February 2007

February 28, 2007

アメリカの絵本の奇妙な虹、ハチ、カタツムリ

2月26日(月)雨
虹模様雨季で雨続き。今日も降ったり止んだりを繰り返し、お蔭で何度も何度も虹が現れたり消えたりしました。
I子は虹が大好き。自分が最初に見つけたと言って大喜びしていました。

Rainbow of My Own (Picture Puffin Books)
そのI子が学校の図書の日にこんな本を借りてきたことがあります。「A Rainbow of My Own」。普段よく虹の絵を描いているので、虹の絵本を読みたくて借りてきたのかと思いきや、少し違う様子。
虹絵本「お母さん、この虹、おかしいよねえ。」
と言います。虹がおかしいって、もしかして…。
そうです。普段よく見かける虹と、色の順が違うのです。日本では虹の色は外側から、赤橙黄緑青藍紫の7色だと言われています。そしてI子も常にこの順を守って絵を描いています。でもこの絵本の表紙の虹は、内側が赤、外側が紫色。中の絵を見てもやはりこの順番。
「本当だね。よく気が付いたね。」
その後、気になっていろいろなものを見ていると…。
虹テレビ虹シールアメリカの子供向けビデオに出てくる虹も、絵本に貼ってあるシールも、内側が赤、外側が紫。
でも、持っている日本の絵本にたまたま描かれている虹を見ると、ちゃんと外側が赤になっています。
もしかして、アメリカの虹は日本と反対の順で見えるの?…そんな馬鹿なことはありません。今日の虹の写真を見れば、やっぱり日本と同じ、外側が赤、内側が紫。

さすがアメリカ、いい加減なんだから!子供向けの絵本で、しかも虹を題材にするなら、虹の順番くらい確かめてから絵を描いてよね!と思っていました。
アメリカの絵本には他にも、教育上好ましくないと思う、変な絵があります。

写真は提示できませんが、例えばハチ(蜂)。漫画化されたハチがだれかを追いかけるとき、そのハチは顔の真ん中、鼻にあたる部分に針を持っていることがしばしば。テレビ番組の「Between the Lion」の中に挿入されているアニメではいつもこの種のハチが描かれていますし、その他の機会にも見たことがあります。それはおかしいでしょう!ハチの針は産卵管なんだから、顔からタマゴを生まない限り、必ずお尻に針があります。漫画的には敵にお尻を向けて戦うより、針のある顔から敵に突っ込んでいくほうが迫力がありますが、生物学的におかしい。この種のハチはアメリカのアニメや絵本ではたまに見ますが、日本では見たことがありません。日本ではハチを擬人化するとき、槍を持ったハチを描いているのを見たことがありますが、これなら如何にもハチを兵隊に見立てたようで、一見して嘘だと分かり、罪がありません。でも鼻の部分の針で必死に戦っているハチの絵を見てしまうと、子供は「ハチの針は顔にあるんだ」と思うのではないでしょうか。

もう一つの例は、カタツムリ。I子がpreschoolのとき、カタツムリを数える、という課題があったのですが、そのカタツムリの目がどれもツノの下についているのです。本当の目に当たる部分は、まるで蝶の触覚のような扱い。I子は全部の目を書き直していました。この種のカタツムリの絵は別のどこかでもう一度見たことがあります。
童謡「かたつむり」の歌詞「ツノ出せヤリ出せ目玉出せ」を知る日本人なら、絶対にこんな絵は描きません。この名曲、英訳して海外にも広めたほうがいいかもしれません。

虹の絵もその一つ、適当に雰囲気で虹色を並べたら、たまたま赤を内側に塗ってしまったのかもしれません。でもこの話、単なる間違いとも限らない、と気が付いたのでした。続きは次回。


February 26, 2007

アオサギ(Gray Heron)

2月24日 (土)曇り時々雨
飛行機雲昨日は青空に長―い飛行機雲。飛行機雲は湿気が多いときによく残るそうです。
というわけで、今日はお天気はあまりよくありませんでした。こういった湿気の多い日に近所でよく見かけるこの大きな灰色の鳥。アオサギ(Gray Heron)ではないかと思います。
gray heron-11mくらいのトリが草むらにすっくと立っている姿は、とても美しく、威厳があります。お散歩帰りに見つけ、その30分後に出かけたときにもいました。そんなに長時間、同じ場所にいるものなのだ、と驚きました。

首を高く伸ばし、たまにキョロキョロ。何となく立っているように見えて、これが実は餌を探しているのでした(当たり前かもしれませんが)。
gray heron-2突然、首を縮めて低い姿勢になり、トットットットッと駆け出したと思うと、ある場所で立ち止まり、一瞬の間を置いてから、ピュッと嘴を草むらに突っ込みました。どうやら餌を食べたようです。素早い…。それにあんなに遠くから餌が確認できる視力って凄い。トビの視力は6.0と言いますが、サギも負けないくらいいい視力を持っているのかもしれません。

日本の近所で見かけるトリというと、スズメ、カラス、ハト、たまに白いサギ、くらいなので、こんな大型のトリを身近に見られることは、お散歩の醍醐味の一つです。


February 25, 2007

ブラジル人のお友達

2月23日(金)
ブラジルは私にとってちょっと気になる国。
第一に、海外旅行をこれまで1回しかしたことのない父が行った国が、30年前のブラジルでした。もともと乗り物に弱い父。いきなりブラジルはきつかったらしく、しかも向こうで知り合った現地の日系人の方が、父の帰国後間もなく銃殺されたという話も聞き、外国はもうこりごり、と思っているに違いありません。孫がいてもアメリカには絶対に来そうにありませんから。
第二に、小学校3年くらいの時に学校で見た手品の際。プロの方が来て、手品を見せてくださったのですが、帽子から取り出した国旗を見せて「これはどこの国旗?」と尋ねられたとき、一人のクラスメートの男の子がただ一人手を挙げ、「ブラジル!」と元気よく答えたのでした。私は父がブラジルに行っていたにも関わらず、国旗を知らなかったことに恥じ入り、同時にその男の子は憧れの存在になりました。その後約10年間、その子以上の男の子には会っていないと信じていました。
第三に、愛知県豊田市近隣の市で仕事をしていたときの経験。豊田市は言わずと知れた、トヨタ自動車のお膝元。その他、三菱自動車などの工場もあります。そのため、近郊には下請け会社、工場が沢山。最近はそこへ日系ブラジル人が多く働きに来ておられます。仕事の関係上、そういった方何名かとお会いしました。付け焼刃のポルトガル語の単語もいくつか覚えたりして。他文化を受け入れることに馴れていない日本、当然様々な問題が浮上します。よく新聞の記事にもなっていました。

今年になって、ブラジル出身の方とお話する機会が増えました。疑問に思っていたことを尋ねてみると、自分の考えも交え、いろいろと教えてくれます。

まず、出会ったとき、数人のブラジル人がアメリカのコーヒーをボヤいていました。「薄すぎる!」と。
私はコーヒーを滅多に飲まないので詳しいことは分かりませんが、日本では『アメリカンコーヒー』というと薄いコーヒーのことを呼ぶのに、こちらに来て見ると、アメリカのコーヒーってちっとも薄くないんだ、と感じていました。でも、彼らにとってはやっぱり薄いらしい。そう言えば、イタリア人の知人も薄いと言っていたっけ…。そこにいたブラジル人たちによると、アメリカのコーヒーは薄くてまずいため、ミルクを沢山入れないと飲めないのだとか。
「ブラジルではしょっちゅうコーヒーを飲むのよ、『Café zinho(「カフェ、ジーニョ」ちょっとコーヒーを)』って言ってね。」
そりゃあ、コーヒー輸出量世界第一位ですから…。

彼女によると、ブラジルのサトウキビなどの農業は、元々アフリカ人奴隷が従事していたとか。1888年に奴隷制が廃止されて以降、日本を始め、外国からやってきた人々が農業、主にコーヒー生産に従事したと言います。当時の日本では、貧しかった農村の人たち、特に次男三男の、家を相続できない人たちが、夢を求めてブラジルへ行き、得意の農業に従事したのでしょう。でも現在、日系人が従事している仕事は殆どが商売だそうで「一般に日系人は裕福だ」と言っていました。しかも殆どの日系人がサンパウロの偏った地域に居住しているそうです。
ではどうして日本へ出稼ぎに来る日系ブラジル人が多いのか。1970年以降、インフレになるなど経済的に不安定な状態が続いたブラジルに対して、日本は高度経済成長が著しかったため、また、制度的に日系人が受け入れられやすくなっているので、日系ブラジル人の出稼ぎが多いのだそうです。
でも、日本に出稼ぎに来ても、言葉も習慣も違い、特に子供達の中には苦労している子が多い、という話をすると、彼女もそれは知っている、と言います。
「2世、3世になると、もう殆ど日本語を知らないのよ。もっと自分のルーツの文化を大切にすればいいのにと思う。」と彼女は言いました。でも、第二次世界大戦中は日本語新聞や日本語学校を禁止されるなど、いろいろな政治的背景も理由にあるのでしょう。また、日本語を使わないという努力によって、ブラジル社会に馴染んでいったという面もあるのかもしれません。

そして、小学生時代から強く印象に残っていたブラジル国旗について質問。あの真ん中の帯に書いてある文字(ORDEM E PROGRESSO)はどういう意味なのか、と。
彼女の答えは「Organized and Progress」。彼女もはっきりと英語にすることは出来ず、最初の単語は「きちんとしている、整っているって英語で何て言うの?」と尋ねるので私が「organizedかな」と答えてしまいました。これでは形容詞と名詞なので、正確な答えではないとは思いますが、こんな意味だそうです。
ついでに色にも意味があることを説明してくれました。緑はブラジルに豊かにある森、青はやはり豊かな水、そして黄色は(昔よく採れた、と言っていましたが)金を意味するそうです。そして、帯よりも上にある一つの星は首都ブラジリアを示し、下には、state(彼女はstateと言いましたが、「州」なのかどうかは私には分かりません)の数だけ星があるそうです。あとで調べたら26個ありました。

ブラジル色の風船しばらくのち、彼らの一人のbaby showerに参加しました。その時に飾られた風船の色。赤ちゃんが男の子だからという理由からだけでなく、ブラジルカラーだからこの色の取り合わせを選んだそうです。どうやらこの青、緑、黄色には特別の思い入れがある様子。
ブラジル産テーブルクロスこのときに持ち寄られた食べ物の数々。各国のものが並びますが、ブラジルのものだけ説明すると、紙袋の後ろに半分隠れている、黄色い丸いものが「ポン・デ・ケージョ」、チーズのパンで、もちもちした食感です。これは最近日本でも食べられて人気がある(というか、私の好み)と言うと、それも知っているようでした。どうやら日系の友達がいて、日本についてよく知っているようです。
また、この写真のテーブルクロスもブラジルの手工業製品だとか。何でもココナッツの繊維で作ってあるそうです。薄くてレースになっていて、麻のようなさらっとした手触りで、繊細なものでした。

ブラジル人のお友達とたわいの無いおしゃべりをすることで、ブラジル人としての誇りと、親日的な彼らの雰囲気に触れた気がしました。彼らが親日的なのは、とりもなおさず、ブラジルに移住した日本人達が真面目で勤勉で信用できる人たちだったからです。他国で生活したときに一人一人が正しく一生懸命生きることが、後世の母国の人たちにどんなによい影響を与えるか、ということを学びました。

(写真はお友達からもらったものを加工しました。YSさん、ありがとう!)

追記:
ブラジル製のテーブルクロスが何で出来ているか、それを持ってきていたBに訊き直したところ、ココナッツの繊維とのことでした。ココナッツの実の、中のジュース(液状胚乳)は飲み、その周辺にある白い部分(固形胚乳)はスプーンで掻き取って食べ(とても甘いらしい)、固形胚乳と一番外の殻の間にある分厚い緑色の部分から繊維を採って織物にするそうです。
たまにMilk Pailなどで売っているのを見かけますが、買ったことはありませんでした。今度試してみようかな?冬にココナッツは似合わないけれど。それにしてもあの殻に包丁は刺さるのかしら?



和太鼓のコンサート

2月23日(金)晴れ
夫のイタリア人同僚Pに誘われて、和太鼓のコンサートに行きました。
"Kenny Endo Taiko Ensemble with Members of Stanford Taiko"です。
これはStanford Lively Artsのシリーズの一つとして行われたプログラム。
大学キャンパス内のDinkelspiel Auditoriumで、夜8時から。学生料金で一人20ドルですが、子供もきっちり払わなければならないので4人分80ドル。我が家にとってはかなりな出費です。子供にとっては夜遅いので、しっかり昼寝をさせて準備しました。

会場は満員。さすがにうちの子たちが最年少のようでしたが、少なくとも前半は、体の心まで響くような太鼓の音に圧倒されて、集中して聴いていました。前回のInternational Centerでの子供向けコンサート同様、子供が本物を聴く姿はとても真摯です。こういうものを小さいときに味わうっていいことだなあと思いました。
写真ビデオなど全ての記録物は禁止だったので、写真はありませんが、力強くてとても素晴らしかったです。中心人物であるKenny Endoさんは、外国人として日本で初めて名取になった人だそう。アメリカのいろいろなお祭りでデモもされているそうです。メンバーには、和楽器以外を演奏する人たちがおられましたが、その異国の楽器が曲にとてもなじみ、雰囲気自体は全く日本そのもので、不思議な感じでした。スタンフォード大学の太鼓部の学生さんたちも参加して演奏されました。太鼓の力強さからは想像しにくい、女性の演奏者が多かったのが印象的でした。

Kenny Endoさんのweb siteはこちら


February 23, 2007

陪審召喚状

2月22日(木)雨
Jury1Jury2









アメリカに一時滞在している人にも来ることがあるよ、とは聞いていましたが、私にもとうとう来ました。陪審員の要請。
2月上旬に、私だけの宛名で、カリフォルニアの高等裁判所(superior court of California)から封書が届きました。心当たりもないし、夫のオマケでここに住んでいる私だけの宛名って一体何?と思ったところ、陪審召喚状(Jury summon)でした。

DMV(Department of Motor Vehicles)で免許を持っている人は皆、取り合えず召喚状を送る対象になるのでしょうか。市民権もSSN(social security number)も持っていないのに、全く不思議な話です。
免除してもらうための欄もあり、「市民権が無い」という項目を選択して送り返せばいいのですが、選択肢の中には「年齢が満たない」という項目もあります。年齢も確認せずに送るの???

こんなに無駄な封書を送って、経費も人件費ももったいだろうし、受け取る側もあまりいい気分ではないのですが、これは戸籍がないから生じていることなのでしょうか。またはこちらの人がテキトーだから?
一度返信をしたら、その後は対象からちゃんと外してくれるのでしょうか。
日本では考えにくい体験をしました。

追記:
この召喚状が来たのが2月5日(月)。その翌々日に免除請求の返信を出したところ、2月23日(金)に免除が許可されたとの通知が来ました。免除されるとは分かっていながら何となく気にかかっていましたので、これですっきりしました。

子供の信仰心

2月21日(水)曇り
昨日はMardi Gras、そして今日はAsh Friday。
簡単に説明すると、4月にやってくるEaster(復活祭)は、イエスが死後3日目に復活して昇天されたことを祝うもの。その前46日間が、イエスの苦悩をしのぶためのLentの期間。Lentの初日の水曜日がAsh Friday。Lentの期間は断食をする(実際にはしませんが、気持ちの上で)ため、その前日にしっかり食べておこう、という日がMardi Gras。詳しくは昨年の記事「Mardi GrasとAsh Wednesday」を参照してください。

Jesusの歌最近、I子がこんな絵を描きました。左の絵はJesusがヘッドフォンを付けて、CDを聴きながら踊っているところ。CDプレーヤーもニコニコ笑っています。上の部分の文字は、I子作詞のJesusの歌『Jesus Jesus』だそうで、「Oh, Jesus, Jesus, Jesus, Jesus. Be with me and all of us for ever, and every day on earth.」と書いてあります(そうは読めませんが、彼女はそう読みました)。
右の絵は、Jesusが自分と妹と一緒に遊びながら見守ってくれているところ。上の方にはキリスト教のシンボルの一つである魚が描いてある、という説明でした。

こんな絵を描くんだ、と驚いたので、EIA partnerのM(彼女は非常に信仰心が厚い)に見せてみると
「これは素晴らしい!感動したわ。是非Pastor(牧師さん)にも見せなさい。」
と。Pastorは一目見てニコッと笑われただけでしたが。
Mが言うには、I子はJesusを友達のようにとても身近な存在として感じている、と。そして見守られていることに安心感を持っているのだと。
確かに、絵を見ればその通りです。

Jesus人形数日後、今度はこんな人形を作りました。トイレットペーパーの芯で作ったJesus人形。おなかには「God is with us.」と書いてあります。数日間はこれをとても大事にして、寝るときも傍に置いていました。

教会に通い始めて1年と数ヶ月。それまではキリスト教に全く縁がありませんでした。通い始めた理由も、渡米してすぐ知り合った人に薦められたからで、改宗しようと思ったからではありません。ただ、宗教はその人の考え方、そのコミュニティのあり方に大きく寄与していると思うのと、他を知るということは大事だと思っているので、その面では自分にとって未知の宗教の一つであるキリスト教をよく知ろうと努力していました。娘達にとっては、現地の人と触れる機会が増え、社会性が身についてくれれば、くらいに期待していました。
でもI子にとっては、約半年間、キリスト教のpreschoolに通い、その後も毎週日曜日の子供向け礼拝に参加し、週一回はこの教会が主催する音楽教室に通ってJesusを称える歌を歌っているのだから、私が思っていた以上にキリスト教漬けになってしまったのかもしれません。

先日、kinderの同級生のお母さん(モルモン教徒)との立ち話で、
「I子が大きくなってキリスト教に改宗したいと言い出したらどうする?」
と尋ねられました。
「I子がそうしたいと言うなら賛成するかな。でもうちは3年くらいで日本に帰るし、日本では仏教だから、彼女が改宗したいと言い出すとは思わないけれど。」
と答えました。私には、娘には改宗してほしくない、でも頑固な母親だと思われたくない、という気持ちがありました。そのお母さんはちょっと考えてから、自分の知人のことを話してくれました。知人の男性は中国系アメリカ人で両親は仏教だったのだそうですが、大人になってカトリックに改宗したいと言い出し、両親は大変悲しんだのだとか。しかも彼の弟はモルモン教の女性と結婚してモルモン教に改宗したため、両親は子供二人に改宗されて、かなりショックだったのだそうです。

宗教は個人の自由ですが、個人はその後ろに自分をこの世に送り出してくれた大勢の先祖を背負っています。また、個人は必ずある一定のコミュニティに所属しています。宗教は、それ独自の宗教観が大事なのは言うまでもありませんが、同時に家やコミュニティなど、人と人との繋がりを形成するという面で大きな役割を担っています。
宗教の一番大きな役目は、個人が、その人の現実をより心穏やかに生きる手助けをすることではないかと思います。だとすると、カトリック教徒の多い環境にいたその中国系アメリカ人男性が改宗したいと思っても不思議ではありませんし、モルモン教徒の友人を持つ女性と同じコミュニティに所属したいと思えばモルモン教に改宗するのはとても自然なことです。
信仰心を置いておいて考えてみると、例えばもしも私たち家族が今の生活をずっと続けていくのであれば、ここで「うちは仏教だ!」と言って頑張ったところで、この国に自分達の仏壇があるわけでも先祖のお墓があるわけでもなく、あまり意味があるとは思えません。やはり今通っている教会の宗派に改宗するほうが、知人の援助や理解も得やすく、ここでの生活は自然に進むでしょう。(注:Palo Altoにも日本のお寺があるので、生活状況が違えば仏教徒でい続けることは可能です。)でも、先祖代々仏教徒である実家のある日本に帰ってキリスト教徒でいることは、逆に不都合です。

宗教を選ぶのは信仰心だけだと思っていたのですが、しばらく教会に通ってみてそれだけではないことを知りました。教会の選び方も、宗派関係なく(ただしこの場合、同じキリスト教プロテスタント系ではありますが)いくつかの教会に足を運んでみて、この教会の人たちが気に入ったから、という理由の人も多いです。仲間作りから改宗することもあるし、乱暴に言ってしまえばファッションで選んでいる人もいます。つまり、理由は何でもいいのかな、と。「宗教は人々が幸せになるためにある」ということさえ間違わなければ、どんな理由で宗教を選ぼうと、誰もとやかく言う筋合いはないのではないかと。

それにしても子供は素直に人の言葉を受け入れるのものです。親の知らない間に、preschoolの先生(I子の担任の先生は特に信仰の厚い、よく奉仕する人でした)やPastorの言葉が体に染み入っているようです。その素直さを喜ぶべきことだとは思いながらも、私は正直、少し戸惑っているのです。


February 21, 2007

Dishの春

(写真はクリックすると拡大して見られます。)

2月19日(月)晴れ
さんぽ-フーバータワー(写真はDishから見たHoover Tower。)
今日はPresidents’ Day。そして今週はski breakと名付けて学校は一週間丸々お休み。でもこれ、Palo Altoを含む限られた市だけで使われる名前なのかもしれません。A子のpreschoolの先生でサンマテオ方面に住んでおられる現地の方は、ご存知ではありませんでしたから。
我が家は1週間前にスキーに行きましたので、今週の予定はなし。夫のInstituteでは皆さん変わりなく仕事されているらしく、夫も通常通りの出勤でした。
残された二人娘と私は、久しぶりにDishへ散歩に行くことにしました。

今日は晴天で散歩日和。ポカポカと暖かく、Dishをジョギングする人たちが大勢おられました。昨日がChinese New Yearだったこともあり、チャイナ服で散歩する女の子もいました。この日辺りにチャイナ服を着るのは中国系の人だけでなく、どう見てもインド系の女の子や、知人のアメリカ人の女の子もチャイナ服を着ていました。ファッションからいろんな文化に触れるのも楽しいことです。でも、チャイナ服は着やすくていいですね。着物だと着付けに大騒動ですから。

さんぽ-サクラ春の兆しいっぱいのDish。雨季と言っても今年はまだそんなに雨が降っていませんし、今日も青空が広がっていました。
桜もほぼ満開です。



さんぽ-ウメ?濃い色の花。flowering quinceと呼ぶそうです。正式にはchaenomeles、日本語でボケの花。






さんぽ-アカシア遠景さんぽ-アカシア今はアカシア(acacia)が満開です。この黄色は目を引きます。花粉症の原因にもなりますが。

さんぽ-新芽新緑の若芽。








さんぽ-リスリスたちも沢山。餌が豊かなようで、どのリスも何か食べていました。






さんぽ-シカラッキーなことにシカにも会えました。写真は後姿ですが。






さんぽ-トリ枝の先端に威厳を持って停まるトリ。種類は分かりません。blue jayも見かけましたが、素早くて撮れませんでした。



Dishでおやつを食べ、また降りてきました。遊具も何もないDishですが、自然を満喫し、春の訪れを感じることの出来た子供達は嬉しそうでした。


Squaw Valley スキー旅行4 (最終日、base areaで)

2月11日(日)雪
最終日。これまでで一番マシな天気でしたが、やはり雪。ケーブルカーに乗ろうと乗り場へ行くと「今日は強風のためケーブルカーが運行していない」との掲示。
この日はbase areaへ行くことにしました。
ここでは子供のスキー学校もやっていて、3歳くらいの「雪に親しむ」というレベルから扱ってくれるそうです。見ていると、本格的に教えてくれて、親への指導や説明も丁寧で、もしも来年チャンスがあったらうちの子供達もお世話になりたいと思いました。
夫とI子がスキーをしている間、少しでもA子を雪で遊ばせようと、ソリをさせてみました。ところがよく分からないA子、あまりの寒さと吹き付ける雪にすっかり怖気づいてしまいました。ミトンを付けなさいと言っても嫌がって絶対につけず、そのため「お手々痛いー!」と泣き叫ぶ。最初のソリの一滑りはよかったのですが、後はソリの上で泣くばかり。断念して待合室に非難しました。
帰る間際に夫が一滑りし、その後私が一滑りして、帰宅の途に付きました。

帰路、約1週間前にUC Davisに留学に来られた、日本で私達と同じ研究室にいらっしゃった女性の先生とお会いし、夕食を伴にしました。単身で来られたこともあり、その他諸々の理由で相当苦労されているようでしたが、お互いに1年以上ぶりにお会いできた時間はとても有意義でした。夕食は、デイヴィスでは有名だというお寿司屋さん。正直なところ、あまり美味しくなかったです。Palo AltoのSushi Houseの方がよっぽど美味しいと思いました。

帰宅したのは深夜11時過ぎ。とてもとても疲れたスキー旅行でした。


Squaw Valley スキー旅行3 (スキーとスケート)

2月10日(土)雪
オリンピック表彰台(Olympic Museumの表彰台で記念撮影。)

3日目、目覚めると霙(みぞれ)。この日も、麓にいても仕方が無いので、とにかくHigh Campまで上がってそこで一日過ごそう、ということに。
ケーブルカー乗り場へ行くと、土曜日だからか昨日とは打って変わってとんでもなく大勢の人出。満員のケーブルカーで上まで上がりました。
山の上はやはり吹雪でしたが、夫とI子はその中をスキーに行きました。こんな天候でもスキーすると言うのだから、I子はスキーを気に入ってくれたようです。
A子と私は再びSquaw Valley Museumで二人を待ちました。この日もスケート場は雪かきをしています。「Bob the Builder」が好きなA子は結構喜んで除雪車の作業を見ていたので助かりました。
しばらくすると開放されて、10人ほどの人がスケートを始めました。ところがものの10分もしないうちに半分ほどの人は引き上げてきました。みんな雪まみれ。あまりの寒さと雪の凄さに、滑りを断念したようです。
昨日よりも長くスキーを楽しんだ夫とI子。1メートル先も見えないのではないかと思うほど吹き荒れる吹雪の中、よくやりました。もう一度行く?と尋ねると
「無理でしょ。」
と夫。止まっているリフトも多かったようです。
I子がスケートをやりたいと言い出したので、夫とI子がスケート靴を借り、いざリンクへ出ようとしたとき、タイミング悪く除雪が始まりました。みんな休憩室に入ってきて待っています。こうやって定期的に除雪しないと、見る見る氷の上に雪が積もっていくのです。
待って待って、待つこと1時間以上。やっとスケートリンクが開放されました。こちらの人は辛抱強い、本当に文句も言わずによく待ちます。I子とA子はその間お昼寝をしていました。
I子はスケートも初めて。夫もそう上手くはありません。二人で手を繋いで、手摺を持ちながらちょっとずつ歩いていました。それだけでもI子にとっては相当楽しかったようです。
ちなみに私達の出身地名古屋は、伊藤みどりさんをはじめ何人かの有名選手を輩出したくらいスケートで有名なのですが、私はこれまでに一度しかスケート靴を履いたことがありません。折角なので、I子が飽きてからリンクに出てみました。こわごわ歩いていたのですが、私がリンクに入った頃には再び雪が深く積もってしまい、場所によっては雪の上をスケート靴で歩いている状態でした。

Squaw Valley スキー旅行2 (I子初めてのスキー)

2月9日(金)雨   
Squaw Valley(山の上の吹雪。写真はまだマシなときに撮りました。視界が悪い…。)

2日目、朝から大雨。これじゃあ滑れない。山の斜面にも人気がありません。子供や初心者向けのbase areaというところもリフトが動いていず、完全に休業状態。他に子供が遊べるものはないかと探してみますが、プールも3月からしかやっていないそうで、どうしようかとウロウロ。取り合えずケーブルカー乗り場へ行ってみると、スキー準備をした人たちが数人。そのうちの一人のおじさんが「上の方は雪だよ。」と教えてくれました。麓にいても何も出来ないので、まずは山の上へ上がってみよう、ケーブルカーにも乗れることだし、ということで、ケーブルカーに乗ってHigh Campと呼ばれる施設へ。
山の上の方は確かに雪でした。でも吹雪いています。それでも夫は
「I子を滑らせてくる」
と言って出て行きました。I子はMoving Saleで買った自分のスキー板を初めて履き、夫は麓で借りた板を使いました。
私はとてもA子を外に出せる状況ではないので、施設内を見学することに。
あまりの天候の悪さに、広い施設内のレストランには殆ど開店休業状態。でも食べたいわけでもないので、Squaw Museumへ行ってみました。
ここは、田舎の冴えないスキー場でしかなかった場所に、1955年、第8回冬季オリンピックを誘致した地なのだとか。今見ると古典的な雰囲気の漂う当時のオリンピックの模様を伝える新聞記事や、選手のプロフィールなどが展示されていました。
窓際にあったテーブルについて外を見ると、ちょうどOlympic Ice Pavilionというスケートリンクが見下ろせるようになっています。ですがこれは屋外であるため、やっぱりもの凄い吹雪で雪が山盛り積もっています。それを、二台の除雪車が入って懸命に除雪していました。その間、連れ回されてすっかり疲れきったAはずっとお昼寝。
夫との約束の時間になったので再び出口付近へ行くと、間もなく雪だらけになった夫とI子が帰って来ました。多くのリフトが止まっていた中、僅かに動いていたリフトに乗ると、初心者のI子が夫に抱えられて滑れるくらいの場所はあったのだそう。それにしてもとても寒かったようです。I子は「雪がチクチクする」と表現していました。
それでもI子はリフトが気に入ったそうで、リフトに乗るためにスキーしていたようなものだと夫が言っていました。
I子はもう嫌になったのだろうと思って夫だけで滑ってきたら、と言ってみると
「どうしてI子は行けないの!?」
と怒り出しました。面白かったようで、あまり休憩も取らず、すぐにまた吹雪の中へ出て行ってしまいました。私とA子は再びmuseumまで降りていって休憩。目覚めたA子は除雪車の作業を楽しそうに見ていました。「Bob the Builder(日本語訳:「ボブとはたらくブーブーズ」)」が好きなので本物の働く車を見られて嬉しかったのでしょう。それにしてもいつまでもいつまでも除雪していて、結局私達がいる間、人が滑るのを見ることは出来ませんでした。一家族4人ほどだけスケート靴を履いて待っている人がいたのですが、全く辛抱強い人たちです。
ようやく帰ってきた夫とI子。夫だけスキーで麓まで降り、私は二人を連れてケーブルカーで降りました。トラブルがあったとかで約20分間も出発が遅れたのですが、すっかりくたびれたI子はまだ動いていないケーブルカーの中でぐっすり眠りました。