しない・させない・させられない

アメリカ合衆国50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した旅行記。

"I won't do or be made to do what I don't want to. I won't make you do what you don't want to."
I did : traveling all US states and MLB ball parks, watching southern of the starry sky, solar eclipse and aurora.

 ぐっさんが大型トラックのぐっさん号に乗って日本中を走る「トラック旅」もなんだかんだといってシリーズ化されつつあるようです。この番組が視聴者のかぶる「ブラタモリ」の裏番組であることも依然変わらず,このあたりを変える気もないのが「皆様の」NHKらしい意固地さの表れでもあります。
 もともとはシリーズ化する気があったのかなかったのか,この番組,国道と高速道路のものがありました。高速道路のものは第1弾が2015年10月末に放送された日本の高速道を鹿児島から北海道まで縦断する「列島横断2,800キロ!ニッポン高速道路トラック旅」で,第2弾が2017年4月8日に放送された九州の佐世保から北海道の釧路までを再び横断する「「ぐっさんのニッポン高速道路トラック旅!」でしたが,このふたつのコースにはダブりもあるし,これはほぼネタが尽きました。アメリカのフリーウェイと違い高速道路自体それほどあるわけでもなく,おまけにインターチェンジで降りていてはわずらわしく,しかも道路を走っていても日本中どこもさほど変わらないとあっては,サービスエリアを訪ね歩く番組くらいしか作れません。

 そして,国道のものは快調に回を重ねていて,第1弾は2016年5月7日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!″1号線” 東京~大阪の巻」,第2弾は,2016年11月5日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!“2号線”大阪~北九州の巻」,第3弾が 2017年9月30日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”3号線”北九州~鹿児島の巻」でした。ところが,今回の番組でも触れていたように,2017年10月14日に放送された第4弾は国道4号線ではなく5号線を走った「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”5号線”函館~札幌の巻」でした。そして,ようやく2017年12月9日,国道4号線を走った「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”4号線”東京~青森の巻」が放送されました。それが今回のものです。

 私はこのごろ東北地方に行ったことがありません。したがってほとんど写真もありません。東北に行ったのは学生時代に一度,これは青森まで行きました。二度目は裏磐梯へ,これは以前「チロの星まつり」というのをやっていてその地へ一度行ってみたいと思っていたことが理由でした。そして最後が盛岡からレンタカーを借りて青森を一周したこと,それだけです。そのなかで,平泉には二度行きました。私は平泉というところで何を感じたかというと,あの時代,庶民が苦しい生活をしていたころに殿様はこんな贅沢な暮らしをしていたのか,という憤りだけでした。
 もともと東北という地は寒く,農業にも適していなかったから,ずいぶん苦労が多かったように思います。そうしたことを思ってしまうので,旅をしていても楽しくないのです。そしてまた,青森で見たのは,ことばは悪いのですが,いかにも日本のゴミ捨て場のように,核廃棄物処理場とか砂利の集積場があったことです。

 今回の番組では,仙台の日本でも有数な車線の多い交差点,というもの以外は,特に国道を走らなければわからないような情報はありませんでした。やはり,国道を走るという番組ならば,国道を走らなけれはわからないような風景やら珍しいものやらが出てこなけれは鉄道で旅をしているのとなんら変わらないのです。それと,東京から青森を紹介するにはわずか1時間半という時間は身近すぎるのです。そういった意味ではとても中途半端に感じました。結局この国は食べ物だけなんですね。
 番組を見ていて,あの道路を走りたい,あの場所に行ってみたいと思えるようなものがもっと欲しかったように思います。それよりなにより,日本の道路を走る気持ちが私はさらになくなってしまいました。
 さて,次は6号線なんでしょうか? 国道6号線は太平洋岸を東京から仙台まで,つまり福島第一原子力発電所事故に伴う帰還困難区域設定で許可車両以外の通行が規制されていた震災の跡地です。

◇◇◇
「高速道路トラック旅」①-日本が狭いことを実感した
「ニッポン国道トラック旅」①-画像処理の様な旅
「ニッポン国道トラック旅」②-グルメこそ楽しみ
「高速道路トラック旅」②-日本にあるのは廃墟だけ?
幻の「ニッポン国道トラック旅」-自然に戻すことこそが…
「ニッポン国道トラック旅」③-懐かしき九州の道
「ニッポン国道トラック旅」④-おいしかった積丹のお寿司

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●見晴らしのよい中央マウイ●
 この旅をしていたときは,まだ,カウアイ島には行ってないかったから,私が知っているハワイの島はホノルルのあるオアフ島とハワイ島,そして,このマウイ島だけであった。
 オアフ島は別として,ハワイ島とマウイ島は全く別のよさがある。また,LIVEで書いたようにこの11月にカウアイ島に行ったので,その結果,私のマウイ島に対するイメージも少し変化したが,いずれにしても,このマウイ島というのは素朴なハワイとリゾートのハワイ,そして雄大な大自然など,さまざまな顔をもつ島である。ツアーで訪れる多くの人はこのうちで素朴なハワイというのは知らないだろうし,大自然はオプショナルツアーで行くくらいのものであろう。
 しかし,私がハワイに求めるののは素朴なハワイと大自然なのである。

 この日私はマウイ島を海岸沿いに走れるだけの道路を走ろうと思って動き回っているが,西側の北海岸に沿ってレンタカーでの通行が禁止されてるところまで行って引き返して,次に向かったのはひょうたん型の島の中央のくぼみの部分を南下して東側の島の西の海岸であった。
 中央マウイとよばれるくぼみの部分は広がった平地であって,とても見晴らしがよい場所である。走っている車は多くないが道路は広くとても気持ちがよかった。

 私の泊まっているマウイ・シーサイドホテルは中央マウイの北海岸の東側だが,その町をカフルイ(Kahului)という。そこから西に行った場所がワイルク(Wailuku)で,ワイルクはモロカイ島,ラナイ島,カホウラウェ島を含むマウイ群庁があって,のどかで古い町がある。そこから中央マウイを西側に沿って広い道路である州道30が南マウイに向かって続いている。
 私はこのあともこの道路を何度も走ることになるが,ここにはベイリー・ハウス博物館とマウイ・トロピカル・プランテーションという植物園がある。結局,この旅ではベイリー・ハウス博物館には行く機会がなかったが,マウイ・トロピカル・プランテーションには後日行くことができた。このときは,広い敷地があるなあ,と思いながら走っていただけであった。

 やがて,中央マウイを過ぎて,マアラエア(Maalaea)に着いた。ここが,私がホエールウオッチングをしたときに予約をしたマウイ・オーシャンセンターのある場所である。
 ビギナーズラックというか何というか,私がさまざまなところを旅したときに,まず到着してその地のことがよくわからないときに適当に車を走らせたときに通った場所というのが,その場所の一番の見どころだったりすることが多いのだが,それは幸運というよりも,そうした場所だからこそ,一番の見どころになるのであろう。 

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 毎日,平穏で静かにクラシック音楽に耳を傾けたり読書をしたり,そして,旅に出たり,そんな生活を満喫したいのに,なぜかわずらわしいこのごろです。どうしてこんなことになってしまっているのでしょうか?

 先日「Office365サービス更新のお知らせ」というメールが来ました。この「Office365サービス」は「Microsoft Office365」がプレイストールされたPCに1年間だけ無料でつくサービスで,OneDriveというクラウドが1TB使えるとか,iPadなどのタブレット版のOfficeが使えるとか,Skypeが無料で使える,という特典があるものです。私はこれを試してみた結果,すべて自分には不要のものだとわかりました。したがって,私は「Office365サービス」など更新する必要はないのです。
 ところがネット上のさまざまな書き込みを読むと,知りもしないのに無責任極まりないものが結構多く,更新しないとOfficeが使えなくなるといったことが多く書かれてありました。それは間違いです。さらに,コンピュータメーカーの説明さえも,結局はマイクロソフトヨイショのものばかりだから,更新は必要ありません,という回答はどこにも書かれてありませんでした。
 これは実に困ったことです。その結果,必要もないのにお金を払っている人が大勢いることでしょう。

 SNSもまた,このごろはうざったくなってきました。
 「Twitter」には,必要のないものがたくさんツィートされるので,私はこれを順にブロックするのが日課になってしまいました。意味のない広告を強制的に読まされることは実に不愉快です。「Twitter」が不人気になってきた原因はそこにあると思います。どうして,60歳過ぎのじいさんに美顔だのニキビだのダイエットだのといった広告を発信する必要があるのでしょう。これは,そうしたメーカーに反感をもつだけでなんの効果もありません。LINEなど最悪です。意味のない更新を伝えるバッジを表示させない方法すらないので,くだらないアクセスを繰り返す必要があるのです。
 近頃はまた,インターネットのウェブサイトも,あまりに広告が多くて本当にいやになります。私は,もう,自分に必要なサイト以外は,ネットサーフィンをする気さえなくなってきました。

 私は日ごろ,広告のかたまりのような民放テレビは全く見ないのですが,NHKだって番組の宣伝ばかりです。
 雑誌もほとんどが広告で,しかも,本文の記事もライバル誌と同じ特集ばかりです。きっと,そうした特集を企画する別の裏会社があるのでしょうが,そんなものを読んでもまったく楽しくありませんし,参考にもなりません。
 新聞もまたほとんど同様になってきたので,読む価値がなくなってきました。よほど広告収入がないのでしょうか。それに,若い人は新聞など読まないので,年寄り相手の広告はかりで,まるでBSの民放の放送のようです。以前なら,新聞の広告ならという信用が少しはあった気もするのですが,いまや,大新聞のプライドのかけらも感じられません。
 このような広告は,土曜日や日曜日の午後3時ころに決まってかかってくる0120発信の売り込み電話と同じで不愉快なだけです。情報があふれている,というだけならそれを取捨選択すればいいのだからまだしも,ここまで広告の押し売りをされると,それは広告というよりも暴力に近いものを感じます。
 私にはそんな受け身の情報はまったく必要がないのです。必要な情報なら自分で手に入れます。

 ネット社会は,どうして我々の生活を不快にしはじめたのでしょうか。私は徐々にそうしたものからは離れて,静かに音楽を聴いたり本を読んだり,そんな日常に変えつつあります。インターネットが一般化しはじめたころはバラ色の未来が待っていそうだったのに,その結果というのはこんなバカげたものだったのでしょうか?

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●さまざまな顔をもつ島●
 マウイ島は小さいほうの西側の丸い島と大きいほうの東側の丸い島がくっついたひょうたん島であり,そのくっついた狭い部分の北側の海岸沿いにあるのが私の泊まっているホテルのあるカフルイである。今日はまず,海岸に沿って西に走り,西島の北側を可能な限り,というか,レンタカーで通行が可能な限りの場所まで行ってみることにした。
 1番目の写真はホテルの前の道路から西側を望んだところであり,この島でも美しい景色である。この道路を走っていくわけであるが,この先がカフルイの旧市街というか役所(マウイ群庁)や商店街のあるところで,そのあたりをワイルク(Wailuku)という。ワイルクは日系移民とも縁が深いところで,ハワイ島のヒロのような感じに似ていなくもない。

 私がこの旅で行ったときは惜しくも違っていたが,月のはじめの金曜日であれば,「ワイルクのファーストフライデー」というイベントがあるそうだ。ワイルクの中心マーケットストリートが歩行者天国になって露店が並び,ステージではライブコンサートが夜遅くまで繰り広げられるのだという。
 まあ,村祭りのようなものであろう。
 また後でこのワイルクの町を歩くことになるが,この町は坂が多い。歩いていると日本語で話しかけられたりすると書かれていたが,私はそういう経験はしなかった。

 ワイルクを越えると結構閑静な住宅街になった。地図によると海岸沿いに道路があるのだが,そこに行く交差点がわからず,私は住宅街に迷い込んでしまった。
 何度も書くが,本当にこの島は場所によってまったく異なる印象をもつもので,この住宅地はアメリカ本土にあるような新興住宅地であった。ただ,この島では特に産業もなく,アメリカ本土に住む大金持ちの別荘やら,観光客相手のリゾート施設ばかりだから,ここに住んでいる人がどういった仕事をしているのかよくわからない。また,ハワイは遊びに行くにはいいところだが,住んでしまうと狭く退屈な場所ではないか,とは私のアメリカ人の友人が話していたことだ。
 
 やっと海岸沿いの道路を見つけて走っていったが,突然雰囲気が変わって急坂になった。そしてまた,崖に沿って這いつくばるように小さな住居が点在するようになった。ここは島の北側,こんな場所に住むのはたいへんである。
 あっという間にずいぶんと高いところまで昇ってしまい,また,道路もすれ違うことも困難な1車線となったからこのあたりで引き返すことにした。広い場所を見つけたので車の方向を変えてカフルイの街を望むと,雄大な海と山の続く風景を見ることができた。

 私が今のようにアメリカを旅しはじめたころ,とても印象深く感じたのは,人々が列を作ってのんびりと待っている姿でした。そしてまた,観光地で景色を背に記念写真を写しているとき,決してその視界を横切らずシャッターが押されるまで後ろの人が待っている姿でした。私ははじめのころ戸惑いましたが,今ではすっかりそのペースに慣れました。
 その後,オーストラリアやニュージーランドに足をのばすようになっても,アメリカと同様でした。これらの国では,そうしたことに加えて,車を運転するときもまた,後ろから煽ったり,スキがあれば猛スピードで追い抜いていったり,狭い道をすごいスピードで走っていくということがありません。今ではそうしたゆったりとしたペースに慣れてしまったので,日本で運転すると,とてもじゃないけれど,ストレスが溜まります。

 どうしてこの日本という国の人は,こうも「せこい」のでしょうか。そして「せせこましい」のでしょうか。それは,おそらく,生れもって貧しいからなのでしょう。
 今からわずか数十年前には,日本は本当に物質的に貧しかったから,人に譲っていては食べてゆけなかったのでしょう。そして今は,精神的に貧しいのです。他人を思いやる心の余裕がないのです。だから無料だからといって観光地のトイレからトイレットペーパーを大量に持っていってしまったりもするのです。
 人をやっかむということもそのひとつの現れですし,学校教育でも,意味もなく生徒に補習を強いて生徒の自由な時間の余裕を奪うことに配慮できない教師の行為に現れています。
 スポーツにはルールがあって,当然,敵味方とも同じだけの機会が与えられています。野球で,たとえ相手チームよりもプレーがしたくとも我がチームだけが10回攻撃できる,などということはあり得ないわけです。しかも,学校の補習では,勉強と称してやっていることは,単に問題集の答え合わせにすぎないから,人よりも時間をかければ,当然結果はよくなりますが,しかし,それは点数という結果がよいだけで,何も身についているわけではないのです。これがブラックブカツにも,延いてはブラック企業にも通じるわけです。

 この国で一部の人が大好きな「おもてなし」という言葉の根底にあるのもまた,こうした「せこさ」なのです。

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●時差ぼけも回復した朝●
☆4日目 3月25日(土)
 4日目になった。
 この旅は7泊9日であるが,マウイ島の観光ができるのは実質6日である。今日はその3日目であった。
 ハワイという日本から東に中途半端に近い,いや遠いところは時差が5時間ある(実際は-19時間というがそれは日付変更線を越えるからである)。日本を出発したのが日本時間で午後9時30分であり,到着が現地時間で午前9時45分であるがこれは日本時間では午前4時45分で,飛行時間は7時間15分となっているのだが,実際は空港で飛び立つまでにずいぶんと時間がかかるから空を飛んでいるのは7時間弱となり,しかも,その間に夕食が出るし軽い朝食も出るからずっと寝ているわけにもいかない。
 ……ということで時差ぼけがきついのだ。だから到着後のはじめの3日が辛い。もう来るものかと思うほどである。その点では時差が1時間しかないオーストラリアというのはとても楽である。不思議なのはニュージーランドで,時差が4時間なのでハワイと1時間しか違わないのだが,日付変更線を越えないというだけで気分的にずいぶんと違うのである。
 それが4日目となるとすっかり時差ぼけも回復するので元気になって,また来ようと思うようになるのである。

 さて,その4日目であるが,今日はマウイ島を隅々までドライブしようと計画した。この島は広くないので,私のようにマウイ島だけで7泊9日の旅をするような人はそれほどいるわけでないし,私も来てみて,こりゃ時間を持て余すわい,と思った。しかし,ハワイというところは,はじめて来るならともかく,こうして予定もなくぼーっとする場所であり,そうした旅こそが最も贅沢な旅なのである。
 今日の1番目の写真は私の泊まっているマウイ・シーサイドホテルから北の海岸の風景である。このホテルはシーサイドというからには海に面しているのだが,昨年泊まったハワイ島のコナ・シーサイドホテルとは違い,この海岸は泳げるところではなく,したがってホテルのプライベートビーチもなく,浜辺を散歩できるところでもなかったから非常に物足りなかった。
 私は昨年,何の予備地意識もなくはじめてハワイに行って,しかも一般のようにオアフ島でなくいきなりハワイ島に行って,到着した晩はヒロの小さなコテッジに泊まり,2日目からはカイルアコナに移動してコナ・シーサイドホテルに泊まったが,この適当な選択がとてもよかったということを後で思い知った。
 ハワイ初心者にして,これは最高の旅とホテルの選択であったのだ。

 そして,2番目の写真はホテルの庭の風景であり,3番目の写真はホテルの南側の景色である。
 こうして写真で見るととても素晴らしいところに思えるだろうし,実際もそうなのであるが,このホテルはカフルイの街中にあるので,のどかさに欠けるのが短所であった。
 この日の朝は,ホテルから道路を隔てたところにあるマウイモールの中にあるスーパーマーケットでケータリングをしてスーパーマーケットの外の4番目の写真の場所に腰かけて朝食をとった。この旅ではこの場所が私の最も気に入ったところであった。

 日本の夏は蒸し暑く,それでも陽が沈むころになるとなんとなく少しは涼しい風が吹いてくるので,私の子どものころは玄関先にイスを出して夕涼みをするのが日課でした。夏という季節にまず思い出すのはそんなことです。反対に冬は凍てつくように寒く,それでもそうした季節は夜になるのが早いので,星空がきれいでした。それでも都会は今とさほど変わらず,しかし,少し郊外に出ると今とは違った星空に会うことができて感動したものです。都会育ちであるにも関わらず子供のころから星好きだった私は,いつも,夜空が暗い星のよく見えるところに住むのを憧れていました。
 それからずいぶん経って,どこへも簡単に行くことができるようになったので,私は北海道から九州まで昔読んだ天文雑誌でよく出てきた場所をすべて訪ねることにしました。しかし,今では,そのどこもが私が期待していたようなところではなくなっていて,その世界では有名な多くの人たちも「この程度の」星空を見ていたのかという落胆ばかりが残りました。

 私は,国内を旅する番組を見るのが好きです。外国を旅する番組よりも好きです。しかし,番組を見ている分にはとても楽しいのですが,そこに行ってみたいとは思わないのです。それは,そこがどういうところなのか行かなくてもおおよそわかってしまうから,というのがひとつの理由であり,どこへ出かけても人だらけ,特に近頃は外国人だらけというのがもうひとつの理由です。そしてさらにはゴミだらけだったり廃墟だらけで自然が痛々しく破壊された姿に気が滅入るのも理由です。
 それでも,時にはそうした場所に出かけることもあるのですが,これもまたいつも書いているように,日本の旅はこころで感じるものであって,その地の歴史やらいわれやらを知らないと,何もときめくとこがないのです。確かに,風景の美しい場所もあるにはあるのですが,それでも,海外にそれ以上の雄大な風景を知ってしまった今は特に魅力的に感じることもありません。そしてまた,日本には数少ないそうした美しい場所には観光客が大挙してやってくるのであふれているのです。

 アメリカ本土を頻繁に旅行していたころ,アメリカを深夜にドライブするということは危険なことに思えたので,そこに満天の星空があっても,それを見にいこうとは思いませんでした。その後,ハワイに行き,さらに,ニュージーランドに行き,そしてまた,オーストラリアに行ってみると,そこで見える満天の星空が,私が子どものころからあこがれていたそのものであり,街並みも気候もそういった何もかもが,私がずっと憧れていたそのものだっだと知りました。日本にはそうした場所がまったくないことをとても残念も思うのです。

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カウアイ島・6日目=帰国。
カウアイ島からホノルルまでの飛行機は1時間遅れて飛び立ちました。この日の朝,カウアイ島にはずいぶんと強い風が吹ていたので予定通り飛ぶのかずいぶんと心配しましたが,遅れたのはそのせいです。しかしそんなこともあるだろうと,乗り継ぎ便までの待ち時間が5時間ほどあるように予定を立てていたので余裕がありました。待ち時間は4時間に減りましたが,それでもずいぶんと時間があったのでホノルルではラウンジで過ごしました。
やがて搭乗。ホノルルから名古屋までは実質の飛行時間は8時間43分でした。
赤道の近くを西に向かって飛ぶので,風速が時速100キロくらいの偏西風(向かい風)が吹くから飛行機の時速は約800キロメートルくらいに遅くなり,さらに,地球は時速1,500キロほどで自転しているのだから,もし遠く離れた宇宙空間から見れば飛行機は飛びながらどんどん後ろに下がっていくわけで,午後3時に離陸したのにかかわらず,到着が午後7時になってしまうのです。
帰りの座席も行きと同様にずいぶんと空いていて,私はコンフォートにアップグレードされたので行きと同じ座席を自分で指定して座りました。隣の席は今回も空いていて私は2席を独占して窓から外を見ていると次第に暗くなっていって,やがて日本の陸地が見えるようになったら,まず,東京のものすごい灯かりが見えるようになりました。やがてそれを過ぎて富士山の真上に差しかかると,眼下に雪をかぶった富士山が暗闇に浮かび上がって見えるようになったので感動したのですが,それを知っていた乗客はほかにいなかったことでしょう。そうするうちに三河湾が見えるようになり,スーパームーンの月が海に反射して幻想的でした。
それにしても,日本の夜空は自然をぶち壊したように山奥まで異常に明るいのです。これは狂気でした。だからこんな島で星を見ようとすることもまた狂気のように思えました。
  ・・・・・・・
昨年の春はじめてハワイに行くまで,私はずっと日本人だらけのハワイが嫌いでした。しかし,50州制覇のためとせっかくならマウナケア山で南十字星を見てみようというふたつの理由でハワイ島に出かけてから,ハワイと南半球の星空にハマってしまいました。それ以来,ハワイの残りの島とともに南半球の星空を見るためにニュージーランドやオーストラリアに行くようになってしまいました。自分でも不思議なのはたった2年前にはそのどちらもまったく知らなかったのに,今ではとてもよくわかったような気持ちになってしまって,以前抱いていたときめきがまったくなくなってしまったことです。これはとても残念であり意外なことです。
ハワイはとても楽しいところだけれど,結局はアメリカなので,私がアメリカに抱いているすべてカネがモノを言うとかやたら車が多いといったイヤなところはそのまま存在しています。さらに,カウアイ島では道路の制限速度がずいぶんと控えめに設定されていて,しかも,頻繁に変わるのです。そして,ほとんどの車は日本のように制限速度をはるかに超えて走るのがアメリカらしくなく,走っていても後ろからつけられているように思えて楽しくないのです。そしてまた,この島はやたらと(野生の?)ニワトリが多くて,あたりかまわず多くのニワトリがうろうろして轢きそうになるのです。こうしたことはおそらくツアー旅行で出かける人には感じないことだしわからないことでしょう。
私の行ったオアフ島以外のハワイの島々ではほとんど日本人には出会わないのに,ホノルルの空港に戻るとどこにいたのかというくらい日本人がうじゃうじゃいて,彼らは私のそんな気持ちとはまったく裏腹の陽気さで,ハワイを楽しんでいるように思えます。無邪気なものです。
私には,ハワイも島なので周りが海という点ではニュージーランドと似た面を感じ,町から一歩出ると今度は荒野が広がるのでそれはアラスカのような感じになり,また,オーストラリアの田舎のようにも感じて,そうしたことから私のイメージがごちゃごちゃになるのです。そしてまた,ハワイの大自然は,オーロラの見える雄大なアラスカや南半球の満天の星空の見えるニュージーランドやオーストラリアの迫力には遠くかなわないのです。また,初冬のハワイはあまりよい季節でなく天候も悪く,カウアイ島のもつのどかさもニュージーランドなどの素朴なのどかさもにはかなうべくもありません。そうしたことも含めて,私はハワイというところにはもう魅力を感じないし,これからのつきあい方を決めかねているのです。
しかし,この旅から帰ったあとで私の心境にどんな変化が訪れて,今度はハワイにどんなときめきを感じるようになるのかが楽しみでもあるのです。

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◇◇◇
Super Moon 2017
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カウアイ島・5日目。
今日は帰国の1日です。ホテルをチェックアウトしたのが12月2日の朝7時でした。ホノルルで乗り換えて名古屋まで,日付け変更線を越えるので,帰国は日本時間の12月3日の夜になります。ということで,カウアイ島リフエの離陸が1時間遅れたくらいでそれ以外は特に話題もないので,今日は昨晩のごちそうについて書きます。
アメリカに限らず,旅行をしていて困るのが食事です。なにが困るかといえば,食事が高いことです。円安の影響です。朝食はレストランで食べれば1,500円くらいになりますが,アメリカではそこにさらにチップが必要になるから大変です。こんな調子で食べていると,食費だけでも1日10,000円を超えてしまうのです。一生に一度の海外旅行ならともかくこれでは旅行どころでありません。また,値段が高くてもまったくたいしたことのない料理だったりするのでたまったものではありません。そこでいろいろとムダな出費を抑える工夫をするわけですが,それについては後日書くことにしましょう。
そんなわけですが,昨晩はこの旅の最終日ということで,来たときから気になっていた少し豪華なレストランに行って贅沢をすることにしました。場所はホテルの近くのポイプショッピングビレッジにあるケオキーズ・パラダイスです。昨日このレストランの前でメニューを見ていたら中から食事を終えて出てきたおじさんが私に向かって「ここはお勧めだ,5時30分前に来てシェフお勧めを食べるといいい」と力説されたので行くことにしました。
5時前に到着して5分くらいで席に案内されました。5時30分までに注文できるスペシャルメニューが26ドルでした。やがて5時30分になるとステージで音楽がはじまり,少し過ぎたら音楽に合わせてフラダンスも始まりました。はじめに流れた曲は「オーバーザレインボー」でした。ああ,ハワイに来たなあという実感がわきました。素晴らしい夜になりました。こういう時間はいつまでもう決して忘れないものです。そしてこれが私のカウアイ島のイメージになっていくのです。ハワイはこうでなくっちゃね。

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カウアイ島・4日目。
明日は帰国するので,実質今日が最終日です。小さな島なので昨日まででガイドブックなどに載っている見所はひとつを除いてすべて行きました。そこで今日は海を見ながらまったり過ごすことにしました。
まず午前中はリフエのダウンタウンにあるカウアイ博物館に行きました。そもそも博物館というのは使われなくなったがらくた置き場なのですが,こういうのが充実していてしかもバカ丁寧なガイド付きで鑑賞できるというのがアメリカです。ということで,小さな博物館に2時間も滞在しました。
午後は気になっていたカウアイプランテーションというところに寄ってからホテルのあるポイプに戻ることにしました。カウアイプランテーションというのはもともとプランテーションだったところをアミューズメント施設にしたものなのですが,要はレストランとブティックとギャラリーがあるだけのものでした。
そのあとはポイプの海岸にあるサウスショアガーデンを少し散歩してからホテルのプライベートビーチで波の音を聞きながらのんびりと過ごしました。おそらくハワイの一番贅沢な過ごし方というのはこれに尽きるにでしょう。不思議なもので波の音というのは時間を忘れさせてくれます。天気は曇りだったのですが,晴れていれば日焼けをするからこの方がよかったのでしょう。
これで昨年のハワイ島,今年の春のマウイ島に続いて,今回のカウアイ島もわかった気になりました。ハワイも熱海のようなワイキキビーチからマウイ島ハナの秘境のビーチまで行ってみましたが,こうしてまったりするにはカウアイ島は最高ですしビーチで遊ぶにもおそらくここが一番でしょう。夕食は少し贅沢してみようと思います。

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カウアイ島・3日目。
今日は昨日とは違って天気が優れません。どうやら明日もダメらしく今回の旅はツイていないようですが,昨日のたった1日恵まれた天気の日に島の主な見どころをすべて見たというのもまた運がいいと思っておくことにします。
今日は昨日時間がなく行くことができなかったところをまわることにしました。まずはじめはホテルの近くの海岸にある潮吹き穴(間欠泉のようなもの)でした。頻繁に立ち上るのですが時々すごいのが出ました。そのあとは昨日の午後に行ったコースで北の海岸まで行きました。
昨晩結構雨が降ったらしく,実は夜中の1時30分にスマホの洪水警報が鳴って起こされたくらいなんですが,今日は北の海岸はハナレイから先が閉鎖されていました。本当に昨日行ってよかったものです。
昨日行けなかったのはキラウエア灯台でカウアイ島では有名な風景です。灯台と海と山がとても美しい風景を作っていました。そこから引き返して,東の海岸に沿ってカパア,ワイポウリ,ワイルアといった古い町を散歩しつつワイルア滝に行きました。滝の先まで道路が続いていたのでしばらく走って行ってみると行き止まりになってその先はトレイルコースでした。雨模様だったのにもかかわらず歩いて行く家族づれがあったのには驚きました。
そして最後がカウアイ島一番人気のリバークルーズでした。行き先はシダの洞窟です。ここはウェディングで人気の場所です。スチームボートに乗り込むとハワイアンの生演奏が迎えてくれてハワイムードいっぱいでした。やはりハワイはこうでなくては盛り上がりません。クルーズは1時間30分くらいでした。乗っているうちに私は3か月前に行ったアラスカ州のフェアバンクスのリバークルーズとイメージがごっちゃになってきました。あまりさえない天気にもかかわらず楽しい1日となりました。
それにしてもカウアイ島唯一の欠点はリフエ近郊の道路が異常なほど混雑することです。郊外に出てしまえば渋滞知らずなんですがやはりカウアイ島といえどもアメリカ,車多すぎです。リフエからポイプまで道路が1本しかなく車線も減るので大渋滞で,帰るのが大変でした。
夕食はホテル近くのバンコクハッピーボウルというレストランでお寿司にしました。

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カウアイ島・2日目。
時差ぼけもなく気持ちのよい朝が来ました。
この丸い島の大きさは東京23区くらいのものです。今日の最後にある地図のように残念ながら島を一周する道路はなくて,西は山沿いに道があって山岳ドライブが楽しめるのですがコキーの先プウオキラ展望台で行き止まりです。東は島の東海岸から北海岸へ海岸沿いを走り,ハナレイの少し先のケエビーチで行き止まりになります。私の宿泊しているポイプはちょうどその中間になりますが,ともに1時間30分くらいで行くことができます。
今日は昨日とは打って変わって快晴だったのでまず西に向かってプウオキラ展望台までドライブしました。山並みが続き途中に渓谷や滝がありました。絶景でした。帰りは右手にニイハウ島が美しく見えました。考えていた今日の予定はこれだけで,一旦ポイプまで戻ったのですが,まだ午後1時だったので,今度は東側をケエビーチまで行くことにしました。東の海岸はリゾートが広がっていました。途中のリフエを過ぎたところで左折して山に向かいワイルア滝を見ました。引き返して再び東海岸から北に行きました。北の海岸になると海は波が高くなり,今度は未開の山が迫るせまい海岸線が秘境満点になりました。
ハナレイという北の果ての町を過ぎると道路も狭くなり橋は片側交互通行になりましたが,マウイ島島のハナへ行く道がほど険しくありませんでした。とどの詰まりのケアビーチの駐車場は車でいっぱいでしたが,想像以上に素晴らしいところでした。
カウアイ島はやはりハワイの中で一押しの島だということを実感しました。

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カウアイ島・1日目。
アメリカ人の友人たちが口をそろえてカウアイ島はいいというので,4泊6日でカウアイ島に来てみました。
11月28日の午後9時30分発のフライトでセントレア・中部国際空港を出発しました。機内は空いていて,座席はアップグレードされてデルタコンフォートの窓際の一番前になりました。この席のひとつ前からファーストクラスなんですが,私の座った席はファーストクラスよりも広くて足が完璧にのばせてしかも隣は空いていました。機内食の夕食を済ませてからぐっすりと寝ていたらあっという間にハワイに着いてしまいました。しかし,ハワイは日本から中途半端に遠く実質睡眠時間が4時間しか取れなかったので,むしろ寝ていないより眠い朝です。時差が5時間なのでフライト時間は6時間50分なんですが日付変更線を越えてホノルル到着は11月28日の午前9時30分過ぎでした。ホノルルの朝の気温は25度と過ごしやすいのですが曇っています。この時期のハワイは雨季だということを忘れていました。
ここから午後1時45分発のハワイアン航空に乗り換えて午後2時30 分にカウアイ島に到着しました。今回は日本からずっとセキュリティがやたらときびしく,しかもホノルルの入国ゲートが混んでいたりして,到着までが面倒でしたが,何はともあれやってきました。
空港で予約してあったレンタカーを借りてこれから5日間の短い旅です。カウアイ島は春に行ったマウイ島よりもせまいし,特にしたいこともないので,いいといわれるカウアイ島がどのようにいいのかを実感するためにまったり過ごすことにします。
ハワイは昨年の春,今年の春に続いて3度目ですが,はじめてきた時のときめきもワクワク感もなく,ふらっと日本の田舎に来たような感じです。この島もまた,ホノルルであれだけたくさんいた日本人はどこへ行っちゃった? という感じで全く姿がなくなりました。予約をしたのは島の南端のポイプというところのリゾートでここに4泊します。空港のあるリフエから車で20分くらいです。今日は天気がよくなくて小寒いです。ビーチがとてもきれいです。

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 「1日1断捨離」をはじめて1か月。それにしてもものが減りません。いくら捨ててもどんどん不要なものが出てきます。本にCD,おそらく,二度と読まず二度と聴かないものがほとんどです。
 たとえば食事だと2,000円出して料理を食べて,再びその料理を下取りに出す,などということはしないしできません。コンサートも出かけていけば終わりです。そうしてお金を出すのはあとにひかないない気持ちのよい行為に思えます。それがものの場合,自分が必要なときに購入してそれを使った時点でその対価はとれているわけで,それが不要になったからといって再び値段をつけて買い取ってもらおうというのは都合がよすぎる話です。車やカメラなど,以前使っていたものを下取りに出して新しいものに買い替えるというのならまだ理にかなっているわけですが,読んでしまった本を再び値をつけて買ってもらうとなると,それはちょっと都合がよすぎるのでしょう。しかし,それを欲しいという人があれば値段がつくのもまた資本主義社会ではありますが,欲しいという人がないものもまでそうするのは無理な話です。

 というわけなのですが,私は段ボール箱数箱に本を一杯詰めてネットで見つけた下取り業者に試しに送ってみました。そもそも,段ボール箱1箱送るのに1,500円ほどかかるものを着払いということなので,そんなもの商売になるのかしら? と思っていたのですが,予想通り,ついた値段は数百円程度でした。要するに,タダで不用品を整理してもらったようなものです。そもそも,新刊書店すら閉店する時代,街中の中古本屋さんもにぎわっているとはとても思えません。必要のないもの並べていても商売になるわけがありません。
 これだけ処分しても,我が家にはまだ大量の本がありますが,それらは今や手にとる必要のないものばかりです。
 結局,自分に必要なものを買うことができるというのも自分にとって何が必要かがわかっているからなのでしょう。と考えると,ものを買わないで済むというのが,最も贅沢なことであるといえるのです。おそらく,子供のころから身につけなけばならない最大の能力は,自分に必要なものだけを買うことができるという能力なのでしょう。

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 また日本人は新たな「マネ」を打ち出したものです。それは「ブラックフライデー」。首謀者はだれでしょうか?
 アメリカでは11月の第4木曜日が感謝祭で,その翌日からバーゲンがはじまるので,それを「ブラックフライデー」と呼んでいるのですが,それを日本に持ち込んだというわけです。しかし,日本では「勤労感謝の日」は毎年木曜日というわけでもないので,たまたま今年が木曜日だったことから思いついたのでしょうが,来年はどうするのでしょうか?
 いずれにしても,アメリカと違い,ボーナス前の11月にバーゲンをはじめて,また,12月になったらクリスマスセールをやって,消費の落ち込む11月を活気づけようという,きわめて日本的な商法なのでしょう。そして,なんでもそうしたブームにのっかかる新しもの好きの人がある程度いて,そうした人がいつものようにそれにひっかかるという仕組みです。

 それがうまく行ったのが「恵方巻」です。節分に恵方巻という習慣は昔はありませんでした。しかし,あんなおいしくもない恵方巻をブームにしたなんて,立派な知恵者じゃあないですか。「ハローウィーン」もそうです。今では,ご本家のアメリカでは,ハローウィーンは治安と食の安全の問題から,訪れていい家庭には玄関に印があるし,お菓子だって市販のもの以外は渡せないから,むしろ,日本の方が華やかです。「クリスマス」も,アメリカでは宗教上の理由から「メリークリスマス」から「ハッピーホリデー」と変わり,日本のほうが浮かれています。この無節操な姿こそが日本という変な国なのでしょう。さすがに「ゴールデンウィーク」を控えて「イースター」はなじみませんけれど。

 私は「1日1断捨離」をはじめたら「(必要品以外は)何も持たない,何も買わないことこそが最大の贅沢」ということに目覚めたので,こうした社会の浮かれようを冷たい視線で見るのが最大の楽しみとなりました。我が家はいまでも新聞をとっている珍しい家庭なのですが,そこに入る折り込みチラシだって,私は「何も買わない」わけだから見ることもなく,見ないから購買意欲もわかない,というきわめて好循環となりました。
 「ブラック」なんて,日本では「ブラック企業」のように否定的な意味合いの言葉であまりイメージがよさそうにありませんし,この無理やり「ブラックフライデー」は果たして日本でも根付くのでしょうか? 根付こうと根付かずとも私にはどちらでもいいですが,「断捨離」を生業とするには由々しき社会現象のひとつといえます。
 いずれにしても,ものを買わない,ものを捨てる,つまる,ものが減るということが,これほどの快感を伴い精神的にもよいことであって,ものを買うことが最大の不幸だとは,「1日1断捨離」によって思い知らされたというのが私の今年最大の出来事でした。

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 「群盲評象」(ぐんもうひょうぞう)という言葉があります。
 数人の盲人が象の別の一部だけを触って感想を語り合うというインド発祥の寓話です。物事の一部,ないしは一面だけからすべて理解したと錯覚してしまうことのたとえとして用いられます。盲人達はそれぞれ象の鼻や牙など別々の一部分だけを触りその感想について語り合うのですが,触った部位により感想が異なり,それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まっていくというものです。
 似た意味をもつ「全豹一斑」(ぜんぴょういっぱん)という言葉もあります。
 豹の皮の斑模様の一部を見て豹であることを認識するということから,物事の一部を見て全体を推し量ることを意味します。こちらもまた,もののごく一部を見て全体を推測したり批評したりすることのたとえとして用いられ,見識がきわめて狭いことを意味します。ここで,「一斑」は豹ひょうの斑点のひとつであり,「全豹」は豹全体のことです。
 一方で,「聞一知十」(ぶんいつちじゅう)という言葉もあります。
 こちらは「一を聞いて十を知る」として知られていて,わずかなことを聞いて物事の全体を理解することを表したものです。つまり,きわめて理解が早く洞察力が鋭いことをあらわします。
 私は,「全豹一斑」は「群盲評象」よりもむしろ「聞一知十」のほうに意味が違いように感じるのですが,それは私の勘違いのようです。

 今日この言葉を紹介したのは,広い国のわずか一部だけを旅行したのにもかかわらず,その国のことがさもわかったかのように語ることの愚に対する戒めです。それは自分に対しても,他人に対してもです。
 私は数十年にわたってアメリカの様々なところを旅して,少しずつ,この国のことがわかるようにはなってきましたが,それでも,今もなお,驚きがあります。わずかな場所しか知らないのにもかかわらず,「アメリカでは…」と語ってはいけないなあ,といつも思います。これは自戒です。
 この夏,ある私の友人が2か月間にわたってはじめてアメリカを旅したのだそうです。それも,車を使わず,グレイハウンドと鉄道を利用したのだそうです。これでは2か月間といってもたかが知れています。車なしではアメリカはそのほとんどに行けませんから,彼は表面をなぞっただけのことです。若者でもあるまいし,定年を過ぎた男が学生のような旅をしてきたわけです。それはそれで人それぞれだから別によいのですが,私が気に入らないのは,それだけをもって,彼はアメリカをさもすべて知ったかのように語ることなのです。
 しかし,日本で語られるアメリカもまた,それと同様なことが非常に多いのですが,そうした報道からだけの受けうりの知識を人に語るよりは,それでもまだ実際に見てきただけ,彼はましだといえるのかもしれません。
 旅に限らず,そうした愚を犯さないようにすることは難しいものです。よく聞くのはテレビは地上波,特に民放のしょーもない番組しか知らずBSプレミアムを見たこともない人がテレビはつまらないと得意気に話すことです。あるいはiPhoneを使いこなせない人がスマホを毛嫌いすることです。そういう愚を犯す人が権力をもつとその組織は悲劇です。そういう人が教師であれば生徒は悲劇です。

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●満天の星空のはるか向こうには街の灯りが●
 日が沈むとほとんどの観光客は山から下りていったが私はこれから星空を楽しむのである。
 ハワイ島のマウナケア山はオニツカビジターセンターに星空観察ツアーがいっぱい来ていて大混乱であったので,ここもどうかな? と思っていたが,それらしきツアーはまったくなかった。
 ハワイ島のマウナケア山では星空観察ツアーは午後9時に終了するから,ごった返していても午後9時を過ぎると落ち着いて星を見ることはできる。しかし,オニツカビジターセンターからカイルアコナに戻るには2時間弱もかかる。マウナケア山からもっとも近い町がワイメアとヒロであるが,それでも1時間半ほどかかる。
 それに比べればこのマウイ島のハレアカラ山はカフルイからでも1時間と遠くないし,もっと近い町もある。
 そしてまた,ハワイ島では霧が多く天候が安定しないのに比べて,マウイ島のハレアカラ山はほぼ晴れるのである。

 はじめは山頂で星を見ようと思ったのだが,非常に寒かった。そこで,少し山頂から下りたところにあった駐車場に行ってみることにした。到着してみると,すでにそこにいたのが地元の星空観察ツアーのバンが1台と数人の参加者であった。しかし,駐車場が広く,彼らはまったく気にならなかった。
 実際,このハレアカラ山で星空観察ツアーを実施しているのは地元のツアーと山内さんのやっている日本人相手のツアーくらいのものである。このハレアカラ山は国立公園で12人を越えるツアーを営業することが禁止されているということも理由であろう。

 私は駐車場に車を停めて,持ってきた三脚と小型赤道儀をセットして空が暗くなるのを待った。
 この旅でも私は一応こうした機材を持っては来たが,ほとんどやる気もなかったので適当であった。せっかく来たんだから一度くらいは星を写さねば…,そんな程度であった。
 次第に空が暗くなってきて,空に星が見えてきた。ここは真っ暗だと思っていたが,雲が切れて快晴になると,下界には遠くカフルイの街灯りが見えるようになって,真っ暗というわけではなかった。しかし,それでも私は,今でも,これほど空の暗い場所を他には知らないし,こんなに条件のよい星見の場所を知らない。

 辺りが暗闇に包まれはじめると南の空にはオリオン座がはっきる見えるようになった。
 このオリオン座には「バーナードループ」や「エンゼルフィッシュ」とよばれる散光星雲があって,これを写すのがアマチュア天体カメラマンの夢なのである。またオリオン座の南にはおおいぬ座があって1等星シリウスの近くには「ワシ星雲」という散光星雲がある。しかし,空の明るい日本では写すのが困難で,多くの星好きは苦労してカメラを改造までして写しては自宅に帰ってさらに画像処理を施してやっとそれを手に入れるのである。
 ところが,そんなもの,この暗いハレアカラの夜空なら,私が適当に写した今日の2番目と3番目の写真のように,何の問題もなくしかも数分の露出でいくらでも写るのだ。
 実は,この晩,もう数時間も待っていれば南十字星も昇ってきて格別な星空を見ることが可能であったのだが,私はなぜかそんな気もなくて,きれいな夜空だなあと思っただけで早々に下山してしまった。無論,こんないい加減な精神状態であったから,この旅ではまともな天体写真も写せなかった。どうしてこんなに恵まれた星空を見てもときめかなかったのか,そしてまた,再びマウイ島に行ってこの星空を見たいと思わないのか,私自身,今でもよくわからないでいる。

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 旅に出てホテルや旅館に宿泊する目的は人それぞれなので一概にはいえませんが,私の場合ホテルはシャワーがあって眠ることができればそれで充分なので,それ以上の設備があっても無駄にしか思えません。
 若い頃,日本の温泉旅館に泊まったときに食べきれないほどの食事が出てきて感動したこともありましたが,今では食べきれませんし,おいしい料理を食べたいのなら,食事だけできるところへ行けばいいと思うようになってきました。

 私がこれまで宿泊したなかで一番印象に残っている日本の旅館というのは,東北の盛岡の近くのどこかの温泉旅館です。そこは考えられないほど豪華ですごい料理と温泉があったのですが,それがどこだったのか今となっては全くわかりません。
 次に印象に残っているのは,北海道ルスツリゾートの「ルスツタワー」です。子供が小さかったころ,お盆が終わってすでに北海道は学校がはじまった夏の終わりに観光客の少なくなった北海道のこのホテルに1週間くらい滞在するのは最高でした。
 ディズニーリゾートも,これまで「ミラコスタ」をはじめとしてほとんどのオフィシャルホテルに泊まったことがあります。
 こうした泊まることをも目的とした旅もまたよいものですが,今は興味もなくなり,行くこともなくなりました。

 ここ数年では,岡山県総社市の国民宿舎が,私が最も気に入ったところです。
 現在,日本国内で,私の用途にもっとも合うホテルは「東横イン」です。ここは安価で,しかも私の必要なものがすべてそろっています。日本中にチェーン店があって,ネットで簡単に予約できるのでたいへん便利です。
 東京都内には,大井に「アワーズイン阪急」という安価で便利なホテルがあります。というか,ありました。このホテルの最大の利点は最上階にあった宿泊者だけが利用できる温泉でした。この温泉の魅力にひかれて泊まったようなものでした。ところが何をどう勘違いしたのか,ホテルが改修されたときに温泉も改修され,宿泊客以外の一般客も利用できるようになり,ホテル自体も妙に高級になってしまって,私にはまったく魅力がなくなり利用しなくなりました。これこそ,まさに日本の多くの企業の陥る間違った成長路線そのものです。

 こうしたいわゆるビジネスホテルにくらべて,テレビ番組「ローカル路線バス乗り継ぎの人情ふれあい旅!」のなかで蛭子能収さんが言っているように,日本の旅館は当たりはずれがありすぎるので,宿泊することをためらってしまいます。田舎の旅館だと,今だに女性の一人旅だと断られることもあるそうですし,日本の旅館というのは,異常に高級だったりその反対に江戸時代の旅籠と大差なかったりと,日本の地方にはアメリカのモーテルのような手ごろなホテルがほとんどないので,宿泊先をさがすのに苦労します。
 いつも書いているように,アメリカでは,モーテルやホテルなど,予約をしないで行っても簡単に宿泊でき,しかも,どこも平均点くらいの設備のあるものがどんなところに行ってもあるから,日本よりも楽に旅ができます。
 そうしたアメリカのホテルで私が一番印象に残っているのが,グランドキャニオンのノースリムへ行った帰りに泊まったモーテルです。一面の大平原,あたりには何もなくホテルも見つからす,やっとのことで見つけたレストランに併設されていたモーテルでしたが,そこは素朴で素晴らしく,西部開拓時代に戻ったかのような気がしたものでした。
 アメリカのホテルにはプールが併設されていることも多いのですが,私は利用しないので,そんなものがあってもそのために宿泊代が高くなるような気がするので意味がありません。アメリカ人に言わせるとこのプールはお風呂替わりなのだそうです。
 いずれにしても,日本もアメリカも,近頃は,ホテルの宿泊代がえらく高くなってしまいました。別に余分な設備やサービスは要らないから,もっと気楽に旅行ができるホテルがあるといいと私は思います。

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●ハレアカラの山頂で絶品の夕日を見る●
 夕食も終わり、この日の晩はハレアカラの山頂で雲海に日が沈むのを見て,そのあとは星空を見ようと再びハレアカラに行くことにした。
 私の滞在するマウイ・シーサイドホテルのあるカフルイからハレアカラの山頂までは約30マイル,つまり50キロ程度で,1時間の道のりである。私が普段天気のよい日の夜に星を見にいくのと同じようなものだから,もしカフルイに住んでいたら毎晩でもこうして星を見に行くことができるのだなあと思った。
 昨日の午後にこのハレアカラに登ったときはこの夜のための下見であった。もっと観光地化しているのか,あるいは星を見る場所がないのかなど,行ってみなくてはわからないから,その様子見であったが,思った以上に星を見るには理想的な場所であった。

 …であった。
 しかし不思議なものである。これだけ理想的な場所であったにもかかわらず,私はここで星を見ることに魅力を感じないのである。おそらく再び行くこともないであろう。それはハワイ島のマウナケア山もまた同様である。
 その理由は,ここハワイが赤道よりも北にあり.天の南極を見ることができない,その一点だけなのである。おそらく,私がこのときまでニュージーランドやオーストラリアに行って星を見ていなければこの地に何度も行くことになっていたかもしれない。
 旅をして新たなときめきを知ってしまうのは人の夢を食べるバクのようなものなのであろう。

 昨日と同様に,私は快調にハレアカラ・ハイウェイのおびただしい山道を登っていった。さすがに日没を見ようと多くの車で道路はやや渋滞気味であったが,それは,すでに時間が遅く係員のいない国立公園のゲートでクレジットカードで料金を支払う車が順に停車するからであった。
 私は昨日入場料を払ってそのときに3日間有効だと聞いたからそのまま料金を払わずに登っていった。このゲートには監視カメラがあるから料金を払わずに登ると後日お咎めがあるということだが,私のようにすでに支払ってある車をどう区別するのだろう? と私は疑問に思った。

 山頂の手前に広い駐車場があり,そこからさらに登ったところに少し狭い駐車場があるのだが,まだ山頂の駐車場にもスペースがあったから私はそこに車を停めて外に出た。
 山頂は寒かったが私はこうした寒さには慣れっこなので平気だった。ちょうど日が沈む直前で,すばらしい夕日が雲の上に見えて絶品であった。
 反対の東側にはハワイ島が望め,マウナケア山の山頂にはすばる望遠鏡をはじめとする多くの天文台のドームが輝いていた。

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●マウイ島にあった仏教寺院●
 パイアの町を過ぎたところに日本のお寺のような寺院とお墓があった。私は興味をもって車を停めて,中に入っていった。そこは「パイア・マントクジ」という名前の寺院であった。
 パイアのマントクジはマウイ島で唯一の曹洞宗の寺院でる。この寺院と墓地には巨大な鐘楼があって,110年間にわたってこの地でシンボル的な存在を保っているということだ。
 ホームページによると,広島県・現在の三原市にあたる豊田郡沼田東村の曹洞宗のトクジュアンという寺院のウエオカ師が1906年に建立したというものであった。
 日本式の墓地には明治,大正,そして昭和という年号が刻まれていて,私はこの地に渡ってきた日系移民たちの人生を思った。北側には青い海が広がり,その遥か彼方に日本があると思うとなおさらであった。
 何ひとつ不自由なく日常をおくり,子供のころから学校教育の教える価値観で育っていくだけではわからない人生というものが,どうやらこの世界では大きな意味をもっているらしい。

 そこを過ぎて,私は,マウイ島を知るためにパイアから南東にマカワオという町に走っていった。ここには「串刺しドーナッツ」で有名なコモダベーカリーというお店があるという話であった。
 パイアからマカワオまではのどかなところで,あれだけ車の多いパイアとは打って変わってさわやかな高原道路という感じであった。道路のまわりには多くの教会があった。
 どうも私はこのマウイ島というところが今もってよくわからないのだ。あまりに多くの顏がありすぎるのである。そういう意味ではとても捉えどころの難しい島である。そのどこも魅力にあふれているのだが,といって,どこがよかったかといわれても,それもまた,よくわからないのである。

 やがて,マラカオに到着した。ここもまた,パイアのような町であったがが,パイアよりもずっと田舎びてもいた。中心から少し離れたところに車を停めることができたので,そこに駐車して歩いてコモダベーカリーを目指した。コモダベーカリーはすぐに見つかったが,古びたお店であった。有名な「串刺しドーナッツ」は当然とっくに売り切れていて,私はまた後日ここに来ることにした。
 このときは,へえ~,マウイ島にはこんな素朴な町があるんだなあ~ と思ったことだった。

 そこからホテルのあるカフルイに戻ってホテルの近くにあったマウイモールで夕食をとることにした。このモールにはいくつかのレストランがあった。ゲンキスシというのもあった。私が入ったのはオーリツ・ラーメンという店であった。
 日本でもめったにラーメンを食べない私がハワイでラーメンを食べてもその味についてとやかく言うことはできないが,私には全くおいしくなかっただけでなく,高かった。
 ハワイでは食事がすべて高価なのである。というよりも,円が異常に安いのであるから,海外旅行をすると,何もかもが高いのである。反対に日本に外国人が押し掛けるのは日本が魅力的というよりも外国人にとれば日本の物価が異常に安いからである。将来の不安も考えず金融緩和を続ける日銀サマサマである。とはいえ,日本でも食べられるようなものを日本の倍の値段でこちらで食べても仕方がないので,明日からはもっと戦略を練ったほうがよいと,私は反省したのであった。
 こんなことなら,まだ,土産話にゲンキスシに行った方がよかったなあと思ったことだった。

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●マウイ島の「ノースショア」●
 美しい海岸を見たことで満足して私はハナから帰ることにした。また来た道と同じ617か所のカーブと56個の石橋を越えなければならないと思うと頭が痛かったが,ほかに選択肢はない。
 私はこれまで様々なところに行ったが,そのほとんどは思いが募ったあげくの「勢い」であった。そうした場所は行ってよかったと思うところばかりだったが,そのほとんどの場所は再び行けるとは思えない場所であったり,一度で十分だと思う場所である。しかし,ハナはもう一度行けることなら行ってみたいと思うところのひとつであった。
 ハナに限らず私がもう一度行ってみたいと思う場所は,アラスカやオーストラリアの山岳地帯,ニュージーランドやアメリカ・ミズーリ州の田園地帯,ニューメキシコ州の大平原などで,そうした私の思い出す地球上の場所のほとんどは大自然である。そして,満天の星空であり,オーロラといった自然現象である。

 帰る途中で少し遠回りしてハナの空港に寄ってみたが,この空港は私が思っていたのとはまるで違っていた。この空港にアクセスするのはモクレレ航空のセスナ機かヘリコブターしかないく,空港というよりも田舎の駅であった。
 この空港の滑走路をのんびり眺めていた人が数人いたが,空港の駐車場でもめていた人がいたのには恐ろしくなった。どうしてまた,こんなハワイのド田舎に来てまで口論をしているのであろう。いい加減にしてほしいものだ。人の一生は短いものだからくだらぬ争いをしているような暇などない。アホか。

 ハナからの帰りもまためげながら3時間ほど走ってやっとパイアの近くまで戻ってきた。ハナに行くときは左手にあたるのでほとんど気がつかなかったが,帰りは右手前方の眼下には美しい海岸線が続いていて,とても美しいところだと知った。それは「ホオキパ」(Hookipa)というサーファーの聖地であった。
 いつも書いているように,私はハワイといっても日本人ばかりのオアフ島には興味がないので,オアフ島のノースショアという場所を知ったのは最近のことである。なにせ,私の持っている「地球の歩き方」は「ハワイⅡ」だけであり,オアフ島の載っている「ハワイⅠ」を見たことさえないのである。そしてまた,本屋さんに並ぶハワイ関連のガイドブック,それらはハワイとはいいながら実はオアフ島の情報がほとんどなのだが,それらを見たこともないのである。

 だれもがイメージするハワイの海岸というのは大きな波とサーファーであろう。しかし,そうした場所は高い波のくる島の北西の海岸であり,それはオアフ島のノースショアやマウイ島のホオキバである。ホオキバもまたノースソア同様,世界的なサーファーが居を構え,多くのサーファーショップがある。特に高い波が訪れるのは冬場なので,そのころはこの海岸道路は車で一杯になるのだそうだ。
 私は,高台の道路から入り込んだ駐車場に車を停めて海を眺めた。ハナ・ハイウェイとは打って変わって天気がよく,多くのサーファーが気持ちよさそうに波と戯れるのをぼんやりと眺めていた。
 ああ,ハワイに来ているんだなあ,としみじみと思ったことだった。

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 やがてしし座に続いておとめ座が見えるようになってきました。そのころになると雲も出てきて,ちょうどしし座からおとめ座にかけて覆いはじめました。雲というのは流れるのではなくて湧くのです。それもあっという間に湧くのです。しかし,しばらく待っていたら雲が消えて再び星が見えるようになったので,ショーマス彗星をとらえることにしました。

 ショーマス彗星(24P Schaumasse)は1911年12月1日,フランスのニースでアレクサンドル・ショーマスが発見した周期彗星で発見時は12等級でした。1922年末まで周期は7.1年だと考えられていたのですがのちに8年と再計算されました。1919年と1927年の接近では観測されましたが1935年には観測されませんでした。
 その後,1968年と1976年にも観測されず消滅したのではないかと思われたのですが,1984年に再び存在が確認されました。この彗星の核の直径は2.6キロメートルと推定されています。
 彗星を発見したアレクサンドル・ショーマス(Alexandre Schaumasse)はフランスの天文学者で,17歳からパリ天文台でエルヴェ・フェイの助手を務めました。1910年にミシェル・ジャコビニの後をついでニース天文台の観測者となり,このショーマス彗星を発見したほか,1913J1 と1917H1の2つの彗星,アルザシアとロレーヌと名づけられたふたつの小惑星を発見しました。

 ショーマス彗星はおとめ座の銀河団のなかにあって,紫金山第1彗星から恒星を順にたどっていくと簡単にその場所がわかります。
 ただしこの場所は系外銀河の多いおとめ座にあって,彗星は11等星と暗く,写真のなかに埋もれた彗星をさがすのが大変でした。それが今日の1番目の写真ですが,これだけ多くの系外銀河が写るので探してても面白いものでした。
 こうして写真を写していると早くも午前4時を過ぎたのですが,空が明るくなるまでまだ1時間ほどありましたが,次第に雲が多くなってきたので店じまいをすることにしました。
 ところがどうでしょう! 望遠鏡を片付けているうちに空は全面雲に覆われてしまいました。わずか5分ほどの時間でした。この日の朝起きた人はその曇り空に,一晩中星が見えたとは信じられれなかったことでしょう。

 では最後に,この日に写したほかの写真をご覧いただきましょう。
 2番目がいっかくじゅう座の散開星団M50です。この散開星団は非常に明るくて,双眼鏡でもその姿が見事です。写真で写すと散開星団は球状星団ほどみごとではないのですが,肉眼で見たときは見ごたえがあるものです。
 3番目がしし座のおなかのあたりにあるもうひとつの「しし座トリオ」とよばれるM95,M96,M105のあたりです。こちらの「しし座トリオ」はM65,M66,NGC3628に比べると暗く地味ですが,写真のように,この3つ以外に多くの系外銀河があって壮観です。
 そして最後の4番目がおおくま座の有名なM97とM108 です。M97はふくろう星雲とよばれる惑星状星雲です。とても小さく暗いのですが,目がふたつあるように見える姿がふくろうの顏のようでかわいいです。そして対照的な系外銀河M108との対比がみごとです。

 これで11月の星見は終わりです。たった1日のチャンスにもかかわらず,目的だった暗い彗星を写すことができて満足しました。12月になると明け方の空にはおとめ座やかみのけ座といった「春の星座」が天頂近くまで昇ってきて,多くの系外銀河を写すことができるようになります。

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 本当に晴れない秋です。気持ちよく晴れた夜は中秋の名月とその翌月の十三夜くらいだったというのも皮肉なことです。毎年,秋は星を見るのにとても快適な季節なのですが,今年はどういうわけか晴れることがありませんでした。ときに晴れ間が見えてもひと晩続かないのです。11月になっても一向に同じような様子のまま新月のころになりました。しかし18日の土曜日は1日雨が降り続きました。その晩やっと回復して星空が見られるするということだったのですが,調べてみると,やはり明け方には再び雲が出てくるということでした。
 もうこれでは秋というよりも冬です。しかし,少しは星が見られるだろうと思ったので,雲が出てくる前に星見に行くことにしました。
 今月の目的は暗い彗星をふたつ写真に収めることでした。そのひとつは「紫金山第1彗星」(しきんざんだいいちすいせい 62P Tsuchinshan1)。そしてふたつめは「ショーマス彗星」。ともに10等星にもならない周期彗星です。これらの周期彗星もまた50年来の天文ファンにはおなじみの名前で,私には特別な意味をもっているのです。こうした「伝説の」彗星を写真に収めることができるのもまた楽しみなものです。特に「紫金山第1彗星」は子供のころに知っておかしな名前の彗星があるものだと思ったのですが,中国で発見されたと知ってさらにびっくり,そして,中国では彗星に人名ではなく天文台の名前をつけるんだ(今は世界中そういう例も多いのですが)と知って二度びっくりしたものです。

 「紫金山第1彗星」は1965年1月1日,中国・南京にある紫金山天文台(4番目の写真)で発見された周期6.63年の彗星です。紫金山は中国南京市にある標高448メートルの山で,全長2,350メートルの観光リフトが設置されています。山頂は公園として整備されていて南京市内が一望できるということです。麓の駅と山頂駅との間に紫金山天文台があります。
 紫金山天文台(Purple Mountain Observatory)は中国科学院の天文台で,この紫金山第1彗星のほかに紫金山第2彗星(60P 1965年1月11日発見),紫金山彗星(1977V1 1977年11月3日発見),趙彗星(2007S1 2007年9月8日発見)という4つの彗星や147個の小惑星を発見したことで有名です。
 この天文台は太平天国の天堡城跡でもあり,1929年に計画・建設され1934年9月に完成しました。

 いつもの場所に着いたのが午前2時ころでした。ずいぶんと夜明けが遅くなり,空が明るくなるのが5時ころなのですが,おそらく4時を過ぎると曇ってきます。いつまで雲が出ないで星が見られることだろうか…… という感じでした。
 到着したときは東の空には「紫金山第1彗星」のいるしし座は昇っていたのですが,まだ高度が低く空が明るいので,もう少し高く昇るまで,南の空に美しく光るオリオン座の星雲を写して時間を潰すことにしました。そうして写したのが今日の1番目の写真M42,つまり,オリオン座の大星雲と,2番目の写真M78,こちらはウルトラマンの生まれ故郷です。原作ではM87銀河(3番目の写真の右下の星雲・以前写したもの)だったのに誤植からそうなってしまったのです。そもそも天の川銀河内の散光星雲に生命は住めません。M42,M78はともに簡単に写るものです。少しガイドが甘いのですがもう今まで何度も写しているので写すことにさほどの意味もなく愛嬌です。線のように見えるのは飛行機か人工衛星か?
 そうしているうちに次第にしし座が高くなってきました。そういえばこの晩はしし座流星群が極大で,多くの流れ星を見ることもできました。
 いよいよ「紫金山第1彗星」を狙います。しし座の「ししの足」のあたりにはM65,M66,そしてNGC3628という「しし座トリオ」と呼ばれる美しい系外銀河があって,容易に彗星の場所が特定できます。彗星はこれらの系外銀河と同じ視野に写せるのです。構図を決めてまず系外銀河を写します。そして位置をずらしていって彗星も同じ構図に入れて出来上がりです。それが今日の5番目と6番目の写真です。小さなそして安価な望遠鏡でも今や11等星の彗星が簡単に写せるよき時代なのですからやめられません。
 「ショーマス彗星」は次回。

◇◇◇
やっと晴れた!秋①-アサシン彗星はきりん座に健在

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●ハモア・ビーチもまたハワイなのである。●
 さらに東に海岸沿い走っていくと,小さなハナの町はアッという間に通り過ぎた。この先には「リンドバーグの墓地」というのがあるのだそうなのでそれを目指して行くと,次第に道路が狭くなってきた。どうやらその先はダート・ロードになるらしい。
 すでに書いたが,レンタカーを借りるときにもらった小冊子に地図が載っていて,こうしたダート・ロードは保険適用外の道となるから通行禁止と書かれていて,それでも走るなら自己責任である。その先のウルパラクアにはワイナリー(こんなところへ誰が行くのだろう?)があって,さらに進むと西マウイを一周することができるのだそうだが,それは想像を絶する悪路で道沿いには電灯すらないのである。
 西マウイを一周するツアーもあることだし,次回来るときはそれにでも参加することとしよう。
 私は行きたくて行きたくてマウナケア山の山頂までは強行したが,もう,今はそんな冒険をする気持ちはなかった。旅は肝試しではなく,楽しむためののもだと考えを変えたのである。このダート・ロードを強行して走っていってリンドバーグの墓に着いたというブログがあるから,この先はそのブログに任せるとしよう。
 
 それよりも私が魅力を感じたのはハモア・ビーチであった。このビーチはハナから先,海岸線に沿って走っていくとあって,そこまではレンタカーの保証範囲内である。
 このハモア・ビーチは小説「南太平洋」(South Pacific)を書いたジェームス・ミッチェナー (James Albert Michener)が「太平洋でいちばん美しいビーチ」と評したところということで,その言葉に魅力を感じたのであった。
 私は,そのハモア・ビーチに到着した。狭い道路の端は駐車した車でいっぱいであった。やっと見つけた空きスペースには野生のニワトリが歩ていた。その場所に車を停めてけっこう急な坂を海岸に降りて行った。そこに見えたのはものすごくのどかなビーチであった。ホノルルのワイキキ・ビーチもハワイなら,このハモア・ビーチもまたハワイなのである。この両方に行かずして真のハワイを語ることはできないのである。
 ここは澄んだ空気の中でのんびりとリフレッシュすることができる世界最高の場所であった。

 iPhoneやiPadのおかげで,売れなくなったものがたくさんあります。デジタルカメラの売れ行きが悪くなったことが話題になっていますが,それだけに限りません。電卓とかダイアリー,目覚まし時計,電子辞書,地図帳,星座早見盤などもそうです。今では必要がないものがほとんどです。
 ともかく,iPhoneやiPadだけあれば事足りるのです。
 このように,自由競争の市場というのは厳しいのです。時代から取り残されると生きてゆけないのです。

 ところが,学校は「学歴」というブランドで守られているゆえに,実際は従来のような意味をもたなくなっているのに,そんな危機意識すらなく,時代に取り残された教育が幅を利かせています。たとえば,古典の購読などはインターネット上にいくらでも優れた解説が載っていて,わざわざ学校で授業を聞く必要などなくなりました。不況時にどういう政策をとるべきかといった経済政策や世界を知るための国際問題など,本当はきちんと身につけなければならないことを後回しにして,卑弥呼がどこにいたかとか古文の助動詞の活用など(それだって「文化」という意味では大切ですがそれなら歌舞伎もクラシック音楽も将棋や囲碁も同じです)を最重要の問題として教えているのだからどうしようもありません。それはすべての高校生に将棋の横歩取りの最新定跡を教えるようなものです。
 しかし,すべての教科を現代の社会に役立つものに再構築したら職をなくしてしまう教師も大挙して出てくるからそうもいかないというのが大人の事情というのが真実なのでしょう。

 近頃,学生の読解力の不足が話題となっていますが,学校教育では授業で満足に教科書を読むこともなく,教師が講義をすることもなく,プリントを配ってそのカッコに重要語句を入れることを学習と称してそうした作業をやっているだけだから,本が読めないのも,人の話を聞いて要点をまとめることができないのも,当然の話です。学生は授業でプリントに答えを朱書するという作業をして,テスト前にそれを赤色のシートで隠して覚えているだけなのです。そしてまた,放課後は高い授業料を払って塾に行って,またドリル学習で1日を過ごしているのです。単に点数で他人と競うためだけに。これで読解力が不足していると言われては子供たちが可愛そうです。
 高校で使用する難しい日本史の教科書,あれが読める高校生がどれだけいることでしょうか。にもかかわらず,あの字の細かい教科書を実際は読まないのに買わせているのです。本当に断捨離が必要なのは,教育でしょう。

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●「ハセガワ・ジェネラルストア」●
 ビーチパークから町に戻った。
 ハナのダウンタウン(というほどの町もなかったが)には「トラバーサ・ハナ」という有名なリゾートホテルがあるということだったが,思っていたような豪華なリゾートとは思えなかった。いずれにしても,私はそんなリゾートホテルとは無縁の旅をしている。そこを過ぎ,なだらかな斜面にハナ牧場(Hana Ranch)が広がりはじめると町はそれでおしまいであった。
 そんな一角にあったのが「ハセガワ・ジェネラルストア」(Hasegawa General Store)である。

 ポール・ウェストン(Paul Weston)は1930年代から1970年代にかけて活躍したアメリカのピアニストであり,作曲家である。彼はムードミュージックのパイオニアでもあり「ムード・ミュージックの父」とよばれた。そのポール・ウェストンが書いた「ハセガワ・ジェネラルストア」という曲があるのだそうだ。その曲がハワイで大ヒットしたことから有名になったのが,ハナにあるこの創業100年超の老舗のよろずやさん「ハセガワ・ジェネラルストア」なのである。
 広島からの移民ハセガワさんが日本人向けの雑貨店を開いたのが1910年。それがこのお店のはじまりであるが,それが今やハナに来たら「ハセガワ・ジェネラルストア」というほどの店となり,町のシンボル的存在でもある。

 「ハセガワ・ジェネラルストア」の前には広い駐車場があって,私もそこに車を停めた。
 店内に入ってまず目についたのはハセガワ・ジェネラルオリジナルの丈夫で長持ち「特性トートバック」であった。その横には一転して新鮮なフルーツが売れていたのだが,そのさらにその横にあったのが水道工事などに使う大量のエンビ菅のパーツというからもうめちゃくちゃである。
 その棚から目を転ずれば,今度はTシャツが山ほど売られていたのだが,そのなかにはハセガワ・ジェネラルオリジナルのデザインのTシャツがあり,これにはハセガワ家の家紋まで入っていた。さらにつりの仕掛けやらサビキやら釣竿,リール,そしてビーチタオルとお酒……。
 その脈絡のない,なんでもありの品揃えに,私は感動をこえた感激を覚えた。私はこのお店で写真のようなよくわからぬソーダとパンを買って昼食の足しにしたのだった。

 その次に寄ったのが「ハナ文化センター博物館」(Hana Culturral Center Museum)であった。狭い坂道を上るとそこに数台の車が駐車できるスペースがあった。車を停めて博物館に入ることにしたのだが,博物館というにはあまりに小さな建物でであった。
 中に入ると親切な係員がいて,いくばくかの入場料を払った。
 ここは古代ハワイの生活用具や武器,さまざまな資料が展示してあったが,あまりに狭く,大したものは存在しなかった。しかし博物館には私しかいなかったのでそそくさと外にでる雰囲気でもなく,退屈だっかけれどしばらく展示品を見るふりをしてから外に出た。室内の展示よりも博物館の外にあった昔の建物や美しい花々のほうに私は癒された。

 「ハセガワ・ジェネラルストア」と「ハナ文化センター博物館」。それくらいしか,この町には見どころというものはなかったが,それでも,この素朴な町は3時間もくねくね道を走って訪れるのに十分な不思議な魅力があった。
 それは何といっても,この地でしか見ることができない美しい海岸があったからである。

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 もはや地球は自然科学の真理を追究するには狭すぎる場所となってしまったのかもしれません。
 素粒子論を実証する実験をする加速器を作る場所も,狭い地球上では加速器の大きさに限界があります。同じように,天文台を作るにも,ハワイや南アメリカくらいしか最適な場所は残っていません。そこで,現代科学の粋を集めた巨大望遠鏡がそうした場所に続々と作られ始めました。
 
 私は,これまでに書いたように,かつてアメリカに建設された今や旧式となったパロマ望遠鏡のような巨大望遠鏡は,未だこの目で直に見ていません。
 それに代わる現代の巨大望遠鏡については,南アメリカは遠く行く機会もありませんが,ハワイ島マウナケア山の山頂とマウイ島ハレアカラ山の山頂には行くことができました。
 マウナケア山には日本のすばる望遠鏡をはじめとする12基の観測装置があります。私は,すばる望遠鏡はドームしか見ていないのですが,そのお隣にあるアメリカのケック望遠鏡はガラス越しにその雄姿を見ることができました。マウナケア山は標高が4,200メートル以上もあって,しかも道路は途中が舗装されていないので登るのは困難です。
 一方,ハレアカラ山にはアメリカ海軍やハワイ大学の天文台があって,こちらは標高が約3,000メートルで,しかも,山頂まで道路が舗装されているので楽に登ることも可能で,環境的にはずっと恵まれています。
 有名なマウナケア山には中腹のビジターセンターで星を見る一般向けの多くのツアーがあるので観光客が押しかけるのですが,ハレアカラ山のほうはそうでもなく,現地ツアーと日本のツアーくらいしかないので,むしろ,アマチュアの人が満天の星をみたければ,ハレアカラ山のほうがずっと恵まれています。

 ……と,私はつい先日まではそう思っていました。しかし,南天で星を見てしまうと,その魅力に圧倒されしまい,ハワイでの星空には魅力をなくしました。おそらくそれはプロの学者さんも同じであるようで,日本の国立天文台でも,一時はあれほどすばる望遠鏡の話題が独占されていたのが,近頃の話題は南アメリカ・チリにあるアルマ望遠鏡ばかりです。
 しかし,一般の観光客には南アメリカは遠いので,南天の星空を見るには,ニュージーランドやオーストラリアに行くということになります。

 その中で,ニュージーランドは景色も美しく国自体も広くないので,数日の観光でほとんどの見どころに行くことができるので人気の観光地です。そこに加えて,テカポ湖という星を見るのに絶好の場所があって,星空観察ツアーが観光ツアーに組み込まれているので,脚光を浴びています。私はそうした事情を知らなかったのですが,偶然テカポ湖に行きました。
 テカポの町の近くの山の上にマウントジョンという天文台があります。これは日本の名古屋大学の天文台です。しかし,テカポ湖にはそれ以外にめぼしい天文台がありません。本当に条件がよければ,もっと世界中から多くの天文台が建設されるはずなのです。行ってみてわかったのですが,ここは,天気があまりよくなく,プロが天体観測をするにはあまり適していないのです。

 オーストラリアにも行ってみました。ニュージーランドよりもオーストラリアの方が近いから何もニュージーランドまで行かなくてもいいのではないか,というのがその理由でした。そして,満天の星空に感動しました。実際,一般の人が気軽に南天の星空を堪能するには,オーストラリアが最も適しているようなのです。そこで私も,これからは年に1度はオーストラリアで星を見ようと思っているこのごろなのです。オーストラリアというのは,西側の海岸線に沿ったいくつかの都会以外はめぼしい観光地がないのです。そういった意味では,オーロラを見るくらいしか楽しみのないという点でアラスカに似ています。
 夏のアラスカと冬のオーストラリアは似ているなあ,というのが,両方に行ってみた私の印象です。

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●ここもまた戦いの地であった。●
 山を抜け,道が開けてきた。いよいよハナの町に近づいてきた。左手に空港の道路標示が見えた。それを過ぎると,ポツンポツンと家が見えてきた。町はもうすぐだ。
 とりあえず町全体を把握しようと,どこにも駐車せずに町を走ってみることにした。
 実際に到着してみると,想像を超えたのどかさで,ハナは小さな店が数件あるだけで唯一の大きな建物は「ハナ・ホテル」であった。そして,海岸沿いの牧場では牛が草を食むのんびりした風景が広がっているのだった。
 なんだかタイムトラベルをしているような感じであった。こういうのがハワイの原型なのであろう。

 まずハナ湾ビーチパーク(Hana Bay Beach Park)に降りて行くことにした。ここは溶岩流によってできた峰が海に落ち込んでいる美しい湾で,トイレやシャワーやピクニックテーブルがあって,若者たちがカヤックで遊んでいたり,子供連れが遊んでいた。海は透きとおり,ひとつとしてゴミがなかった。
 こうした海を見てしまうと,日本の汚い透き通らない,あるいは,大量のゴミが打ち上げられた海岸が途方もなく悲しくなる。 
 この海岸からまわりを見渡すと,左手にはハナののどかな町並みが眺められ,右手にはこんもりとしたカウイキの丘(Kauiki Hill)という半島が突き出ていた。この丘はかつてハワイ島からの侵略者とマウイ住民の間で戦争が行われた地であり,ハワイ軍が敗北をした地でもある。
 このような美しい場所であっても,人間の歴史は結局は戦いの歴史なのである。
 このカウイキというのはカメハメハ大王のもっとも寵愛を受けたといわれるカアフマヌ王妃が誕生した地でもあって,カアフマヌ王妃が生れたという洞窟が今もあるという話であるが,そこへ行く方法どころか道すら見つからなかった。
 しばらくこの海岸で景色を眺めたのち,ハナの町をもう少し散策しようと町に戻ることにした。

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●想像を絶したハナ・ハイウェイからの絶景●
 想像を絶したハナ・ハイウェイであった。ハワイというところのとても不思議なことは,あれだけたくさんの日本人が大挙して行くのに観光する場所は大体決まっていて,観光ルートを離れるとほとんど日本人がいないどころか,情報すらほとんどないことである。そうした場所で稀に日本人に出会うとそれは貸し切りの小グループのツアーである。
 私はこれまでハワイというと日本人だらけだと思っていて,この世界一の観光地を敬遠していた。今もオアフ島には魅力を感じないが,前回訪れたハワイ島のマウナケア山もキラウエア火山も,そして今回のマウイ島のハレアカラ山もハナも,レンタカーを借りれば特にツアーなどに参加しなくても簡単に行くことができるのに,多くの日本人にとって「秘境」であるのが不思議でならない。
 先日もテレビの「世界の果てまで日本人」という番組でアラスカに元AKBの高橋みなみさんという女性が旅をしてアンカレッジからフェアバンクス近郊の町まで日本人探しをするのをやっていて,そこを秘境扱いしていたが,私もアラスカに行ってみて,別段その場所を「秘境」とは思わなかった。

 まあ,そんな感じなのであるが,このハナ・ハイウェイをドライブするのは私には秘境ではないにせよ,拷問のように感じられた。それは想像を絶するカーブの多さというのが理由で,行くことが困難,というわけではなかったし,実際,帰国した今になって,また行ってみたいと思う場所のひとつである。
 そうして走っていって,やっと,やっと「カウマヒナ・ステート・ウェイサイド」にたどり着いた。ここは「カウマヒナ州立ウェイサイド公園」(Kaumahina State Wayside Park)といい,ハナ・ハイウェイのマイルマーカー12の近くにある州立公園である。パイアの町からは約35キロ離れたところにある熱帯植物や木々が茂る公園であった。広さは31,570平方メートルで,ハナハイウェイの観光名所のひとつである。
 公園からはリアス式の海岸線とともに美しいホノマヌ湾とケアナエ半島が一望でき,トレイルコースやルックアウト(展望台),ピクニックテーブルやトイレの設備もあるから多くの人が休憩をしていた。

 このあたりから道路の脇には「フルーツ&フラワースタンド」がたくさん見られるようになった。 このフラワースタンドとは無人の店である。フルーツスタンドでは日本では見たことも聞いたこともないフルーツが食べられるそうで,その日のフレッシュジュースやシナモンココナッツという栄養たっぷりのシナモンと砂糖をまぶしたナチュラルな揚げ菓子が美味だとういうことである。

 ここから先は「ケアナエ半島」である。この半島はハレアカラの噴火の時に流れ出て固まってできたもので,ドライブコースからも美しい景観を見ることができるし,渓流に沿って作られているタロイモ畑(Poi)などの風景が目に入る。
 やがて,プアア・カア州立公園に到着した。ここには滝壷があって泳ぐ事もできるらしいが,私の行ったときは多くの観光客が写真を写していた。さらにこのあたりにはこの滝以外にも30以上もの滝があって,走っていくとそれらを道すがら見ることができるのだが,車を停めるとなると場所がなく苦労する。

 「1日1断捨離」。
 必要になるまでものは買わないと決めたらものが欲しくならなくなったので,精神的にずいぶんと楽になりました。今まで使っていたものが壊れて新しく必要なものができたときは,それまでに使っていたものを捨ててからにしよう,そしてまた,買うものを将来捨てるときのことも考えよう,ということも決めました。
 ただし,私は別に金に困っているわけでもなく,けちをしようというわけでもないので,お金は使います。たまる一方で捨てるのも大変な物質にはお金を使わないようにしようということなのです。となると,お金の使い先というのは食べ物と旅,ということになります。しかし私はグルメでないので,食べ物にお金を使ったところでたかがしれています。お酒を呑むのも60歳になったときにやめました。そこで旅ということになるのですが,これもまた,お金をあまり使わない旅の楽しみを知ってしまったので,結果的にお金はあまり必要がない,ということになってしまうのです。
 そこで,今日は私の旅について書いてみることにしましょう。

 これまでずいぶん様々なところに出かけた結論として -とはいえ今後この結論は容易に変更されるでしょうが- 国内は天気のよい日にきままにJRに乗って最寄りの駅まで行って,そこから旧東海道の宿場を20キロほど歩くというのが最も楽しい旅です。そして,海外はハワイ,アラスカ,ニュージーランド,オーストラリア,そして,アメリカの山岳地帯を1週間程度で予定も立てずに旅をするのに限る,と思うようになりました。
 国内の場合,本当は,というか本音は,京都が一番だと今も思うのではありますが,京都は観光客が増え過ぎました。これではストレスがたまるだけです。食事すら満足にできません。京都に限らず,日本の観光地はどこも同じような状況です。特に近頃は外国人だらけ,しかも,雰囲気台なしの振る舞いが多いので,彼らが来ない特に何もないような小さな町を散策するのが一番なのです。そうした場所に,天気のよい日の早朝に出かけて日帰り旅行を,あるいは,東横インに泊まって1泊2日の旅行をするのです。
 海外旅行は4泊6日から6泊8日程度が機内持ち込み荷物ひとつで行くことができるので楽でいいです。これ以上長くなっても旅で得られる満足度というのはあまり変わらないのです。そしてまた,行き先はガイドブックに書かれていないような田舎に限ります。
 旅で持って帰るのは思い出と写真だけです。パンフレットの類,お土産は必要ありません。帰りのほうが荷物が増えるなんて論外な話です。特に何をするでもない,そんな非日常を手に入れることこそが最も楽しい旅になるのです。

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