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2025年11月30日

胎児の命は、被害として扱われないのか ―― 一宮市で起きた妊婦死亡事故を受けて

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2024年5月、愛知県一宮市木曽川町で、妊娠9か月だった研谷沙也香さん(当時31歳)が車にはねられ亡くなった事故がありました。
お腹の中にいた赤ちゃんは帝王切開で誕生しましたが、脳に重い障害を負って生まれたと報じられています。

遺族の方々は、この赤ちゃん(日七未《ひなみ》ちゃん)も交通事故の“被害者”であるとして、
加害者を「過失運転致傷」の罪でも問うよう検察に求め、11万2,000筆以上の署名を提出したと報道されています。

しかし名古屋地検は、事故と障害の因果関係を調査したうえで、

「胎児への過失運転致傷罪は適用しない」

と判断しました。

同じく交通事故で家族を奪われた“遺族”として、この判断には深い疑問と大きな問題意識を抱かざるを得ません。

参考:
妊婦事故死 胎児への過失致傷罪、立件を断念へ 名古屋地検
https://mainichi.jp/articles/20251128/k00/00m/040/145000c

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■妊婦は亡くなり、生まれた子どもは重い障害を負った。それでも「被害者として扱われない」現実

胎児は母体の一部である――この前提は、法制度上確立している考え方です。
けれども今回の事案では、妊娠9か月という、医学的にはすでに出生可能な時期に達していた命でした。
実際に生まれ、そして「後遺障害という結果」まで残っています。

それでも、刑事裁判上は
“胎児には被害者性が認められない”
という線引きがされています。

遺族としてこの問題を見たとき、突きつけられるのはただ一つです。

「この子の命は、法の中では存在していなかったことになるのか」

事故で亡くなる可能性があった命
事故によって一生背負う障害を負った命
家族にとっては何よりも大切な子どもの命

そのすべてが、
“法の枠組みの外側”
に置かれてしまうことに、私は強い違和感を覚えます。



■遺族の苦しみは、制度の隙間に置かれてはならない

胎児の法的位置づけは倫理的にも医学的にも慎重な議論が必要だということは理解しています。
しかし今回のように、生まれて、障害という明確な結果がある命についてさえ、刑事裁判の中で「損害」を論じる対象から外されてしまう現状は、あまりにも現実と乖離しています。

命として存在していた事実
事故により奪われ、傷ついたという事実
その後も続く家族の苦しみという現実

これらが、司法の枠の外に置かれてしまったとき、遺族はどこにも救いを求めることができません。

「胎児は被害者になれない」
この制度の壁は、今回の一宮市の事故が示すとおり、確実に遺族を二重三重に傷つけます。



■今求められているのは、「今の医療と命に見合う制度」

医学は進歩し、胎児はより早い段階から救命可能になりました。
しかし法制度はその変化に追いついていません。

遺族として強く願うのは、
• 出生可能な時期の胎児が事故で障害を負った場合には、刑事司法の対象とする制度の検討
• 家族が正当に補償や支援を受けられる仕組みの整備
• “命として存在した”という事実が司法にも社会にも正しく認められること

です。

今回の事故は、もう一度私たちに問いかけています。

――胎児の命は、本当に守られていると言えるのか?
――遺族が抱える苦しみは、制度によってさらに深められていないか?

この問いを、社会全体で向き合う必要があると切に感じています。

i_nokai0708 at 22:05│Comments(0)

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