竹久夢二22歳の読売新聞社員時代。
以下に、大洗町を訪れた紀行文と、それに添えられた大洗の松と海とのスケッチが掲載されています。
明治40年(1907)6月22日 読売新聞朝刊 3面
【涼しき土地(了)】
「▲大洗、朝、水戸公園の川岸より、大洗行の汽船に乗る。那珂川の流れにしたがひ、一時間ばかりにて、海門橋につく。
ここより汽船を上れば、右は祝町、左は平磯町なり。自分は橋の袂で、大洗へゆく途をきくと、「旦那、安く行きますぜ」と、すれたもの言ひでいふ、車には乗らずに、祝町を南へぬける、町の両側は、悉く妓楼と引手茶屋とで、充されてゐる。町はづれから、路が二つに分れる、左は磯づたひの砂路で、車は通らぬ、ここから車を雇ひ、森を一巡すれば大洗町なり。西は鹿島灘をうけ、東は岬をなして、ここに大洗神社あり。海浜に、魚来庵、小林楼、金波楼、大洗ホテル等あり。近年、東京より避暑に来るもの極めて多く、頗る俗地なり。」
以下に、大洗町を訪れた紀行文と、それに添えられた大洗の松と海とのスケッチが掲載されています。
明治40年(1907)6月22日 読売新聞朝刊 3面
【涼しき土地(了)】
「▲大洗、朝、水戸公園の川岸より、大洗行の汽船に乗る。那珂川の流れにしたがひ、一時間ばかりにて、海門橋につく。
ここより汽船を上れば、右は祝町、左は平磯町なり。自分は橋の袂で、大洗へゆく途をきくと、「旦那、安く行きますぜ」と、すれたもの言ひでいふ、車には乗らずに、祝町を南へぬける、町の両側は、悉く妓楼と引手茶屋とで、充されてゐる。町はづれから、路が二つに分れる、左は磯づたひの砂路で、車は通らぬ、ここから車を雇ひ、森を一巡すれば大洗町なり。西は鹿島灘をうけ、東は岬をなして、ここに大洗神社あり。海浜に、魚来庵、小林楼、金波楼、大洗ホテル等あり。近年、東京より避暑に来るもの極めて多く、頗る俗地なり。」