2011年03月16日

三河地震〜東北地方太平洋沖地震によせて〜

まずは東北地方太平洋沖地震、及びそれに伴う津波の被害に遭われ亡くなられた皆さまに深く哀悼の意を表します。また今後、1人でも多くの方が救われ、一日も早い復興の光を望めるようご祈念申し上げます。


正直に申し上げますと、今回の震災に対してはまだ何かをコメントできる様な状況ではありませんので、ブログを書くこと自体に戸惑いがあったのですが、先日ある神社関係者の方から昭和20年に起きた三河地震についての資料を頂き、是非とも今書いておきたいと思い今回のエントリーを進めさせていただくことといたしました。


三河地震は昭和20年1月13日午前3時28分に三河湾を震源地として発生しました。敗戦目前の世相もあり、被害については殆ど広報されず、記録もわずかしか残っておりませんが、西尾市や幡豆郡を中心に死者、行方不明者をあわせると約3千人、家屋の全壊は7千超戸、半壊1万6千超戸、という甚大な被害をもたらせました。


今回拝見した証言集によりますと、国からの組織的な援助は殆ど望めず、大工・とび職等に従事していた報国労務隊と呼ばれる職能集団数百人と地元の方々の尽力により、数年かけて復興がなされたそうです。お陰で現在この地方に住んでいる我々が、その爪痕を感じる事は殆どありません。


今回、敢えてこのエントリーを書こうと思ったのは、その証言集に書かれていた震災に対する教訓を読んだからでした。幾つか抜粋します。


「震災後、我々にとって一番の敵となったのは余震でも無く、敵襲でも無く、人々を不安がらせたり混乱を招くデマであった」
三ヶ根山が震源地であるとか、噴火するといったデマから、強盗集団が蔓延っているとか、疫病が流行るなど、根も葉もない噂に相当惑わされたようです。
今回の震災でも、特にインターネットや携帯電話を利用した電子網での情報のやり取りが有効活用されています。その裏で、余計な不安を煽ったり、デマが流れていたりもします。また一方で、震災の悲惨さを伝えるメディアが多い中、被災地では物資に関する情報や避難所の情報、生存者確認の為にもっとメディアに頑張って欲しいという声も聞こえます。今後、情報網の整備はより必須となって行く事と思いますが、利用する側の整備も必要になってくる事と思います。


「最低限自分のねぐらを確保する努力は自分でするべきである。また食料や水は、必ず自宅に保管しておくべきだ。人さまの助けが入るのはいつになるか分からないし、それをあてにしてはならない。」
現在でも防災の基礎的な知識として、3日分の備蓄を備えよというものがあります。どんなに大きな震災でも、3日後にはおおよその体制は整うと考えて良いが、それまでの3日間をどう凌ぐのかが重要だと言われています。

「この当時は御近所付き合いがしっかりしていたから、どこで誰が助けを求めているのか、誰の行方がしれないかすぐに把握する事が出来た。復興に当たっても、一番力になってくれるのは近所の人であるし、非常時でも混乱や犯罪が起こらないのは正にその近所付き合いがしっかりしていたお陰だと思う」
昨今、ようやく見直されてきた近所付き合いの大切さ。こういうものは普段は多少煩わしさがあっても、こういう非常時には大変心強いものであると思います。隣3軒両向かいなんて言いますが、こういう時代であるからこそ、敢えて御近所付き合いの大切さが身にしみると思います。


この様に、現在の防災で大切とされている事は、当時とまるで変わっていません。今、我々に大切な事は65年以上前から言われていた事なんですね。今後間違いなく起きるであろう、震災を迎えるにあたって、我々はもっと学ばなくてはいけない事が沢山あるのだと思います。


最後に、今回の震災に向けて、我々が今できる事は募金くらいのものかもしれません。私自身も、状況が落ち着けば出来る事は少しでも多くしたいと思っています。恐らく日本中の人がそう思っているはずです。頑張っていきましょう。

ibun at 10:47│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!彼是 | 時事

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
紹介
杜蔵
愛知県・三河三都と謳われた西尾の地に鎮座する伊文神社の杜からおお届けするブログです。
最新トラックバック