。
 風景を見たところで,特に行きたいなあと思うようなところも,走ってみたいなあ,と思うようなところも,日本にはあまりありません。むしろ,私は,どこも走りにくい道路だなあ,と思うだけです。どうして,日本はこんなふうに道路を作るのでしょう?
 それでも,景色の美しい場所もあります。そんな場所では,ドライバーもそれを見たいと思うのが自然です。であれば,景色のよいところには駐車場と展望台を作ればいいのですが,そういう場所すら作らないからわき見運転をして危ないのです。日本の高速道路には,道の駅だとかサービスエリアはありますが,景色を楽しむだけの展望台はありません。結局のところ,そこを利用する人にいかにお金を使わせるか,しか頭にはないのです。金もうけだけなのです。景色を楽しんでゆっくりしてもらおう,などという気持ちはないのです。桜が咲けば酒を呑んで騒ぐだけでゴミの始末すらしていかないのと同様です。日本人は本当に精神的に貧困で愚かです。

 そうした日本の状況と日本人を再認識できる,というのが私にはこの番組の利点に思えます。特に,化女沼レジャーランドといった今は廃墟となった遊園地など,こんな場所,日本にはどこに行っても山ほどあって,狭い日本をさらにゴミだめにしています。廃墟マニアも結構ですが,どうしてこうもどこもかしこもこうしたバカなものを作っては日本をさらに汚くしてるのかと,私は憤りを覚えます。
 番組自体は,まあ,これといってたいした主張もねらいも問題提示もないのですが,他事をしながら見るには適当な番組でしょう。それにしても,今回は,特に何を考えているのか,総合テレビで「ブラタモリ」をやっているその裏番組にしてしまうというのが「NHK,何を考えているの?」という感じです。こういう番組を見る人たちは同じなのですから。録画することのできない人には悲劇です。
 しかし,こんな展開で毎回番組を作っていては,せっかく大型トラックを購入してもすでにネタ切れ,マンネリです。狭い日本,もう,行くところなんてありません。こんなことなら,いっそ「日本廃墟めぐり」にでもしたらいいと突っ込みを入れたくもなります。果たして半年後に次回の続編はあるのでしょうか? 
 前にも書いたかもしれませんが,私は,アメリカのインターステイツをコンボイで10,20,…,90と横断するか,5,15,…,95と縦断する番組でも企画してくれるのを密かに期待しています。秘境へ行ったりヒマラヤの山を登るドキュメンタリーを作るよりははるかに簡単でしょう。

◇◇◇
「高速道路トラック旅」①-日本が狭いことを実感した
「ニッポン国道トラック旅」①-画像処理の様な旅
「ニッポン国道トラック旅」②-グルメこそ楽しみ

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 私はアメリカを旅行しても,アメリカのテレビ事情がさっぱりわかりません。一流ホテルならともかく,私の泊まるような二つ星ホテルでは,何がどうなっているのか,見たい番組を探すのが大変です。
 そこで,アメリカのテレビ放送がどういうシステムなのか,一度調べてみようと思いました。

 しかし,考えてみれば,日本のテレビ事情ですら,本当のところ,よくわかりません。
 我が家は地上波デジタル放送はもちろんのことBS放送もCS放送もスカパーのプレミアムサービスも見られるので,それが当たり前だと思っていたのですが,今でもBS放送が見られないという家も結構あるみたいです。
 日本でも,ホテルに宿泊したときには地上波デジタル放送は見られてもBS放送やCS放送は見られないことも多いです。そこでまず,日本のテレビ事情についておさらいです。

 昔は日本のテレビではチャンネルが1から12までついていました。そのチャンネルに地方によって異なった放送局が5つくらいあてがわれていました。 
 その当時アメリカを旅行すると,テレビのチャンネルが13まであってびっくりしたものでした。
 そのうちUHF放送とかいうのができて,特別な器械を買って接続しないとそれを見ることができない,というあたりから,複雑になってきたように思います。 
 現在は,地上波デジタル放送,BS放送,CS放送があって,BS放送とCS放送は無料放送(NHKの受信料は別として)と有料放送があります。さらにスカパーにも現在は2種類あるので,もう何が何だかよくわまりません。スカパーに「スカパー」と「プレミアムサービス」があるなどという名前の付け方からしてさらに混乱に拍車がかかっています。
 まるでイオンのやっている「WAONポイント」と「WAON POINT」が違うものだ,というのと同じです。

 では,アメリカのテレビ事情はどうなっているのでしょう? アメリカはケーブルテレビが発達しているという噂はよく聞くのですがそれはいったいどういうことなのでしょう?
 こういう状態だから,ホテルに泊まったときにも,テレビのシステムがさっぱりわからないのです。とはいえ,テレビを見るために旅行をしているわけではないし,私がアメリカで見るものといえば,ABC放送の「Good Morning America」とNBC放送の「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」くらいです。これらが見られればそれで十分なのですが,それでも,ものすごい数のチャンネルからこの2局を探すのにひと苦労しています。

 アメリカでは,地上波局は,現在,ABC,CBS,CW,FOX,NBCの5局です。以前はこの地上波はテレビを購入して電源を差し込めば無料で受信できたそうのですが,アメリカも日本と同様デジタル放送に切り替わり,地上波局といえども,ケーブルテレビで受信料を払わないとテレビの視聴ができなくなりました。
 代表的なケーブルテレビプバイダーは,コムキャスト(Xfinity),タイムワーナー,COX,ベライゾン,AT&T,ディレクTVなどです。
 このケーブルテレビで見られる局は「ベーシック・ケーブル」と「プレミア・ケーブル」のふたつの種類があるそうです。「ベーシック・ケーブル」とは,広告収入と受信料で成り立っている局で,全米で約300局存在し,平均月額60ドルほどの受信料を払うとそのうちの100局ほどが視聴できるということです。「ベーシック・ケーブル」に属する有名な局は,FX,TNT,USA,AMC,Lifetimeなどです。
 「プレミア・ケーブル」は,1局あたり20ドルほどの料金を払うと見られる広告なしの放送局で,受信料で成り立っています。Showtime,HBO,Playboy Channelなどがあり,各局がさらに枝分かれしてドキュメンタリー専門局,映画専門局,オリジナルのテレビ番組専門局などを設けています。以前は「ベーシックケーブル」にあった局でも,面白い番組を放送する人気のある局はどんどんパッケージから外される傾向にあるのだそうです。
 ホテルではそのホテルごとに契約しているケーブルテレビプロバイダーが異なるから見られる番組やシステムが違うということなのでしょう。

 アメリカでは初期の加入料が安くても,それはアメリカらしい完全に騙しのトリックセールスで,入会した最初の6か月は20ドル以下で100チャンネル視聴可能! となってはいても,半年も経過すると一気に値段が上がったり,安いベーシックチャンネルだけのサービスに加入にすると肝心の映画,ドラマ,スポーツ,カートゥーンなどはプレミアチャンネルにアップグレードしないと視聴できないようになっているのだそうです。
 要するに,日本の悪しき携帯電話キャリア3社の料金体系は,このアメリカの悪しき商法を見習っているわけです。
 アメリカでは,近頃,視聴者はケーブルテレビに加入せず,Netflixやhuluなどの月額低料金サービスに切り替える傾向になってきています。そういう人たちは「コードカッター」(=ケーブルのコードを解約してテレビを見なくする)と呼ばれています。
 日本ではNHKが受信料を徴収していますが,民放と呼ばれる局は無料で視聴できます。そして,BS放送やCS放送には無料放送と有料放送があります。日本の場合はNHKの受信料を財源として,それを支払っている広く薄い負担で整備されたインフラの上に,民放局の一般放送も有料放送も乗っかった形になっているので,もし,NHKの受信料がなければ,いくら広告収入があっても無料の民放局は成り立たないということになります。

DSC_1417DSC_1416DSC_1437DSC_1436●関ヶ原の古戦場のようなところ●
 ワシントンDCの北90マイル(約144キロ)のところにゲティスバーグという美しい町がある。
 ここは,リンカーンが「人民人民による人民のための政治」という有名な演説を行った場所としてあまりにも有名なところであるが,その前年の1863年7月1日から3日間に渡り,南北戦争はこの場所で16万5,000人の兵士が激突し,5万人以上の死傷者を出した。いわば,規模は違うが,日本の関ヶ原の古戦場のようなところである。
 旅をしていてその地の歴史をしらないほど情けないものはない。私はテキサス州へ行ったときもそれを痛感したが,東海岸を旅すると,なおさら,それを強く感じることになる。
 そこで,今日は,まず,南北戦争について,簡単に書いておくことにする。

 南北戦争( The Civil War)は,アメリカ合衆国23州とアメリカ連合国(Confederate States of America)11州との間で行われた戦争である。アメリカ連合国とは奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうちの11州が合衆国を脱退し結成したものである。
 1850年ころのアメリカは南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。南部では黒人労働奴隷により支えられていた農業中心のプランテーション経済が盛んで,綿花をヨーロッパに輸出することが経済の基盤だったから,自由貿易を望んでいた。一方,北部では急速な工業化が進展しており,新たな流動的労働力を必要とし,奴隷制とは相容れなかった。また貿易の競争力を優位に保つために保護貿易が求められていた。
 その結果,北部と南部の対立が激化していった,この対立は,フランスからルイジアナ・テリトリーを購入したことと,メキシコからテキサス共和国とカリフォルニア共和国を加えたことで,北部と南部の均衡が崩れることになり,やがて先鋭化し,鎮静化が不可能な地点にまで達したのだった。

 1860年11月の大統領選挙で奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選し,同年12月にはサウスカロライナ州が合衆国からの脱退を宣言。翌1861年2月までにミシシッピ州,フロリダ州,アラバマ州,ジョージア州,ルイジアナ州,テキサス州も合衆国からの脱退を宣言し,翌年2月4日にはアメリカ連合国を結成した。
 そして,3月4日にリンカーンが大統領に就任すると4月12日に南軍が合衆国のサムター要塞を砲撃して戦端が開かれたのだった。

 南北戦争の主な戦線は東海岸の東部戦線とアパラチア山脈以西の西部戦線であるが,このうちで規模の大きな戦闘が繰り返し起こったのは東部戦線だった。この東部戦線での戦局が持ち直したのを見たリンカーン大統領は,1862年9月に奴隷解放宣言を発した。翌年の1863年,南軍のリー将軍は再度の北部侵攻に出たが,ゲティスバーグの戦いの末,再び後退を強いられたのだった。
 11月19日,ゲティスバーグの戦いにおける戦没者のための国立墓地献納式典においてリンカーン大統領が行ったのが,ゲティスバーグ演説として知られる有名な演説である。
 戦争が長期化するにつれて,北軍が優勢に立つようになっていき,南軍は1865年4月3日に首都リッチモンドから撤退,アポマトックス・コートハウスの戦いでリー将軍が降伏して,南北戦争は事実上終了した。

 私は,快適なカントリーロードを走って,やがて,この古戦場の一角にある「ゲティスバーグ古戦場博物館とビジターセンター」(Gettysburg National Military Park Museum and Visitor Center)の広い駐車場に到着した。

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●アメリカの道路の美しさと走りやすさ●
 ボルチモアを出発して,今日の目的地はランカスターであった。アーミッシュが住むというランカスターへぜひ行ってみたと思っていたが,そこがどういった場所なのかは全く見当がつかなかった。地図で調べてみると,ボルチモアからランカスターまではさほど遠くないので,ボルチモアから直接ランカスターには向かわず,その前に,少しだけ時計回りに迂回してゲティスバーグに寄ることにした。
 このあたりは,関東平野を旅していて,どこへ行こうか迷っているようなものだ。アメリカは広い。しかも,このあたりはアメリカの歴史と文化そのものである。私は,再び来ることができるとも限らないから,この旅ではこれまで行ってみたいと思ったところへは,少しでも多く足を運ぼうと思っていたのだった。

 ボルチモアからインターステイツ795を北西に走り,途中から州道140をウェストミンスターまで行って,そこで州道97に進めば,ゲティスバーグに到着する。この間は今日の写真のようなのどかな片側1車線の道路が続いていた。
 いつも不思議なのは,観光地に至るまでのアメリカのこうした道路は,どこもほぼ渋滞知らずで交通量が少なく,そして,ゴミひとつおちていないのに,現地に到着してみると,たとえそこがどれほど辺鄙なところであっても,どこから集まってきたのかと思うほど,人と車であふれているということである。

 それにしても,この写真にあるように,こうした道路の美しさと走りやすさはどうであろう。
 アメリカの道路は統一された黄色のセンターラインと路肩のホワイトラインがドライバーの生命線であってとても走りやすい。これがない道路は存在しないから,余分な注意力を必要としない。たとえ真っ暗な夜道であっても,このラインさえ確認できれば安全であるし,逆走もしない。
 日本の道路のように,くだらない色が塗られていたり,意味のないポールが道路の真ん中に存在したり,注意書きがごちゃごちゃとあっても,こうした最も大切なラインが消えかかっていたり,さび付いたガードレールが道路際がどこであるかを不明にしていたり,夜になると空に放たれた街灯が視野を眩しくしてむしろ危険であったりすることがない。
 さらに,道路が景観を台なしにしていることもなければ,周囲の家々や牧草地などが朽ちていたりすることもまったくない。
 改めてこういう風景を写真で見ていると,本当に日本を旅することがますます嫌になってくる。

 そのうち,私は,ゲティスバーグに到着した。
 ゲティスバーグ(Gettysburg)はペンシルベニア州南部アダムズ郡にある町で人口は7,500人ほどである。ここは南北戦争においてゲティスバーグの戦いが行われた地としてあまりに有名である。また,戦場跡においてリンカーン大統領が行ったゲティスバーグ演説は名演説として知られる。
 南北戦争の激戦地となったあちらこちらには,当時の激戦地を記憶するための記念碑が立っていて,車でそれらを巡ることができるようになっているのだが,その広さもまた,只者ではないのである。 

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 では今日はラブジョイ彗星(2017E4 Lovejoy)とパンスターズ彗星(2015ER61 PasSTARRS)のお話です。

 ラブジョイ彗星は,オーストラリアにすむテリー・ラヴジョイ(Terry James Lovejoy )さんの発見した6番目の彗星です。これまでに発見した5個の彗星については,すでにこのブログに書きましたが,天文台の大規模サーベイで主な彗星が暗いうちに発見されてしまう今,こうして個人で彗星を発見している数少ない人です。
 この彗星は発見されたばかり。急激に明るくなっていて,天文雑誌の今月号にも載っていません。
 発見の様子は新天体発見速報に以下のように書かれています。
  ・・・・・・
 Terry James Lovejoy(Birkdale, QLD, オ-ストラリア)の通報によると,Celestron C14 f/1.9反射望遠鏡 + QHY9 カメラで得た3月9.684日UTから5分間隔の8秒露出3枚から拡散した彗星を発見した。中央集光のあるかすかな16等で,拡散したコマは1'よりもほんのわずかであった。
  ・・・・・・
 この彗星はペガサス座を移動中で,現在7等星。北半球では4月下旬まで明け方の空に見えます。私は,前日,この彗星のことを知ったばかりなのですが,幸運にもすぐに写すことができました。写真では細く長い尾が伸びていて,とても美しい姿でした。

 一方,パンスターズ彗星は発見時は小惑星と分類されていましたが,その後,彗星に改められたものです。私が先日行ったばかりのハワイ・マウイ島にあるハレアカラ山頂のPanSTARRS1望遠鏡で2015年3月に発見されたものです。
 こちらは,5月に7等星まで明るくなると予想されていますが,明け方の東の空にずっと低く,条件がよくないと写せません。地平線に近いので,私が写した写真にも電線が写ってしまいましたが,8等星くらいで思ったよりも明るくてびっくりしました。

 私は,この日,午前3時から写しはじめたのですが,午前4時を過ぎるとすでに東の空が白みはじめました。そんなわけで,結局,夜明けとの競争になりましたが,この日は,幸いとても空の条件がよくて,夏の天の川が美しく横たわっているし,いつもは明るい南の空もさそり座がしっかりと一番下まで見えていたので,予定していた4つの彗星とも写すことができました。
 赤道に近いハワイでは夜明けが6時過ぎだったのでうっかりしていましたが,もう春分の日も過ぎたので,日本では日の出が5時30分過ぎだったのですね。素晴らしい日の出を見ながら帰路に着きました。

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星を見るのも大変だ-クリスマスの大彗星①
星を見るのも大変だ-彗星発見プロジェクト②

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 ハワイから帰ってきて,未だに体内時計が変です。というか,それを直す気もありません。
 私は通常,睡眠時間は4時間から5時間で,午後11時過ぎに寝て朝は午前4時ごろに起きます。「眠るにも体力がいる」といわれます。歳をとるとみな早起きになるらしく,早朝に目覚めたあとが辛い,とよく聞きます。そこで,まだ夜が明けきらない時間に散歩をしている人さえいます。
 私はそんな時間はテレビで録画したクラシック番組を見ているのですが,これが至福の時間です。気分がよいとそこで自然に2度寝に入ります。寝る前にテレビを見ると消すのを忘れるということもありますが,明け方ならそんな心配がないのも利点です。旅先でも起床時間は同じようなものですが,旅先ではこの時間にお風呂に入ります。これが気持ちがよいのです。

 ハワイと日本では時差が5時間あるのですが,それでもまったく時差ぼけなど感じない代わりに,帰国後,就寝時間と起床時間がずれたままになっています。そんなわけで本日の起床時間は午前1時すぎ。それでもハワイなら朝の6時です。これを幸いに,星見に出かけることにしました。
 この春は,明るくなった彗星を4つも見ることができるのです。
 この彗星たちは北の空と東の空にあるので,いつものようにそのあたりの空の暗い北に向かって車を走らせました。4月とはいえ寒くて,外の気温は1度ほどでしたが,風がありませんでした。風があると体感温度が低く寒いのですが,レンズに露がつかないので,私にはむしろその方がよいのですが,そんな贅沢はいっていられません。

 明るくなった彗星とは,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星(41P Tuttle-Giacobini-Kresak),ジョンソン彗星(2015V2 Johnson),ラブジョイ彗星(2017E4 Lovejoy)そしてパンスターズ彗星(2015ER61 PasSTARRS)
です。
 このうち,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星(2番目の写真)とジョンソン彗星(3番目の写真)は先月も写したのですが,ともに北の空にあって,ずいぶんと明るくなりました。タットル・ジャコビニ・クレサック彗星はハワイで写した北斗七星の写真にも写っていました(今日の1番目の写真)。このように北斗七星に近いので簡単に探すことができます。双眼鏡でもきれいに見えます。ジョンソン彗星はりゅう座にあって,天頂に近いので,逆にめんどうです。探すためにファインダーをのぞいていると首が痛くなります。

 今月はさらに,ラブジョイ彗星とパンスターズ彗星が東の空低く昇ってきました。これらの彗星については情報が少ないのですが,実際はかなり明るく見ることができました。
 このふたつの彗星について詳しくは次回。

いよいよ帰国です。
今回,セントレア・中部国際空港からハワイ・オアフ島のホノルル国際空港までは行きが約7時間で帰りが約9時間かかりますが,この間はデルタ航空のチケットを購入しました。そして,オアフ島のホノルル国際空港からマウイ島のカフルイ空港まではわずか30分ですが,これは別にハワイアン航空のチケットを購入しました。こうすると接続がよい時間を自分で選択できます。そして,ホテルはまた別にエクスペディアで探しました。
私は,これで,昨年と今年2年連続で春にハワイに行くことになったのですが,このように行き方もハワイでの過ごし方も大体わかりました。その結果,ちょっと東京へという感じで行くことができるようになりました。ハワイは,景色は日本とは比べるべくもなく素晴らしく,また,気候も寒くなく過ごしやすいところですが,物価は非常に高いです。ガソリンの値段は日本並みですし,ホテルも食事も高いのです。
今日はホテルの目覚まし時計とiphoneを朝5時に設定しましたがいつものごとくそれより早く起床しました。そして朝7時にホテルをチェックアウトして空港に向かいましたが,空港まではわずか10分くらいで着きました。
今回,マウイ島に行ってみて,昨年行ったハワイ島に比べると,ずっと人も車も多いように感じました。空港も素朴なハワイ島とは違ってかなり広く,さらに拡張工事中でした。実際はハワイ島のほうが人口が若干多いのですが,面積がハワイ島のほうが10倍近く広く,ハワイ島に比べてマウイ島のほうがリゾートホテルなども多いので,ハワイ島のほうが人が少なくのどかに感じられます。たしかにマウイ島もいいところでしたが,私には,ハワイ島のほうがずっと思い出に残りました。

レンタカーを返して,レンタカー会社のシャトルバスで空港に行ってハワイアン航空のチェックインをしました。帰りは途中で観光をすることもないので,カバンは預けず,キャリーオン,つまり,機内持ち込みにしました。
搭乗時間まで2時間程度あったので,空港のスターバックスで朝食をとったりとのんびり過ごし,時間になったので搭乗しました。機内ではケースに入ったジュースを配っているのですが,それを飲み終える暇もないほどの時間でホノルルに着いてしまいます。ハワイアン航空の座席は窓際を選んだので,眼下にはモロカイ島とラナイ島がよく見えました。モロカイ島にはいつか行くことがあるのかな? と思いました。その気になればいつでも行けるのですが,世界にはもっとほかに行きたいところがたくさんあるからです。
ホノルルの空港に着陸して,空港の外には出ないでそのまま国際線のターミナルまで乗客が私ひとりのシャトルバスで行って,国際線の21番搭乗ゲートで直接チケット発券してもらい,出発までラウンジで過ごしました。やがて搭乗時間になったので搭乗ゲートに戻って乗り込みました。今回の旅は私には珍しくすべての飛行機はまったく遅れがありませんでした。
あまり意識していなかったのですが,ここはすでにマウイ島ではなくオアフ島なので,機内にはこれまで見かけなかった日本人がたくさん乗っていました。ほとんどの乗客はホノルルで休日を過ごした日本人観光客でした。学校が春休みで,結構若い女性がたくさん乗っていました。彼女たちにすれば,ホノルルで休日をすごすのと浦安のディズニーランドで休日を過ごすのは大差ないようです。若いころにホノルルのような観光地に来ても車で走り回れることもないから,結局食べ歩きをするくらいのもので,ほとんど得られるものはありません。もっと若いころしか行けないようなところへ出かけてさまざまな出会いを経験をするほうがいいのにな,と私は思ったことでした。

日本とハワイは赤道に沿って飛んでいるので,行きも帰りもさほど時間の変わらないオセアニアを往復するのと違って,行きはとても短く,帰りはジェット気流に逆らうのでずいぶんと時間がかかるのです。この日は午後1時に出発して日付変更線を越え日本の到着が翌日の5時ということなのですが,地球が飛行機とほぼ同じ約時速1,000キロという速度で回転していて,飛行機は地球の回転とは逆方法なので,絶対座標でみれば,4時間ほど飛行機が後ろにさがっている感じになるのです。
セントレア-ホノルル便は成田-ホノルル便に比べて空いていて,行きも帰りもグレードアップされてデルタコンフォートに座った私の隣の席は空いていてとても快適でした。帰路は日本に着いてしまえば夜なので,機内では寝ることもなく映画を見て過ごしました。
やがて,日本に近づいてきました。窓からは伊勢湾に沈む美しい夕日が見えました。

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明日の朝には帰国便に乗るので,実質今日が最終日です。
今日はこの島で一番気に入ったハレアカラの山麓にあるクラまで行って,素朴な島の様子を堪能しようと思いました。そして,その途中でグルメを楽しむことにしました。観光旅行といえばショッピングとグルメなのでしょうが,私はともに興味がないから,私が食べ歩きをしようというのも珍しい話です。狙いはB級グルメです。
まずはホテルに隣接するレストランの「タンテス」で朝食をとりました。その目的はポーク・アドボ・フライド・ライスというのを食することでした。要するにこれはサイコロ型のポークがふんだんに入ったイタ飯に卵焼きが乗っかっているもので,日本人の口に合います。美味しかったのですが,量がとても多いのだけは参りました。満腹になってしまえばこの後の食べ歩きができません。しかし,完食しました。
次に目指したのはマカワオの町にある「コモダベーカリー」の串刺しドーナッツです。「地球の歩き方」には朝の10時には売り切れるとありましたので,急いで行きました。朝9時にマカワオの町に着いたら,さすがにまだ車を停めるスペースはたくさんありましたが,すでに店の前には多くの人が買い求めるために来ていました。串刺しドーナッツは1本1ドルちょっとでした。ドーナッツがみたらしのでかい感じで串に刺したもので,あんドーナツのような昔なつかしい味でした。
マカアオの町は周辺に牧草地帯が広がることからカーボーイの集う町ということです。ドーナッツを食べてから近くのよろず屋で飲み物と買おうとなかに入ったら,威勢のよい声に迎えられました。このお店とても安いのです。私の買った飲み物は値段に2セント端数があったのですが,端数分をさりげなくおまけしてくれました。昔の日本のような店でした。

そのあと,クラあるラベンダーガーデンへ行こうと思って車を走らせました。ラベンターガーデンに行くその途中に植物園があったので,なかに入ってみました。この植物園のことは「地球の歩き方」にも全く載っていませんが,人も少なく小鳥のさえずりがしてのどかなよいところでした。
植物園を出て,次にいよいよラベンダーガーデンへ行こうとしたのですが場所がよくわかりません。地図を参考に,きっとこの道だろうと狭い道路を曲がってずいぶんと山を登って行ったのですが,曲がるところに案内があるわけでもなく,しかも曲がってからも延々と山に向かって登っていくので,ここでいいのかと不安になった頃,広大な敷地にラベンダーガーデンがありました。このラベンダーガーデンは高台にあるのでマウイ島のくびれの部分が全て見渡せて,とても景色の良いところでした。
ラベンダーガーデンを出てからさらに行くとワイナリーがあるということだったのですが,そこもまた思ったより遠くて,そこに至るまでにはほとんど車も通っていなくて次第に心配になりました。ラベンダーガーデンもそうだったのですが,行くまではほとんど車もすれ違わないのに,駐車場に着いてみるととても多くの車が停まっているのがいつも不思議です。
ワイナリーからの帰り道,ココイチバン屋(日本のカレーライス店とは無関係です)とかいうレストランがあると「地球の歩き方」に書いてあったので行ってみたのですが,あるという場所にはお店が存在しませんでした。
そこで「サムサトウズ」という大衆食堂に行くことにしました。このときの時間が午後1時30分。「サムサトウズ」は午後2時までということだったので間に合うかどうか配だったのですが,なんとか1時50分に着きました。
駐車場には多くの車が停まっていました。名物のドライヌードルというのを注文しました。これは日本のソース焼そばそのものです。ここもとても安いのです。
食べ終わってお金を払うときに,レジにいた若者がこの店の主人のようでしたが,日本人顔だったので日本語ができるかと聞くとできないということでした。おそらく日系3世,あるいは4世なのでしょう。私が日本から来たというと,ひとりかと聞くのでそうだと言ったら,お土産に(ご褒美に?)おまんじゅうを2個くれました。白あんでした。

今日の観光はこれで終わり。まだ早かったのですが,ホテルに戻って帰りの荷造りをすることにしました。ホテルに帰る途中にいつも行くマウイモールでパイナップルを買って食べることにしました。マウイパイナップルは1個たった99セントなのです。しかし,まるまんま1個買っても食べきれないので,カットしたのを買いました。パイナップルは甘くておいしかったです。
今日は1日食べ過ぎたので夕食を食べに行くのをやめて,3日前に買ったのにフォークがなくて食べることができなかったカップヌードルを食べることにしました。現地生産のとてもまずいカップヌードルでした。
これで私の今回のマウイ島観光は終了です。
明日は飛行機に乗り遅れるといけないので,早く寝ることにします。

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さて6日目になりました。1日目はオアフ島の真珠湾へ行って夜マウイ島に到着したので,マウイ島では5日目ということになります。
あと終日の滞在は2日間です。昨日までにマウイ島の主だったところには行ったので,今日は再び西側のふくらみを海岸線に沿って時計回りに,レンタカーで通行禁止の手前まで行って,帰路,ゆっくりと観光をしながら戻って来ることにしました。
まず途中で停まらずマウイ島の最北端ホノコハウまで行ってみました。最北端のあたりになると次第に道が坂を登っていくので,ものすごく風景が雄大で,天気がよかったこともあって最高でした。
まだ先まで行けそうだったのですが,そろそろ引き返すことにしました。レンタカーを借りるときにもらった地図には最北端の先は通行は禁止と書かれてあるのですが,マウイ島というところは地名の書かれた標示板が全くないところで,いったい今いるのが地図上のどこなのかサッパリわからないのです。カーナビも予約したのに貸してくれなかったし,というよりカーナビが要るほど道路がないのですが,地名がわからないのだけは参りました。
最北端からの帰路,主だった場所で車を停めながら観光をしました。ハワイに限らずアメリカで最も問題なのは,意外に思われるでしょうが駐車場探しなんです。観光地ではほとんどの道路に駐車帯があるのですが,空いていたためしがないのです。無料の公営駐車場があったりすることも多いのですが,やはり車が一杯でスペースを探すのが大変です。したがってどうしても停めたい場所では有料駐車場を利用するしかありません。
戻る途中,北から順にホノコワイ,カバルアといった新しいリゾートがあるのですが,そこは一流ホテルやらコンドミニアムがあるだけで海岸以外にはみるべきものもありません。さらに戻っていくと,カアナバリというリゾートがあります。このリゾート地のなかにはハワイ島のリゾート同様,ゴルフ場やら博物館やらショッピングセンターやらがあっておそらく日本からツアーで来るとこういうところに泊まるのだと思うのですが,私には無縁の場所です。
さらにその南がラハイナです。ここはリゾートというよりもハワイの古都,1845年までハワイ王国の首都だったところです。ここはちょうど私が昨年泊まったハワイ島のカイルアコナを大きくしたような感じでしたが,カイルアコナのほうがずっとのどかです。ここもまた車を停めるのに苦労しましたが,有料駐車場に2時間停めて歩いて歴史的施設を見てまわることにしました。史跡を巡るコースが整備されているのですが,多くの人はショッピングをしているだけて,私のようにこうした観光をしている人はほとんどいませんでした。日本のお寺も3つありました。

このようにリゾート地や町が点在するマウイ島の西海岸ですが,どこも海水浴客で大賑わいでした。海の向こうには,右手にはモロカイ島,左手にはラナイ島がとてもきれいに見えました。
ハワイには100以上の島があるそうですが,大きなものは8島,そのうち観光で行けるのは6島です。6島のなかで多くの人が住み日本人観光客が行くいわゆる「ハワイ」というのは大都会ホノルルのあるオアフ島(O‘ahu)ですが,ハワイで一番大きい島は私が昨年行ったハワイ島(Hawaii)です。そして今年来ているマウイ島(Maui)とまだ行ったことがないカウワイ島(Kauai)が面積ではオアフ島と同じくらいですが人口はずっと少なくなりますし,日本人もほとんどいません。
私は6島制覇を目指しているのですが,カウアイ島はマウイ島のように観光ができるので来年にでも行こうかなと思っているのですが,残りのモロカイ島(Moloka'i)とラナイ島(Lāna'i)は ツアー客が行くには少し大変な島です。モロカイ島はツアー旅行がなく個人で行くしかないということなので,私には逆に願ったりかなったりですが,ラナイ島に至っては島には舗装道路すらなくレンタカーも保険の効かないジープのみということなので,行ってどうするの? という感じです。
さらに補足をすると,これら6島に加えて,カホオラウェ島(Kahoʻolawe)とニイハウ島(Ni'ihau)があります。カホオラウェ島はハワイ王朝時代の流刑地であった後にアメリカ海軍の演習基地となり,現在も不発弾が残る「禁断の島」で観光はできません。また,特筆すべきはニイハウ島です。この島はロビンソン・クルーソーとは関係ないみたいだけれど同じ名前のロビンソンさん個人の持ち物で,その末裔だけが住む人口100人余り(270人余りと書かれてあるものが多いのですが最新の調査では100人余りに減っているそうです)の島です。外界とは遮断されているそうですが,近頃,島民との接触を避けるという条件で上陸だけが許されるヘリコプターツアーがあるとかいう話で,そんなことを知ると行ってみたくもなります。
このように,ハワイといっても奥が深いのです。トウキョウはニホンでない,ニューヨークはアメリカでないとよくいいますが,そう考えるとホノルルはハワイではないのかもしれません。

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マウイ島のハレアカラ山頂で夕日が沈むのを見てその後に現れる満天の星空に感動したいということは誰しも思うでしょうが,自分で運転できなければ,こうしたツアーに頼るしかありません。昨年の春に行ったマウナケアは有名なので数多くのツアーがありました。また昨年の秋に行ったニュージーランドのテカポ湖は気軽に行けるのでやはり多くのツアーがありました。私がマウイ島で参加したのはマウイオールスターズというツアーだったのですが,実際は山内さんがオーナー兼ガイドをやっている個人営業みたいでした。つまり山内さんがやらなければマウイ島では日本人を対象とした星を見に行くツアー自体がないわけです。
そもそもマウイ島に来る日本人自体が少ないのです。こうしたツアー,マウイ島では州の規定で一度に11人までしか認められていないということで,私が参加したときは,4人連れの家族と5人連れの家族,そして日本語ペラペラの中国人と私でした。
ツアーはまずドーナッツ屋さんへ行ってドーナッツを食べて,次にスーパーに寄って夕食のお寿司を買って,それから山に登って夕日を見て,暗くなるまで待って望遠鏡で星を見るというものでした。日が沈む前,ハレアカラの山頂からはハワイ島のマウナケア山頂にある天文台のドームがきれいに見えました。実はハワイ島にあるにもかかわらずマウナケア山頂のドームはハワイ島からはマウナケアの山頂に登らないと見られないのです。
このガイドさん,もともとは日本で芸能人のマネージャーをやった後でアメリカ本土でレストランをやっていたのが911テロで立ち行かなくなって,ハワイに渡って車と望遠鏡を買ってツアーを始めたという経歴だそうで,人生の悲哀を知り尽くしているという感じでした。
失礼ながら星の知識は素人で間違いだらけでしたが,ガイドさんの人柄が幸いして満天の星空を見たいという人たちのニーズは満たしていました。
海外で生きている日本の人はなんらかの事情を抱えていたりもするのですが,だれも人間の大きさという点でとても優れているし魅力があります。日本で無難に生きるという道を選んだくせにやたらと威張っている公務員や教師とは対極をなすものです。彼らは組織というオリのなかでは権威を誇っていて,やれ文書の書き方が違うだとか生きることは忍耐だの根性だのとかいう精神論にはうるさいけれども,世界という野に放たれれば赤ん坊同然で,狭い自分たちの常識では生きてゆけないのです。人生は一度きリ,私はそんなくだらない生き方はしたくありません。

私はこのツアーを待たず,すでに個人でハレアカラに車で登って夕日も満天の星空も見てしまっていたので,参加する必要もなかったのですが,ガイドさんからの現地の情報収集が目的で参加しました。その目論見どおりマウイ島についていろんなことがわかりました。
ところで,満天の星空を見たい,心ゆくまで南十字星を見たいという私の長年の願いは,昨年,ハワイ島に行ってかなえられました。今にして思うにやはり私はツイていたのです。昨年は南十字星が見たい一心でハワイ島に行ったのですが,ハワイでこの時期に南十字星は夜10時過ぎでないと昇ってこないのです。しかも北半球にあるハワイでは,南の空かなり低いところにしか昇らないのです。
ハワイ島に着いてからそれを知った私はずいぶんと落胆したのですが,滞在2日目に宿泊していたカイルアコナを深夜散歩していて,海岸に昇ってきた南十字星を,偶然,奇跡的に見ることができたのです。しかもその場所ではいつもはモヤがかかっていて,次の日から南十字星を見ることはできませんでした。
さらにその数日後の深夜,マウナケアに車で登ってみたら標高2,700メートルのオニヅカビジターセンターは南の空が地平線まで開けていて,満天の星空のなかで南十字星を再び見ることができたのでした。
日本に帰ってから調べてみると,やはり南半球でなければ南天の星空は十分には見られないと悟って,今度は秋にニュージーランドへ行きました。そして滞在中はずっと天気がよくて空高く昇っている南十字星とマゼラン雲を見ることができました。
そして今年です。マウイ島で星を見るにはハレアカラに登る必要があります。空の澄んだハワイといえども都会では明るくて星は見えないのです。しかし,私はもう今は夜の10時過ぎにハレアカラに登ってまで地平線すれすれの南十字星を見ようとは思いません。南半球の方がずっと条件がいいことを知ってしまったからです。
もし昨年行ったのがハワイ島でなくマウイ島だったら同じように南十字星を見ることができたかといえばかなり疑問です。そうだったなら,その後でニュージーランドに行ったかどうかもわかりませんから,当然,今年順序を逆にハワイ島に行ったかどうかもわかりません。
人生に「もしも」を考えればきりがないのですが,こうしたことを考えても私は本当に運がいいとしか思えません。

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5日目。日曜日です。
旅をするときはもっと曜日感覚を磨く必要があるなあと 来るたびにいつも思います。博物館が休みだったりやたらと混んでいたり,そういうことで困ることが多いからです。
今日を含めていよいよあと3日,水曜日の早朝に帰ります。この3日でマウイ島も大体のところはわかりました。この島は狭いので,ゴルフをしたり泳いだりショッピングをする人は別として,観光は4日もあれば十分にできます。幸い天気にも恵まれたのでやりたいことはほとんどやれました。
この島はとてもよいところです。星を見に来るにもハレアカラは3,000メートルでマウナケアの4,000メートルよりも低くそれだけ寒くなく天気もよく道路もよいのでずっと便利です。
今日は夕方からハレアカラの夕日と星空を見る日本語ツアーに参加することにしました。もうすでに個人でやってしまったので結果的に参加する必要もなかったのですが,到着した日に個人で行けない場合の保険をかける意味で参加予約をしてあったものです。希望は24日だったのですが,26日になってしまいました。参加者が少ないのでしょうか。ともかく現地の様子とかいろんな情報を得るには一度はこういうのに参加するのも意味があります。

ツアーは3時50分にバスがホテルに迎えにくるということだったので,それまで,植物園と砂糖博物館に行くことにしました。
私には珍しくホテルの敷地内にある「タンテス」というレストランで朝食をとり,今日のホテル出発はかなりののんびりムードで9時。
まず,車で10分程度のところにあるイアオ渓谷に向かったのですが,崖崩れで閉鎖されていて行けませんでした。次にその近くのマウイトロピカルプランテーションという植物園に行きました。ここは入園無料ですが園内を回る案内付き電気自動車に乗ると乗車料が要ります。園内はものすごく広くてこの地方の植物がたくさん見られてすごく癒やされました。
次に,また車で10分程度のところにある砂糖博物館に行きました。小さな博物館だったのですが,明治以降の日本人の移民を含め,この島の経済を支えたサトウキビ農業の歴史が詳しく展示されていました。その苦労を思うと涙が出て来ました。日本から移民が渡って来たのはわずか100年前のことです。彼らはサトウキビ畑の過酷な労働の末この地に眠っています。ハワイは素晴らしいところですが,こうした日本人移民のことをどこに行っても思い起こさせるので辛いです。
この博物館からさらに車で10分くらい行くとパイアという歴史的な街並みがあっていつも車を停める場所もないほど混み合っているのですが,そのはずれに日本のお寺と墓地が海に面してありました。墓誌には明治とか大正の年号が刻まれていて,日本から海を渡って来てこの地に眠る人たちの人生を考えて,私は感慨にふけってしまいました。
明治以降のこうした人たちのことをもっとわれわれは知らねばなりません。歴史は庶民の人生を語るものでなくてはいけません。権力抗争などは人間の愚かさを知る以外には学ぶ意味はありません。日本の教育はどうでもいいことはやたら細かく教えるのに,本当に大切なことは何も教えないし教師も知りません。
さて,ホテル近くのクエリーマーケットというモールにあるフードコートでゆっくり昼食をとって,いよいよツアーバスがやってくる時間になりました。
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4日目。
マウイ島に到着した日は曇り空で,マウイ島もニュージーランドと同じでこんなさえない天気が続くのかと思ったけれどさにあらず,だんだんと天気がよくなりました。さすが晴れ男です。おかげで昨日は夕日と満天の星空を眺められました。そうそう,山頂からはハワイ島のマウナケアも見えました。
今日も朝から快晴。そこで狭いこの島のいたるところををドライブすることにしました。ガソリンの値段は日本並みに高いのですがそれほど走るところがないので気になりません。
いつものことですが,到着後数日は長旅の疲れからか,もう二度と来るものかといつも思うのですが,3日目となるとすっかり気分は爽快となり帰りたくなくなるのです。
ヒョウタン形のマウイ島は西側の丸いふくらみの方の周回道路は北の一部がレンタカーでは通行禁止です。2日目に南を時計回りで走ったので,今日はまず,北側を反時計回りで通行禁止区間の手前まで行って引き返すことにしました。
東側のふくらみの方ですが,こちらの方が面積が広くて,こちら側の西側の海岸線を進む道路は最南端の手前で道がなくなります。そこで次にこの道路を走って行き止まりまで行って戻ることにしました。
東側のふくらみの中央にそびえるのがハレアカワで,先に書いた海岸線道路に並行してハレアカラの西斜面を南の海岸まで行き,そのまま反時計回りに島の東側のふくらみを周回する道路があります。こちらもまた,南の一部が通行禁止です。北側は昨日ハナまで行き,引き返して来ました。そこで最後にこの南側の道路を通行禁止区間の手前まで行ってみることにしました。

実際に走って見ると,この島のことがとてもよくわかりました。この島では私が泊まっているホテルのあるくびれの北側の部分がカフルイという島の最大都会で,経済の中心になります。くびれの南側から東西の海岸線に沿って天気がいいのでリゾート地になっています。ホテルやゴルフ場,アメリカ本土で大金を成してリタイアした人たちの別荘などが立ち並び,観光客でごった返しています。オアフ島のワイキキビーチみたいなところですが,ワイキキビーチとの違いは日本人がほとんどいないということでしょうか。ともかく,観光客にとってのマウイ島というのはこの辺りだけを指しますが,これはマウイ島の本当の姿ではありません。
そして,私が今日の初めに走った西側のふくらみの北側の海岸線は,高台に沿って,はいついたように家が建っています。また,ハエラカワの山麓には花が咲き乱れる美しい住宅地が広がっています。こうした場所は観光客には無縁ですが,とても素敵なところです。その先は溶岩台地で悠久の風景のなかを道路だけが続いています。
天気がよかったおかげで,ここから,マウイ島ハレアカラ山頂のドームととなりのハワイ島マウナケア山頂のドームをともに見ることができました。
ホテルへの帰り道,地元民御用達の「テイスティ・クラスト」というお店でロコモコを夕食がわりにいただきました。

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ハナへ行く途中には海岸線が眺められる展望台や滝などがあるということだったのですが,いくらくねくね道を走ってもいっこうにありません。それにこのあたりは北側から貿易風に乗って雲が発生するので常に天気が悪くて,この日も突然大雨になったりと散々でした。
実際は私が思っていたよりも進んでいなくて,もうくねくね道も終わりかなと思ったころからさらに本格的なくねくね道になって,そのころにやっと展望台や滝がありました。
こんなところでも人が住んでいて飲み物を売ったリしています。展望台にはトイレがあるのですが,ガソリンスタンドはハナまで全くありません。
拷問のようなドライブをやっと終えて,家が山の斜面に現れて来ました。やっと到着です。とりあえず海岸に下りてみました。
わざわざ来てもこの町の見どころは特に何もありません。小さな博物館と牧場とそれにハセガワというなんでも屋さんくらいのものです。それでも多くの人が来るのです。なんといっても秘境ですから。
それだけで引き返すのもなんなので,もう少しだけ先に行ってみることにしました。海岸沿いに進んでいくとコキビーチ,その先にハモアビーチがありました。ハモアビーチは太平洋で最も美しいとジェームス・ミッチェナーが書いたところ。本当にここは素晴らしく波の音に心が癒されました。この景色が見られただけで来た甲斐がありました。
さて,ここからは引き返すしかないので,またまたくねくね道を戻りました。往復で7時間くらい。日本からハワイまでの飛行時間よりもかかりました。
帰路,バイアという町の手前にサーファーズタウンがあって,高台から見下ろした海岸が絶品でした。これこそがハワイのイメージそのもので高い波がサーファーごころをくすぐります。ワイキキビーチなど問題になりません。
その後,一旦ホテルの手間のマウイモールまで戻って,モールにあるスーパーマーケットの一角にあるホールフーズというところでサラダやパンをケータリングして夕食としました。ここすごいんです。なんでも売っていました。寿司もあります。それらを自分でパックに詰めてテーブルとイスがあるのでそこで食べられるのです。
モールにはスーパーマーケット以外には元気寿司とかラーメン店などの日本食のレストランもありました。

夕食後,今日は昨日と打って変って天気がよさそうだったので,再びハレアカラの山頂へ日没を見にいくことにしました。日の出を見るには入場制限があって事前予約が必要なのですが,日没はだれでもOKです。すごく混んでいるのかなと思ったのですがそれぼどのこともなく,ちょうどいい時間に山頂に到着して,10分も眺めていたら太陽が美しく雲海に隠れていきました。絶品でした。
山頂はすごく風が強いのには参りました。しばらくいてここで満天の星空を見るつもりだったのですがあまりの強風に断念して,少し下の別の駐車場へ行きましたがこれが大正解でした。他には車もなくたったひとり満天の星空を眺めることができました。
ハワイ島のマウナケアよりもマウイ島のハレアカラの方が道路状況もよく人も少なく雲海に沈む夕日を見るのも星空を見るのも最高です。
2時間くらい星を見たり写真を写したりして,ホテルに帰ることにしました。少しお腹が減っていたのでマウイモールにあったラーメン店でラーメンを食べてからホテルに戻りました。
車で走ってばかりの3日目でしたが,今日も美しい景色と星空を存分に堪能しました。

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ホエールウオッチングが終わったのが午後1時過ぎでこの後何をしようかと思ったのですが,まだずいぶんと早いので,ハエアカラに車で登ることにしました。
昨年ハワイ島に行ってマウナケア山頂までのダート道を無理やり登って星を見たり朝日を見たり,天文台のドーム群に感動したりしましたが,ダート道だったということもあって危険で,そのときにお隣のマウイ島ではハエアカラの山頂まで舗装道路があると聞いたのが今回来ることにした理由なのです。ここにもハワイ大学とアメリカ国防相の天文台があります。この天文台で発見している彗星がパンスターズ彗星なのです。
しかし,私はその後,昨年の秋にニュージーランドに行って南天の星空を見てしまい,ハワイの星空にはさほどときめかなくなってしまいました。ハワイでは南十字星はかろうじて見えますがマゼラン雲は見えないからです。

それはともかく,せっかく来たのでハレアカラに登ることにしました。
ハレアカラはひょうたんの形をしたマウイ島の東側のふくらみの中央にある標高3,055メートルの火山跡で,国立公園です。舗装された険しい山岳道路ということでしたが,たいしたことはありませんでした。1時間くらいで山頂に着きますが,国立公園なので途中にゲートがあって入園料を払う必要があります。
山頂も寒いと聞いていたけれど思ったほどは寒くなく,山頂からは天文台のドームと反対側には噴火口跡,そして下界には雲海がきれいに眺められました。あいにくこの日はあまり天気がよくなくて雲ひとつない青空というわけではありませんでした。
ホテルに帰る途中でモールにあったパンダエクスプレスで中華料理の食事をしてからホテルに戻りました。
こうして2日目もまた,無計画の割には充実した1日になりました。

さて翌日。3日目です。
今日はマウイ島最東端の小さな町ハナに行くことにしました。マウイ島は島を一周する道路があるにはあるのですが,ヒョウタン形の西側のふくらみは北側の海岸に沿った道路の一部,東側のふくらみは南側の海岸に沿った道路の一部がレンタカーでは通行禁止です。そこで東側のふくらみの最東端のハナに行くにはレンタカーでは南側からは行けないので北側の道路を走って行く以外に方法がないわけで,わずか50マイル,つまり80キロなんですが3時間はかかると書かれてありました。何が大変かというと交通量が結構多いのにすれ違いのできない橋が56箇所,見通しの効かないカーブが617箇所もあるからなのです。
実際に走ってみるといつ終わるのかと思うほど無限にカーブがありました。はじめのうちは日本の狭い山道に比べればたいしたことないや,とタカをくくっていたのですが,その数が半端じゃあないので,ほとほと嫌になりました。ただし,日本と違うのはすれ違えないときのルールがきちんと決められていることと全ての箇所にきちんと標示があることでした。
朝,ジッピーズという地元民御用達の人気レストランで朝食を済ませた後,7時30分ごろから走り始めてやっとハナに到着したときはすでに11時でした。
ハナのお話はまた明日。

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