後は野となれPoohとなれ~今から、ひとりから~

たれプーさん♪の「適職・究極的生き方」備忘メモ

† クラシック音楽が好きで楽しんでいる。そのクラシック音楽も奥行きがある。特に生涯無縁で終わると思っていたのが声楽、特にオペラである。ご承知のようにオペラの公演となればチケット代は桁が上がり接する機会も極めて少ない。そして言語の壁と内容についての偏見があった。日本人には敷居が高く金持ちの趣味と見なしていた。だが単に機会がなかっただけのことかもしれない。私には違った世界だと思ってきた。

‡ ところが最近ついにオペラ・デビューしてしまった。むろんDVDやCDなど視聴覚資料で生公演ではない。かなり前に無理矢理に取り組もうと中古店でDVDをいくつか買い込んだ。『カルメン』の冒頭を見て挫折した。まだ機が熟していなかった。ここ数ヶ月、モーツァルト『魔笛』に接する機会を得た。『魔笛』をDVDで見てから複数の全曲CDを計30回以上は聴いた。さらに台本を読むまでに一気に進んだ。「モーツァルトはオペラが大好きだった」という解説書も読んだ。今までは交響曲や協奏曲しか聴いていなかった。だが確かに短い生涯の中で20作以上のオペラを作曲している。なお『魔笛』は多くの感想がネット上にあり日本人に大変に好まれている作品である。魅力的な要素が多く含まれているためであろう。

参照 繰り返して聴く音源→【CD】モーツァルト:歌劇「魔笛」全曲
20170621
マリア・シュターダー、リタ・シュトライヒ他
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団
(1955年モノラル録音、独グラモフォン)2CD
20170622
ルチア・ポップ、エディタ・グルベローヴァ他
ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団
(1981年ステレオ録音、英EMI)3CD

† 詩人・長田 弘氏に触れる機会を最近もった。もう亡くなって2年が過ぎているが、書き残したものはこれからも読み継がれることだろう。特に読書とクラシック音楽に触れた部分に同感する。最後の随想集『幼年の色、人生の色』章には音楽のエッセイがまとめられている。みな雑誌連載である。他人の音楽の好みなど知っても仕方ないと言われるかもしれない。ただ鋭い感性から、詩集のみならず社会批評も多く書かれている氏にとってのクラシック音楽の志向は知りたいものである。章で挙げられている楽曲・作曲家・演奏家を参照に抜書きしてみた。知らない曲もあるので調べて聴いてみたい。

‡ 『クリュイタンスが指揮したフォーレの「レクイエム」。わたしが聴いて聴いて聴きつぶして駄目にした最初のレコードだった。』(117頁)、この一文からでも氏の姿勢が分かる気がした。調べると長田 弘氏の言及したのは「赤盤」という仕様であり私は見たことがないが少しピンクがかっている。確かに録音物と再生装置の劇的な変化は戸惑うばかりである。『音楽というのは、絶対的であって絶対的でない、とても具体的な経験なのだ、と思う。その音楽をいつ、どこで、どんなふうに聴いたかという聴き手の個人的な経験が、どこまでもその音楽のなかに入り込んでしまうからだ。』(117頁)、これもまた同感する。私には店頭で買った時の思い出がCD一枚一枚にかなり鮮明なものとして記憶されている。だからネット配信される情報としての音源は無国籍のように感じるのだ。それぞれの音楽経験だが、それが決定的に大事なのが芸術経験なのであろう。

参照 抜書きした楽曲・演奏者

長田 弘『幼年の色、人生の色』
201706232
単行本: 192ページ
出版社: みすず書房 (2016/11/11)

IV
はじまりは流浪の民
 シューマン合唱曲「流浪の民」
 ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
 フォーレ「レクイエム」クリュイタンス指揮

音楽で測る時間
 シューマン「蝶々」 1分
 モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 3分
 ドヴォルザーク「森の静けさ」 5分
 ドビュッシー「ベルガマスク組曲」 15分
 バッハ「ゴルドベルク変奏曲」グレン・グールド独奏(2つの録音)38分、51分
 ロッシーニ「セビリャの理髪師」 2時間半
 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 5時間

時間の贈り物
 モーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ第二五番」 13分
 シューベルト「八重奏曲」 61分
 ベートーヴェン「チェロ・ソナタ第三番」 27分
 リスト「エステ荘の噴水」 8分
 ボロディン「弦楽四重奏曲第二番」 28分
 ブラームス「クラリネット・ソナタ第二番」 21分
 バルトーク「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」 28分

奇蹟の音を追いかけて
 ベートーヴェン「交響曲第9番・合唱」サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィル
 ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」ラビノヴィッチ独奏

天使の手品
 ロッシーニ「弦楽ソナタ」弦楽四重奏版、弦楽合奏版、木管四重奏版
 シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」ヴィオラ、チェロ、チェロ・ピッコロ
 ブラームス「ヴィオラ・ソナタ」「クラリネット・ソナタ」
 ベートーヴェン「交響曲第五番・運命、交響曲第六番・田園」
 (リスト編曲)グレン・グールド独奏

チェロ・ソナタ、ニ短調
 ショスタコーヴィチ「チェロ・ソナタニ短調」ミッシャ・マイスキー独奏

沈黙としての音楽
 アルヴォ・ペルト
 ロディオン・シチェドリン
 ソフィア・グバイドゥーリナ
 ギヤ・カンチェーリ

十二月の音楽
 モンテヴェルディ「聖母マリアのための夕べの祈り」
 バッハ「クリスマス・オラトリオ」オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団
 バッハ「マタイ受難曲」「ミサ曲ロ短調」
 ベートーヴェン「交響曲第9番・合唱」
  ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
  クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル
  ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
   オルケストル・デ・レヴォリュショネル・エ・ロマンテック

詩は眼差しのうちにある
 ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」ブリテン指揮ロンドン交響楽団
  (ウィルフレッド・オウエン詩)
 池辺晋一郎「交響曲第九番」

※池辺晋一郎作曲「交響曲第9番」
  作曲家・池辺晋一郎の「交響曲第9番」は、長田弘『人はかつて樹だった』『世界はうつくしいと』『詩の樹の下で』の三冊の詩集から9篇の詩をテキストとした、独唱を伴う9楽章のシンフォニーです。
  演奏時間45分の大作で、2013年9月15日に東京オペラシティで開かれた「作曲家・池辺晋一郎 70歳バースデー・コンサート」において初演されました。

小鳥たちとジャズ
 エリック・ドルフィー独奏〔Eric Dolphy〕
 (ジャズのバスクラリネット、アルト・サックス、フルート奏者)
 

20170623
画像:エンジェルレコード(赤盤)東芝音工 Angel ASC 5300

参考
長田弘
等身大の長田弘、一冊に 自選エッセー集刊行
2016年12月13日 毎日新聞東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20161213/dde/018/040/014000c

 詩人、長田弘(1939~2015年)が「レイターワークス」(晩年の仕事)の集成として準備していた自選エッセー集『幼年の色、人生の色』が、みすず書房から刊行された。2010年前後の雑誌掲載原稿などを中心にした最後のエッセー集は「詩集とは別のかたちで等身大の長田弘を知ることができる一冊」(担当編集者の尾方邦雄さん)だ。

 全38編の収録エッセーは幼少期の記憶や読書、漢詩の魅力、アメリカの旅と詩、クラシック音楽、猫や人との出会いと別れまで五つのテーマに再構成されている。書名になった巻頭エッセーには、脳裏に刻まれた黄金と灰黒の2色にまつわる逸話がつづられる。

 収録順や構成は仕事場のパソコンに残された「もくじ」に沿って再現されている。やさしく分かりやすい詩の言葉で多くのファンを魅了した詩人は、人生の終章に向き合い、どうしても書き残しておきたい事々に、自分なりの「起承転結」をつけて旅立ったのかもしれない。【井上卓弥】(抜粋)

† キリスト教理解は贖罪ということが基本にある。本来罪人だからイエスの死に意味がある。ただ原罪は日本人には分かりにくい。生まれた時から抱える罪、それは神からの反逆であり人間の歴史であると聖書は教えている。それを回復することが命題で、神の完全な独り子であるイエスの死のみがそれに応えるとするキリスト教神学である。以下はキリスト教新刊であり、この書評から考えてみたい。あくまでも同行二人のイエスならば日本人にも理解しやすいと伝えたいのがエッセンスであるという評者・大澤氏は書いている。大澤氏の書かれているように、実は三位一体ではなく、疑似二者関係に近いという見方は分かりやすいであろう。

‡ いくら知的に三位一体を説いても、それが実感として把握できなければ意味は薄くなる。キリスト者が神に祈る、つまりイエスを通して祈るとは、身近な友だちに語るようなこととも言えるだろう。この点に関して、私はもともと罪意識が日本人にあるとは感じたことはない。八百万の神がいるわけであり、そこにはちょっと理解しづらい神もいる。例えば戦いの神がいたり、かまどにも神がいる。そのような日本人が三位一体たる神格をどのように理解するのかという疑問がある。「宗教も人気商売だ」と映画・評論家町山智浩氏は6/27TBSラジオ「たまむすび」で語った。アメリカの最新ネット配信ドラマ「アメリカン・ゴッズ」について語った内容を聞いてみてほしい。世界中には神々が溢れているのである。

参照
ノン・クリスチャンの「役に立つ」 大澤真幸(5/5Book Bang)
書評:来住英俊『キリスト教は役に立つか』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170505-00530585-bookbang-soci

 キリスト教は、神の子が十字架の上で死ぬことによって人類の罪を贖ってくれた、ということを信ずる宗教だ、と言われる。しかし、もしキリスト教の本質がここにあるのだとすれば、喜んでキリスト教を信ずるようになる日本人は、ほとんどいないだろう。まず、前提が成り立たないからだ。つまり、そんなことまでして贖ってもらわなくてはならない罪が、自分にある(あった)とは、ほとんどの日本人は思わないからだ。そこで、日本人にキリスト教を信じさせるためには、まず、お前には(本来)罪がある、ということを納得させなくてはならないことになる。だが、もともとたいした罪意識をもっていない人に、深い後ろめたさをわざわざ植え付けることから始める宗教など、あまりに暗くおぞましい。

 しかし、本書で著者は、キリスト教信仰の本質を、これとはまったく異なったところに求めている。つまり、キリスト教信仰を生きるということは、「人となった神(イエス・キリスト)と、人生の悩み・喜び・疑問を語り合いながら、ともに旅路を歩むこと」だ、と。この旅路には明確な終着点があって、それが「神の国」と呼ばれる。この定式化なら明るい。特に原罪など感じていなくても、受け入れられる。

 本書は、このような観点からのキリスト教(カトリック)の入門書である。だが、これほど開かれた入門書を、私は他に知らない。護教的な押し付けがましさを一切感じさせない。というのも、本書が人生について語っていることの大半が、キリスト教の教義を抜きにしても成り立つ真実だからだ。

 神を奉ずる宗教、神への信仰や崇拝を要求する宗教は、当然にも、三者関係に優位(プライオリティ)を置く。一神教はとりわけ、「三」の前提に厳格に従っており、人間の有限性を超える、全知で全能の(あるいは全権をもつ)神の存在を前提にしている。キリスト教ももちろん、そうであり、本書もその点を認めている。たとえば、人がたえず神(キリスト)に問い、祈ることができるのは、神がつねにその人と共に臨在しており、「私にはわかっていない私にとっての真理」を知っている、と想定しているからである。

 しかし同時に、キリスト教には、「三」を「二」へと還元する力も強く働いている(と本書は事実上説いていると解釈することができる)。人は、キリストと親しく語り合ったり、彼に文句を言ったりすることができる。先に紹介した結婚についての件には、このことが特に強く現れている。人とキリストとの関係は、結婚のパートナーとの関係に喩えられ、そこにこそ現れている、と。つまり、人間が神の似姿として創造されたと聖書にあるように、本書によれば、「神:人間」の関係(二項に見えるが、神が超越的な存在なので三者関係を孕んでいる)は、「人間:人間」の二者関係に等しいのだ。

 本書が、ノン・クリスチャンにも説得力がある理由はここにある。「キリスト教は役に立つか」という問いに本書が用意した回答はこうである。役に立つ、特にノン・クリスチャンに。(抜粋)

 [レビュアー]大澤真幸(社会学者)


参考
来住英俊『キリスト教は役に立つか』(新潮社) http://www.shinchosha.co.jp/book/603800/
20170722
単行本(ソフトカバー): 237ページ
出版社: 新潮社 (2017/4/27)

来住英俊 (キシ・ヒデトシ)
 1951年、滋賀県生まれ、神戸育ち。灘高校から東京大学法学部に進み、日立製作所を経て、1981年にカトリックの洗礼を受ける。御受難修道会に入会し、1989年に司祭叙階。「祈りの学校」主宰。著書に、「目からウロコ」シリーズ(現在10冊、女子パウロ会)、『気合の入ったキリスト教入門』(全3巻、ドン・ボスコ社)、『『ふしぎなキリスト教』と対話する』(春秋社)、『禅と福音』(南直哉との共著、春秋社)など。

参考
おくどさん研究会 http://www.okudosan.jp/index.html

おくどさんを考える意義 PDF http://www.okudosan.jp/_src/sc471/resume.pdf

参考
【町山智浩の映画時評】アメリカドラマ~アメリカン・ゴッズ~が面白い
https://www.youtube.com/watch?v=t1Dcn8bqGIM

参考
神学書を読む(15)来住英俊著『キリスト教は役に立つか』
2017年5月1日 クリスチャン・トゥディ
執筆者 : 青木保憲(大阪城東福音教会牧師)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/23690/20170501/theological-books-15.htm

来住氏は、本書で神と人間の関係を、私たちが日常的に関わる人間関係を敷衍(ふえん)させることで理解してもらおうと苦心している。この努力は相当なものであると思われる。なぜなら、とかく「牧師」「長年の信仰者」たちは、自分たちの「キリスト教業界用語」で話を完結させ、その用語を何度も用いることで意味するものを相手に忖度(そんたく)してもらおうとするからである。

このような在り方は、「なんとなく分かる」という共通基盤を作るのには適しているが、その概念を用いてお互いに建設的な議論を展開するには不向きである。ましてや教会の事をまったく分からない方々(ノンクリスチャン)にとっては、その言い回しや概念がもどかしく感じられ、いつしかキリスト教界そのものに壁を感じてしまうことになる。(抜粋)

プロフェッショナル 仕事の流儀 第3期
がけっぷの向こうに喝采(かっさい)がある
指揮者 大野和士の仕事

ミラノ・スカラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など世界各国の一流劇場から公演依頼が舞い込む指揮者・大野和士(46歳)。今、ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督を務める。
2006年10月、ドイツオペラの最高峰に挑むが、本番3日前、主役歌手が突然倒れる大アクシデント。公演失敗なら責任は全て指揮者に降りかかる。
大野がとった驚くべき決断とは。知られざる舞台裏に6週間カメラが密着した。

プロフェッショナルとは・・・
「どんな状況になろうとも自分のベストを尽くすべく、その試みを最後まであきらめずにすることですね。」(大野和士)

キャスター:脳科学者・茂木健一郎/住吉美紀アナウンサー
語り:橋本さとし
ディレクター:河瀬大作 山本隆之
(2007年1月25日(木)NHK総合テレビにて放送)
20170708
*本編43分(字幕ON・OFF可能)+特典48分
  作品と会話する歌劇「椿姫」完全版23分
  (大野和士によるピアノでの作品解説)
  ゲスト未放送インタビュー17分
  テーマ曲「Progress」紹介/第III期・全10巻のラインナップ

販売元: NHKエンタープライズ
発売日 2007/10/26

† 10年前の映像で大野和士氏が46歳の映像である。最近の活躍は参照に詳しい。着実にキャリアを重ねているようで名実ともに日本を代表する指揮者の一人になった。特にオペラを振ることに日本人指揮者は大きな障壁がある。イタリア、ドイツ、フランスの作曲家の作品を言語で理解し当地の人たちにも納得させるものに仕上げなければならない。大野氏は欧州の歌劇場で実績を積みながら自信を付けていく過程が、この映像作品に見つけられるであろう。この時代のプロフェッショナルは茂木健一郎などMCが入っていることで良い点と好ましくない点が出ていたように感じる。

‡ さて本編に比して特典映像もそれに同じ程の尺があり見応えがあった。特典映像は番組収録でカットされた部分であり、つまり上手に構成されていることを確認できた。最近、私のなかでオペラが主要な関心となっており、この大野和士指揮モネ劇場公演DVD『アイーダ』もすでに見ていた。さて番組本編だが、大野氏のエネルギッシュな活動を遺憾なく見て取れる。これくらい勢力的でなければ本場ヨーロッパの歌劇場音楽監督は務まらないという証左でもある。特典映像では歌劇『椿姫』をピアノ解説し大野が考える作曲家ヴェルディの思いが熱く伝わってきた。この情熱こそが彼が重用される理由である。名門オーケストラや歌劇場が求めているのは常に新風を入れることのできる人材であろう。芸術家はサラリーマンに成り下がってしまったら生きのいい活動ができなくなってしまうような気がしてならない。常に創造的な仕事とは人を元気にさせるものが含まれているようである。とても満足した番組であった。

参照
番組HP 第39回 大野和士(2007年1月25日放送) これまでの放送
http://www.nhk.or.jp/professional/2007/0125/

指揮者 大野和士 公式ホームページ http://kazushiono.com/index_jp.php

 東京都交響楽団・音楽監督
 カタルーニャ国立バルセロナ交響楽団・音楽監督
 東京フィルハーモニー交響楽団・桂冠指揮者
 新国立劇場 オペラ部門芸術監督(2018年9月就任予定)

あの人に迫る 大野和士 指揮者
2017年2月3日 中日新聞デジタル
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2017020302000283.html

† 日野原重明先生が亡くなった。105歳というとてつもなく充実した時間であったことだろう。牧師の息子として知る以前から、その著作に触れていたことで、私の最初期の尊敬する人物である。特にライフプランニング、看護教育の日本の立役者であることは間違いない。その真摯なあり方は、多少理屈っぽいと感じることもあった。ただ亡くなるまでお手本を示されたこと、つまり実証する人生であったということだろう。大変教養が深い方であり多方面で指導的な立場を担ってきた。クラシック音楽や教会音楽に造詣が深く、音楽が医療に与える影響にも関心を払った。

‡ 私は『生き方上手』などの軽妙なエッセイ等で日野原先生に出会った訳ではなかった。昭和61年にNHK市民大学講座「人生の四季に生きる」のテレビ5回連続放送(1985年12月23日 - 12月27日)に感銘を受けた。現代版の四住期説である。その後、日野原先生が多大な影響を受けたジョンズ・ホプキンス大学のウィリアム・オスラー博士の講演集『平静の心』(医学書院)を購入して読んだ。医療に携わる人たちに求められている厳しい自己管理を学んだ。この書物に書かれれていることを生涯、日野原先生は実証した。そして看護教育においては、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)のトップとして看護師の学問レベルと地位向上に長く邁進された。今日の日本の看護レベルの底上げはこうした努力に負うところが大きい。晩年は活動範囲が拡がってしまった感じがするが、その危惧とは関係なく目標を持った日々であった。このような生き方はなかなか見倣うことはできないが、日野原先生の如く若い時代にどのような人を目標にし学んだかが問われるのだろう。アーメン

参照
日野原重明さん死去 105歳 聖路加国際病院名誉院長
2017/7/18 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK3R7QBZK3RULBJ01T.html

参考 「ベッドサイド・ライブラリー」の選書眼に時代を感じます!
日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)に聞く
2011年5月16日 医学書院ホームページから記事抜粋
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02928_02

 1951年,39歳のときに1年間留学したのも,憧れのオスラーが活躍した米国の医学をこの目で見たいと思ったのが理由のひとつで,留学中にオスラーの愛弟子にも面会しました。その後は,オスラーの講演集の翻訳(『平静の心』)や伝記の執筆(『医の道を求めて』)に携わり,1984年には「日本オスラー協会」を創設しました。

常に患者から学び,医学以外の教養を
 ここからは,オスラーが遺した言葉を紹介していきます。

 医療や医学教育に多大な影響を与えたオスラーは,米国における臨床医学教育の基礎を築きました。自身が創設にかかわったジョンズ・ホプキンス大学では,それまでの講義中心のドイツ的医学教育に代わり,病棟や外来での体験実習を重んじました。「学生は患者とともに学習を始め,患者とともに学習を続け,患者とともにその学習を終える。その間,書物や講義は道具として用いられ,目的を達成する手段にすぎない」とオスラーは述べています。次の言葉も有名です。「患者を診ずに本だけで勉強するのは,まったく航海に出ないに等しいと言えるが,半面,本を読まずに疾病の現象を学ぶのは,海図を持たずに航海するに等しい」。つまり,教科書を読むときも,常に臨床を念頭に置くことが重要なのです。

 医学生対象の講演の中で述べた次の言葉は,ぜひ覚えておいてください。

 "The Practice of medicine is an art, not a trade; a calling, not a business; a calling in which your heart will be exercised equally with your head.――医療とは,ただの手仕事ではなくアート(技術)である。商売ではなく天職である。すなわち,頭と心を等しく働かさなければならない天職である"

 これに続けて,「諸君の仕事のゆうに3分の1は,専門書以外の範疇に入るものである」とも述べています。よい医師になるためには,医学の実地教育だけではなく,人文教育の修得も必要なのです。オスラーは医学生に対し,就寝前の30分間は必ず本を読むように勧め,「医学生のためのベッドサイド・ライブラリー」を挙げました。

オスラーによる「医学生のためのベッドサイド・ライブラリー」
(1)旧約・新約聖書
(2)シェイクスピア
(3)モンテーニュ『エセー』
(4)プルターク『英雄伝』『倫理論集』
(5)マルクス・アウレリウス『自省録』
(6)エピクテトス『要録』
(7)トマス・ブラウン『医師の信仰・壺葬論』
(8)セルバンテス『ドン・キホーテ』
(9)エマソン『エマソン選集』
(10)オリバー・ウェンデル・ホームズ『朝の食卓』シリーズ


人生の四季に生きる (岩波現代文庫)
20170718
文庫: 193ページ
出版社: 岩波書店 (2008/1/16)

追記 マエストロOZAWAも・・・
「日野原氏は命を大事に考えた」 小澤征爾さんがコメント
2017年7月21日 中日新聞デジタル
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017072101001110.html

 18日に105歳で死去した東京・聖路加国際病院の名誉院長日野原重明さんと親交のあった指揮者の小澤征爾さん(81)が21日、「細かいところまで人の命を大事に考えた方でした」などとする追悼コメントを発表した。

 小澤さんは、自身の母が聖路加国際病院に転院する手続きを日野原さんがしてくれたことなどを明かし、「生きている喜びを死ぬまで味わう、そういった姿勢を持っていました。音楽に対する愛情、尊敬も強い方でした。素晴らしい人柄でした」と故人をしのんだ。(共同)


追記 やはり、そうであった!
10日前に「絶筆」コラム 日野原さん、「遺言メッセージ」
2017/7/18 J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2017/07/18303435.html?p=all

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、数多くのエッセイでも知られたが、105歳で大往生する10日前の2017年7月8日付け朝日新聞(be土曜版)に、事実上の「絶筆」コラムを書き残していた。

 カナダ生まれの医師、ウィリアム・オスラー(1849~1919)に触れた一文で、彼を「師」と仰ぎ、「その背を追って」きたと自身の人生を振り返り、医療におけるヒューマニズムの大切さを訴えていた。

■「全人医療」を訴える
 オスラー博士はカナダ、米国、英国の医学の発展に多大な貢献をして、医学教育にも熱意を傾け、今日の医学教育の基礎を築いた医学者として知られる。

 日野原さんが朝日新聞で長年連載していた「私の証 あるがまゝ行く」というコラムによると、戦後、聖路加病院は接収され、米軍の陸軍病院となった。その結果、海外情報に触れる機会が増え、米軍医を通して念願のオスラーの講演集を入手。「衝撃と感動をもって読み」、「臨床医に必要なもの、私が生涯をかけて追うべき医師の姿はこれだと確信」。48年には『アメリカ医学の開拓者、オスラー博士の生涯』を翻訳出版した。

 その後も海外でオスラーを敬愛する「オスレリアン」と交流し、83年には日本オスラー協会を発足させるなどその思想の普及に尽くした。「私が生涯をかけた活動の一つであり、充実した道程だったと満足しています」と振り返り、「医学にヒューマニズムを取り戻し、患者を全人的にとらえようとしたオスラーの理念は『全人医療』という言葉とともに、これからも確実に日本社会に根を張っていくことでしょう」と結んでいた。(抜粋)

参考 コラム全文
(105歳 私の証・あるがまま行く)
オスラーの歩んだ道、その背を追って 日野原重明
2017年7月8日 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/be/hinoharashigeaki/

 私はこれまでの生涯を通して、カナダ生まれの医師ウィリアム・オスラー(1849~1919)を師と仰いできました。私が内科医として勤務していた聖路加国際病院は戦後、GHQに接収され、米国陸軍第42病院となりました。立派な医学図書館が備えられ、戦争によって長い間、海外の医学情報から遮断されていた私たち医ログイン前の続き師にとって、そこは宝の山のようでした。医学書や医学雑誌に記された臨床医学のレベルは高く、教育システムは合理的、人道的でした。むさぼるように読む中で、幾度となく出あったのがオスラーの名前でした。

 その頃、幣原喜重郎首相が肺炎になられ、ペニシリンをGHQから入手し、私が往診することになりました。ジープで同行した米軍医に「オスラー博士の書いた本があれば読みたい」と頼むと、病院長のバワーズ大佐に伝えてくれ、後日、ラテン語で「平静の心」を意味する『Aequanimitas』と題したオスラーの講演集が届きました。私は衝撃と感動をもってそれを読みました。臨床医に必要なもの、私が生涯をかけて追うべき医師の姿はこれだと確信したのです。そして1948年、わずか千部でしたが『アメリカ医学の開拓者 オスラー博士の生涯』を出版しました。83年には念願かなって、当時の聖路加看護大学で英語を教えていた仁木久恵教授と共に『平静の心 オスラー博士講演集』を翻訳出版、93年には評伝『医の道を求めて ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』を出版するに至りました。

 海外でオスラーを敬愛する大勢の医学者たち、「オスレリアン」とも交流し、日本でも83年に日本オスラー協会を発足させ、英米から講師を招いて、思想の普及に尽力してきました。

 昨年9月、私が長年、会長および理事長を務めた日本オスラー協会は、総会において、会員の高齢化などの諸事情のために活動を続けていくことは困難だと決議され、33年間の活動に終止符が打たれました。私が生涯をかけた活動の一つであり、充実した道程だったと満足しています。医学にヒューマニズムを取り戻し、患者を全人的にとらえようとしたオスラーの理念は、「全人医療」という言葉とともに、これからも確実に日本社会に根を張っていくことでしょう。(聖路加国際病院名誉院長)

お助けください(マルコによる福音書5・25-34)

信仰について正しい教理を求め、それに従うのが信仰だと考える立場から言えば、彼女のはとても信仰と言える代物ではありません。彼女にあるのは、「助けてください」という一念だけ、それ以外は何もありません。しかし、信仰とは本来、この何もないということなのです。善も、愛も、正しさも、信仰すらもなく、「お助けください」の一念だけがあることなのです。

※以下に傍点付記
 〈何もない〉 
 
藤木正三『この光にふれたら』125頁

† 締めくくりの話は「信仰」についてである。ただ、ご注意頂きたいことは、ここに記されていることは誤解を受けやすい内容もあるため同意されない場合もあろう。正統的な信仰を持っていると自負されているならば異論があるに違いない。ただ、もう少し信仰の原点に立ち返って読んでみるのもよいのではないだろうか。長血を患った女がイエスに触れるだけで良くなると思い、その「一念」で触れて治ったという聖書記事である。藤木師は、そのご利益的、呪術的なものをイエスは立派な信仰とみなしたとされる。その「一念」において、神は聞き届けくださり治されたということである。

‡ 上記に書かれているように「善も、愛も、正しさも、信仰すらもなく」という態度であっても、その「一念」が彼女をして信仰者と見做したという驚きがあります。本書では、様々な信仰上の論点について記さています。それには愛や生き方を問うものも含まれていました。しかし最後に藤木師が言われる「救い」とは本人と神さまとの問題であるということなのです。なぜなら人間を心根から見据えて判断することは人間にはできないからです。いくら立派な信仰者と言われても、教えられたことを完璧までに果たしても、それで「救い」が約束されるわけではないからです。この「一念」こそ、最後の神秘かもしれません。どちらにしても被造物たるものはイノチの自覚を目指すべきでしょう。救われることも、それは「御心のままに」でありましょう。(了)


以上、藤木正三『この光にふれたら』にふれてみた想いを記しました。
非常に易しい言葉で書かれていますが、吟味すれば多くの深い内容に想いが至ります。
多くの方々が、さらに他の藤木正三師の著作に親しんで頂きたく願うものです。

† 内閣支持率だが各社世論調査の結果が都議会議員選挙の結果を受け出てきている。あれほど強固であった支持率だが軒並みの低落である。どんなに不祥事、失言があっても何ら動じることなく、知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。識者からは戦後最低レベルの内閣と言われている。それも相次ぐ閣僚の失言に加えて、秘書に対する女性議員の暴言と都議会議員選挙前にもスキャンダルな話題が絶え間なく続いた。それに対して官邸サイドは国民は馬鹿なのですぐに忘れると、いつものように考えていたことだろう。その風向きが変わったのは、有権者の半分たる女性の支持率の変化だ。女性閣僚や女性議員のわがままを、同性として許せないという女性心理がある。女性は男性よりも直感的に行動する。

‡ 一方で、同時にアメリカ大統領の支持率調査も発表された。米ABC等は日本の内閣支持率とほぼ同じ36%と発表した。さっそくトランプ大統領はツイッターに強気の書き込みをしている。それは日本よりも国民の分断が激しく、確固とした大統領支持者だけを固めているだけでいいという判断がある。そして日米のどちらにも奥の手がある。つまり対外的な不安を煽るという常套手段である。日本も北朝鮮ミサイルや中国人権活動作家の抑圧を大きく報道している。ただ、どこの国でも権力は何でもすることを忘れてはならない。すでに出来上がった法制度の運用次第で人権を制限することは十分可能になった。国民に人権があるからいけないと公言する与党議員がいる時代に入ってしまった。この内閣支持率低落傾向がどう推移するのか、それは国民がきちんと政治を含めた世界の流れを見極めるかであろう。

参照  ターニングポイントに
内閣支持35%、不支持53%と逆転 全国世論調査
2017年7月17日 中日新聞デジタル
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017071702000063.html

 共同通信社が十五、十六両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は続落し、前回六月より9・1ポイント減の35・8%となった。調査手法が異なるので単純比較はできないが、二〇一二年の第二次安倍政権発足後で最低を記録した。不支持率は10・0ポイント増で最も高い53・1%。支持と不支持が逆転した。安倍晋三首相の下での憲法改正に54・8%が反対し、賛成は32・6%だった。

 これまでの最低支持率は、一五年七月に安全保障関連法が衆院通過した直後の37・7%。不支持率もこのときの51・6%が最高だった。

 学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画を巡り、行政がゆがめられたことはないとする政府側の説明に「納得できない」との回答が77・8%に達し、「納得できる」15・4%を大きく上回った。首相の友人が理事長を務める学園による、国家戦略特区制度を活用した獣医学部新設を62・4%が「問題だと思う」とし、「問題だと思わない」は29・2%だった。

 東京都議選の応援で問題発言をした稲田朋美防衛相を続投させる首相の姿勢について「適切ではない」73・1%に対し、「適切だ」は21・8%だった。71・8%が、稲田氏は辞任すべきだとした。

 安倍内閣の不支持理由として「首相が信頼できない」が前回比9・7ポイント増の51・6%で最多だった。首相が八月早々に行う方針の内閣改造に「期待する」は41・0%にとどまり、「期待しない」が57・0%に上った。

 首相が二〇年に改正憲法施行を目指していることを踏まえ、秋の臨時国会に自民党の改憲案を「示す必要がある」としたのは61・7%で、「示す必要はない」は29・3%だった。
20170716
(図版:中日新聞)

就任半年トランプ大統領 支持率は36%と戦後最低
2017年7月17日 NHK

トランプ大統領が就任して20日で半年となるのにあわせてABCテレビと有力紙のワシントン・ポストが行った世論調査によりますと、大統領の支持率は、就任100日のことし4月に比べて6ポイント低い36%にとどまった一方、不支持率は5ポイント増えて58%を記録し、戦後の歴代大統領の中で支持率・不支持率ともに最も悪い結果となりました。

政策別では、トランプ大統領の外交交渉能力を信用すると答えたのは34%で、66%が信用しないと答えたほか、トランプ大統領が撤廃を目指す医療保険制度、オバマケアについて、50%が存続を支持し、与党・共和党の代替案を支持するのは24%にとどまりました。

ただ、ロシア疑惑をめぐっては、与党・共和党の支持者の間でトランプ陣営がロシアに協力したと答えたのは9%にとどまるなど党派で見方が大きく異なるほか、経済政策についてはトランプ大統領を支持すると答えた人が43%で、不支持をわずかながら上回りました。

これについてトランプ大統領はツイッターに、「この時期の支持率40%近くは悪くない。ABCとワシントン・ポストの世論調査は大統領選挙期間中、最も不正確だった」と書き込みました(抜粋)

信仰と愛(ヨハネによる福音書12・1-8)

信仰には今日しかありません。急いで主との関係を点検しましょう。そして、悔いるべきは今日悔い、感謝すべきは今日感謝しましょう。しかし、愛には明日があるのです。実行出来なくても、失望することはありません。気を取り直して次の日励みましょう。

藤木正三『この光にふれたら』121頁

† 本稿はいささか説明不足に感じる。それは紙面の制約があるからであろう。厳密には「信仰」が指すものについて詳しく語らないと「愛」との対比はできないであろう。それでも藤木師は誰も指摘しない「愛」の側面について記されている。この点だけでも十分に読むべき文章である。「愛」を最上位に挙げるキリスト者は多いであろう。ただ、その「愛」について私たちは十分に理解しているだろうか。それは欲望が名前を変えているだけかもしれない。そして不完全な人間には完全な「愛」が実現されることはないのである。

‡ 「隣人を愛するといっても、私たちは自分の力の及ぶ限りで、自分に可能な方法で、自分が気付いた範囲の人々に、自分がその気になった時に実行しているだけなのです。助けを求めている人がいるのにそれに気付かない場合はいくらでもありますし、気付いていても助ける気持ちも力も無い場合だって少なくありません。」(119頁)と限界を示しつつも、貧しい人々がいつもいるように、愛を発現できる次の機会があるだろうと藤木師は指摘する。それが人間の「愛」の形であるということだ。つまり人間の「愛」は時間的、空間的に幅や余裕を含んだ言動なのであり、最善を尽くす心掛けを忘れさえしなければ、それで十分であるということなのであろう。

①NHKラジオのネット配信「らじる★らじる」 http://www.nhk.or.jp/radio/
②民放ラジオのネット配信「radiko.jp」 http://radiko.jp/

† NHKラジオ第1・ラジオ深夜便リスナーならば承知されているだろうが、この6月から番組HPが新しくなったと同時に再配信サービスも大きく変更になった。ずばり言えば改悪そのものである。つまり再配信期間がずっと短縮されてしまい。従来ならば2ヶ月間、遡って聞くことができたのが1週間となってしまった。ただ、再配信の番組が増えてピックアップした特集番組だけをセレクトしていたのが、「23時台」「翌0時台」「1時台」「4時台」と増えたことは評価できる。ならば従来からやってきたように2ヶ月間聴取できるようにすれば良いだろうに。この番組のターゲットは高齢者である。何度も繰り返して聞きたいと思うだろう。人気が高いはずの3時台「にっぽんの歌こころの歌」の懐メロコーナーは外された。このコーナーに期待する高齢者は多いだろう。なぜなら、もはや懐メロ(特に戦中・戦後すぐ)の音源が放送にかかる機会は今やなくなってしまっているからだ。高齢者は、懐メロを聞くことで過去を思い出し回想する滅多にない機会を提供している意味は深いものである。是非、再放送の対象とすべきである。

‡ かなりマニアックな情報であるが、参照にあるように「NHKのラジオ番組をradikoで配信実験」の予定があり法律改正もする。この背景を推測すると、民放局は「radiko.jp」によってラジオ活用に先鞭をつけた感がある。地域の放送局が参加し(有料だが全国各地の民放局番組も)の放送・再放送が聞ける。それも手軽に分かりやすいアプリで1週間前までの放送を、ほとんど制約なく聞ける。一方で、NHK「らじる★らじる」だが、まずラジオ第1放送の場合、ピックアップした番組のほんの一部分だけ、アプリは生放送聴取を目的とし、再配信の場合は手間がかかる仕様となって使いづらいのだ。NHKと民放局では再放送に大きく利便性+内容に乖離がある。私は「radiko.jp」に大きく軍配を上げたい。もっと遡れば、当初はNHKと民放局は共通プラットフォームにしラジオ全体の底上げをすることでスタートしたが決裂し独自路線を歩んのだ。今回のNHK側が民放局「radiko.jp」に一時的にせよ参入することは、再び共通プラットフォームを狙う下地とも考えられる。明きらかに利便性の高く聞きやすい民放局を後追いするNHKの魂胆が透けて見える。NHKは昨今の政権寄りニュース報道のみならず、聴取者目線の欠けた放送局に堕しつつある。

参照
NHKのラジオ番組をradikoで配信実験 (5/26 ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/052601507/

 キャンペーンという実験的な取り組みだが、radikoがNHKのラジオ番組を配信する。2017年5月26日に開催された総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会」でNHKが報告した。

 NHKと日本民間放送連盟のラジオ委員会は2011年度から毎年度、共同でキャンペーンを実施してきた。「ラジオは災害時に有効な伝達手段であること、将来においても重要な放送メディアであること」をアピールするという趣旨での取り組みである。この一環で、2016年夏ごろからネット配信をテーマに両者で意見交換をしてきたという。

 この結果、2017年度の共同キャンペーンで、NHKのラジオ番組をradikoを通じて配信する方向で合意したと、NHKが報告した。実施期間や実施地域といった詳細は検討中である。

 NHKとしてこの配信実験を行うため、NHKのインターネットの実施基準の一部変更について総務省に認可申請を行った。NHKラジオのネット同時配信「らじる★らじる」については、継続して実施していく。

参考
ホームページリニューアルのおしらせ
2017年06月01日 NHKラジオ第1

6月1日、「ラジオ深夜便」のホームページが新しくなりました。

新しく始まった「聴き逃しサービス」では、放送終了後のインタビューや電話リポートなどを配信開始から1週間お聴きいただけます

日~木曜放送分の配信は、放送が終わった日の午後6時開始、金・土曜放送分は、月曜の午後6時開始を予定しておりますが、システムの都合などで配信が遅れる場合がありますことをあらかじめご了承ください。

2時台「ロマンチックコンサート」と3時台「にっぽんの歌こころの歌」は、聞き逃し配信をしていませんが、放送した曲は「曲目リスト」でご案内しています。


ラジオ深夜便 聴き逃しサービス(NHKラジオ第1)
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/kikinogashi.html


関連 インターネット業務は「放送の補完」とNHKの肥大化をけん制・・・
NHKネット配信
「本来業務」に違和感 TBS社長苦言(7/5毎日新聞デジタル)
https://mainichi.jp/articles/20170706/k00/00m/040/074000c

人を裁くな(マタイによる福音書7・1-5)

裁くということは、隠れたところを丁寧に見ない人のすることです。もし裁くべきことが人にあるなら、まず自分を丁寧に見ましょう。そして、自分の誤りの方が人の誤りよりも大きく見えるまでに丁寧に自分を見た時、ひょっとすると、裁くことは偽善でないものとして許されるかもしれません。

藤木正三『この光にふれたら』116頁

† 罪を憎んで人を憎まずとなかなか言えない私たちです。人を裁くことは内心でよくすることですし公にすることがなければ自由かもしれません。それは相手を決めつける間違いを犯すこと以上に、神さまの領分を侵すことにもなるということです。つまり神さまの目を自分が持ってしまうこと、つまり自分を棚に上げることになるのです。自分が神ならばそれもいいでしょうが、それができる弁えがあるはずがありません。自分の理屈として、筋がどれほど通った正しいことであってもです。

‡ それ以上に大切なことは藤木師の指摘にあるように、自分を見つめることが先行するという態度です。聖書には「姦通の女」(ヨハネによる福音書8・3-11)の記事があります。その時のイエスの態度こそ、裁くことの本旨なのでしょう。『しかし、そうでなければ黙っていましょう。「あなたの父」自身が、彼に働いてくださいます。』(116頁)の結論に至るでしょう。どれほど理不尽なことがあっても、それを客観視でき、しかも天に任せる態度こそ究極的な生き方です。その修業をしましょう。


蛇足 「丁寧」と自己欺瞞的「丁寧」、そして人としての品格
中日春秋(7/11中日新聞デジタル・朝刊コラム)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2017071102000105.html

 「丁寧(ていねい)」とは、どんな形のものか。なぞなぞではない。古代中国の軍では、将兵に警戒を促す時、銅鑼(どら)に似た楽器を打ち鳴らした。この楽器の名が、「丁寧」。要するに警鐘であり、それが転じて「注意深く、念入りであること」の意味になったという

▼首相の耳にも「丁寧」の音は届いているのだろう。教育行政をめぐる疑惑が次々浮上し、あれほど高止まりしていた内閣の支持率は急落し、都議選でも自民党は歴史的な大敗を喫した

▼そんな警鐘にあわてたのか、強気の首相も「身を引き締め謙虚に、丁寧に、やるべきことはしっかりと前に進めていかなければ」と語り、自民党も加計学園をめぐる疑念を払拭(ふっしょく)するため、国会の閉会中審査に応じた

▼きのう、前川喜平・前文科次官は国会で「規制緩和プロセスに非常に不公平、不透明な部分がある」「無理が通れば道理が引っ込むという感覚を文科省の職員は持っていた」と証言した

▼だが、その場には前川氏とともに真相を語るべき人の姿はなかった。文科省出身で昨秋まで内閣官房参与を務めていた加計学園の理事。前川氏に「総理が自分の口で言えないから私が代わって…」と発言したとされる首相補佐官。いずれも、自民党が参考人招致を拒んだという

▼政治と行政のゆがみに注意を促す警鐘の響きは高まるばかり。安倍首相の言う「丁寧」とは、どんな形のものか。

20170714
(図版:東京新聞)

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