しない・させない・させられない

アメリカ合衆国50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した旅行記。

"I won't do or be made to do what I don't want to. I won't make you do what you don't want to."
Traveling all US states and MLB ball parks, watching southern of the starry sky, solar eclipse and aurora.It's my life.

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●なんとかホテルにたどり着く。●
 不愛想で,かつ,不気味な運転手であったが,こうして,なんとか私はホテルの最寄りのバス停で降りることができた。
 旅先ではこれまでもいろいろなことがあったが,いつも,なんとか奇跡的に目的地にたどり着くことができている。しかし,おそらくそれは奇跡的ということではなく,だれであってもそのようにうまくいくのであろう。
 それにしても,電車に比べて,バスというのは利用するのが難しいものだ。それはアメリカだから,ということではなく,日本でもそう違いはない。 しかし、,一旦乗車してみると,バスを利用している人は弱者が多く,彼らはみな親切なのである。人の痛みというのをよく知っている。だから,助け合いの精神があって,なんとかなるのである。
 そしてまた,バスに乗ると,その土地に住んでいる人のことがよくわかるのである。
 とはいえ,ずっとその土地に住んでいても,いつも車を使っているからバスについて尋ねても知らない地元の人も多い。

 このブログ書きながら探しても,私の手元には空港のバス停以外,バスの写真がないのが残念なのだが,写真を写している余裕がなかったから仕方がない。バス停の写真の次に私が写したのは,今日の写真,つまり,夜明けの前のホテルの写真であった。
 話を少し戻そう。空港から乗ったバスで運転手に促されて降りたバス停からホテルまでは,徒歩でわずか5分程度であった。しかし,この日はものすごく暑い日で,少し歩くのも嫌であった。そうして,やっとホテルのある広い敷地に着いのだが,同じ敷地にはホテルが2軒あって,私が予約したのはずっと奥まったところの古いほうであった。
 そのホテルの部屋の写真が今日のものであるが,写真で見ると古びて見えないのがマジックである。
 チェックインをするためにフロントへ行った。確かにこのホテルの口コミに書いてあったとおり,フロントにいた女性はきわめて親切で愛想がよかった。しかし,だからといってホテルが新しくなるわけではない。
 このホテルにはレストランがなく,朝食は隣のホテルでとるのだと言われた。また,朝は夜明け前から隣のホテルと共通の空港までのシャトルサービスがあるという話であった。

 私はこのホテルに到着した時点で,なぜこんなホテルを予約したのか再び後悔した。しかし,だね,こういうわけのわからないことが,将来,ずっと思い出になるのである。
 私はアメリカで,ものすごく多くのこうした「しがない」モーテルに泊まった経験があるが,ほとんどの快適だったホテルのことは忘れてしまったが,記憶に残っているのは,まさしく,こうしたホテルばかりなのである。
 これもまた以前書いたことがあるが,アメリカのホテルは宿泊代が10,000円以下になるとろくなことはない。このわずか数千円の差が決定的なのである。アメリカでも,女性はこんなところには泊まらない,と聞く。

 ともかく,たとえ古かろうと汚かろうと,私はこの旅の最後の1泊を無事にホテルで迎えることができてホッとした。この日は,まだ夕食もとっていないかったが,もう食事をとらずに寝てしまうことにした。
 明日になれば早朝に空港に行って,デルタ航空のラウンジで,お腹いっぱいの朝食が無料で食べられるであろう。それを楽しみに最後の夜を過ごすとしよう。

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 海外旅行をするときの障害は,言葉と移動手段,これに尽きます。そのために,多くの人は海外旅行といえばツアーに参加します。
 ツアー旅行は高価です。私が頻繁に海外に出かけるので「よくお金があるね」「英語は話せるの」と言われます。これが多くの人たちの海外旅行に対する概念なのです。しかし,個人で出かけるのなら,往復の航空運賃以外に必要なお金は国内を旅行したり生活するのと変わりませんし,航空運賃なんて,ツアー旅行しかしたことのない人がおどろくほど安いのです。

 ひとつめの障害である「言葉」の問題,特に英語ですが,人には心と口がある以上言葉は通じます。日本では学校における英語教育で英語が苦手だと洗脳されているだけです。もし,日本で使われている言語が英語であれば,あるいは英語に抵抗がなければ,もっと多くの人が気軽に個人で海外旅行をすることでしょう。海外旅行に行くのをためらっている人,あるいは日本が一番などと意固地になっている人の本音は「英語ができない」と誤解をしていることなのです。私は,日本の英語教育関係者と旅行会社が結託しているのではとつねづね冗談を言っています。
 それにしても,学校でさらに塾で,中学校と高等学校の6年間もの時間とお金を浪費して,それで使い物にならないって,本当にどうかしていませんか? だって心と口を使っていないもの。そしてこの国では英語に限らず勉強の目的は能力を身につけることではなく学歴を手に入れることだもの。これに異論のある英語教育関係者の人がいるならば,反論などせず英語をものにする教育を実践し実証してみたらいかがでしょうか?
 ……と,この話題は今日の本論ではありませんからこれくらいにします。

 さて,ふたつめの障害である「移動手段」ですが,それは日本で生活していても同じことですが,やはり車が運転できないと都会以外を旅行するにはかなり不自由です。
 オーストラリアやニュージーランドは日本と同じ左側通行なので,車を借りても比較的簡単に運転できますが,アメリカでは右側通行なのでなおさらです。おそらくこれも,アメリカ政府と旅行会社が結託しているのかもしれません…… と,これもまた冗談ですが。

 さて,ここからが本論です。私は,常々車を運転してアメリカを旅行していると,アメリカ人が乗っている車が日本とはまるで違うことに気づきます。というより,どうも車に関する考え方がまったく違うようなのです。
 いつも書いているように,日本は狭くどこも渋滞していて,所詮走る道路などないから,車などに浪費するのは意味がなく,単に移動手段だと割り切ったほうがほうがいいと私は思っています。お金さえ出せばだれでもできるようなことで見栄をはっても情けないだけです。そんな日本では,アメリカでは「アクア」もまた「プリウスC」というブランド名なのでそれも含めて,都会なら「プリウス」で十分だし,田舎であれば「ダイハツ・ハイゼットトラック」と「スズキ・キャリィ」という2大「軽トラ」を選ぶのが無敵であり最強です。4WD+ATの「軽トラ」にかなう車は日本ではほかにありません。

 そこで,それに比較したアメリカのお話です。私はアメリカでは特に車種にこだわらずに車を借りるのですが,様々な車に乗ってみた結果,アメリカでは車高の高い車のほうが,ずっと安心して乗れます。車高の低いセダンは,都会ならともかく,いくら高級車であってもずいぶんと貧弱に見えます。特に東海岸ではそれが顕著です。
 トヨタの「カローラ」や「カムリ」といった売れ筋のセダンも,日本とアメリカではまったくデザインが違いアメリカのほうがずっとかっこいいのですが,それでも車高が低いので,西海岸の都会以外ではさえません。ベンツやBMWも同様です。特にあのなで肩のたれパンダのようなスタイルはヨーロッパのことは知りませんが,アメリカではかなり見劣りします。それとともに,アメリカの大都市の高級住宅街を走るときは,ある程度金のかかった車に乗らないとポリスに目をつけれらるので,それにも気をつけなければなりません。アメリカでもけっこう車選びは難しいのです。
 そうしたアメリカの都会で普段乗るのにふさわしい車というのは,文句なくSUVです。例えば,日産の「X-TRAIL」,これはアメリカ名は「Rogue」というのですが,これの真っ黒いのがいいです。
 しかし,実際にアメリカで生活すると,SUVに加えて,トヨタの「タコマ」のような,アメリカ版「軽トラ」,つまり「ピックアップトラック」がないとかなり不便です。アメリカでの週末のレジャーといえばまず第一にキャンプですが,このくらいの荷台がないとキャンプ用具が積めません。それに郊外では未舗装道路が多いので,ピックアップトラックでなければ通行もできないわけです。

 私は単なる旅行者だから週末にキャンプに出かけるわけでないのでほどほどの車でいいと思っていて,アメリカ人がどうしてピックアップトラックなんぞが必要なのかさっぱりわからなかったのですが,次第に現地に友人が増えてきてピックアップトラックに乗せてもらう機会も増えてくると,そのよさや用途がわかってきました。それとともに,そうした車を必要とする生活を知らないうちは,本当のアメリカなど語る資格がないことにも気づきました。
 駅馬車での西部開拓時代から,アメリカは,こうした形の車を活用して発展してきたのです。つまり,日本の現代版リヤカーが「軽トラ」であるように,アメリカの現代版駅馬車こそが「ピックアップトラック」ということなのです。

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●一言も発しないバスの運転手●
 昨晩まで宿泊したホテルの最寄りの地下鉄の駅には,地下鉄だけでなく,空港へ行く電車の駅もあった。ちょうど,東京の地下鉄の駅と私鉄の駅があるようなものだ。
 私は,このときはじめて空港へ行く電車に乗ることになったが,駅の窓口に空港へ行く電車のチケット売り場があったのでそこでチケットを購入してホームに降りた。日本とは違って改札口というものはなく,車内で検札がくる。
 やがて,ホームに電車が滑り込んできた。乗ってしまえば空港までは遠くない。しかし,治安が悪いというのではないが,どうも車内の雰囲気がよくなかった。これは客のせいなのであろうか? それとも,この電車の走っている場所柄のせいであろうか?
 実際,ダウンタウンの西側はあまり風紀のよさそうなところでなかった。
 
 私が今晩のホテルを空港の近くにしたのは,明日のフライトの時間がとても早かったからだが,ダウンタウンから空港までがこれほど便利だったのならダウンタウンにもう1泊すればよかった。
 この日の晩予約したホテルは空港からは近かったが,それでも空港から歩いて行けるような距離ではなかった。そこで空港から路線バスに乗るのだが,その場所にはダウンタウンからもバスで行くことができて,しかもそのほうがずっと運賃が安かったから,私はよほどバスで行こうと思っていたが,もしそうしていたら,そのバスの通るところは,あまり風紀のよいところでなかったわけだ。

 30分もかからず,電車は空港に近づいてきた。窓から右手に広い空港が見られるようになった。アメリカの空港はどこもあまりに広すぎて,ターミナルから歩いて外にでるなんて不可能である。だから,たとえ空港に隣接したホテルであっても,車がなくそこに行くのは不可能である。
 やがて,電車は駅に到着した。
 私はまず空港に行って,明日のフライトのチェックインを済ませて,カバンを預けて身軽になるつもりであった。しかし,フライトのチェックインはできたものの,カバンは前日では預けられないと言われたので,仕方なくカバンを転がして,事前に調べておいたように,この日宿泊の予約をしたホテルまで行くバスが停まるバス停に行くことになった。

 ハワイ・ホノルルの空港も同じであるが,空港では,路線バスのバス停のある場所がなかなかわからなかった。アメリカでは路線バスなんて30分に1本来ればいいほうで,しかも時刻表すらないし,行き先も定かでなかった。
 それでもまだ,フィラデルフィアよりもホノルルのほうがましだった。
 どうにかバス停を見つけたが,わたしの乗るバスの番号には右まわりと左まわりの同じ行き先のものがあって,それだけでも混乱したのに,やはり,バスはなかなか来ない。バス停には2~3人バスを待っていた客がいたが,先に来た別方向のバスに乗っていってしまい,ついに私ひとりになった。
 ようやく私の乗るべきバスがきた… と思った瞬間,バスは私を無視して,停車もしないで通りすぎていってしまった。
 これを逃したら,さらに30分も待つわけだ。私は茫然とした。バスの進行方向には,ずっと向こうに,空港内の次のバス停があった。私はバスを追っかけて次のバス停まで行って,どうにかそこに停車していたバスに乗り込んだ。
 しかし,このバスの運転手,バス停を出発しても,ひと言も発しない。しかも,バス停の案内放送すらない。これではどこで降りればよいのか,どこで降りるためのひもを引けばいいのかさえ,さっぱりわからない。信号すらないから,バスは停まりもしない。これではらちがあかないので,私は,運転中のこわもての運転手に降りたいバス停を告げた。しかし,なんの返事ももらえなかった。
 不安でパニックになりそうになったころ,バスが突然停車して,運転手が私に,ここだ,と言ったのだった。

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 いきなりですが問題です。
 トナカイは英語でカリブー(caribou)とレインディア(reindeer)というふたつの言い方があるのですが,この違いは何でしょうか?
 答え:レインディアは空が飛べるのです???
  ・・・・・・
というのを外輪船ツアーで聞きました。夢のある素敵なジョークです。レインディアの引くそりに乗るサンタクロースさんもさぞうれしいことでしょう。

 さて,今回の皆既日食の旅では,欲張ってついでにアラスカまで足をのばして,オーロラも見てしまいました。
 もともとは,アメリカ50州制覇をした後の行き先として,これからはハワイとアラスカとオセアニアを中心に旅をしようと思ったこと,オーロラは夏でも見られると知ったこと,さらには,この春にオーロラを見にいった知人が複数いてとても羨ましかったこと,そしてまた,これはすでに書きましたが,50州制覇とはえアラスカをまともに観光したことがなかったこと,アラスカは個人旅行では直行便がなくシアトル経由で行くことになるから,せっかくシアトルに行ったのならついでに行ってみようと思ったこと。それが,今回アラスカまで足をのばした理由でした。
 しかし,この旅の主の目的は皆既日食だったので,オーロラについては事前に何も調べておらず,行けば何とかなるだろうと,そうしたいい加減さでフェアバンクスに降り立ったわけです。

 夏とはいえ,機内からみたアラスカは雄大な大地が広がっていました。着陸後,空港も小さくのんびりしているところだなあ,というのが第一印象でした。他に到着した便もなく,バゲッジクレームも動いていませんでした。しばらく待ってカバンが出てきたので取り上げて,空港内のカウンタで予約しておいたレンタカーのキーを受け取って外に出ました。道路も空いていて,30分ほどでフェアバンクスのダウンタウンに着きました。
 夏のアラスカは冬のオーストラリアのようなところでしたが,広くはないとはいえダウンタウンは夜は街灯が明るくてオーロラどころか星もほとんど見えませんでした。ダウンタウンから郊外に出れば真っ暗な場所ばかりですが,オーロラは深夜に現れるので夜通し起きている必要があるから,オーロラを見るにはどこに行けばよいかを事前に調べておく必要があるのでした。ただし,晴れていて空が暗ければオーロラが現れる確率は思っている以上に高いものでした。
 すでに書いたように,私は偶然、チナホットスプリングスリゾートへ行き,結局オーロラを見ることができたわけですが,この私の行った日本からの団体ツアー御用達の場所が最適とはいえませんでした。結局,個人でオーロラを見にいくときは,私のようにフェアバンクスのダウンタウンに宿泊するのではなく,自由に車で移動できる夏の時期ならばフェアバンクス郊外に適当なロッジでも見つけてそこを定宿にするか,極寒の季節ならば,空港から送迎のあるロッジを予約しておくといった準備をする必要があったのでしょう。

 それよりも今回私が印象に残っているのは,ニュージーランドのテカポ湖畔同様,アラスカのチナホットスプリングスリゾートもまた,日本から脱出した多くの若い人(特に女性)がそこに住み着いて日本人観光客相手の仕事をしている姿でした。彼らがこの先どういう人生設計を立ててそこにいるのかは知りませんけれど,そして,それがどういうことを意味しているのかはわかりかねますけれど,私にはそのことのほうがとても衝撃的でした。
 しかし,考えてみれば,何年勤めてもキャリアアップもできず早朝から深夜まで仕事をするか,結婚して小さな家を買っても住宅ローンに追われるか,子供ができても何も身につかないのに他人と競うだけの教育に,そして,そんな子育てが終われば今度は親の介護にとお金と時間を浪費するかしかなく,若いうちから自分の老後の心配をして今の自分の夢に投資することもできず貯蓄に励み,日々の楽しみといっても仕事の後に飲みに行くか,大型連休になれば混雑する観光地で渋滞に巻き込まれるか,走る道路もないのに車を磨くのに精を出すしかない,そんな狭い日本で生きるよりはるかに幸せなのかもしれません。
 外の世界を見たことのない,あるいは,ツアー旅行でしか行ったことのない人たちの多くはこの国の異常さを知らず,日本はすばらしい国だと信じていますけれど……。

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 今日はまずオーロラを写す方法を簡単に紹介しましょう。オーロラを写すには,一眼レフカメラにできるだけ広角のレンズを用います。私は魚眼レンズを使いました。ISOは1600程度の高感度にして,絞りをできるだけ開きます。シャッタースピードは2秒から20秒くらいまで段階的に写して,その中から一番いいもものを選べばいいです。もちろん三脚は必要です。
 オーロラは簡単に写ります。肉眼で見えないオーロラも写りますし,肉眼で見えるものでも実際に見るよりも鮮やかに写ります。星空を写すのと同じ要領です。

 前回書いたように,オーロラを見るにはアラスカに出かけるのがおすすめですが,団体ツアー旅行が利用するチャーター便でなければアラスカへの直行便はありません。シアトル経由のツアー旅行もありますが,それではツアー旅行のメリットがまったくないので論外です。
 そこで個人旅行でアラスカ初体験をするにはまずシアトルまで行ってそこからアラスカに向かわなければいけません。そのとき,最ももよいのはシアトルからはアンカレッジに飛んで,アンカレッジからフェアバンクスまでドライブするかアラスカ鉄道に乗ってフェアバンクスに行くことです。帰りはフェアバンクスからシアトルに戻ります。アンカレッジからフェアバンクスに行く途中にはテナリ(マッキンレー)を見られます。
 ただし,アラスカ鉄道は日本からの団体ツアー客の定番コースなので,たくさんの日本人が乗っていると思われますから,個人旅行では,紅葉の美しい9月ならドライブの方がおすすめです。
 私は今回,残念ながら時間がなかったのでこのコースが取れず,直接フェアバンクスに行くことになったのが心残りです。 

 フェアバンクスは小さな町ですから,2日もあれば見どころはすべて回れます。少ない見どころのなかでは,3時間かけてチナリバーを往復する外輪船クルーズが一番のおすすめです。
 これは5月から9月の間だけ運行していて,事前予約が必須という話です。私は現地に着いてからネットで予約しましたが,個人なら何とかなりそうです。
 それ以外の見どころとしては,アラスカ大学フェアバンクス校にある博物館や,ファウンテンヘッドアンティークオート博物館があります。アラスカ大学フェアバンクス校の広さには驚きます。また,オート博物館はクラシックカーがたくさんあるのでお勧めですが場所が極めてわかりづらいです。 

 フェアバンクスはこれくらいしか行くところがありません。ただし,クリーマーズフィールドという野鳥公園では8月の終わりだけカナダヅルが渡ってきていて,すごくたくさんの野生のカナダヅルを見ることができます。また、パイオニアパークという古びた遊園地がありますが,子供向けです。ただし,ここは5月から9月ならば夕方に行くとサーモンベイクができます。
 ダウンタウンは狭いのでぶらぶら歩きも楽しいのですが,食事どころは,タイハウス(Thai House),バンタイ(Bahn Thai)といったタイレストランが有名です。というか,それくらいしかありません。私も食事に行ってみましたが,なかなかでした。
 このように,フェアバンクスは北海道の田舎町のようなところですから,もし,夏に行くのであれば車で遠出することも可能なので,4時間ほど北に走って北極圏まで行くとか,デナリを満喫するとかすれば可能性は無限にひろがります。また,冬に行くのであれば,スノーモービルとかアイスフィッシングとかスキーといったウィンタースポーツができるのでそれに挑戦すればオーロラ以外にも楽しみが広がります。

 9月のこの時期。成田からフェアバンクスまでのデルタ航空の往復航空券は8万円でおつりがきます。とても安いです。ただし,先に書いたように直行便がないので乗り換えの待ち時間も含めると21時間もかかります。ツアーならその10倍の値段がしますが,チャーター便を利用すれば6時間で行くことができまます。このように個人で行くとなると,一旦シアトルまで行ってそこで乗り継ぐことになるのですが,何がくだらないかというと,フェアバンクスからシアトルに向かった同じコースを,再びシアトルから成田に向かうときに飛ぶことです。
 こんなわけなので,アラスカに個人で行く人がほとんどいないのです。私も今回アラスカへ行ったのはシアトルに行ったついででした。したがって,アラスカについてはハワイと違って情報があまりありませんし,現地でも日本人の個人旅行者相手のツアーもほとんどありません。
 このように,個人旅行でアラスカに行ってオーロラを見るのは日本から遠いという意味で大変です。確かにオーロラは魅力的ですし,ハワイとはまったく違った魅力がありますが,私ですら再び行くとなると二の足を踏みます。もし今回オーロラを見ることができなかったら,またいつか行かなければ…… といった大きなトラウマになることでした。
 この夏シアトルに出かけてふと足をのばして寄っただけのアラスカで偶然オーロラを見ることができた,というのは,そういう意味でも非常に幸運なことでした。

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 オーロラが見られるのは北極点を中心としたベルト状の場所(オーロラべルト)で,そこに存在する町としてはアラスカ州のフェアバンクス,カナダのイエローナイフ,フィンランドのロヴァニエミ,スウェーデンのキールナ,ノルウェーのトロムソなどが有名です。南極点にも同様にオーロラベルトはありますが,海の上です。
 オーロラは寒い冬にしか見られないと思っている人も多いのですが,実際は1年中見られます。ただし,一般のオーロラは天の川程度の明るさなので,空が暗くないと見えません。また,北極に近いと夏は夜がほとんどないので空が暗くならないから,夏至のごろは見られないというだけです。それとともに,街灯がある都会もだめです。
 ただし,いくら空が暗くとも,晴れることが第1条件です。そこで,降水量を調べてみると,アラスカとカナダのほうがフィンランド,スウェーデン,ノルウェーよりも少ないです。また,降水量が少ないというアラスカやカナダでも,最も降水量が少ないのが3月と4月ですが,この時期はとても寒いです。
 冬の最低気温は,フェアバンスが-28度,イエローナイフが-31度,ロヴァニエミが-15度,キールナが-19度,トロムソが-7度となります。したがって,寒さからいえばノルウェーのトロムソほうが温度は高いのですが先に書いたように晴天率が低いのです。
 このように,フェアバンクスの真冬は降水量が少ないのですがかなり寒いので,オーロラを見るには決死の覚悟が必要になるわけです。

 そんな理由で,軟弱な私は,オーロラは見たいけれど寒くない季節にしようと,シアトルに行ったついでに8月の終わりにフェアバンクスに足を伸ばしてみることにしました。
 しかし,行ってみてはじめて知ったのは,アラスカの中でも晴天率が最も高いと聞いていたフェアバンクスだったのに,実際は8月は雨ばかりでした。曇っていても突然雨が降ってきます。9月になれば8月よりは晴れる確率が高くなるらしいのですが,本当のところは知りません。
 私が滞在した4日間で1日だけとはいえ晴れ上がり,その晩にオーロラが見られたのというのはかなり幸運だったといえるでしょう。
 宿泊したB&Bで聞いてみると、フェアバンクスでは9月の下旬にはすでに雪が降りはじめるということですから,オーロラを見るには,寒くてもよければ3月から4月,寒いのを避けたいのなら9月の中旬まで,ということになります。
 当然,10月から2月もオーロラは見ることができますが,10月になると雪が積もりはじめるし,フェアバンクスでは一番の見ものである外輪クルーズのようなアトラクションが休止になります。また,3月よりも晴天率が幾分低いということで,どちらをとっても中途半端な感じです。でも,この季節は日本からの観光客が少ないので穴場ともいえます。

 さて,アラスカ第二の都市であるフェアバンクスですが,市内は明るくてオーロラの観察には不向きです。しかし,市内はさほど広くないので,30分も走れは真っ暗な郊外に出ることができます。
 フェアバンクスの近郊では1年で300日程度オーロラが出現するということなので,そうした暗い場所に行って晴れれば,おそらく90%以上の確率でオーロラは見られます。ただし,オーロラはいつ出現するかわからないので,空を眺めながら出現を待たなければいけないことと,また,どこにオーロラが出たかは慣れていないとわかりづらいので,個人でフェアバンクスに宿泊して深夜に郊外に出かけるのはあまり得策ではありません。

 フェアバンクスから出発する現地オーロラツアーがあるとガイドブックなどに書いてありますが,オーロラツアーの開始は9月からです。また,ツアーで郊外に出かけても,深夜1時ごろには観察は終わり帰ってこなければなりません。こういうのがツアーの欠点です。それはハワイ島の星空観察ツアーも同様です。オーロラが出現するのは午後の10時頃から深夜の2時くらいが多いそうなので,それでは楽しくありません。したがって,フェアバンクスの市内に宿泊するよりも,郊外に数日(3~4日程度)泊まってオーロラの出現を暖かい室内で待ち,お昼間にフェアバンクスに観光で出てくるほうがいいと思われます。
 フェアバンクス郊外の宿泊先は,フェアバンクスから30キロほど行ったところにいくつかログハウスやロッジのような宿泊施設があるとガイドブックには書かれています。そうした本には私がこの夏に偶然行ったチナホットスプリングス(China Hot Springs)もよく紹介されていて,そこには1泊300ドルもするロッジがあります。しかし,ここは日本人団体ツアー客御用達のところで,ツアーで来た日本人が山ほどいるので,個人で行くにはおすすめしません。また,マウントオーロラスキーランド(Mt.Aurora Skiland)も定番スポットということですが,やはり,シーズン中は混み合うそうです。
 そんな有名なところでなく,フェアバンクスの郊外には安価なホテルやロッジが結構あってフ,ェアバンクスの郊外なら晴れさえすればオーロラは高い確率で見られます。しかも9月は空いていますし,まだ雪がないのでレンタカーを借りれば車で空港からホテルへ移動できます。この時期は成田からフェアバンクスまでの航空券も安く容易に手に入るので,オーロラとアラスカ観光をするのなら,まずはこうしたホテルやロッジを予約して気候のよい9月にとりあえず出かけてみるのがおすすめです。

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●フィラデルフィアの公共交通「セプタ」●
 結論を先に書くと,私は数千円をケチったために,とんでもない状況に遭うこととなった。フィラデルフィアはダウンタウンから何の問題もなく公共交通機関で空港まで行くことができるのだった。つまり,私は、東京駅の近くのホテルに泊まって成田空港に行けばよかったのに,宿泊代が高いからと成田市のよくわならない場所に泊まったようなものであった。

 このように,私はなんど同じ目にあっても懲りないのであろう。
 アメリカでは「空港近くのホテル」というのがもっとも曲者なのである。たとえ近くであろうと,それは歩いて行けるような距離ではないのである。近いからといってタクシーを利用すれば数千円は吹っ飛んでしまうし,空港から送迎があると書いてあっても,送迎のバンを呼ぶ方法がホテルによって,また,空港によってまちまちだし,それを待っていると30分もかかってしまったりするからだ。

 アメリカ到着後は,ともかくレンタカーを借りてしまうか,あるいは空港からは公共交通機関(これは鉄道に限る)の接続が便利ならば,それに乗って最寄りも駅から徒歩圏内にホテルを確保するに限るのだ。今回の私の泊まったような空港の近くのホテルの場合,ホテルから空港にはシャトルサービスがあるが,ホテルにはレンタカーで行くことができるか,あるいは,公共交通機関(鉄道に限る)で行くことができる場所に確保することが大切なのである。
 いずれにしても,アメリカに到着した日と帰国する前日のホテル選びは慎重に行う必要がある。

 そんなことは十分に知っていながら,私はこの旅で,到着した日のオーランドでホテル選びを失敗し,帰国前日のフィラデルフィアで2度目のミスをした。どちらもきちんと計画を立てていたのにも関わらず,である。
 すでに書いたことだが,初日のオーランドは,空港のターミナルビルにホテルがあるからそこに泊まればよかったものを,数千円をけちったためにバカをみた。それでも,予定通り飛行機がオーランドに到着していれば,私の予約したホテルにバスで行くことができる見込みであったのに,飛行機の到着が遅れたために,すでに調べておいたバスはなく,タクシーに乗ったら望外な料金が取られた。そんなことなら,レンタカーを借りたほうがずっとまだマシだったのだ。
 そして,帰国前日のこの日である。
 こちらもまた,数千円をケチって,なにもわざわざ空港の近くのホテルに変わらずとも、フィラデルフィアのダウンタウンのホテルに連泊して,早朝空港に向かえばよかったのだ。
 
 フィラデルフィアのダウンタウンから空港までは電車で1本,乗り換える必要もなく短時間で行くことができるのだった。
 フィラデルフィアの公共交通機関はすべて「セプタ」というが,「セプタ」にはバスとトロリーと地下鉄がある。このうち,トロリーというのが日本人にはなにかピンとこないが,要するにに,これは1両編成の市電のようなものなのだ。
 そしてまた,「セプタ」ではなく,郊外に走る電車もあって,これは日本の私鉄のようなものである。

 来てみれば簡単なことだが,ガイドブックを見ているだけではそれがよくわからない。おそらく,それは外国人が日本に来たときにも同じようにわからないものであろう。こうした「案配」というのが,旅をする前にいくら本を読んでもわからないことで,実際に旅をしなくては納得ができないのである。

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●レディングターミナルマーケット●
 私はこうして,ついに,念願の「自由の鐘」に会うことができた。その後,独立記念館,国会議事堂のツアーにも参加して,インディペンデンス国立歴史公園の見学を終えた。
 今回の私の旅はフロリダからはじまって,ずいぶん長い距離であった。フィラデルフィアにはやっと行くことができたが,これで,ずっと行きたかったところへはすべて行くことができた。
 ホテルに戻る前に,インディペンデンス観光案内所に寄り,そこで売っていたサンドイッチをお昼ご飯として食べた。しかし,結果的にこれはちと早まった。

 この日の予定はこれで終わりだった。この後はホテルに戻ってクロークに預けてあった荷物を引き取り,今日の宿泊先である空港の近くのホテルまで行ってチェックインをするだけであった。
 それで,この旅は終了である。
 しかし,ホテルに戻るにはまだ時間が早かったので,その途中にあって,ずっと気になっていたレディングターミナルマーケット(Reading Terminal Market)へ寄ることにした。
 行ってみてわかったことだが,このレディングターミナルマーケットこそが,実にフィラデルフィアらしい,というか,この街でもっとも魅力的な場所であった。もし,私がここに行かずに帰国していたら,フィラデルフィアに関する印象はずいぶんと違ったものであったことだろう。
 このマーケットは,これまで私が行ったアメリカの他の都会にはなかったものだった。ここはまるで日本にいるような,築地の場外というか上野のアメ横というか,そんな感じの場所であったのだ。

 レディングターミナルマーケットというのは120年以上の歴史をもつ地元民のための市場である。
 近くの農家から直送された野菜や果物,魚介類,肉,パン,スイーツ,チーズ,ワインに生花と,ありとあらゆるものがこのマーケットでは販売されていた。さらに,マーケットだけでなく,ここには非常に多くのフードコートがあって,ありとあらゆる食べ物を安価に食べることができる場所であった。
 つまり,フィラデルフィアで昼食をとるには,ここに来ればよいのである。
 このとき,私はすでにインディペンデンス観光案内所で手っ取り早い昼食を済ませてしまっていたことをずいぶんと後悔した。ここなら,もっと種類が豊富でしかも安価な昼食をとることができたのだった。
 もし日本人がフィラデルフィアに住むのなら,このマーケットの存在さえ知っていれば,何の心配もないことであろう。そうしたことから,ここに住む日本の人が書いたこのマーケットでおすすめの食べ物などの情報がネットにあふれているから,探してみると面白いと思う。

 昔,ニューオリンズに行ったとき,ニューオリンズを知らずしてアメリカは語れないなあ,つまり,ニューオリンズがアメリカの他の都市とはあまりに違うことに驚いたのだが,このマーケットもまた,アメリカの他の都市にはないものであった。
 今日では,日本はもちろんのこと,アメリカでもどの都会に行っても,同じようなチェーン店ばかりになってしまって,わざわざその町に行く意味がなくなってしまったが,こうしたローカル色あふれる場所に行ってこそ,旅で出かける価値があるといいうものであろう。

 私はこのマーケットをしばらく散策してから,市庁舎まで歩いて行った。
 市庁舎の広場では不思議なものを見た。それは,子供のおもちゃ自動車に乗って奇声を発している男であった。彼の服装から見て,ガードマンなのであろうか,あるいは警官なのであろうか?
 馬鹿げていたのは,彼は自分のやっていることを録画していたことであった。そして,その横で同じ制服を着た男が冷たい視線を投げかけていた。もし,日本でこれと同じことをやれば,彼は即座に懲戒免職になったことであろう。
 いったいあれは何をしようとしていたのであろうか?

 それはそれとして,この日もまた,ものすごく暑い日であった。市庁舎前の広場は地面から水が出ていて,ミニプールのようになっていた。そこで,子供を遊ばせている母親がずいぶんといた。
 私は,今やもう,アメリカだけでなく,日本もまた,観光地といわれる都会に行くことにはまったく魅力を感じなくなっていて,それよりも,そこに住んでいる人たちの暮らしぶりのほうにずっと興味がある。それとともに,私がもし,こういうところに生まれて,ここにいる母親だったら…… などと考えるようになってきた。
 フィラデルフィアという都会がどういうところかを語るほど私はここに滞在していないが,アメリカのメガロポリスとよばれる東海岸の都会の中では,最も日本人の暮らしやすいところのように思えた。
 さて,私の長い旅もこれで終わるのだが,この後もまだ大変なことが起きるのでであった。

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 私はこの皆既日食観察の旅に出発する1月前くらいまではすっかりお任せで,現地のことはまったくわれ関せずでした。ところが,皆既日食の当日,皆既帯あたりの交通事情ががどのような状況になるのか意見が分かれ,ひょっとしたら大渋滞になって皆既帯にいくことすらできないののではないか,あるいは,こんなのどかなところのどこが渋滞するのか? といったさまざまな意見があって,予測不能でした。
 そこで,当日の渋滞を避け,2日前に皆既帯のどこかに到着して2日間キャンプをし当日を迎えることになったのですが,そのころにはすでにどこのキャンプ場も予約が一杯という有様で,かなり憂慮しました。やっとの思いで見つかったのが,アイダホ州ワイザーという町の広場,ここはもともとはキャンプ場ではなかなったのですが,皆既日食観察者のために,臨時に解放された場所だったわけです。

 この旅は,8月16日にシアトルに到着しワシントン州を観光してから,19日の午前中までにワイザーに行くことにしていました。18日はアイダホ州のルイストンという町のホテルに泊まっていたので、そこから南に3時間かけて,ワイザーに向かいました。ルイストンからワイザーまでは国道95をひたすら走れば到着します。私はこの道ははじめて走ったのですが,とても風光明媚なところでした。ただし,数箇所工事をしていて,片側交互通行になっていましたが,まったく渋滞などしませんでした。
 こうして3時間ほどの快適なドライブでワイザーに到着すると,すぐにめざすキャンプ場が見つかりました。
 ここは日本のオートキャンプ場とはまったく違い,ものすごく広く,ここも予約で一杯になったという話だったのに,ずいぶんと余裕がありました。トイレも設置されていました。お昼間はさすがに日差しはきつかったのですが,湿度が低いので,日陰に入れば快適でした。テントも風通しさえよければまったく問題はありませんでしたし,アメリカのこうしたキャンプ場のよいのは,まったくごみがないことと,虫がいない,セミも鳴かないということです。さらに,ここは山の中のキャンプ場とは違い,町中の川辺りだから,車で5分も行けばワイザーの小さなダウンタウンにあるマクドナルドに行くことができるから,Wifiは繋がるし,ダウンタウンにはレストランさえありました。

 私は,こうした場所で2日間を過ごし,当日を迎えることになったわけです。
 連日,雲はあるものの,太陽が覗く天候が続いていました。到着した日の晩は星がとてもきれいでした。しかし,皆既日食前日の晩は一面雲が覆っていて星も見えませんでした。しかし,天気予報では皆既日食当日は午前4時ごろには雲もなくなり快晴という予報に,信じられない気持ちでした。こうして当日を迎え,私は今回の日食を楽しむことができたのでした。

 ところで,今回の皆既日食で私が持っていったのは,カメラ用の三脚に自由雲台,それにMILTOLという名の焦点距離400ミリf6.7の望遠レンズにニコンD5300 でした。
 アメリカまで持っていくので,重い機材は避けようと思い工夫しました。天文ファンの多くは,星を見ること以上に機材に凝っている人や,日食のために新たに機材を購入する人も少なくないのですが,私はそういう財力もなければ興味もありません。1999年にハンガリーまで皆既日食を見にいったときは,今も使っているPENTAXの75センチ屈折望遠鏡を持っていったのですが,重く,それにアメリカの乱暴な預け入れ荷物の扱いでどうなるか心配だったので,今回は,できるだけ軽くそして安く実用に耐える,また,普段でも太陽を撮影できる機材を探しました。そうして見つけたのが販売価格40,000円程度のMILTOLでした。皆既中はフィルターは不要なのでが,太陽が欠けていく間は減光フィルターをつける必要があります。フィルターは1999年の皆既日食で使ったものでしたが,ねじ込みだと脱着がたいへんなので,簡単に取り外しができるようにそこだけ工夫しました。

 使ってみて後悔したのが雲台で,自由雲台では追尾がたいへんでした。これはポラリエを持っていくか,あるいは,ポラリエを三脚に固定するための極軸微動雲台を持っていくべきでした。そこだけが失敗でしたが,それでもなんとか,思った以上の写真を写すことができたので満足しました。この失敗を「次回」に生かすにも,その「次回」というのががあるのやらないのやら……。

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 では,今日からは,今回の日食について書いてみましょう。
 私は今回の皆既日食の皆既帯に近いアイダホ州マウンテンホームに親類が住んでいるので,何年も前からこの日食を見にいくのをとても楽しみしていました。そんなわけで,今回の皆既日食のアイダホ州での皆既帯あたりはなじみのあるところだったので,何の苦もなく,晴れさえすれば見ることができるはずでした。
 それよりも心配だったのは,現地がどれほど混雑するだろうか,そして,アメリカに行く航空券自体,皆既日食のころは世界中から観光客が殺到するから買うことができるだろうか,ということでした。そこで,ともかく,半年前,航空券の発売日当日に成田からシアトルまでのチケットだけ手に入れました。シアトルに着いてしまえば,あとは,車であろうと,飛行機であろうと,容易にアイダホ州まで行くことができるからでした。

 私はまったく興味がありませんでしたが,当然,日本からは日食観察ツアーが企画されていて,広告を見ると,それらは50万円から100万円といった法外な値段がつけられていました。しかし,アフリカや南極ならともかくも,アメリカごときに50万円も出して行くなんて,私には理解しがたいことでした。
 今回,行ってみてわかったのは,シアトルからレンタカーを借りてワシントン州を東にインターステイツ90を走り,途中のエレンスバーグでインターステイツ82に乗り換えてリッチモンド,そこから国道12を通ってワラワラまで行くと6時間,そこで宿泊し,当日の朝,ワラワラから州道11を経由して,インターステイツ84をひたすら南に2時間ほど走って皆既帯まで達すれば,簡単に皆既日食を観察できたことでした。
 ワラワラという美しい町はものすごくホテルが安くて,6,000円も出せばシアトルで20,000円ほどするホテルよりも立派な部屋が確保できました。そうすれば,シアトルまでの航空運賃とレンタカー代とワラワラでの宿泊代すべてを合わせてもツアー旅行で設定されたような4泊6日程度の日程なら15万円でお釣りがくるということでした。

 私は,偶然,結果的にそれとほぼ同じコースをとりましたが,ワラワラではなく,ワラワラからさらに2時間ほど東に行ったルインストンからアイダホ州に向かうことになりました。ルイストンから南に走ってアイダホ州のワイザーまでは3時間でした。そして,ワイザーで2泊3日,皆既日食のために開放されたにわかオートチャンプ場でキャンプをして,快晴のなかで皆既日食の観察に成功しました。
 このコースのよかったのは,付近に大きな都会がないので到着するまでまったく渋滞していなかったこと,そして,日本人のツアー客がいなかったことです。ワイザーという町は人口が7,000人ほどで,それでも,町のハイスクールでは日食を記念したフェスティバルが行われたりしていて,華やいでいました。アメリカではこういう小さな町が治安もよく,一番落ち着くわけです。それが今日の3枚の写真です。
 当日,どのくらい混雑するのかは全く予想ができなかったのですが,数日前に,テレビや新聞でオレゴン州では皆既日食を見にいく車で大渋滞という誤報が流れ,とても心配しました。しかし,実際には,それはオレゴン州で合法であるマリファナの販売が行われて,それを手に入れるための車の列でした。当日は,確かに車は多かったのですが,心配するような渋滞は起きませんでした。
 渋滞といえば,皆既日食後,私がワイザーの町を抜けるのに30分程度かかったことくらいでした。ワイザーを出てからワラワラまで戻るのにインターステイツ84を北上したのですが,さらに,この道路で2度ほど大渋滞に出会いましたが,それは,皆既日食観察帰りの車というよりも,道路工事による渋滞でした。アメリカではインターステイツの1車線をふさいで工事をするときには別に1車線が作られるのが普通ですが,それをしないオレゴン州はとんでもない州だということだけを私は認識することになりました。

 今日は最後にふたつ地図を載せましたが,上の地図は今回の皆既帯を示すものです。日本からカンザスシティなどに出かけて曇った人もいるみたいですが,この時期に天候が不安定で急変する中南部に行くなんて! と私は思いました。そんな場所を選ぶのは,よほどアメリカを知らない人でしょう。しかし,晴天率の高いアイダホ州やオレゴン州であっても,この皆既日食の翌日から山火事が起きて,太陽すらまともに見られなくなってしまったことを考えると,この日,真っ青な空が見られたのは幸運でした。
 また,下の地図は,2024年4月8日に,再びアメリカで見ることができる皆既日食の皆既帯です。今回の皆既日食を考えれば,さらにだだっ広いテキサス州が渋滞するとは思えませんから,私がこの皆既日食を見にいくとすれば,テキサス州のサンアントニオから北上するコースを選ぶでしょう。ジョンソン元大統領の生まれ故郷であるジョンソンシティという美しい町もあります。テキサス州は晴天率も高いし,このあたりの皆既帯帯はどこも大草原なので,どこでも観察することができることでしょう。幸い4月ならハリケーンも心配ないことですし。このあたり,すでに4月はかなり暑いんですが,真夏ほどではありません。

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 では,皆既日食はいつ起きるのでしょう?
 皆既日食に周期性はありませんが,21世紀に起きる皆既日食を数えると75回あるので,平均すると1.33年に一度ほど起きることになります。しかし,皆既日食の中でも同じような皆既日食が約18年の周期で見られることが古くバビロニアの時代から知られていて,これを「サロス周期」といいます。その周期に属する次の皆既日食は経度において約120度西にずれた場所で起こります。
 今回,このブログを書く機会に,過去に起きた皆既日食とこれから起きる皆既日食を調べてみました。
 ところが,21世紀以降に世界で起きる皆既日食についてはさまざまな情報の書かれたサイトがたくさんあるのですが,過去に起きたものについては,「日本から見ることができた日食」といった限定の資料が多く,世界規模のものがなかなか見つかりませんでした。私は,今更,星の世界の話で日本限定でもないと思うのですが……。それととともに,過去に実際起きたとき,その場所の天気がどうだったかという資料となると,ほとんどありません。どの皆既日食も天気次第で,運のよい人は見ることができただろうし,運の悪い人はせっかく出かけても雲の上の日食に涙したに違いありません。しかし,残っている資料は,晴れた場所に行って撮ることのできた写真ばかりです。

 そこで,過去に起きた皆既日食を,手元にあった1968年からの天文年鑑で調べてみました。
 そこで私が最も驚いたことは,たとえどんなに辺鄙なところで皆既日食が起きても,そこに出かけていって写真を撮ってきている人がいるということなのです。私に言わせれば,「たかが皆既日食」で,しかも晴れるかどうかもわからないのに,決して安くない大金はたいてまでそこへ出かける情熱というか……,これもまた日本人らしい話です。
 おそらく,そういう人は,日食を口実に,めったに行くことのできない場所の観光旅行をも楽しんでいるのでしょう。それらの多くは,個人ではとても行けそうにないところであり,ツアー旅行すらなさそうなところだからです。
 次にあげるのは過去に起きた皆既日食です。
  ・・・・・・
  1968年9月22日・北極付近
  1970年3月8日・アメリカ合衆国東海岸線沿い
  1973年6月30日・アフリカ中央部横断    
  1974年6月20日・南極付近の海上
  1976年10月23日・南極海上,オーストラリア
  1977年10月13日・太平洋上
  1979年2月26日・カナダ
  1980年2月16日・アフリカ,インド
  1981年7月31日・ シベリア
  1983年6月11日・インドネシア
  1984年11月23日・南太平洋上
  1985年11月12日・南極
  1987年3月29日・大西洋上,アフリカ
  1988年3月4日・インドネシア
  1990年7月22日・シベリア北限
  1991年7月12日・ハワイ,メキシコ,南アメリカ ●
  1992年6月30日・大西洋上
  1994年11月3日・南アメリカ,大西洋上
  1995年10月24日・インド,タイ ●
  1997年3月9日・ロシア,アラスカ
  1998年2月26日・太平洋上,パナマ,大西洋上
  1999年8月11日・ヨーロッパ横断,インド ●
  2001年6月21日・アフリカ
  2002年12月4日・南アフリカ
  2003年11月24日・南極大陸
  2005年4月9日・南太平洋上
  2006年3月29日・ アフリカ,中央アジア,モンゴル
  2008年8月1日・シベリア,中国
  2009年7月22日・アジア,日本,ハワイ ●
  2010年7月12日・イースター島,南太平洋上
  2012年5月21日・(金環日食)日本 ◉
  2012年11月14日・南太平洋上
  2013年11月3日・アフリカ中央部
  2015年3月20日・イギリス西海上
  2016年3月9日・インドネシア,太平洋上
  2017年8月21日・アメリカ横断 ●
  ・・・・・
 この中で,私は1999年と2017年(このふたつはサロス周期だ!)に狙いを定めていました。このふたつの日食を前回書いたように数十年前から行くことにしていました。そして,実際出かけて,ともに美しい皆既日食を見ることができましたが,1999年の皆既日食はツアーで行きました。今の自分なら個人旅行をするのでしょうが,当時はそんな能力もなく,また,そのころの皆既日食ツアーは今のように高価ではありませんでした。
 このときにツアーに参加した人に聞くと,その多くは,1991年のハワイと1995年のタイの皆既日食にも出かけていたようです。今の私が考えれば,このふたつは個人でも手軽に行くことができるものでしたから,私がそれを見送ったのは単に無知だったということになります。そして,1991年のハワイは晴天の確率が高かったのにもかかわらず残念ながら曇り,1995年のタイは完璧に晴れたのだそうです。
 この一覧表で特筆すべきものは,2009年に日本でも見られたものです。しかし,日本とはいえ,皆既帯は鹿児島の南,南西諸島だけで,このときは雨になったので,地上からは見ることができませんでした。私は,はじめっからこの日食には興味がありませんでした。それは,雨季の南西諸島では条件が悪すぎたからです。この日食を見るためのツアーもありましたが,海外に行くのと値段が変わらず,私は,これでは日本で起きる意味がないなあ,と思ったことでした。
 また,この表は皆既日食だけを取り上げていますが,例外として,2012年のものだけは皆既日食ではなく金環日食です。それは,日本,特に私の住んでいるところで見られたという金環日食だからです。この日,早朝までの雨が奇跡的に上がり,金環日食が起きたときは晴れていて,私は,金環日食を生まれてはじめて見ました。
 こうして,私は,これまでに皆既日食を2回と金環日食を1回見る機会に恵まれました。

 さて,次にあげるのはこれから起きる皆既日食です。
  ・・・・・・  
  2019年7月2日・チリ,アルゼンチン
  2020年12月14日・チリ,アルゼンチン
  2021年12月4日・南極大陸
  2024年4月8日・メキシコ,アメリカ,カナダ ●
  2026年8月12日・アイスランド,スペイン
  2027年8月2日・アフリカ,アジア
  2028年7月22日・オーストラリア,ニュージーランド ●
  2030年11月25日・南アフリカ,オーストラリア
  2031年11月14日・パナマ
  2033年3月30日・アラスカ
  2034年3月20日・アフリカ北部,アジア,中国
  2035年9月2日・中国,韓国,日本 ●
  2037年7月13日・オーストラリア,ニュージーランド
  ・・・・・・
 これを見ると,手軽に行けそうなのが,2024年,2028年,そして,2035年(これは1999年,2017年のもののサロス周期です!)だと思われます。2024年の皆既日食は再びアメリカで見られるものです。晴天率の高いテキサス州のサンアントニオから北に行ったあたりはワイナリーばかりで,ジョンソンシティという素敵な場所が皆既帯にあります。また,2028年の皆既日食に私は大いに魅力を感じます。この皆既日食はオーストラリア北部から南東部へ抜けるもので,シドニーでは3分44秒の皆既日食を見ることができます。シドニーからでもブリスベンからでもレンタカーを借りて皆既帯に行けば,あたりはどこも大草原です。
 おそらく,日本に住む多くの人が最も期待しているのは,2035年に日本,それも本州で見られるものでしょう。しかも,9月2日は日曜日! なのです。この皆既日食は,石川県から富山県,長野県,群馬県,茨木県と皆既帯が続いていて,富山市,長野市,前橋市などは皆既帯にありますから,そこに住んでいるのなら,あとは天気だけの問題になります。この皆既日食の皆既帯は,少し前の文献には東京都心が含まれると記述されていたようですが,実際は通りません。そこで,当日は,皆既日食を見ようとものすごい人が東京から北に向かって殺到するものと思われます。私は,2035年の皆既日食そのものよりも,その日の大混乱がどういう状況になるかを見てみたいものだと思っています。それを目標に長生きしたいものです。

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☆☆☆☆☆☆
 2016年6月21日ですから,早くも今から1年と少し前のことになりますが,私はその日のブログに次のように書きました。
  ・・・・・・
 天文ファンが一度は見たいという「三大願望」があります。それは,南十字星,皆既日食,そして,オーロラを見ることです。行くことができれば見られる,お金を出せばなんとかなる,ということなら,そうしたいという意志さえあればなんとかなるのですが,そこに「運」が必要なものは,そうしたいという願望があればあるほど,それがかなわないと本当に残念なものです。
 この「三大願望」のうち,1番かなえることが簡単なのは南十字星を見ることです。見えるところに出かけて晴れていさえすれば見ることができます。それに比べて,最も見ることが困難なのは皆既日食です。
 私は,幸いなことに,これまでに「三大願望」のすべてをかなえたのですが,それでも,ずっと昔のことであったり,なんとなくであったりするので,このごろになって,もう一度しっかり見てみたいと思うようになりました。その目的を果たすためにいろいろ計画を立ててはいるのですが,果たしてかなうことやら…。
 人生とは,かくも,したいことが多いのに,実現できる時間は短いのです。
  ・・・・・・

 このとき「いろいろ計画を立てている」と書いたのですが,それを具体的に書くと実現しないような気がしたので,あえて書きませんでした。そしてそのときの計画は,2017年の夏,6月にオーストラリアに行って再び南十字星を見ること,そして,8月にはアメリカ横断皆既日食を見に行くとともに,その後アラスカに飛んで,オーロラも見てくるということでした。この夢のような「三大願望」の実現,うまくいけばすべてがかない,最悪の場合はすべてがかなわないかもしれないものでした。
 そして……
 私は昨年のハワイ,ニュージーランド,そして,今年のオーストラリア旅行で南十字星を見,雲ひとつない晴れ渡るアイダホ州ワイザーで皆既日食を見,連日悪天候だったのにたった1日の晴れ間にオーロラを見と,それらをすべて実現してしまいました。今でも信じられない気持ちです。この幸運を何といってよいのか……。
 そこで,やっと,これまでこのブログで「星好きの三大願望」と題してはいても実際は南半球の星空の話題ばかりだったのが,ついに,すべての話題を書く資格を得たのです。
 では,「三大願望」から,今回は皆既日食について書いてみましょう。
 
  「一度は見たい皆既日食,もう一度見たい皆既日食,何度見てもまた見たい皆既日食」という言葉があります。一度この目で見てしまうと,このように何度でも見たくなるのが皆既日食なのです。
 先にお断りしておきますが,皆既日食を誤解している人が数多くいます。そういう人たちに皆既日食の話をすると,部分日食や金環日食と混同していて,こないだあったとか家から見たことあるといった反応を示す人が少なくありません。しかし,皆既日食と部分日食は全くの別物です。金環日食はそれなりに面白いものですが,これもまた,皆既日食の感動に比べたら,月とすっぽんの違いがあります。
 今回のアメリカ横断皆既日食でも「99%欠ける」という場所と「100%欠ける」という場所が決定的に違うということがわかっていない人たちがアメリカには大勢いました。「日食」は,皆既日食で,しかも,皆既帯といわれる幅にして100キロほどの帯状の場所で100%欠けたものを見ないとまったく意味がないのです。それを見たこともないのに,またそれがどいう現象であるかも知らないのに,「皆既日食なんて」という人を私は心から憐れみます。おそらく,そうしたことを言う人の人生は,ほかの多くのこともこれと同じような反応をし,多くの幸運を逃がしているのでしょう。運というものは誰もの身の回りに漂っているのですが,「運がいい人」というのは,それを招き寄せる人だというのが私の実感です。

 私は,子供のころから,いつの日かこの目で皆既日食を見たいものだと思っていました。1年から2年に一度は地球上のどこかで皆既日食が起きるのですが,自分の住んでいるところで見られるかとなると,それはほとんど希なこととなります。私が日食というものを知った子供のころ,この先日食が起きる予報の一覧表を見て,日本で見られる日食は部分日食ばかりだ,とがっかりしたことを覚えています。
 皆既日食が地球上のどこかで起きると,たとえそれが行くのにかなり大変なところであっても,そこに出かける日本人がいるのには敬服するとともに呆れます。しかし,私は冒険家ではありませんし,軟弱です。だから,辺鄙なところまで出かける気持ちはまったくありません。そんな私が,楽に行くことができて,しかも,晴れる確率が高いだろうとずっと以前から目をつけていた皆既日食が,1999年8月11日にヨーロッパからインドにかけて見られるものと,2017年8月21日にアメリカ大陸を横断して見られるものというふたつでした。そして,このふたつは絶対に行ってみようと何十年も前から狙っていたのです。
 そして,実際,私はこのふたつの皆既日食を見に行きました。そして,ふたつとも,文字通り「晴れて」,念願の皆既日食を見ることができたのです。

◇◇◇
「星好きの三大願望」-満天の星空のもとで南十字星を見る。
「星好きの三大願望」-南天の星空は明るい星のそろい踏み
「星好きの三大願望」-宝石をちりばめたような南天の星空
「星好きの三大願望」-マゼラン雲は偶然通りかった銀河①
「星好きの三大願望」-マゼラン雲は偶然通りかった銀河②
「星好きの三大願望」-南天の極軸をいかに合わせるか?
「星好きの三大願望」-海外で星を見るとは?
「星好きの三大願望」-天頂の天の川に溶け込むさそり座
「星好きの三大願望」-天頂の天の川に溶け込むいて座
「星好きの三大願望」-広大な超新星残骸・ガム星雲

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●独立記念館と国会議事堂●
 世界遺産でもあるアメリカの独立記念(Independence Hall)は,アメリカの独立宣言が行われた場所である。もとはペンシルヴァニア州の議事堂として使用されていたが,1776年7月4日,この場所で13の植民地の代表が集まってトーマス・ジェファーソンが起草した独立宣言書にサインすることでイギリスからの独立宣言が行われた。さらに,1987年にはアメリカの合衆国憲法が制定された。 
 1979年,独立記念館はそのことの歴史的な重要な証となるという理由から世界遺産に登録された。

 独立記念館は赤煉瓦造りの美しい2階建ての建物で,記念館前の銅像は初代大統領のジョージ・ワシントンである。
 内部を見学するにはガイドツアーに参加する必要があって,私は当日の朝,この整理券を手に入れ,ツアーの開始前に,まず,リバティセンターで自由の鐘を見学したことは前回書いた。
 いよいよツアーの開始時間が近づいたので,集合場所である敷地内のイーストウイング(East Wing)に行って並んだ。周りの人と雑談をしているうちに時間になったので誘導されて館内に入り,最初に大きな部屋でガイドから独立記念館についての説明を聞いた。
 次に向かった部屋が,ツアーのハイライトである独立宣言が採択されアメリカ植民地13州の代表が独立宣言に署名した「署名の間」,緑色で統一された室内であった。ここにはデスクの上に紙や本などが置かれ,当時の様子が再現されていた。ガイドがパネル等を用いていろいろと説明した。
 ガイドが,13州がそれぞれどのイスに座ったかという話をしているなかで,ここはカリフォルニア州の席,といういうジョークが飛びだしたりする面白い説明であった。無論,独立13州にカルフォルニア州はない。
 廊下や階段部分は青色が使われていた。

 ツアーを終えて外に出て,次に向かったのが国会議事堂であった。
 フィラデルフィアは1790年から1800年のわずか10年間であったがアメリカ合衆国の首都だった。このときに国の議事堂としても使用されたのがこの建物で,議員数が少なかった当時「元老院」が2階を議場として使用し,議員数の多かった代議院が1階を議場として使用したことが現在の「上院」と「下院」という呼び名の語源である。

 この国会議事堂(Congress Hall)は,1789年に「フィラデルフィア郡裁判所」として建設された。ここはイングランド植民地時代の典型的な建築物であるジョージア王朝様式の重厚な外観である。
 国会議事堂は,初代大統領ジョージ・ワシントン(George Washington)の2期目と,第2代大統領ジョン・アダムス(John Adams)の就任式が開かれた場所としても知られている。

 私は,日本の国会議事堂のなかにはいったこともなければ,県議会議事堂すら見たこともない。
 しかし,これまでに,外国からの旅行者であるのに,こうしてここフィラデルフィアの旧議事堂も,そして,ワシントンの現在の国会議事堂も,そして,多くの州の州議会議事堂もなかにはいることができた。こうした議事堂の内部を見学する度に,日本の民主主義が見せかけだけの借り物であると強く感じて,それをとてもはずかしく思うのである。それは,日本の議員の問題ではなく,古来より国民に根付く根本的な考え方自体が「権力=お上」という江戸時代の殿様国家と変わらないものだからである。

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●アメリカ独立の偶像「自由の鐘」●
 インディペンデンス国立歴史公園(Independence National Historical Park)には,大統領の家跡,リバティベルセンター(Liberty Bell Center),独立記念館,国会議事堂があって,無料ツアーの整理券はインディペンデンス観光案内所で8時30分から配布されるが,観光シーズンはとても混んでいるということなので,私は8時30分以前に並んで整理券を受け取ることにした。

 歴史公園に行ってみると,さほど広くはなかったが,アメリカの他の国立公園同様に手入れの行き届いたとても美しいところであった。さすがに時間が早かったのですぐに整理券を受けとることができた。
 次に,私はリバティベルセンターに行った。リバティベルセンターの開館は9時で,まだだれも並んでいなかった。
 アメリカの観光地は非常に混雑はしているが,開館前から並ぶというようなせっかちな人は日本とは違い多くない。私は,この旅でやりたいことのほとんどを成し遂げて,最後に残ったのが,この建物のなかにある「自由の鐘」であったから気が急いていた。
 やがて,開館時間になって私は館内に入ったが,目的の「自由の鐘」は建物の一番奥にあった。その間には自由の鐘に関するさまざまな展示があったが,私はそれを素通りして,どんどん進んで,ともかく,自由の鐘の前までたどり着いた。

 「自由の鐘」(Liberty Bell)はアメリカの独立と並び,アメリカ独立戦争を連想する上で最も突出したシンボルのひとつであるといわれる。また,独立,奴隷制の廃止,合衆国内の国民性と自由において最も親しみのある象徴のひとつでもあり,国際的な自由の偶像としても用いられてきた。
 1774年に行われた大陸会議の開催,1775年に勃発したレキシントン・コンコードの戦いの始まりを知らせるために鳴らされてたこの鐘は,1776年7月8日,フィラデルフィアの市民をアメリカ独立宣言の朗読へと招集させるために鳴り響いた。 
 
 「自由の鐘」には,
PROCLAIM LIBERTY THROUGHOUT ALL THE LAND UNTO ALL THE INHABITANTS THEREOF LEV. XXV X.
全地上と住む者全てに自由を宣言せよ
レビ記25:10
 その下には,
BY ORDER OF THE ASSEMBLY OF THE PROVINCE OF PENNSYLVANIA FOR THE STATE HOUSE IN PHILADA
ペンシルベニア州議会の命令によりフィラデルフィア議会議事堂へ
 更にその下には,
PASS AND STOW
PHILADA
MDCCLIII
パスとストウ(鐘の製作者名)
フィラデルフィア
1753年
という銘文が刻まれている。刻印の原典は旧約聖書におけるレビ記の25章第10節によるものである。

 この「自由の鐘」は,1751年に,ペンシルベニア州議事堂での使用を目的としてロンドンにある鐘メーカーのホワイトチャペル社により製作された。1753年「自由の鐘」は議事堂外側の中庭広場に吊り下げられたのだが,はじめて鳴らされた際にひびが入ってしまった。
 この鐘を撤去する間,「自由の鐘」はフィラデルフィアに住んでいたジョン・パスとジョン・ストウによって再び鋳造されたが,完成した新しい鐘の音は満足のゆかないものであった。そこで再び鐘の製造に取り掛かり,3番目となる鐘が1753年に議事堂の尖塔に掛けられた。
 アメリカ独立の初期,「自由の鐘」はペンシルベニア議事堂の尖塔に依然として吊り下げられたままであったが,1777年,アメリカ独立戦争が激しさを増し,鐘はペンシルベニア州の村ノーザンプトンタウンへと移された。19世紀,「自由の鐘」は1804年にアレクサンダー・ハミルトンの死を,1824年にフィラデルフィアへのラファイエットの帰還を,1826年にジョン・アダムズとトマス・ジェファーソンの死を,1832年にジョージ・ワシントンの生誕100周年記念を,そして1834年にラファイエットの死を,さらに1835年にジョン・マーシャルの死を,1841年にウィリアム・ハリソンの死を告げるために鳴らされた。

 2回目にひびが入ったのがいつであるか確かではないが,鐘は1846年2月に修理された記録が残っている。それは,1846年2月22日のことである。「自由の鐘」はジョージ・ワシントンの誕生日を祝って独立記念館の尖塔で数時間に渡って鳴らされたが,鐘が鳴らされた際に割れ目部分の上部から鐘の冠の部分まで亀裂が広がってしまい,使用不能になってしまったのだった。
 現在もその表面に痛々しく残るその亀裂は修復が施された痕跡であって,当時できた割れ目そのものではない。1852年,鐘はそれまで吊り下げられていた尖塔から移動され,独立記念館内の「独立宣言室」に展示されることとなった。1885年から1915年まで「自由の鐘」は数多くの都市を訪れ,国際博覧会でも展示されたが,1930年代になると,鐘をあちこちへ移動させるにはあまりにも危険であるとの結論が下され,この慣行は終わりを告げた。

 1976年,アメリカ独立200周年記念期間のことである。増加すると思われる観光客を予期して「自由の鐘」は再び独立記念館からガラスパビリオンに移された。しかし,このパビリオンはあまり人気がなかったので,2003年に開場となるより大きなパビリオン創設の計画が立てられた。そして「自由の鐘」は南西側近隣に新しく建設されたパビリオンであるこのリバティベルセンターへ移動されて現在に至るのである。

 地球以外の太陽系の惑星や衛星に生命がいるのか? 太陽以外の恒星をまわる惑星や衛星に生命がいるのか? そういったことが話題になっていますが,そうすると,はじめに,地球の生命の起源が問題になってきます。ところで,そもそも「生命」とは何かということすらなかなか定義できないのだそうですが,ここでは「生物が示す基本的な特質」としましょう。「生物」とは,自己を維持するための代謝,自己を増殖する成長,同型のものを再生産する複製,外界への反応性と適応性などの特質をあわせもつ物質複合体あるいは個体の状態をいうそうです。

 宇宙空間にただようガスには一酸化炭素やアンモニアがあるのですが,このガスに宇宙線が当たると容易に有機物が生れます。そうした有機物からはアミノ酸が生成され,アミノ酸は微惑星や隕石,あるいは彗星のチリによって地球に降り注いだと思われます。そこで,アミノ酸がどういうふうにして生命にまで発展したのか,そのメカニズムがわかれば,地球上の生命の起源がわかるということになります。
 その謎を解く手がかりとして光合成生物の存在があります。地球上で生命が維持できるために必要な酸素は光合成を行う生物がつくりだしたものだからです。そこで,光合成を行う生物の誕生が生命の起源のカギを握っているというわけです。ここで有力とされているのはシアノバクテリアです。
 シアノバクテリア(cyanobacteria)は原核単細胞生物で,今でも普通に池や水たまりなどにみられる微生物です。原始,シアノバクテリアは光合成を行うことで酸素を海水中に放出していたと考えられています。シアノバクテリアは細胞から分泌する粘液で海水中に浮遊する微細なミネラルの粒子を捕らえて炭酸カルシウムと結合させてストロマトライト(stromatolite)というドーム状の石をつくります。このストロマトライトがオーストラリアの海岸で見つかったことから,生命の起源にシアノバクテリアの存在が脚光を浴びるようになりました。

 地球上に降り注いだアミノ酸から生命,つまり,シアノバクテリアがどこで発生したのかという説には,海底の「熱水噴出孔」と陸地の水たまり,あるいは,宇宙から飛来したというものがあります。
 海底で発生したという説は次のものです。
 47億年前,誕生当時の地球は海に覆われていて,海底にあった「熱水噴出孔」からは硫化水素と熱水が噴出していました。高温のなかの硫化水素はエネルギーと水素によってアミノ酸を成長させ,それが海水で冷やされて安定し,生命が誕生したというシナリオです。地球上にいるあらゆる生命の共通の祖先は「LUCA」(全生物の共通祖先=Last Universal Common Ancestor)と名づけられていますが,このLUCAは熱水噴出孔に住んでいたといわれてします。 
 しかし,その一方で海底ではなく,陸地の潮たまりで発生したという説もあります。
 それはアミノ酸が生命に変化するには濃縮とともに乾燥が必要だからです。地球上は40億年前すでに陸地が存在し,地層を調べると,38億年前には生命があふれていたようです。RNAは4つの塩基アデニン,グアニン,シトニン,ウラシルからなっていますが,そのRNAによってアミノ酸からタンパク質が合成されます。つまり生命の誕生にはRNAの塩基が必要であるわけですが,そのRNAを作るためには紫外線が必要,そして,紫外線は海底には届かないから陸地なければ生命は誕生しない,というわけです。

 このように,生命が地球上で誕生したという説にはまだ解明されていないことも多いのですが,そもそも,このシアノバクテリアは宇宙から運ばれてきたのではないか,というのが宇宙飛来説です。この説は「パンスペルミア」(panspermiaギリシャ=語で「seeds everywhere」の意)という魅惑的な名ががつけられています。地球が誕生して10億年も経たないうちに生命が誕生したのが不自然だという考えに基づくものですが,地球外生命の発見とこのパンスペルミア説とは表裏一体の関係があるので,地球外生命が見つかれば,この説の支持者が増えることでしょう。 
 いずれにしても,地球上の生命の誕生のメカニズムが解き明かされるために,地球外に生命がいるのかどうかということが最大の関心事なのです。私は地動説から天動説,そして惑星が太陽系以外にも存在することがわかった,というように,歴史は,我々が特別な存在ではないということを物語っているように,生命は宇宙からやってきたのだと思っていますけれど。

◇◇◇
生命誕生の謎①-171年ぶりの後の十三夜に寄せて
生命誕生の謎②-171年ぶりの後の十三夜に寄せて
地球は6回目の絶滅期に突入か?-生命の起源が面白い①
人類の生存期間はたかだかそれだけ-生命の起源が面白い②
小惑星衝突が人類の繁栄を作った-生命の起源が面白い③

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8月29日,14日目になりました。この日,私はオーロラを見たという興奮からほとんど眠らぬまま朝になりました。日本でも星を見にいくときも同じようなものなので慣れっこではあるのですが,ひとつだけ心配がありました。
私は,次の日の30日深夜1時にフェアバンクスを発って4時間余りのフライトでシアトルに行き,6時間ほどをシアトルの空港で過ごし,当日30日のお昼12時50分発のフライトで日付変更線を越えて31日午後4時前に成田に帰国して,さらに,夜7時ごろのフライトでセントレア・中府国際空港に戻ります。合計すると帰国には26時間もかかるわけです。その間ずっと寝て過ごせるのならいいのですが,空港での待ち時間が多く,そこで寝入ってしまって危うく乗り損ねる心配があったので,睡眠不足は危険なのです。
この旅は,半年前に成田からシアトル,シアトルから成田のフライトだけを先に予約しました。それは,皆既日食を見るためにとにかくアメリカ本土に着かなければどうにもならないから真っ先に手配をしたからです。そして,アラスカへの旅は後からくっつけたので,結果的にこうしたかなりの冒険的な帰国になりました。いつ寝られるのだろう? と思いました。
そんなわけで,この日は睡眠不足のまま朝食だけ食べて,午前中再び寝ようとごろごろしていましたが,ぐっすり寝られるというものではありませんでした。お腹も減ったので,昼過ぎに起き出して,車でこれまで走ったことのないB&Bから西側の住宅街の狭い道路を走っていったら,なんと,フロンティアパークの裏門に着きました。そこに中国人のやっていた店があったので,ラーメンを頼んでそれを昼食にしました。その後も,眠たいのと何もすることがないのと,オーロラをみた満足とで,だらだらと近くのモールでウィンドウショッピングをしたり,B&Bにもどりテレビを見たりして,意識的に無意味に過ごすことになりました。
カップヌードルのようだった昼食が胃にもたれて夕食を取る気もなかったのですが,このあとのことを考えると何か食べなければと思い,いやいや再び外に出て,売れ残っていたお寿司を買ってきて食べました。そして,夜の8時,チェックアウトをして空港に行き,レンタカーを返し,フライトの時間を待ちました。こうして,過酷な帰国がはじまったのですが,長い道中もどうにかつつがなく終了して,8月31日の夜10時には自宅に戻りました。
  ・・・・・・
この旅は,MLBを見て,皆既日食を見て,大農場でコンバインに乗り,NFLを見て,さらに,オーロラを見ました。そのどれひとつをとっても誰もが簡単に経験できるものではないので,自分のあまりの強運に驚いています。何せ,1週間のうちに皆既日食とオーロラの両方を見ちゃったんです。
昨年の夏はフロリダ州から北上してバージニア州フィラデルフィアまでドライブをして,もうこんな旅はしないだろなあ,と思ったのですが,今年もまたそれ以上の長い旅になりました。帰国して地図を見ると,よくもこんな遠いところにまで行ったものだというのが実感なのですが,今もなお,家から一歩外に出ると,そこにはフェアバンクスの街並みが広がっているような錯覚を覚えます。
旅は非日常であるからこその旅であり,思入れがあるからこその旅です。さあ,次は何をするとしましょうか?

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到着した日の夜,外を見ると少し晴れ間が見えたので,オーロラを見ようとあてもなく走っても,予想以上にフェアバンクスは広く,しかも土地勘がないものだからどこを走っているのかわからなくなって,B&Bに戻れるかどうかさえ不安になり失敗したので,この日は「地球の歩き方」の244ページに書いてあったオーロラ観測ポイントの中からフェアバンクスに近いところに行ってみることにしました。書いてあった中で最もダウンタウンから近い場所が空港に近いパイクスランディングという場所だったので,昨日そこに行ってみると,そこにはリゾートホテルがあったのですが,駐車場には灯りがあって,夜は明るそうで,とてもここではオーロラは見られそうにないなあと思いました。こういうとき,私は日本で星を見に行く経験が生きるのです。日本で星見の場所を探す要領で考えればいいのです。その次に近そうな場所だったのが,フェアバンクス北東の郊外にあるチナホットスプリングリゾートでした。地図では一見近そうだったのですが,それでも100キロ以上先で車だと1時間30分くらいかかるということでした。
すでにこれまで,私はハワイ島やマウイ島でも深夜に星を見るために走っているので,深夜に走ることには問題ないのですが,私が恐れていたのは動物でした。これもまた,昨年モンタナ州でお昼間に巨大なシカが急に飛び出てきて車に激突されたことがあるのですが,深夜となるとそれ以上に大変です。オーストラリアでもカンガルーが飛び出してくるのが心配だったのですが,現実にカンガルーが道のまわりで飛び跳ねていたりしたのです。ともかく,まだ日が暮れる前に現地に着いて,様子を調べてこようと走り出しました。
それがチナホットスプリングリゾートは思った以上に山の中で,なかなか着きません。100キロと書いてあったのですが,まったく知らない道はそれ以上遠くに感じられました。途中,2,3箇所キャンプ場があって,別にそこでも夜になれば真っ暗だろうと思ったのですが,そんなただだだっ広い広場で数時間も車を停めてオーロラが出るのを待つ勇気がありません。しかも,オーロラは出現しないかもしれないのです。私が目指すチナホットスプリングリゾートは,リゾートというからにはおそらく立派なホテルがあって,そのホテルのロビーやレストランで暗くなるまで時間が潰せるのでなはいか,という期待がありました。なにせ,出るかどうかもわからにオーロラが見られるまで,ずっと時間を潰す必要があるわけです。
実際,オーロラを見ようとアラスカに出かける日本人のほとんどはツアー客で,私は,ハワイのように現地に行けばいくらでもオーロラ観測ツアーがあると思っていたのに,そんなものもほとんどありませんでした。フェアバンクスから出発するツアーがあるにはあるのですが,それらは9月にならないと開催されていなかったし,また,たとえツアーがあったとしても,それらは深夜の1時くらいまでが観察時間で,その時間になると現地を出発してフェアバンクスに帰ってきてしまうのでした。アラスカというのは,個人で旅行をするにはあまりに情報が不足しているのでした。「地球の歩き方」のアラスカ編も古く,内容は今では正しくないものがけっこうありました。日本人のやっている現地ツアー会社すらなくなっていました。
車はどんどんと山の中に入っていきます。行き交う車もほとんどありません。そのうちに,私の予想とは違って日本の信州の赤沢自然休養林みたいな感じのものが現れました。これこそがチナホットスプリングリゾートでした。立派というには程遠い体育館のようなところがあって,中に入ってみるとテーブルとイスが並べられていて,だれでもここでオーロラが出現するまで待機できるということでした。まわりは日本人ばかりでした。日本からはアラスカに直行する定期便がないので,個人でアラスカに行くにはシアトル経由ということになるのですが,日本からのツアー旅行ならばチャーター便があって,それだとアラスカは6時間程度で来ることができます。そうしたチャーター便は複数の旅行社からのものが一緒に利用していて,違いはアラスカでの日程とか滞在先でそれが料金に反映されます。この日私が出会ったのはJTBとクラブツールズムのツアーで,聞いてみると,JTBは午前1時30分までここでオーロラ観察をし深夜にフェアバンクスに帰るというもの,クラブツーリズムはチナホットスプリングリゾートに数日宿泊するというものでした。当然,ここに滞在するほうが倍程度値段は高価の設定になっています。オーロラが見られる確率と料金が比例しているわけです。すでに書いたように,幸い,この晩オーロラが出現し見ることができたから,この日のツアー客は運がよかったのですが,私がこのリゾートでの観察を早めに切り上げての帰路にキャンプ場に車を停めてたったひとりで見たオーロラが一番鮮やかでした。それはJTBのツアーが観察を終えてフェアバンクスに帰るころの時間でした。
オーロラというのは,太陽からのプラズマ粒子の発光現象です。地球のまわりにはヴァンアレン帯というものがあります。ヴァンアレン帯は地球の磁場にとらえられた陽子と電子からなる放射線帯です。太陽風や宇宙線からの粒子が地球の磁場に捕らわれて形成されると考えられていて,地磁気の磁力線沿いに南北に運動しており,北極や南極では磁力線の出入り口であるため,粒子が大気中にまで入ってきて,これが大気と相互作用を引き起こすことによってオーロラが発生します。オーロラの発生する場所をオーロラべルトといい,北南極から少し離れた円形の地域です。粒子は地球の夜側にまわりこむためにオーロラは深夜に発生します。オーロラは冬だけでなく1年を通して見ることができるのですが,空が暗くないと見られないから,夜が短い夏は見ることができる時間が短いだけです。8月後半ともなれば夜も長くなってきて,しかも寒くないからオーロラを見るにはとても好都合なのですが,フェアバンクスは夏場は天気がよくないのです。
今回,私が見た日はたまたま晴れたからよかったものの,JTBのツアーのようにオーロラ観察がたったひと晩だけしかないという設定では,この時期はオーロラが見られないことが多いように思われます。また,フェアバンクスで宿泊してもダウンタウンはそれほどの見どころはありません。一方,クラブツーリズムのツアーはチナホットスプリングリゾートに数日宿泊するからオーロラを見ることができる可能性は高くなるのですが,山の中のリゾートはお昼間にすることはあまりないかもしれません。このようにオーロラを見るのも大変なのです。
私は,期待もせずフェアバンクスから車でひとりでやってきて,たまたま偶然オーロラを目撃し,しかも,帰路,たったひとりツアー客のいないキャンプ場でカーテンのようなオーロラに地球の神秘を味わうことができたのですが,こんなことは奇跡でしょう。しかし,深夜の道路は予想通り危険で,恐れていたように巨大なトナカイが目の前をのそのそと横切るのに遭遇しました。私はすぐに停車できる速度で走っていたので問題なかったのですが,ほとんど車が通らないとはいえスピードを出して走るのはかなり危険な行為です。私は慎重に運転して行きよりもかなり時間をかけてB&Bに戻ってきました。
まさかオーロラが見られるとは夢にも思ってもいなかったから様子見に来ただけだったで,せっかく日本から持参した防寒具をこのとき持ってくることも忘れそのためにチナホットスプリングリゾートで防寒具を買う必要になったり,また,せっかく日食を撮るためにもってきた三脚をも忘れてきたのでカメラの固定に手こずったりと,後悔するこことも多々あったのですが,それでも,このために日本から持ってきた魚眼レンズだけは忘れなかったので,オーロラを写すことができて満足しました。
団体ツアーで旅行をする気のない私にはチャーター便に乗れないのでアラスカは遠く,再びオーロラを見にくることができるかどうかわかりませんが,オーロラというのはどのように見られるか,そして,どこへ行けば見られるかということは今回よくわかったので,もし次回があればもっと素敵な写真を写そうと,夢がまたひとつ増えたことでした。とても素晴らしい得難い夜になりました。

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13日目。私にとっての長い旅も残すはあと3日です。今日は珍しく青空が見えます。
私の泊まっているB&B ,今朝の朝食をともにしたのは日本人の上品な初老の夫婦とドイツ人の夫婦でした。日本の方はバンクーバーから列車でアンカレッジに来てそこからフェアバンクスにバスを利用してきたという話です。こうして海外旅行をしていると,ハワイやニュージーランドでもこうして退職後に自由に旅をを楽しんでいる人たちに結構出会います。このような個人で海外旅行をしている人に共通するのは,日本のツアー客とは交わりたいくないということです。海外旅行といっても,ツアーで行く人と個人で行く人は全く違う楽しみ方をしています。
今日は早朝,まず再びビジターセンターに行って,そこの駐車場に車を停めてダウンタウンを散策することにしました。来た日に同じようにダウンタウンを散策しようとして雨に降られて中断をしたので,その続きです。ダウンタウンではまず,ビジターセンターの隣にあるゴールデンハートプラザという広場と,そこにあるイマキュリッツコンセプション教会のステンドグラスを見学して,そのあとで,氷の彫刻博物館に行きました。フェアバンクスでは冬に氷でモニュメントを作るフェスティバル・氷の彫刻世界競技大会があって,そのフェスティバルの終了後に作品がここに展示してあるわけです。お客さんは私のほかにワシントンDCから来たという中国人夫婦のたった3人でした。モニュメントを見てからモニュメントの作り方を見せてくれるというアトラクションがありました。やっていたのは14年ここに住むという中国人でした。
午後は外輪船クルーズでした。これこそフェアバンクス一番のアトラクションであり,このツアーは夏だけ実施しているので冬に来ても乗ることができないのです。せっかくこの季節にここに来てオーロラが見られないのなら,オーロラを見るために冬に来る人たちのできないことをしなければ意味がありません。乗り場に着いた時すごく多くの人たちで溢れていました。それはアメリカ本土やオーストラリアから来た観光客の団体さんでした。駐車場には非常に多くのバスが停まっていました。日本の団体旅行みたいなものです。アメリカにもこういう団体ツアーがあるんです。ただし,日本からのオーロラツアーではこの外輪船クルーズには乗らないみたいです。乗りたいと希望すると予約がいっぱいで乗れません,と添乗員さんに言われます。そして,大したことないですよ,などと言われます。しかし,本当は大したことあります。自由の身の私は予約でいっぱいになるという情報を手に入れたので2日前にネットで予約がしてありました。
このクルーズは再現された外輪船に乗ってチナリバーとタナナリバーをゆっくり航海して,階上に離着陸するブッシュパイロットの演技を見たり,犬ぞりを飼育しているところを通ると犬ぞりレーズの演技を見たりネイティブの集落が模して造られた場所で上陸して,昔の家を見学したりします。この川沿いにある高級別荘にはナンシー・レーガン元大統領夫人のものもありました。こちらの高級住宅はシアトル同様,川(湖)に面しているプライベートビーチがあります。この外輪船クルーズはディズニーランドのアトラクションを規模をずっと大きくしたもののようで,おそらくフェアバンクスではナンバーワンの見ものです。これに乗らなければフェアバンクスに行った意味がないほどです。
クルーズがはじまるころになると,すっかり空が晴れ上がりました。午後2時からのクルーズは3時間で終了したのですが,下船後,オーロラを見にいくにはまだまだ時間が早かったので,まずフロンティアパークに寄って,その後モールで食事をして,午後6時過ぎ,オーロラが見られればいいなあという淡い期待をもって,ダメ元でチナホットスプリングスリゾートへ行くことにしました。これが思わぬ幸運を呼んだのです。

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12日目,8月27日日曜日です。曜日どころか日にちもわからなくなってきましたが,旅というのは結構曜日が大切です。アメリカでは日曜日が休館の博物館などがあるからです。この旅も今日を含めて実質あと3日となりました。帰りはなんと30日の深夜1時フェスバンクス発でシアトルと成田で乗り換えます。セントレア到着が20時5分なので,26時間かかるわけです。アラスカは遠いです。
今回アラスカに寄った本当の理由は,実は後ろめたさからなのです。声高らかにアメリカ合衆国50州制覇といったところで,私は本当はアラスカ州はアンカレッジのトランジットしか経験していなかったのです。今回の旅で,これで晴れて50州制覇と胸を張れます。さらには「星好きの三大願望」のひとつであるオーロラを私は飛行機の機内でしか見たことがないので,ついでにオーロラが見れたらいいなあと思っていました。しかし,来てみると,この季節は天気が悪く,おまけに市街地は明るくて,おそらくどうにもなりません。それにしてもアラスカ州第2の都市フェアバンクスは何にもないところでした。こんなところに,オーロラを見る目的で,それも極寒の冬に1週間も滞在するのは私には想像できません。
昨日は到着したばかりでさっぱりわからなかったこの町も今日走り回って大概のところはすっかり馴染みました。しかし,雪の積もる冬にオーロラを見に来るにはどうやらツアーに参加するしか選択肢がなさそうです。また,寒くないこの季節ならば個人旅行は可能ですが,もし天気がよくてオーロラが見られそうなときは,事前に,深夜に市街地の光のない郊外に行って,安心して車を停められる場所を調べておく必要がありそうです。
今日は素敵な朝食になりました。一緒になった人たち,フロリダからきた夫婦とニューヨークから来た夫婦と話が弾みました。その後,まずアラスカ大学の博物館に行って展示を見てからオーロラのビデオを見ました。幸運にも週末だったので大学の駐車場は無料でした。その後,大型動物研究所でジャコウウシやトナカイを見てからタナナバレーのファーマーズマーケットに行ったのですが,2,3件のお店が出ていただけでした。そして,クリーマーズフィールドという野鳥公園へ行きました。ここも幸運にもちょうどこの時期だけカナダヅルが渡ってきているということで,これもまたツイていました。この3日間だけフェスティバルなんだそうですが静まり返っていました。次にパイオニアパークに行きました。要するにここはテーマパークなんですが,ここもまた人がほとんどおらず,潰れかけのころの奈良のドリームランドみたいでした。
これだけ行ってもまだ時間がたっぷりあったので,郊外のアラスカ横断原油のパイプラインが見られるところがあるというので行ってみました。その次に,アンティークオート博物館へ行きました。ここにあったのは1890年代からの車のコレクションでした。フェアバンクスの見どころというのは大体これくらいのでものです。明日の午後は,一番人気の外輪船クルーズを予約しましたが,それ以外にすることも行くところもありません。フェアバンクスから北に200キロくらい走れば北極圏に行かれるので,行って行けないこともないのですが,行ってどうするの? という感じです。すでに書いたように,フェアバンクスの夏はなんだかオーストラリアの冬みたいなところです。私はここ数年,いろんなところに行きすぎて混乱してきました。この旅ではこれまで食事で贅沢したので,この日の食事はスーパーマーケットでケイタリングです。

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すでに8月31日に私は帰国していますが,このLIVEでは8月26日,11日目です。旅はまだまだ続いています。
私は別に冒険旅行をしているわけではないので,この歳になると楽しく旅をするには長くて6泊8日が限界です。今回はすでにそれすら超えていますが,何をどう間違えたのか,今回はここで帰国するのではなくて,さらにシアトルからアラスカ州へ行くのです。日食を見るための旅を考えたのは4年前のことで,当時こんな長い日程にしたことすらすっかり忘れていました。
目的地はアラスカ州中央部のフェアバンクスですが,シアトルからフェアバンクスまでは4時間ほどで,時差が1時間あります。そこで4泊します。というより最後の1泊は有名無実で,夜チェックアウトして深夜のフライトでシアトルに戻り,乗り継いで26時間かけて帰国します。
シアトルからフェアバンクスまでのフライトはエコノミーで予約したのがコンフォートにアップグレイドされ,さらにファーストクラスにアップグレイドになりました。あてがわれた座席は通路側でしたが,景色が見たいので窓際に変更しました。
朝はリトルサイゴンでファーという米で作られたラーメンのような朝食をご馳走になりました。そして,マウントレーニアの美しいインターステイツ5を走りシータックに到着。フライトのチェックインを済ませ,ここでたいへんお世話になったEさん夫妻とお別れをしてターミナルに入りました。航空機は午前11時20分にシアトルを発って午後2時過ぎにフェアバンクス到着しました。機内から見たアラスカは広大で眼下には荒涼とした原野が広がり,絶望的な気持ちになりました。
小さな空港に降り立ち,さっそくレンタカーを借りてホテルに向かいました。思った以上に何もないところで,町は北海道の田舎のようだし,気候は8月なのに晩秋,アラスカの夏はオーストラリアの冬のようでした。泊まるのはホテルではなくB&B,古い建物ですがきれいで気に入りました。スタッフが若い女性でびっくりしました。
まだこの町がよくわからないのでまずビジターセンターに行って主な見どころを聞きました。ダウンタウンが歩いてまわれるということなので散策していたら雨がひどく降ってきてあわてて車に戻りました。その後,フェアバンクスの老舗といわれるタイレストランで夕食をとってB&Bに戻りました。明日からの観光を思案中ですが,特に何も特筆すべき見どころはなさそうなところです。
夜11時過ぎ,少し星が見えたのでオーロラが見えるかもと外に出たのですが市街地は明るくどうしようもありませんでした。そこで車に乗って暗いところまで行こうとあてもなく走り出したのですが,位置関係がさっぱりわからなくなって戻ることさえ困難で恐怖を覚えました。その頃には空は一面雲ってしまいました。これではオーロラなんて絶望的だなあと,いつものように自分の考えの甘さを後悔しました。なんとかB&Bに戻って,失望感の中で就寝しました。

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今日8月25日金曜日のシアトルは「ブルーフライデー」。NFL我らがシーホークスのゲームのある週末は,みんなチームカラーの青いモノを身につけるのです。テレビを見てもキャスターの女性は青い服を着ているし男性は青いネクタイをしています。
午前中はシアトルの望遠鏡やさんに寄って,その近くの植物園へ行ってから,私もプレシーズンマッチを見に行きました。地元シアトル・シーホークスは強豪で,MLBの弱小マリナーズとは対照的です。ということでシアトルはフットボールファン一色なのです。シーホークスの本拠地のセンチュリーリンクフィールドはセイフコフィールドの隣で,私は以前スタジアムツアーで入ったことだけありますが,そこでゲームが見られるなんてとてもじゃないけれど信じられませんでした。とにかく6万人入るスタジアムはつねに満員でチケットの入手すら困難なのです。
私は地元の英雄,25番センターバックのシャーマンのユニフォームを着ての観戦でした。こういうの着ていないと大変なメに会うのだそうです。対戦相手はカンサスシティ・チーフス。ゲーム自体も素晴らしいものでしたがそれにも増して様々なアトラクションがものすごく楽しめました。シーギャルズというチェアリーダーにブルーサンダーというドラムラインに…。アメリカでいかにフットボールが人気なのかそのことが実感できました。この町ではシーホークスファンはみんな友達です。すばらしい夜でした。シーホークス最高!

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LIVEはまだワシントン州シアトルですが,その後私はアラスカ州フェアバンクスに行って,ついに,8月28日から29日の深夜,この旅であきらめていたオーロラを見ることができました。そこで今日はまた少し先回りしてオーロラの写真をご覧ください。
フェアバンクスに住んでいる人でもオーロラを見たことがない人も多いのです。それは日本の都会に住んでいて天の川を見たことがない人が多いのと同様です。どおりで到着した日に,チェックインしたとき宿泊したB&Bのスタッフにオーロラのことを聞いても見られるはずないよという顔をされた理由がわかりました。
フェアバンクスはずっと曇りか雨,しかも市内は明るくオーロラはすっかりあきらめていました。しかし,28日の夜は少しだけ晴れ間が見られたので,ダメ元で遠征することにしました。調べた結果,フェアバンクスから100キロばかり離れたチナホットスプリングリゾートなら見られるかもしれないという淡い期待を抱いて,現地の事情も知らず,車を走らせました。
夕刻,1時間半ほどかけて到着してみたら,そこにいたのはなんと日本人ばかりじゃあないですか。JTBとクラブツーリズムのツアー客を乗せた日本からのチャーター機で着いたという話でした。ニュージーランドのテカポ湖の星空観察ツアー同様,日本の教育の成果を象徴する,英語が使えず,主体性のない,安心・安全・快適,おまかせで生きている「人生全てパック旅行」という人たちの集団でした。彼らのすごいのは自分で写真を写したいのにもかかわらず事前にオーロラを写すために何も勉強してこないことで,全て人に言われたまま,挙げ句の果てはうまくいかないと私にさえ頼ることでした。ここには「最も騙しやすい」と陰口される日本人の姿がありました。
ここは日本人観光ツアー御用達の安扶持の観光施設でした。こんなところでも宿泊すると結構高価なんです。スタッフもまた日本人ばかりでしたが対応に忙しそうだったので,暇そうだった日本語のできない唯一のアメリカ人スタッフにオーロラの話を聞くと,昨日は天気が悪かったけれど,今晩は深夜2時過ぎになればきっと見られるよ,という話だったので,そんなに遅くてはとも思ったのですが,ともかくしばらく待機することにしました。それでも疑心暗鬼でしたが,午後10時を過ぎて空が暗くなって来たら ……見えました。オーロラです。本当に感動しました。
あまり遅くなると帰りが心配だったので ー動物が飛び出してきますー 午前1時に現地を出ました。帰路,時折,キャンプ地があるごとに車を停めて空を見ると,北から西の空にかけてまさにカーテンのようなオーロラが明るく輝いていました。私はツアー客のいない真っ暗な現地のキャンプ地でたったひとり地球の不思議に浸りました。結局,チナホットスプリングリゾートまで行かなくてもいいのでした。巨大な野生のトナカイに遭遇しながらもなんとか2時間かけて,B&Bに戻って来ました。奇跡の夜でした。
地球も夢を見るのです。

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8月23日から25日,つまり8日目から10日目はシアトルでEさんのお宅でお世話になっています。特にすることもないので,散歩をしたりテレビを見たり,車を借りて近くをドライブしたり,これは最高の贅沢です。夏なのに汗をかかないし,静かだし,日本のテレビも見られます。「ひよっこ」も「直虎」もやっています。ケーブルテレビでテレビジャパンを契約すればいいそうです。
アメリカは家も大きいし,キャンプに行ったり釣りをしたりスポーツもいっぱいやっているし,庭いじりもできるし,休む暇なく行動できます。そこでピックアップトラックにキャンピングカーなどが必需品となります。それに比べると,というより,そんな生活を知ってしまうと,つくづく,日本で小さな家を買うことも,高級車に乗ることも,旅行に行くことも,狭いオートキャンプ場に行くことも,カメラに凝って出費をすることも,そうした何もかもがバカらしくなってきます。そう考えると,日本で生きるのは本当にお金が要らないなあと思えます。使ったところで,何かを買ったところで,それを活用するところすらないのです。また,日本のニュースをネットで読んでいると,全くどーでもいいことをちまちまぐちゃぐちゃやっているなあという印象しかもちません。
さて,シアトルの東,ワシントン湖の対岸をイーストサイドというのですが,そこにメディナというチョーチョー高級住宅街があります。24日はそこに行ってきました。街の入口には監視カメラもあります。そこに住んでいる有名人にビルゲイツやチャールズ・シモニー(一番下に写真がシモニーさんの家です)がいます。イチロー選手の住んでいたのもここかなあと思ったのですがそうではなく,インターステイツ90をべレビューからさらに東に行ったサマミッシュ湖のほとりだそうです。日本でイチロー選手の家の写真を見てその豪華さに驚いていますが,その程度の家はメディナにはゴロゴロあります。
ここでは,どの家も湖に面していて庭からプライベートビーチが広がっています。門を入ると20台くらい停められる駐車場があってそこから自宅までロープウェイに乗るのだとか。ここに家を買うには最低でも40億円ほど必要ということです。これもまたアメリカなのですが,日本では全く考えられない世界です。あまりに違いすぎて,こんなことは知らない方が幸せなのかもしれません。私が日本で家を買う気にならないのもわかるでしょう。この日,テレビでは7億5,800万ドル,つまり800億円ほどの宝くじの当選者が出たという話でずっと盛り上がっていました。すごい国だわ。

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8月22日,7日目です。
ワラワラのスーパー8で目覚めました。このホテルものすごく安かったのにもかかわらず,すごく立派で助かりました。ずっとキャンプをしていたのでホコリだらけ,荷物もぐちゃぐちゃだったのですっかり生き帰りました。ホテルの朝食も申し分ありませんでした。9時半にEさんがホテルに来て再び合流です。近くの空港にあるハーツのオフィスにレンタカーを返してEさんのピックアップトラックに乗りました。Eさんたちもワラワラを21日早朝に出発してインターステイツ84を南に走りベーカーシティからさらに行った皆既帯で無事,皆既日食を見ることができたそうです。
ワラワラはタマネギの町ですが,現在はワイナリーでも栄えていて,とても美しく楽しいダウンタウンがあって,チョーオススメのところです。この日,オレゴン州で発生した山火事で,快晴でしたが空は一面灰色で覆われていました。部分日食中なら日食グラスも必要ないほど。昨日の青空が嘘のようで,これもまたツイていました。
ワラワラの町をしばらく散策してからシアトルまで州道26,インターステイツ90と経由してシアトルに戻って来ました。今日から3日間はEさんのお宅でお世話になります。シアトル郊外のベレビューというところは日本と同じように暮らせる町です。
この旅は,まずシアトルでMLBを見て,アイダホで皆既日食を見て,再びシアトルに戻ってきました。この後は,25日はシアトルでフットボールのプレシーズンマッチを見て,26日はアラスカ州フェアバンクスに向かいます。旅はまだまだ続きます。

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8月21日・旅の6日目,いよいよ日食の日になりました。わずか2分のために何年も前から計画していたまさにその日が来ました。いくら先のことでもその日は来るのだなあという,妙な感想をもちました。
朝5時に起きてテントから出ると天気予報どおり満天の星空でした。東の方にはオリオン座が輝いています。あと6時間25分後に2分間のイベントが始まるのが夢のようです。
朝,日食後の渋滞の方が心配ですぐに帰れるようにまずはその準備をしました。朝食を食べ,再度撮影の確認をしていたら,10時10分,予報通り太陽が欠けはじめました。
食が進むにつれて次第に寒くなり,そしてあたりが暗くなりはじめ,いよいよ11時24分,皆既日食の開始です。ダイヤモンドリングの現れる少し前から太陽は肉眼でも欠けているのがわかりはじめて光の線が八方に伸びてきました。そして皆既。あっという間,ではなく,長い長い2分間に感じられました。私は1999年8月16日のヨーロッパ皆既日食に次いで2度目の体験だったので,肉眼で見ることが最も大切だと知っていました。へたをするとカメラをのぞいていて終わってしまいます。皆既終了後,渋滞を恐れてすぐに店じまいをするつもりでしたが思ったほどの混雑でないので,日食が完全に終了するまで見届けました。
私が日食を見た場所はアイダホ州の西の端の町,人口7,000人のワイザー。見にきた観光客は少なかったのですが,それでも帰りは町を出る車で大渋滞になりました。川を渡らなければ西に行くことができず,川を越す橋のある道路はたったの1本。何せ小さなダウンタウンを走る6本の道路からこの1本の道路にすべての車が流れ込むのですから3分で町から抜けられるところを30分かかりました。しかしその後は順調にインターステイツ84にたどり着きました。インターステイツ84を北上していくと2度ほど大渋滞に巻き込まれましたが,それは皆既日食のせいではなく,工事によるものでした。アメリカのインターステイツは普通,工事で1車線が閉鎖されれば別の車線が作られます。そうしていないオレゴン州はクレイジーです。それでも午後5時,出発から4時間後にはワラワラに着きました。
アメリカ人の多くは皆既帯でなくとも98%欠ければ一緒だと誤解していたようですが,日食は100%でないと全く意味がありません。おそらく翌日それを知って後悔した人も多いことでしょう。私が思っていたように,人口が多く,多くの人が押しかけたオレゴン州セーラム郊外のカニータあたりは薄雲が出たようですし,ワイオミング州では皆既の間雲が覆っていたようです。
日本からのツアーは60万円から100万円もするのに現地2泊から6泊程度の小旅行で,すでに多くの人は皆既日食終了後に帰国しています。私はツアーでないので,日食を見るために使った費用は成田からシアトルの往復航空運賃10万円程度と宿泊代だけでした。旅は自力でしなくちゃね。そしてまた,私の14泊16日の旅はまだまだ続きます。

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5日目。
キャンプも2日目になりました。今日は何も予定はありません。朝昼晩と食事をするだけが日課です。私は何もできないのでご馳走になるだけですが,こちらの人のアウトドアがよくわかって興味深いです。ここは日食を見るために解放した芝生広場でキャンプ地ではないのでただだだっ広いだけ。そこに多くの人がそれぞれキャンピングカーやテントを持ち込んでいて見ていると楽しいです。
私のいるのはキャンピングカーが1台と荷台を引いたピックアップトラックと私が乗ってきたジープ。テントは私が泊まっているものと子供たちそれぞれ,そして親のものと食事スペースの4つ。そこで8人で過ごしています。
日本からの皆既日食観測ツアーが行くのは日本からの直行便のあるポートランドに近いオレゴン州の州都セーラムの近郊かアイダホ州でもイエローストーン国立公園の近いアイダホフォールズです。私が来たワイザーはワシントン州とアイダホ州の州境ですが大きなホテルや観光地がないので,日本からここに来るような日本人は私くらいしかいないので非常に快適です。ちなみにセーラム近郊なんて晴天率がよくないし,アイダホフォールズあたりは日本人多すぎです。
明日は日食の終了後解散して,私はEさんと再び合流するためにワラワラに行くので,その道順を覚えるためにインターステイツ84まで行ってみることにしました。この閑散とした道が日食の終了後に渋滞するのかどうか,予測不能です。昼間は望遠鏡のピント合わせなどをして過ごし,夜は地元ワイザーの高校でやっている日食フェイスティバルに行きました。
さあいよいよ明日です。今晩の空は曇りで,昨晩は見えていた星も全く見えません。もしこれが日食の時間ならば絶望的ですが,明日は午前4時くらいから一日中快晴という天気予報になっています。

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4日目。
今日は午後Eさんと一旦別れて,ルイストンを出発して4時間南下し,モンタナ州ワイザーで親類のMファミリーと合流して2泊3日目のキャンプに行く予定です。目的はウザったい日本人ツアー客のいないベストロケーションでの皆既日食観察でした。
人口7,000人のワイザーは皆既日食の皆既帯にあたるので 当日の人口が20,000人に達するということです。既にオレゴン州では大渋滞がはじまっているというニュースに恐れをなして朝5時にホテルを出たのですが,全く渋滞もなく午前10時前にキャンプ地に到着しました。オレゴン州の渋滞は皆既日食のせいではなくマリファナ(オレゴン州では合法)を買うためにほかの州から押しかけたせいだったそうです。
Mファミリーに連絡を取ろうとWifiの通じるワイザーのダウンタウンにあったマクドナルドに行ってiPhoneを見るとすでに到着したという連絡が入っていて,買ったばかりのハンバーガーとドクターペッパーの入ったカップを持ってマクドナルドを出てキャンプ地に向かうと,すぐに合流できました。
ワイザーの町はすでに日食モードで土産物屋さんあり看板ありでした。夜は今日もBBQ。あとは寝るだけです。もちろんキャンプサイトではWifiはできないのですが,ダウンタウンにマクドナルドがあってそこでつながります。こんな便利なのは日本ではともかくアメリカではキャンプでありません。

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3日目。
今日はワシントン州の横断です。州道12を通りヤキナでインターステイツ82に乗り換えて再びケネウィックから州道12でワラワラに着きました。ヤキナにはマイナーバーガーという地元の人で人気のバーガー屋さんをがあって,そこで朝食をとりました。ヤナキにはメジャーバーガーというのもあるそうです。
ここまでEさんのピックアップトラックに同乗していたのですが,ワラワラの空港でレンタカーを借りました。レンタカーは赤のジープでした。そこからEさんの車に並走して2時間,アイダホ州の州を越えたルイストンという町に泊まります。ここは美味しいお昼ご飯の食べられるお店があって閉店まえギリギリに飛び込みました。
ルイストンから30分行ったところにあるEさんの友人が経営する大農場に行きました。ここは360度農場が広がっていて現在ビーンズの収穫真っ最中。お願いしてコンバインの助手席に乗せてもらいました。この農場はTBSテレビで放送されたドラマ「99年の愛」のロケ地だったところです。
夜は再びBBQ。お肉は仕留めてきたエルクにクマ。多くの人が集まり夢のような夕食になりました。

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現地のWifi事情から4日ほど遅れてLIVEをお届けしていますが,現地時間2017年8月21日午前11時25分,アイダホ州ワイザーの雲ひとつない青空に皆既日食を見ることができました。
そこで,今日は数日先回りして,皆既日食の写真をご覧ください。皆既になると寒く星も見えます。また,あたりは静寂に包まれて異様な雰囲気になります。これだけは体験しないとわかりません。
太陽が欠けはじめてから戻るまで2時間30分,皆既の時間が2分,生涯最高のショーに大感動しました。
次に皆既日食が手軽に見られる場所に起こるのは,アメリカは2024年4月8日,オーストラリア,ニュージーランドで2028年7月22日,日本では2035年9月2日です。しかし,日食が起きても晴れなければ,といっても皆既の時間に太陽のあるところにたまたま雲があってもダメなのです。
今回の日食のように,アイダホ州の砂漠地帯で晴天率が高くても雲ひとつないというのは稀だから,この日食がいかに好条件だったかは後になるほどわかることでしょう。見そこねた人,逃した魚は思った以上にでかいですよ。

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2日目です。今日はシアトルからパックウッドという町を経由してセントへレンズをドライブするということでEさんのピックアップトラックに乗りました。
セントへレンズの観光では私も行ったことがある一般の南側の展望台ではなく東側へ行くということで,これまでに行ったことがないので楽しみでした。
ところが冬の間の大雨で道路が崩れてしまって途中から行くことができません。そこで予定を変更して,タクラクレイク(Takhlakh Lake)という小さな湖へ行くことになりました。そこからマウントアダムスが眺めれるということでした。
距離としては大したことはないのに道路が舗装されておらず4WD のピックアップトラックだからこそ走れる悪路を1時間半余りもかかりました。しかし到着したところはまるで桃源郷でした。もう時間は3時近くになっていましたが,そこでお昼を食べました。湖の向こうにはマウントアダムスがきれいに見えました。昨日は曇っていて何も見えなかったそうです。
バックウッドに戻り,宿泊するモーテルにチェックインしました。夜はBBQをしました。快晴の空には美しい天の川が横たわっていました。

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