2010年08月
2010年08月24日
最近のいいこと。
毎回、出席というわけではないのですが、
今回、都合がついたので、出席しました。
懇親会からの参加でしたが、20代〜70代までの
同窓生が集まる様は、特別なものがあります。
しばらく、同級生と歓談していたのですが、
前のテーブルに2級上の先輩方がおられました。
なにげなく見ていましたら、憧れの先輩(女性)が
そこにいらしたのです。オオーw(*゚o゚*)wキャ〜と叫びは
しませんでしたが、30数年ぶりにお会いでき、感激しました。
当時、私たちの間では絶大な人気があり、憧れであり、
またそうなりたいと思わせる先輩でした。
もちろん、お話させていただきました。
昔と変わらず、やはりステキな先輩でした(☆゚∀゚)。
今回、参加して本当に良かったと思いました。
これが1つ目のいいことです。
お友達の誕生祝いの食事会を富士宮市の浅間大社近くの
‘長屋門‘というレストランでしました。
ここは、ご存知の方も多いと思いますが、以前は別のレストランだったの
ですが、そこに変わり、現在、フランス料理のお店になりました。
平日の昼間にもかかわらす、ほぼ満席でした。
お料理は、ランチコースをいただきましたが、とても美味しかったです。
量も味も満足のいくものでした。(^_^)ニコニコ
久し振りに、ゆっくりとおしゃべりをしながら、美味しいものを食べられて、
幸せなひと時を過ごしました。これが2つ目のいいことです。
些細なことですが、幸せな気分になれたので、また、がんばろうという
気持ちがわいてきました。(⌒∇⌒)
2010年08月16日
夏休み
お盆休みということで1週間ほどお休みをいただきました。
今年は私の富士宮の両親と一緒に東京・横浜に旅行をしてきました。
富士宮・東京間をマイカーで2往復(中央道)しましたが、
テレビニュースで伝えられていたような、ひどい渋滞には
巻き込まれずに走ることができました。
しかし、最近の高速道路上限1,000円の影響が大きいと思いますが、
高速道路の路肩に停車している車・バイクが以前より目につきます。
ガス欠や故障など仕方ない場合もありますが、ちょっと一服している
ようにしか見えないドライバーも多くなったような気がします。
事故の原因になりかねないので、運転マナーの啓発も同時に必要だと
感じました。高速上限1,000円については、高速と並行して走る
一般道路沿いのお店の売上への悪影響がかなりあったとニュースで
聞いていますが、実験期間が終わったら結局どうなるのか注目したい
ところです。
さて東京では、私も初体験であるはとバスツアーに参加してきました。
浅草寺→柴又→巣鴨とげぬき地蔵というコースを巡りましたが、
浅草寺の仲見世通りはとても賑わっていて、半分くらいは外国人観光客
という感じでした。やはり特に中国の方が多かったです。
浅草寺での散策や柴又での昼食の時間を含めて6時間のコースでしたが
バスガイドさんも付いて、観光ポイントを絞って回るには良かったです。
次に横浜では、横浜中華街での昼食と散策に出かけました。
以前、IBSの旅行で行ったことのある「四五六菜館:本館」で昼食を
食べました。美味しかったです。
中華街を歩いていると、天津甘栗の試食をすすめる店員がとても
沢山いました。前に来た時には無かったと思いますが、結構近寄って
来てしつこく声をかけてくるため、街のイメージを損ないそうです。
さらに横浜スタジアムでナイター観戦をしてきました(横浜VS中日)。
これもIBSの旅行コースを真似しましたが、座席もあの時と同じ1塁側に
陣取りました。ファールボールが近くに飛んできて面白かったです。
試合は横浜の負け。久しぶりのナイター観戦はなかなか楽しめました。
今回は近場の東京・横浜でしたが、楽しい思い出となりました。
また同時に近頃のニュースの内容を実感できる旅ともなりました。
子供の日記のようになってしまいましたが、リフレッシュした気持ちで
秋以降も頑張ろうと思います。
kon
2010年08月09日
夜明けの像
静岡県の富士市と富士宮市という事になりますが、
この2つの市のちょうど中間に「鷹岡」という地区があります。
(現在の鷹岡は富士市になります)
この鷹岡の商店街に不思議なブロンズ像が
立っているのをご存知でしょうか?
黒人少年が旗を持った姿、「夜明けの像」と呼ばれています。
少年が持っている旗には「PAPER」の文字が見えます。
明治23年、日本初のGP(砕木パルプ)を原料に
新聞用紙を製造する製紙工場の建設が計画されました。
それまでのワラや木綿くずを原料にする製紙では安定した
原料確保が難しく、先進国と同じように木材パルプから
紙を作ることが明治政府の一つの課題となっていました。
原料となる木材、木材の効率的な搬出手段、
水力発電所、そして製紙に不可欠な水・・・
この条件を満たす場所を日本各地を調査した結果、
選ばれたのが「鷹岡」だったのです。
富士山麓の木材資源、すぐそばを流れる潤井川、
さらに開通したばかりの東海道線も大きな魅力となりました。
こうして選ばれたこの地で操業を開始したのは
富士製紙、現在の王子製紙の前身の一つです。
製紙工場の心臓部となる抄紙機は米国の名門製紙機械メーカー、
ブラック・クローソン社から輸入された当時の最新鋭マシンでした。
まさに日本の製紙の夜明けです。
太平洋を越えて輸入されるわけですから、マシンには頑固な梱包が
されていたと思います。その梱包を解いていくうちにマシンの部品と
共に出てきたのがこの「夜明けの像」でした。
日本の担当者はこの像が何のために入れられたのが解るはずもなく、
ブラック・クローソン社へ問い合わせました。すると、
「幸運をもたらすマスコット、日本の製紙が発展するように」
という返事が返ってきたそうです。
こうしてスタートした富士地区の製紙業はその後も順調に発展を遂げ、
特に斉藤知一郎が興した大昭和製紙は「東海の暴れん坊」として
日本の製紙業界に大きな功績を残しました。
明治、大正、昭和と日本の製紙業界を牽引してきた富士市は
平成に入ってから、かつての活力を失いかけている感もありますが、
「夜明けの像」は今も紙の町の発展を見守っています。
(鷹岡にある夜明けの像は平成4年に復元されたもので、
当時のものは東京王子の紙の博物館にあります)
KAO