しない・させない・させられない

アメリカ合衆国50州・MLB30球場を制覇した旅行記と,旅・星・四季のエッセイ,読書・映画・音楽の感想。

"I won't do or be made to do what I don't want to. I won't make you do what you don't want to."
Traveling US and Japan, watching beautiful stars and reading books on listening classical music make my life.

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●フィラデルフィアの地下鉄は日本製●
☆10日目 8月5日(金)
 今日はこの旅の10日目である。
 午前9時35分発のアムトラックに乗って,フィラデルフィアからワシントンDCへ向かう。
 
 まず,今後の日程を書いておくことにしよう。
 今日のお昼にワシントンDCに到着してから14日目の8月9日の朝までワシントンDCに4泊する。そして,9日の午前9時30分発のメガバスという名の高速バスで,再びフィラデルフィアに戻り2泊して,16日目の8月11日の朝9時49分発のデルタ便で帰国というスケジュールである。つまり,ワシントンDCの滞在は実質3日半,フィラデルフィアは1日半ということになる。
 私は,この旅の計画をはじめたときには,まさかワシントンDCに行くとは思ってもみなかった。サウスカロライナとノースカロライナを中心として,南の方面にマイアミが加わり,さらに北の方面には,ボルチモア,ワシントンDC,フィラデルフィアのボールパークに行ってみようということことから次第に距離が延びていき,ボールパーク以外の観光地を調べているうちに,ワシントンDCが最も見どころが多いことから,ワシントンDCの滞在日数がどんどん増えていったというわけである。

 帰国してから思うに,今回の旅でこれだけ欲張って本当によかったと思う。私は50州制覇を成し遂げて以来,もう,アメリカの東海岸のような遠いところに行こうという情熱がなくなってしまったからだ。
 アメリカは,西海岸やロッキー山脈あたりののどかなところは捨てがたいが,東海岸のように人も車も多く都会は大きいところは,日本の雑踏が嫌いで旅をするには,まったく不向きなところなのである。

 今日の4枚の写真は,早朝ホテルを出て,アムトラックステーションに向かう地下鉄の駅までの様子である。
 1番目の写真には「リバティプラザ」の看板が写っている。「リバティプラザ」は2棟あって,これは,そのうちのワン・リバティプラザの屋上の展望台を示す看板である。この展望台にも行ってみようと思ったのだが,すでに市庁舎に上ったので,えらく入場料が高いこの展望台に行く気がなくなったのでやめた。
 2番目の写真はホテル近くのダウンタウンの様子である。どこにもあるアメリカの大都会という感じであるが,何度も書くように,フィラデルフィアは日本の大都会,そう,名古屋のような感じの街であった。
 また,名古屋といえば地下街であるが,3番目の写真は,まさに,フィラデルフィアの地下街の風景である。アメリカの都会でこんな地下街があるのはまれだと思う。私は,フィラデルフィア以外で見たことがない。
 そして,4番目の写真が地下鉄のホームである。ニューヨークの地下鉄同様,フィラデルフィアの地下鉄も日本の川崎重工製であった。

posterfix-449x700 公開されたばかりの「メッセージ」(原題Arrival)という映画を見ました。いつものように,まったく予備知識もなく,おもしろそうかな? と思って見にいっただけだったのですが,私には理解不能でよくわからない映画でした。
 しかし,見終わったあと,なぜだか非常に気にかかるので,いろいろと調べてみました。そして,原作も読んでみました。

 原作はテッド・チャン(Ted Chiang)という人の短編小説「あなたの人生の物語」(Story of Your Life)だそうです。
 テッド・チャンは「罪のない人がなぜ苦しまなければいけないのか」という問いに対して満足した答えが宗教のなかに見つからないことを探求していることをもとに,さまざまな小説を書いているということです。
 しかし,その答えは,聖書の「ヨブ記」にもあるように,世の中は不条理なものだからです。生まれたときに決められた運命がもともと平等ではないのです。人に生まれることも牛や馬に生まれることも,それは運命だからです。そしてまた,たまたま人に生まれたからといっても,それぞれ顔が違うように,才能も違えば寿命も違うのです。徳を積んでも突然天災が起きて死んでしまうことさえあるのです。そうした運命は生まれながらにして背負っているもので,他人と比べるべきものではないのです。
 …と私は思っています。

 ところで,映画のあらすじです。
 世界の12の場所に謎の宇宙船が現れ,そのうちモンタナに飛来した宇宙船に対して言語学者のルイーズ・バンクス(Louise Banks),物理学者のイアン・ドネリー(Ian Donnelly)に調査が依頼されます。
 与えられた任務は,宇宙船にいる2体の地球外生命体「ヘプタポッド」(heptapods)とコミュニケーションをとり,飛来の目的を探ることでした。ルイーズの試行錯誤の結果,ヘプタポッドが墨を吹き付けるようにして作る円形の図像が「書記言語」(written language of complicated circular symbols)であることが明らかになり,その解読が進んでいきます。
 この映画は,この宇宙船の物語と並行して,ルイーズの,自分の娘の生と病と死にまつわる光景がフラッシュバックとして流れます。しかし,この時点で,ルイーズには娘はいないのです。それは,彼女が将来もつ娘の人生そのものなのです。映画では説明されませんが,原作によると,ルイーズの娘は25歳のときに滑落事故で死んでしまうのです。それは未来のことなのにまるで過去の記憶のようにしてフラッシュバックするのです。
 ヘプタポッドは,飛行の目的が人類に「武器」(weapon)をもたらすことだと伝えますが,これを脅威と見なした中国軍のシャン(Shang)上将は通信を謝絶し,他の国もそれに同調して攻撃の姿勢を強めていきます。それを危惧するルイーズはヘプタポッドと対面します。ヘプタポッドはルイーズに,3000年後に人類から助けられるため,贈り物をするのだと答えるのです。この時点で,ルイーズはヘプタポッドが時間を超越していること,フラッシュバックしていたのは自分の未来の娘についての記憶であることを知るのです。
 ルイーズはヘプタポッドの書記言語を学ぶにつれ,未来を過去のように認識することができるようになっていきます。中国軍からヘプタポッドへの攻撃が迫るなか,それを回避するためにルイーズはシャン上将に電話をしてシャンの妻が将来死ぬときに残すメッセージを伝えます。それを知らされたシャン上将は戦争を回避するのです。そしてまた,ルイーズはイアンとの間に子供をもつことを決意するのです。たとえその娘の将来を知っていたとしても…。

 という映画なのですが,まったく言語体系の異なる異邦人とどう会話するかといった言語学的な興味と,不可逆的な時間という流れのなかで人が生きているという根本的な概念に対する挑戦がこの映画のテーマになっています。
 前者について興味深く語られる評論があれば,また,後者についてわかったようなわからないような評論もあります。しかし,人の未来といったところで,本来,すべての人の未来は死である,という当然のことがあるだけなので,それを取り立てて衝撃的にとらえることに私は共感をもちません。人は「不条理」ななかで生を受け,召されるまでその瞬間瞬間を満ちて生きることしかできないからです。私が思ったのはただそれだけのことでした。
 それでもなお,この映画を見終わったあとで,いつまでも,なぜか気にかかるのは,そうした,人は時間の流れのなかで生きている,というその厳しい真実を改めて突き付けられるからなのでしょう。ただし,原作の高貴さを,映画では中国軍が攻撃の先棒を振るといったきわめて陳腐なものにしてしまうという,アメリカ映画の常套手段で台なしにしているのが,私には残念です。
 なお,この映画で,宇宙船が飛来する場所が「モンタナ州」とされていて,モンタナの景色が美しいと書かれた評論を読みましたが,実際はこの映画でモンタナとされて撮影された場所は,モンタナではなく,カナダのケベック州セント・ファビオン(Saint-Fabien)です。 

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●フィラデルフィアにもあった「ユニクロ」●
 私は今晩予約したホテルに戻り,チェックインを済ませ,預けてあった荷物をもって部屋に向かった。
 アメリカの大都市のホテルは,エレベータに乗るときに部屋のキーカードが必要で面倒だが,セキュリティ上はこの方がずっといいのかもしれない。しかし,こんなものはだれかが先にエレベータに乗っていればそれだけのことである。
 エレベータを降りて廊下を歩いて部屋に入った。アメリカのホテルにしては部屋が狭かったが,ずいぶんと「マシ」で清潔で,非常に快適だった。

 私は今晩この部屋で一泊して明日はワシントンDC に向かい,数日後に再びフィラデルフィアに戻り,また同じホテルに宿泊することになる。今晩は特に何をするということもなく,ホテルの近くで食事をして,部屋で休むことにした。
 私は日本でも旅に出たときに夜飲み歩くということをしないし,そんなことをしても楽しくない。また,ショッピングをして楽しむということもないから,都会を旅行しても退屈なだけである。
 フィラデルフィアはよい街だったが,もう一度行こうとは思わない。おそらくリピートするほどの魅力がないのだろう。これがニューヨークとの違いだろうか。ニューヨークにはブロードウェイがある。

 ここフィラデルフィアは日本の都会とほとんど変わることもなく,ホテルのとなりにあったビルにはユニクロが入っていた。また,フィラデルフィアには,アメリカの都市にしては珍しく地下街もあった。これは後日知ったことだが,この地下街にあった食堂が非常に安価であった。
 フィラデルフィアには食事については結構面白い場所がたくさんあって,苦労することはない。しかし,このときの私はそんなことはまだ知らなかったから,この日の夕食もまた,朝食と同じモールで食べることになった。
 何を食べようか探していたら,中国料理のファーストフード店にいた日本人顔(実際は中国人だったが)の愛想のよいおばちゃん店員と目があって,そこで焼きそばなるものを食することになってしまった。この店の名前が「Kato's」といったから,私は日本食の店だと間違えたのだった。
 ここの食事はおいしかったが,食べながら観察していると,その右隣の店もまた中国料理の店で,その店の方がずっと繁盛していたから,私は失敗したと後悔した。

 反対側にはメキシコ料理店と並んでインド料理の店もあった。私はアメリカに行くと,急に食べたくなるのがカレーライスなのである。しかし,アメリカのインド料理店のカレーライスというものが,どういうものなのかよくわからない。そこで,カレーライスを食べることをいつもためらってしまうのだ。近頃は,日本でも,日本式のカレーライスの店に加えて,インド人のやっているカレーライスの店が増えてきたが,私は「ナン」というものがどうも苦手だし,同じカレーライスなら日本式のカレーライスのほうが好きである。
 ともかく,この日はおなかを十分に満たすことができたから,私は満足した。帰り道,隣のビルのユニクロに寄ってからホテルに戻ることにした。ユニクロはニューヨークの5番街にもあったが,そのときは店の前を通っただけだった。なかに入ってみると,すっかりそこは日本であった。売られているものもまったく同じであったし,値段もほとんど同じであった。
 かくして,どんどん海外に行くときめきがなくなっていくのである。

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 地図を見て地名を覚えるよりも星図をみて星座の名前を覚えるほうがずっと難しいものです。それは,星が天の北極を中心にして回転していつも同じ位置にいないからです。それでも,天の北極が天頂にある北極や真横になる赤道ならわかりやすいのでしょうが,北半球の日本や南半球のニュージーランドでは,なかなか大変です。
 北の空は天の北極をもとにして,春は北斗七星のあるおおくま座,夏はりゅう座,秋はカシオペア座,冬はきりん座というように追っていけばよいし,南の空は,春はしし座とおとめ座,その南にうみへび座,夏はさそり座といて座,その北にへび座とへびつかい座,秋はみずがめ座とくじら座,その北にペガサス座,冬はオリオン座とおおいぬ座と覚えれば次第にわかってくるのですが,そうした星座も東の空や西の空にあるときには,あれ,こんな位置関係だったのか,とか,こんな形をしているのか,と頭が混乱します。
 星の動きを小学生がドリルだけで覚えるなんて,本当にどうかしています。そして,実際に満天の星を見たこともない教師がそれを教えるなら,それは悲劇以外の何ものでもありません。

 そんなわけで,彗星は夕方の西の空や明け方の東の空に見られることが多いので,その位置を知るのがかなり大変です。それに比べて,南の空に見られる星雲や星団を探すのはずっと簡単で楽しいものです。
 冬のオリオン座やおおいぬ座付近や夏のさそり座やいて座付近は星の数もおおく,有名な明るい星雲や星団もたくさんあるのですが,それに対して,春や秋の星雲や星団にはなじみのないものが結構あります。しかし,それらがまた,かわいくてかつ美しいのです。いわゆる「ツウ」の世界でしょうか。
 そんななかでも私が特に魅力を感じるのは,春の南の空にグロテスクに横たわるうみへび座のさらに南にあるケンタウルス座やオオカミ座といった星座のあたりにある星雲や星団です。
 夏は夜が短いので,このあたりの星座をゆっくりと観察できる時間があまりありません。さらに,これらの星座は南の空低くしか昇らないので,よほど空が開けていないと見ることができません。さらにまた,その西にはさそり座やいて座,北にはしし座やおとめ座といったスターが控えているので,その陰にかくれてしまっています。

 今日は,私が魅力を感じるこれらの星座のあたりにある星雲や星団の写真をご覧ください。
 1番目の写真は,有名なM104,通称ソンブレロ銀河です。この時期この銀河はかなり高くまで昇るので簡単にかわいい姿を写すことができます。
 2番目の写真がM83です。明るさは10等星というので暗いのですが,ちゃんと渦を巻いた姿が写せる魅力的な銀河です。これほどフォトジェニックなのに,なぜかあまり知られていません。
 3番目の写真がNGC5128,電波源ケンタウルス座Aです。ふたつの銀河が衝突して強い電波を出しているといわれているもので,よく写真で紹介されていますが,その不気味な姿が印象的です。
 そして,4番目がNGC5139,通称ω星団です。球状星団のなかで最大のもので,肉眼でも確認できるのですが,なにせ,日本からは地平線に近く条件が悪いとなかなか見ることができません。南半球では不気味なほどに明るく輝いています。
 この星座の南,つまり,地平線の「ほんの少し」下には南十字星がありますが,この「ほんの少し」が無性に悔しく感じられるものです。赤道を越えて星空を見てくるとこれらの星座が空高くに輝いているので,日本に帰国してからそれらを南の空の地平線近くにかろうじて見たときに,さらに親しみと愛おしさがわいてきます。

◇◇◇
「星好きの三大願望」-宝石をちりばめたような南天の星空
「銀河鉄道の夜」-宮澤賢治の語る美しき南天の星空とは?
映画「アバター」-「プロキシマ・ケンタウリb」に生命が?

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 日本の春は黄砂にPM2.5,春霞と,まったくよいことがありません。車も絶えず砂だらけで,雨でも降れば惨憺たる状況になります。この季節で救いがあるとすれば,梅,桜,藤,カキツバタといった美い花々だけです。

 そんな春もそろそろ終わり,初夏がやってきました。ここ数日はとても天気がよく,やっと春霞や黄砂の影響がなくなってきたようで,久しぶりに気持ちのよい青空が見られました。さらに,満月も過ぎて深夜までは月明かりの影響がなくなったので,5月18日星見に出かけました。
 4月の下旬は空が汚いこともあってまったくやる気がなく,そうした理由から,新しい観測場所を探すことや6月に出かけるオーストラリアに持っていく機材のテストをしていたので,いつものような写真を写すことができませんでした。
 そこで,今月は,再び,いつものように望遠鏡で彗星や星雲・星団の写真を写すことにしました。

 昨年の秋は10等星よりも明るく見える彗星がひとつもなくなってしまい,せっかく空の澄んだ季節だったのに,手持無沙汰になりました。さらに,11月の下旬にはニュージーランドのテカポ湖で満天の星空と念願のマゼラン雲を見たこともあって,日本で星を見るモチベーションも失せてしまいました。
 それでも,年末以降は,子供のころから名前を知っていた本田・ムルコス・パイドゥシヤーコヴァー彗星(45P Honda-Mrkos-Pajdusakova)が接近するということで情熱が戻り,さらには,エンケ彗星(2P Encke)やタットル・ジャコビニ・クレサック彗星(41P Tuttle-Giacobini-Kresak)といった周期彗星が明るくなったので,結構楽しむことができるようになりました。
 それに加えて,1月以降は,ネオワイズ彗星」(2016U1 NEOWISE),ジョンソン彗星(2015V2 Johnson),ラブジョイ彗星(2017E4 Lovejoy),パンスターズ彗星(2015ER61 PasSTARRS)といった新しい彗星が続々近づいてきました。

 そこで,まず,これらの彗星のまとめを書いておきましょう。 
 本田・ムルコス・パイドゥシヤーコヴァー彗星は1月の夕方の西空に7等星まで明るくなりました。その後太陽に接近して見えなくなったのち,再び2月の明け方の東のに姿を現したので,そのどちらも写真に収めることができて満足しました。
 エンケ彗星は2月の中旬から写真に写せるようになりましたが,わずか2週間しか見ることができませんでした。太陽に近づくにつれて光度は増したのですが,光度が高くなるにつれて高度が下がり,それっきりになってしまい,少しがっかりしました。この彗星は周期が3.3年と短いのでたびたび地球に近づくのですが,秋に地球に接近するときは明るくなるけれど,今回は春先の接近で条件が悪かったのだそうです。結局,7等まで明るくなっただけでした。

 ネオワイズ彗星は12月の下旬の明け方の東の空に一度だけ写すことができました。小さい彗星で,太陽に接近して消滅するといわれていましたが,実際,太陽に接近した今年に入ってからの観測がほどんどありません。
 2月に入ると,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星がとらえられるようになってきて,3月からはジョンソン彗星も加わりました。
 4月になると,さらに,ラブジョイ彗星,パンスターズ彗星も近づいてきて,一晩に4個の彗星を見ることができました。ラブジョイ彗星は急激に増光して6等まで明るくなり,長い尾をもった美しい姿だったのですが,崩壊して急激に拡散・減光しました。私はこのワンチャンスに写真に収めることができました。
 そして,現在も見ることができるのが,ジョンソン彗星,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星,パンスターズ彗星です。このうち,パンスターズ彗星はまだ月明かりの残る明け方の東の空なので,この日はジョンソン彗星とタットル・ジャコビニ・クレサック彗星を写すことにしました。ジョンソン彗星は非常に明るく尾も長く,鮮やかな姿で感激しましたが,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星は予想した位置の写真を写してもなかなか確認ができませんでした。思っていたよりもずっと暗く,どうにか探し出すことができました。
 
 6月の下旬は梅雨空なので,しばらく日本での星見はお休み。私はオーストラリアへ行くことにしました。また,例年7月の下旬はアメリカに出かけるのですが,今年は8月21日にアメリカ大陸横断皆既日食があるので,それに合わせて1か月遅く8月の下旬に行くことにしました。
 今のところ9月以降は明るくなる彗星の予報がないのが残念なところです。

◇◇◇
冬の僥倖①-本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星
冬の僥倖②-オールトの雲から来たネオワイズ彗星
冬の僥倖⑤-本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー再会
冬の僥倖⑥-エンケ彗星を「とりあえず」写した。
冬の僥倖⑦-2月は3つの周期彗星のそろい踏み
冬の僥倖⑧-3月は新顔「ジョンソン彗星」の登場
早春の来訪者-明るくなった彗星が4つも見える。①
早春の来訪者-明るくなった彗星が4つも見える。②

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●今でもイエスキリストがいたりする街●
 ボールパークに向かうときにはさほどの距離を感じなかったが,ゲームの終了後に地下鉄の駅に向かうときにはずいぶんと距離を感じたのものだった。それは不便ということでなく,このボールパークのまわりりはスポーツコンプレックス(複合施設)で,ずいぶんと敷地が広いことが原因であった。日本人には想像を絶する広さであろう。
 MLB,NFLが同じ場所にホームグランドをもつ都市はいくらでもあるが,ここのスポーツコンプレックスにはNBA((National Basketball Association=プロバスケット)の76ERSとNHL(National Hockey League=プロアイスホッケー)のフライヤーズが使用するアリーナ「ウェルズファーゴセンター」(Wells Fargo Center)まであるのだ。
 ちなみにこのアリーナは,2016年大統領選挙の民主党大会にも使用された。

 こうして私は29球団目のボールパーク制覇を終えて,再び地下鉄の駅に到着した。今日は来たときには紹介できなかった駅の写真をご覧いただこう。
 私が生れてはじめてアメリカに行った1970年代,アメリカは非常に近代的な国であった反面で想像を絶するほど危険な国であった。日本とは全く異なる国であった。
 それに比べると,現在のアメリカは,日本とそれほどの異質性を感じないくらい似てきた。
 しかし,観光客の数はそのころとは比較にならないほど多いし,また,セキュリティがとても厳しくなったから,今の若者がアメリカを旅するのは,私が若かったころに比べたら,むしろ大変になったと思う。

 「古きよきアメリカ」という言葉があるが,まさに,1970年代のアメリカが懐かしい,そんな感じがする。
 当時は,日本ではメジャーリーグの中継などなかった。私が生れてはじめて行ったのがロスアンゼルス・ドジャースのホームグランドであるドジャースタジアムだったが,そのころのボールパークにはまったく広告がなく,さすがアメリカだと思ったものだった。しかし,現在はどこもかしこも広告だらけになってしまった。
 できることなら,ニューヨークの貿易センタービルのテロ事件以前のアメリカ,好景気に沸いた1990年代のアメリカ -ちょうどそのころの日本はバブル景気がはじけて失われた10年といわれたころのことだが- を私はもう一度旅してみたい。そのころが,アメリカの一番輝いていたときのように思うからだ。

 さて,私は地下鉄に乗って,再びフィラデルフィアの中心街にある市庁舎まで戻ってきた。あとは歩いてホテルまで戻り,チェックインをするだけであった。
 市庁舎のあたりには,なんと,イエスキリストが立っていて,なにやらパフォーマンスををしていた。とかく,アメリカの都会というのは,今でもわけがわからずおもしろい。さすがに,サンフランシスコやニューヨークとは違って,フィラデルフィアでは,繁華街を全裸で歩いているような男や女は見かけなかったけれど…。

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 常任だった音楽監督が,任期が終わったあとで数年に1度客演をするように,私はN響の定期会員をやめてからは気の向いたときに定期公演に足を運んでいます。
 今回行ったのは5月13日の第1860回定期公演でした。翌日,早朝から大相撲を見にいくことにしていたので前日東京に宿泊することになったのですが,ちょうどこの日にN響の定期があったので,チケットを購入したのです。

 定期会員のころはS席で聴いていましたが,このごろは2階のC席と決めています。この席,ゆったりと聴くには実によい席です。
 余談ですが,2階の上から4列がC席でその前の4列がB席という区分になっていて,B席の最上段が空いていることが多いのです。となると,C席の最前例は非常に見やすい席ということにもなります。
 この日は,私の隣に大学に入って間もないような若者が二人座っていました。漏れ聞こえてくる話では,はじめてN響の定期公演に来たようで,おそらく彼らは大学に入って東京住まいを始めたばかりなのでしょう。こうしてクラシックの定期公演を聴こうとする若者もよいものです。私も昔のことを思い出しました。

 この日の曲目はチェコの作曲家フリードリヒ・スメタナ(Friedrich Smetana) の交響詩「わが祖国」(Má Vlast) 全曲でした。
 このコンサートの前日5月12日がスメタナの命日で,チェコではこの日から「プラハの春音楽祭」が「わが祖国」の演奏会ではじまります。
 交響詩というものの多くは有名なフレーズをもっています。R.シュトラウス(リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス=Richard Georg Strauss)の「ツァラトゥストラはこう語った」(Also sprach Zarathustra)などがよい例です。
 「わが祖国」の場合はフレーズというよりも曲,つまり2曲目の「モルダウ」(The Moldau)があまりに有名です。私は当然「モルダウ」も好きですが,1曲目の「ヴィシェフラド」(Vyšehrad)の冒頭が大好きで,これを聴くだけで十分に満ち足ります。

 それにしても,ですね,私が偉大なスメタナさんにアドバイスすることではありませんが,せっかくこの琴線に触れるメロディで始まる曲なのだから,曲の最後で,再び冒頭のこのメロディに戻ってくれないのかなあ,と曲を聴くたびに思います。はじめのモチーフらしき旋律は現れるのですが,もっと劇的にそして,最後はハープで静かに終わればいいのにと…,そこが私にはいつもこの曲を聴いたときに物足りなく感じます。
 このことはR.シュトラウスの交響詩の多くにもいえることなのですが,冒頭の印象深いメロディがせっかく心にしみるのに,曲が進むにつれて段々とぐっちゃぐちゃになっていって眠くなっていき,最後はよくわからないまま精神が高揚しないで終わってしまうのです。こんなのことを思うのは私だけでしょうか?
 「英雄の生涯」だけは別ですが…。
 スメタナは,R.シュトラウスとは違って,ドボルザークのようなメロディメーカーなので,特にそう思います。

 「わが祖国」について,スメタナは当初「ヴィシェフラド」「ヴルタヴァ」「ジープ」「リパニ」「ビーラー・ホラ」といった「チェコの歴史と伝説」を題材とた交響詩「祖国」を作曲する構想を持っていましたが,創作の過程で「ジープ」と「ビーラー・ホラ」を断念し,代わりに女戦士の伝説「シャルカ」と風景描写「ボヘミアの牧場と森から」が取り込まれ,さらに「リパニ」が2曲構成に変更され最後に「ブラニーク」の伝説を置くことで,建国の伝説から未来の「勝利」へと至る連作への方向性を明確にしました。
 こうして「わが祖国」は「ヴィシェフラド」からはじまって「モルダウ」「シャルカ」「ボヘミアの牧場と森から」「ターボル」「ブラニーク」の6曲編成となりましたが,この日のコンサートでは3曲目の「シャルカ」が終わったところで休憩がありました。

 1曲目の「ヴィシェフラド」はプラハ近郊の王城のことです。冒頭2台のハープが荘重な主題を奏でると管弦楽がそれを引き継ぎ展開していきます。この流れが最高で,この曲はここを聞いただけで満ち足ります。
 2曲目の「モルダウ」はボヘミア地方を代表する河川です。フルートが第1の源泉をクラリネットが第2の源泉を表していて,合流して川となってヴァイオリンが有名な旋律を奏でます。最後は大河が彼方へと消えていくように曲は閉じられます。
 3曲目の「シャルカ」とは伝説上の女戦士のことです。シャルカの角笛で女戦士たちが集まり,男たちを虐殺していくのです。
 そして4曲目の「ボヘミアの牧場と森から」ではボヘミアの牧場を描いています。
 5曲目の「ターボル」はフス戦争でハプスブルク勢力と激しい戦闘を繰り広げたチェコの反乱軍「ターボル派」を描いた音楽で,兵士たちが歌ったとされる賛歌「汝ら神の戦士たち」の旋律が全体にわたって流れます。
 最後の6曲目「ブラニーク」はボヘミア地方に実在する山で,そこには騎士たちが眠っていて,チェコ民族が四方から攻撃を受けるとき聖ヴァーツラフに率いられて立ち上がるという伝説に基づきます。5曲目の「ターボル」がチェコ民族の辿たどった過酷な運命を描いた音楽とすれば,それと対をなすこの曲は民族の未来に対する作曲家自身の希望を歌ったものなのです。

 プラハの春音楽祭がはじまるこの時期,東京でもちょうどチェコ出身のアルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)展が開催されています。そして,N響の定期公演では「わが祖国」が演奏され,東京の夜はこうしてプラハの春で更けてゆくのでした。幸せな時間でした。

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●「ジ・アングル」●
 1970年のはじめ,NLBのフィラデルフィア・フィリーズとNFLのフィラデルフィア・イーグルスがホームグランドとしていたベテランズスタジアムは全米屈指の「最悪の球場」として悪名を轟かせていた。クッキーカッター型のボールパークは,最上部の座席からは「双眼鏡を使わないと何も見えない」と揶揄され,フィールドに近い座席では「壺の底に落とされたような圧迫感」を感じたという。さらにまた,不人気な人工芝のボールパークでもあった。おまけに,設備も老朽化し,雨漏り,ネズミ,悪臭に悩まされた。
 1998年,大学のフットボールのゲームの最中,設備の崩落事故でけが人を出すに至り,ついにベースボールとフットボールの専用施設を建設することになり,こうしたいきさつで,シチズンズパークが作られたのであった。

 新たに作られたシチズンズバンクパークは,広大な駐車場のなかにコンクリートの塊が鎮座し殺伐としていたベテランズスタジアムとは違い,周囲には並木が植えられ,緑あふれる公園のなかに,赤レンガ造りの外観をもち,黒レンガがアクセントをつけている。なかに入ると,このボールパークもまた,アメリカの最新式ボールパークの例に倣い,左右非対称で,天然芝の美しいボールパークになっているが,特に,外野左中間からセンターにかけては,鋭角的な「ジ・アングル」と呼ばれるフェンスが独特で,そのフェンスの高さも約4メートルから約6メートルと変化に富んでいる。
 アメリカのこうした最新式のボールパークが素晴らしいのは,広いコンコースがあって,そこを歩き回っていると,ボールパークの内部はもちろんのこと,外の素晴らしい景色が眺められるということでもある。
 もう,こうなると,日本のいわゆる「野球場」というものとは,全くの別モノである。だから,観客もまた,日本とは全く別の人種である。なにが楽しくて風船などを空に向かって飛ばすのであろう? なにが楽しくて鳴り物などを鳴らすのであろう? 私は,日本の野球など,見に行く勇気も気力もまったくない。

 フィラデルフィア・フィリーズは2010年以降は低迷しているが,田口壮選手が所属していた2008年には2回目のワールドシリーズを制覇した。それこそが「ビリー・ペンの呪い」が溶けたときのことである。
 現在は日本人プレイヤーがいないので日本のテレビで放送される機会はほとんどないが,私が訪れた数日前に,ちょうどフロリダ・マーリンズとゲームを行っていて,イチロー選手の3,000本安打間近ということで,毎試合BSで中継されていた。

 私が見にいったこの日の対戦チームは,サンフランシスコ・ジャイアンツであった。
 サンフランシスコ・ジャイアンツも歴史のある強豪チームであり,有名選手もいるのだが,このゲームにはそのどの選手も出場せず,また,フィリーズにもこれといった選手がおらず,私は,まったくモチベーションが保たれずにいた。というよりも,ゲーム内容にはまったく興味がなかったから,単に,このボールパークに行ったという既成事実だけがよりどころであった。まことにもってひどい話だ。
 そんなわけで,ゲーム自体には全く記憶にない。というか,どちらか勝ったのかさえ記憶にないありさまであった。
 まあ,こんなわけで,この日はゲームがはじまる前はボールパークを歩き回って楽しんでいたが,やがて,なんとなくゲームが始まり,そして,終了し,ゲーム自体には何の感動もなく,私は,ボールパークを後にしたのだった。

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 では,大相撲観戦のまとめとして,今日は,当日写した写真をご覧いただきましょう。
 1番目の写真は十両の土俵入りです。先頭は新十両,期待の貴源治関です。若干20歳の若者ですが,その体の大きさから将来の横綱候補といわれています。現在は少し星が伸びていませんが,果たしてどうなることか? 稀勢の里関もこのころから期待を一身に集めていました。
 
 2番目の写真は,初日と千秋楽に行われる恒例の協会ご挨拶です。三役力士を従えて八角理事長が口上を述べます。番付順で向かって左側最上位が横綱稀勢の里関です。
 北の湖理事長のときは,観客の拍手があっても間合いをもたずに淡々と挨拶を続けていて物足りなかったのですが,その点,八角理事長は上手です。
 北の湖理事長が病気休場のとき,一度っきり九重親方が代読したことがありましたっけ。

 3番目が稀勢の里関,横綱土俵入りです。
 今場所は新しく贈られた「北斗の拳」の化粧まわしを着けています。大関昇進時に有志でできた「後援会」の会員だった,当時週刊少年ジャンプの編集長で現在「コアミックス」の堀江信彦社長が,2年前「横綱になったら化粧まわしを贈る」と約束したのですが,それに対して稀勢の里関が「北斗の拳がいいです。ラオウでお願いします」と言ったのがそのきっかけだということです。つまり,お気に入りの化粧まわしということですね。でも私は先場所のものの方が好きですが。

 大横綱大鵬は「心・技・体」の化粧まわしがお気に入りで,そればかりを着けていました。晩年はぼろぼろで,修繕をしてまでもそれを選んでいました。おそらく,それ以外にずいぶんと多くの化粧まわしが贈られたと思うのですが,それらはまったく日の目を見なかったということになります。
 横綱に限らず,一般に関取はどのくらいの数の化粧まわしを持っているのかなあ,と土俵入りを見るたびに思うのですが,実際はどうなのでしょう?
 いつも同じものを着けている力士を見ていると,一部の人気力士以外は意外と少ないというかこれっきり1枚,のような気もしますが…。

 その稀勢の里関ですが,今場所は本人も恐る恐る出場しているようで,なんだか痛々しいです。休場したって誰も非難しないのでしょうが,稀勢の里関見たさに来る観客も多いし,懸賞もたくさんかかっているよう期待が高いので,本人が休むに休めないという感じではないかと思います。なんとか10勝くらいはしてほしいのですが,このところ上位の若手が強いのでなかなか大変です。高安関と取組まないことが救いでしょうか?

 最後は,国技館の入口にある,場所の早朝の寄せ太鼓と取組後のはね太鼓を打つ櫓です。国技館は常設ですが,地方場所ではそれぞれ特別に櫓を組みます。櫓を組む場所のない大阪では建物の3階で打っています。
 この太鼓櫓の上から大空に突き出すように斜め上に向けて掲げられる2本の長い棹には,その先端に麻と幣が結び付けられているのですがこれを「出しっ幣」といいます。土俵の神様を呼び込むアンテナです。
 この太鼓は呼出しさんが打っているのですが,太鼓の音が素敵ですね。寄せ太鼓の音を聞くには朝一番に行く必要があります。はね太鼓は取組終了後に帰るときに聞くことができますが,なかなか粋なものです。
 私の実家からは愛知県体育館が近いので,名古屋場所では家から聞こえます。
 なお,私の行った初日は皇太子殿下と妃殿下がお帰りになるまではね太鼓が打てない(何せこのはね太鼓の目的は帰れ帰れとせかすためのものですから)ので,お帰りになるのを見送った後で,ずいぶん経ってからやっとこの太鼓が打たれました。これもまた,めったにはできない経験でした。

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 両国国技館では,天井の四方に優勝額が8枚ずつ合計32枚掲額されています。国技館の館内に入るとこれが壮観で,地方場所では絶対味わえない粋なものとなっています。私もはじめて国技館で大相撲を見たときにこの優勝額に感激しました。それを見たくて一度は国技館に行ってみたかったようなものでした。

 優勝額は,大相撲の本場所で幕内最高優勝をした力士に毎日新聞社から贈られる額縁です。
 その始まりは明治42年の6月場所,大相撲常設館(後の旧両国国技館)の完成に伴って優勝掲額制度が開始されたことによりますが,当時は今よりも小さい白黒の優勝額が用いられていました。とはいえ,そのころの優勝というは時事新報社の行事で協会公認の制度ではなく,協会が優勝を制度化したのはその後の大正15年になります。
 昭和11年の時事新報社と東京日日新聞(現在の毎日新聞)の合同によって,それ以降は東京日日新聞の事業として承継されました。
 第二次世界大戦で初代両国国技館が消失。戦前の優勝額の多くも焼失し一時期優勝額も途絶えましたが,昭和26年から蔵前の国技館で優勝掲額が再開され,等身大の大きさのフルカラー優勝額となりました。
 優勝額は長年,力士の写真を白黒で現像したものに油絵具で着色したものが使われてきましたが,平成26年,昭和26年春場所以来優勝額の着色を担当してきた彩色家佐藤寿々江さんの引退以降は,写真技術の向上もあって,従来の色合いに似せてデジタル処理したカラー写真が用いられるようになりました。

 東京場所の初日に,先々場所の東京場所と先場所の地方場所の優勝額を併せた除幕式が行なわれます。こうして,東京場所ごとに2枚ずつ新たな優勝額が加えられ,古いものから外されていきます。外された優勝額は優勝力士当人に贈られます。
 ということで,今場所は,先々場所の初場所に念願の初優勝をし,翌大阪春場所で奇跡の逆転優勝をした稀勢の里関の2枚の優勝額の除幕があるということで,私はそれ見たさに,ぜひ初日に国技館に行きたかったわけです。
 優勝の順番がこの逆で,地方場所からでは連覇しても2枚同時というのはあり得ないわけです。

 除幕式は中入りの土俵入り後に行われるので,それまでは,掲額された優勝額には白いカバーがかけられていました。
 優勝額は古い順に取り去られるので,これもまた偶然,稀勢の里関の2枚の優勝額は,ちょうど正面に位置することになりました。私の座席のちょうど真上でした。
 これもまた,ツイていました。
 除幕式はテレビで放送されるのでおなじみですが,音楽とともにその白いカバーが上がっていき,その姿が披露されるわけです。
 私が子供のころはこんな演出はなかったわけで,いつだったか覚えがないのですが(今の国技館ができたときからか?),今のような除幕式がはじまりました。私は,その第1回目をテレビで見ていた記憶があります。当時,どういう音楽にするかといった苦労がそのときの放送で語られていましたが,今では,そんなことを知らない人も多いことでしょう。
 今では当たり前でも,実は近年始まったことだというのが,大相撲では多いものです。それを伝統というのかどうかは知りませんが…。十両や幕内力士の土俵入りだって,昔は力士の名前だけの紹介でどんどんと土俵に上がっていき,所作が終わると我勝ちに降りていったものです。

 除幕が終わって,晴れて2枚の優勝額がその姿を見せたので,しっかりと写真に収めました。
 現在,国技館に掲額されているもっとも古い優勝額は把瑠都関のものです。その左側に正面を表す「正」の表示があり,そのさらに左の2枚が今回掲額されたものです。
 周りを見渡すと,さすがに白鵬関の優勝額ばかりですが,近頃は,1年前の琴奨菊関,そしてその2枚後には豪栄道関と,次第に様々な力士の優勝額が増えてきました。
 稀勢の里関の2枚の優勝額のうち1枚は大関時代のもので,もう1枚は横綱になってからのものなので,それもまた,この先にはあり得ない大関と横綱姿の同時掲額となりました。他の横綱もそうですが,横綱の優勝額は太刀を手にしたものが多いです。

 さて,開場とともに国技館に入った私は,この優勝額の除幕式までは,館内を歩き回ったりお弁当を食べながら幕下以下の力士の相撲を楽しんだりと,楽しい時間を過ごしました。
 お弁当は,もちろん,稀勢の里弁当に国技館名物のやきとりということにしました。本当はそれにビール,というのが定番になるのでしょうが,私はビールを飲んでも酔わないので意味がないし,かつ,帰宅するのに電車を降りてから車に乗る必要があるので,それだけはなしでした。
 国技館の地下にやきとり工場があるというのは有名な話なのですが,ここまで有名なのだから,工場をガラス張りにして,見学ができるようにでもすればいいのに,と思いました。
 東京場所と名古屋場所ではちゃんこを食べることもできます。私が以前国技館でちゃんこを食べたときは,その食事場所が併設する相撲教習所だったのですが,現在は場所が変わってしまったそうです。そんなわけで,私は相撲教習所のなかを見たこともありますが,今となってはこれは貴重な経験だったのですね。
 これだけ大相撲人気が過熱して,しかも,外国人観光客が多いのなら,アメリカのプロスポーツのように,大相撲を開催していないときは,相撲博物館だけでなく,館内の見学ツアーでもやればいいのに,と私は思います。大相撲に限らず,日本人には,そういうアイデア,ないんですよねえ。

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 毎場所大相撲のチケットの最速先行を試みているのですが,なかなか当たりません。今場所もダメ元で初日に応募したのですが,なんと当選してしまいました。久々の快挙です。というわけで,私は,5月14日日曜日,東京両国の国技館に夏場所初日を見にいってきました。

 先場所・大阪の春場所は新横綱稀勢の里関の奇跡の逆転優勝で大いに盛り上がりました。私はそれをハワイで知りました。
 私はこの大阪の春場所はハワイに行く前の4日目に行きました。このとき私がぜひ見たかったのは,夢にまで見た新横綱の土俵入りでした。
 そして,念願を果たした私がこの夏場所でぜひ見たかったのは,2場所連続優勝の優勝額の除幕でした。そこで,何としても初日狙いだったのですが,私は自分でも恐ろしいほど強運で,チケットを手に入れることができたのでした。

 この日,私はいつものように,場所の初めから最後までを見るために,前日名古屋を出発して,品川で一泊しました。
 朝8時から入れるということでしたが,私がJRの両国駅に到着したのが7時40分ごろでした。そのまま国技館に行くと,すでに入ることができました。
 入口のセキュリティが結構厳重で,ちょっとびっくりしました。しかし,アメリカのMLB を見慣れている私としては,こんないい加減なチェックでいいのかしらんと思いましたが…。
 漏れ聞こえてきた話では,皇族の方がおいでになるとかなんとか。愛子さんが… という声も聞こえてきました。
 そこで白々しく案内所で尋ねてみると,知らない,という話でしたが,これは,しらばっくれているのが明白でした。あえて,詮索しませんでしたけれど。
 私の座席はこれまた幸運にも貴賓席の真後ろで,すでに,多くのセキュリティの人たちがうろうろしていました。
 という次第だったのですが,やがて,3時頃に館内に本日は皇太子ご一家がおいでになるという放送がありました。午後5時ごろ,後半戦から最後まで観戦,ということで,お見えになったとき,館内は総立ちとなりました。
 
 それにしても,私の強運もここまで来ると自分でもとても信じられません。
 アメリカでのMLB,ダイヤモンドバックスを見にいけば,先発はランディージョンソン投手だったし,ヤンキースを見にいけば,松井秀喜選手の引退試合だったし,マーリンズを見にいけばイチロー選手の2998本目のヒットだったし,マリナーズを見に行けば2年連続先発投手が岩隈投手だし,ボルチモアへ行けば相手チームの先発がダルビッシュ投手だったし…。そしてまたお相撲を見にいけば,念願の夏場所初日は,10年ぶりという皇太子殿下と妃殿下の観戦だったのです。
 こうなってしまうと,ゆっくり観戦どころではありませんでしたが,ともかく,私は,この日,念願の大相撲観戦を楽しんだのでした。今日は,とりあえず,この日に写した写真をご覧ください。この続きは,また,後日。

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 「京都人の密かな楽しみ 桜散る」
 実に素敵な番組になりました。おまけに,料理研究家大原千鶴さんの主催した「女子会」では,京都女の持つ毒も十分に味わえました。それにしても,どうして女性というのは酒が入るか二人以上になると,毒が露呈するのでしょう? その毒は,魅力的な女性であればその魅力がさらに増大するものであり,そうでない場合は,メッキが剥げるようにたちどころに失望感に変わり悲惨な結果になります。男には本能的にそれがわかるのを女性はご存知か?

 さて,本題にもどりまして,結局,この物語は「密かな」不倫の物語だったのですねえ。鈍な私にも今回,やっとそれがわかりました。これこそが「密かな」という題名の「ほんまもん」の出どころだったのでしょう。そして,京都の桜の美しさも存分に味わうことができました。ただし,しいて難をいえば,「桜散る」という題名はちと奇妙です。この物語では桜は少しも散っていません。
 それはそうと,この番組を見て,来年こそは京都の桜を見に行こうなどという野心を起こしてはいけません。今やこの番組に出てきたような桜を心置きなく味わえるような静寂など,一見さんには京都のどこを探してもありゃしません。この番組すべてで描かれた「ほんまもん」の京都の風景も美味しいお料理もそして大人の苦い愛の物語も,その全ては「大人の大人による大人のための」ささやかな夢物語なのです。それを理解できないお人に京都人など到底理解できようがありません。

 それにしても,今回挿入された母親を横取りされた陶芸家と横取りした男の娘の物語,恐らくは恋愛に発展するお話なのでしょうが,私はその結末が知りたいものだと思います。お互いの親が敵味方というようなロミオとジュリエットのお話は古今東西多々あれど,妻を横取りされた男の息子と横取りした男の娘の恋愛物語なんて,そんな設定のお話って今までありましたっけねえ? 私には記憶がございません。
 しかしですねえ,この物語には最後に至って予想もつかない大どんでん返しが用意されていたのです。まさにびっくりポンです。それは,この物語の続編というのがEテレの語学番組「旅するフランス語」だったということなのです。これぞ「皆様のNHK」の本領発揮です。
 私はこの番組をここまで見て,このために本当に常盤貴子さんをフランスに旅行させたんだと思ってしまいました。そして,せっかく「旅するフランス語」でフランスまで出かけてロケをしたのだから「京都人の密かな愉しみ」でも,フランスで恋い慕う男性と歩いているシーンが出てくるのではないかと,本気で内心わくわくしてしまいました。

 私が「密かに」 愛したこの番組がこのまま終わってしまうのは非常にもったいなく残念なお話です。視聴率至上主義に陥っているNHKさんのこと,きっとなんだかんだと名を変えた短編やらオムニバスが生まれ,今後も放送されることでしょうが,予算をかけないダイジェスト編などをやってお茶を濁してはいけません。「ほんまもん」を売りにするこの番組がそんなバーゲンセールをしては価値が下がります。
 もしそんなものを放送するのなら,それに代えて,これまで出てきた様々のお話のスピンオフドラマを期待したいと思います。当然,常盤貴子さん付きでお願いします。私は「密かに」それを心待ちにしております。

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☆☆☆☆☆☆
 空が澄んでいると夕焼けも朝焼けも美しくて見事です。特にこの時期は過ごしやすく,散歩をしていると,本当に気持ちがよいものです。私は,そんな風景が星を見るよりも大好きです。
 しかし,残念ながら,この国では,このすばらしさは太陽が沈むまでと太陽が昇るまでの一瞬でしかないのです。夕方,美しい夕焼けがみられるとき,きっと暗くなるとすばらしい星空が見られるだろうと期待しても,実際に空が暗くなっていくと,そこにあるのは濁ったような灰色の空でしかありません。

 今日の写真は人口衛星が写した地球上の夜空の明るさです。
 これを見ると,アメリカ合衆国の東部とヨーロッパと日本列島だけがひときわ明るく輝ています。なかでも,日本列島の異常なまでの明るさには恐怖すら感じます。このように,この国の夜空の明るさは異常としか思えません。
 日本人のやっていることには秩序もけじめもなく,夜になると,意味もなく空に向かって光を放っているからなのでしょう。そうして,貴重なエネルギーを無駄に使っているのです。治安上の問題なら地上を照らせばよいのであって,空に向かって光を放つこととは別物です。深夜に国道を走っていると,本来は安全のためであるはずの照明が,実は空だけを照らし逆に道路を暗くしドライバーを眩しく攪乱しているだけであることからもわかります。
 私は昔,自然を満喫するために里山や高原に出かけると,この場所なら夜は満天の星空が見られるだろうと思ったこともあるのですが,この国ではそれはすべて幻想にすぎなかったのです。夜になると,その空は灰色に濁ったなさけない姿に変わってしまいます。

 この国に生まれこの国以外のことをまったく知らずに育った人は,学校で英語を勉強しても何も身につかないということも,車の運転というのは異常に難しいものだと思うことも,働くということは朝早くから夜遅くまで大変なんだということも,夜空は明るくて星も見えないものだと思うことも,道路の中央分離帯がゴミだらけで汚いと思うことも,きっとそういうものだ,世の中というものはそういうものだ,として疑問もなく受け入れているのでしょう。そしてまた,日本は外国に比べて安全だ美しい国だこの国に生まれて幸せだと賛美するのです。
 しかし,海外に出てみると,そうしたことは,すべて,この国がもつ異質なことでしかないと,そのときはじめて気づくのです。愛国心もこの国が素晴らしいと信じることも結構ですが,外の世界を知らずしてそう妄信することだけは避けなければなりません。
 私は,夕焼けや朝焼けの美しい風景を見るたびに,もともとはとても美しい「秋津洲大和の国」だったのに,どうして,この夕暮れと朝焼けの一瞬だけを残してこの美しさを破壊してしまったのかな,といつも悲しくなるのです。
 おそらく,このようにしてこの国が本来もっていた美しさを破壊していくことこそ,この国の人たちの愛国心がみせかけのものであって,本心ではないことの現れなのでしょう。本当に大切なものなら,傷つけたりはしないものだからです。

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●幕の内弁当が懐かしい。●
 今日は,前回に続き,シチズンズパークの見どころをさらに紹介してみよう。

 まず,1番目の写真は球団史に名を残す名選手のレリーフを飾った「ウォール・オブ・フェイム」(Wall of Fame)である。なんとなくヤンキースタジアムの名物であるモニュメントパーク(Monument Park)のマネと思えなくもないが,ヤンキースタジアムのそれは人気がありすぎて見ることも大変なのだが,ここは簡単に見ることができる。
 さすがにヤンキースと並んで19世紀からの歴史があるチームらしく,こうしたプレートを掲揚する資格があるのだろう。

 2番目の写真はフィラデルフィアらしく「自由の鐘」である。これは右中間スタンドにあって,フィリーズの選手がホームランを打つと場内に音色が鳴り響き光を放つのである。
 この鐘の下には屋上プリ―チャーシートという仮設スタンドがあって,先代のベテランズスタジアムのその前に1970年までホームグランドだったシャイブパークの周辺の住民が,当時屋根の上に座席を作って試合を観戦した,という当時の雰囲気でゲームを楽しむことができるようにと作られたものである。ちなみに,現在もシカゴ・カブスのリグレーフィールドでは,こうした客席が現役として存在する。

 そして,3番目の写真が「アシュバーン・アレイ」(Ashburn Alley)である。
 1950年代にフィリーズでリードオフマンとして活躍したリッチー・アシュバーン(Don Richard "Richie" Ashburn)が名前の由来で,バックスクリーン裏にある通路のことである。アシュバーン・アレイにはしゃれた売店が立ち並んでいるが,一番人気は「ブルズBBQ」なのだという。この店はかつて4番バッターだったグレッグ・ルジンスキー(Gregory Michael Luzinski)が地元ファンから,太い腕,大きな体,豪快なスイングから「The Bull=雄牛」と呼ばれていたことにちなんだもので,現在,彼自身が客をもてなしているということだ。

 このボールパークは,フィラデルフィア・フィリーズが歴史あるチームであるだけに,そうしたチームのヒストリーをリスぺクトした様々な工夫が施されていて,ゲームを観戦する以外にも歩いているだけでも十分に楽しめるところであった。
 また,内野席からフィラデルフィアのダウンタウンを眺められるようにと,ホームプレートが南、センターが北を向いている。

 メジャーリーグのボールパークはこのようにどこに行ってもそれぞれ個性があるので,事前に調べてから出かけると,そうした工夫を見逃すことなく訪れることができる。
 最近はテレビの中継を見ていても,その場所の景色やボールパークの様子なども少しずつ紹介してくれるようになったが,それでも,ゲームの結果だけが重視されているのが私には残念なことに思える。
 ベースボールに限らず日本の相撲でも同じことであるが,実際にこうした場所に足を運ぶ人は,結果だけを楽しんでいるのではない。だからこそ,プロフェッショナルであるのだし,もっとこうしたさまざまな楽しみ方を紹介すればいいのに,といつも思う。
 むしろ,こうした楽しみこそ,わざわざボールパークに足を運ぶ目的なのである。
 しかし,それを中継する日本のアナウンサーや解説者も勉強不足で,その魅力を十分に伝えることができない。日本で放送されるMLBのほとんどのゲームが,現地の映像をみながら日本のスタジオでおしゃべりをしているだけだから,実際のゲームの雰囲気が味わえないこともまた,残念である。

 さて,そろそろ試合開始の時間が近づいてきた。私も腹ごしらえをして,のんびりとゲームを楽しむこととしよう。
 このボール―パークにはこのようにさまざまな店があるが,私にはこれといって魅力的ではなかったから,いつもののとおり,ホットドッグを買ってきて,お昼の代わりとした。
 私は,こういうときだけ,幕の内弁当が懐かしくなる。

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 「京都人の密かな愉しみ 桜散る」のPRが目的であることが見え見えのNHKBSプレミアム「あてなよる」第十四夜。PRであろうとなかろうと,常盤貴子さんと飲み会をしているかのようなこの番組は大歓迎でした。
 ところで「粉もん」とは何じゃろかいな? と思って見はじめたのですが,結局のところメリケン粉の進化形なのでした。今回,大原千鶴さんの料理の第一弾は「にんじんの薄焼き」。まあ,かき揚げのような感じでしょうか。これに甲州の白ワインを合わせるのだそうです。その次は「いろいろ衣焼き」でした。串焼きに粉をちょこっとつけて焼くのですが,油っこそうです。ハイボールは冷たいのでこれでだますのですねえ。この取り合わせならよさそうです。
 そして,クライマックスは豆腐に卵が入った「お好み焼き」が登場です。こんなに食べられるのかいな? そこに登場したのがピノタージュ種のワインでした。「お好み焼き」とくれば,さらに出てきたのが「焼きそば」に麦焼酎。麦焼酎に梅干しというのはいいなあ。私にはこれだけで充分そうでした。
 なのにさらにもう一品,デザートが登場しました。しかし,たこ焼き器で焼かれたのはたこ焼きならぬ「熱く甘いスウィートたこ?焼き」。否,あんこ入りのホットケーキにバナナ!でありました。そこに合わせるのがポートワインという段取りと相成りました。

 きわめて少食の私にとって,この「粉もん」の数々はすぐにお腹が一杯になってしまいそうなので,これを酒の席で「あて」にするのは無理です。さらには,出てきたワインの数々。これでは,いくら飲んでも酔えない私にとっては摂取カロリーだけが増大するので,この飲み会は参加不可です。しかし,見ているだけで十分満足できました。
 それにしても,何事も奥が深いものだと思いました。そしてやはり,お酒というのはお金持ちのたしなみだと確信しました。それとともに,いろんなことを思い出しました。
 私は,以前,テキサス州で友人と会ったとき,お土産にもらったテキサス産の赤ワインの始末に困りはて,帰国の前日ホテルで夜明けまで「あて」もなく1本空けてしまいましたが,「あて」のないワインほどむなしい飲み物はありませんでした。さらには,大昔パリに行ったとき,ワインを買ったがよいものをコルクを開けるのに失敗し,ワインがコルクだらけになってしまい,仕方がないのでワイン風呂を楽しんだ遠い過去まで思い出しました。
 どうらや私は,番組を見ていて飲んでもいないのに酔ってしまったようです。しかし,これまでこんなことをしていてはワインに好かれるわけがありません。

 こうした番組では,出演している俳優さん,特に女優さんは普段役を演じているときには隠れている人柄が出てくるのが興味深いものです。今回は,常盤貴子さんが「女優さんの女子会は毒だらけ」と話していたのが最高の話題でした。彼女たちの飲み会では店員さんがいなくなった途端に「みた~あれ~,なんじゃあのサービス」といかいう会話が弾むのだそうです。くわばらくわばら。
 私は,Eテレの「旅するフランス語」とこの「あてなよる」での常盤貴子さんを見ていて,この女優さんもまた,十分に毒を含んでいる人だとお見受けしました。「京都人の密かな愉しみ」をはじめ,ドラマで演技をしているときには封じられている毒がこれらの番組ではあからさまに露見しています。特に「あてなよる」では,常盤貴子さん,確かに酔っています。別にお付き合いをするわけではないので私には関係ないのですが,こんな飲み会で一緒に一献を傾けていたら,この毒にやられるであろうと推察いたします。
 それはともかくも,このようなおいしいものを食べながら美しい女性とスマートにお酒を楽しめるような時間が実際にもてるのはかなり贅沢なことです。しかしこれは虚構です。私は,長い人生経験から,こうしたことは現実には起こりえないと知ってしまったので,テレビを見ているだけで,こうした贅沢な時間がもてたと錯覚して,それだけで十分に満足したことでした。 

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「あてなよる」-至福の時間は,見て味わう。
「あてなよる」「"モテる"焼き鳥」-共に酔える酒あってこそ

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●人気者「フィリー・ファナティック」●
 シチズンズパークももまた最新式のボールパークであったが,広々としているなあ,というのが第一印象であった。
 最新式のボールパークにはノスタルジック型とモダン型があるが,ここはモダン型である。建て替える前のボールパークがノスタルジック型だったところはその面影を残そうとするので新しいボールパークもまたノスタルジック型になるのに対して,不評であったクッキーカッター型のボールパークを建て直すというか文字通り「立て」直すときにはそのイメージを払拭しようとするためにモダン型になるのだと私は思っている。
 ちなみに日本の新しく作られた野球場である広島や楽天などの本拠地はアメリカでいうところのノスタルジック型の真似である。東京ドームやナゴヤドームなどのドーム球場は,アメリカでは不人気でいまや跡形もないにクッキーカッター型であり,神宮や甲子園はアメリカではそれよりももうひと世代前の1970年代のボールパークの形式のままである。

 フィラデルフィア・フィリーズのマスコット,つまり,日本でいう「ゆるキャラ」はご存知「フィーリー・ファナティック」(Phillie Phanatic)である。1978年に登場した「フィリー・ファナティック」は,今でも圧倒的な人気を誇る。
 1970年代後半,当時のホームグランドであったベテランズ・スタジアムは,酒に酔って暴力沙汰を起こすような粗暴なファンが目立つようになって,子どもや女性など家族連れの足が遠のいていった。当時,チームでマーケティングや広報を担当していたデニス・リーマン (Dennis Lehman)は,子どもや女性の呼び込みのためには,サンディエゴ・パドレスの人気者「サンディエゴ・チキン」のようなマスコットがフィリーズにも必要と考えるようになって,キャラクターの制作をセサミストリートのマペットで実績のあったハリソン・エリクソン社(Harrison/Erickson)に依頼した。
 そこで作らたマスコットは「狂信的=fanatic」から単語のつづりをフィリーズの「ph-」でもじった「phanatic」と名付けられたのだった。

 「フィーリー・ファナティック」は,1978年4月25日何の前触れもなくひょっこりその姿を現した。
 ファナティックは緑色の毛皮で覆われ太った体形をしている。円筒形のくちばしには吹き戻しが仕掛けられていて,これで舌を出すような表現をする。身長は6フィート6インチ(約198センチ),体重は300ポンド(約136キロ)で,ガラパゴス諸島出身,母親の名前は「Phoebe」(フィービー)である。
 好きな映画はもちろん「ロッキー」で,2006年に公開された映画「ロッキー・ザ・ファイナル」では,エンディングクレジットにファナティックも登場している。また,マスコットがボールパーク内をATVに乗って走り回るようになったのはファナティックが最初である。
 日本のプロ野球チームである広島東洋カープが1995年にマスコット「スラィリー」( Slyly) を登場させているが,この「スラィリー」は「ファナティック」の 「counterpart=片割れ」である。実は,「ファナティック」と「スラィリー」は同じハリソン・エリクソン社デザインなのである。

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 2017年のゴールデンウィークは,まあまあの天気のうちに終わりました。今年は,暑くもなく寒くもなく過ごしやすい毎日でした。心配していたPM2.5も連休中は治まっていました。
 私も若いころはこの時期に様々なところに出かけましたが,こんなところが! と思うほどどこへ行っても混雑しているだけでした。人ばかりの温泉に浸かっていても癒されないし朝ごはん会場は子供が走り回っているしドライブインは車を停める場所すらない,しかもゴールデンウィーク料金などという人をバカにしたものまであってさまざまなものの値段が高く,日本国内には行くところなどどこにもない,という結論だけが残りました。そのころは海外旅行ならそれほどでもなかったのですが,今はどうでしょうか? しかし,混雑する空港を通り抜けなければならないだけでも気がめいります。ゴールデンウィークは,今の私にはまったく無関係なお休みです。
 この時期にどうしてもどこかへ出かけたい人は,ゴールデンウィークの次の週末が「穴場」です。私はそれを意図したわけではないのですが,次の週末は東京へ行って,土曜日はNHK交響楽団の定期公演を聴き,日曜日は大相撲夏場所の初日を見ます。

 さて,現在,このブログでは「2016夏アメリカ旅行旅行記」を書いていますが,私は,この旅をもってアメリカ50州を制覇しました。そして,「アメリカ50州・その後」として,50州を制覇してからはどこへ行こうか,ということも書いてきました。そして,実際,書いたとおり,ハワイやニュージーランドに出かけました。しかし,ある意味これがよくなかったのかしれません。というのは,その魅力に目覚めてしまったからです。なにせ,ハワイやニュージーランドは,アメリカ本土へ行くよりもずっと楽です。アメリカの大都市のような混雑とも無縁です。こんな世界を知ってしまうと,ますますアメリカ本土が遠く感じられます。 
 私はいつも10日間くらいの旅でも2泊3日用として売られている機内持ち込み用のカバンひとつを持って身軽に出かけます。若いころはもっと長い期間旅がしたかったものですが,今は長くても8日くらいまでが理想です。これより長くなると旅が大ごとになってくるからです。私は,ふと気が向いたときにJRに4~5時間乗って旅をしてくるような,そんな感じで海外旅行を楽しみたいのです。そこで,気軽に行くことができる,しかも人の少ない地域への旅というのを求めると,やはり,ハワイ,オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ本土なら西海岸のシアトルなどということに落ち着くのです。

 ハワイは,セントレア・中部国際空港からであれば午後9時30分の便があって,その日の朝(時差が-19時間あります)にはホノルルに到着します。ホノルルの雑踏を避けて乗り換えれば1時間もかからずに別の島に着くことができます。そこでレンタカーを借りて,あとはホテルさえ確保しておけば気軽に旅ができます。帰りも,朝ハワイのそれぞれの島から国内線に乗れば,午後にホノルルを出発する便に間に合うので,翌日の夕刻には帰国することができます。
 オーストラリアやニュージーランドには成田から夜出発するカンタス航空に乗れば,翌日の早朝にはオーストラリアのブリスベンに到着します。オーストラリアは時差もほとんどないので,日本で深夜バスに乗るのと変わりません。セントレアから成田までは国内線で行けます。ニュージーランドに行くにはブリスベンからさらに3時間以上かかりますが,それでも夕方には到着できます。帰りはニュージーランドを朝出発してブリスベンまで行ってそこから帰国するのですが,このとき,ニュージーランドからブリスベンまでが時差の関係でまったく時間が進まないというのが手品の種です。つまり,ニュージーランドを午前8時に出発して3時間後にブリスベンに到着しても現地時間はやはり午前8時! なのです。アメリカ本土で直行便がないところに行くと,行きは深夜に到着するし,帰りは夜が明ける前に旅立つ必要があるというのとは大違いです。
 アメリカ本土にたどりつきたいのなら,成田からシアトルまでの直行便が最も時間がかからず便利です。とりあえずシアトルで降りて,そこで1泊してからどこかへ行く,帰りもシアトルで1泊してから帰るのが楽ですし無理がありません。シアトルからはアラスカまでもわけなく行けます。

 私は,これまでさまざまな旅をした結果,日本国内を高いお金をかけて旅行するくらいなら,こうして気軽に海を越えてしまったほうがむしろ安く楽しい旅ができるということを知ってしまいました。日本が優れているのは,これもいつも書いているように食事だけです。ならば,何もえらい目して国内旅行などしなくとも,家から近いところで贅沢な食事をすればいいわけです。国内旅行は田舎を「こころ旅」することも捨てがたいのですが,これは車を使わずJRのローカル線に乗って日帰りできままに下車して小さな町に行って散策することのほうがずっと楽しいのです。蛭子さんじゃあないけれど,日本の旅館は当たりはずれが大きく食事が豪華でも値段も高く,田舎には手ごろなビジネスホテルがないので,東横インのある都会以外は宿泊することすら大変なのです。
 昨年の秋から私は「旅するドイツ語」という本当は語学番組なのになぜか旅番組と考えたほうがふさわしいEテレの番組を見ているのですが,それに感化されて一時,急にオーストリアに行きたくなったりしました。そこでずいぶんと調べてみたのですが,結局のところ,残念ながら人の多いそして日本の東京のようにこまごまとした都会にはそれほどのときめきを感じません。今のところはテレビで楽しめばいいや,と思い直すようになってしまいました。そしてまた,ウィーンでずいぶんと苦労してチケットを手に入れてしかも正装してクラシック音楽を聴くくらいなら,今のところは東京でN響を聴けばそれでいいや,とも。そのうち歳をとってアメリカ大陸を車で走るような無理ができなくなったら出かけるとしましょうか。
 そんなわけで,私はこの先も当分はこんな調子で気軽な旅を好き勝手に楽しみたいと考えているこのごろです。 

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アメリカ50州・その後-これから行きたいところとは①
アメリカ50州・その後-これから行きたいところとは②
アメリカ50州・その後-これから行きたいところとは③
アメリカ50州・その後-これから行きたいところとは④
アメリカ50州・その後-これから行きたいところとは⑤

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●名門フィラデルフィア・フィリーズ●
 フィラデルフィア・フィリーズは日本ではなじみの薄いチームではなかろうか。ほとんどテレビでも放送されない。それは,日本人プレイヤーがいないことも理由のひとつであろう。
 以前,田口壮選手が在籍していたときにワールドシリーズを制覇したこともあった。2000年代のはじめまではナショナルリーグ東地区でずっと1位と強豪チームであったが,2012年以降は最下位争いをしている。

 このチームは1876年のナショナルリーグ創設時にアスレチックスという名前で発足したが1年ももたずに解散し,1863年に現在の名前で再加盟した。
 現在のボールパークであるシチズンズパークができたのは2004年のことで,それまではこのボールパークの北側にあったベテランズスタジアムという名のクッキーカッター型の面白みのないボールパークをホームとしていた。現在,その場所にはモニュメントが建っている。
 この新しいボールパークができたときは,ほかの新設のボールパーク同様に人気があって,257ゲーム連続チケット完売という記録を作った。すでに書いたが,このボールパークのある場所は地元のプロチームのスポーツ施設がすべて揃っているという人気スポットで,こうした複合型の施設は他の都市にもあるが,なんといっても,ここが最も素晴らしいのは地下鉄でのアクセスが抜群に便利であり,しかも,駐車場もたくさんあるということである。
 また,ボールパークのスタンドからは,北側遠くに美しいダウンタウンのビル街を見渡すこともできる。

 後日書くことになろうが,フィラデルフィアの不思議なのは,ボストンのような古都であるにもかかわず,そして,当時の名所がきちんと保存されているにもかかわらず,街に古臭さがないということだ。そして,非常に交通の便が良い。空港からダウンタウンまでも電車1本で行くことができるし,ダウンタウンは日本の街のようなのである。そしてまた,ダウンタウンから非常に近い場所なのにこうした広大な土地に最新のスポーツ施設がそろっていることだ。
 こうした便利で魅力的なフィラデルフィアなのに,日本人には,ボストン,ニューヨーク,ワシントンDCの陰に隠れてしまって,観光に訪れる人も多くない。とてもいいところなのに…。

 このボールパークの名物はたくさんあるが,そのなかで今日はゲートの外にあったふたつのモニュメントを紹介しておこう。そのひとつは通算329勝をあげたサウスポー投手のスティーブン・カールトン(Steven Norman Carlton)の銅像,そしてもうひとつは,史上最高の三塁手といわれるマイク・シュミット(Michael Jack Schmidt)の銅像である。
 私がボールパークに到着したときはまだ開門の時間よりも少し早かったが,ゲートで並んでいたときに,入口にいた係りの人と仲良くなって,写真を写したりおしゃべりをしたりして楽しんでいた。やがて,開門の時間になって,私はセキュリティを通ってゲートをくぐった。仲良くなったおじさんが急にまじめに仕事をはじめたのがおかしかった。私にはこれが29球団目のボールパークであった。

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 何事もやる前から評判になることを意図してはじめたことにろくなものはありません。
 私は「名曲」とか「名品」とか,そういう言い方が好きではありません。昔流行った音楽を特集する番組がよくあるのですが,そうした番組で司会をしている人がどの曲を取り上げても「名曲ですねえ」というのに嫌悪感を覚えます。そうやたらめたら「名曲」があってはたまりません。「もの」を特集する雑誌にやたらと「名品」とうたうのも広告を買わさせたようで好きになれません。大概,そういうものはブランド化されただけのもので「名品」とは程遠いものが多いのです。
 そうした虚像とは反対に,このNHKBSプレミアムで「密かに」はじまった「京都人の密かな愉しみ」という番組ほど,制作者の予想を超えて「密かに」多くの人に愛された番組もそうはないでしょう。予想を超えて評判がよかったために,その後,さまざまなダイジェスト版が何度も放送されたので,私も次第になにがなんだかわからなくなってきました。そこでおさらいをしておきましょう。

 ほとんど何の前触れもなく「密かに」第1話が放送されたのは2015年のお正月のことでした。予告もなくそれもお正月に放送されたので見逃した人も多かったのですが,それでも次第に話題になっていきました。このドラマなのかノンフィクションなのか,見ているほうには一度見たくらいでは制作意図すらよくわからなかった番組は,噛めば噛むほど味のでる,まさに巨匠の噺家の落語のような魅力にあふれていました。
 そして,続編「夏」が放送されたのがその年の夏でした。「夏」編の最後では続編があることが予告され,おそらくこのころからこの番組のこれからの構想ができあがっていったのでしょう。そしてまた,評判のよかった映画の続編がつまらないのと同様に,この2作目は少しだけ制作に苦労をしていたのが垣間見られました。「京都の夏は水」を取り上げたまではよかったのですが…。物足りなさが残りました。
 そして,翌2016年の早春になってやっと待ち焦がれた第3話「冬」が放送され,その年の秋には「月夜の告白」と続きました。「冬」では異国人がみた京都が取り上げられ番組に変化がありました。ケーキ屋さんまで登場して番組もまた,あんこから生クリーム化しました。そして,「京都の秋は月」とばかりに,話が天空にまで昇っていったのが「月夜の告白」でした。
 
 この番組が放送されたときにも書きましたが,こういう「ほんまもん」の番組を作ろうとすると,はじめのうちは手が込んでいるし思い入れがあるからよいものの,どうしても次第にもっとよいものを作ろうとする意志が空回りしはじめるから,少しでも手抜きがあるとかなりめだっちゃうのです。それは,「名」品をうたうような雑誌に登場するたいした「名」品でもないものと同じような危うさを秘めるのです。よって「月夜の告白」に出てきた月齢は微妙にいい加減かつ曖昧なものとなりました。しかし,もともと日本人の感性自体がそうしたいい加減かつ曖昧なものだから -それは日本語自体がいい加減かつ曖昧なものだから- それすら意識して作られたとするならばすごいことです。きっとそうです。私はそう確信します。
 そしていよいよ今回が最終章? らしいです。題して「桜散る」。こうして京の四季が出そろったところで,ついに番組も散ってしまうのです。それこそ「散り際のいさぎよさ」を自負する日本人にぴったりです。

 今回の物語,つまり,このお話の骨格をなす,われらの美しき常盤貴子さん扮する三八子さんのお話は二十四節気の「清明」からはじまります。三八子に老舗の重圧を背負わせるのを不憫に思っていた三八子さんの母は職人頭の茂さんにのれん分けの相談をします。一方では,ヒースローを追っかける「謎の女」エミリーがヒースローの出家に心をかき乱されています。さて,その結末はいかに…?
 日本の「よさ」は京都にこそあり,もし,日本に京都なければ,日本に住む魅力のほどんどは失われるだろうと私は思うのですが,そうした京都の真の「よさ」は「密やか」なればこその「よさ」なのす。それは,星空がきれいだからと日頃興味もないのに星空観測会に押しかけて懐中電灯を照らす輩がお呼びでないのと同様です。
 近頃の京都は世界中の観光地同様外国人観光客が大挙して押しかけてきていて,彼らは「おもてなし」とかいう表面上の偽善には感動すれど,日本人のもつ繊細かつ微妙なしかし「せこい」感性など理解できないから,京都には「密やかな愉しみ」のかけらもなくなりつつあるので,私の足は京都から遠のくばかりです。しかし,おそらくきっと,浅はかな私の及ばぬところで,実は,したたかな京都人はそんな輩とは一線を画して自分たちの生活を「密やかに愉しんで」いるに違いないのです。なにせ,さまざまな動乱を乗り越えた1千年の古都なのですからそんなことくらいではびくともしません。
 では,今回の「京都人の密かな愉しみ 桜散る」を,私もまた「密かに」「愉しむ」こととしましょうか。放送は土曜日です。 

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雪のお正月③-「京都人の密かな愉しみ」
京都・夏②-「京都人の密かな愉しみ 夏」
「京都人の密かな愉しみ」を探して②-雲龍院さん。
早春の京都①-「京都人の密かな愉しみ 冬」
君し来まさば-「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」①
待ち出づるかな-「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」②

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●非常にアクセスの便利なボールパーク●
 私は今回の旅で4球団のボールパークに行って5ゲームを見ることができた。そのうち,この旅行記ですでに書いたのが,イチローの3,000本安打を見損ねたマイアミ・マーリンズのマーリンズパークでの2ゲームと,ビジターチームがテキサス・レンジャーズだったためにダルビッシュ投手の先発を偶然見ることができたボルチモア・オリオールズのオリオールパークアットカムデンヤーズである。
 マーリンズパークは近くにホテルもなく,マイアミの治安もよくないなら旅慣れていない人が行くには結構大変なところであったし,オリオールパークアットカムデンヤーズはワシントンDCからボルチモアが近いので,治安が悪いボルチモアで,ボールパークに近いホテルを確保できさえすれば行くこと自体は難しいところではなかった。

 そして,今日のこのフィラデルフィア・フィリーズのシチズンズパークが3球団目のボールパークである。
 この後,私はワシントンDCにあるワシントン・ナショナルズのナショナルズパークに行くことになるが,このシチズンズパークとナショナルズパークは,ともに地下鉄の駅から非常に近くアクセスが便利なので,地下鉄沿線にホテルが確保できるのならば,行くことが非常に楽なボールパークであった。
 問題としては,雨の多い東海岸では,屋根のないボールパークは中止の可能性があるということだけである。
 私は,この旅で30球団すべてのボールパークに行くことができたのだが,私が行った後で,サンディエゴ・パドレスとアトランタ・ブレーブスは新しいボールパークに移転してしまったから,全球団のボールパークを制覇したといっても,現在の新しいボールパークについてはよく知らない。はたして,そこに行く機会は訪れるのだろうか?

 このフィラデルフィア・フィリーズのホームグランドに行って私が驚いたのは,広大な土地に,ベースボール,フットボール,バスケットボール,アイスホッケーと,プロスポーツすべての施設が存在していたことである。
 こんな複合施設があって,しかもダウンタウンから非常に近く,車がなくても地下鉄で簡単に行くことのできる都市はここをおいてほかに知らない。また,車であっても,駐車場はいくらでもある。
 フィラデルフィアはアメリカの古都であるが,そんな歴史のある街にこれだけの土地があるのが不思議であった。

 私は,地下鉄を降りて,あとは,ボールパークを目指して広い歩道を10分ほど歩くだけであった。ここは,ボルチモアのようにホームレスがたたずんでいることもなかったし,天気がよかったこともあって,非常に気持ちがよかった。
 今日はデーゲームだから心配ないが,地下鉄でのアクセスが便利であるとはいえ終電が深夜12時ということなので,地下鉄を利用する場合はナイトゲームでゲームが延長になったときだけが要注意であろう。

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●フィラデルフィアの公共交通「セプタ」●
 フィラデルフィアの公共交通網を「セプタ」(SEPTA)という。「セプタ」には地下鉄とバスとトロリー,そして近郊列車がある。このように,フィラデルフィアは日本の都市同様の公共交通や私鉄のような近郊都市に通じる鉄道網が発達しているのだが,これが実際利用してみないと勝手がよくわからない。
 それはアメリカに限らず日本でも同様なのだが,大都市を旅行するときにもっとも不安な要素に違いない。

 結論をいうと,フィラデルフィアの公共交通網は利用しやすくとても便利であった。
 今日の1番目の写真のように,市庁舎前の駅からは地下鉄が十字に伸びていて,西に行けば私がレンタカーを返却したアムトラックステーションに行けるし東に行けばフィラデルフィアの歴史地区に行くことができる。また,南に行けば私がこれから向かうフィラデルフィア・フィリーズのホームグランドへ簡単に行くことができるのだった。このように,フィラデルフィアは地下鉄を使えば,観光地には容易に移動ができるきわめて旅行のしやすい町であった。

 先に書いたように,バスもトロリーも地下鉄も近郊鉄道もそのすべてを「セプタ」というから,これが逆にわかりにくいイメージになってしまうが,要するに,日本でいうところの市バスと路面電車と地下鉄と私鉄をひっくるめて「セプタ」というだけのことなのだ。
 チケットは日本のSuicaのようなものもあるみたいだったが,「地球の歩き方」に書かれてあったのはトークンという,30年も昔ニューヨークで使われていたゲームセンターのコインのようなものを現在も使っているということであったから,わずか数日滞在する私は困らないだけのトークンを購入した。

 私は,ニューヨークでもシアトルでもサンフランシスコでもシカゴでもホノルルでも公共バスを利用したことがあるが,アメリカを旅していて,地下鉄に比べて,このバスというのがかなりの曲者だ。乗ってはみても,どこで降りればいいのかがさっぱりわからない。日本と違って,停留所を知らせる放送は,ないかあったとしても地名の発音などさっぱり聞き分けられないからである。
 それでも,運転手が親切なら乗ったときに知らせておけば降りる場所で教えてくれるのだが,それでも乗っている間じゅうかなりの緊張を背負わされることになる。しかし,それは日本だって,初めて行った都市では同様だろう。
 私は,この旅で後日,バスでとんでもない目に会うことになったが,それはまた後のことである。

 さて,私の乗ったセプタ,つまり地下鉄のブロードストリートラインの車内は,例によって,アメリカのMLBのゲーム開始前にどの都市でも見られるのと同じで,フィリーズのユニフォームを着た人たちが,これからベースボールを見にいくぞ,みたいな格好で大勢乗っていたから,彼らについて行くだけだった。私も彼らの動きに従って,ボールパークの最寄り駅パティソン(Pattison)で下車した。

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 私は,ゴールデンウィークの間,新たな「ときめき」とその持続を求めて過ごしていたら,これまでに出かけた旅について,さまざまなことを思い出しました。
 旅というのは誠に不思議なものです。旅をしているときにはさほど感動がなくとも,帰ってからしばらくするとまた行きたくなる場所もあれば,かなりの想い入れがあってそれが実現した時点では満ちたりた感があったのに,時間が経つとほとんとその記憶に残っていない場所があったりするのです。特に,想い入れが強ければ強いほどそれがかなった後ではほとんど記憶に残らないもののようです。

 そんなわけで,私にも意外なのですが,このごろ再び行きたいなという想いがさらに募ってきたのがハワイ島なのです。この春に出かけたマウイ島は確かにとてもよいところでした。自然もいっぱいあったし過ごしやすかったし星もきれいでした。しかし,なぜか,マウイ島にはまた行きたいとは思わないのですが,昨年の春に行ったハワイ島への想いは募るばかりなのです。
 その理由は,マウイ島にはハワイアンミュージックが似合わないからです。しかし,どうしてそう思うのでしょう?
 それに比べたら,ハワイ島はとてもハワイアンミュージックが似合うのです。それは,私が宿泊していたカイルアコナからハワイ島の西海岸をドライブしていたとき,ラジオから流れていた "Over the Rainbow" ,それが本当に素敵だったからなのです。

 "Over the Rainbow" は本来はハワイアンミュージックではなく,ミュージカル映画「オズの魔法使」(The Wizard of Oz)でジュディ・ガーランド(Judy Garland)が歌った劇中歌でしたが,のちに,ハワイ州出身のシンガー,イズリアル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)が1993年に発表したアルバム「Facing Future」にハワイアンにアレンジした "Somewhere Over the Rainbow/What a Wonderful World" を収録し,数多くの映画やテレビ番組,及び広告で使用されるようになったものです。
  私には "Over the Rainbow" で思い出すテレビドラマのシーンがあります。それは「ER」の第8シーズンで描かれたドクター・グリーンの死です。このシーンは15シーズンまで続いた「ER」のなかでも特に素晴らしかったシーンとして有名です。死期を悟ったドクター・グリーンことマーク・グリーン(Mark Greene)は再婚した妻エリザベス・コーデイ(Elizabeth Corday)とその子エラ(Ella=エラはエリザベス・コーデイを演じたAlex Kingstonの実の子供が出演),反抗期で手のやける娘レイチェル(Rachel)を連れてその最後の時間をハワイで過ごすのです。そして,そのシーンで "Over the Rainbow"  がバックミュージックとして流れ続けるのです。

 私がこのドラマを見たときには,まだ,ハワイには全く想い入れがなかったのですが,実際にハワイに出かけて,ラジオから "Over the Rainbow" が聴こえたときに,このシーンが浮かんできたのです。
 このシーンが撮影されたのは,ハワイ島ではなくオアフ島の真珠湾戦艦ミズーリやカウアイ島の浜辺だそうですが,そんなことよりも,イメージとして描かれていた素朴なハワイは,まさに,私の走っていたハワイ島の西海岸そのものでした。
 私は,実際の景色はそれほどでもない日本の旅はこころで感じるものだといつも書いていますが,海外に出かけても,やはり,旅はこころでするもののようです。だからこそ,私は今でも,ハワイ島と "Over the Rainbow" とMark Greene が重なって想いが募るのです。きっと,そうしたさまざまなことが新たな「ときめき」となって,また旅に出かけたいとういう情熱につながっていくのでしょう。

  ・・・・・・
Dear ER Gang,
So here I am out on the beach at 5:30 in the evening. Elizabeth is sitting with me drinking juice, but I'm all about the Mai Tais. The sun is going down; Rachel is dipping Ella's toes in the ocean as they head off on a quest to find the perfect seashell. Weirdly enough, I find myself thinking, you know what would make this moment complete? Some jogger dropping to the sand, short of breath, so I can swoop in with a piece of bamboo to perform a nice clean intubation, fix the guy up and send him off with a good dispo. Which, I guessis my way of saying that I miss you all and that dingy place. Lots of times I thought I should have chosen a different career or gone into private practice, something easier, less grinding, more lucrative, but since I've been gone, I realize that outside of what I am doing right now, sitting on this beach with my family, staying at County are those years, doing what we do on a daily basis was the best choice I ever made. I know what your thinking, but trust me, it's not hard to appreciate once it's over. As much as part of me would like to believe that the ER can't go on without me, the smarter part realizes that you are an incredible group of doctors and nurses who approach everyday with skill, compassion, and thoroughness, that when it comes to patient care, I know my absence will hardly be felt. As for friendship and comradery, well that's another matter. In order to leave, I had to go the way I did, but I wouldn't want any of you to think that meant I didn't value each of you and the years that we worked together, or that I didn't have things of a more personal nature to say. Most of you, I think, have an idea of what those things might be without me writing them down, but still... Ella is laughing and waving for me. Rachel found her shell.
Mark

Mark died this morning at 6:04 a.m. The sun was rising, his favorite time of day. I sent this on so that you might know he was thinking of you all and that he appreciated knowing you would remember him well.
Elizabeth
  ・・・・・・

◇◇◇
「ヨブ記」-光への道を知っているか
「ER XV」-私もある決意をした
「不良老人」の勧め⑦-「ときめき」こそが生きる糧


DSC_1612DSC_1613DSC_1617DSC_1619DSC_1623Curse-of-Billy-Penn

●「ビリー・ペンの呪い」●
 市庁舎タワーのてっぺん167メートルに建っている銅像ウィリアム・ペン(William Penn)は17世紀の後半,当時はイギリスの植民地だったアメリカ合衆国にフィラデルフィア市を建設しペンシルベニア州を整備した人物である。
 ペンの父ぺン(同名)はイングランド国教会信徒であったが,息子のペンはキリスト友会徒(クエーカー)になった。しかし,クエーカーに対する迫害が厳しくなり,ペンは北アメリカに新しい自由な新天地を求める気持ちが強くなっていった。
 チャールズ2世はペンの父親に借金があったために,ニュージャージーの広大な地区を保証することで弁済に当てようとした。こうして,クエーカーの一団はニュージャージー州西部を受領する機会に恵まれたのだった。
 ペンははじめこの領地を「シルバニア」(Sylvania=森の国)と名付けたが,チャールズ2世はペンの父親ペンに敬意を表して「ペンシルベニア」と改めた。

 植民地におけるペンは「政府の枠組み」を通して信教の自由,公正な裁判,主権を持つ人民により選ばれた代表,三権分立と共に民主的な制度を実行した。
 1682年から1684年までペンはペンシルベニアにいたが,「兄弟愛」を意味するフィラデルフィアの建設計画が完成し政策面での案が実行に移されると,各地を巡視に出かけた。その後,ペンはフィラデルフィアに定住したいと願ったが,金銭問題のために1701年に帰国を余儀なくされ,1718年に亡くなった。そして,残された家族はアメリカ独立戦争までペンシルベニアの所有権を持ち続けた。
 フィラデルフィア市庁舎タワーの屋上にはアレクサンダー・ミルン・コールダー(Alexander Milne Calder)が建てたウィリアム・ペンの銅像があるが,近年までフィラデルフィアには「ウィリアム・ペンの銅像より高く建造物を造ってはいけない」という紳士協定があった。

 やがて,1985年に作られた「リバティ・プレイス」(私がこの日,朝食を食べたところである)によって,その協定が破られた。そしてさらに2008年には,それよりもさらに高いコムキャスト・センター(Comcast Center)が建てられた。
 しかし,紳士協定が破られてからというもの,フィラデルフィアの全てのプロスポーツチームはチャンピオンシップシリーズで勝てなくなり,全て敗北してきたのだった。これが「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)といわれたものである。
 2008年,MLBのフィラデルフィア・フィリーズがワールド・チャンピオンとなり,ついにこの呪いが解けた。そして,このとき,ウィリアム・ペンのレプリカの銅像をコムキャスト・センターの屋上に設置したのであった。

 エレベータを降りて外に出ると,狭い展望台からはフィラデルフィアの街ををすべて見渡すことができた。
 ニューヨーク同様にこの街も碁盤の目のように作られているが,ただ北西の方向だけは斜めに道路が走っていて,その向こうにあるのが,フィラデルフィア美術館であった。
 南の方には広く住宅街が続いていたが,その遥か先にあるのが,私がこれから向かうフィラデルフィア・フィリーズのホームグランドであった。
 そして,頭上を見上げると,そこにあったのがウィリアム・ペンの銅像であった。この銅像,クリスマスになればサンタクロースの服を着るし,フィラデルフィア・フィリーズが優勝すれば,フィリーズのユニフォームを纏うのだ。
 一体だれがその服を着せるのであろうか? と私は不思議に思った。

 しばらく展望台にいたが,促されてエレベータに乗り,階下に戻って市庁舎を出た。外を歩いていると,多くのオフィシャルワーカーが外にいて,心配そうにあるビルを見上げていた。そこにいたひとりの女性に一体何があったのか聞いてみると,ビルのエレベータから噴煙が上がったので,ビル全体にエバキュエーション(evacuation=避難)の警報が出たのだという。
 映画やテレビのニュースでよく見かける風景ではないか! 私は,危険だという実感もなく「ああ,アメリカにいる」となぜが感動したものだった。

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●古きよきアメリカの面影の残る街●
 私の泊まるホテルの近くに市庁舎があった。市庁舎の中央にはタワーがあって,よく見ると,そのてっぺんに銅像があった。調べてみると,この市庁舎タワーに登ることができることがわかったので行ってみることにした。
 タワーの高さは167メートルあって,1987年までフィラデルフィアで最も高い建物であった。かつては,そのタワーの上に立っているウィリアム・ペンの銅像をしのぐ建物を市の中心に建てることを禁ずる紳士協定があったという。
 今でも,ドイツでは都市のシンボルである教会よりも高い建物を建ててはならないという決まりがあるのだそうだ。 
 せっかくここまで来たからにには,今は1番高いわけでなくても,この頂上からフィラデルフィアを眺めるのも一興であろうと思った。

 「地球の歩き方」によると,市庁舎のビジターセンターで入場券を入手すると書いてあったので,まず,そのビジターセンターを目指したのだが,どこにそれがあるのか,さっぱりわからない。いろんな人に聞いて聞いて,何とかたどりついたが,市庁舎の1階の奥まったところにあったそこは小さな売店も兼ねていて,さまざまなお土産グッズも売られていた。
 アメリカの土産物売り場にあるのは,大概,メイドインチャイナのマグカップとかフラッグとかくらいで,私は,こういうものを買う意味がよくわからない。とはいえ,そんな私でも,昨年ハワイ島マウナケアにあるオニヅカビジターセンターではすばる望遠鏡のマグカップを買ったし,そのときに,ケック望遠鏡のマグカップも併せて買ってこなかったことを今でも悔いていて,これが欲しいために,また,マウナアに行きたいと思っているくらいだから,やはりこれも人それぞれの思い入れの違いであろう。

 入場券には市庁舎の9階から出発するタワーの最上階へ行くエレベータに乗る時間が指定される。満員で手に入らなかったらどうしようかと思ったのは完全な杞憂で,ガラガラであった。
 6ドル払って入場券を手に入れて,まずは市庁舎の1階から7階まで行く一般用のエレベータの乗り場へ案内された通りに進んで,乗り込んだ。
 このエレベータを降りたところからは,写真のように廊下に赤いラインが引かれていて,それに沿って歩いていき,さらに階段を上ると9階の待合室に出た。
 この待合室の中央にタワーの最上階に行くエレベータがある。その周りには,この建物を作ったの写真などが展示されていた。
 私がそこに着いたときは他に誰もいなかったが,そのうちに,年取った母親とその娘らしき2人がやってきた。私の乗るエレベータのメンバーは合計3人であった。

 こうした歴史的な建物は一見の価値がある。アメリカの大都市にはこうしたものが大概はあるのだが,近頃ではテロの心配で閉鎖されていたりセキュリティが厳しかったりと,ここのように気軽に登れるところが少なくなった。あるいは,もっと高くて近代的な建物にも豪華な展望台があって,そこに登るにはかなり高価な入場料が必要だったりする。
 フィラデルフィアのように,安価で,しかもセキュリティのまったくないものは,今では珍しい。この数日後に再びフィラデルフィアに戻って来たときに行った歴史地区も含めて,この古都は私が30年以上前に行ったときのニューヨークに雰囲気が似ていた。
 当時のアメリカに比べて,現在は,どこもかしこも,セキュリティが厳重になり,観光客がやたらと多くなり,私のあこがれていた古きよきアメリカはほとんどなくなってしまった。しかし,フィラデルフィアには,その面影が残っていた。

 やがて,エレベータが降りてきて扉が開いて係員が出てきて,エレベータに乗るようにせかした。
 我々が乗り込むと,エレベータはタワーの最上階に上っていった。エレベータの窓からは,鉄骨の骨組みが見られて,このビルができた当時の面影をしのぶことができた。

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 史上最大級の期待とは裏腹にあっけなく消滅してしまったアイソン彗星(2012S1 ISON)が太陽に接近したのは2013年の秋のことなので,あれから早くも3年以上が過ぎました。このアイソン彗星こそ私の恩人です。それは,この彗星をきっかけとして,それまでほとんど趣味といっても絵に描いた餅のようだった星見の楽しさに目覚めてしまい,それ以来,新月が近づくたびに比較的暗いと思われる山やら海岸やらに出かけては星を見たり写真を写したりするようになったのです。そして,次第に,海外にまで出かけるようになると,はじめは満足していたのに,現在は,日本で見ることのできる星空というのが,あまりになさけない濁ったものであることを実感するようになりました。
 それでも,観測機材の発達とコンピュータを使えば,見せかけだけは美しい星空の写真が作れるのですが,それもまた,実際に海外の満天の星空をみてしまうと,むなしくなってしまうのです。

 ブログにも書いたように,3月はラブジョイ彗星(2017E4 Lovejoy),パンスターズ彗星(2015ER61 PasSTARRS),タットル・ジャコビニ・クレサック彗星(41P Tuttle-Giacobini-Kresak),ジョンソン彗星(2015V2 Johnson)という4つの明るい彗星が見られましたが,このうちのラブジョイ彗星とパンスターズ彗星は太陽に近づいてしまい姿を見つけるのが難しくなりました。また,長い素晴らしい尾を見せたラブジョイ彗星は私が写真を写したのち,彗星核が崩壊して急激に拡散・減光してしまったということです。
 しかし,4月も,タットル・ジャコビニ・クレサック彗星とジョンソン彗星は空高くあるので,3月と同様に簡単に写すことができました。
 いつものようにそれを写しに出かけてもよかったのですが,6月の下旬に出かけるオーストラリアに持っていこうと思っている小型の赤道儀と新しく購入した90ミリのマクロレンズのチェックを兼ねて,新しい試みをすることにしました。
 それは,こうした小さな機材は小回りが利くので,それを持って,新しい観測場所の開拓も兼ねて,これまで行ったことのない場所に行ってみることでした。

 そうして4月29日に写したのが,今日の1番目から4番目の写真です。
 1番目と2番目の写真はジョンソン彗星とタットル・ジャコビニ・クレサック彗星ですが,いつもような焦点距離500ミリのレンズに比べたら,焦点距離90ミリで写すとこんなものです。このレンズは外国に持っていきやすい大きさで,しかも小型の赤道儀に載せることのできる無理のない重さ,ということで選んだ安価なレンズなのですが,予想したとおり絞りが開放だと星が点になりませんでした。しかし,2段階ほど絞ると写真のように使い物になることがわかりました。
 また,3番目と4番目の写真は北斗七星近くにある通称子もち銀河といわれるM51と回転花火銀河といわれるM101です。
 5番目は3番目のM51を以前500ミリレンズで写したもの,また6番目の写真は昨年の1月にカタリナ彗星(2013US10 Catalina)がM101に接近したときに500ミリレンズで写したものです。
 結果として,90ミリで写すと,まあこんなものか,という感じですが,重い荷物を持っていけない海外では,このくらい写せるのなら予定通り持っていっても大丈夫かなとも思いました。

 しかし,それよりも何よりも私がショックを受けたのは,いくら空の汚い春だとはいえ,空の暗いところを求めてどこに行っても日本の夜空がこれほど濁っていて明るいのかということを再確認したことなのです。ハワイやニュージーランドの夜空が懐かしいです。
 「里山」とかいうところには,都会から離れた田舎暮らしに憧れて老後に転居する人がいるくらいですが,そうした場所は,お昼間に出かければ自然一杯の素敵なところに思えても,夜になれば遠くの都会の灯りが鈍く光り,あるいは,まったく意味のない外灯が必要以上の光を空に照らし,美しい星空はありません。日本では満天の星空などどこにもないということなのです。
 おまけに,なぜか天気予報ではほとんど触れられないのですが,春はPM2.5の影響で,都会はもちろんのこと田舎でも,お昼間は青い空なんて見られませんし,当然,夜になっても澄んだ空に星が輝く姿とは程遠いものです。実は,ここ数日の日本の空の状況は北京の空と変わりません。だから,ゴールデンウィークに屋外で活動するなんて無謀な話なのですが,原子力発電所の再稼働やタバコをいい例として国民の安全や健康よりも金儲けを優先するこの国では,PM2.5の実態を報道すると観光地に損害が及ぶので報道を自粛しているのではないか? とさえ私は疑っています。
 こんな状況では自然が泣いています。特に,夜空を明るく照らすなどというのは,治安を守るということとは全く別の次元です。空を照らす必要などないのです。正直言って,すでにこの国の夜空は見捨てた私ですが,それでも,細く長くこれからも星見を楽しむには,そう海外にばかりは行ってられません。しかし,こんなに汚く明るく濁った夜空しか見えない日本で,これからどんなふうに星見を楽しもうかと,途方にくれるこの頃です。

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早春の来訪者-明るくなった彗星が4つも見える。①
早春の来訪者-明るくなった彗星が4つも見える。②

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●食事が異常に高いのは?●
 ホテルから出て少し歩いたところにある交差点の角に「リバティプレイス」(Liberty Place)と入口に書かれた新しいビルがあったので,なかに入った。2階に上がるとフードコートがあった。このフードコートはこの後たびたびお世話になることになるが,このときはまだ,そんな先のことはわからない。
 とても広いフードコートで,日本食から中華料理,インド料理,メキシコ料理,そして,当然ハンバーガーショップなど,世界中の多くの種類の食事がそろっていた。私はこの日,まだ,朝食をとっていなかったので,お気に入りの「Chick-fil-A」があったから,ここで食事をすることにした。

 この3月に行ったハワイ・マウイ島もそうであったが,アメリカは異常に食事が高い。私は旅行をするたびにそう思う。しかし,ハワイで現地に住む日本の人に聞くと,日本だって高いじゃないか,という。彼曰く,アメリカなら4,000円も出せばステーキが食べられるが日本なら10,000円もするではないかと。しかし,私は日本で10,000円もするようなステーキを食べたことはない。朝食だって,日本でもホテルなら1,000円くらいはするだろうが,そんなものを食べたことはない。
 要するに,旅行先では行く店が違うということだろう。
 そもそも私がいつも不思議に思うのは,日本では新入社員の手取りの給料が月に200,000円もないのに,街中にあふれているモールのレストランでは1,000円以上もするランチに列ができているということである。どこにそんなお金があるというのだろう?

 それよりも,私がアメリカを旅していて非常に馬鹿らしいと思うのはチップの存在である。この金額が異常に高くつく。一流レストランならともかくも,アメリカでデニーズ(現在アメリカのデニーズは日本のデニーズとは無関係)のようなファミリーレストランに行って,単に注文を取って食事を運んでくれるだけで他に大したことをしてくれるわけでもないのにチップをくれてやるなんて,ほんとうにどうかしている。そこで1,000円の食事が1,200円になるなんて私には全く納得し難いのである。
 そしてまた,私も旅慣れていなかったころは調子に乗って,日本なら頼みもしないのに,レストランで食事をするときアメリカでは食事の注文の前に「お飲物は?」と言われるので「とりあえずの」コーヒーなどを注文したりしたものだから,輪をかけて食事が高価になった。しかし,旅慣れたころになってまわりを見渡す余裕ができたら,ほとんどの人はコーヒーなど頼まず水を飲んでいるではないか! 馬鹿なことをしたものだ。
 だから,こうした,チップの要らない,しかも,余分なものを注文しなくてよいフードコートやソフトドリンクがお代わり自由のハンバーガーショップのほうがずっと便利なのである。

 実際に住んでる人に聞くと,高価な外食などしないという。結局,考えてみれば,それはどの国でも同じことなのだ。レストランで外食をするなど,その土地のグルメを楽しむなど特別なときだけで十分なのだ。日本だって飲みに行けば数千円くらい簡単に飛んでいく。そんなわけで,私も,このごろは単に空腹を満たすための食事はホテルの近くのスーパーマーケットを探しては調達することにしているのだが,このほうがその土地の食文化を知ることができるのでとても面白い。旅の醍醐味はここにあるといってもよいほどだ。
 日本にはモールなどないと思っているアメリカ人も多く,アメリカの異常に広いモールを得意がるが,近年はそんなもの,日本にだっていくらでもある。そして,日本だろうとアメリカだろうと,売っているものも入っている店もほとんど違いがない。ただし,フードコートの食事の種類は,どこへ行っても代り映えのしない日本よりも,むしろアメリカのほうがずっと多いのだ。

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●フィラデルフィアはまるで日本のよう●
 フィラデルフィアのアムトラックステーションは数十年前の日本の大都市の駅と同じようなところで,広いコンコースが威厳を保ち構内にはレストランやら売店もあった。
 レンタカーを返却して身軽になった私は,ここから地下鉄に乗って予約したホテルに行くことにしていた。チェックインの時間まではずいぶんあったが,カバンを持っていては何もできないから,チェックインができなければカバンだけを預けるつもりであった。
 通りがかりの人に地下鉄の駅までの行き方を聞いた。入口は駅の外にあった。その場所まで行くと,階段を下りる手前に案内所があったので,路線図をもらいトークンを5枚買った。
 トークンとはゲームセンターのコインのようなもので,ニューヨークではずいぶんと前にはこんなものを使っていたが,フィラデルフィアの地下鉄では未だにトークンなるものが使われているのが古臭くておかしかった。
 この町には,30年前のアメリカの都会がそのままある。

 大都市の公共交通は慣れるまでハードルが高い。今ではクレジットカードでチケットを買うことができる都市もあれば,この後で行くワシントンDCやサンフランシスコのように,日本のSuicaのようなものを買うことができる都市もある。
 逆にハワイのホノルルの市バスなど,未だにお釣りが出ないし両替もできないので,きちんと2ドル50セントを用意しなくてはならないというところもあるが,ほとんどの日本人観光客はそんな市バスなどは利用しないからおそらく乗り方すら知らない。私はそんなときのために,私の小銭入れにはクォーター(25セント硬貨)が山ほど入っているが重たいだけでほとんど出番がない。ほとんどどこでもクレジットカードが使えるアメリカでは,万一のそういう場合に備えて1ドル札と10ドル札が数枚とクォーターが十分にあればなんとかなる。
 こうして私は,まだ土地勘がなくよくわからないまま地下鉄に乗り込んで数ブロック先の「15th Street」駅で降りて地上に出た。数年前に生まれてはじめて福岡の空港に降りてそのまま地下鉄に乗って市街に出たときのことを思い出した。それとほとんど同じ状況であった。

 事前に調べておいたように,東京の浅草駅のような「15th Street」駅の地下道を歩き地上に出て5分ほど行けば予約したホテルに着くはずであった。ホテルのあるのはフィラデルフィアの市庁舎のあるあたり,つまり,ダウンタウンの中心で,とても便利なところだったが,問題はこのホテル,ダウンタウンにあるので宿泊代が結構高価だということだけであった。
 行ってみてわかったが,フィラデルフィアは日本の都会のようで,非常に観光するのが楽なところであった。治安が悪いと脅かされていたが,ボルチモアとは違ってそんなことは全くなかった。

 ホテルのフロントは2階にあった。入口を入ってエレベータで2階に上がりフロントに行って聞いてみたが,まだ部屋の用意ができていないのでチェックインはできないということであった。アメリカのホテルではチェックインの時間より早くても部屋があれば入ることができるが,ここはだめだった。仕方がないので,カバンだけをクロークに預けて再び外に出た。

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●ロッキーの足型を見損ねた。●
 私はロッキーの像と一緒に写真を撮る,という長年の夢を,ついに実現した。この像は,私のように一緒に写真を写そうとする観光客が全世界からやってきて,順番待ちをしているのだが,私が行ったときはまだ早朝だったので比較的人は少なかった。
 「地球の歩き方」には「写真を写してあげるといってチップをねだる人がいるから気をつけよう」と書かれてあったが,私が行ったときにはそんなけしからん輩はいなかった。むしろ,私が頼まれて次々とカメラマンをやっていた。もちろん,チップなど請求しなかったけれど。そして,私が写されるときには,やれ右手はもっと上にとか左を向けとかいろいろとポーズのつけ方をアドバイスされたりした。

 私は念願がかなったあと,頭のなかで映画「ロッキー」のテーマを奏でながらロッキーステップを駆け上がった。見渡すと,大勢の人が同じことをやっていた。
 しかし,あまり時間がなく急いでいた私は,このとき,ロッキーステップの最上段にロッキーの足型があるのをすっかり忘れていて見損ねてしまったのだった。この旅で,そのことをずっと後悔することになるのだが,この数日後に再びここに来ることができて,ロッキーの足型も見ることができたのだった。そのことはまた後日。

 レンタカーを返却する午前10時に近づいてきたので,私は急いで車に戻り,レンタカーを返却するために,フィラデルフィアのアムトラックステーションへ行くことになった。
 たいていの場合,私がレンタカーを返すのは空港だから,列車の駅で返却するというのははじめての経験であった。はじめの予定では,フィラデルフィアでも空港で返却をするつもりであったが,考えてみれば,車を返してからダウンタウンに行くのだからこの方が便利だと思い直して,変更したのだった。しかし,それはそれで勝手がよくわからなかった。
 駅に着いて,まず,レンタカーリターンを探すのが一苦労であった。日本ではJRの駅のまわりはタクシーであふれているが,ここではなんとタクシーではなくウーバーであふれかえっていたのが私には衝撃であった。日本とは全く異なる世界であった。こうして日本人の知らない間に世界はどんどんと進化を遂げている。
 そこを抜けると,なんとかレンタカーリターンの道路標示を見つけることができたので,それに従って走っていくと,駅の地下駐車場に入っていった。さらに進んでいくと,一番奥まったところにハーツレンタカーの駐車スペースがあったのだが,係員はだれもいなかった。アメリカではこういうのがふつうなのである。こうした場合,何事も自分で判断しないとはじまらないわけだ。私はとりあえず空いていた場所に車を停めて,カバンをトランクから出して,地上階の駅の構内にあるハーツレンタカーのカウンタまで行き,走行距離を言って車のキーを返した。日本とは違って返却するときに車を調べるわけでもなくこれで契約は終了である。
 キーを返したときに,係員が「車は快調だったか?」と聞いた。まあ,いろいろとあったけれど,無事に3,878キロ(日本列島2往復に相当),ここまで走り通すことができたからよしとしようと思った。

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 ゴールデンウィークを前にして,NHK-BSプレミアムで時々放送している「あてなよる」もまた,気合を入れての3週連続放送ということです。
 4月26日は第十二夜「つぶつぶで呑む」。ゲストは藤井隆さんと鈴木砂羽さんです。その次の週に放送予定の第十三夜は「生姜で呑む」。ゲストは田畑智子さんと浅田舞さん。そして,第十四夜の「粉もんで呑む」のゲストは常盤貴子さんと団時朗さんとくれば,これはときめきます。
 番組の「あて」というのは酒の肴のことで,この番組は極上の「あて」と酒でたのしむ大人のエンターテインメントです。

 第十二夜である今回,あての求道者・大原千鶴さんが挑むのは「つぶつぶ」がテーマということで,はじめに登場したのが豆腐のたらこバター乗せを「あて」に泡酒を呑むことです。しかし,それだけではもの足らずキャビアといくらをトッピングし,さらに魚卵まで…。
 ここまではよしとしても,ぶぶあられにエビが接着してしまっては,もはや「あて」というよりもお菓子じゃあなかろうか? と私は思うわけですが,これに合うのが地ビールなのだそうです。
 メインはすき焼きにマイクロトマトが乱入してむりやりプチプチ感を醸し出していくのですが,これこそが「大人のすき焼き」ということで,そこにボルドーの白ワインが登場しました。
 そして万を持して出てきたのが塩っ辛い「あていちご」??? にしょうがシロップ,最後に登場したのがカラスミとチーズの餅包みにサルゲーニャ島の白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・オリスターノ」(Vernaccia di Oristano)でありました。
 あっという間の30分,私は見ているだけで三十分,いや十分満足しました。本当にごちそうさま。

 期せずして,この飲み助ご用達番組の序奏となったのが「あてなよる」の2時間ほどまえに放送された「"モテる"焼き鳥」という番組でした。
 これこそ,「あて」の代表選手・ ビールのお供にぴったりな焼き鳥をネタに,話題が出てくるわ出てくるわ…。
 どうやら「"モテる"焼き鳥」という番組は,みんながお気に入りの焼き鳥という意味から転じて,焼き鳥好きは「もてる」ということに発展させたいらしいのです。
 ふんだんな話題のなかで私が特に感動したのは「塩?タレ?どっちがツウ?」でした。塩味の焼き鳥は,単に焼き鳥に塩を振っているのではないのです。こんなものアメリカなら塩やらコショウを適当に振りかけて終わりでしょうが,おいしい塩作りからはじめるなんてきわめて日本らしいお話です。そして,タレもまた手が込んでいます。

 実は,私は本質的にはこうした日本人の異常なこだわりが嫌いです。その理由は,簡単にいえば,努力に結果が見合わないからです。これこそが,ブラック企業やら長時間労働の根底なのです。
 1か月ほどまえにハワイ・マウイ島のホテルで日本の職人さんを話題にしたテレビ番組を見ていたとき,その番組の司会をしていた関口宏さんが「日本人は仕事に生きがいを感じますからね」と話していたのを,私はハワイの空気を感じながらもすごい違和感をもって聞いていたのですが,まさにこの焼き鳥の塩やタレ作りもまたそうした職人芸です。
 でもねえ,そうはいっても,わかっていても,正直いって,やはり,日本の食べ物はおいしいのです。食は日本に限るのです。私もそれは素直に認めざるを得ないのですが,そのおいしさを手に入れるには,これほどまでの入念な準備が必要なのです。これでは私の心が葛藤し,私の信念は自己矛盾に満ち満ちてきます。実に困った由々しき問題です。
 そんな凝った焼き鳥を食べる機会すらない私ですが,5月14日からはじまる大相撲夏場所の初日のチケットを手に入れちゃったので,そのときは絶対に国技館名物の焼き鳥を食べてやるぞ,と固く決意したのでした。

 それにしてもですね,きわめて残念なのは,歳をとっても,私は酒に弱くならず,というよりも逆に強くなって,まったく酔わなくなり,そんなことなら酒を呑む必要がなくなってしまったことに気づいたことです。それで私は思い当たったのですが,酔わないのならビールでなくともノンアルコールビールでも同じだし,酒でなくとも水でいいのです。これはかなりなさけない話です。
 そしてまた,ハチャメチャに遊びまわっている私は,意識せずとも話題だけは同輩の人以上に豊富になってしまい,相当なことには感動しなくなってしまい,私と違って日々多忙な人たちとは話が合わなくなり,そのことで,私でもたまには存在する酒の席が一向に楽しくない,というありさま。これもまたなさけない話です。
 これでは,せっかくの「あて」も当てはずれということになってしまうのです。実に寂しいことです。

◇◇◇
「あてなよる」-至福の時間は,見て味わう。

 「ときめき」を私の愛用する2冊の辞書で調べてみました。
 まず,三省堂の新明解国語辞典(通称「新解さん」)の第7版です。
 「ときめき」(喜び・期待などで)胸がどきどきする。これではわからないので,次に「どきどき」を調べてみました。「どきどき」激しい運動のあと(極度の興奮や緊張によって)心臓の鼓動が激しくなる様子。
 これはひどい説明ですね。この辞書によれば「ときめき」は激しい運動のあとで心臓の鼓動が激しくならなければならないわけです。いかにも新解さんらしいいいかげんさです。この辞書は,思い入れのある言葉はものすごく情熱的に語られるのに,思い入れのない言葉は適当なのです。それは語句の説明に使用される言葉の量の違いでわかります。やる気のなさが伝わってきます。新解さんは「恋愛」にはときめくのに「ときめき」にはときめかないようです。
 では,岩波の国語辞典(いわゆる「岩国=イワコク」)の第7版ではどうでしょうか。
 「ときめき」喜び・期待などで胸がわくわくする。では「わくわく」はどう説明されているでしょうか。「わくわく」楽しい期待などで心が落ち着かず胸が躍るさま。
 さすがです。私が最も信頼する辞書だけのことはあります。
 そういえば,以前「辞書を買うならまず「みぎ」を引け」を書いたときに「「岩波国語辞典」に載っていた「みぎ」の説明には感心し,感動しました。」と書きましたが,その種明かしをしましょう。その理由は,この辞書の「みぎ」の説明のはじめに「相対的な位置の一つ」とあることなのです。こんな説明が書いてある辞書は他にないのです。考えてみれは,「みぎ」を説明するためには,はじめにこの定義が絶対に必要なのです。そうなのです。「みぎ」とか「ひだり」というのは「相対的な位置を表す言葉」なのです。で,その上で,「みぎ」はどちらの方向を指しているのか,という説明があるべきなのです。

 さて,ここからが今日の本題です。
 私は,日頃から,やりたいことをやりたい放題にやっているのですが,その結果,非常に残念なことにその副作用として「ときめき」がなくなってきたことがあります。辞書の言葉を借りれば,その理由は,喜びや期待がなくなってきたからでしょう。仕事を辞めたころは,家の周りを散歩しているだけでもときめきだらけだったのに,この変わりようは一体何なのでしょう。要するに,期待をする以前に結果がわかってしまうからです。
 いよいよゴールデンウィークです。別にこの時期にあえて高いお金を出して旅をする必要のない私には,ゴールデンウィークに出かける気持ちは全くないのですが,テレビのニュースでは,今年は海外旅行に出かける人が増えるのだそうです。そして,その第1位がハワイということです。
 私は,昨年と今年の春にハワイ旅行をして,日本人ばかりのホノルルを避けてハワイ島とマウイ島に行ってきたのですが,日本からホノルルまで同じ飛行機に乗り合わせた多くの人たちを見て,こうした人たちのハワイ旅行というものがいかなるものか,非常によくわかりました。
 ホノルルの,まるで渋谷のようなダウンタウンには日本と同じようなお店が並び,日本語が通じます。ここにはJCBカードの旅行者用のラウンジがあって,そこには日本の新聞を読んだり手持無沙汰にしている人たちが屯していたりします。何もハワイまで来て日本の新聞をわざわざ読みにくることもないと私は思うのですがほかにしたいこともないのでしょうか。
 また,ダウンタウンからダイヤモンドヘッドまでは,日本の旅行社が運航する無料のトロリーバスが走っていて,まるでディズニーランドです。ホテルから海側を見ればそこにはワイキキのプライベートビーチがあって,食事をしながらフラダンスを見たりできます。まあ,熱海みたいなもんです。
 私は,そうしたハワイ旅行には全くときめかないのすが,これはとてもいけないことです。こんなことを思っていては,そのうちに何もしたくなくなってくることでしょう。それは,私の理想とする「不良老人」とは真逆の方向なのです。
 そうなんです。書いていてわかりました。「ときめき」こそが生きる糧なのです。そして,そのために必要なのは「わくわく」感なのです。だから,何もすることのない私のゴールデンワークには,どうしたらこれからも「ときめき」が持続できるのかをわくわくしながら考え直してみることとしましょう。

◇◇◇
辞書を買うならまず「みぎ」を引け-本物を見破るには?
「不良老人」の勧め①-自分を探しに放浪の旅に出よう。
「不良老人」の勧め②-不規則な生活をしよう。
「不良老人」の勧め③-「主体性なき右往左往」にはならない
「不良老人」の勧め④-50歳を過ぎたらルビコン川を渡れ。
「不良老人」の勧め⑤-私の実践するライフファイナス
「不良老人」の勧め⑥-めざせ!「プリタイヤメント」

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