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 紅葉真っ盛りの晩秋の祝日。
 外国人だらけの観光地はご遠慮申し上げて,静岡県の旧東海道をきままに歩くことにしました。第4弾は紅葉とは全く無関係な舞坂宿から新居宿までです。
 目的は鰻丼を食べること。この一点でしたが,子どものころからずっと行きたくて,しかも自宅からそれほど遠くないのでいつでも行くことができたのにもかかわらず行ったことのない新居の関所も併せて行ってみることにしました。

 旧東海道を歩いている人は結構多く,さまざまなブログもあるのですが,それらを読んでも,今回行くところは特に面白そうなところでもなさそうだったので,期待値0だったのですが,予想に反して,とても楽しい1日になりました。
 いつも書いているように,日本の旅は車を捨てて電車で行くに限ります。そして,日本はどこへ行っても実際の風景は美しいとはいいがたいのですが,その地の歴史を思い浮かべながら心で感じることができれば捨てがたい感動があり,そこにおいしい食べ物が加われば満足できると思っています。まさに,今回もそうした旅となりました。

 この日,天気予報ではかなり冷え込むということでしたが,風は強かったものの気温はそれほどでもなく,これもまたいつものように「晴れ男」の私は幸い今回も天気に恵まれました。
 舞坂宿から新居宿に向かうか,その逆にするか悩みましたが,新居宿のほうが見どころが少しは多そうだったので,舞坂宿から歩くことにして,朝10時ごろにJRの舞阪駅に降りました。
 舞阪は「池谷・関彗星」の発見者のひとり池谷薫さんの生まれ育ったところとして私は知っていましたが,この駅で降りるのははじめてのことでした。
 駅前のしがない喫茶店でまずはひと休み。ほかにいたお客さんは浜名湖競艇の話題で盛り上がっていて,まさに日本の田舎のおじさんたちの休日,という感じがしました。

 喫茶店を出て,旧東海道へ向かうと,美しい松並木が見えてきました。
 JRの舞阪駅から旧東海道の舞坂宿まで700メートルにわたって松並木が続いているのですが,このあたりを歩いているだけで,来てよかったと幸せになってきました。
 松は歴史を感じさせずいぶんと幹が太くなっていましたが,こうした現状を保つのはすごく大変なことだろうと思いました。
 旧街道の松並木は,明治維新でこの国がぐちゃぐちゃになったときに,なんらかの理由で破壊されなかったわずかなところにだけ幸い現在でも残っているのです。こういう姿をみるだけで,歴史をリスペクトしない日本人の本音を感じます。

 松並木を過ぎて舞坂宿に入ると,脇本陣がありました。ここは説明を聞きながら見学することができます。
 舞坂宿もまた本陣はすでに跡地でしかありませんでしたが,脇本陣はさまざまな変遷を経て現在も存在しています。東海道で脇本陣が残っているのはここだけなのだそうです。正しくは,1838年(天保9年)建築の脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟だけが残されていたので,それを当時の脇本陣に復元したものです。間口5間,奥行き15間,総坪数75坪という規模なので,まさに京都の町屋と同じ程度です。一番奥に殿様の部屋と風呂と手洗いがあって,こうした建物の作りを見るにつけても,この国の「殿様」文化の何者かがよくわかります。私は現在にも通じるその日本的な権威主義の滑稽さとばかばかしさを改めて感じることができたのでした。

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