後は野となれPoohとなれ~今から、ひとりから~

たれプーさん♪の「適職・究極的生き方」備忘メモ

宗教の時間「終末からの光に照らされて」
2017年4月16日 NHKラジオ第二

キリスト教や生命倫理を教えてきた野村さんは、定年を迎えたばかりの1年前、突然進行がんを告げられた。終末に向かって生きる自分を実感した時に見えたいのちの世界とは。

野村祐之(青山学院大学・女子短期大学元講師)
【きき手】浅井靖子(NHKディレクター)

† 話の前半では、B型肝炎のため28年前に米国で肝臓移植を受けたこと。そして大学の定年を迎えた去年4月突然に大腸がんステージ4であり、8-10ヶ月余命で肝臓にも転移していると宣告された。生まれたからには死ななくてはならないと理屈としては分かっていたが想定外のことで混乱した。だが落ち着いて考えると、人生の終点駅を知らされ、その運転席に座らされた気持ちにある。人間の最期は暗いという思いがあった。ただ終着点から光が照らされているように今は感じている。今は終着点に到着するということに目が行き、残りの時間という感じはない。時間は長さでなく深さの問題として感じていると語った。後半では新約聖書の中の「命」、ギリシャ語プシュケー、ビオス、ゾーエーにおける違いから、イノチの根源を知ることについて語った。なおギリシャ語の「命」の違いについては調べればネット上で参考になるものを見つけられる。

‡ 野村祐之先生との縁は長くなった。28年前の肝臓移植を扱ったNHKドキュメンタリーを見ていた。そしてイェール大学神学部でのヘンリ・ナウエン教授との付き合いから『砂漠の知恵―砂漠の師父母の言行録』(2003教文館)を訳出されている。その時はナウエンが脚光を浴びつつあった。この二つことが同じ人であることを直感し私は関係者につながりを紹介した。その後の活躍は知るすべもなかったが、青山学院の講師を退任された直後にガン宣告を受け、もう1年になるということだ。肝臓移植の際も、絶体絶命の事態を経ており、その後の人生もさまざまな疾病を共存していたということらしい。彼のように病気と関わることで考え生きる人生とは誰もが引き受けられることではないだろう。落ち着いた声で語られていたことが印象的なインタビューであった。また野村先生にはテレビ「こころの時代」に出演して頂きたいものである。

参照
野村祐之 プロフィール
 1947年東京生まれ。青山学院大学神学科、イェール大学神学大学院修了。
 ジュネーブの世界教会協議会勤務後、ニューヨーク東ハーレムの教会伝道師、米国初のホスピスでのボランティアなどを経験して帰国。
 90年にB型肝炎肝硬変のため、米国で肝臓移植(その全容は、「NHKスペシャル」で放映)、2000年に脳梗塞、04年に肝がんが見つかり再度の肝移植。
 

† 地方ニュースに福井県で新規漁業者の1年間育成プログラムに書かれていた。開設3年目を迎えて新入生4人が入校し主に現場研修しながら就業することになる。このような取り組みは農業では有名である。林業も含めて豊かな資源を有している日本である。ただ安い商品の輸入でもはや経営的には難しく、かつ後継者不足は共通する悩みであるようだ。このプログラムには150万円/年の支援金が拠出されている。また、このプログラムに先立つ短期研修というお試しコースもある。現在、団塊の世代リタイアと少子化で就業人口が減っており、どの分野においても人手不足がある。つまり選り好みできる環境であり、勢いキツイ労働は敬遠される。また外国人労働者を着実に増やしている。

‡ 私は自然を賛美するメンタリティーがなく、農業特有な濃密な人間関係が体質に合わないので関心がなかった。兼業農家をしていた亡父だったが農業の何も引き継ぐことはなかった。あくまでも遊びの一部で農作業を見ていただけである。今思えば農業にある知恵を学んでおくことも必要だった。スーパーに行けば何でも購入できるのだが、そこに並べられるまでの苦労を知らないことは悔しいことだ。工場で野菜生育や養殖は可能かもしれないが、何かが失われていくような気持ちが強い。台風の影響で収穫不足のジャガイモが最近話題である。昨年、鴨長明『方丈記』をじっくりと読んだが、天災に人間は為す術がない。国政が滞る時に決まって災難は降りかかるというが一抹の不安を感じている。国を支える第一次産業をバックアップすることなしに国の繁栄はないであろう。

参照
ふくい水産カレッジ (福井県漁連) http://jf-fukui.a.la9.jp/college/

 対象者 本県で漁業、養殖業に新たに就業を希望する者
 コース・定員 漁船漁業:2名、海女:2名、養殖:2名 計6名
 実施主体 福井県新規漁業就業者支援協議会

 研修期間 1年間(養殖のみ最長3年間)
 研修内容 【座学研修】時間:計48時間/年 【漁業実習】時間:計1,200時間/年
 研修後 研修先漁協管内で就業

 
漁師 .jp http://www.ryoushi.jp/
一般社団法人 全国漁業就業者確保育成センター http://shuugyousha.org/

† ブックオフの業績不振という記事がネットニュースに出た。『ブックオフ業績不振に苦しむ 書籍以外の商材拡大は進むか』(4/13THE PAGE)に寄せられたネット民の反応を読んでいると、それぞれに思いがあるようである。ポイント還元率が悪くなり最低価格も上がってきた昨今のブックオフだ。個人的には、もう行くことが極端に少なくなった理由は出版不況と関連していると感じている。読むに値する本が少なくなった。また店舗で転売するためにスマホをかざしている客(背取り)が増えたことも本好きにはさみしい光景に見えた。彼らには本よりも商品という意識なのだろう。

‡ それでも他人がお金を出して買った本、買った人は何のために買ったのだろうという好奇心が湧く。そして売った理由を考えることも楽しい。地域の文化度を測るバロメーターとして中古市場は興味深い。各地のブックオフに行ったが地域の実情を反映していることには間違いない。欲しい本はブックオフにはないと諦めているが、ひょっとして関心のない分野の本との出会いがあるのではないかという淡い期待もある。高齢者が随分と目につくようになったのも最近の傾向である。行き場のない人が時間つぶしに来店しているようだ。どちらにしても店舗を構えて従業員を雇用していることが経営の負担であることは間違いない。ますます無店舗・倉庫業者にシフトしていくと私は考えている。

† 目に見えて老人が多く感じられるようになってきた。それは過疎地域の田舎のことではなくなった。いわゆる団塊の世代がどっと流れ込んでくることで一気に明らかになる。それがもう数年先という現実なのだ。一方で少子化は依然として続き、歪な人口ピラミッドとなってしまった。気になるのは介護や医療資源の不足である。分かっていたのに準備をしてこなかったニッポンであり、悲劇的な事柄が当たり前となることだろう。過去には姥捨て伝説があり、口減らしのために老人や嬰児が始末された時代もあったニッポンである。

‡ そして大事なことは、老後といわれる生活でのあり方である。すでにシニア世代に対して旅行・趣味を売り込む商売が目立ってきている。あいかわらず詐欺が多発し被害が後を絶たない。恐らく人類史上、このような社会を続けた経験はないであろう。その意味でニッポンは世界の未来図である。これもよく考えたら戦争の遺産でもある。多くの若ものの命を奪った戦争の反動、戦後の復興で起きたベビーブーム。ニッポンは豊かになったというが、それは本当なのだろうかと考える。老人をめぐっては高齢者、シニアと言い直し、今では高齢者もさらに細分化(准高齢者・高齢者・超高齢者)して考えつつある程である。社会保障が大きく削られているなかで長生きできるのが幸福なのかは判断しにくいことだ。長生き人生が尊重されるには、その存在が意味あるものであることが重要であろう。

参照
老年学会
高齢者は「75歳以上」に 若返りの現実考慮(1/5毎日新聞デジタル)
http://mainichi.jp/articles/20170106/k00/00m/040/122000c

 日本老年学会などは5日、医療や介護などで「65歳以上」とされている高齢者の定義を「75歳以上」に見直すべきだとする提言を発表した。健康に関するデータの分析から、医療の進歩や生活環境、栄養状態の改善などで、65歳以上の体の状態や知的機能は10~20年前と比べ5~10歳ほど若返っていると考えられるという。

 同学会は、65~74歳を健康で活力がある人が多い「准高齢者」と定義し、仕事やボランティアなどの社会活動への参加を促すよう求めた。75~89歳は「高齢者」、90歳以上は「超高齢者」と位置づけた。

 65歳以上の心身に関する各データを同学会が解析したところ、要介護認定率や脳卒中死亡率などは年々低下し、身体の動きや知的機能は上昇が見られた。2014年度の内閣府意識調査で、高齢者を男性が70歳以上、女性は75歳以上とする回答が最多だった点も勘案した。一方で、提言を社会保障制度に直接結びつける議論は慎重にするよう訴えた。(抜粋)
20170409
20170411

(図版:毎日新聞)

† 千葉県佐倉市のキリスト教会で起きた監禁傷害事件だが記憶に新しい。その被告の判決公判で『「動機は自己中心的で稚拙。傍若無人な犯行だ」として、懲役5年(求刑・懲役8年)の判決を言い渡した。高木裁判長は、被告は女性から受けていたカウンセリングが打ち切られることなどに腹を立てて犯行に及んだ、と指摘した。』(2/27毎日新聞デジタル)とされた。逮捕から地元紙では裁判経過を取りあげていた。詳細は参照の記事で背景が分かり概要が薄っすらと伝わってくる。容疑者は家庭内暴力も繰り返し家族は別に家を借りて暮らしていた。

‡ 被告も被告家族もキリスト教とは一切関係ない。ただ悩み事相談ということで教会のカウンセリングに行き着いた。容疑者に同情すべきことは何もない。思うことは、この被害にあった女性役員がカウンセリング上、当然に起きる事柄に対して配慮が足りなかった面がある。過度に依存させない塩梅と信頼関係を作るということが宗教組織がらみと医療的なアプローチは違うことがあるのかもしれない。宗教が本来性から悩み苦しみに向き合うことは当然のことだ。ただ、その限界を知らないといけないだろう。単に「神の愛」だけではダメなのだ。被告のような難しいタイプを社会としてどのように処していくのか、非常にシンボル的な事案だけにもっと掘り下げるれば議論が深まるだろう。今から考えると男性牧師が途中から対応すべきだったのではないだろうか。

参照
執拗な暴行、懲役5年 教会立てこもり千葉地裁判決 「主要因は自己中心的思考や甘え」
 (2017/2/28千葉日報デジタル)
http://www.chibanippo.co.jp/news/national/390128

 昨年2月に発生した千葉県佐倉市の教会「佐倉王子台チャペル」の立てこもり事件で、監禁と傷害、銃刀法違反の罪に問われた佐倉市新臼井田、無職、小田部大輔被告(37)の判決公判が27日、千葉地裁で開かれ、高木順子裁判長は「約8時間にもわたり監禁し、断続的かつ執拗(しつよう)な暴行を繰り返した」などとして、小田部被告に懲役5年(求刑・同8年)を言い渡した。

 判決で高木裁判長は、小田部被告について「4年弱の間、女性役員(52)からカウンセリングを受ける中、次第に女性に対し精神的に過度に依存し、時には母親、時には恋人というゆがんだ感情を抱いた。意に沿わないことがあると女性に八つ当たりして精神的な安定を得ていた」と指摘。教会立てこもり事件のきっかけは、昨年1月の女性に対する傷害事件とし「教会長老男性(77)や父親(75)の介入により、女性との関係が壊されることを恐れて怒りを爆発させた。犯行動機は自己中心的で稚拙」と指弾した。

 量刑理由で高木裁判長は「女性を約8時間にもわたり礼拝堂に監禁し、警察官が突入せざるを得ない状況をつくるなど、一般社会の平穏を乱した」とした上で「女性は監禁されている間、なすすべもなく、一人暴力と痛みに耐え、死をも覚悟した。その恐怖や苦痛は計り知れない」と判示。

 小田部被告の精神状態については「ストレス耐性が低く、不安定で突発的な行動に出やすい」とし「教会関係者の善意の関与がさらに小田部被告を不安定にして事件に追い込んだ面も否定し難いが、主要因は小田部被告の自己中心的な思考や周囲への甘え」と述べた。

 判決によると、小田部被告は昨年1月5日午後3時ごろ、小田部被告の自宅で、カウンセリングを担当していた女性役員に殴る蹴るの暴行を加えて肋骨(ろっこつ)骨折など全治約6週間の重傷を負わせた。同年2月18日午後8時半ごろ、教会内で教会の長老男性の頭を木製バットで殴り打撲など全治約14日間のけがを負わせ、止めに入った父親もバットで殴り右腕骨折など全治約8週間のけがを負わせた。

 同50分ごろ女性を教会に監禁しようと、ナイフ2本で威嚇して正面玄関の扉を内側から施錠して翌19日午前4時55分ごろまで不法に監禁し、この間、女性の右肩をナイフで、足を鉛筆で突き刺し、エレキベースやアコースティックギターで暴行。馬乗りになって果物ナイフで切り付けるなどして全治約3カ月のけがを負わせた。

 「恐れず人を信じて」 被害女性、被告の更生願う 佐倉・教会立てこもり1年
(2017/2/28千葉日報デジタル)
http://www.chibanippo.co.jp/news/national/387753

 「彼は33歳で教会に来た。やっと希望が見えた場所だったんだと思う」

 当時は小田部被告以外にもカウンセリングで30人以上と関わり「常に誰かのことを考えていた」。専門家によるカウンセリングで解決できなかった人たちが女性の下を訪れた。教会が最後のセーフティーネットとなり、教科書通りではないカウンセリングを続けてきたという。

 「最初から被害者というより加害者という気持ちだった。彼との関わりは失敗だった。自分1人でやってきてしまった。チームでスクラムを組み、居場所づくりができていれば」と悔やむ一方で「専門家と苦しむ人との間をつなぐもう1人の存在“通訳”が必要」とも話す。

「殺すつもりだった」 被告・事件後、射殺も覚悟 佐倉立てこもり公判
(2016/12/6千葉日報デジタル)
 http://www.chibanippo.co.jp/news/national/370038

 小田部被告は16歳ごろから26歳ごろまでの間に大麻を、16~17歳ごろには覚醒剤を使用し「大麻精神病だった。家族とも大麻がきっかけで離れ離れになった」。もともとキリスト教徒ではなかったが、「病気と家族の悩みがあった」という小田部被告は2012年1月ごろ、教会の掲示板を見てチャペルの門をたたいた。教会で女性(52)のカウンセリングを受け「思い悩んでいたこともなくなった」と振り返ったが、「教会の方々が親切にしてくれたが、それが嫌になって女性に相談した」と、今年1月の女性への傷害事件のきっかけを話した。

† 亡父に付き添って受診し院外薬局で処方薬を長い期間、受け取っていた。院外薬局が推奨され始めた頃からで手早くなって薬剤師が説明もしてくれた。後日、その薬局チェーンの別の店が処方薬を間違えて患者に手渡していたことが発覚し地元新聞で大きく報道された。それを見て、数多ある処方薬でミスが起きる確率は少ないことを改めて感じた。さてWHOの試算では投薬ミスによる損害が4.7兆円という。記事では詳細は分からないが処方ミスや服用のミスによって、さらに症状が悪化し医療費が有効に使われていないということなのであろうか!?

‡ さらに深刻なことは意図的に必要ない薬を投与されているということだろう。飲みきれない程の薬を平気で処方する医師たちのメンタリティーは単に儲かるからか、彼らに薬剤の深い知識がないためであろう。もし多剤の副作用がきちんと認識されていたら、どれほど患者が助かることだろうか。4/11患者のカルテを無断で製薬会社社員に閲覧させた事件では、バイエル製薬からの接待や便宜を平然としゃべる医師がいるくらいであるから開いた口が塞がらない。私たちは知らないところで彼らの餌食にされて、必要ない薬を飲まされ続けている可能性があると思うと恐ろしい。「医は仁術なり」でなく「医は算術なり」、何か勘違いしていませんか!

参照
投薬ミスの損害4兆円超 WHO、5年で半減目指す(3/30中日新聞デジタル)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017033001000625.html

 世界保健機関(WHO)は29日、投薬ミスによる損害が世界で年間420億ドル(約4兆7千億円)に上るとの試算を明らかにし、今後5年間で全ての国で投薬ミスによる損害を半減させる取り組みを開始したと発表した。

 WHOは薬の処方や服用のミスに伴う損害は各国で報告されていると指摘し、米国だけでも年間130万人が被害に遭っていると説明。世界の損害額は医療費の1%に当たるとみられるという。

 ミスは医療従事者の疲労やスタッフ不足、訓練の不十分、さらに患者の知識不足などが原因で、いずれも防止可能と強調した。【ジュネーブ共同】

高齢者の適正な薬服用へ指針 飲み合わせと副作用調査、厚労省(4/7中日新聞デジタル)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017041701001832.html
 
 厚生労働省は17日、何種類もの薬を併せて飲むことでトラブルが起きやすい高齢者について、適正な服用につなげるため、医師や薬剤師などによる対策会議の初会合を開催した。高齢者の薬の飲み合わせや副作用の実態を調査し、専門分野以外の医療現場でも適切に薬を処方できる指針づくりを目指す。

 会合では、二つの持病を抱える高齢者には平均約6種類の薬が処方されているという調査結果が報告された。委員の秋下雅弘東京大教授(加齢医学)は、薬が6種類以上になると副作用が明らかに増え、転倒などにより要介護と認定されるリスクが2・4倍高まると説明した。(共同)

カルテ無断閲覧させた医師、クラブ・料亭での接待の実態(4/12TBSテレビ)

 製薬業界に「MR(エムアール=医療情報担当者)」という言葉があります。バイエル薬品が患者に無断でカルテを閲覧していた問題で、このMRが重要な役割を果たしていました。カルテを見せた医師に対するクラブ・料亭での接待の実態を、MR本人が告白しました。

 「接待が大好きな先生で、高級店にしか行かなかった」(内部告発した現役社員)
 
 こう証言するのは、バイエル薬品の営業担当だった現役社員。医師に医薬品の売り込みを図る営業社員はMR=医療情報担当者とも呼ばれます。この社員を含む複数のバイエル薬品の社員が宮崎県の開業医に依頼し、およそ200人分のカルテを患者に無断で閲覧していた問題。その後の取材で、バイエル薬品は、この開業医をクラブや料亭でたびたび接待していたことが分かりました。
 
 「製薬会社と持ちつ持たれつの関係にある先生の1人。メシを食ったり飲んだりして、その後はクラブに行く。必ずタクシーで来る、会社が用意したチケットで」(内部告発した現役社員)
 
 開業医は取材に対し、接待を受けた事実を認めたうえで「自分から要求したことはないし、バイエル薬品からの接待が特に高額だとか、回数が多いということもない」と回答しました。(抜粋)

追記 昨年7月末、同社の社員からの内部告発を受け厚労省は事態を把握
カルテ閲覧「バイエル社が論文代筆」告発社員の弁護士(4/19、毎日新聞デジタル)
https://mainichi.jp/articles/20170420/k00/00m/040/071000c

† 指揮者アントン・ナヌートは今年1月に亡くなった。晩年に日本でも紀尾井シンフォニエッタを指揮されたCDが発売されたりしたので知っている人は知っているだろう。だが、それ以前には彼のCDはバッタ物廉価CDシリーズに登場する謎の指揮者と見做された時期もある。これは特に東西冷戦が崩れた1990年代前後の東欧の混乱とも関連する。その時期は東欧のオーケストラは食べるために、いろいろな仕事を外注して安い経費で請け負った時期でもあったろう。日本も国内オーケストラを使って録音するよりも格安でCD制作できるとあって東欧のオーケストラは重宝された。彼らは決して下手ではないし、西欧音楽の伝統と共産主義の影響下できちんとした音楽教育を受けている。貧しくとも音楽家としての自負があるだろう。

‡ アントン・ナヌートを知ったのは廉価CDシリーズでベートーヴェンの交響曲第5番「運命」である。この名曲で数多ある名演奏も幾つも聴いてきた。そこに無名の指揮者・演奏団体であった演奏で半ば気楽な気持ちで聴き始めたところ、これが実に良いのである。例えばカルロス・クライバーやフルトベングラーなども最上であろうが、繰り返し聴くのは手軽であっても聴いた感が残る演奏CDが欲しいという願いに叶った訳だ。クラシック音楽は、あまりに高尚さを求めるとスピーカーの前で居住まいを正して聴く羽目に陥る。ただいつもいつもそんな気持ちになる訳ではない。気楽に楽しみたいのが日常である。しかしつまらない演奏は聴くだけ損であるとも思うのである。そのアントン・ナヌート指揮するCDが少しまとまって入手できた。すべてバッタ物廉価CDであるがもう入手困難品である。超一流オーケストラではないが素朴で真摯な演奏も多いのだ。そこを聴き分ける感性でありたい。訃報も大手マスコミでは一切報じられなかった。合掌

参照 プロフィール
アントン・ナヌートさん死去 (HMV)
http://www.hmv.co.jp/news/article/1701150011/

(2017年)1月13日、指揮者のアントン・ナヌートさんが亡くなられました。ナヌートさんは長くスロヴェニアを拠点に活動、約200とも言われるオーケストラに客演する一方、スロヴェニア放送響などと約150タイトルに及ぶ録音をおこない、2009年と2013年には紀尾井シンフォニエッタ東京に客演して来日も果たし、その巨匠ぶりで多くの人を魅了してもいました。

アントン・ナヌート Anton Nanut (EXTON)
http://www.octavia.co.jp/shop/exton/001156.html

† まだ街に本屋がたくさんあった時代には立ち寄ることが多かった。小じんまりした店もあったし個性的な演出をしたいという思いがそれぞれにあったのだろう。その中でも無料で付けてくれるブックカバーの思い出がある。その紙の折り方が独特な店があった。男性店長一人だけの小さな店で詳細は覚えていない。通常は単に紙を折り曲げてだけなのが、その店は開くと自然に四隅が締まる独特な折り方をしてあった。その店以外では見たことはそれから一度もない。

‡ 学生時代の帰宅途中に一日の緊張感から解き放たれ何となく本屋に立ち寄って本を眺めている時間が貴重であった。特に本好きでもなかったが大人びた気分にもなったし、お金を出してモノを買うという行為も大事である。社会生活を送る上で、いろいろと学んだのが本屋だった。その本屋も多くが姿を消した。懐かしくさみしいものである。近所にある本屋も一つずつ減っていった。ブックオフが代わりを務められるとも思えない。知識は人を豊かにしてくれる。貧困が蔓延する中でスマホ代を確保しても書籍代は削られるのが現代なのであろう。あゝ。

参照
夕歩道(2/27中日新聞デジタル・夕刊コラム)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/yuhodo/CK2017022702000258.html

 その昔、本との出合いは偶然だった。学校帰り、立ち寄る書店の本棚は峡谷の巨壁のようにそそり立ち、谷間をしばしさまよいながら、背表紙が発する声に耳を傾けた。そんな時間が好きだった。(抜粋)

† CBCラジオ「キリストへの時間」、日曜日の朝に放送されている長寿番組である。もう随分と聞く機会はなくなっていたが、AMラジオがインターネットRadikoで聞けるようになり、また昨年10月11日から『タイムフリー聴取機能』を実装したために、過去1週間分の番組を遡って聞けるようになった。それで試しに聞いてみることにした。やはり時間に縛られずに便利である。そして調べてみたところ、参考にあるように各地に「キリストへの時間」があるようであるが根っこは同じであると分かった。やはり自主運営は大変であろう。

‡ 本題であるが、もはやAMラジオ放送を宣教に使うことに対しては内部でも議論がずっとある。それはインターネットの出現が大きい。一番の難題は費用増加である。以下にある会計報告を見れば、支出の大半が電波料つまり放送局に支払う費用で占められている。講師の交通費も手弁当が実情とあるという。この活動をずっと知っていたので、どのように費用を捻出していたのかが気になっていた。東海地方には金城学院、名古屋学院、岐阜済美学院というミッション・スクールがあり寄付も大きい。伝道放送が私にとってはキリスト教への接近の大きなきっかけとなったこともあり必要性を感じる。ただ時代に合わせていくことが必要があり、運営している人たちの高齢化が反映していると感じるからである。いつの時代にも悩み苦しみ救いの道を宗教に求めることは自然である。そのようなきっかけが幾つもあるといいだろう。

参照 ホームページなし
 
 CBCラジオ(AM1053MHz)「キリストへの時間」
 毎週日曜日 午前6:30~45分

「キリストへの時間」協力委員会報
 第67号2016年12月5日 PDF
 http://handa-church.com/wp-content/uploads/2016/12/6ba64dad6effd5dabb1df5f22fd85862.pdf
 
 第66号2016年7月5日 (年度会計報告含む) PDF
 http://handa-church.com/wp-content/uploads/2016/07/66.pdf

 第65号2015年12月5日
 「ラジオ放送による伝道のために」(田口博之・教団名古屋教会牧師)
 
 「キリストへの時間」は、米国南長老派ミッションの放送伝道事業として1952年10月に開始されました。最盛期には、中部日本放送(CBCラジオ)をキー局として国内6局、極東放送を通じてマニラと沖縄に、中南米在住の日本人に向けて「アンデスの声」という放送事業を展開していました。1967年には、南長老教会、日本基督改革派教会、日本基督教団の三者による「キリストへの時間」協力委員会が組織されます。・・・ミッションの資金援助が打ち切られた時に、放送を終了するという選択もありました。しかし、協力委員会は放送伝道の継続を決断しました。(抜粋)


参考① http://www.christ-hour.com/
 
 JOCRラジオ関西(AM 558KHz)「キリストへの時間」
 毎週日曜日 午前7:30~45分

 Q:誰が運営していますか?
 A:「キリストへの時間」は、日本キリスト改革派教会西部中会(関西・中国・九州地区の改革派教会の集まり)が運営しています。番組制作とこのサイトの管理は、西部中会ラジオ伝道委員会で行っております。

 Q:他地域の「キリストへの時間」との違いは?
 A:同じ名前で、違う番組がいくつかありますね。
 半世紀ほど前に始まった時には、アメリカの宣教師団(南長老教会ミッションのラジオ委員会)が運営をしていましたが、時の経過と共に財政が困難となり、分割運営することになったのです。
 現在、同じルーツの番組が、神戸、高知、愛知方面に残っています。それで番組名は一緒ですが、内容が異なっているのです。(抜粋)

参考② https://www.jesus-web.org/radioprg/prg_christ.htm
 
 RKC高知放送(AM 900KHz)「キリストへの時間」
 毎週日曜日 午前7:30~45分
 
 RNB南海放送(AM 1116KHz)「キリストへの時間」
 毎週日曜日 午前5:45~6:00

† 志村けんの十八番、「バカ殿様」。《ウィキペディア》を見ると放送開始は1986年4月とありもう30年を超えている。この間にテレビの自主規制でゴールデンタイムの裸が御法度になり、イジメを助長するような内容もNGであろう。それでも元気に放送されていることが不思議なくらいである。個人的には全く見ないけれどYoutube動画で断片を視聴すると、過去のお色気コントがいくつもアップされており再生回数は多い。志村けんについてはドリフ時代の芸、つまりみっちりと練習した上でアドリブのないコントを踏襲しており芸熱心である。本人は至って真面目であろう。だからこそ他人を笑わせることにこだわっている。

‡ さて日本には他にもバカ殿様がいらっしゃる。裸の王様を地で演じてご満悦なのが寒々と感じられる。志村けんのようにサービス精神や探究心はないようで、官僚の書いた文章をただ読むだけ。それでも漢字が読めないようで、云々(でんでん)殿様とも呼称されている。官僚には難しそうな全ての漢字にフリガナをつけるという不文律があるのであるが、それを忘れたらしい。志村けんのバカ殿様は愛嬌があって庶民的であるのに比べると、傲慢であり外交でなく外遊が得意である。庶民は殿様を選ぶことはできないので、せめて本業である子作りに没頭し政治・経済には口を挟まないことが寛容であろう。腰巾着のぐるりが脳なしであることもテレビコントとは大きく異なる。このような国に生まれると不幸は続く。

↑このページのトップヘ